25.『This Is the End / 人間失格 (仮)』

 

太宰に憑依された男の話

2024 予定

 

 

 

 

 

24.『Elegy / 哀歌 (仮)』

 

発狂する女の話

2024 予定

 

 

 

 

 

23.『Variations / 変奏曲 (仮)』

 

震災後の話

2024 予定

 

 

 

 

 

22.『Big Star / アレックス・チルトンを思う (仮)』

 

 

暑さのせいなのかどうかはつゆ知らぬが、毎年恒例、もはや夏の風物詩とでも言えようか、今年の夏も至極当然のごとく私はすっかり糞詰まって行き詰まっていた。

とにかく夏は暑くて暑くてかなわぬところへ、近頃じゃ加齢のせいかすぐに目がショボショボと涙目になるし(今も泣きながら書いている)、ピントも大仰にブレまくる

し、何より中老の薄らボケナス頭にぼんやりと浮かび上がる情景(イメージ)を消えてしまわぬうちに素早く捕らえて言葉に変換し、さらには誤字脱字句読点の打ち方や

その他諸々を逐一チェックしながらチビチビと書いていくのがどうにもこうにも面倒くさくてしんどくて正直やり切れぬし、それにそもそもの話、こんな場末のうら

ぶれた飲み屋の最奥、糞尿ゲロ塗れな便所の壁に書き殴られたような愚にもつかぬ文章に何か意味などあるのだろうか、いっそのこともう書くのはやめにして、この

ままこっそりフェイドアウトしてどこか遠くへ逃げて行ってしまおうかとも思ったのだけれど、私の中にはまだまだ書きたいことがいくらか残ってあって、それらは

是が非でも書かねばならぬことでもあるから、是が非でも書かねばならぬと思うことは、やはり是が非でも書かねばならぬのだ!と己の尻に鞭を打ち、男一匹(女一匹

も)一旦やると決めたことは何が何でもやり遂げねばならぬのだ!それを果たさずして死ぬわけにはどうしたっていかぬのだ!と己を遮二無二奮い立たせ、初志一貫、

これから先も書き続けていくと心に決めたところである。振り返ってみれば、2020年よりここに駄文の数々をグダグダと書き連ねてきて、当初は無謀にも「50歳まで

に小説を20篇ほど書き、その中から14~5篇を選び、本という形にまとめる」などと脳天気に息巻いていたものだが、予定はあくまでも予定であり、世の中そんなに都

合良くは行かぬもの、残念ながら「本にまとめる」という目標はいまだ叶わぬまま、めくるめく時は流れ、2023年もそろそろ終わりに近づこうという今現在の私は気

づけばすでに51歳になっているわけだけれども、果たしてここに書かれた駄文の数々が厳密な意味での「小説」と呼べるかどうかについては甚だ疑問であり検証の余

地があるとはいうものの、何とも幸いなことに「20篇ほど書く」という当初の目標だけはどうにかこうにか達成できてはいるのであった。これまで私は「他人の顔色

などは一切窺わず、自分が書きたいものを、書きたいように書いていく」「己の心ときちんと対峙し、己の心の奥底に巣食う愚劣なものや醜悪なものまで含むすべて

を正直に曝け出した上で、その中からわずか一欠片でもよいから、美しい何かを発見していく」「何とか人並みに真っ当に生きたいと願うも、どうしても愚劣にしか

生きられぬ者が、そのどうしようもない己の愚かさを藝術にまで昇華させ、まさに愚か者にしか表現し得ぬものを地を這うように死物狂いで表現していく」と腹を括

り、誰に頼まれたわけでもなく金や名声のためでもなく、ただ自分が書きたいからと書いてきて(これは絵の場合もまったく一緒)、もちろん誰か他人に「いいね!」

と褒められたいがために書いているわけでもなく、言うなれば、自分で自分に「いいね!」するためだけに書いてきたようなものであるからして、他人に読まれたな

らばどんなにか恥ずかしいと思うようなことであっても、人でなし!ろくでなし!能なし!甲斐性なし!ウジ虫!便所虫!この変態野郎!と世間から後ろ指さされよ

うとも、自分が是が非とも書かねばならぬと思ったことは、やはり是が非とも書かねばならぬのである。これは一見簡単なようで、実践するのが甚だ難しく、そして

何より甚だ恥ずかしく、でもこの大切なポイントを見失うと元も子もなくなってそもそも書く意味などまったくなくなってしまうから厳重な注意が必要なのである。

ゆえに、これから先も私は、さらに臍下丹田に力を込め、尻の穴をキュッと引き締め、己の身内にまだ残ってある、是が非とも書かねばならぬと思っておる2~3篇を

グダグダとここに書き連ねていき、一体いつになることやら皆目見当もつかぬけれども、晴れて自分の書きたいことのすべてを無事に吐き出すことができた暁に、ひ

とまずそれらを寝かせ、やがて自分で書いたことすらすっかり忘れ去ってしまった頃ふと思い出し引っ張り出してきて客観的に眺めた上で、それでもなお、他の誰で

もなく私自身が本当に心から面白いと思った時にあらためて「本にまとめる」という次のフェイズへと移っていこうかと目論んでいるところである。中途半端なもの

を無理やりまとめたところで意味はなく、それは何も表現していないに等しく、己の納得のいくレベルに達したところで1冊の本にまとめることにしたいのである。

太宰治の第一創作集の序文にあるように「これを書くために自分は生まれてきた」と正々堂々胸を張り宣言できるまで、書きたいこと、書かねばならぬと思うことを

書いていくつもりである。慌てる乞食は貰いが少ないと諺にもある通り、こういうのは焦っても仕様のないことで、たとえどんなに時間がかかろうとも、己の持てる

力を100%発揮した、正々堂々胸を張り己の作品だと主張できるような、100%己を投影させた、己自身が心底納得がいく、全身全霊、己の魂を込めたものを生み出さ

ねばならぬのである。よって、それまでのまだしばらくは表立った活動は極力慎み世捨て人のごとく隠遁生活を続けていく所存である。それはすなわちそれが書けな

ければ一生地下に潜ったまま寿命を迎えることを意味するわけであり、それならそれで別に構わぬけれども、できれば死ぬ前にもう一花咲かせたいという願望がこん

な自分にもないわけではなく、より一層頑張らねばならぬ!と己の尻を引っ叩いているところである。ちなみに本のタイトルだけは当初よりすでに決めてあって(もし

かしたら変更するかもしれぬが)、今のところは『電通 vs 坂口安吾』にする心積もりであり、それは2020年よりここにグダグダと書き連ねてきた文章の主要なテーマ

が、もう長きにわたり私自身が己の心の奥底に思い煩い続けてきたところである「日本の広告業界に対する根本的かつ生理的な不信感不快感および嫌悪感」を根底に

置いた「藝術と創作と分泌と排泄にまつわる話」であるからに他ならず、この些かあざといと取られるかもしれぬ「電通」というキャッチーな言葉は、もちろん「博

報堂」「ADK」「大広読広」「東急エージェンシー」「マッキャンエリクソン」「東北新社」その他含めた、すなわち「広告業界」の全体を象徴し、さらに「坂口安

吾」のほうは、これまた散々繰り返し書いてきた通り、私が27歳の時、たまたま読んだ坂口安吾の小説『白痴』にまんまとそそのかされ背中を押されるかのごとく、

21歳から27歳まできっかり6年間勤めてきた、フランク・ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CMプロダクション(頭文字M)を、もう広告なんてやってられっ

かよ!アホくさ!バカくさ!チンドン屋!アッカンベー!ベロンベロンバー!と唾吐きかけ、藝術家になる!と高らかに宣言し辞め広告業界から(一旦)足を洗った(がす

ぐにまた舞い戻った)経験に由来し、それら二つの言葉を上手い具合にガッチャンコと合体させて『電通 vs 坂口安吾』となるわけである。さらにもしも帯をつける場合

には「インド人もびっくり!」のごとく「糸井重里、痙攣!」「糸井重里、悶絶!」「糸井重里、失神!」「糸井重里、失禁!」「糸井重里、脱糞!」「糸井重里、

チョイ漏れ!」「糸井重里、ダダ漏れ!」「糸井重里、ヌレヌレ!」「糸井重里、ドバドバ!」などを一応候補に考えておるが、これは日本の広告業界を象徴する人

物といえば一体全体誰だろうか?と思案を巡らせた時に「氏」に匹敵する人物が他に見当たらぬからであり(これはある意味スゴイことである、もちろん褒めている)、

そんな日本の広告業界のゴッドファーザー的存在であるところの「氏」も読んで思わず漏らしてしまうほど官能的な内容であることを仄めかし、また以前どなたかの

本の帯に「糸井重里 泣き笑い」という文字をたまたま見かけ着想を得たものでもあり、おそらく実際には一面識もないため鼻にもかけられず断られるに違いがなく、

また人様の名前を勝手に使って遊ぶのはさすがに他力本願が過ぎるかとも思うから、その時はその時で再考することとして、それにそもそもの肝心の本の中身がいま

だ完成には至っておらず、そんな遠い未来のことなど今から考えておっても、捕らぬ狸の皮算用、何はともあれ、とにもかくにも、まずは書かねばならぬのである。

……

かように、ふやけてダラリと伸び切った風呂上がりの金玉袋のごとく夏の間にすっかり腑抜けてしまった己の心を一喝し、これから先も書き続けていくべし!と果敢

に決意した私であったが、ここに一つどうにもこうにも気になって仕様のない厄介な憂いごとが立ち現れてきたために、まずはそれから書いていくことにしようか。

前述の通り、2020年より私はこの場所に、もう長きにわたり己の心の奥底にわだかまり続けてきた「日本の広告業界に対する根本的かつ生理的な不信感不快感および

嫌悪感」を根底に置いた「藝術と創作と分泌と排泄にまつわる話」を自らの貴重な体験をもとにグダグダと書き連ねてきたわけであるが、それはもっと具体的にわか

りやすく言うならば、日本の広告業界に蔓延する悪しき慣習であり、私自身もその被害に散々悩まされ続けてきたところでもある、企画アイデアのパクリ問題他、パ

ワーハラスメント、コンプライアンス違反、ギャランティ未払い、不当労働問題など不正行為を中心に、もう吐き気を催すほど醜く腐り切った日本の広告業界やそこ

に蠢く魑魅魍魎、心卑しき広告屋連中を、辛辣な言葉を駆使して縦横無尽にバッサバッサと斬りつけながら正々堂々真摯に批判してきたわけであるが、そしてそれら

の文章はページの下のほうを探せばまだ消さずに残してあり、興味があれば一読してもらえば話が早いのだけれど、あらためて要約するならば「ことの発端は2000年

代初頭、私がまだ広告業界の片隅にひっそりと佇んでいた頃、フリーランスとして仕事を開始する際、営業ツールの企画サンプルとして配って回っていた『ぼつコン

テ集』(過去に仕事で提出し採用には至らずも自分では非常に気に入って保存しておいた絵コンテ約100枚ほどを1冊に簡易的にまとめた手作りの冊子で、私の広告業

界における血と汗と涙が滲む苦闘の歴史、情念や執念や怨念がぎっしりと詰まった、見る者によっては胃もたれや胸焼けや消化不良や不眠症などを引き起こしかねな

い、非常に濃ゆいディープな内容)から企画アイデアをネコババ・ヨコドリする不届者が現われ、常々私は企画アイデアを考える際は子供を産み落とす感覚でそれこそ

命懸けで臨んでいたために、あたかも腹を痛めて産んだ我が子を拐かされ嬲り殺された親が復讐を誓い卑劣な凶悪犯人を執念深く地獄の底まで追いつめていくかのご

とく徹底的に調べ上げていくと、ある特定の者たちが常習的にパクリ行為を繰り返し、私の『ぼつコンテ集』を食い物にしていることが判明、その中には広告業界で

超有名なスタークリエイターなどと呼ばれて偉そうにふんぞり返っておる者も複数含まれ、彼らのパクリ行為は常軌を逸して悪質、仕事を受注する側のフリーランス

という後ろ盾のない弱い立場であるこちらが黙っておればいい気になりおってみるみるとエスカレートしていき、挙げ句の果てには、私が自分のホームページに載せ

ている絵の作品群にまで彼らのパクリ行為の被害が及ぶようにもなってきて、物事には限度というものがあって、普段は温厚篤実なジェントルマンを自認する私も思

わず殺意を覚えるほどに悪質極まるゆえ、絶対に許してはおけぬ、悪の報いは針の先、悪事を働けばいつか必ず自分に跳ね返って来るはずだから、そのうち天罰が下

るぞよ、首を洗って待っておけ!このパクリ猿どもよ、KILL YOU! & FUCK YOU!」といった主旨の文章を、時に照れ隠しの上質なユーモアなど交えながら客観的かつ

論理的に書いたわけだけれども、もちろん誰か他人を殺めてやりたいなどと言葉にすること自体が根本的に下品な行為であるのは百も承知の上、それでも書かずには

おられぬからやむにやまれず私は書いたわけであり、私のこの殺意を覚えるほどの激しい怒りは至極真っ当な怒りであり、実際に行動に移すか否かは別の話として、

決して冗談でも何でもなく正真正銘ホンモノの殺意であり、それはたとえるならば、畑の作物を食い荒らすだけに留まらず、勝手に家にまで土足で上がり込み、冷蔵

庫を物色し食い散らかすどころか、しまいに恋女房や愛娘まで掠奪していく、悪辣非道な猿どもをいつか必ずショットガンで撃ち殺し仇を討ってやりたいと願う農夫

の怒りと哀しみにも似た感情を、私はもう20年近くも心の奥底に秘め続けてきたものだから、その積年の恨みつらみにまかせて本当にやむにやまれずに書いたわけな

のだけれども、それにもかかわらず、この期に及んで今現在も依然として卑劣なパクリ行為を続ける不届者が多数存在し、なおかつ、彼らのパクリ行為の対象が、今

度は何とも驚き呆れ返ることには、ここに書かれた文章にまで及んできているという忌まわしき事実を目の当たりにして、私は心底憂いているというわけであった。

……

私は当初よりこの場所に上記テーマで文章を書いていくにあたり、今まで私に対しストーカーのごとく常習的にパクリ行為を続けてきた不届者たちも必ずやここに書

かれた文章を読むであろうことを想定し、それを大前提として書いてきており(それはなぜかと言ったらば、前述の通り、かねてより私のホームページに掲載している

絵の作品群にも彼らのパクリ行為の被害の魔の手が及んでいるという動かしがたき事実を踏まえてであるが)、そして実際に私は「卑劣なパクリ行為は何かを表現する

者として大変恥ずかしいことであり、コンプライアンス違反やパワーハラスメントにも相当する悪質な行為でもあるから、もしも人として良心の一欠片でも持ち合わ

せておるならば、直ちにパクリ行為はやめるように」と懇切丁寧に(時に厳しく)ハッキリと言葉にして彼らに対し警告を発していたにもかかわらず、それでもなお、

いまだにコソコソとストーカーのごとく悪質なパクリ行為を続ける不届者が多数存在するというわけである。すなわち「パクリ猿どもよ、KILL YOU! & FUCK YOU!」

と書いた文章から性懲りもなく猿どもが企画アイデアをパクるという、もう何が何だかわけのわからぬ、もう笑うに笑えぬ冗談みたいな構図の予想外な展開に私はほ

とほと呆れ困り果て心を痛めているという次第であった。当初の私の目論見では、この場所に上記テーマで文章を書き彼ら猿どもに警告を与えてやれば、さすがに悪

辣非道な彼ら猿どもも当然パクリ行為を控えるか、金輪際スッパリやめるものとばかり思っていたところが、いざ蓋を開けてみれば、結局彼ら猿どもはパクリ行為を

やめなかったというわけである。彼ら猿どもの骨の髄まで染み込んだ筋金入りの「猿真似根性」「乞食根性」「ゴキブリ根性」を正直私は見くびっていたのかもしれ

ない。彼ら猿どもが私に対しストーカーのごとく続ける悪質なパクリ行為からは「意地でもパクってやるぞ、ウッキー、ウッキー、ケツの毛まで毟り取り、骨までし

ゃぶり尽くしてやるぞ、ウッキー、ウッキー」と言わんばかりの執念深い悪意をひしひしと感じるのである。それが私には心底恐ろしいのである。人間の言葉が通じ

ないこと、正論が通じないこと、善悪や美醜の区別、物事の道理を彼ら猿どもが一切わきまえていないことが私には心底恐ろしいのである。そんな厚顔無恥なインチ

キ猿どもが日本の広告業界においてスタークリエイターなどと呼ばれデカい顔してふんぞり返っているという醜悪な現実に眩暈を引き起こしながら私の中で彼ら猿ど

もに対する激しい殺意がさらに増幅されていくのである。しかし何だろうか、彼ら猿どもは他人の企画アイデアをパクらないと生きていけないのだろうか。パクらな

ければたちまち生活に困窮し死んでしまうのだろうか。私も決して鬼ではないから、もしも本当にそういう事情があるならば、慈善や動物愛護の観点から致し方ない

話と諦め、施しと割り切ることもできるのだけれども、実際のところはそうではないだろう。ただ目先の我欲に目が眩み、他人の気持ちや痛みや後先のことなど一切

顧みず、ただクライアント企業の前でいい顔して世間から注目を浴びたい一心から、安易な方法で手柄や名声を得ようとしているだけのことだろう。そんなふうに人

様のアイデアを盗まなければ成立しない仕事を生業とすべきではないのではないのか。現代社会において、もしも実際に人様の畑の作物(例えばシャインマスカットや

マスクメロンやとちおとめ)を盗めば当然犯罪者として逮捕されるのに、なぜ人様の企画アイデアを盗む場合は不問に付されてしまうのか。企画アイデアには著作権が

なく法律で保護されないことやその理由ももちろん重々承知した上で、それでも私には到底納得がいかないのである。さらには、彼ら猿どもが私の企画アイデアをパ

クって作ってTVやインターネットから流れてくるチンドン広告作品(そもそも作品ではないと思うが便宜上ここではこう表現しておく)のクオリティが相変わらず見てい

るこちらが気恥ずかしくなり哀しくなるほど低いのである。彼ら猿どもは一流の有名大学を出て一流の有名会社に入ったお利口さんであるはずなのに、なぜここまで

幼稚で下品でダサいものしか作れないのかと逆に感心するほどに、知性の欠片もなく、まるで小学生が即興で考えているのではないかと疑うほどに、幼稚で下品でダ

サいのである。40歳50歳のいい歳をした(見てくれだけは)立派な大人になっても、ここまで低俗愚劣なバカみたいなものしか作れないのか、一体今まで何をやって生き

てきたのか、結局バナナのことしか頭にないのではないのかと逆に感心するほどに、幼稚で下品でダサいのである。パクって作ったものが公共の電波に流されれば、

当然私の目に触れる可能性があると想像もできぬほど猿どもは鈍感なのだろうか。私がそれらを見てどう思うのかを察することもできぬほど猿どもは愚かなのだろう

か。他人の痛みを想像できぬ猿どもに誰か他人の心を動かせるものなど作れるはずがないだろう。他人の表現した面白いものを見て、そこで面白いと思うのはわかる

が、その次の行動が、なぜパクるになるのか、なぜ自分も同じように面白いものが作れると安易に思えてしまえるのか。表現の面白さやセンスというものは一朝一夕

で手に入れられるようなそんな生易しいものでは決してなく、何十年と長い年月をかけじっくりと培っていくものである。他人の面白さやセンスを表層的に掠め取り

茶を濁しているだけで彼ら猿どもはそれで満足なのだろうか。それは何よりも表現というものを舐めてかかっている証拠ではないのか。チンドン広告という匿名の安

全圏で、ご褒美のバナナ欲しさに、ご主人様(クライアント企業)の顔色を常に窺いながら主義主張など主体性の欠片もなくファッション感覚でハメ外しチャラチャラと

おちゃらけて我が物顔の勘違い猿どもよ、世渡り上手なお利口さんの凡人(凡猿)のくせして奇抜なことやっている自分に酔い痴れ恍惚とした表情でファッション変人(変

猿)気取りの猿どもよ、とにかく目立ちたくて目立ちたくて堪らずに闇雲にシンバル打ち鳴らすファッション気狂いの傍ら痛い猿どもよ、それすなわち、ファッション

パンクな猿どもよ、インチキチンドンパンクな猿どもよ、私がこの世に存在するありとあらゆるものの中で最も忌み嫌う人種、否、猿種である。そもそも彼ら猿ども

は人様のものを勝手に掠め盗ってはならぬと父猿や母猿からきちんと躾されて育ってこなかったのだろうか。いやいや、むしろ話は逆で、父猿や母猿からは積極的に

掠め盗れと躾されて育ってきているに違いないから、もはやなす術なしといったところで、結局とどのつまり、身も蓋もない話になってしまうけれども、所詮、猿は

猿、人間以下の畜生の猿だから、哀しいかな、彼ら猿どもに人間の言葉は一切通じぬということなのか。彼ら猿どもに人間の心は理解できぬということなのか。もう

この際ムツゴロウさんに仲介をお願いすればよいものか。いやムツゴロウさんはもうあの世に行ってしまったか。映画『猿の惑星』のフランクリン・J・シャフナー監

督に相談してみるか。ティム・バートン監督でもよいか。日光江戸村の猿軍団担当にお願いしてみるか。シャーロット・ランプリング(大島渚監督の映画『マックス、

モン・アムール』でチンパンジーと恋に落ちる人妻役を演じた女優)にお願いしてみるか。一度センズリを覚えたマスカキ猿はその刹那の快楽が忘れられず死ぬまでセ

ンズリを延々と繰り返すというではないか。つまり私は一生猿どもに付き纏われパクられ続ける人生を送ることになるのか。猿どもに付き纏われる人生、なんと悲惨

な人生だろうか。そんな人生は真っ平ご免である。もしかしたら性犯罪などと一緒で、ダメだとわかっていてもやめることができない病気なのだろうか。そういう穿

った目で見れば、どいつもこいつも猿どもは性犯罪者のような顔をしているではないか。病気だったらきちんと治療すべきである。今すぐ動物病院へ行け。しかし一

体全体どうすれば猿どもにパクリ行為をやめてもらえるのだろうか。いや、やめてもらえるなどとなぜこちらがへりくだらなければならぬのか。どうすれば猿どもに

パクリ行為をやめさせられるのだろうか。接触するのが心底気色悪いが、猿どもに面と向かってパクリ行為をやめるよう伝え諭せばよいものか。甚だ面倒くさい手間

となってしまうが、ここは一つ勇気を振り絞り猿どもに正々堂々と戦いを挑むべきなのか。何らかの手段を講じて猿どもの悪行を世間一般に告発すればよいものか。

例えば試しに猿どもが所属する広告関連団体(TCC/ADC/ACC/JAC他)の会員全員に訴え出てみようか。試しに猿どもがチンドン広告を担当するクライアント企業に訴え

出てみようか。はたまた、親猿の顔が見てみたいと猿どもの田舎の両親の猿顔でも拝みに行ってやろうか。とにもかくにも多少なりとも手荒なマネをしてでも痛い目

に遭わせてやらなければバカな猿どもは何一つ学びはしないだろう。でももちろん私は仮にも法治国家に暮らす思慮分別ある正真正銘の人間だから、たとえ相手が猿

だからといって暴力に訴えることは得策ではなかろう。でも言葉でわからなければ体でわからす他になかろう。それにそもそも暴力は本当にダメなのだろうか。建前

上暴力が禁止されているこの世の至る所には暴力が溢れているではないか。いっそのこともう一思いにやってしまおうか、相手は人間ではなく猿なのだから、仮に殺

したところで殺人罪は適用されず器物損壊罪で穏便に済まされるかもしれぬし…などなど具体的な方策を暇さえあれば頭に巡らせながら私は心底憂いているというわ

けであった。そんな下賤な猿どものことなど放っておいて、己の作品作りに全神経全精力を集中すべきであるのは百も承知の上、そう頭できちんと理解してはいるも

のの、人として許せぬものはどうしても許せぬわけである。もう吐き気を催すほど醜く腐り切った日本の広告業界やそこに蠢く魑魅魍魎、心卑しき広告屋連中に嫌気

が差し広告屋からスッパリ足を洗ったというのに、なぜにこんな不快な窮状に陥らねばならぬのか、一体全体どうしたものだろうかと私は心底憂うばかりであった。

……

もちろん、よくよく注意深く観察してみれば、今まで散々悪質なパクリ行為を常習的に続けてきた猿どもの中にも、猿から人間への進化の過程の途上にあって、さす

がに良心の呵責に苛まれ、これを機会にすっかり改心したものか、少なくとも私の確認できる範囲内においては、パクリ行為をスッパリとやめた猿どもも複数見受け

られ、またそれとは正反対に、前述の通り、あたかも私の警告をあえて無視するかのごとく、私の心をいたずらに弄ぶかのごとく、以前よりもさらに激しく正々堂々

と悪質なパクリ行為を続ける猿どもも複数見受けられ、さらに加えて、新たにパクリ行為に手を染めはじめる新参者(ニューフェイス)の猿どもさえ現れたりと、パク

リ猿ども各々の行動は、十人十色、否、十匹十色ではあるが、私自身の考え方としては、パクリ行為を金輪際スッパリとやめた猿ども(猿から人間へと進化する決意を

した猿ども)に関しては、この先もグダグダと怒りを引きずるつもりは(時間の無駄なので)さらさらなく、もちろん過去の卑劣なパクリ行為は決して許されることでは

ないとはいえども、ここは心を入れ替えたと思しき彼ら猿どもの誠意を素直に認めた上で、さしあたってこれ以上の追及はせぬ心積もりではいるのだけれども(もちろ

ん笑顔で握手し酒を酌み交わしめでたしめでたしとはどう考えても行かぬだろうが)、私が断じて許すことができず、深刻なる問題として捉えておるのは、この期に及

んでもなお悪質なパクリ行為を一切やめずストーカーのごとく常習的に続ける猿ども、および、新たにパクリ行為に手を染めはじめた新参者(ニューフェイス)の猿ど

もに関してである。私はかつてここに書いた関連の文章の中で、悪質なパクリ猿どもに対し殺意を覚えるほどハラワタが煮えくり返っているという事実をきちんと言

葉で明示しているにもかかわらず、さらに加えて、実際に過去に私に対し悪質なパクリ行為および、それに類する度し難きほどの倫理を欠いた不誠実な行為の加害者

またはその関係者のうち、すでに10数名が死に至り、死に至らずも会社が潰れたり不祥事により社会的に抹殺されたりなど、甚だ穏やかならぬ複雑怪奇、摩訶不思議

な現象が多数確認できている事実を「因果応報」「言霊」「魂」などの言葉を使って明示しているにもかかわらず、彼ら猿どもが悪質なパクリ行為を一向にやめない

というのは一体全体どういった了見なのであろうか。新たにパクリ行為に手を染めはじめるというのは一体全体どういった了見なのであろうか。人の死を無闇矢鱈と

軽々しく取り扱うのは下品なことであると百も承知の上で、脅しでも冗談でも何でもなく実際に人が死んでいるのは紛れもない事実なのである。彼ら猿どもは死ぬこ

とがまったく怖くないのだろうか。そもそも彼ら猿どもには死という概念などないのだろうか。誰もが自由に読むことができ、かつ誰が読んでいるのかもわからぬイ

ンターネット空間の一隅に、そのような甚だ穏やかならぬ正気の沙汰とも思えぬ内容の文章を実名や出自を明かして書けば、書いた人間(私のこと)の良識が疑われる

ことになるだろうことも承知の上で、世間から狂人のごとく冷ややかな目で見られようとも一切構わぬといったそれ相応の覚悟の上で、彼らへの殺意をきちんと言葉

で明示しているにもかかわらず、彼ら猿どもが悪質なパクリ行為を一向にやめないというのは一体全体どういった了見なのであろうか。新たにパクリ行為に手を染め

はじめるというのは一体全体どういった了見なのであろうか。彼ら猿どもの行動やその心が私にはさっぱり理解できず、それを私は心底憂いているのである。もしも

私が逆の立場ならば、もちろん私は猿ではなく思慮分別のある人間なので、直ちにパクリ行為の一切はやめ、過去の己の恥ずべきおこないを悔い改めるに違いないだ

ろうし、誰か他人から殺意を覚えるほどの激しい恨みを買われているという決定的な事実を知らされればなおさらのことである。もしかしたら彼ら猿どもはここに私

が書いた文章など一切目にしていないという可能性も念のため一考してみるが、彼ら猿どものパクリ行為の対象がここに書かれた文章にまで及んでいるという動かし

がたき事実を前にしては、残念ながらその考えを一蹴せざるを得ないのである。もしかしたら私は彼ら猿どもに思いっきり舐められてしまっているのだろうか。「お

前は殺してやりたいなどと軽々しく言っているけどさ、ウッキー、ウッキー、実際のところ俺たちを殺す勇気なんてないんだろう、ウッキー、ウッキー、口だけなら

誰だって言えるんだぜ、ウッキー、ウッキー、口先だけのヘタレチキン野郎のくせして、こんなところで一人喚き散らかしていたって、俺たちは痛くも痒くもないわ

い、ウッキー、ウッキー、やれるもんならやってみろって、ウッキー、ウッキー」などと木の上から高を括っているのだろうか。もしかしたら私が時に照れ隠しの上

質なユーモアなど交えながら書いているのが仇となり、私の真剣さが彼ら猿どもには十分に伝わっていないのだろうか。何度も繰り返すが、これは決して半端な気持

ちの冗談半分で書いているのとはわけが違うのである。ここに書かれた駄文の数々はどこからどう見ても誰が見ても駄文であることは百も承知の上で、私はこれらの

文章を、己の人生を賭して、己の身を削り、全身全霊、己の魂を込めた、正真正銘、己の藝術作品として胸を張り書いているのである。己の人生を大いなる実験場と

して、己の人生を無駄にして、己の命を削るかのような覚悟の上で、己の人生を一つの藝術作品とみなし、そこに全神経全精力、すなわち己の魂をすべて注ぎ込むか

のごとく、私は書いているのである。今までに一度も自らの手掛ける作品に魂を込めた経験などない彼ら猿どもには私の言っている言葉の意味がまったく理解できぬ

のかもしれぬが、私は「魂」というものはこの世に確実に存在すると信じている。もう長きにわたり冷徹ニヒリスティックな人間嫌いの成れの果てを気取る無神論者

の私は、もちろん神や仏の存在は信じておらず、幽霊の存在も半信半疑だが、藝術作品に宿る「魂」の存在だけは疑いの余地がまったくないほどにすっかり信じ切っ

てしまっているのである。彫刻家のアントニー・ゴームリーも「作品は魂の宿る場所」と語っているように、すなわち「魂の宿っていない作品は作品とは呼べない」

という意味であろう。またこれは以前にも書いたことだが、非常にわかりやすいたとえなのでしつこく繰り返すけれど、例えば、神社仏閣の賽銭箱を漁る盗人や乞食

が果たして幸せになれるだろうかと考えてみる。賽銭には人々の強い思いや願いが込められており、それらを盗むということは、すなわち結果的に人々の思いや願い

までもを踏みにじる行為となり、そのような他人の強い思いや願いが込められたものを安易に踏みにじれば、踏みにじった者にそれ相応の罰が当たるのが当然の報い

であると考えられる。いい加減な気持ちで作られたものならばいざ知らず、藝術や創作や表現の世界においては、絵や文章に限らず、作り手が真剣に心を込めて作っ

た作品/創作物に「魂」が宿るとよく言われる。他人が精魂込めて丹念に、それこそ身を削り命懸けで、自らの子供、自らの分身を産み落とすかのごとく真剣勝負の覚

悟で表現した成果を、どこぞの馬の骨とも牛の骨とも豚の骨とも知れぬ赤の他人である第三者が、敬意も配慮も仁義もへったくれもなく、己がただただ楽をしたいと

いった恐ろしく安易な軽い気持ちから勝手にネコババ・ヨコドリし、横からかっさらっていき、己の手柄にして不当に金や名声に換えるなど、目先の醜い我欲を満た

す目的に利用し弄び蔑ろにするならば、そこ(作品/創作物)に宿っている「魂」が決して黙ってはいないということである。他人に恨みを買うようなことをすれば、巡

り巡って何らかの形でいつか必ず己の身に跳ね返ってくるということである。たとえ今は無事であったとしても、それはたまたま運良く今は無事であるだけのこと

で、これから先の未来に何らかの形で必ずや己の身に跳ね返ってくるということである。それが物事の道理、自然の摂理、すなわち「因果応報」というものだと私は

考える。それにそもそも他人の才能やその成果に対し最小最低限の敬意を表したり配慮を示せぬ猿どもに何かを表現する資格など断じてない。いくらスタークリエイ

ターなどと呼ばれ広告業界の内輪のサークルで下駄履かされ身分不相応に誉めそやされ持ち上げられていたとしても、そんな下賤な人間以下の畜生猿どもに何かを表

現する資格などは断じてない。他人の痛みをまったく想像できぬ畜生猿どもにどうして人間の心を動かすものが作れるというのか。笑わせるんじゃない。冗談はその

醜い猿顔だけにしておくべきだろう。彼らチンドン猿どもが日々手掛ける幼稚で下品でダサいチンドン広告作品(そもそも作品ではないと思うが便宜上ここではこう表

現しておく)に「魂」など宿るはずもない。なぜなら彼ら猿どもには心がないのだから。どうしたって魂の込めようがないのである。書きながらどんどんヒートアップ

していく自分を妙に心地良く感じながらさらに続けていくが、もちろん私はここに書く文章にもきちんと「魂」を込めて書いている。少なくとも私は常に「魂」を込

める努力をしながら書いている。少なくとも私は常に「魂」を込める努力をしようと意識しながら書いている。これは決して口先だけのファッション感覚でそう言っ

ているのではなく、そのようにしなければ作品に「魂」が込められず、結果として己の納得のいく作品にはならぬことを過去の数多の失敗から学んだほろ苦い経験か

ら、そうしなければならぬと思って、そうする他にないから、そうしているわけである。もしかしたら端から眺めれば、私の姿はそんなふうにはまったく見えぬのか

もしれぬし、はたまた、己の人生を賭して身を削る覚悟の死物狂いの命懸けで魂を込めてその程度のものしか書けぬのかと鼻で笑われるかもしれぬが、たとえそれが

事実だとしても、私は決していい加減な気持ちで書いているわけではないのである。ゆえに、私がここに正真正銘ホンモノの殺意と書いたならば、それは正真正銘ホ

ンモノの殺意なのである。他人に誇ることなどできぬ本当にろくでもない人生をもうすでに50年も自堕落に生きてきた私が、もちろん今までの人生の中で瞬間的に誰

か他人に殺意を覚えたことは人並み以上に幾度もある私が、そしてもちろん人はそんなに容易く人を殺せないような社会のシステムになっていて、実際に人殺しの実

行を試みようと思うことなど通常ではほとんどあり得ぬことなのだと頭できちんと理解した上で、私が生まれて初めて他人に対して覚えた正真正銘ホンモノの殺意な

のである。彼ら猿どもを殺す時にはどのように殺すかその具体的な方法や場所まですでに克明詳細に決めているほどに、実際に頭の中ではもう何度も何度も何度も、

もうすでに100万回以上も彼ら猿どもを殺していさえもするほどの、正真正銘ホンモノの殺意なのである。それほどまでに長年にわたる彼ら猿どもの悪辣非道なパクリ

行為に対して私はハラワタが煮えくり返っているのである。どうしても許すことができないのである。そしてそんなことを常に頭の中で四六時中延々と考え続けてい

る自分自身のことが何とも恐ろしくて堪らぬほどに、この先自分が実際に彼ら猿どもを殺してしまいそうな気がして、もう本当にどうしてよいものやらと私は心底憂

いながら、もういかんともしがたくて書かずにいられずに書いているのである。そしてこれから先もどうにかして私が彼ら猿どもを実際に殺さないようにという強い

願いを込め、己の体内を駆け巡る彼ら猿どもに対する獰猛な殺意をどうにかこうにかして発散するつもりで、私はこの文章を書いているのである。言うなれば、実際

に彼ら猿どもを殺す代わりに書いているわけである。誰か他人を殺してやりたいというこの強い思いを藝術作品にまで昇華させるつもりで魂を込めて私は書いている

のである。なぜならばそうしなければ私は本当に彼ら猿どもを殺してしまいかねないからである。かつて1970年代に活躍したフリージャズ・サックス奏者の阿部薫

(鈴木いづみの夫としても有名)は「演奏中に何を考えているのか?」というインタビューの問いに対して「殺してやりたい奴らのことを、殺してやりたい、殺してや

りたい、殺してやりたい、とただひたすら考えながら吹いている」といった主旨の返答をしていた。つまり阿部薫も殺意を覚えるほどの激しい怒りを原動力にして音

楽を表現していたわけである。そして阿部薫はまるで死に急ぐかのようにオーヴァードーズで呆気なく燃え尽きてしまった。そして何を隠そう、私も殺してやりたい

猿どものことを、殺してやりたい、殺してやりたい、殺してやりたい、とただひたすら考えながらこの文章を書いているのである。また、かつて太宰治は第一回芥川

賞に落選した際、文藝春秋に載った川端康成の選評に過剰反応するかのごとく『川端康成へ』という愛憎半ばに揺れ動く熱い思いを込めた文章を書いた(私はこの文章

こそ太宰の最高傑作だと思っている)。おそらく太宰は川端康成を殺すつもりで書いており、実際に文中で「刺す」と表現している。また、数年前に京都のアニメーシ

ョン会社が放火され70人が死傷するという凶悪事件が起こったことはまだ記憶に新しいが、あの事件の犯人の犯行動機は奇しくも投稿小説をパクられたとする被害妄

想による逆恨みであり、正直に言えば私も決して他人事のようにも思えずに注目していた事件なのだけれども、あの事件の犯人と私との違いは何かと言ったらば、被

害妄想の逆恨みか否か、怒りの吐き出し口(人生の救い)の有無、親族との良好な関係性の有無(失うものがあるか否か)、そして幸いなことに私は今のところ(あくまでも

今のところ)まだ何とか理性が保たれているということくらいのものであり、恐ろしいことには犯人と似たようなことを私も実行しないだけで常に頭の中で想像してい

るのである。さらにあの事件で私が特に印象深かったのは、重大な事件を引き起こせばその犯行動機であるとされるパクリ行為の有無についても司法検察の手により

慎重に精査してもらえるということであった。もしもあの事件のパクリ行為が実際あったのならば犯人に同情の余地も残されるが、ただしその場合も少なくとも無関

係の他人を巻き込んで殺すべきではなく、殺すならば当事者を特定しその相手を狙い撃ちで殺すべきであったと私は思う。また、かつての秋葉原通り魔殺傷事件の犯

人は超マイナーなインターネット匿名掲示板における自己承認欲求を拗らせた末に無差別暴力殺傷へと向かったとも言われる。もしもあの犯人に例えば創作活動表現

活動藝術活動など己の怒りの吐き出し口(人生の救い)があったならば犯行を思いとどまった可能性が高いだろう。もちろん余程のことがない限り実際に人が人を殺すこ

となど容易にあり得ぬのは事実だろうが、世の中には殺人や復讐を題材とした作品(映画や小説など)が溢れて人気を博している。それはひとえに皆決して実行はせずと

も心の中では常にそんなこと(人を殺すこと)ばかり考えているという証左ではないのか。そして私の猿どもに対するこの正真正銘ホンモノの殺意が、まさに正真正銘ホ

ンモノの殺意であったことを証明できるのは、実際に私が猿どもを殺した時のみなのである。人はどんなに酷いことをしても殺されるわけないなどと高を括っておる

としたらば(何をやっても殺されまいと思ったらば)、それは大きな間違いである。こんなことを書くとまたしても私は狂人扱いされかねないが、今のところまだ私は正

気を保てている。もしかしたら、このような愚にもつかぬ厭味ったらしい不穏な文章など私は書くべきではないのかもしれない。だがしかし、何度も繰り返すが、私

はどうしても書かずにはいられぬのである。ゆえに私は書くのである。こんな愚にもつかぬ厭味ったらしい不穏な文章など書いたところで、私の心の奥底にわだかま

る憂いが根本的に解消するわけでもなく、胸が空き溜飲が下がるわけでもなく、結局書いても仕様がなく、結局書く意味などないのかもしれない。でもそんなことは

もちろん百も承知の上で、どうしても書かねばならぬと思うから私は書くのである。時々自分でもなぜこんなことを書かねばならぬのかと正直思うこともあるが、そ

れでも書くことが己の定めであると腹を括り、どうしても書かねばならぬがゆえに私は書くのである。彼ら猿どもに私のこの思いがまったく伝わっていないことを甚

だもどかしく残念に思うばかりであるが、いつか私のこの思いを彼ら猿どもがほんのわずかばかりでも理解し過去の過ちを悔い改め、猿から人間への大いなる、そし

て記念すべき第一歩を踏み出す日が訪れることを私は切に願ってやまない。そしておそらく彼ら猿どもは今ここに私がこうして書いているこの文章も必ずや目にする

ことであろう。そして彼ら猿どもがこの文章を読んだ後に、それでもなお悪辣非道なパクリ行為を続けるようであれば、その時には、私は覚悟を決めて次の行動に移

る心積もりでいる。甚だ面倒な手間がかかるし、正直なところ私自身は悪目立ちなどしたくはないのだけれども、もはや背に腹は代えられぬところまで来てしまって

いる。やはりどう考えてみても彼ら猿どもの私に対する卑劣な不正行為は世間の一般常識的に見ても明らかにおかしいことであり、どうしても許せぬものはどうして

も許しては置けぬのである。ならぬものはならぬのである。彼ら猿どもが一番やられて困るような(もちろん合法的な)嫌なことを選りすぐって実行するつもりである。

一生やるつもりのなかったTwitterもはじめるだろう。何ならパクリ検証サイトだって作るだろう。自力でできる可能な限りの効果的なあらゆるすべてをあらゆる方法

を駆使して計画的に実行するつもりである。特定の一人(一匹)を選び生贄として祭り上げ狙い撃ちにするかもしれない。やり方はいくらでもある。もちろんそれらすべ

てを記録に残して行く。もうやめておくれと猿どもが泣きついて来たって絶対に容赦はしない。さらに以前より綿密に計画していた通り、彼らパクリ猿どもの実名や

会社名を晒して世間一般に広く彼らの不正を告発し、その不正を告発していく様子を、映画『ゆきゆきて、神軍』(主人公の奥崎謙三は映画の撮影中、実際に殺人未遂

事件を起こした)のようなフィクションとドキュメンタリーの挟間の虚実ないまぜ状態を現実世界と巧妙にリンクさせた実験的な作品として書いていくつもりである。

もちろんそこにもきちんと私は魂を込めて藝術作品へと昇華させながら書いて行く。魂が宿った藝術作品は後世まできっと残るはずだから、彼ら猿どもの汚名も後世

までしっかりと残るという算段である。もしかしたらそういった内容のドキュメンタリー映画を撮るかもしれない。彼ら猿どもが日々手掛ける幼稚で下品でダサいチ

ンドン広告作品(そもそも作品ではないと思うが便宜上ここではこう表現しておく)などは場末の公衆男子便所の小便の泡沫のごとく一瞬で消えてなくなる定めであろう

が、私の藝術作品にはきちんと魂が宿っているわけだから、長年履き古したお気に入りの勝負パンツの糞染みのごとく後世までしっかりと残り続け、そして永遠に光

り輝き続けることであろう。何はともあれ、後は野となれ山となれ、もうどうにでもなれや、クソッタレ人生!この先の未来が実際にどうなるかなんて誰にも予想が

つかぬものではあるし、すべてが失敗に終わる可能性だってなきにしもあらずであるが、私が彼らパクリ猿どもに対して今後は本気で行くつもりであるという強い決

意だけはここにきちんと書き残しておくことにする。私は決して泣き寝入りするつもりはない。私の今後残り少ない人生のすべてを賭け、私に残された精力のすべて

をかけ死物狂いの命懸けで行く。知らぬ存ぜぬは絶対に許さない。パクリ猿どもよ、バナナでも食いながら、首でも洗って待っておけ!ビビって糞でも漏らしとけ!

……

かように、広告業界に蠢く魑魅魍魎、悪辣非道なパクリ猿どもの不正行為に対しては今後一切泣き寝入りなどせず敢然と立ち向かい戦うことを固く心に誓った私であ

ったが、まるでそんな私の猛り狂った心に熱きエールを送り、なおかつ、その度量を測り試すかのごとく、思いもよらぬ事件がつい先だって私の身に起こったので、

その顛末について書いていくことにしようか。甚だ恐ろしい話であり、甚だ忌まわしい話でもあり、甚だ恥ずかしい話でもあり、甚だ馬鹿げた話でもあり、にもかか

わらず、おそらく読めば誰もが不思議と胸が空き心晴れやかとなり勇気づけられること請け合いというか何というか、そしてそれを書くにあたっては相当な勇気を要

する話でもあるわけだけれど、何よりも是が非でも書かねばならぬ話と他でもない私自身が判断するため、是が非でも書かねばならぬと思う話は、是が非でも書かね

ばならぬのだ!とここは一つ男一匹腹を決め魂込めてここに書き記し、きちんと成仏させてやることにする。まったくいい歳して何やってんだい、本当に愚かな男だ

よ、まったくもう!と一笑してもらえれば幸いである。前置きはこのくらいにしておいて、それは忘れもしない11月初旬の土曜日の出来事であった。その日はちょう

ど浅草酉の市の一の酉(毎年一の酉から三の酉まであるが今年は二の酉まで)に当たる曇天の少し肌寒い一日であった。もうかれこれ10年以上も前より毎年11月になる

と私は浅草酉の市へと出向くのが慣例となっており(無神論者気取りのくせして神社かよ!といった野暮なツッコミはできれば慎み願いたい)、遡ること10数年前ふと

したきっかけからふらりと訪れて、その後思いがけず立て続けに大きな絵の賞など獲ったりと幸運が舞い込み、何となく運気が上昇したような、ご利益があったよう

な気がして、もちろん酉の市だけが幸運の因かと言えばそれも験担ぎが過ぎるというものだが、とかく人間という生き物は現金であるからして、爾来、行かないと逆

に運気が下がりそうな気もして、自然と私は毎年欠かさず浅草酉の市へと惰性で訪れていたものだった。一人ふらりと訪れてサクッと参拝し、また一人ふらりと帰る

のが常であったが、今年は珍しく同行する友人があった。その友人と土曜の午後遅く、日暮里駅前で待ち合わせ、徒歩で浅草というか浅草裏、吉原ソープ街の真横に

建つ鷲神社までトボトボと向かえば、現地は例年のごとく参拝客でごった返していたものの、思ったよりも大して時間もかからずあっけなく参拝を終え、その足で、

秋の日は釣瓶落とし、とっくのとうに日の暮れた夜道を今度は鶯谷駅までトボトボと向かい、とりあえず駅前の適当な居酒屋に飛び込み安酒を呷りながら歓談したの

ち、さて次はどうするかという段となり、そう言えば、鶯谷には昨年惜しくも急逝した最後の無頼派小説家とも称される、たまたま私も友人も共に熱心なファンであ

る西村賢太がまだ売れていない貧乏時代から死ぬまで通い詰めていた安居酒屋があったっけかとふと思い出し、スマホで「西村賢太/鶯谷」と検索し地図を頼りにその

安居酒屋Sへとフラフラと向かい、そこでも安酒を呷りながら西村賢太を酒の肴に無駄話に花を咲かせておると、時計の針はそろそろ終電かという頃合いだったので

潔くお開きにし、友人を鶯谷駅まで送り届け握手して別れたのち、私は一人自転車でフラフラと当て所もなく坂を登って行った先がちょうど上野の山の寛永寺辺りで

あったため、そのまま夜の上野公園のど真ん中を博物館、美術館、動物園、西郷さんと左に右に遣り過ごしながら突き進み坂を下れば、いつしか私は上野不忍池畔の

歓楽街へと辿り着いているのであった。昼間の肌寒さは夜になって一段と増し、夏の間は一人きりでも全然へいちゃら、むしろ一人きりのほうが暑苦しくなく好都合

だなどと嘯きながらも、季節が巡り肌寒くなるにつれ、途端に人肌が無性に恋しくなるのが人情であり、50を過ぎた中老の独り身の寂しさと秋の夜の肌寒さが絶妙に

ブレンドされた遣る瀬のない孤独感に苛まれ、誰かの温もりを求めて、とはいえインスタントな人肌は使い捨てカイロのように心の底から温まるということはなく、

とはいえ、たとえ使い捨てカイロであってでも、ないよりはあったほうが少しはマシで、直接肌と肌とを触れ合わさなくとも何かしら人の温もりを感じさせるものと

直接触れ合いたいとふと思い立った私は、酔いどれた勢いも借り一人歓楽街へと足を向けたという次第であった。その歓楽街は通称N町通りと呼ばれ、アメヤ横丁とは

正反対に位置する、新宿歌舞伎町をこぢんまりとさせたような雰囲気の、性風俗店やらキャバクラやらガールズバーやら飲み屋やら男どもの欲望を満たすためのいか

がわしい店が所狭しと立ち並び、何でも聞くところによれば昔は花街色街だったらしく、昼夜を問わずどこかしら淫猥な空気を醸し出しており、私もしょっちゅうそ

ばを通りかかるも足を踏み入れるのは年に一、二度、今回の訪問もちょうど一年半ぶりくらいか、その土曜の夜の歓楽街はみんな私と同じく温もりが恋しいのか終電

後にもかかわらず人通りは思いの外まだまだ多く、通りには呼び込みのお兄さんやお姉さんがそれぞれ店前にズラッと並び立ち、競い合うかのように道行く客に声を

掛けたり袖を引っ張ったりと忙しく、さっそく自転車をそこら辺の路上に止めた私は、できれば軽く酒を飲み陽気なおしゃべりをしながら、性器の交歓や体液の交換

を伴わぬ合法的な軽度のセクハラ紛いな行為なども金銭を介し初対面の見ず知らずの赤の他人である第三者を相手にできる適当な店がもしも見つかるならばそこで一

杯ひっかけてそのまま上機嫌で家路につきたいなどと不埒なことを酔いどれたアホ頭で考えながら通りをフラフラと彷徨っておると、突然誰かに声を掛けられ足を止

めれば、一人の中国人のキャッチ(客引き)の女が「オニイサン、サンゼンエン、アサマデ、ノミホウダイ、ウタイホウダイ、ドウデスカ?」とカタコトの日本語で私に

話し掛けてきて、もう大昔の話になるけれど、私は地元赤羽駅前で中国女のキャッチ(客引き)に「オニイサン、マッサージ、サンゼンエン」と声を掛けられ連れて行か

れた店で3万円ぼったくられるというほろ苦い経験があり、爾来、怪しい中国女には決して付いては行くまいと固く心に誓っていたために、中国女を無視するように再

び早足で歩き出せば、中国女も私と並走するように「ドコカ、イキタイオミセ、アルノ?」としつこく付いてきて「別にないけど、可愛い子がいる店で軽く飲んだり

したいかな」と適当に返せば、中国女は「ワタシダメ?ワタシカワイクナイ?サンゼンエン、アサマデ、ノミホウダイ、ウタイホウダイ、ドウデスカ?」としつこく

付き纏ってきて、私は内心しつこい女だなと思いつつも横目で無遠慮に中国女の全身を舐め回すように観察してみれば、女は、歳の頃30前後、黒ずくめの身なりでそ

こそこ長身(160半ば)のモデル体型、髪はほとんど真っ黒に近いダークブラウンに染めたロングヘアー、顔は正直私の好みのタイプとは少しばかり違ったが、気が強そ

うでクソ生意気そうな悪女タイプの狐顔、笑った時の歯茎が若干目立つも決して可愛くないわけでもなく、ギリギリ許せる境界線のちょっと上、もしもその女とSEXし

たいかしたくないかと問われたならば、積極的にSEXしたいとは思わぬし、もちろん金を払ってまでSEXしたいとも思わぬけれど、ただでSEXさせてくれるという話で

あるならば、据え膳食わぬは男の恥、あえて断る理由もこちらにはなく喜んでお相手仕り候と答えるタイプというか何というか、かなり上から目線でお前は一体何様

なんだい?という話になってしまうが、ようするに、SEXしようと思えばSEXは十分できるタイプの(少なくとも私の観点では)合格点の容姿をもつ女であったが、その

夜の私の第一希望としては、できればもう少し若めの日本人の可愛い女の子のほうがよかったというのが包み隠さぬ本音であり、いやもっとズバリ言ってしまえば、

その夜の私の第一希望は、若くて可愛い日本人の女の子と一緒に軽く酒を飲み陽気なおしゃべりをしながら、欲を言えば、性器の交歓や体液の交換を伴わぬ合法的な

軽度のセクハラ紛いな行為を金銭を介し楽しみながら、例えば「そこは触っちゃダメだよ(はーと)」とか「お店に怒られちゃうよ(はーと)」とか「もうお客さんHなんだ

から(はーと)」とかハプニング的に女体(ボディ)に軽くお触りできるような店にて、もちろん相手にもよるだろうが、できれば本物の彼女と一緒にいるような感覚でイ

チャイチャと優雅に過ごし、その余韻を残したまま上機嫌で家路につきたかったというわけだけれども、もちろんそれはあくまでも私の第一希望であって、物事は大

抵そんなに上手い具合に運ばぬものと百も承知の上で、まあ酉の市の帰り道にせっかくこうしてこんな場所でたまたま声を掛けられたのも何かの縁かもしれぬし、ま

あ絶対無理に決まってるだろうなとは思いながらも、たとえ無理だったとしてもそれが体よく断るきっかけになればそれはそれでよいかもしれぬと試しにダメ元で欲

張りさんな私が「オッパイ触れんの?」と男らしくド直球ストレートで中国女に尋ねてみれば「オッパイ、ダイジョブ、オミセデ、オッパイサワテイイヨ、オッパイ

イッパイ、サワテイイヨ、オッパイイッパイ、アサマデ、サンゼンエン」と予想外の返答に拍子抜けしながら「マジで?本当にオッパイ触っていいの?オッパイイッ

パイ触っていいの?本当にオッパイイッパイ、アサマデ、サンゼンエン?」と半信半疑で再確認すれば「ホントニホント、オッパイイッパイ、サワテイイヨ、オッパ

イイッパイ、オニイサン、トクベツ、サービス、オッパイイッパイ、アサマデ、サンゼンエン、ミセイコ、ミセイコ、ミセイコ」と私の腕を引っ張り強引に店に連れ

て行こうとするものだから、そこまで言うのならばと再び中国女の体(ボディ)を横目にムラッとクラッとよろめきながら、さらに欲張りさんな私がここは一発カマかけ

てトドメを刺してやらんと「オッパイだけじゃなくてさ、SEXもしたいんだけど」と再び男らしくド直球ストレートで尋ねてみれば、意外や意外、中国女はあっさりと

「SEXイイヨ、ミセオワテ、イショニ、ワタシノイエ、イテ、ソコデ、SEXデキルヨ、SEXシヨウ、ダイジョブ、オニイサン、トクベツ、サービス、ミセイコ、ミセイ

コ、ミセイコ」と快諾してくるものだから、もちろんさすがの私も本当にSEXなんてできっこないだろうよ、そんなのは口から出まかせに決まってるだろうよ、世の中

そんなに甘っちょろくはなかろうよ、と内心思っていたのだけれども、何度も繰り返すが、酉の市に参拝した帰り道にこんな場所で出会ったのもやはり何かの縁であ

るのかもしれず、何かの思し召しなのかもしれず、ここは一つ中国女にまんまと騙された振りでもして、三千円ポッキリ、軽くオッパイ触って上機嫌で帰ってやろう

かな、何しろ向こうさんがオッパイ触っていいって言ってきてるんだからな、断る理由も特にないし、正直に言うと別に中国女のオッパイなんて触りたくはないんだ

けど、まあ何だかよく知らんが成り行きでオッパイ触らなきゃならない流れになってしまっているみたいだし、乗りかかった船でここは一つ向こうさんのお望み通り

に、オッパイの一つでも二つでも三つでも四つでも五つでも六つでも触ってみてやろうじゃないかと酔いどれたアホ頭で考えながら、とうとう中国女のしつこさに陥

落した私は気がつけば鼻の下を伸ばし出会ったばかりの中国女と手を繋ぎ、いざ店へとフラフラ向かっているのであった。そしてそれは悪夢のはじまりでもあった。

……

11月初旬の土曜日の深夜、50を過ぎた中老の独り身の寂しさと秋の夜の肌寒さが絶妙にブレンドされた遣る瀬のない孤独感に苛まれ、中国女のオッパイとSEXに目が

眩んだ私が引っ張られ連れて行かれた店は、いわゆるスナックと呼ばれる形態の店であり、歓楽街のメインストリートに面した8階建て雑居ビル(それぞれのフロアに似

たような店がそれぞれ5~6軒ずつ入居していた)の中にあり、2台並んだエレベーターの片方に乗り込み上階へ向かい降りてすぐ右手正面の玄関扉を開けると、入ってす

ぐ右手にカウンター席が5~6席、その奥に「コ」の字を左回りに90度回転させた形にソファー席が12席ほどのこぢんまりとした、スナック特有のケバケバしさはなく

家庭的な雰囲気の店構え、時間はおそらく深夜1時前後、客は私の他にまだ誰もおらず、カウンターの中に立つチーママらしき中国女(スウェットみたいなカジュアル

な身なりの35くらいの小太りなおばさん)がイラッシャイマセ!と笑顔で迎え入れてくれ、そのまま私は右奥のソファー席へと通され、私を店に引っ張って来たキャッ

チ(客引き)の狐顔の中国女(以下、狐女と呼ぶ)が私の右隣、チーママ(小太りおばさん)が私の左隣をガッチリ固め絶対に逃がさないぞとロックオンするかのような形のフ

ォーメーションで座り、狐女が私にハイボールを作ってくれ、とりあえずみんなで乾杯したのち「オニイサン、ナンサイ?」だの「オシゴトハ?」だの「51サイニ、

ゼンゼンミエナイネ、35サイカトオモタヨ」だのといった、いつどこの店に行ってもまったく代わり映えのしない取るに足らぬ無意味なくだらぬ雑談がはじまり、聞

くところによれば、本当かどうかは知らぬが、狐女も小太りなチーママもこの店の女はみんな実は中国人ではなく台湾人であると聞いてもないのに主張してきて、狐

女のほうは年齢が28と言い張り(間近で見ると実際は30くらいか)、そしてその時点で私は財布の中に持ち合わせの現金があるかどうかハッキリ確かめていなかったので

「ここカードは使えるの?」と尋ねれば、小太りのチーママが「ウチノミセ、カード、ツカエナイ」と答えた後すかさず狐女が「ダイジョブ、アトデ、イショニ、コ

ンビニ、オロシ、イコ」と笑顔で続けて、そうこうするうちに私の他にも3~4人の客が私と同じく中国女に引っ張られ次々と店に入ってきて、徐々に店が忙しく騒がし

くなってきて、客それぞれ(冴えない中年のおっさんか死に損ないの老人ばかり)が中国女たちと会話を交わしたりカラオケを歌ったりする姿や、みんな似たように見え

るがよく見ればそれぞれ微妙に違う黒ずくめの中国女たちが店を忙しく出たり入ったりする姿を店の奥の席から酔いどれたアホ頭で眺めつつ、私が昔中国上海で半年

間働いていた経験を活かして馬鹿の一つ覚えのごとく「対不起(ドゥイブチー、中国語で「ごめんなさい」の意味)」「対不起(ドゥイブチー)」「対不起(ドゥイブチー)」

「対不起(ドゥイブチー)」「対不起(ドゥイブチー)」「対不起(ドゥイブチー)」「対不起(ドゥイブチー)」「対不起(ドゥイブチー)」となぜ自分が謝っているんだろうかと

訝りながら得意の中国語を披露しておどけて見せたりなど中国女たちとの無意味なくだらぬ会話を続けて、そのうち気づけば私の左隣に座っていた小太りなチーママ

がいつの間にやら別のチーママ(年甲斐もなくド派手な赤いドレスで若作りした鶏ガラみたいに痩せけこけた60前くらいのおばさん、以下、鶏ガラ女と呼ぶ)に変わって

いて、鶏ガラ女は「ビール、イツモ、センエン、カカルケド、キョウ、オニイサン、ハジメテダカラ、トクベツ、サービス、オカネゼンゼンカカラナイ」とグラスに

勝手に注ぎ込み私の口に乱暴に押し付けるように無理やり飲ませながら「オニイサン、カコイイ、イイオトコ、ハイユウサンミタイ、スタイルイイシ、アシナガイ、

オシャレダシ、モシカシテ、モデルサン?ファッションデザイナーサン?ハナタカイ、ハーフミタイ、チンチンモ、オッキソウ、ゼタイ、オッキイデショ?ゼタイ、

ゼタイ、オッキイデショ?ゼタイ、ゼタイ、ゼタイ、オッキイニキマテルデショ?ワタシ、チンチン、オッキイオトコ、ダイスキヨ、カミナガイ、スゴク、ニアテル

ネ、テガスベスベ、ユビナガイ、キレイ、ウツクシイ、モシカシテ、ピアニストサン?」といった、いつどこの店に行ってもまったく代わり映えのしない取るに足ら

ぬ無意味なくだらぬ雑談がまたしてもはじまり、私は「チンチンはそれほど大きくないんだけどな」と馬鹿正直に答えそうになるのをグッと飲み込ながら、時折客の

私をそっちのけに中国女同士がまったく意味の聞き取れない早口の中国語で何やら暗号めいた言葉を密かに交わし合っていることが少しばかり気になってはいたもの

の、お世辞でも嘘でも何でも褒められる分にはこちらも別に悪い気はせず心地が良いというもので、酒の酔いも手伝ってか何だかんだといって常に私は上機嫌でいる

ことができて、さらに鶏ガラ女から「アナタ、ケッコンシテルノ?」「カノジョイルノ?」と尋ねられると、こんな場所で嘘ついても仕様がないしと思って「結婚し

てないし、結婚したことないし、彼女はいたりいなかったり、いなかったりいたり、今は彼女いないよ、だから寂しくて、こんな店に来ちゃったんだよ」と私が自慢

のキレイな左手薬指を示しながら正直に答えてやれば、鶏ガラ女は狐女を指差して「コノコモ、ケッコンシテナイ、カレシモイナイ、サミシイフタリ、オニアイネ、

モウケッコンシチャエバ?」と無責任に囃し立ててきて、私も「そうだね、俺たち、この際もう結婚しちゃおうかな」と酒の酔いにまかせてノリノリのノリノリに答

えてから「そうだ、たしかこの後、俺たちSEXするんだよね、約束したもんね」と狐女に意味深な目配せを送ってやれば、狐女は一瞬その性悪そうな狐顔を困ったよう

に歪ませた(のを私は決して見逃さなかった)がすぐに気を取り直した作り笑顔で「ウン、アトデ、SEXシヨウネ」といきなり私の股間をズボン越しにいやらしく撫で回

してくるものだから、これはもしやもしかして結婚OKのサインなのかもしれぬぞと私は本気で勘違いしはじめて、もうこうなったらその場のノリのノリノリの成り行

きで、もうなるようになれや、クソッタレ人生!本気で狐女と結婚してしまおうかと酔いどれたアホ頭でぼんやりと考えながら、さらにそもそも結婚というものは本

来こんなふうに勢いにまかせてするものなのではなかろうかと酉の市に参拝した帰り道たまたま出会った相手とこんなふうに乱暴に結婚してしまうのも正直ありかな

しかと言ったらばありなのではなかろうかなどと今まで結婚願望など微塵もなくこの先も結婚しないとばかり思っていた私がどういう風の吹き回しか真剣に狐女との

結婚を前向きに検討しはじめていることに自分で自分に驚きながら、さならばとあらためて狐女の顔をマジマジと見つめ、二人しばらく無言のまま瞳と瞳を合わせて

いるうち、不思議なものでだんだんと私はさほど自分のタイプではなかったはずの性悪そうな狐顔が本気で可愛く思えてきたりもして、そこで私が「婚約成立の印」

に狐女の唇にキスしようとおもむろに唇を近づけると、すぐさま狐女はプイッと(それはまるで「プイッ」という効果音付きのアニメーションを見るような、嫌悪や困

惑というよりもコミカルという言葉がお似合いの漫画みたいな動きで)横を向き私のキスを器用にはぐらかし、仕方なく私は狐女のほっぺたにキスする形となってしま

ったのだけれど、それでも私は諦めずにしつこく「婚約の印」を求めて狐女の唇に再びキスしようと試みるも、狐女は再びプイッと横向き、狐女のほっぺたにキスす

る形となり、さらに私は三度目の正直と最後にもう一度だけ諦めずに「婚約の印」を求めて狐女の唇にキスしようと試みるも、やはり狐女はプイッと横向き、結局合

計三回狐女のほっぺたにキスする結果となり、致し方なく私は、唇へのキスは結婚式に大事に取っておきたいのかなと前向きに捉え「婚約の印」は諦め、気を取り直

して今度は「たしかオッパイ触っていいって言ったよね?」と狐女にきちんと確認した上で、もはや二人は婚約したのだからこれくらいは結婚へ向けこれから先の人

生を共に歩んでいく愛する二人の間でならば当然構わぬだろうと、大胆にもいきなり狐女のニットの上着の中に躊躇もなく手を突っ込んでやると、おそらく服の上か

ら軽く触る程度だと思っていたであろう狐女は「チョ、チョ、チョイ、チョイ、チョト、チョト、オニイサン、ナニヤテルノ?」と少しばかり抵抗してみせ私に背を

向け逃げるも、私は一切構わずさらに躊躇なく思い切ってブラの中にまで手を突っ込んで、体をかわし逃げる狐女の生乳(ナマチチ)を背後から鷲掴みするような形で

遠慮なくまさぐらせてもらえば、意外にも狐女の乳房は私が思っていた以上に大きくて(推定CカップとDカップの間のCより)柔らかく、そしておそらく乳首が勃起し

ていたせいだろうか若干乳首が長めにも感じて、その間正確に計っていたわけではないが、おそらく体感時間3秒ほど、両手の人差し指と中指の間に少し長めの乳首

を挟み込むような形で狐女の生乳(ナマチチ)の感触を堪能しておると、狐女は恥ずかしそうに「オニイサンノテ、ツメタイヨ、モウオシマイダヨ」と大袈裟に身をよ

じり私の両手を振りほどきながら私の狼藉を優しく諌め、そして早口の中国語で鶏ガラ女に何かぶつぶつと囁きながらそそくさと身繕いをして…そして、そこから先

の私の意識がプツリと途切れてしまい残念ながら私にはその後の記憶がまったく残っておらず、再び私が店の中で目覚め気づいた時は何と翌朝の7時なのであった。

……

目覚めた時、自分が一体全体どこにいるのかさっぱり理解できず私はまさに茫然自失といった状態であったが、私が目覚めた気配を察すると同時にすぐさま私と同じ

く両隣で仮眠していたと思しき中国女たちも機械人形のごとく次々に起き上がり再び私を挟みこむように両隣をガッチリ固め絶対に逃がさないぞとロックオンするか

のような形のフォーメーションで座り直し、そこでようやく私は、前夜に起こった出来事、すなわち上野の歓楽街の中国女に引っ張られ連れてこられたスナックで、

中国女たちと無意味なくだらぬ雑談を交わしながら、時に狐女にキスしたり、時に生乳(ナマチチ)をまさぐったりしているうちにそのまま不覚にも眠りに落ちてしまっ

たことを悟り、かつて経験したことのないような悪酔いとはまた少し違った奇妙な体のだるさに襲われ、何だか尋常でなくガンガンする酔いどれたアホ頭で、一体今

はいついつの何時何分なのだろうかとカバンを探るとスマホが見当たらず、なぜだか鶏ガラ女が「スマホナラ、ココダヨ」と私に手渡してくれて、時間を確認すれば

間違いなく朝の7時であり、さらにカバンを探ると財布も見当たらず、こちらはなぜだか狐女が「サイフナラ、ココダヨ」と私に手渡してくれて、私は眠っている間に

夢か現か何度もゲロを吐ていたような気がしたために、鶏ガラ女に「もしかして俺ゲロ吐かなかった?」と念のため確認してみれば、鶏ガラ女は「ダイジョブ、アナ

タ、ハイテナイヨ、アナタノオクサン、ハイテタ」と狐女を指差し、私は、オクサン?オクサン?オクサン?ああ奥さん、ああそういえば狐女と婚約したんだっけか

とぼんやり思い出し「でもまだ正式に結婚したわけではないから奥さんではないんだけどな」と婚約者である狐女の顔を窺えば、何だか気のせいだろうか昨夜に比べ

て婚約者である私に対する態度がバツが悪そうな印象で妙にソワソワと余所余所しいというか空々しいというか、実際に青白い顔で具合が悪そうにしていて元気がな

く、私は、もしかしたら「婚約の印」のキスを何度もしつこくせがんだせいで吐いたのかもしれぬと一瞬思いながら、そんな未来の妻となる予定の狐女を労うように

「もう朝だし、さすがにそろそろお暇しなくちゃね、キリがないもんな」と相変わらずフラフラ朦朧とした頭で今一度店内を見回してみれば、私の右斜め前のソファ

ー席にもう一人だけ小太りなおっさん客が残っており、中国女から両隣をガッチリ固められ絶対に逃がさないぞとロックオンされるかのような形のフォーメーション

で、地蔵のように身動き一つせず首を垂れており「アレハ〇〇サン、52サイ、アナタ、オオタケサン、51サイ」と鶏ガラ女はなぜだか私の名前と年齢はおろかその他

あらゆるすべての情報に精通しているかのような意味深な含み笑いをして、そして、狐女と鶏ガラ女に両側から支えられるようにフラフラと店を後にすれば、外は前

日同様に曇天だったもののすでに明るく、私は素っ裸で急に外に放り出されたような気分で目を細めて、さっさとタクシーに乗せて帰してしまおうという魂胆か一足

先に大通りに出てタクシーを捕まえようとする狐女に「俺、自転車だから」と前夜自転車を適当に止めたはずの場所を私は動物的直感でなぜだかしっかり覚えており

「そういや、お金払ってなかったよね」と狐女に尋ねれば「オカネ、ダイジョブ、サービスヨ」などと返してきて「え、マジで?お金いらないの?何だか悪いなあ」

といまだ意識朦朧のままの私は、そういえば店終わった後に狐女の家へ行ってSEXする約束じゃなかったけかとぼんやり思い出しながらも、あまりの体のだるさにすで

にそんな気など起こす気にはとてもじゃないがなれるはずもなくて、それから最後に念のため店の名前とそれぞれの名前を確認すれば「店の名前は〇〇、私は〇〇」

「私は〇〇」とそれぞれ返して来たものの、その肝心の「〇〇」の部分は馬耳東風と残念ながら丸っきり覚えてはおらず、私はフラフラの状態で自転車によっこらし

ょと跨って、小雨がパラつきはじめた少し肌寒い日曜日の朝、何だか狐につままれたような最低最悪の気分のまま「じゃあね、またね!」と中国女たちに別れを告げ

フラフラと家路を急ぐのであった。そして、これは言葉の綾でも冗談でも何でもなく、実際に狐につままれていたことに私が気づくのは、その2日後のことであった。

……

日曜日(11/12)の早朝帰宅すると私は着の身着のまますぐに布団おっ被って眠ってしまって、午後に一旦目を覚ますも、かつて経験したことのないような奇妙な体のだ

るさはまったく改善されておらず、そのまま布団の中どんより夢うつつの頭で昨夜起こった出来事を自分なりに整理してみたり、お金払わずに帰ってしまって悪かっ

たかな、何だかんだと言って結局客思いの超優良店だったんじゃないのか、そして狐女の生乳(ナマチチ)の感触を思い出し婚約者である狐女との結婚を本気で検討して

みたり、でも本当に結婚したら笑えるけどなとかアホみたいなことを考えながら、ずっと寝たきりの廃人状態で過ごし、夕方になってようやく何とか起き上がること

はできたものの、体のだるさは相変わらず続いていて、ここはひとつ気分転換にひとっ風呂浴びようかと服を脱ぎはじめると、履いていた白いジーンズの尻の部分の

表面(外側)が茶褐色に汚れていることに私は気が付いて、白いジーンズだから余計にその茶褐色がクッキリ際立って見え、もしかしてどこかで何かを踏んづけて座った

のかもしれぬとよくよく確認してみれば、白いジーンズの尻の部分の裏面(内側)はさらに激しく茶褐色に汚れており、そこでまさかまさかと思って履いていたトランク

スも脱ぎ尻の部分をじっくり確認してみれば、かなりハッキリクッキリ克明に茶褐色に汚れており、つまり私は知らぬ間に漏らしてしまっていた(寝糞を垂れてしまっ

ていた)ということになるわけで、ただし幸いなことには、漏らしたとは言ってもガッツリ固形物のものを盛大に漏らしてしまったわけではなく、少量の液体をちょろ

っとちびってしまった程度と言ったほうがより適切かと思うけれども、おそらくは眠りこけている間に屁をこいたか何かの勢いで茶褐色の液体がちょろっと門から外

へと勝手に飛び出てきてしまったものだと思われ、本当に幸いにも量的にはほんのわずかばかりではあったのだけれど、それでも私が粗相してしまったことに何ら変

わりはなく、漏らしてもちびっても結局、茶褐色の物体が門の外へと勝手に飛び出てきてしまったことに何ら変わりがなく、それが自分にとってはかなりのショック

であり、そこで、それでは一体全体私はいつ漏らしたのかと推測するに、おそらく上野のスナックで眠っている間に漏らしたのではないかと考えられたが、やはり今

までの人生で眠っている間に漏らした経験など一度もなかった私にとって、漏らしてしまったという事実はかなりのショックであり、たしかにここ最近腹の調子が悪

く緩い状態だったところへ酒を大量に飲んだのだから漏らしてしまうのも無理もなかろうと思ったりもしたが、でも今まで一度も眠っている間に漏らしことなどなか

ったことを誇りに胸を張り今まで生きてきた私としては、やはり漏らしてしまったという事実に自分でも驚くくらい相当なショックを受けてしまって、自分ももう50

過ぎのいい歳だから、人はみな年老いていくとともに尻の穴も緩んでくるとはいうものの、でもやはり漏らしてしまったという事実は事実であり、その事実は事実と

して素直に受け止めなくてはならぬわけであり、何だか自分は人間として失格なんじゃないかと思ったりして、そんなことを考えながら憂鬱な気分で私は洗濯風呂を

済ませ、夕飯時にはしっかり迎酒も飲みその日は早めに床についたものの、相変わらず奇妙な体のだるさはほとんど解消されてはおらず、しかも昼間たっぷり眠った

ためすぐには眠れず、あらためて土曜日の夜に起こった出来事を頭の中できちんと順序立てて検証していくうちにようやく私は浅い眠りへと落ちていくのであった。

……

その翌日の月曜日(11/13)も前日ほど酷くはないものの相変わらず奇妙な体のだるさが一日中続き、通常だったらばどんなに泥酔しようが少なくとも二日後には完全に

酒が抜けて平常の健康状態に戻っているはずにもかかわらず、今回は何だか少しばかり様子がおかしいなと訝りながら、そしてもちろん漏らしてしまったことに対す

るショックも相変わらず心に引き摺ってはいたものの、漏らしてしまったことはもう取り返しのつかぬことであるし、今後は漏らさぬように自分(というか尻の穴)を律

し管理し、二度と漏らさなければそれでよし、漏らしてしまった自分を反面教師として、過ちは二度と繰り返さなければそれでよし、と開き直れるほどまでには精神

的にも恢復し、むしろ酉の市の帰り道に漏らしたのであれば、それは運がついたと前向きに捉えてみてもよいのではなかろうかなどと能天気に考えてみたりもして、

もちろん時々は今でもなぜだかはっきりと鮮明に覚えている狐女の生乳(ナマチチ)の感触を思い出して、婚約者である狐女との結婚を本気で検討し一人ニヤニヤしてみ

たりと、精神的にも肉体的にも最低最悪の状態からは何とか一歩抜け出しかけたような気もしていて、そしてそこであらためて私は財布の中身を確認してみたのだけ

れど、中には千年札が一枚残されているきりであり、そもそも財布の中身を正確には把握していなかったなと思って、土曜日一日の間に実際に使ったお金をこと細や

かに計算していくと、何度計算してみてもちょうど三千円ほど足りない結果となり、そこで私は、酔っ払って眠ってしまってまったく記憶にはないけれど、おそらく

自分は店で三千円を払ったのだろうという結論に達し、そう考えてみると狐女は代金はサービスヨなんて言ってたけれども、結局サービスじゃなかったんだな、でも

酒飲んで生乳(ナマチチ)まで揉ませてもらってタダっていうわけにはどう考えてもいかんしな、世の中そんなに甘くはないよな、でもここは超優良店からただの優良店

(星5つから星4つ)に格下げしなければならなぬかもな、しかし結局のところ三千円で生乳(ナマチチ)3秒揉んだわけだから、計算すると1秒千円になるわけか、何だか高

いんだか安いんだか正直わからんけれども、まあこの一件に関してはこれ以上考えても意味がないことだし、狐女の生乳(ナマチチ)の感触は今も良き思い出としてしっ

かりと残っているわけだから、決して高い買い物ではなかったということに結局はなるのかもな、今となっては狐女の顔すらも正確にはほとんど覚えてもいないけれ

ど、今度上野に立ち寄る機会でもあったならば再び店をひょっこり訪れて狐女に正式にプロポーズしてみようかな、まあ多分というか絶対に行かんだろうけれどな、

などとほくそ笑みながら、私の中でこの一件に関してはすでに遠い過去の良き思い出となりつつあり、終わりよければすべてよし、それでめでたしめでたしとハッピ

ーエンドで収束させたいとすっかりそう思っていたのだけれど、ところがどっこい、世の中そんなに甘くはなく、そうは簡単に問屋が卸してはくれないのであった。

……

クレジットカードで身に覚えのまったくない20万円がいつの間にやら引き出されていることに私が気がついたのは火曜日(11/14)の午前中のことであった。その日もま

だまだ奇妙な体のだるさは相変わらず続いていて、頭が少しぼやっとしていたものの、以前よりはかなりマシにはなっていて、その時たまたまクレジットカードの引

き落とし情報をインターネットで確認していた私は、キャッシングの利用金額が20万円と表示されていることにたまたま気がついて、あまりに突然の出来事にまさに

口をあんぐりと唖然とするばかりであった。さしあたってクレジットカード会社のWebサイト上で確認できる情報は「11/12 愛知銀行 20万円 リボ払い」のみであり、

すなわち私のクレジットカードを利用して何者かが日曜日(11/12)に愛知銀行のATMで現金20万円をキャッシング(リボ払い)で引き出したということになるわけであり、

ただし私には日曜日(11/12)にクレジットカードで現金20万円をキャッシングで引き出した記憶も、愛知銀行のATMを利用した記憶もまったくなく、11/12という日付か

ら推測するに、おそらく私が上野の歓楽街で中国女のキャッチに引っ張られ連れて行かれたスナックで泥酔し眠りこけている間に何者かが私の財布からクレジットカ

ードを盗み出し、勝手にコンビニATMで現金20万円をキャッシング(リボ払い)で引き出したと考えられ、またコンビニATMでクレジットカードを利用しキャッシングで

現金を引き出す際には必ず暗証番号を入力しなければならず、そこで再び推測するに、私は何とも間抜けなことに今までずっとクレジットカードの暗証番号を「私の

誕生日」に設定してきており、そしてさらに重ねて間抜けなことに私は財布の中にクレジットカードと一緒に運転免許証も(鴨がネギ背負った状態で)入れていたため、

何者かが私の財布からクレジットカードと運転免許証を盗み出し、コンビニATMで暗証番号を(ダメ元で)「私の誕生日」で入力し、まんまと現金20万円をキャシングで

引き出すことに成功したか、もしくは、何者かが泥酔した私をコンビニATMまで連れて行き、意識のない私に無理やり暗証番号を押させたか、私から無理やり暗証番

号を聞き出したか、その他どういう手段を使ったのかは不明だが、まんまと現金20万円キャッシングで引き出すことに成功したと考えられるわけであった。ただし繰

り返すが私にはコンビニATMに行った記憶がまったくなく、おそらく前者が有力と考えられ、そして問題の私のクレジットカードを勝手に利用しコンビニATMで現金

20万円をキャッシングで引き出したのは一体全体何者なのかと言ったらば、それは上野のスナックの中国女たち(狐女か鶏ガラ女かもしくはその協力者である店の中国

女たちがグルになって)以外には考えられないのであった。さらにこれまた推測するに、日曜の朝から延々と続く奇妙な体のだるさは、おそらく上野のスナックで飲み

物(サービスのビールが怪しい)に変なクスリ(睡眠薬か)を混入され飲まされ眠らされたことが原因ではないかと考えられるわけであった。今まで私はどんなに泥酔しよ

うと記憶を完全に失くしたことは一度もなく、後で思い出しそういえばといった断片的な記憶は必ず残っているはずであり、また今まで睡眠中に漏らしたことなど一

度たりともなかった私が今回生まれて初めて漏らしてしまったのももちろん変なクスリの副作用と考えられるわけであった。そしてここまでの話を一旦まとめれば、

私は浅草酉の市の帰り道の土曜日(11/11)の深夜(11/12)、50を過ぎた中老の独り身の寂しさと秋の夜の肌寒さが絶妙にブレンドされた遣る瀬のない孤独感に苛まれ、た

またま立ち寄った上野の歓楽街の中国女のキャッチ(客引き)にオッパイとSEXを餌にまんまとダマされ引っ張られ連れて行かれたスナックで、中国女たちと無意味なく

だらぬ雑談に興じ、勢いで中国女と婚約まで交わしたり、「婚約の印」にと中国女のほっぺたに3回キスしたり、生乳(ナマチチ)を3秒間まさぐったりして楽しんでいる

うちに、いつしか中国女から酒に一服盛られて昏睡してしまい、その私が眠りこけている間に財布からクレジットカードを勝手に持ち出されコンビニATMで現金20万

円をキャッシングで引き出された挙げ句の果てには、いい歳こいた50過ぎのおっさんのくせして寝糞まで垂れてしまっていたということになるわけであり、また婚約

を交わし互いに愛を確認し合っていたはずの婚約者の狐女にもまんまと裏切られてしまったということにもなるわけであり、そんな複雑な事情が絡み合った藪から棒

の緊急事態に陥って頭が混乱してしまった私は、20万円を盗まれたこと、婚約者に裏切られたこと、そしてそんなふうに裏切られていたとはつゆ知らずいまだ狐女と

の結婚を密かに夢想していた愚かな自分自身に対する激しい怒りにワナワナと全身を震わせながらも、だからといって怒りにまかせ軽はずみな行動を取っても得策で

はなかろうという適切な判断から、ここはひとまず深呼吸して冷静になった上で、直ちにクレジットカード会社に電話をし、これこれこういう事情でと(もちろん生乳

3秒揉んだ云々のくだりは割愛して)説明し、現行カードの即時停止と新カード発行の手続きを速やかに依頼し、その際にクレジットカード会社の担当者からは「クレ

ジットカードを紛失したわけではなく今も手元にあって、なおかつクレジットカードで暗証番号が押された上で現金が引き出されている以上、こちらでは損害の補償

は一切できかねますので、まずは警察へ相談してみて下さい」と無情にも告げられ、その後、スナックのある住所を管轄する上野警察署へと私は自転車で片道45分か

けて直接出向き、受付でこれこれこういう事情でと(もちろん生乳3秒揉んだ云々のくだりは割愛して)説明すると、生活安全課という部署へと案内され、そこでもあら

ためてさらに詳しくこれこれこういう事情でと(もちろん生乳3秒揉んだ云々のくだりは割愛して)説明すると、生活安全課の体育会系好青年風な40前後の担当者が柔ら

かな物腰で快活に語るところによれば、今回の私のようなケース(いわゆる「ぼったくり」被害)は大昔から別に珍しくも何ともない話であり、まず被害額が20万円で済

んでいるのはむしろラッキーだと思ったほうがよい、通例では被害額50万円くらいが相場であり、中には100万円200万円の被害も珍しくない、今回のケースで被害届

を出すことは可能かもしれぬが、おそらく受理されない可能性のほうが高いだろう、今回のケースは確実な証拠がまったく存在せず、クレジットカードを紛失したわ

けではなく今も手元に残っているわけであり、店の正確な場所も店の名前もわからず、女の名前もわからず、すべてが曖昧模糊とぼんやりとはっきりせず、すべてが

状況証拠となるため、警察としても動くわけにはいかない(警察官は「被害届にはなじまない」という表現を何度も使っていた)、財布から抜かれた3000円に関しては

もしかしたら被害届が出せるかもしれぬが、やはりそれも財布に3000円入っていたという確実な証拠がないため難しいだろう、もしも酒に変なクスリ(睡眠薬など)が

混ぜられて眠らされたとしてもやはりその証拠がない、実際に誰がコンビニATMで金を引き出したかについて、コンビニの監視カメラを確認するためには警察で被害

届が受理されていることが必須条件となるため、現状ではその確認も難しいだろう、でも今回のようなケースでは大抵、客本人が絶対にコンビニATMへなど行ってい

ないと主張しても、監視カメラを確認してみるとほとんどすべてと言ってもいいほどに実際本人が暗証番号を入力している、中国女は抜け目がないから監視カメラに

絶対に映らないように店には入らず外から見守るなど細心の注意を払っている、あいつら中国女たちは台湾人を自称するけれども実際は中国人である、中国女はとに

かくズル賢さにかけては天下一品であり、チームプレイでやってるからなおさらタチが悪く、何度取り締まっても次から次とどこからともなく湧いて出てきて、たと

え逮捕したとしても大した罪にもならず、強制送還されるわけでもなく、すぐにまた復活してきて再び性懲りもなく何度でも同じような犯行を繰り返す、数年前に赤

羽にいた中国人グループが一掃されたため、そこにいた中国人グループがごっそりそのまま上野へ移動してきたようだ、何度も怪しい店に内偵捜査には入るのだけれ

ど、奴らは決して尻尾を出さない、今回の私のようなケースでは刑事事件として被害届が受理されぬ限りこれ以上警察が関与することは難しい、警察は基本的に民事

不介入の原則であるからして、店と直接交渉する以外に金を取り戻す方法はない、店でカードを利用したならば証拠も残るが、今回のケースのようにキャッシングし

て現金払いしたとなると残念ながらもうお手上げ状態で泣き寝入りする他ないかもしれない、などなどなど、警察に相談すれば何とかなるだろうと一縷の望みをかけ

ていた私は思いがけず地獄の底まで一気に突き落とされたような気分となって、もう20万円を取り返すことは無理かもしれぬと半ば諦めかけながらも、最後に藁にも

すがるような思いで、他の被害者たちはすべて泣き寝入りしているのかと私が問うと、警察官は、いやいやそんなことは決してなく、みんな店と直接交渉するなり、

実際弁護士を立て民事訴訟して取り立てるなり、弁護士を立て弁護士費用も合わせて請求してやるぞと一歩も引かぬ強い意志を店側に主張するなど、それぞれ何かし

らの行動を起こしてはいるが、いかんせんお金が戻ってくるかどうかはそれぞれの状況にもより異なるため、その保証はどこにもなく、何度も繰り返すが、民事不介

入を原則とする警察としてはこれ以上はどうすることもできず、もしも仮に今後ぼったくり店を特定できて直接店と交渉中に万が一店側がしらっばくれたり、不誠実

な対応を取るようならば、その時はその場で110番して警察を呼んで下さい、警察を呼んだところで警察としては店側に対して返金を督促するなどトラブル解決の直截

的な役には立てず何ともできぬだろうが、客側と店側との交渉をまあまあまあまあと宥めながら見守ることはできる、店側としても警察が店に入ってくることは決し

て好ましいことではなくできれば避けたいことであるだろうから、店側との交渉が客側にとって有利に運ぶ場合ももしかしたらあるかもしれない、何はともあれ、20

万円盗られて悔しいのは重々わかるが、一番悪いのは中国女のキャッチ(客引き)なんかに(下心丸出しで)ホイホイついて行ってしまった自分自身なのだから、後は言わ

ずもがなということであろうと、担当の警察官は直截そういう表現はしなかったものの、ほとんどそのような話の終わり方で締めくくり、おそらく今回の私のような

ケースの相談は過去から現在に至るまで腐るほどあるため、すべてに丁寧に対応して刑事事件にしていたらば、警察官がいくらいても足りなくなってしまうので、相

談の窓口の段階でなるべく早めに諦めさせるという方向性、すなわち、そんなの自分で解決しろという方向性に話を持って行くことを上層部から指示されているか、

もしくは警察組織全体がそう示し合わせているのであろうと何となく推測もされたが、とにもかくにも、いかんせん私のほうには決定的な証拠がまったく存在しない

わけであるからして、証拠がなければ犯罪を告訴することは基本的に不可能であり、今回ばかりは泣き寝入りすることもやむを得ずかと暗澹とした気持ちに陥るも、

やはり私はどうしても諦めきれず、もちろんこちらにも少なからず非(カードの管理方法や記憶の不確実性やマヌケな下心など)があったとはいえども、眠っている間に

他人の金を勝手に引き出して盗むことは決して許される行為ではなく、証拠がないとはいえ犯罪行為に当たり、断じて許してはならぬことであって、中国女の生乳(ナ

マチチ)を3秒揉んで20万円(1秒あたり66666円の計算となる)はどう考えてみても納得がいかぬし、客観的に見ても絶対におかしいと思って、20万円を取り返す何らか

の方法が必ずやあるに違いないと考えながら、警察への相談の帰り道、とりあえずは犯行現場である上野の歓楽街N町通りへと一人ふらりと向かってみるのだった。

……

平日昼間の上野の歓楽街N町通りは夜とは雰囲気がガラリと異なり、人通りもまばらで閑散として(夜と比べれば)まだまだ健全さはあるものの、昔の花街色街だった頃

の面影をたしかに残しており、真っ昼間から営業中の性風俗店やガールズバーもちらほらとあったり、そんな中をさっそく私は土曜日(11/11)の深夜から日曜日(11/12)

の朝方までの朧げな記憶を頼りにして、犯行現場であるぼったくりスナックを探しはじめるや否やすぐさま店が入居する8階建ての雑居ビルはいとも呆気なく見つかっ

たものの、前述の通り、その細長く空へと高く伸びる欲望に塗れた雑居ビルにはそれぞれのフロアに似たような店が鳥の巣のごとくそれぞれ5~6軒ずつ密集し入居して

いたために、また店を去り際に中国女たちに店名とそれぞれの名前をたしかに確認していたはずにもかかわらず私はすっかり忘れてしまっていたために、残念ながら

正確な店までをドンピシャで特定するまでには至らず、その時午後1時過ぎ、人気のまったくない雑居ビル内のすべての店は当然のごとく営業時間外で、夜間よりも昼

間のほうがなお暗いという世間一般の常識とはおよそ真逆の状態にあり、そんな廃墟のごとく不気味に静まり返った異空間を、エレベーター扉が閉まる際に高鳴るや

けにやかましいブザー音をブーブー何度も虚しく轟かせながら、私はまるで不審者もしくは刑事や探偵にでもなったかのごとく1階から8階まですべてのフロアをくま

なく調査/捜査して回れば、私が覚えているかすかでたしかなぼったくり店の記憶は「エレベーターで上階に向かい降りてすぐ右手にドアが正面を向いてある店」であ

り、その条件にバッチリ該当する店は3階4階5階にそれぞれ1店舗ずつたしかに存在しており、ただし実際に店内に入って確認してみないことには特定することは難し

いため、ひとまず私は調査/捜査を一旦打ち切り、20時以降(スナックの営業時間は通常20時から翌1時頃まで)を目安に再訪することにして、とりあえず帰宅し現時点ま

でに知り得た情報を整理整頓し今後の作戦を練ることに決めたのだった。自宅に戻り早速インターネット上に転がっている様々な人たちのぼったくり被害の体験談や

ぼったくり被害に遭った時にはどうすればよいのか?と謳ったWebサイト情報を読み漁っていけば、やはり上野警察署でアドバイスを受けた通り、確実な証拠が存在

しない限り金を取り戻すことは相当難しいらしく、もちろんクレジットカード会社に損害を補償してもらうことも相当難しいらしく、やはり泣き寝入りする以外にな

いのかと私は再び暗澹たる気持ちに陥りかかるも、私としてはここで諦めるわけにはどうしてもいかず、中国女の生乳(ナマチチ)を3秒揉んで20万円(1秒あたり66666円

の計算となる)はどう考えてみても納得がいかぬし、客観的に見ても絶対におかしいと思って、20万円を取り返す何らかの方法が必ずやあるに違いないと、とにかく現

時点において自力でやれるだけのこと、上野警察署でのアドバイス通り、ぼったくり店を特定した上で店に乗り込み店側と直接交渉し、それでもまったく話にならぬ

場合にはその場で110番して警察を呼び店側との交渉を見守ってもらうというところまではとりあえず何とかやってみてから、それでもしもダメだった時にはその時で

潔く20万円はスッパリ諦めて、例えばだけれども、50万円盗られる可能性もあったところを20万円で済んだのだから、それは考えようによってはある意味中国女たち

(特に婚約者である狐女)の私に対する温情(すなわち愛)であったのだ!しかもわざわざリボ払いに設定して月々の返済が少しずつで済むように細やかな配慮までしてく

れていたわけだから、私はそこまで深く愛されていたのだ!と無理やりにでも自分を納得させようと固く心に決めようとしたものの、やはりどう考えてみてもそんな

うまい具合に割り切れるわけがなかろうと再び思い直した上で、やはり世の中なるようにしかならぬのだから、とりあえずやるだけのことはやってみて結果がどう転

ぼうとその時はその時のことだから、何はともあれ全力で戦うしかないのだ!と再び固く心に決めたところで、ちょうどいい塩梅に日も暮れてきたので、景気づけに

と自宅で酒を一杯ひっかけたのち、その日はすでに上野を1往復していたためさすがに草臥果ててしまい体力の限界を感じ自転車は諦め、20時前後に現地到着を目安に

電車に飛び乗り、いざ再び現地へと舞い戻るとすぐに私は、まるで自分が黒澤明監督の傑作映画『野良犬』の拳銃を盗まれた警察官役の三船敏郎にでもなったかのご

とく、ぼったくり店を特定するべく勇足で調査/捜査を開始するのであった。その夜の私はまず現場の雑居ビルに向かう途中の同じくN町通りメインストリートに面し

た、どこの歓楽街にも必ず数軒はある風俗案内所前を通りがかりに店員とたまたま目が合ったので、試しにこれこれこういう事情でと(もちろん生乳3秒揉んだ云々のく

だりは割愛して)今までの経緯を説明してみれば、その中年のメガネ店員はさして興味もなさそうに「そういう話はよく聞きますけど、正直諦めるしかないんじゃない

ですか、20万盗られて悔しいのはわかりますが、中には50万100万盗られる人もいるわけで、20万で済んだのはむしろラッキーだったと思うべきじゃないですか、地

元の上野警察署が取り合ってくれないなら、霞ヶ関の本庁に直訴すればいいんですよ、地元警察にちゃんと仕事させろってね、それに仮にぼったくり店を見つけて乗

り込んで警察呼んだところで、しらばっくれられたら一巻の終わりですからね、そもそもそんな中国女のキャッチ(客引き)にホイホイ付いて行くのがいけないんだし、

お見かけしたところお客さんは相当遊び慣れてるように見えるのに、どうしてそんなのに付いて行っちゃったんですか、そんな無駄なことしないで、焼き鳥屋で一杯

やって帰ったほうが身のためですよ」と冷たく突き放された挙句に説教までされる始末、どうしてそんなのにホイホイ付いて行ったのかと聞かれても自分でも今だに

正直何だかよくわからず、魔が差したとしか言いようがなく、諦めたほうがいいと言われても諦めるわけにはいかず、どんなことがあっても絶対に諦めないぞと固く

心に決めた野良犬であり三船敏郎であるところの私は引き続き、片っ端から道端の日本人のキャッチ(客引き)のお兄さんたちに粘り強く聞き込み調査/捜査を進めるも、

日本人グループと中国人グループは水と油の関係でその間には明確な境界線があるようで、みんな口を揃えて中国人グループのことはまったく知らないの一点張り、

やがて自然と現場の雑居ビルへ辿り着き、ビル前の通りに立つ4~5人のガールズバーの女の子たちに声を掛け、またしてもこれこれこういう事情でと(もちろん生乳3秒

揉んだ云々のくだりは割愛して)今までの経緯を詳しく説明してみれば、女の子たちは「20万ですか?酷い話ですね」「そういう話はよく聞きますよ」「このビルにも

そういう危ない店があるって噂がありますよ」とそれぞれ返してきたので、私は些か食い気味に「その危ない店って何ていう名前だかわかるかな?」と尋ねれば「名

前まで私にはわからないけど、もしかしたら店の人なら詳しいかも」と店の男性店員をわざわざ連れてきてくれて、私はまたしてもこれこれこういう事情でと(もちろ

ん生乳3秒揉んだ云々のくだりは割愛して)今までの経緯を説明してみれば、その男性店員は「たぶん4階にあるLじゃないかな、昔からいい噂は聞かないですからね、

間違いなくLですよ、L以外には考えられないな」と店名まで特定してくれて、その4階にあるLという店は、私がその日の昼間に訪れて候補に入れていた3階4階5階に

ある、まさに「エレベーターで上階に向かい降りてすぐ右手にドアが正面を向いてある店」の一つであり、そこでようやくぼったくり店の候補がかなり絞られてきた

わけだけれども、まだ実際に店内に入ったわけではなく、中の作りを確認するまではまだまだ予断は許さず、さらにそのぼったくり店は他の店が終了時間となる深夜0

時か深夜1時頃から営業開始するらしく(基本的にスナックなど女性が横に座り酒を提供する店は深夜1時までと条例で決められているらしい)、それまでは店に突入す

ることができずにお預け状態となってしまうため、とりあえず貴重な情報を提供してくれたガールズバーの男性店員には丁重に礼を言って一旦別れたのち、私は夜の

雑居ビルの中へと潜入し、すでに営業を開始していた店々を1階から8階まで一軒一軒虱潰しに回っては、それぞれの店の作りを確認した上で、さらにはそこでもこれ

これこういう事情でと(もちろん生乳3秒揉んだ云々のくだりは割愛して)今までの経緯を説明してみると、ほとんどの店が「それはうちではない」「そんな店は知らな

い」「ウチノミセ、ソンナコトシナイ」といきなり飛び込んできた明らかに不審者であるところの私に対して警戒するように、また開店準備または開店直後で忙しく

てそれどころではないと野良犬を追い返すような冷たい対応を返してきたが(そしてまさにその時の私は黒澤明監督の傑作映画『野良犬』の拳銃を盗まれた警察官役の

三船敏郎でもあったわけだが)、そんな中にも親身になって優しく対応してくれる店のママさんや店の女の子たちや店員さんもいて、そしてそのほとんどが口を揃えて

怪しいことこの上ないと指摘するのが4階にあるLという店であったから、やはりぼったくり店は4階のLで確定ということなのかとさらに確信を強め、4階のLが営業を

開始するまでの時間をとりあえず私はその親身になって優しく対応してくれた店(スナック)に客として腰を落ち着かせ時間を潰すことに決めたのだった。本当に困っ

ている時に親身になって優しく接してもらえるのは何よりも力強くありがたいことでもあり、捨てる神あれば拾う神ありではないけれども、もう本当にろくでもない

最悪最低の状況下で出会った幸運の女神のような気もしてきて、さらに客として店のママさんや女の子たちに話をじっくり聞いてもらっているうちに、人と面と向か

って間近で触れ合いながら話すことによって心がスッキリと晴れやかになったからかもしれぬが(いや実際に私は調子に乗ってどさくさ紛れに手をニギニギ握ったり太

ももをナデナデ撫で回したりもしていた)、世の中には、他人の金を勝手に盗む悪人もいれば、突然やって来た見ず知らずのどこの馬の骨とも牛の骨とも豚の骨ともわ

からぬ赤の他人が困っている時に親身になって優しく接してくれる善人もいることを知り、まだまだ問題は全然解決したわけではなく、とにかくこの先どうなるのか

もまったく予想もつかなかったわけだけれども、世の中まだまだ捨てたものではないなと、何だかこれまで殺伐とし通しだったここ最近数日間の私の荒み切った心の

内側がほんの束の間ではあったがじわじわとゆっくりと温かく満たされていくのを感じるとともに、私が真に求めていたのは、中国女の生乳(ナマチチ)などではなく

このような心の触れ合いだったのだとようやく気づきはじめるのであった。結局その店にはちょうど閉店時間となる深夜0時まで居座り存分に癒されたところで、そ

してちょうどその頃には4階にあるLという店も営業を開始するはずの時間でもあり、私は「それじゃ、行ってくるよ、もしも生きて帰れるならば、再び会おうじゃな

いか」などと西部劇映画の主人公のごとく気取った捨て台詞吐いて店の女の子たちに別れを告げれば、女の子たちも「頑張ってね、私たちもずっと待ってるからね」

などとこちらも映画のヒロインのごとく再会を約して、そして私はいまだ映画の主人公気取りのままに意を決していざ4階にあるLへと向かい勢いよく扉を蹴り開けれ

ば、まだ照明の全点灯していない薄暗い店内にはカウンターの中に30くらいの初めて見る中国女が一人いるきりで、そして実際に店の作りをじっくりと確認してみれ

ば、たしかに私の記憶にかすかにたしかに残っている、エレベーターで上階へ向かい降りてすぐ右手扉を開けると、入ってすぐ右手にカウンター席が5~6席、その奥

に「コ」の字を左回りに90度回転させた形のソファー席が12席ほどのこぢんまりとした、スナック特有のケバケバしさはなく家庭的な雰囲気の店構えではあったもの

の、薄暗い照明の加減か何だか違う店のような気もしてきて、間違っていたら洒落にならんよなと思いつつも、思い切ってカウンター内に立つ中国女に、これこれこ

ういう事情でと(もちろん生乳3秒揉んだ云々のくだりは割愛して)今までの経緯を説明してみれば、その中国女は「ソレ、タブン、ウチジャナイデスヨ」とさらっと言

い切り、それでも粘り強く私は「土曜日にいた28歳の台湾人の女の子で、髪はダークブラウンのロングヘアーで」など婚約者である狐女の特徴を詳しく説明してみて

も、やはりその中国女は「ウチニ、ソンナコ、イマセンヨ、ウチノオンナノコ、ソンナワルイコトシナイヨ」と続け、そこまでハッキリと言い切られると、私も何だ

か本当に違う店のようにも思えてきてしまって、店の作りはたしかに私の記憶の通りであるとはいえ、私も当時相当泥酔していたわけで、そう言われてみれば店の広

さも何だか記憶の店より少し狭いような気もしてきて、これ以上粘っても埒が明かぬしそろそろ終電の時間も迫ってきていたため、釈然とせぬ思いを引き摺りながら

もとりあえず当夜のところは「ここじゃないのかもしれないな」と誰に向けてというわけでもなく自分自身に言い聞かせるかのように一言呟き、そして礼もそこそこ

に店を後にしエレベーターで下へ降りると、ビル前にはガールズバーの女の子たちと男性店員がまだ立っていて、4階のLに突入してみたけれど、確証は得られず、も

しかしたら違う店かも知れぬと告げれば、男子店員は「いやいや、L以外にありえないですって、Lに決まってますって」と相変わらずかなり自信ありげな様子で、私

はもう少しだけ現場に残って調査/捜査を続けたかったのも山々だったのだけれども、いかんせん終電の時間が迫ってきていたために、やむなく現場を立ち去ろうとし

た際、たまたま団体客を引き連れた中国女のキャッチ(客引き)二人とすれ違いざま振り返って一瞬チラリと見えた一方の女のダークブラウンに染めたロングヘアーの後

ろ姿にどことなく見覚えがあるような気がして、急いで引き返して追いかけてきちんと確認してみようと思ったところが、間一髪のタイミングでエレベーターの扉が

閉まり、そしてその行先を確認すればちょうど4階で止まっており、やはり4階のLが怪しいのではとまたしても思い直しながらも、その時はもはや終電を乗り過ごす

かどうかの瀬戸際だったため、後ろ髪を引かれながらも、私はガールズバーの皆さんに「必ずまた来ますよ」と固く約束をして上野駅へと小走りに急ぐのであった。

……

ぼったくり店の特定に後もう一歩というところでやむなく現場を後にした私であったが、あの時終電を諦めてでも、我が婚約者であり憎っくき裏切り者でもある狐女

らしき後ろ姿を追って再度店に突入すべきであったのかもしれぬと後悔しながらも、また実際に一度は店に突入し確認したのにもかかわわらず、間抜けなことに特定

には至らなかったという己の記憶の不確実性の信用のなさに呆れ返り自己嫌悪に陥りながらも、翌11/15(水曜日)は一日中仕事で潰れてしまって、調査/捜査にはまった

く手がつけられず、その翌11/16(木曜日)、翌々11/17(金曜日)も何だかんだとやることがあって、調査/捜査にはまったく手がつけられず、もしかしたらもう20万円は諦

めて泣き寝入りしてしまおうかと弱気になることも幾度かあったが、その度に、それではならぬ!それではならぬ!それではならぬ!と自分に言い聞かせ何とか気を

取り直し、やはり悪人を許すわけにはどうしてもいかぬし、ここで諦めてしまったら、私の今後の人生が20万円の無駄な借金を背負わされたまま破滅に向かってまっ

しぐらに墜っこちて行ってしまいかねない気もしてきて、それに中国女の生乳(ナマチチ)を3秒揉んで20万円(1秒あたり66666円の計算となる)はどう考えてみても納得

がいかぬし、客観的に見ても絶対におかしいと思って、必ずや20万円を取り返さねばならぬと、次にLに再度突入する機会を密かに窺いながら、強気になったり弱気に

なったりとどっちつかずの煮えきれぬどんよりとした精神的に不安定な状態がしばらく続くも、私は次にLに突入するならば、事件のあったちょうど1週間後に当たる

同じく土曜日(11/18)の同時刻である深夜1時辺りと決めてはいたのだけれど、もちろん突入した結果失敗する可能性も大いにあるわけで、失敗した時の絶望感を考える

と急に鳩尾の辺りがキュウっとなって何とも遣り切れなくなったが、ここで勝負せず逃げるようでは、本当に私はこのまま、浅草酉の市の帰り道の深夜、50を過ぎた

中老の独り身の寂しさと秋の夜の肌寒さが絶妙にブレンドされた遣る瀬のない孤独感に苛まれ、たまたま立ち寄った上野の歓楽街の中国女のキャッチ(客引き)にオッパ

イとSEXを餌にまんまとダマされ引っ張られ連れて行かれたスナックで、中国女たちと無意味なくだらぬ雑談に興じ、勢いで中国女と婚約まで交わしたり、その「婚約

の印」にと中国女のほっぺたに3回キスをしたり、生乳(ナマチチ)を3秒間揉んだりして楽しんでいるうち、知らぬ間に中国女から酒に一服盛られて昏睡してしまい、そ

の眠りこけている間に財布からクレジットカードを勝手に持ち出されコンビニATMで現金20万円をキャッシングで引き出された挙げ句の果てに、いい歳こいた50過ぎ

のおっさんのくせして寝糞まで垂れていたことになってしまって、それはそれで情けないこと切ないことこの上がなく、ここは何としてでも汚名を返上し名誉を挽回

するべく綿密に作戦を練っていくのであった。そして、とうとうその当日の11/18(土曜日)がやって来て、その日は朝からずっと暇だったので、昼間のうちに最終的な

現場の状況を偵察がてらに雑居ビル全体を一括管理する湯島駅前にある不動産屋を訪ね、これこれこういう事情でと(もちろん生乳3秒揉んだ云々のくだりは割愛して)

今までの経緯を詳しく説明し、ぼったくり店Lの情報や評判や、できれば店の電話番号や代表者の名前まで聞き出そうとしてみたところが、不動産屋の社員たちは皆口

を揃えて、そんな悪評は初めて耳にする話であり、もしも仮にLという店が実際にぼったくり行為に手を染めておるのならば、警察からの要請が入り次第、管理会社と

して協力は一切惜しまぬつもりであると嘯き、私は、何だかしらばっくれているようで嘘くさい話だなとは思いつつも、そう言われてしまえばそれまでの話になって

しまうわけで、こちらに迷惑をかけるつもりはさらさらないがもしもの時はよろしくご協力のほどよろしく頼むと丁重に礼を言いひとまず退散し、そのついでにとす

ぐ近所に建つ湯島天神に(無神論者の自分が)藁にもすがる思いで立ち寄り、ここに参拝するのはたしか大学受験の浪人中以来だったよなと懐かしく思い出しながら今回

の一件の無事解決を祈願し、でもたしかここは学問の神様だったよなとまた思い出して、一体ご利益があるのだろうかと訝りながら、でもおそらく今回は頭脳作戦で

勝利せよという思し召しなのであろう、とにかく手段は選ばず勝てばよいのだ!とさらに闘志を高め、そして私は一旦帰宅し、前々より密かに予定していた通り、そ

の夜のLへの突入へと向け、万が一徹夜仕事になることも想定し近隣のカプセルホテルを調べておくなど着々と心の準備を進めていくのであった。その夜は早めの夕食

をとった後に仮眠もとって体力を回復させ軽く腹筋もして、念のため自宅にある十徳ナイフ(万能ナイフ)や木刀などの武器の類いでも持参しようかとも思ったが、それ

はやはりどう考えてみても卑怯なことであるし、警察を呼ぶ際にこちら側に不利となりかねないと思い直して、潔く丸腰で敵に挑む覚悟を決め、そしてちょうど深夜0

時過ぎ頃に現地に到着するようにと逆算して、いざ自転車で自宅を出発し、向かい風の肌寒さに震えながらも、それに勝る闘志を胸に抱き、片道40分ちょっとの夜道

を無我夢中で自転車を漕ぎ、いざ現場に到着すると、ちょうど1週間前と同じ路上に自転車を止め、その時、時刻は深夜0時半過ぎ、しばらくは準備運動がてらに自分

の体を夜の歓楽街に馴染ませようと徒歩で徘徊しはじめれば、さっそく何人かの中国女のキャッチ(客引き)が、1週間前とまったく同じように「オニイサン、サンゼン

エン、ポッキリ、ノミホウダイ、ウタイホウダイ」と声を掛けてくるのを頑なに無視しつつ、深夜1時を過ぎた途端に、どこに潜んでいたのだろうか中国女のキャッチ

(客引き)の群れが水を得た魚のごとく次々と姿を現しては終電を逃し路頭をさ迷う酔っ払いのおっさんやヨボヨボの老人たちを毒牙にかけんと狙い撃ちするかのごとく

我先にと次々と声を掛けまくりはじめ、私はみんな同じような黒ずくめの服装のみんな似たり寄ったりで区別のつかぬマスク姿の中国女たちの中に、我が婚約者であ

り憎っくき裏切り者でもあるところの狐女を探し出そうと血眼になっておると、底冷えか緊張からか突如猛烈な便意を催してきてしまい、今回は漏らすわけにはいか

ぬ、同じ過ちは二度と繰り返してはならぬのだ!ととりあえずドンキホーテの最上階にある便所へ駆け込み用を済ませスッキリ出てきたところへ、矢庭に殺気立った

チンピラヤクザ風の怪しげな男が私に向かって突進してきて一瞬身構えれば、相手も身構え、すぐにそれが巨大な鏡に映る自分の姿だと悟り、ついでだからとマーテ

ィン・スコセッシ監督の傑作映画『タクシードライバー』の主人公(若き日のロバート・デニーロ)のごとく「俺に言ってるのか?」「俺を誰だと思ってるんだ?」「と

っとと20万円返しやがれ!」「返さないなら警察に通報してやるぜ!」などとぼったくり店へ突入時のためにあらかじめ練習しておいたセリフを鏡の中に向かって何

度か呟きさらに闘志を高め、どうせならばモヒカン頭にしてくるべきだったかと冗談まじりに苦笑しつつ、再び夜の街へと繰り出し、引き続き、映画『タクシードラ

イバー』の主人公(若き日のロバート・デニーロ)を気取って「雨は人間の屑どもを 舗道から洗い流してくれる 俺は常勤になった 勤務は夜6時から朝6時 たまに8

時迄 週に6日 7日の時もある 忙しいとぶっ通しで走る 稼ぎは週350ドル メーターを切ればもっとになる 夜 歩き廻る屑は 売春婦 街娼 ヤクザ ホモ 

オカマ 麻薬売人 すべて悪だ 奴らを根こそぎにする雨はいつ降るんだ?」ともうすっかりそらんじてしまえるほどお気に入りの有名な冒頭モノローグをぶつぶつ

口ずさみながら再び通りを彷徨っておると、とある交差点の信号脇に佇む、どこか見覚えのある我が婚約者であり憎っくき裏切り者でもある狐女らしき女を発見し迷

わず駆け寄りそのマスク姿の顔をまじまじと睨めつけてやれば、髪色が以前のダークブラウンからさらにもう一段階ほど明るくなっていたため(おそらく故意に容姿を

変えていたのではないかと推測されたが)、さらに眉毛も髪色と同じく染めていたため、もしかして別人かもしれぬと思いながらも恐る恐る「もしかして前に会ったこ

とあるよな?」と私が声を掛ければ、その狐女らしき女も私の顔をまじまじと睨めつけてきて、二人しばらく無言のまま、あの夜「婚約の印」を求めた時と同じよう

に瞳と瞳を合わせているうち、その狐女らしき女は一瞬驚いたような表情をしたかと思えば一目散にどこかへ逃げ去って行ってしまい、仕方なしに私は、現場であるL

が入る雑居ビルへと向かえば、ビル前には顔馴染みのガールズバーの男性店員や女の子たちが立っていたので、そこに私も加わり寒さに震えながら待ち伏せがてらに

しばし雑談を交わしつつ、私が「今日こそはLに突入し、何なら110番して警察を呼ぶかもしれぬ」と告げれば「おお、それは頼もしいことですね、うまくいくといい

ですね、健闘を祈ってますよ」とみんなそれぞれ応援してくれたり、さらに詳しい情報、例えば、ぼったくり中国女グループの拠点はこのビルの他にあともう1カ所別

のビルにもあるらしいこと、同じビルにぼったくり店があることは他の健全な店にとって甚だ迷惑千万な話であり、信用問題にも関わってきてしまうから、警察や管

理会社に何度も改善を要請していること(やはり不動産屋は嘘つきだった!)、また毎日ここでこうして立っているので自然とぼったくり中国女たちの顔は全員覚えてし

まっていること、そして何よりもぼったくり中国女たちは写真や映像を撮られることを極度に嫌う性癖があるから、スマホで撮影しながら店に突入すればよいのでは

といった貴重なアドバイスをもらったりと、ちょうどそんなところへ、先ほど逃げられた狐女が一人でひょっこりと戻って来たものだから、さあ大変だ!ここで会っ

たが百年目と私がスマホを構えて追いかけ詰め寄れば、狐女は駆け足で夜の街へと溶け込むように再び猛スピードで逃げ去って行ってしまい、またしても間一髪のと

ころで狐女を逃してしまうところとなったわけだが、狐女が雑居ビルに舞い戻って来たということは、それはとりもなおさず私の目指すぼったくり店がLであることに

間違いがないことの証左であり、ぼったくり店はまさしくLであると確信した私は腹を決め、いざ4階へとエレベーターで上がって行き、Lの扉を勢いよく蹴り開けよう

とすればビクともせず、どうやら内側から鍵が掛けられている模様、ただし中からは人のざわめきやカラオケの歌声などがたしかに聞こえてくるので(おそらくは私が

店の周りを彷徨いているからくれぐれも用心するようにと狡猾な狐女が店に電話したのだと推測されたが)、仕方なしに私はLの扉の前で血眼になって待ち伏せておる

と、ちょうどその時Lの扉が開き、今度は、またしてもどこかでたしかに見覚えのある鶏ガラみたいに痩せけこけた60前のおばさん、そう、すなわち、忘れるものか、

決して忘れてなるものか、まさしく鶏ガラ女がその日も相変わらず年甲斐もなくド派手な赤いドレスで若作りして、鶏ガラ女と同年代の酔客のおっさんを見送るため

渡りに船と現れたものだから、さあ大変だ!私は再びここで会ったが百年目、決して逃がしてなるものか、ここぞとばかりにスマホを構えてパシャパシャパシャパシ

ャと撮影しながら鶏ガラ女へ猪突猛進と向かっていけば、驚いた鶏ガラ女はギャーギャーギャーギャー大声で喚き散らかしながら「シャチョウサン、タスケテー!」

などと隣の酔客のおっさんに助けを求めたり、エレベーターに飛び乗ったかと思えばすぐにまた降りたり、今度は非常階段を使って上へ下へと逃げ回ったりなど、雑

居ビル内を散々逃げまどい、私はそれを「待て、コノヤロー!」「ババア、待てって!」「絶対逃さねえぞ!」「金返せ、金、20万円返せ!」「このクソババア!」

「警察呼ぶぞ、コラッ!」などと叫びながらスマホ片手に鶏ガラ女を追いかけまくる大捕物が突然はじまり、それは端から眺めれば、まるでTVの特番でよく流れてい

る『警視庁24時なんちゃらかんちゃら』みたいな、警察の俺たちちゃんと仕事してまっせと国民の皆さんにアピールするためのプロパガンダ番組の映像を見ているよ

うでもあり、実際私は鶏ガラ女を必死に追いかけながら、まるで今の自分たちは『警視庁24時なんちゃらかんちゃら』みたいだなとぼんやりと思ってもおり、そんな

間抜けな追いかけっこが5分くらい続いただろうか、そのうち鶏ガラ女が非常階段を勢いよく駆け降りて行く途中で足を踏み外し一人勝手に階段を尻で滑り降りるかの

ように踊り場まですっ転んで落ちて行って自滅したところで、ようやく大捕物は強制終了となり、私は鶏ガラ女の腕をもう二度と逃さんぞと言わんばかりに強くひっ

掴み何とか無事に鶏ガラ女を捕獲することに成功し、鶏ガラ女は階段ですっ転んで酷く打ちつけた尻を「イタイ、イタイ、イタイ、イタイヨ、イタイヨ、イタイヨ」

と摩り赤子のように泣き叫びながらも「ワカッタ、ワカッタカラ、モウコウサン、トリアエズ、オチツイテ、ミセ、ハイッテ、ハナソ、ミセイコ」と妥協してきて、

さすがにこちらも追いかけっこに疲れ果ててしまった50過ぎの中老の私も素直にそれに同意して、二人で4階にある悪の巣窟Lの店内へ入れば、中には客が3人ほどいて

それぞれに中国女たちと会話をしたりカラオケを歌ったりしており、その中には都築響一にそっくりなおっさん(もしかしたら本人かもしれぬというくらいに似ていた)

が延々と中国女といちゃつきながらキスしたり熱く抱擁し合ったりしていて、それを横目に鶏ガラ女に引っ張られるように店の奥の「コ」の字を左回りに90度回転さ

せた形のソファー席の空いている席に座らされた私は、そこであらためて鶏ガラ女に向かって「先週土曜日の夜に勝手におろした20万円を返せ!今すぐここで返せ!

さもないと110番して警察に通報するぞ!これは脅しじゃないからな!」と強い口調で脅しながらスマホで110番する素振りを見せると、鶏ガラ女は「チョ、チョ、チ

ョト、チョット、マッテ、オニイサン、マスクトッテ、チャント、カオミセテ」と言ってくるので、私がマスクを取って素顔を見せると、ようやく鶏ガラ女は私のこ

とを思い出した様子で「ドウヨウビ、アソコノセキ、イタ、オニイサン」と土曜日に私が座っていた(眠りこけていた)右隅の席を指差すので、私が「そうだよ、土曜日

の夜、俺が眠っている間に勝手にクレジットカードで金おろしただろ、もう一人若い女もいただろ、どっちがおろしたか知らんけど、その20万を今すぐここで返せ、

返さなければ警察呼ぶぞ、本当に呼ぶぞ、ちゃんと返してくれたら、警察は呼ばない」とさらに詰め寄れば、鶏ガラ女はとうとう観念したように少しばかり殊勝な口

調で「ワカッタ、ワカッタ、20マンカエス、ソノカワリ、トッタ、シャシン、ゼンブケシテ」とやはり中国女たちにとっては写真を撮られることがもっとも嫌なこと

であるのは本当らしく「わかった、20万返してくれれば、警察も呼ばない、写真も消す」と私は口約束すると、鶏ガラ女は、その時カウンターの中にいた、先週土曜

日に私が店に来た時に狐女と一緒に最初についてくれた見覚えある小太りなチーママに早口の中国語で何やら話しかけると、小太りのチーママは現金を持って私の元

へとやって来て、鶏ガラ女と二人で私の両隣をガッチリ固め絶対に逃がさないぞとロックオンするかのような形のフォーメーションで座り、その場で一枚ずつ数えた

のちに意外にも素直にハイと20万円を私に手渡してくれ、念のため私も受け取った20万円をその場で一枚ずつ20枚数えたのちに、スマホの中の写真をすべて(とはいっ

てもいっぱい撮ったはずなのに結局ブレブレの写真が1枚撮れているだけだったが)二人の中国女に見守られながら消してやり、この際だからついでにと払った覚えのな

い財布の中からいつの間にか抜かれていた3000円も返してもらおうかと思ってそう主張したのだけれど、それはお酒を飲んだ分の料金として払ったんだから返せない

と小太りのチーママに言われてしまい、さすがに中国女は抜け目ないなと思いつつも、狐女の生乳(ナマチチ)もしっかり揉ませてもらったわけでもあるし、それはまあ

もっともな話ではあるよなと私も渋々納得して、すでに私は20万円返してもらえた時点でもうすっかり満足してしまっていたものだから、その20万円を気が変わった

中国女たちに再び奪い返されないうちにさっさと店から逃げ出したい一心で、最後に中国女たちに向かって少し芝居がかった調子で「客の寝ている間に、クレジット

カードで勝手に金おろしたら、それは犯罪だからな!」とあらためて説教するように強く諭せば、鶏ガラ女と小太りなチーママは自分らもグルのくせして我関せずと

いった素振りで、今回の一件のすべての責任をたまたまここにはいない狐女におっ被せるように「マッタク、ヒドイコトスル、オンナノコダヨネ、ソンナコハ、ミツ

ケタラ、スグ、クビニシナイトネ」だの「トコロデ、ドンナオンナノコダッタ?オボエテル?ナマエハ?ソンナコ、ウチニ、イタカシラ?」だのと下手くそな猿芝居

でしらばっくれるように他人事のように話してきて、さらに小太りなチーママは「ネンノタメ、ウケトリダケ、モラットコウカナ」とか呑気に言い、こういう案件は

日常茶飯事で頻繁に何度もあるためか手慣れた要領で紙とペンを持ってきて、仕方なしに私は「20万円返金しました、日付、名前、電話番号」と(少しばかり日本語と

して表現がおかしかったが)書いて渡せば、挙句の果てに、鶏ガラ女はその痩せこけた体の線がはっきりとわかるほど私の体にいやらしく密着してきて「セッカクダカ

ラ、ソノカエシタ20マンデ、チョットダケ、ノンデカナイ?」などと媚びを売り出す始末、そんな中国女たちの挙動のあれこれを間近で眺めているうちに私はだんだ

ん愉快な気持ちになってきてもいたのだけれども、そしてそんな我々のイザコザをよそに相変わらず都築響一は延々と中国女と熱く抱擁し合い二人だけの世界にどっ

ぷりと浸っていたわけだけれども、やはりこれ以上こんなところにいたら妖気に当てられ私までもが確実に頭がおかしくなりそうな気がしてきて、中国女たちとはも

う付き合ってられんわと「二度とこんなマネするんじゃねえぞ!」最後に捨て台詞して店をとっとと後にするのであった。何とか無事に20万円取り戻すことに成功し

た私は、万が一警察に垂れ込まれないかと心配のあまり「タクシー、ヒロテアゲル」と金魚の糞みたいにしつこくくっ付いてくる鶏ガラ女に「俺は自転車だから、こ

こでいいから」と突き放し、それから今も階段ですっ転んだ時に打ちつけた尻を時々「イタイ、イタイ」と摩り続ける鶏ガラ女に「病院行ったほうがいいぞ」と吐き

捨て一人エレベーターに乗り込み一旦地上に降りたところで思い出して再び同じビルの5階にあるガールズバーへと向かい、今回色々と貴重なアドバイスをもらい大

変世話になった男性店員に無事に20万円取り返したことを報告すると、相手も大層喜んでくれて、私はあらためてきちんと礼を言い、後日挨拶がてらガールズバーを

再訪すると約し、そして一人外に出たところで、何だか憑き物がすっかり落ちて全身から一気に力が抜けていくのをしみじみと感じながら、もう20万円取り返したこ

とでもあるし、もういっそこのまま死んでしまってもよいのかもしれぬとふと思って、またしても映画『タクシードライバー』の主人公(若き日のロバート・デニーロ)

を気取り、手で拳銃の形を作り、映画の中では右手だったか左手だったかどっちだったか忘れてしまっていたものだから、念のため両手をそれぞれこめかみに当てが

い、バキュン、バキュンと2発撃ち込んだところで、でも今回こうして散々な酷い目に遭った後にあらためて考えてみるに、世の中まだまだ捨てたもんでもないのかも

しれぬし、まだまだ死んでしまうにはもったいないのかもしれぬし、もう少しだけ頑張って生きてみようかな、と私はまた思い直して、それに何よりも今夜の自分は

結構カッコ良かったし、我が人生で一番か二番か三番目くらいにはカッコ良かったし、自分もまだまだやればできる子なのではなかろうか、などと心晴れやかに自画

自賛しながら、またしても、例のモノローグ「雨は人間の屑どもを 舗道から洗い流してくれる 俺は常勤になった 勤務は夜6時から朝6時 たまに8時迄 週に6日

7日の時もある 忙しいとぶっ通しで走る 稼ぎは週350ドル メーターを切ればもっとになる 夜 歩き廻る屑は 売春婦 街娼 ヤクザ ホモ オカマ 麻薬売人

すべて悪だ 奴らを根こそぎにする雨はいつ降るんだ?」をお経のように一人ぶつぶつと口ずさみ、バーナード・ハーマンのテーマ曲を脳内再生させ、再び肌寒い夜

道をいまだ戦いが終わった興奮冷めやらぬ勝ち誇ったような上機嫌のまま自転車で家路につくのであった。その帰り道、深夜2時過ぎの巣鴨の外れで、私は酒に酔って

うずくまる80過ぎの太った老人(伊藤俊也監督の傑作映画『花いちもんめ』でボケ老人役を演じた千秋実に似ていた)にたまたま出くわし、普段ならば君子危うきに近寄

らずと華麗にスルーするところを、その時の私はとにかくもう上機嫌だったものだから、そしてもちろん心配でもあったから、大丈夫ですか?と声を掛けるとまった

く反応がなく、さらに心配になった私は、110番してお巡りさんに来てもらおうか?救急車呼ぼうか?それとも家族に電話して迎えに来てもらおうか?と再び声を掛け

ると、ようやく老人は蚊の鳴くような可愛いらしい声で「すぐ近くだから、できれば送ってほしいな」とか図々しくも言ってくるので、これは困ったことになったぞ

と声掛けしたことを早くも後悔しはじめながら、その太ったかなり重たい老巨体を支えるようにして立ち上がらせ歩かせようとするも、足が棒のようになってヨロヨ

ロと上手く歩けない様子、私は歩けないんじゃ送るにも送れないよと仕方なく適当な道端の花壇のコンクリート枠にちょうどうまい具合にちょこんと腰掛けさせてや

ると、老人はまた蚊の鳴くような可愛いらしい声で「ありがと」と言ってきて、私はしばらくここで座って休んで酔いを覚ませば後は勝手に一人で帰れるだろうと判

断し、その時、老人の手に財布など貴重品が入っていると思しき小さな巾着袋みたいなものが目に入ったので、私は老人に向かって「これ、盗まれちゃったら大変だ

からね、肌身離さずちゃんと持っているんだよ、何しろ世の中には悪い奴らがいっぱいいるんだからね」と念のため声を掛けてやると、老人はまた蚊の鳴くような可

愛いらしい声で「ありがと」と言ってきて、それから私は人助けをした後の心地良さに浸りながら、再び肌寒い夜道を相変わらず上機嫌はそのままに家路につくので

あった。そして振り返って思うに、今回の一件で何とか無事に20万円を取り返したことは、私にとっては、結局のところ、ただ単にマイナス20万がプラスマイナス0に

戻っただけ、ただそれだけの話に過ぎぬようにも見えるし、実際のところ私は損をしなかっただけで、金銭的には何一つ得をしたわけでもなく、費やした時間や労力

その他20万の利息分(約600円)とATM出入金手数料(220円+220円)など合わせればむしろわずかにマイナス勘定であったわけだけれど、けれども、たとえ端から眺めれ

ば自業自得の愚にもつかぬ馬鹿げたろくでもない話に見えようとも、私自身にとっては、決して泣き寝入りせずにたった一人で戦い抜いて勝利したという事実が、金

銭的なプラスマイナスの損得勘定よりも何よりも非常に重要なことであって、この世の中は諦めたらそこですべてが終わりであり、また諦めなくとも結局すべてが終

わってしまう可能性だってなきにしもあらずだが、少なくとも覚悟を決め勝負を挑まぬ限り、いつまで経っても負け犬は負けっぱなしの状態のままで勝つことは100%

あり得ぬわけであり、何はともあれ、今回の一件で私自身が決して諦めず泣き寝入りせずにたった一人で果敢に戦い抜いて勝利したという事実は、おそらく今後の残

り少ない己の人生を私自身がこれから先も生き延びていくにあたって、間違いなく大いにプラス勘定であって、決して金では買えぬ、とてつもなく価値のある、かけ

がえのない素晴らしい経験であったようにしみじみと思えるのであった。結局、寝糞まで垂れてしまった私は運がついたのか運がつかなかったのか。こうして終わり

よければすべてよしなのか。それにそもそもこんな愚にもつかぬ馬鹿げたろくでもない話を書くことに何か意味などあるのかないのか。でもやはりたとえそれが愚に

もつかぬ馬鹿げたろくでもない話であったとしても、私は是が非でもそれを書かねばならぬと思うから書くのである。そしてこんなふうにこれから先も愚かな私は、

己の人生を無駄にして、己の身を削り、再び己の身に性懲りもなく何度も何度も何度でも訪れることであろう愚にもつかぬ馬鹿げたろくでもない体験をもとにして、

性懲りもなく愚にもつかぬ馬鹿げたろくでもない話の数々を、もちろんそこにもきちんとできる限りありったけの己の魂を注ぎ込んで書いていくつもりである。とこ

ろで、狐女と私との間に交わされた婚約は今でも有効なのであろうか。婚約破棄したわけでもないから、まだ有効と言えるのかもしれぬし、冷静な頭になって考えて

みるに、そもそもの話「婚約成立の印」のキスをプイッとはぐらかされた時点で婚約成立などしていなかったのかもしれぬし、実際に今現在でも私が狐女と結婚した

いかといったらば、どうなんだろうか、正直よくわからない、というか、婚約者の金を勝手に引き出す相手と結婚などできるはずなかろうに。とはいえ、一生結婚す

るつもりなどなかった私が仮にも結婚しようと決意しかけたこと自体が驚くべき奇跡であって、たとえ酔狂の悪ノリであったとしても、ほんの一瞬でも私に結婚して

もよいかもと思わせた狐女はもしかしたら正真正銘本物の狐だったのかもしれない。狐女の生乳(ナマチチ)の感触は今でも、その大きさ、その柔らかさ、その乳首の長

さとともに生々しく思い出すことができる。何でこんなことだけ無駄に覚えているのかと自分でも呆れるほど克明詳細に思い出すことができる。正直顔はほとんど覚

えていない。果たして狐女は実在したのだろうか実在しないのだろうか。つい一月前に起こった出来事なのにもう何十年も前のことに思える。相手が狐女だけに私は

何だか本当に狐につままれたような不思議な心持ちなのである。そしてしつこく何度も何度も何度でも繰り返すが、狐女の生乳(ナマチチ)を3秒揉んで三千円という金

額(計算すると1秒あたり千円となる)は、結局のところそれは高いのか安いのか、正直なところ自分でもよくわからないというのが私の包み隠さぬ本音なのであった。

……

太宰治の小説に『善蔵を思う』という短篇があって、タイトルに「善蔵」とあるのに、なぜだか善蔵という人物は小説の中には一切登場せず、この善蔵というのは、

おそらく太宰と同郷青森出身でアルコール中毒でもあった破滅型小説家の「葛西善蔵」のことだと思われ、太宰が同郷の藝術関係者の会合に出席した際、自己紹介す

る段で泥酔し醜態を晒してしまったことを猛省するみたいな性もない話の内容なのだが、今回私が書いた駄文のタイトルもそれを真似して『アレックス・チルトンを

思う』にして、こちらも一時期重度のアルコール(+麻薬)中毒だったと言われる「アレックス・チルトン」は一切登場させずに「アレックス・チルトン」をそこはかと

なく感じさせながら己の狂酔の醜態を顧みて静かに終わらせる心積もりだったのだけれど、そもそもそのような高等な技術を私が持ち合わせているはずもなく、それ

ではあまりに乱暴過ぎて、読み手にとって不親切過ぎやしないかと急に思い直して、最後に「アレックス・チルトン」の話を書いて有終の美を飾ることにしようか。

大昔、私がまだ希望に満ち溢れた若者だった頃には、いつの日か一世一代の大仕事を成し遂げて、ビッグスターになって、愛人を何人も囲って、ハーレムを作り、人

も羨む華麗なる人生を送ってやらんと無謀にも思っていたものだが、今現在50過ぎの草臥果てた中老のおっさんとなった私は、そんな大それた考えを持つこともなく

なり、それに愛人を何人も囲ったところでそれは甚だ面倒な事態となるだけで、今現在の私に残るかすかな希望といっては、ただ自分の生み出す創作物や表現物を、

わかる人にだけわかってもらえればそれでよし、とにかく有名になりたいと身分不相応に思うことなどはなくなってしまって、これは私が27歳の時、たまたま読んだ

坂口安吾の小説『白痴』にまんまとそそのかされ背中を押されるかのごとく、藝術家になる!と高らかに宣言し会社勤めを辞め、紆余曲折の末、33歳の時になぜだか

理由もわからず突発衝動的に絵を描きはじめ、その後いくつかの絵の大きな賞など貰って、すなわち前述の「わかる人にだけわかってもらえればそれでよし」という

状況が実現してしまったからであるのと、もしかしたら、将来はこんな有名なスターになりたいと自分が憧憬を抱く対象が少なくとも日本にはほとんど存在しないこ

とが原因なのかもしれない。今の日本には、才能がないくせに才能がある振りをする才能だけはいっぱしにある、上っ面だけで中身スッカラカン、とにかく目立ちた

くて目立ちたくて仕方がない、目立つためならば人殺し以外何だってやる自己顕示欲の塊みたいな、声だけやたらとバカデカい無責任なインチキスターしか見当たら

ず、正直哀しくなってくる。今の私の心境は、自分がいつ死ぬかは皆目わからぬけれど、それまでの間は本当に自分が好きでやりたいことだけをやって静かに生きて

いければ他に何も望みはしないというところにまで至っているのだった。ただし欲を言うならば、自分の作品であると胸を張って主張できる何かしらの藝術作品だけ

は、自分がこの世に生きた証しとしてきちんと残してから死にたいというのはあるにはあるのだけれど、それも絶対にそうでなければならぬといったわけでもない。

何かを表現する人、特に藝術作品を作る人たちの中で、自分にとって憧れのスターは一体誰か?と問われたならば、私はアレックス・チルトンのことを真っ先に思い

浮かべることだろう。もちろんデヴィッド・ボウイやジョン・レノンやカート・コバーンと答える人もいれば、高倉健やSMAPと答える人もいれば、太宰治やゴッホ

やラモーンズやブルーハーツと答える人もいるだろう。その人にとっての憧れのスターは人それぞれにもちろん異なっていて当然であり、私にとって現時点での憧れ

のスターはアレックス・チルトンになるということである。あえてマニアックなほとんど誰も知らない人を選んで悦に入っているわけでもなく、私はそこまでひねく

れ者でもない。そしてあくまでもそれは、今のところ現時点での私にとっての憧れのスターがアレックス・チルトンというだけの話であって、人の好みや人の考える

ことなんていうのは時代や環境によってコロコロと手前勝手に変化していくものであるからして、20年前の私にとっての憧れのスターはまた別の人であったし、20年

後の私にとっての憧れのスターもおそらく変わっていることであろう。さらに、絵を描く人間ならば誰しも一度は考えたことがあるだろうが、自分の描く絵を音楽に

たとえると一体誰になるだろうか?と問われたならば、またしても私はアレックス・チルトンのことを真っ先に思い浮かべるに違いない。もちろん、ふざけんなよ、

へっぽこのお前さんの自己満足な落書きごときをアレックス・チルトンにたとえるなんておこがましいにも程があるぞと異議を唱えてくる者も現れるやもしれぬが、

これは散々真剣に考えた末に私が出した答えなのである。私は33歳でなぜだか理由もわからず突発衝動的に絵を描きはじめ、その後も衝動に任せ自由気ままに描きた

い絵を描きたい時に描くといった具合にこれまでずっと絵を描き続けてきて、さらに自分の描く絵は世間一般的にいうと一体何になるのだろうか?という問題につい

てもずっと考え続けてきて、アート?イラスト?アウトサイダーアート?落書き?分泌物?排泄物?ウンコ?おそらく一番近いのはアウトサイダーアート(少し精神に

異常をきたしている自覚もある)とウンコ(これは前に書いた)ではないかと自己分析するところであり、絵を描きはじめた33歳の頃はPUNK系の激しめの音楽をよく聴

いていて、私が絵を描く直截的なきっかけとなったのが他でもないPUNKのゴッドファーザーであるイギー・ポップの音楽であったという奇妙な因縁もあり、爾来、

PUNKを標榜し私は絵を描いたりその他表現をしてきており、当初はラモーンズの勢いで誤魔化したような絵を描いていたものだが、そのうち勢いだけでは誤魔化し

切れぬと様々な試行錯誤を重ねていった末の今現在の私が描く絵を音楽にたとえると一体誰になるのか?といえば、アレックス・チルトンになるというわけである。

さらにここからアレックス・チルトンとPUNKがどのように繋がって行くのかという話になるのだが、それはPUNKの女王と称されるパティ・スミスが「PUNKとは、

特定の格好や音楽ではなく、心の枠組み、自由であること」と語るその言葉に当て嵌めれば自ずと答えは出てくるが、アレックス・チルトンの音楽に向き合う精神は

紛れもなく自由そのものであり、すなわちアレックス・チルトンもPUNKと言えるのである。実際アレックス・チルトンがPUNKの先駆者でPUNKのプロトタイプを作

ったとみなす人もいるようだ。さらに「作品に魂を込める」「作品に魂が宿る」など「魂」の話を聞く度に、そもそも「魂」とは一体なんぞや?と考えながら、私は

またしても真っ先にアレックス・チルトンのことを思い浮かべるのである。いわゆるロックミュージックにまったく興味のないほとんどの人たちにとっては、アレッ

クス・チルトンと聞いても、アレックス・チルトンって一体誰だよ?と思うことだろう。ロックミュージック好きでも名前を知らないかもしれぬし、名前を知ってい

ても実際にその音楽を聴いたことがある人間はわずかであり、さらに好きだという人間もごく少数の音楽マニアに限定されるだろう。現に「アレックス・チルトン」

とパソコンに打ち込むと、なぜだか「チルトン」が間抜けな冷凍食品か駄菓子のごとく「チルトん」と変換されてしまう。所詮はその程度の知名度ということなので

ある。ただしそんな中でも私のように、もしくはさらに私以上に熱狂的なファンも世界中には確実に存在していて、そしてそのような熱狂的な一部のファンに支えら

れるようにしてアレックス・チルトンの音楽は決して淘汰されることなくこの世に残り続け、そしてもちろん細々とではあるが未来永劫聴き継がれてゆくのである。

……

そしてここで話は突然飛んでなぜだかブルーハーツの話になるわけだけれども、もしもブルーハーツのファンが読んだら袋叩きに遭うかもしれぬが、私は昔からブル

ーハーツがなぜだか好きになれず、もちろん過去から現在にかけ事あるごとに何とか好きになる努力もしてきているにもかかわらず、それでもどうしても好きになれ

ず、これはもう好き嫌いの問題と言ってしまえばそれまでなのだが、好き嫌いの問題でもないような気もして、これは本当は好きなくせして無理して嫌いと言ってい

るわけでは決してなく、もちろんこの先私がブルーハーツを大好きになる可能性もなきにしもあらずで、私がブルーハーツをどうしても好きになれない理由、嫌いと

いうわけではないが、好きというのも恥ずかしい、というか、そもそも好きではない、かといって、嫌いでもない、興味がないわけでもない、その証拠に何度も試し

に聴いている、おそらくブルーハーツが好きということに対しなぜだか違和感を覚えてしまうというのが私の中で一番しっくりくるのかもしれない。そしてようやく

最近になってその理由が朧げながらわかりかけてきたのだが、おそらくそれは広告業界にはブルーハーツ好きがとにかく呆れるくらい異常に多く、過去から現在にか

けてCMソングとしてもういい加減にしておくれよというくらいにとにかく頻繁に、もうお腹がいっぱいだよというくらいに、ブルーハーツの音楽そのものが使用さ

れたり、カバー曲が使用されたり、CMタレントがブルーハーツの曲を口ずさんだりと様々な形で多用されているせいであるかもしれない。もちろんそれは彼らの音

楽がそれくらい知名度があって多くの人に愛され、とりもなおさず多くの人を魅了する力があるという証左でもあって、だからこそ広告屋もCMに多用するわけであ

り、ブルーハーツ本人たちにまったく責任はなく、安易に使用する広告屋が悪いわけで、骨の髄まで身に染みて広告大嫌いを自称する私としては、もちろんひねくれ

者の穿った見方であることは百も承知の上で、広告やCMに音楽が使われるということは、商業主義に魂を売り渡すことと同義となり、もちろん広告や商業主義すべ

てを否定するつもりもなく、使われる企業や使われ方によっても印象はかなり違ってくるとはいえども、どうしても金のために魂を売っていると見えてしまい、それ

に対して強い違和感を覚えるからこそ、おそらく私はブルーハーツがどうしても好きになれないのだろうと考える。さらに仮にも彼らはパンクロックを標榜している

わけで、パンクやロックを標榜しておきながら広告や商業主義に魂を売るとは何事か、けしからん奴となるわけである。そもそも広告という仕事は金と引き換えに企

業の代理で他人の表現をすることであり、すなわち金のために魂を売ることであり、もちろん音楽使用許諾に関してはレコード会社に権限があり本人たちの意向では

ないにせよ、いかんせん金のために魂を売っているようにしか見えないのもやむを得ず、以前広告業界に身を置き広告屋として仕事をしていた頃の私は広告という仕

事のこの主体性のなさがどうにもこうにも気持ちが悪くて仕様がなく、広告業界から潔く足を洗って、今現在は自分の作品を作りながら細々と生きているのである。

ここでさらに話は突然飛んでなぜだか元国民的人気アイドルグループSMAPの話になるわけだけれども、もしもSMAPのファンが読んだら袋叩きに遭うかもしれぬが、

私は昔からSMAPがどうしても好きになれず、まだ広告屋だった時分にTV-CM撮影でメンバー全員(現オートレーサー含む)に何度か会っているけれども、その際も有名

人に会えて嬉しいなとかいった感慨は皆無で、私とほぼ同世代のスターである彼らはTVで見るのとは違って何だか妙に疲れ切った覇気のないお兄ちゃんたちだなとい

う印象だけが今でも強く残っているが、また、大昔に『世界にひとつだけの花』とかいったふざけた歌を歌って大ヒットしたけれども、あの歌の何が悪質で胸糞悪い

かと言ったらば、本人たちはナンバーワン(天下)をとっておきながら、一般大衆にはオンリーワンの普通の人でいなさいなと半ば強要し洗脳までしているところだと個

人的には考える。もちろんオンリーワンでいるのは尊いことだけれども、お前らナンバーワンが歌って気持ちよくなってるんじゃないよと、これもひねくれ者の穿っ

た見方かもしれぬが、私が広告業界に入った1990年代初頭から半ばあたり以降にかけては、SMAPに代表されるアイドルタレントにちょっと変なことをさせておちゃ

らかして失笑を買うCMや、とにかくタレントを大量に使って学芸会をさせるかのような出来損ないのコント崩れドラマ風CMが広告業界における大潮流となっていき

(残念ながらその悪しき傾向は今現在も脈々と続いているが)、一流クリエイターと呼ばれる者たちが競い合うかのようにそのような低俗なおちゃらけCMを次々と手掛

けるようになるわけだけれども、私に言わせれば、そんなものはユーモアでも何でもなくって、ただ悪ふざけして内輪で喜んでいるだけの代物であり、こんなにもレ

ベルの低い世界に身を置き続けていたらば、いつか自分も染まってしまってレベルの低い人間に成り下がってしまうのではないかと危惧するようにもなっていき、そ

して私は27歳の時、たまたま読んだ坂口安吾の小説『白痴』にまんまとそそのかされ背中を押されるかのごとく、藝術家になる!と高らかに宣言し会社勤めを辞め、

その後、紆余曲折の末の33歳の時になぜだか理由もわからず突発衝動的に絵を描きはじめ、今現在は広告業界から完全に足を洗っている状態であり、これもブルーハ

ーツ同様にSMAP本人たちに責任はなく、安易に使用する広告屋が悪いわけで、骨の髄まで身に沁みて広告大嫌いを自称する私としては昔からSMAPがどうしても好き

になれないというわけである。そして、私の憧れのスターであるところの、我らがアレックス・チルトンは決して商業主義に魂を売らずに貫き通したのである。『世

界にひとつだけの花』というタイトルの歌は、我らがアレックス・チルトンにこそふさわしく、彼こそが(もちろん自らで作詞作曲した上で)歌うべきだったのである。

……

私がアレックス・チルトンの音楽の底なし沼にズブズブと嵌り込んで行ったのは、たしか2010年代に入ってしばらく経ってからであり、その頃すでに彼はこの世にい

なかった。アレックス・チルトンが死んだのが2010年3月、私はその死に気づきもしなかった。そんな私がアレックス・チルトンに関して知り得る限りをここに書いて

みることにする。ウィキべディアに毛の生えたような情報で甚だ恐縮だが、知ったかぶりをしても、さらに詳しい人から見ればニワカとバカにされ、それはただただ

カッコ悪いだけなので、本当に知っていることのみを書いていくことにする。もしかしたら間違った情報もいくらか混じっているかもしれぬが、そこはご愛嬌という

ことで目を瞑ってもらえれば幸いである。アレックス・チルトンの音楽の魅力を言葉で説明するよりもまずは実際に聴いてみてもらうのが一番手っ取り早いだろう。

今の時代サブスクやインターネットで、かつては入手困難だった音源でさえいとも簡単に聴くことができ、それらは実際腐るほど転がっていて、おまけに聴き放題な

ので、もはや聴かないという選択肢はないだろう(ソロ重要アルバム『Cliches』だけ私はまだ断片的にしか聴けていない)。アレックス・チルトンの音楽は、世間ではい

わゆるヘタウマと称される通り、音楽演奏の素人である私の耳にも、お世辞にも上手いとは思えない。けれども歌やギターやピアノの演奏には切ないとか哀愁を帯び

ているとかいうと陳腐に聞こえてしまうが、言葉では言い表せぬような、決して計算では出せぬであろう絶妙かつ奇妙な味わいがある。歌心があるというか、歌って

いなくともギターやピアノのソロ演奏にも歌心があるというか、とにかく音楽が好きで好きで堪らぬ人間が、音楽を作らずにはおられぬから作っているというか、全

身全霊で魂込めて音楽と向き合っているというか、全然飾らずあるがままなすがままカッコつけていないのになぜだかそれがカッコいいといおうか、音楽に一生を捧

げてなりふり構わず表現しているとでもいおうか、アレックス・チルトンの作る音楽はその折々に様相を変えはするものの、根底に流れる自分のやりたい音楽を自由

気ままに追求するというPUNK精神は基本的に変わらず、時代や流行に左右されず我が道を行くと言わんばかりに首尾一貫している。一部例外(ボックストップス時代)

を除き商業ビジネス的な成功とは一切無縁であったが、今もこれからも世界中のディープな音楽マニアたちの間では、アレックス・チルトンという名前と彼が残した

音楽は決して忘れ去られることなく永遠に語り継がれ聴き続けられることだろう。(何をもってしてパワーポップなのかはよく知らぬが)パワーポップの始祖と称され、

たまにカルトヒーローと呼ばれることもあるが、作る音楽はそこまで突飛でなく些か古臭さ(特にビッグスター時代)は否めずもビートルズ直系の普遍性を持ち得るゆえ

カルトではないと個人的には考える。ここで今さらながらアレックス・チルトンの経歴を簡単に書いておく。1950年メンフィス(エルヴィス・プレスリーで有名)に生ま

れる。高校の学園祭で歌っていたところをボックストップス(ダン・ペンがプロデュースのブルーアイドソウルグループ)のリードボーカルにスカウトされ『The Letter/

あの娘のレター』(当時16歳とは思えぬほどソウルフルな野太い歌声を聴かせる)を大ヒットさせる。グループ解散後、彼の(←)大ファンだったブライアン・ウィルソン

のビーチボーイズが作ったレコード会社(ブラザーレコード)からソロデビューアルバムを出す予定だったところが頓挫する。その後、ブラッド・スウェット・アンド・

ティアーズのボーカル(アル・クーパーの後釜)に誘われるも「商業的過ぎる」と断る。その後、友人のクリス・ベルにサイモンとガーファンクルのようなユニットをや

ろうぜ!と誘うも断られ、その代わりクリス・ベルのバンドに加わり、ビッグスターと名前を変えてレコードデビューを果たす。ビッグスターというバンド名は、俺

たち絶対ビッグになってやるぜ!という切実な熱い思いを込めたわけではなく、たまたま録音スタジオ近くに同名のスーパーがあり、それをそのまま拝借し、ついで

にロゴまで拝借し少し変えてアルバムジャケットに使用したそうだ。アルバム名もこれまた、俺たち絶対No.1になってやるぜ!という切実な熱い思いを込めたわけで

はなく冗談半分でつけたそうだ。そのビッグスターの1stアルバム『#1 Record』は奇しくも私がこの世に生を受けた1972年に発売された。評論家筋からは絶賛された

ものの、さらにおそらく本人たちも相当に自信があったのではなかろうか、ところがどっこい、当時の所属レコード会社がプローモーション活動を一切行わず、その

結果さっぱり売れず(レコード店にレコードが置かれない状態なのだからそもそも売れるわけがない)、ビッグスターというバンド名で『#1 Record』というタイトルの

アルバムを出すという大宇宙レベルの壮大なボケが盛大にスベり倒したものだから、必然的にバンド内が異常に険悪な雰囲気となり(クリス・ベルが脱退)、ヤケクソに

なって酒やドラッグにどっぷり浸かり、その後に出した2ndアルバム(同郷のウィリアム・エグルストンの写真をジャケットに使用)も同様にさっぱり売れず、3rdアルバ

ムに至っては正式発売すらされずバンドは自然消滅、その後はニューヨークに行ったり、地元メンフィスに戻ったり、最終的にはニューオリンズに移り住み地道な音

楽活動を続ける。晩年のソロアルバムはカバー曲中心で、父親もジャズミュージシャンだったゆえ幼少の頃から身近に触れてきた音楽そのものに対する敬意に満ち溢

れ、とにかく音楽が好きで好きで堪らぬから、そして歌いたくて歌いたくて堪らぬから歌っているという気概に満ち溢れ大変好感が持てる。ゴッホを例に出すまでも

なく、インターネットのない時代には売れなかったが、現在ならば絶対に売れて有名になっていたに違いない藝術家たちの仲間に、アレックス・チルトンも確実に入

るであろう。イギリスのシンガーソングライターのニック・ドレイクの存在に少し近いのかもしれない。そう考えるとインターネットの発達した現在に売れて有名に

なれなければ、それは才能がないことの証左となってしまうわけだが、一概にそうとも言い切れぬだろうし、そうではないと思いたいところでもあり、実際問題とし

てどのように捉えるべきか一考の価値はありそうだ。アレックス・チルトンは決して安易に商業主義に魂は売らず、自分のやりたい音楽だけをやりたいように作って

生きてきて、もちろんすべてとまでは言わぬも、そういう人間が作る藝術作品にはきちんと魂が宿っている。酒やドラッグに溺れ、一時期レストランで皿洗いや植木

屋のバイトをしていたことも有名な話で、金がないから健康保険に加入せず、病院で治療が受けられなかったことが少しばかり早過ぎる死につながっているとも言わ

れる。金儲けや世渡りや生きることが上手ではなく、もちろん作る音楽も決して上手とは言えぬのに、ある種の人々の心を揺さぶり感動させてしまうことの不思議さ

よ、すなわち藝術とは技術的な上手い下手ではないことをあらためて思い知らされるとともに、絵が下手くそで生きることも下手くそな私のような人間には決して他

人事とも思えず強い親近感を覚える。いくら金に困っても決して音楽で魂を売るようなマネはせず、己の信念を貫き通し、己の良いと思う音楽だけを追求する姿には

アッパレ!と感動すら覚える。好きなことだけやって生きている人間がこの世にたしかに存在していたという事実は、好きなことだけやって生きていくと腹を括って

生きている私のような人間にとっては大いなる慰めとなり俄然生きる勇気が湧いてくる。同じ土俵に立たせて自分と比べるのもおこがましいのだが、人生に行き詰ま

るとすかさず私は彼の作った音楽を聴くことにしている。私の人生は行き詰まってばかりの連続だから自然と彼の音楽を聴く回数も増えていってしまうわけである。

残念ながら彼はもうこの世にいなくなってしまったが、彼の作った素晴らしい音楽はこの世に確実に残り続け、この先も私のような人間を励まし続けることだろう。

すなわちそれこそが藝術の存在意義であり、そしてアレックス・チルトンの生き様それこそが「作品に魂を込める」ということなのではないのかと漠然ながら私はそ

う解釈する。AIが絵を描いたり小説を書いたりする時代、確立された技術にのみ頼った魂のこもらぬ心ない創作は簡単にコピーされ得る。ホンモノの優れた藝術作品は

残るが、ニセモノは消費されて跡形も残らない。そしてアレックス・チルトンの音楽はまさしくホンモノの藝術作品であり、きちんと魂が込められているから、必ず

や後世に残り続け聴き継がれてゆくのである。アレックス・チルトンの音楽に触れる度、私は自身も後世に残る魂のこもった藝術作品を作らねばならぬと強く思う。

2023.12

 

 

 

 

21.『Paranoia / パラノイア (仮)』

 

 

大昔に誰だったかが、ヤギにお寿司を食べさせているみたいだなと言っているのをうっかり聞いてしまってからというもの、もうヤギにお寿司を食べさせているよう

にしか見えなくなってしまった。こういった不用意な発言を聞かされるのは本当に勘弁してもらいたい。一度聞いてしまったが最後、もう二度と忘れられなくなる。

他にも、味噌ラーメンは味噌汁に麺が入っているみたいだとか、納豆は腐っているだとか、花は植物の性器であるわけだから花見する連中など悉く変態だとか、寝起

きの口腔はウンコ並みに雑菌だらけだからキスはしないほうがいいだとか、蝿は止まった瞬間もうすでに卵を産みつけているだとか、コアラはユーカリの葉っぱでラ

リっているから動きが鈍いんだとか、ゴキブリは睡眠中の人間の口元のヨダレから水分補給するだとか、バズコックスは日本語に訳すとプルプルチンチンかチンチン

ピクピクになるだとか、スキマスイッチはクリトリスの隠語だとか、ラモーンズのライヴ演奏が10分10曲と超爆速だったのはさっさと終わらせて早く家に帰りたかっ

たからだとか、ジョン・レノンはオノ・ヨーコをぶん殴っていただとか、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップは一時期付き合っていただとか、深沢七郎と三島由紀

夫も一時期付き合っていただとか、三島由紀夫は森田必勝の介錯が上手くいかず死に際に相当苦しんだとか、太宰治は歯がボロボロで豆腐ばかり食べていただとか、

トム・ウェイツはCMに音楽が使用されることを忌み嫌い歌い方がちょこっと似てるだけでも訴えるだとか、サウナでロッカーキーを足首に巻いている男は尻の穴GO

サインだとか、糸井重里はセルフフェラチオ経験者だとか、なんとなくクリスタル作家のアソコはもう役に立たないがそのかわりクンニリングスを3時間するだとか、

安西水〇(敬意を表して伏字)はイラストレーターの卵を食い散らかしていただとか、湯村輝彦は痔の治療のため自宅屋上で尻の穴を日光浴させていただとか、浅野U子

はイケイケだった大昔CM撮影で監督のOKが出た瞬間持っていた商品を床に投げ捨てただとか、石川啄木は田舎に妻子を残した出稼ぎの貧乏人のくせして淫売窟に入

り浸るフィストファッカーだっただとか、西郷さんは本当はあんな顔ではなく病気(フィラリア)で金玉が異様にデカかっただとか、シド・ヴィシャスのベースはアンプ

に繋がっていなかっただとか、灰野敬二はロストアラーフとしてデビュー当時武満徹の推薦でマジカルパワーマコと一緒にNHKのお昼の番組に出演したところ視聴者

から苦情が殺到しプロデューサーが飛ばされただとか、無修正ハメ撮りAVに出演している覆面被ったおっさんは全員電通マンだとか、西城秀樹は東條英機のパクリだ

とか、横尾忠則はデザイン会社勤務時代に差し入れのおはぎが自分にだけ残されていなかったことに激昂し泣きながら大暴れし同僚に殴り掛かっただとか、ピカソは

老いても精力絶倫のビンビン状態を保つためニンニクばかり食べまくっていただとか、金正恩の母親は横田めぐみさんだとか、誰某はズラだとか、誰某はヤリマンだ

とか、誰某は整形だとか、誰某はゲイだとか、誰某は宇宙人だとか、ブレーキランプ5回点滅ア・イ・シ・テ・ルのサインだとか、勘定奉行におまかせあれいだとか、

サカイ安い仕事きっちりだとか、くらし安心クラシアンだとか、世の中には余計な情報が溢れ過ぎていて辟易してしまう。そんな無意味な情報は別に知りたくもない

し、知ったところで何の役にも立ちやしない。しかしヤギのくせして一丁前にお寿司なんぞ食べさせてもらいやがってからに、一体全体何様のつもりなんだろうか、

そのお寿司にちゃんと醤油はついているんだろうか、ワサビは入っているんだろうか、口休めにはガリを食べさせ、最後はアガリを飲ませ、そして大将おいしかった

また来るよと笑顔で帰って行くんだろうかなどと見る度に思わされる。米ロックバンドのビーチボーイズが1966年に発表した傑作として名高いアルバム『ペット・サ

ウンズ』の話である。不思議なアルバムタイトルの由来は、グループ中心メンバーのブライアン・ウィルソン(ジャケット向かって左から2番目の長身おかっぱ頭)が、

作曲に専念したいから、もう金輪際ツアーには行かないよ、と駄々を捏ね、スタジオミュージシャンをふんだんに使って録音し、後は正式なボーカルを入れるのみの

ほぼ完成形をツアーから戻ったメンバーたちに聴かせたところ、当時も今もブライアン・ウィルソンとは犬猿の仲で従兄でもあるマイク・ラヴ(ジャケット向かって右

から2番目の髭面、一人だけヤギにお寿司を食べさせておらず、何となくやる気のなさが滲み出ている)から「誰がこんなもの聴くんだ?犬にでも聴かせるのか?」と

酷評されたことを逆手に取って(おそらく根に持って)命名したことは有名な話である。私がビーチボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』を初めて聴いたのはたし

か26歳の時であり、そして、私が洋楽のロックミュージックの底なし沼にズブズブと嵌まり込んで行ったのもちょうど26歳の頃からであった。その頃の私はTV-CM制

作会社に勤務し、かねてからの念願叶って制作部から企画演出部へと移動になったばかり、にもかかわらず私の心はすでに広告という仕事に対する情熱などは微塵も

なく、こんなにも醜く腐り切った幼稚で下品でダサい広告業界からは早いとこ足を洗って、己の人生をより藝術的な方面へと軌道修正していかなければならぬと模索

中の身であり、さしあたっては今まで聴いていたJ-POPやカラオケミュージックとは一旦オサラバし、藝術作品として世評の高い有名な洋楽の音楽アルバムを稼いだ

金のほぼすべてを注ぎ込み目の前に山のように積み上げては暇さえあれば片っ端から聴きまくっていたものだった。音楽雑誌で評論家にオススメされていたり、帯に

傑作や名盤などと謳われていたりするアルバムが中心で、ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』も音楽雑誌のオールタイムアルバムベスト100特集やら有名人が選

ぶアルバムベスト10やらの常に上位に食い込む有名なアルバムであったから、もちろん素晴らしいアルバムなのだろうなと何の疑いもなく大いに期待して私も聴いて

みたわけだけれども、当時はまだ音楽通でも何でもない半可通でほぼ素人同然の私の耳には正直に言ってどこが良いのかさっぱりわからず、ビーチボーイズといえば

「サーフィンUSA」という私の先入観に反し、どことなく物寂しげな、夏の夕方、もしくは、夏休みの最終日みたいな音楽だなというのが私の第一印象であった。大

いに期待して聴いてみたもののさっぱり良さがわからず何だか肩透かしを食らったような気分のまま、でも皆が良いと言っているアルバムの良さがわからぬままでい

るのはどうにもこうにも癪だからとその後も何度も何度も繰り返しチャレンジし聴いてはみたものの、やはりその良さが私の耳にはわからずじまい、そして、わから

んもんはわからん!ととうとう匙を投げてしまった。その後、私は27歳の時、たまたま読んだ坂口安吾の小説『白痴』にまんまとそそのかされて若気の至りで無謀に

も、藝術家になる!と高らかに宣言し、もう広告なんてやってられっかよ!と広告業界から一旦足を洗ったにもかかわらず、藝術活動など一切はじめようともせず、

自堕落な放蕩無頼、無為徒食の状態でしばらくフラフラしている時期に再びふと思い出して『ペット・サウンズ』を何とはなしに聴いてみたところが、不思議なこと

に、その時の私の腑抜けた心にはこれでもかこれでもかとビンビンに響いてきて、ようやく『ペット・サウンズ』の凄さをわかりかけてきたような気がしたが、もち

ろん、あくまでもわかりかけてきた気がしただけだった。おそらく『ペット・サウンズ』制作時23歳の不安定だったブライアン・ウィルソンの繊細な心と当時廃人寸

前の自堕落な生活を送る27歳の私の不安定な心とがたまたま同調し共鳴したためだと思われた(何せ「I Just Wasn't Made for These Times/駄目な僕」なんてタイトル

の曲をヘロヘロ声で歌っているのだから、もう駄目駄目の駄目駄目だった私には堪らなかったわけである)。その後もしばらく部屋でひとり『ペット・サウンズ』ばか

り聴きまくる日々を経て、やがて至極当然の成り行きで気づいた時に私はすっかりブライアン・ウィルソン教の熱狂的な信者となっており、当時入手困難だった関連

音源を中古CD屋やレンタルCD屋をあちこち回り探しては聴きまくり、中野の中古CD屋でたまたま見かけた廃盤アルバム『サーフズ・アップ』(5000円)を衝動買いし

たこともあった。色々聴いた私見では、前々作『ザ・ビーチ・ボーイズ・トゥディ』B面と『ペット・サウンズ』がブライアン・ウィルソンの黄金期だったと思う。

自叙伝を読めば、ブライアン・ウィルソンの音楽に対する純粋な情熱や脆く壊れやすい繊細な心が垣間見られるが、フィル・スペクターを絶対に超えなければならぬ

という過剰なライバル意識がプレッシャーとなり、やがて酒やドラッグに溺れパラノイア状態に陥り(自伝によれば童心を失いたくないと部屋の中に巨大な砂場を作り

ピアノを置いて作曲していたそうだ)、さらに次作アルバム『スマイル』の制作が頓挫した挙げ句に廃人生活を余儀なくされてしまうわけだが、それは裏を返せばブラ

イアン・ウィルソンという天才が己の人生を賭け身を削り命懸けで素晴らしい音楽を何としても生み出さんともがき続ける本物の藝術家である証左とも言えようか。

そんなブライアン・ウィルソン23歳の魂の結晶『ペット・サウンズ』の魅力にまんまとやられて良い意味で人生を狂わされてしまったブライアン・ウィルソン教の熱

狂的な信者は私の他にも大勢いて、もしも『ペット・サウンズ』が世に出ていなかったら、後に山下達郎やコーネリアスやジム・オルークの傑作も村上春樹の小説も

決して生まれることはなかっただろう。今でも私はたまにふと思い出して『ペット・サウンズ』を引っ張り出してはうっとり聴き惚れており、ずっと聴き続けている

と耳が慣れてしまって気づかぬかも知れぬが、他のアーティストのアルバムをたくさん聴き続けた上で、年に数回思い出したように『ペット・サウンズ』を聴いてみ

ると、その凄さに嫌でも気づかされるはずである。聴く度に、こんなにも素晴らしい音楽がこの世に存在していること自体がもうほとんど奇跡であり、普段は、神な

んているわけない、もしも神がいるならば世の中もう少しはマシになっているはずだと冷徹二ヒリスティックな人間嫌いの成れの果てを気取る無神論者の私が思わず

十字を切り「God Only Knows/神のみぞ知る」と神に感謝してしまうほどに神々しく素晴らしく、そして美しい藝術的なアルバムであり、まだ死なずに生きていて本

当に良かったなと柄にもなく決してポーズでもなく心の底からそう思えるのである。音楽に限らずあらゆる藝術作品との幸福な出会いにはタイミングがあり、一発で

その魅力に気がつく場合もあれば、私のように後になってから気がつく場合もあり、その作品と出会った時の年齢や精神状態などにも大きく左右されるから注意が必

要である。一生ものの宝物にもなれば、ただのゴミクズにもなる。それは恋愛など人間関係にも当て嵌ることである。歯が痛い時に激しい音楽は拷問以外の何物でも

なく、何か考え事をしている時に喧しい音楽は気が散るだけであり、恋をしている時には踊り出したくなるような華やかな音楽が聴きたくなるし、昔風邪を引いて何

日も寝込んでウーウー唸っていた時に聴いたジョイ・ディヴィジョンは不思議と私を癒してくれたものであった。ともかく、音楽もTPOに合わせ臨機応変に聴き分け

ればそれでよろしいということであろう。ビートルズの『ラバー・ソウル』に触発されたビーチボーイズのブライアン・ウィルソンが『ペット・サウンズ』を作り、

その『ペット・サウンズ』を聴いたビートルズが今度は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作り、その『サージェント・ペパーズ・

ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を聴いたピンク・フロイドが今度は『狂気」を作りといった具合にして、優れた藝術作品はどこかしらで何かしら繋がり互いに

影響を及ぼし合いながら世界を循環している。そんな興味深い話を聞くたびになぜだか私は嬉しくなるのである。「ある騒然としたボーカル・セッションの後、マイ

クは嫌悪をむき出しにして僕に噛みついた。『誰がこんなもの聴くんだ?犬にでも聴かせるのか?』。皮肉なことに、そのマイクの辛らつな批判からアルバムのタイ

トル、『ペット・サウンズ』が生まれた。グループの中ではデニスとブルース・ジョンストン以外、僕にとってそのアルバムがどれだけ意義を持つかということを誰

も理解していないのははっきりしていた。デニスはスタジオではいつも僕の意見を支持してくれた。ブルースは何でも気に入ってくれた。僕はそのアルバムに魂を注

いでいた。心の痛み、喜び、葛藤、悲しみ、愛を。その音楽は僕のすべて、生身の僕自身だった。メンバーにわかったことは、曲が太陽や戯れやビキニのヒップのこ

とを語っていないということだけだった。しかしそれは、僕とビーチ・ボーイズの間にずっとある本質的な相違点だった。メンバーにとって、グループはおいしい仕

事だった。報酬はよかったし、特典もあった。僕が機械的に曲を作り出すことを彼らは望んだ。5セント入れてハンドルを引くと5ドル出てくるという感じだ。だが、

僕は金のことを考えて曲を書いたことはない。ただただソング・ライティングに没頭していただけだ。『ペット・サウンズ』は、僕の才能と、一途に追求してきた僕

の個人的なビジョンの円熟を表した。僕はただ人を楽しませるのではなく、心の奥から直接語りかけたかったのだ。(『ブライアン・ウィルソン自叙伝』より引用)」

……

誰にも信じてもらえぬ話かもしれぬが、かつて私はブライアン・ウィルソンだったことがあった。過去の一時期、正確に言うと、2000年秋から2012年春まで、28歳

から40歳までの約12年間、私はブライアン・ウィルソンだったのである。このトンチキ頭はまたしてもわけのわからんことを言いはじめおったわ、バカも休み休み言

いたまえよ、何をふざけたこと吐かしていやがるんだい、こんちくしょーめ、そんなことがあるわけなかろうに、お前みたいなボンクラが天才ブライアン・ウィルソ

ンであるわけがねえだろ、頭イカれてんのか、パラノイアじゃねえのか、今すぐ病院行ってこいや、などなどなど、何とでも好き放題に言ってもらっても構わぬが、

誰が何と言おうと私がかつてたしかにブライアン・ウィルソンだったことは嘘でも冗談でも何でもなく、れっきとした事実なのである。何でも聞くところによればブ

ライアン・ウィルソンもパラノイアだったそうだが、パラノイアとは偏執狂のことであり、「偏執狂」とは辞書で引くと「1, がんこな妄想にとらわれて、常識では出

来ないことを平気でする精神病。2. 一つの事に病的に熱中すること。」とある。そう言われてみれば、たしかに私はパラノイアかもしれぬが、何かを表現する人間な

らば誰しもが多かれ少なかれ一つの事に病的に熱中し妄想に浸ることもあるわけで、その結果として常識では出来ないことも平気で成し遂げてしまえるわけでもある

から、表現者や藝術家などは皆ことごとくパラノイアであると断言してしまってもよいのではなかろうか。これは私がかつてブライアン・ウィルソンだった頃のある

夜の出来事である。そして、もうすでに50年もダラダラと自堕落に生きてきてしまった私の決して他人に誇ることなどできぬ本当にろくでもない人生において、私が

最もブライアン・ウィルソンだった夜の話である。決して自画自賛するわけでもなく、あの夜の私はブライアン・ウィルソンとして最高にキラキラと輝いていた。も

うあの日に戻れないのかと思えば胸が切なくなってくる。それほどまでにあの夜の私はブライアン・ウィルソンとして抜群にイカしていたのである(もしくはイカれて

いたのである)。深夜0時、日付が変わったちょうどその日は私の33回目の誕生日であった。当時の私はまだ絵を描きはじめてはおらず、広告業界の片隅に悶々とくす

ぶりながらひっそりと佇み、その前年に上海で半年間働いていた時のギャランティの未払い問題に大いに頭を悩ませ、精神的にかなり不安定な状態にあった。そんな

もう爆発寸前にまで溜まりに溜まった鬱憤を晴らすべく誕生日プレゼントも兼ねた自分へのご褒美として、久しぶりに(あまり好きではないが)ソープランドへでも行

ってやろうかと、その時、酒をダラダラと飲みながらインターネットでスケベなお店の情報を色々と検索していた私の携帯電話に、突然1通のメールが届いた。私は

仕事柄パソコンのメールアドレスは常にオープンにしておるが、携帯電話のメールアドレスは家族親族友人知人仕事関係者を含む他人には(特例を除き)一切教えてお

らず、もしも知っている者があるとするならば、思い当たるのは、以前に交際していた女性関係か、もしくは、下の名前だけで苗字がわからぬおそらく顔もまったく

覚えてもいない飲み屋のお姉ちゃんか、今度会った時にSEXさせてくれると指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ますと固く約束を交わし連絡ちょうだいねと言われた

けれども結局連絡せずじまいの飲み屋のお姉ちゃんか、今度会った時にSEXさせてあげると指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ますと固く約束を交わしデートの約束

まで取り付けたものの当日ドタキャンされてもう二度と連絡などするものかと縁を切った飲み屋のお姉ちゃんか、大昔に酔っ払った勢いで一度だけSEXしてあんまり

気持ち良くなくそれっきりで終わってしまった飲み屋のお姉ちゃんか、その他酔っ払った勢いで連絡先を交換しただけの数名の飲み屋のお姉ちゃんくらいのものだっ

たから、私は酔いどれたアホ頭で、もしかしたら昔の彼女か飲み屋のお姉ちゃんのうちの誰かが気を利かせてわざわざ「誕生日おめでとうメール」を送ってきてくれ

たのかもしれぬぞよとドキドキワクワク淡い期待を胸にさっそく携帯電話を確認してみれば、メールの送り主は意味不明な英数字を組み合わせた見知らぬアドレスか

らであり、件名も空欄のまま、もしも送り主が昔の彼女や飲み屋のお姉ちゃんだったならば、すでに登録済であるはずだから、はて?一体全体誰からだろうか?と訝

しげながらも思い切ってメールを開いてみれば、そこには、本文はなく、ある一枚の添付写真画像が暴力的に私の目に飛び込んで来たのだった。それは男性局部のク

ローズアップ写真画像であった。もっとストレートにくだけた表現をしてしまえば、チンポ画像であった。もっとも、チンポなどという男性の陰茎を表す下品極まり

ない汚い言葉は神聖なこの場所にはまったくもってふさわしくなく、生まれも育ちも上品で気品のあるジェントルマンを自認する私としては常々できる限り使うまい

と固く心に決めておる言葉なのだけれども、今回だけは特別にチンポという言葉がふさわしいと私が責任を持って判断するため、下品なこととは百も承知の上、致し

方なく、以下、チンポ、チンポ画像、チンポ写真などと書いていくことを何卒お許し願いたい(万が一それを少しでも不快に思うようならば、この先は一切読まず静か

にここから立ち去るのが得策であろう)。てっきり昔の彼女か飲み屋のお姉ちゃんが気を利かせて「誕生日おめでとうメール」を送ってきてくれたものとばかり思って

いたところ、蓋を開けてみれば、何とビックリ!チンポ画像が飛び出てきたのだから、「誕生日おめでとう」から「チンポ」へのジェットコースター張りの急転落下

に対する私の驚きが想像を絶するものであったことはもはや説明の必要もないだろう。さらにその驚きがすぐさまみるみると激しい怒りへ転化して行ったことも申す

までもなかろう。そしてもちろんそれは、ほんのわずかばかりでも「誕生日おめでとうメール」を期待してしまったマヌケな己の淫らな下心に対しての激しい怒りで

もあったことも言わずもがなであろう。てっきり私は「別れた今でもまーくんのことは大好きだよ、誕生日おめでとう(はーと)」とか「まーくんのことが今でも忘れ

られないよ、まーくんの33年目の1年に幸あれ、ハッピーバースデーだよ(はーと)」とか「まーくんともう一度やり直せたらどんなに素敵だろうなって毎日考えてるん

だよ、フォーエバーエンドレスオンリーラブラブまーくんだよーん、誕生日おめでとう(はーと)」とか「またお店に遊びに来てくれたらうれピーな、エチエチなこと

もっといっぱいしたいな、誕生日おめでとう(はーと)」を期待していたところ、予想のはるか斜め上というか斜め下を行くまさかまさかのチンポ画像が飛び出てきた

わけだから、私の激しい怒りは至極真っ当な怒りであっただろう。「フォーエバーエンドレスオンリーラブラブまーくん」は一体どこへ行ってしまったのだろうか、

まったくもって意味がわからない。さらには、当時の私は掌に収まる超ミニサイズの携帯電話を愛用し、その小さな液晶画面から溢れんばかりに写るそのチンポは私

に戦いを挑むかのごとくなかなかに威風堂々と立派なものに見えたのだった。野生味溢れるというかダイナミックというか荒ぶるというかスサノオというか、とにか

く好戦的なデカチンであり、ペニスでもチンチンでもチンコでもチンポコでもポコチンでもなく、まさにチンポがお誂え向きなのだった。しかし、赤の他人にいきな

りチンポ画像を送りつけてくるとは、何たる不躾者、不届者、無礼者、イカレポンチのチンポ野郎!チンポ画像を人様に送る時には、まず初めに自分はこれこれこう

いう者であり、あなた様に是が非ともチンポ画像を見ていただきたいと思いまして、つきましては今からチンポ画像をあなた様にペロッと送りたいと思うておるので

すが、チンポ画像をペロっと送ってしまっても構いませんでしょうか?と事前に一言断りを入れ相手の了承を得てから後あらためてチンポ画像を送るべきではないの

か、それが人の道、礼儀というものではないのか。もっとも、チンポ画像を送っていいですかと匿名の見知らぬ他人から突然メールが届いて、もちろんいいですよ、

遠慮なさらずじゃんじゃかじゃんじゃんチンポ画像を送って下さいませ、お待ちしてまーす!などと答える者などこの世に一人もいないと思うが、ともかく、人間同

士の円滑なコミュニケーションにおいて最低限の礼儀やモラルは当然必要であろう。人様の携帯電話に不躾にチンポ画像を送りつけてくるなど、もってのほか、何た

る無礼者、卑怯者、因業者、親の顔が見てみたい、私は匿名の安全圏でふざけたことをやって気持ちよくなっておる無責任な卑怯者がこの世で一番大っ嫌いなのであ

る。さらに百歩譲って、もしもどうしてもチンポ画像を人様に送らねばならぬ差し迫った正当な理由があるとして、チンポ画像だけをペロッと無責任に送ってよこす

のではなく、必ず顔写真や何なら履歴書も一緒に送ってよこすのが礼儀というものであろう。そんな最低限の礼節もわきまえぬチンポ野郎め!貴様を決して許してお

くものか!この辱めをどうしてくれようぞ!と怒り心頭に発した私は、勢い余って仕返しに自分もチンポ画像を送り返してやろうかとも一瞬迷うも、それをやってし

まったら人として完全に終わってしまうと何とか踏み止まり、ここは一つ深呼吸して酔いどれて怒り狂った頭を冷やしつつ、今現在の状況を一旦きちんと整理した上

で慎重に犯人のプロファイリングを試みることにした。まず、当時の私の携帯電話のメールアドレスが「brian-wilson@docomo.ne.jp」だったので、犯人は私のこと

を本物のブライアン・ウィルソンだと勘違いをして、ブライアン・ウィルソンに己のチンポを見てもらい評価してもらいたかったのではなかろうか。おそらく犯人は

熱狂的なビーチボーイズファンか、私と同じくブライアン・ウィルソン教の熱狂的な信者に違いない。だがしかしだ、ブライアン・ウィルソンはアメリカに住んでお

るわけだから、docomoの携帯電話を使用しているはずがないことくらいは少し頭を働かせて考えてみればすぐにわかることだろう。まったくバカなチンポ野郎だ!

また、犯人のメールアドレスもdocomoなので、おそらくは日本人の可能性が高いだろう。また、チンポ画像を送って来ているということはチンポを持つ男性である

可能性も高いだろう。もしくはこう考えてみるのはどうだろうか。犯人が携帯電話のメールアドレスを新規に「brian-wilson@docomo.ne.jp」で取得したいと希望を出

したところ、もうすでに使用中の人間(私のこと)がいたため、先を越されて悔しくて頭に来ていきなりチンポ画像を送りつけて来やがったという可能性である。頭に

来てからチンポ画像を送るまでの犯人の思考回路や心の動きが私にはまったくもって理解不能だが、ブライアン・ウィルソン教の熱狂的な信者であれば携帯電話のメ

ールアドレスを「brian-wilson@docomo.ne.jp」にしておきたいというのは理解できぬ話でもない。とにもかくにも、誕生日の深夜、いきなりどこの馬の骨とも牛の骨

とも豚の骨ともわからぬ相手から突然チンポ画像を送りつけられて、ハッピーバースデーな気分をすっかり台無しにされ無性に腹が立って腹が立って堪らなくなって

きた私は、そこで犯人のチンポ野郎にお灸を据えてやろうと一芝居を打つことにした。まるで私自身が本物のブライアン・ウィルソンであるかのように巧妙に装って

「I called to police! I am the real Brian!(てっめえ、警察に通報してやったからな!俺は本物のブライアンなんだぜ!)」という英文のメールを返信してやったのだ。

するとすぐさまチンポ野郎から返信があった。「I mistake adress, sorry. (俺、アドレスを間違えちゃったです。ごめんなちゃいです)」と書かれてあったので、そんな

わけないだろ!スットコドッコイ!アドレスを間違えたってことは他の誰かにチンポ画像を送ろうとしてたってことになるんだぞ!誰に送ろうとしてたんだよ!貴様

は日常的に誰か他人とチンポ画像のやり取りをしておるのか!ふざけるのもいい加減にしやがれよ!このチンポ野郎が!とますます腹が立ってきた私は、さらに追い

討ちをかけるように「Dont send mail anymore! I am the real Brian Wilson! Cant you see? Cant you see? Cant you see? (二度とメール送ってくんな!ぼけっ!俺は正

真正銘のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?わかってんのか?わかってんのか?)」という英文のメールを返信してやった。「Cant you see? (わかっ

てんのか?)」を3回繰り返したことに我ながら十分満足して少しだけ胸のすく思いがした。何だか私は本当に自分が正真正銘本物のブライアン・ウィルソンになった

ような気がしてきたが、真夜中にイタズラメールチンポ野郎相手に拙い英文でメール交換をしている自分は一体全体何者なんだろうか?何といっても今日はめでたい

誕生日なんだぜ!と素に戻り少し反省した。がしかし、残念ながら話はそこでめでたしめでたしとは終わらなかった。その時、頭脳明晰で繊細な心を持つ天才ブライ

アン・ウィルソンにすっかりなりきっていた私はある重大な事実に偶然気づいてしまったのだった。それはチンポ野郎から「I mistake adress, sorry. (俺、アドレスを

間違えちゃったです。ごめんなちゃいです)」と送られてきたメールにもしっかりとチンポ画像が添付されているという事実であった。さらにそのチンポ画像は最初の

メールに添付されていたチンポ画像とはまた別の前とはじっくりよく見ないとわからぬほど微妙に角度を変えて新たに撮影されたと思しきチンポ画像なのであった。

「I mistake adress, sorry. (俺、アドレスを間違えちゃったです。ごめんなちゃいです)」と謝罪するメールに新たなチンポ画像を添付するとは何事か!けしからん奴!

バレてないとでも思っておるのか!チンポ野郎はまったく反省などしていないではないか!これはもうケンカを売られているとしか思えんぞ!このスットコドッコイ

のチンポ野郎め!もう絶対に許してはおけぬ!と一旦収まりかけていた怒りが再燃しさらに激しく怒り心頭に発してしまった私は、またしても条件反射的に自分も仕

返しにチンポ画像を送り返してやろうかと思い立ったものの、幸いなことに、やはりそれをやってしまったら人として終わってしまうという理性が私には何とかまだ

残されていたようだ。親の躾に感謝しなければならない。というよりも、正直に告白してしまうと、チンポ野郎から送られてきたチンポ画像がかなり立派で威風堂々

たる好戦的なデカチンだったため、それと比べるに己のチンポは大きさでは明らかに負けており気後れがしてしまったというのが私の包み隠さぬ本音であった。さら

に加えて、当時の私が愛用の超ミニサイズの携帯電話にはカメラ機能が付いておらず、もしも相手にチンポ画像を送るとなれば、まずデジカメで撮影したチンポ画像

を一旦パソコンに取り込み、パソコンのメールから自分の携帯電話にチンポ画像を添付メールした上で、さらにそれを相手に返信しなければならなくなるため、甚だ

面倒な手間がかかってしまい、果たしてそこまでの苦労をしてまでもチンポ画像を相手に送り返す意味があるのかどうか、あるわけがない、あるわけがないのはわか

っているが、ケンカを売られている以上、やはり悔しいことに変わりはない、戦わずしてもうすでに負けが決定してしまうわけである、不戦敗である、それでは男と

しての名が廃る、そこで私は考えた、いや本物のブライアン・ウィルソンであるところの私はブライアン・ウィルソンとして真剣に考えた、戦わずして逃げることは

卑怯なことではないのかと、私はブライアン・ウィルソンとして、どこの馬の骨とも牛の骨とも豚の骨ともわからぬチンポ野郎にケンカを売られているわけである、

私自身がケンカを売られているだけならまだしも、ブライアン・ウィルソンの私がケンカを売られているわけである、ブライアン・ウィルソンをコケにされてブライ

アン・ウィルソン教の熱狂的な信者であるこの私が黙っていられるものか、いやいや、もうすでに私は本物のブライアン・ウィルソンそのものであると言っても過言

ではないのだ、チンポ野郎の卑劣極まりない狼藉を正真正銘ブライアン・ウィルソンであるところのこの私がブライアン・ウィルソンとして黙って見過ごすわけには

どう考えてもいかぬだろうに、私は何を言っているのか、だんだん自分でも何だかよくわからなくなってきてしまったよ、私は本当に本物のブライアン・ウィルソン

なのか?もちろん私はブライアン・ウィルソンだ!俺はブライアン・ウィルソンだ!俺はブライアン・ウィルソンだ!俺はブライアン・ウィルソンだ!俺はブライア

ン・ウィルソンだ!俺はブライアン・ウィルソンだ!と何度も繰り返し自己暗示をかけてみる、するとどうだろう、そのうち何だか本当に自分がブライアン・ウィル

ソンのような気がしてきたぞ、いや違う、気がしてきたのではなく、俺はもうすでにすっかり正真正銘本物のブライアン・ウィルソンなのだ!頭のてっぺんから足の

つま先、ケツの穴の細かい皺皺に至るまで、全身全霊、もうすっかり、俺はブライアン・ウィルソンそのものなのだ!あの天才ブライアン・ウィルソンの俺様がこれ

ほどまでにコケにされて黙っていられるものか、たしかにチンポのサイズだけで比べるならば、すでに負けは決まってしまっているよ、でも、たとえチンポの大きさ

で負けていたとしてもだよ、チンポの硬さだったら絶対に負けない自信が俺にはあるんだよ、男はデカさではなく硬さだと常日頃から口を酸っぱくして自分に言い聞

かせてきたではないか、緊張した時やSEXする前はいつも「男はデカさではなく硬さだ」「男はデカさではなく硬さだ」「男はデカさではなく硬さだ」と掌に3回書

いてゴクリと飲み干す秘密のおまじないもしているではないか、とにかく男はデカさではなく硬さなんだよ、女は柔らかさで男は硬さがすべてなんだよ、でも写真で

チンポの硬さを表現するのは至難の技ではあるよな、どうすればいいんだろう?どうすればいいんだろうか?どうする?天才ブライアン、何かいい知恵はないだろう

か、石原慎太郎の小説みたいに、チンポが障子を突き破っている写真でも撮ってやるか、いや無理だ、家に障子がない、襖ならあるけど、襖はさすがに無理だろう、

チンポで瓦割りでもしてやるか、いや無理だ、瓦がない、近所の古い家の屋根になら瓦はあるけど、他人の家の瓦をチンポで割ってたら確実に逮捕されるだろうな、

チンポで猫と血塗れで勇敢に戦っている写真を撮ってやるか、いや無理だ、猫なんて飼っていやしないし、引っ掻かれたら痛そうだ、昔のCMにあったバナナで釘が

打てます!みたいに、チンポでクギでも打ち付けている写真を撮ってやるか、いや無理だ、いくら俺のチンポが硬いとはいえども、実際にクギが打てるわけがないだ

ろう、正直そこまで硬くない、平均よりも少しだけ硬い程度だ、年齢の割には硬いといった程度だ、ならばどうする?ブライアン、もういっそのことチンポにダイヤ

モンドを埋め込んでしまおうか、でも俺はダイヤモンドなんて持っていやしない、今すぐ買いに行くか、でも深夜で店は閉まっているな、閉まってなくてもそもそも

買う金なんてありやしない、ならばどうする?ブライアン、金がないなら頭を使え、そうだ「俺のはとてつもなく硬いんだぜ!これは嘘なんかじゃないぜ!」と一言

書き添えておいてやるか、たしかに大きさでは貴様にすっかり負けてしまっておるが、その点は正真正銘ブライアン・ウィルソンの俺様も素直に認めるところではあ

るが、「硬さだけなら誰にも負けないぜ!これは嘘なんかじゃないぜ!」とビシッと一言書き添えておいてやるか、もしくは「硬さだけならそんじょそこらの同年代

の野郎どもには絶対に負けない自信があるんだぜ!これは嘘なんかじゃないぜ!」にするか、「これは嘘なんかじゃないぜ!」が取って付けたように嘘臭いかもしれ

ぬが、何だか負け犬の遠吠えに聞こえてしまうかもしれぬが、ともかく、硬いは英語で何て言うんだっけか?Hardか?Hardcoreか?Too Hardか?Very Hardか?Very

Very Very Hardか?ちょっとしつこいな、Super Hardか?Extra Hardか?Die Hardか?ブルース・ウィリスか、A Hard Day’s Nightか?それじゃビートルズだ、俺はビ

ーチボーイズのブライアン・ウィルソンだからな、Strawberry Fields Foreverか?それもビートルズだ、意味わからんし、Strawberry Hardか?それじゃイチゴが硬い

になっちまうな、イチゴはまったく関係ないし、硬いのはチンポだろうが、うーん、どうする?ブライアン、ブライアン・ウィルソンの俺、どうする?でも、あらた

めて、よくよく冷静な頭で考えてみるとだな、甚だ悔しく悩ましいところではあるのだけれども、常識的に考えてだ、やはりチンポ画像なんて人様に送るのはやめに

したほうがよさそうかもな、チンポ画像を送ってしまったら、その時点で俺は人として完全に終わってしまうだろうし、でも、送らずに諦めたらそこで俺の負けが決

まってしまうんだよな、俺の負けとはすなわちブライアン・ウィルソンの負けを意味するわけだ、それではブライアンに申し訳が立たぬだろう、どうする?ブライア

ン、ブライアン・ウィルソンの俺、どうする?もういっそのことチンポ画像をコソコソ送るのではなく、開き直って正々堂々と相手に送ってしまえばいいのかもしれ

ないな、でもその前に相手に送っていいかどうか一応きちんと確認は取るべきだろうな、俺様のほうからもチンポ画像を貴様にペロッと送ってやろうかと思っておる

のだが、貴様はどう思うかしら?ペロッと送ってしまっても構わないかしら?念の為に聞いてみるか、聞いてみて、どうぞご遠慮なくじゃんじゃかじゃんじゃん送っ

て下さいなと相手から返ってきたらば、その時は正々堂々とチンポ画像を送ることにしようかな、その際には顔写真と履歴書も送るべきだろうか、たぶん送るのが人

の道ではあるけどな、チンポ画像だけをペロッと送るなんてのは卑怯者以外の何物でもないからな、俺が許してもブライアン・ウィルソンが決して許しはしないだろ

う、送るにしてもそれが礼儀というものだ、さあ、ブライアンどうする?ブライアンどうする?ブライアン・ウィルソンの俺どうする?俺はブライアン・ウィルソン

なんだから、ブライアン・ウィルソンとしての責任をきちんと果たさねばならぬのだ、ブライアン・ウィルソンとして売られたケンカはブライアン・ウィルソンの俺

が買ってきっちり落とし前をつけてやらねばならぬのだ、それがブライアン・ウィルソンとしての俺の義務でもあるのだから、さあ、覚悟を決めろ、ブライアン、男

ならビシッと覚悟を決めてチンポ画像を送りつけてやれ!さあ、行け!ブライアン!さあ、戦え!ブライアン!さあ、行け!ブライアン!さあ、戦え!ブライアン!

……

それから、ブライアン・ウィルソンである私は試しに一枚だけでも己のチンポを写真に撮ってみようかとデジカメを引っ張り出してきて、深夜の薄暗い部屋でひとり

下半身を丸出しにして己のチンポとフォトセッションをはじめた。アラーキーやメイプルソープみたいな藝術的な写真が撮れればいいなと妙に気負って緊張してみる

みるチンポが萎縮して皮まで被ってしまった。仮性包茎だということがバレてしまうじゃないか。ブライアン・ウィルソンは仮性包茎だという噂が瞬く間に匿名掲示

板を中心に流され拡散してしまう。それは自分にとってというよりも、ブライアン・ウィルソンにとって気の毒なことになってしまうから、軽くしごいて無理やりに

でも大きくしてみる。さあ、勃て!勃つんだ!ブライアン!努力の甲斐あってか何とか大きくなってはきたが、カメラを向けるとたちまち小さく萎縮してすぐにまた

皮まで被ってしまう。このままでは負けが決まってしまうじゃないか、何とかしなければならぬぞ、何といっても俺はブライアン・ウィルソンなんだからな、ブライ

アン・ウィルソンに恥をかかせるわけにはどう考えてもいかぬのだ。さあ、勃て!勃つんだ!ブライアン!さあ、勃て!勃つんだ!ブライアン!さあ、勃て!さあ、

勃つんだ!ブライアン!毎日見ない日はないというほど散々見慣れて見飽きている己のチンポを写真に撮るという行為はもちろん私自身にとっては生まれて初めての

経験であったわけだが、あらためて写真に写った己のチンポをじっくり眺めてみるとかなりグロテクスに思えた。何だか己のチンポではないみたいだ。それでもめげ

ずに何十枚も撮っていくうち照明の加減で奇跡の一枚が偶然撮れてしまった。これならばチンポ野郎の好戦的なデカチンにも硬さに関してならば決して負けず劣らず

のようにカチンコチンに見えた。これはもう藝術だ!これならば送っても構わんだろう。でもいきなり送りつけるのは無礼だから事前に一応確認だけはしておくか。

もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?相手は一体どういう反応に出るだろうか、

おそらく遠慮なんかせずにじゃんじゃかじゃんじゃん送って来ても構わないですよと言って来るだろう、何しろ天才ブライアン・ウィルソンの藝術的なチンポの写真

なんだからな、断る理由がどこにも見当たらない、ブライアン・ウィルソン教の信者には垂涎もの、おそらく1億円出しても欲しいというファンもいることだろう、

手に入れたら家宝にして毎日拝み倒すに違いない、そのお宝をタダで送ってもらえるチンポ野郎も大した果報者であるぞよ、苦しゅうない、苦しゅうない、ちこうよ

れ、ちこうよれ、だがもしやチンポ野郎はこういう流れに当然なると予想した上で、チンポ画像を送ってよこしたのかもしれないな、虎穴に入らずんば虎子を得ず、

相手のチンポ画像が欲しければまず己のチンポ画像を送れと、まったく狡猾な奴だ、これは一本取られたか、チンポ野郎のほうが一前上手というわけか、あっぱれ、

あっぱれ、かっぽれ、その策略に私はまんまとハマっているのだろうか、ブライアン一杯食わされちゃったよ、参った、参った、なーんて、まあ、騙された振りでも

しておこうかね、それにだ、そもそもの話、チンポ画像をいきなり見ず知らずの他人に送ることは本当に失礼に当たるんだろうか?今まで自分はそんなことをすれば

人として終わってしまうとすっかりそう思い込んできたけれど、果たして本当にそうなのだろうかという疑問が私の頭に突如湧いてきた。そもそもチンポを隠す動物

は人間だけである、他の動物は服など着ていない、なめ猫たちは学ラン着てバイクに乗っていたけど、くまのプーさんも下半身は丸出しで、そもそも人間は生まれて

きた時はみんな素っ裸である、本来それが人間のあるべき自然な姿なのではなかろうか、にもかかわらず、なぜ人間はチンポを隠すのだろうか、人間は何かやましい

ことがあると隠す、チンポはやましいことなのか?たしかに人様に白昼堂々とお見せできるような美しさはない、どちらかといえばグロテスクである、でもそれは顔

だって同じことだろう、なぜ顔は隠さずにチンポは隠すのか、チンポは欲望を処理する道具であるからか、泌尿器でもあるからか、時々チンポにモザイクが一切かか

っていない藝術映画もあって、いきなりチンポが飛び出てきてビックリすることがある、ロバート・メイプルソープだってチンポの写真を撮っていた、エゴン・シー

レだってチンポの絵を描いていた、ジョン・レノンもオノ・ヨーコと素っ裸になっていた、ダビデ像だってチンポ丸出しで藝術作品として公共の場に堂々と設置され

ている、つまり藝術的に昇華させれば人間も裸が許されるのではないか、ならばチンポ画像を藝術作品の域にまで昇華させれば他人に送っても許されるのではなかろ

うか、今までの自分はチンポ画像を人様に無闇に送ってはならぬという誤った考えに洗脳されていただけなのかもしれない、そう言えば今思い出したけど、昔ファッ

ションブランドのTV-CMの企画でチンポ丸出しにしても許されるCMタレントは誰か?ということを真剣に考えたことがあった、そして高倉健、もしくは当時全盛期で

調子こいてブイブイ言わせていたキムタクだったらおそらく許されるのではないかという結論に達したが、高倉健には確実に断られるに違いなく、キムタクならば藝

術性云々と上手いこと言いくるめれば金次第でいかようにもなって喜んでホイホイとチンポ丸出しにするだろうと、アンデルセン童話の裸の王様みたいに素っ裸のキ

ムタクが「この服はバカには見えませんが、似合ってますか?」とカメラに向かって視聴者に問いかけるという内容のCM企画を徹夜までして絵コンテに描き打合せで

自信満々に提出したら問答無用に一瞬でボツになった、キムタクにバカには見えないと言われている以上、チンポ丸出しやんけ?と苦情を入れれば即座にバカだと認

定されしまうことを逆手に取り、さらにはキムタクというタレントの裸の王様っぷりをも同時に揶揄するという高度な二面性を持った素敵な企画だった、IQが高過ぎ

て時代の先を行き過ぎているがゆえに、残念ながら無下に却下されてしまったが、あれはラフォーレやベネトンの広告ならばやり方次第で、例えば「※チンポ丸出しに

なっておりますが、CM表現上やむをえずCG処理をしており、実際は本物のチンポではありません」とテロップを入れれば実現できるのではないかと今でも確信して

いる。ようするに、とどのつまり、すべては藝術性云々の如何によるのではなかろうか。チンポが藝術の域にまで昇華され藝術作品であると認められれば、チンポは

隠さなくともよいというわけである。そして、幸いなことに私は藝術的なチンポ写真の奇跡の一枚が偶然撮れてしまったわけである。もう送らずにいられるものか!

……

そして次に、ブライアン・ウィルソンである私は履歴書を書き(その際、本人とブライアン・ウィルソンとどちら名義で書くべきか迷った末とりあえず本人名義で履歴

書を、職歴に2000年秋~ブライアン・ウィルソンと記し赤で囲み)、以前に撮ってあった証明写真をペロッと貼り付け、スキャンしてパソコンに取り込み、準備万端整

えた後、あらためてチンポ野郎に対しGoogle翻訳を駆使しながら、チンポ画像を送ってもいいか?と確認の英文メールを送ってみた。「I accidentally took a picture

of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチ

ンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」返事はない。痺れ

を切らして再度送ってみた。「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I send it to you? I'm the real Brian Wilson!

Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウ

ィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」やはり返事はない。送った英文に誤りがないかどうか念の為に確認してみると「ペロッと」が翻訳されていないことに気がつ

いた。「ペロッと」を単独でGoogle翻訳してみると「Perot and」などと出てきてしまう。Google翻訳などまったくもって当てにならぬものである。仕方なしに他の

方法で色々と調べてみると「ペロッと」は「quickly」と英訳するのが適切だとわかって、今度は「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called

a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけ

ど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」と送ってみた。やはり返事はない。だんだんとイ

ラつきはじめてきて再び激しい怒りが込み上げてきてしまった私は、もう次から次と相手にメールを送りまくった。「I accidentally took a picture of an Artistic Cock

that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真

が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」返事はない。「I accidentally

took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言っても

よいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんの

か?)」返事はない。「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson!

Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウ

ィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」やはり返事はない。「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly

send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わ

ないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but

is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送

ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」もうここまでくるとどうにもこうにも止められない。次から次と

メールを送りまくるも、やはり返事はない。そのうちそもそもどっちが迷惑メール野郎なのかもわからなくなるほど続けざまに次々と私はメールを送りまくった。「I

accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡

と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わか

ってんのか?)」「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant

you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィル

ソンなんだぜ!わかってんのか?)」「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the

real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物

のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly

send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わ

ないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but

is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送

ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」やはり返事はない。送った英文に誤りがないかどうかもう一度慎

重に一言一句確認してみると、「チンポ」の英訳は「Cock」が適切なのかどうか不安になってきたので、試しに「Cock」を「Dick」に変えて送ってみることにした。

「I accidentally took a picture of an Artistic Dick that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇

跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わ

かってんのか?)」やはり返事はない。「チンポ」の英訳として「Cock」や「Dick」だと王道過ぎてパンチに欠けるのではないかと捻りを効かせて、今度は「Willy」

「Pecker」「Shaft」「Prick」「Dong」「Richard」「Jack」「Peter」「Jones」「Trouser Snake」「Cream Stick」「Bamboo Stick」「Tool」「Flute」「Dangle」

「Dingle」「Banana」「Dragon」「Fucker」「Gazoo」「Love Sausage」「Love Scud」「Magic Stick」「Middle Leg」「Third Leg」「Pisser」「Pork Sword」な

どなど、次から次と変えて送ってみるも、やはり返事はなく、一旦基本に帰り「Penis」に変えて送ってみるも、やはり返事はなく、結局「チンポ」の英訳に問題はな

いのだろうと最終的に再び「Cock」に戻すことにした。「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send

it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わない

ですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。「チンポ」の英訳にまったく問題がないとす

れば、一体全体どこに問題があるのだろうか?何が問題なのだろうか?と煎じ詰めて考えていくうち、もしかしたら送り方に問題があるのではないかと思えてきた。

送り方というのは、つまり、こちら側のチンポの写真の送り方のことであり、想像するに、おそらく送られる相手側としては、私がチンポの写真を「ペロッと」送る

その送り方であるところの「ペロッと」が気に食わないのではないかという意味であり、そう思ってしまったら絶対にそうとしか思えなくなってきてしまった私は、

相手の腹具合を探るべく試しにおうかがいのメールを送ってみることにした。「Maybe you don't like the way I send a picture of an Artistic Cock? Sending a picture

of an Artistic Cock "quickly” is nothing more than an Ego on my side. I sincerely apologize for my Careless Foolishness that hurt you. Well, it's still possible to change

the way of sending a picture of an Artistic Cock to something other than “quickly”, there are various ways to send a picture of an Artistic Cock other than “quickly”, so

I'm trying to respond to your desired sending way with sincerity, so I'll leave it up to you, so if there's a way you want to send a picture of an Artistic Cock other than

“quickly”, I don't mind if you ask me without Hesitation! (もしかしてチンポの写真を送る方法がお気に召さないのかい?チンポの写真を『ペロッと』送るというのは、

まったくもってチンポの写真を送るこちら側のエゴに過ぎないもんな、もちろんチンポの写真を送る時は『ペロッと』送ってしまうのが最も適切な方法だと俺が責任

を持って判断したという次第なんだがね、相手の気持ちを慮り良かれと思っての選択だったんだがね、それが裏目に出てしまったというわけだな、でも言い訳に聞こ

えるかもしれんが、俺が『ペロッと』という言葉に込めた思いを誤解なく説明させてもらうならば、それは『さっさと』とか『テキトーに』とか『鼻ほじりながら』

とか『とりあえず送ってしまえばいいさ』とか、破れかぶれの軽はずみな気持ちなどでは決してなく、あくまでも『一刻も早く真心を込めてお客様にお届けしたい』

とか『誠意を持って迅速丁寧に』とか、言うなれば、まさに走れメロスのような熱い思いを『ペロッと』に込めたつもりでいたんだけどな、でも考えてみれば、それ

はやはり送る側のおためごかしでしかないんだよな、貴様の気分を損ねるような迂闊なマネをしてしまったことは素直に謝るよ、ごめん、この通りだよ、だから機嫌

を直してもらってさ、もしも『ペロッと』が気に入らないというのならば、チンポの写真を送る方法を『ペロッと』以外に変更することは今からでも可能だからね、

チンポの写真を送る方法は『ペロッと』以外にも色々とあるんだからさ、『ピロッと』『ヘロッと』『ドドーンと』『ガツンと』『ズバッと』『カキーンと』『バシ

ッと』『フラッと』『ズルッと』『ヌルッと』『エンヤトット』『ピロリロリン』『パラリロリン』『アイヤー』『ヒャッホー』『ヨイコラショ』『ドッコイショ』

『ウッフーン』『アッハーン』など、よりどりみどり貴様の希望する送り方に誠意を持って対応しようと思っているんだよ、何だってお任せあれだぜ、だからもしも

貴様のほうで『ペロッと』以外にチンポの写真を送る希望の方法があるのならば、何なりと遠慮なく申しつけてくれて構わないんだぜ!)」それでもやはり待てど暮ら

せど返事はない。暖簾に腕押し、糠に釘、もうどうしてよいものやらお手上げ状態だが、まだまだ諦めない。「If there is a problem with sending a picture of a Cock

by mail, why don't we meet Face to Face? Shall we meet in person and hand it over? We've only just gotten to know each other, but if I can't just mail you a picture of

a Cock, then there's no other way but to meet in person and hand it over, or If you can tell me your address, I can send you the Data burned on CD-R by Motorbike

Delivery. If we meet in person, where should we meet? In front of Shibuya Hachiko? Ikefukurou? Roppongi ABC? did that place go bankrupt? By the way, where do

you live? It would be great if you could specify a location that is convenient for you! (もしもチンポの写真をメールでペロッと送ることに難色があるというのならば、

もうこの際思い切って直接会って手渡すことにしないかい?どうだろう?俺たちはまだ出会ったばかりで、貴様のことはチンポが野生味溢れるというかダイナミック

というか荒ぶるというかスサノオというか、とにかく好戦的なデカチンの持ち主ということしか知らないし、直接会うのはちょっと気が引けるかもしれないけどさ、

チンポの写真をメールでペロッと送るのが困難だとしたら、直接会って手渡す以外に方法はないしな、それとも、もしも住所を教えてもらえるのなら、CD-Rに焼い

たデータをバイク便で届けることも可能だからね、データの形式や受け渡し方法は貴様の意思を尊重するつもりだよ、直接会う場合、待ち合わせ場所はどこにしよう

か?渋谷ハチ公前か?いけふくろうか?六本木の青山ブックセンターか?あそこは潰れてしまったんだっけか?ところで貴様はどこに住んでいるの?貴様の都合の良

い場所を指定してくれていいからね!)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。「After all, it might have been premature to meet directly

and hand over a picture of a Cock. I couldn't help but want you to see a picture of an Artistic Cock as soon as possible, so I got ahead of myself. There's Juice coming

out from the tip of my Cock too. I have to seriously think about how to do it, what should I do? For example, why not actually try the Ransom Delivery method in Akira

Kurosawa's masterpiece "High and Low"? If I remember correctly, in the movie, they threw the Suitcase containing the Ransom from the window of the moving train

toward the embankment beside the tracks. I will put it in a Duralumin Suitcase, decide a specific place in advance, and throw it out of the train window, so you can go

o the place and collect the Suitcase. Maybe, we’ll have to try it to see if it works like the movie, but I think it's worth a try, or if you don't like “High and Low”, you might

as well go with Junya Sato's masterpiece "The Bullet Train, Super Express 109”. I would like to hear your opinion! (やはりチンポの写真を直接会って手渡すというのは

さすがに時期尚早だったのかもしれんな、俺のほうでは一刻も早く貴様に藝術的なチンポの写真を見てもらいたくて堪らず、思い立ったら吉日と走れメロスのごとく

一途に先走ってしまういつもの悪い癖が出てしまったみたいだよ、ついでに俺のチンポの先からも先走り汁が…なんてね、しかし貴様って奴は臆面もなく人様にチン

ポを曝す度胸はあるくせに、顔面を曝す甲斐性はないってわけだな、頭隠して尻隠さず、顔隠してチンポ隠さず、何だか順番がおかしな話であり、どういった精神構

造をしておるのか非常に興味深いところであるが、まるで男だけ覆面被りチンポ丸出しの無修正ハメ撮りAVにも通ずる不信感不快感および嫌悪感を禁じ得ないところ

でもあるが、それはまあいいや、武士の情けで突っ込まずにおいてやるよ、それに考えてみれば、そもそも直接会うのならば、もはやチンポの写真を手渡すなんて七

面倒くさいことはせず、本物の生チンポをペロッと見せてしまったほうが話が早いもんな、まあ冗談はその辺にしておき、さてと、直接会わずにメールやバイク便以

外でチンポの写真を受け渡す方法を真面目に考えなくてはいけないな、どうしようか?例えばだけど、黒澤明監督の傑作映画『天国と地獄』の身代金の受け渡し方法

を実際にやってみるってのはどうだろうか?たしか映画の中では、走行する列車の窓から線路脇の河原の土手に向かって身代金の入ったカバンを放り投げるんだった

よな、あんな具合にチンポの写真のデータをCD-Rに焼きジュラルミン製の頑丈なアタッシュケースに入れ、そのアタッシュケースをあらかじめ特定の場所を決めてお

き、そこでタイミングよく列車の窓から俺が放り投げるから、貴様がその場所に行きアタッシュケースを回収してもらえばいいのかもね、果たしてめでたしめでてた

しと行くかどうか、映画みたいに首尾よく行くかはやってみないとわからないけど、試してみる価値はあると俺は思うんだよね、もしも『天国と地獄』が気に入らな

いというのならば、佐藤純彌監督の傑作映画『新幹線大爆破』の受け渡し方法でもいいかもね、たしか首都高速を巧妙に利用するんだよな?何だかワクワクしてきた

ぞ!貴様の意見を是非とも聞きたいな!)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。「If you don't like “High and Low” or "The Bullet Train,

Super Express 109”, what else can we do? Shall we follow the Ransom Delivery method of the “Yoshinobu-chan kidnapping and murder case" that occurred in Iriya in

he Showa era? That incident was a rare example of a successful kidnapping case that miraculously broke the jinx that the ransom payment would never succeed, but

what do you think? Worth a try? Iriya and Ueno area might be a good place to try it out, but now that I'm back to basics, I've come to realize that we've mimicked the

exaggerated methods of action movies and brutal crimes, and we've exchanged at most one picture of a Cock. do I have to? It's true that it's a wonderful Artistic Cock

that's worth exchanging even if it's just that much, but it's a bit too much of a Joke, and the world has become reasonably convenient due to the progress in science

and technology. In today's society, I think it's best to send a picture of your cock by mail, but of course I'll respect your wishes to the fullest! (まったくわがままな男だ

よ、貴様って奴は!『天国と地獄』も『新幹線大爆破』も気に入らないとするとだよ、他に一体どんな受け渡し方法があるだろうか?あれか?昭和の昔に入谷で起こ

った『吉展ちゃん誘拐殺人事件』の身代金受け渡し方法を踏襲してみるか?あの事件は誘拐の身代金受け渡しは絶対に成功しないというジンクスを奇跡的に破り、ま

んまと成功した稀有な例にあたるわけだけどさ、どうだろうか?試してみる価値があるかどうか?もしも試すならば場所はもちろん入谷か上野近辺で決行するのが相

応しいよな、でもさ、今ふと素に戻って思ったんだけどさ、やはり何というか、ここまでアクション映画や凶悪事件の大仰な身代金受け渡し方法までそっくり真似し

て、たかだかチンポの写真一枚をだよ、果たして俺たちはやり取りしなければならないのだろうかな?たしかにそれくらいのことをしてまでもやり取りする価値のあ

る素晴らしい藝術的なチンポなわけだけど、その点はもう自信があるんだけど、少しばかり悪ノリが過ぎているというかさ、これだけ科学技術が進歩しそこそこ便利

な世の中になっている現代社会においては、やはりチンポの写真はメールでペロッと送ってしまうのが一番の得策だと俺は思うんだけどな、もちろん貴様の意思は最

大限に尊重するつもりではいるけどね!)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。「What in the world do you dislike? It's a picture of the

real Brian Wilson's Cock, and if you're a Fanatical Follower of Brian Wilson, you'll want to get it by any means, if you put it up on Yahoo Auctions, it's worth 100 million

yen. So what the hell are you thinking when you can get it for Free? And it's a picture of a Freshly Snapped Cock, and it's a once-in-a-lifetime opportunity, and you're

nothing but a Big Idiot to waste a once-in-a-lifetime chance. I don't understand at all! (一体全体何が気に入らないと言うんだい?他の誰でもないブライアン・ウィル

ソンのチンポの写真なんだぜ、ブライアン・ウィルソン教の熱狂的な信者ならばどんな手段を講じても手に入れたいと願うはずだけどな、ヤフオクに出品すれば1億

円は下らない代物なんだぜ、しかもたった今撮ったばかり撮れたてホヤホヤのカチンコチンのチンポの写真なんだぜ、それをタダで手に入れることができるというの

に、一体何を考えているんだい?一生に一度あるかないか、まさに千載一遇のこのチャンスを無下にするなんて大バカ野郎以外の何物でもないぜ!俺にはまったく理

解できないよ!)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。負けてたまるか。「Seeing is Believing how Hard the Cock that I'm going to

send to you from now on, but anyway, it's unusually very very very Hard! The cock you gave me was also quite Nice, but compared to that, my Cock may be inferior in

Size, but I'm confident that I won't lose to anyone about the Hardness of the Cock! Yes, I've lived my life up until now by telling myself that men are not Big, they're

Hard! Doesn't it make you want a picture of my Cock right now? Aren't you itching? You don't have to put up with being Thin, you just have to accept one word that

you don't mind if I send a picture of my Cock quickly! it's easy, isn't it? (これから貴様にペロッと送ってやろうと思うておる俺のチンポがどれくらいカチンコチンか

は、百聞は一見にしかず、実際に見てもらってからのお楽しみなんだけど、いや待てよ、俺のチンポというよりも、ブライアン・ウィルソンのチンポというべきか、

いやいや、ブライアン・ウィルソンであるところの俺のチンポというべきか、もはや誰のチンポなんだよって複雑な話になっちまうんだけど、まあとにかくだ、それ

はそれはもう目を見張らんばかりに尋常でなくカチンコチンなわけなんだよ、貴様が先に送ってくれたチンポもなかなか好戦的で結構なイチモツだったけどさ、たし

かにそれと比べると俺のチンポは大きさでは些か見劣りするかもしれないよ、そこは素直に認めるところだよ、白旗上げちゃうよ、でもさ、自慢じゃないけどチンポ

の硬さだったら誰にも負けない自信が俺にはあるんだよね、男は大きさではなく硬さだと常々自分に言い聞かせて俺は今まで生きてきたんだよ、どれくらいカチンコ

チンかというとだな、瓦割り…おっと、おっと、危ねえ、危ねえ、前情報はこれくらいにしておこうかな、それは見てのお楽しみってことでさ、どうだい?今すぐに

でもチンポの写真をペロッと送ってもらいたくなってきたんじゃないのかい?もう居ても立っても居られないくらいウズウズしてきたんじゃないのかい?痩せ我慢な

んてする必要ないんだぜ、素直に『ペロッと送って構わない』と一言了承する旨の返信メールを送ってくれさえすりゃいいんだよ、簡単なことだろう?)」それでもや

はり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。この勝負どうしても負けるわけにはいかないんだ。「Do you want me to send you a picture of my Cock?

Don't you want me to send it? Which one? If you ask your Heart, you will understand. It's a problem, so what should I do if I, an Outfielder, pinch my beak or forcibly

force it, do you understand? But even if you don't tell me, of course I know what you want me to do, I know everything in your Heart. Please seriously ask your Heart,

the answer will come out of itself. However, there is no answer that either is fine. If I send you a picture of my Cock at my own discretion, people around you may see

it as if I sent you a picture of my Cock forcibly, and In any case, everyone is Happy that you follow your Heart, not anyone else, and I'm Happy too! (チンポの写真をペ

ロッと送ってもらいたいのか?ペロッと送ってもらいたくないのか?どっちなのか?貴様の心に素直に問うてみよとしか俺の口からは言えないよ、これは貴様自身に

関する重要な問題であるわけだからね、外野の俺がどうこう嘴を挟んだり、無理やりに強制することはどう考えたっていかないんだよ、わかるだろ?でも俺には言わ

れなくともちゃんと理解してるさ、貴様がどうしてもらいたいかをね、貴様の心の中はすべてお見通しだからね、だから今一度自分の心に、チンポの写真をペロッと

送ってもらいたいのか?ペロッと送ってもらいたくないのか?どっちなのか?真剣に問うてみてくれたまえよ、答えは自ずと出てくるはずだからさ、二者択一という

か、もう一択だよね?もちろん、どっちでもいいって答えはなしでお願いするよ、どっちでもいいと言われちゃうと、こっちもどうしていいのかわからなくなってし

まうからさ、どっちでもいいと言われているのに、俺の独断でチンポの写真を貴様にペロッと送ってしまえば、見ようによっては俺が無理やり貴様にチンポの写真を

ペロッと送りつけてしまったようにも取られてしまう可能性があるからね、それだと俺が強要しているようで、何だか俺としても心にわだかまりが生じてしっくりこ

ないからさ、まあとにかく他の誰でもない貴様の心に素直に従ってくれることが皆にとって幸福なことだし、俺自身にとっても嬉しいことだよ!)」それでもやはり待

てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。やはりこの勝負どうしても負けるわけにはいかないんだ。「Perhaps you were sent a picture of my Cock, and you

thought, 'I've been waiting!” If you give permission simply, Are you worried that it might look like a Frustrated Woman whining and begging for a Cock? You may feel a

little embarrassed by the unusual display of greed you're a Shy, Naive, and probably Only Child, but there's no need to worry! Of course, “Can I send you a picture of

my Cock?” When you’re asked, "I want you to send me a picture of your Cock as soon as possible! Please! Please! Please!” It may be the most embarrassing thing in

this world. But if you strongly want me to send a picture of my Cock, you have to trust your feelings properly, neglecting it will be lying to yourself! (もしかしてチンポ

の写真をペロッと送られることを、よっ!待ってました!色男!と言わんばかりに簡単に許可してしまえば、まるで年増の欲求不満な色気狂い女が駄々を捏ね男のチ

ンポをおねだりしているようにも見られ兼ねないことを危惧しているのかい?引っ込み思案で内弁慶でおそらくは一人っ子である貴様には珍しく己の貪欲さを曝け出

すことに幾ばくかの引け目を感じてしまっているのかい?そんな心配は無用だぜ!もちろんチンポの写真をペロッと送ってもいいか?と聞かれて、チンポの写真をペ

ロッと送って欲しいの!早くチンポの写真をペロッと送ってちょうだいよ!もう我慢できないの!チンポの写真がないと生きていけないの!お願いよ!お願いよ!お

願いよ!と年増の欲求不満な色気狂い女のごとく脇目も振らず声高に泣き叫ぶことは、この世に存在するありとあらゆる恥ずかしいことの中でも最たるものの一つか

もしれないよ、でも実際に貴様自身が己の心に問うた上で、嘘偽りのない素直な気持ちから、チンポの写真をペロッと送ってもらいたいと強く願うのならば、その自

分の気持ちを信用してあげなくちゃいけないよ!それを蔑ろにすることは自分自身に嘘をつき結局は自分自身を裏切ることになってしまうんだからね!)」それでも待

てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。ここまで来てしまった以上引き返すわけにいかないんだ。「Of course, I always think that if I send a picture of my

Cock to someone else, I'll end up as a Person, and I still feel a little Embarrassed. When you sent a picture of your Cock to me, what a Vague, Silly, Silly Fucking thing!

I honestly thought, it's a natural reaction, but I can't just let myself go, 'cause if it's just about myself, I'll endure it. But 'cause I'm the real Brian Wilson I'm being sold a

fight, I got to buy a fight and fix it. So as a test, I took a picture of my Cock with a digital camera, and a pure question suddenly popped up in my head, and I came to

the Conclusion that if it's a picture of an Artistic Cock, I don't mind sending it to others openly, but rather I should be Grateful. It's a picture of an Artistic Cock that can

be called a Miracle! So the Judging whether or not it's okay to show a Cock must depend on the Artistic Nature. Even Robert Mapplethorpe took a picture of his Cock,

Egon Schiele drew a picture of his Cock, John Lennon was naked with Yoko Ono, and the Statue of David with his Cock exposed set up in a Public Place! Why can't

Brian Wilson’s Artistic Cock be allowed? (もちろん人様にチンポの写真なんて送ってしまえば、人として終わってしまうと今まで俺自身も思ってきたし、今でも少し

恥ずかしいことだという認識はあるよ、貴様から先にチンポ画像が送られてきた時は、何てことしでかすんだ、人でなし、ふざけんな、コノヤロー!って正直俺は思

ったさ、それは当然の反応だよね、でも泣き寝入りするわけにはどうしてもいかないんだよ、なぜって、俺自身に関する問題だけなら泣く泣く我慢もするけど、俺は

ブライアン・ウィルソンでもあるわけだからな、ブライアン・ウィルソンである俺がケンカを売られているわけだからな、ブライアン・ウィルソンに売られたケンカ

はブライアン・ウィルソンであるこの俺がきっちり買って落とし前をつけてやらねばならないんだ、それで試しに自分のチンポをデジカメで撮影してみたんだけど、

撮っているうちに、素晴らしい奇跡の一枚が偶然撮れてしまい、その時、果たしてチンポの写真を人様に送りつけることは本当にいけないことなんだろうか?という

純粋な疑問が俺の頭にふと浮かび上がってきたってわけだ、そして藝術作品としてのチンポの写真ならば人様に堂々と送ってしまっても全然構わないんじゃないか、

それはむしろ感謝されてしかるべきであり、ようは、チンポを人様に見せてもいいかどうかの判断基準はその作品が内包する藝術性云々の如何によるものに違いない

という結論に至ったわけだよ、そもそも人間は生まれてきた時はみんな素っ裸であり、チンポを隠す動物は人間だけであり、他の動物は服など着ておらず、なめ猫た

ちは学ラン着てバイクに乗っていたけど、くまのプーさんも下半身は丸出しであり、ロバート・メイプルソープだってチンポの写真を撮っていたし、エゴン・シーレ

だってチンポの絵を描いていたし、ジョン・レノンもオノ・ヨーコと素っ裸になっていたし、ダビデ像だってチンポ丸出しで藝術作品として公共の場に堂々と設置さ

れているじゃないか!彼らが許されている状況下で、どうして天才ブライアン・ウィルソンであるところの俺の藝術的なチンポはダメなのか?そんな理不尽があって

たまるかよ?それくらいもう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真なんだよ、もしもこのチャンスを逃したら死んでも死に切れないぜ!)」それでもやはり

待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。この勝負は何としても勝たねばならないのだ。「It's Fun to see how Artistic the Cock is after you actually see it,

but anyway, it's an Artistic Cock that can be called a Miracle! I don’t have a better word than “Artistic” “Miracle”, and maybe you will actually have a Miracle too. Your

Mediocre, Boring, Soggy, Bastard Life could change overnight, of course “God Only Knows” if a Miracle will actually happen, but I can assure you that a Miracle will

happen. That's why it's such a picture of an Artistic Cock! A good work of Art has the Power to change other people's Lives. Maybe we call Art something that ends

up happening, why don't you turn your Life around for the better? It sounds like some sort of Bogus Religious Solicitation, but if you actually see it, you will believe me

when I say it's not a Lie! (どれくらい藝術的なチンポであるかは実際に見てもらってのお楽しみなんだけど、もうとにかく奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポな

わけさ、あまり奇跡とか藝術とかいった言葉を濫用すると言葉の持つ意味が薄れてしまうけど、もう本当に奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポという以外に適

切な言葉が見つからないんだよ、もしかしたら貴様にも奇跡が起こるかもしれないぜ、貴様の平凡で退屈でしみったれたクソッタレの人生が一夜にして一変するかも

しれないぜ、もちろん実際に奇跡が起こるかどうかは『神のみぞ知る』だけど、奇跡が起こらないわけないと断言できるほど、もうそれくらい藝術的なチンポの写真

ってわけさ、優れた藝術作品は他人の人生を変える力を孕んでいるんだ、逆に言えば、他人の人生をいとも簡単に変えてしまうものを藝術と呼ぶのかもしれないな、

貴様も人生を好転させてみないかい?何だかインチキ宗教の勧誘文句みたいだけど、実際にご覧あればきっと俺の言葉が嘘じゃないって信じてもらえるだろうさ!)」

それでもやはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。諦めるわけにはいかないんだ。「The Beatles’ "Rubber Soul" inspired Brian Wilson of the Beach

Boys to write "Pet Sounds”, and after listening to "Pet Sounds”, the Beatles released "Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”, and after listening to "Sgt. Pepper's

Lonely Hearts Club Band”, Pink Floyd released "The Dark Side of the Moon”. Some excellent works of Music and Art are connected and circulate in the world while

influencing each other. I vaguely think that it would be Nice if I could have a relationship with you that would allow me to exchange pictures of Artistic Cock endlessly!

(ビートルズの『ラバー・ソウル』に触発されたビーチボーイズのブライアン・ウィルソンが『ペット・サウンズ』を作り、その『ペット・サウンズ』を聴いたビート

ルズが今度は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作り、その『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を聴

いたピンク・フロイドが今度は『狂気」を作りといった具合に、優れた藝術作品はどこかしらで何かしら繋がり互いに影響を及ぼし合いながら世界を循環している、

そして今、貴様が送ってくれたチンポの写真に触発されたブライアン・ウィルソンである俺が藝術的なチンポの写真を撮り今まさに貴様にペロッと送り返そうとして

いるところであり、さらに、その俺がペロッと送り返した藝術的なチンポの写真を見た貴様が再び俺に藝術的なチンポの写真をペロッと送り返すといった具合に、藝

術的なチンポの写真のやり取りが延々と持続できるような良好な関係を貴様と築けたらいいなと俺はぼんやり考えているんだよ、そんな関係を築けたらお互いにどん

なにか幸福なことだろうな!そして、ゆくゆくは世界中の皆が藝術的なチンポの写真を気軽に送り合い幸せを分かち合えるような、もちろん女性にはチンポが付いて

ないわけだから、その場合は彼氏のチンポとか旦那のチンポとか父親のチンポとか弟のチンポとかを送ることになるだろうけど、そんな素晴らしい世界が実現できれ

ば、もう本当に最高なんだけどな!もちろん、そんな世界が実現できるかどうかは『神のみぞ知る』なんだけど、すべては貴様の返答如何に左右されるわけだよ!)」

それでもやはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。諦めるわけにはいかないんだ。「It takes a lot of Courage to send someone a picture of a Cock.

To be honest, I don't know what you thought when you suddenly sent me a picture of your Cock. Maybe just a Prank, maybe Anger at me, maybe you had some other

purpose, it's beyond my imagination, exactly It's "God Only Knows", but from now on, I'll send you a picture of my Cock with a certain amount of Determination, it's a

Sacred Act. No, in the first place, the act of exposing oneself and expressing something seriously is unimaginably Embarrassing. If you've ever expressed something

seriously, it's easy to understand, everyone who expresses it overcomes that Embarrassment and expresses something seriously with a Corresponding Resolution.

There are times when I want to run away from the Embarrassment of expressing myself. Never call an expression that doesn't exist an expression. Even if you try to

move someone else's heart with something that is expressed with such an easy feeling, but I want you to think seriously about what kind of feelings I'm going to send

you with a picture of my Cock from now on. I will send you pictures of my Cock with a Serious Determination, so I'd like you to take it seriously with a Corresponding

Resolution! (いくら藝術的なチンポであってもだ、そもそも人様にチンポの写真を送るには相当な勇気が必要なんだ、貴様が先に俺にいきなりチンポの写真を送りつ

けてきた時、貴様自身がどのような心境だったのか正直俺にはわからないよ、ただの悪ふざけだったのかもしれない、ブライアン・ウィルソンであるこの俺に己のチ

ンポを品定めしてもらいたかったのかもしれない、日々の鬱憤を怒りに任せぶっつけたかったのかもしれない、それとも何かしら別の目的があったのかもしれない、

そこは想像の域を越えないよ、まさに『神のみぞ知る』だよ、けれども、これから俺が貴様にチンポの写真をペロッと送るのは、それ相応の覚悟を伴った、もう清水

の舞台から飛び降りるような、言うなれば、神聖な行為であるんだよ、つまり神に導かれての止むに止まれぬ厳粛な儀式でもあるんだよ、そもそも人様にチンポを丸

出しにして見せつけるという行為に限らず、己を曝け出して真剣に何かを表現するという行為とは、想像を絶するほどに、とてつもなく恥ずかしいことなんだ、もち

ろんそれは歌ったり踊ったり書いたり描いたり撮ったり作ったりなど純粋な藝術作品を表現するという行為だけに留まらず、人として日々を生きる上でのありとあら

ゆる表現行為にも当て嵌るんだ、例えば、授業中急にトイレに行きたくなった時、好きな相手に告白する時、別れを切り出す時、本屋でエロ本を買う時、薬局やコン

ビニでコンドームを買う時、飲み屋のお姉ちゃんにSEXさせておくれとお願いする時、一度断られてもめげずに何度でもお願いする時、SEX中イキそうになった時、

他にも己の主義主張を表明したり、喜怒哀楽の感情表現、人はただ生きていること自体がすでに恥ずかしいことであるわけだからね、貴様自身も真剣に何かを表現し

た経験があるならば、つまり人として日々を真剣に生きているならば容易に理解するところだろうが、本気で表現する者たちは皆その恥ずかしさを何度も乗り越え、

それ相応の覚悟を担って、人として日々を真剣に生きているってわけなんだよ、時には表現する恥ずかしさから逃げ出したくなる時もあるさ、でも、その恥ずかしさ

から逃げ出してしまっては結局何も表現し得ないんだよ、俺は恥ずかしさや覚悟の伴わない表現を本物の表現とは決して呼ばないよ、それはただ表現した気になって

いるだけであり、そんな安易な気持ちでヘラヘラと表現されたもの、いや表現したように見せかけて結局は何も表現されていない軽薄なインチキ表現ごときで誰か他

人の心を動かそうたって、そうは問屋が卸さないってんだ、おととい来やがれってんだ、ゆえに俺は匿名の安全圏でハメ外してふざけたことをやって気持ちよくなっ

ている無責任な卑怯者どもがこの世で一番大っ嫌いってわけなんだ、本当に心底ムカついてムカついて信用ならないんだ、だから正直に言えば貴様のことも最初はさ

っぱり信用していなかったんだけど、もしかしたらこれも何かの縁で、神の思し召しなのかもしれぬと思えてきたりして、何とも不思議な感覚なんだけど、いつしか

俺は直感的に貴様とのこの神懸かり的で運命的な出会いに身を委ねてみようとさえ思えてきたんだよ、何を言っているのか自分でもよくわからなくなってきたけど、

ようは、これから俺が貴様にどのような思いを込めてチンポの写真をペロッと送るのかを貴様のほうでも真剣に考えてみてくれたまえということだよ、こちらがそれ

相応の覚悟を持って真剣にチンポの写真をペロッと送るんだからさ、貴様のほうでもそれ相応の覚悟を持ってガッチリ真剣に受け止めてくれということなんだよ!)」

それでもやはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。諦められるわけないだろう。「First of all, I'll send you one picture of an Artistic Cock as a trial,

and if you thoroughly enjoy it, and if you don't like it, unfortunately, you can return it within 14 days. If you like it, I'll try to send you again and again, so first of all, I'm

going to send one. Even Domohorn Wrinkle has a trial set, so why don't you just leave yourself to me without worry! (まず試しにチンポの写真を一枚ペロッと送ってみ

て、貴様のほうでじっくり堪能してもらってだ、その上でもちろん気に入らないというのなら、残念だけどその時は14日以内だったら返品も可能だし、そうではなく

て、幸いなことにもしも貴様に滅法気に入ってもらえたならば、その時はあらためてチンポの写真をじゃんじゃかじゃんじゃん送るようにするからさ、だからまずは

試しに一枚だよ、ドモホルンリンクルにだってお試しセットとかお試し期間っていうものがちゃんとあるんだからさ、安心して俺に身を任せてみないか!)」それでも

やはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。諦めるわけにはどうしてもいかないんだ。「Right now, I'm feeling the Difficulty of getting other people to

take Action to my bones. If you want a picture, send me a picture of your Cock first, so I’m desperate to send you a picture of my Cock, you're such a Cunning Fellow!

I'd like to say you're one better than me, but I'm also seeing through that Cunning Trick! Either way, Eyes and Noses, Weasels, Relax, Close, Viva, Viva, Kappole, well

let's enjoy this moment together! (俺は今、他人に行動を起こさせることの難しさを骨の髄まで身に染みて感じ入っているところだよ、その点、貴様は上手いことやっ

てくれたもんだよな、相手のチンポの写真が欲しければまず己のチンポの写真を送れといきなりチンポの写真を送ってきやがってさ、まんまと俺の心に火をつけてし

まったんだもんな、実際こうして今俺は貴様にチンポの写真を送りたくて堪らなくなっているんだもんな、まったく狡猾な奴だよ、貴様のほうが俺よりも一枚上手と

言いたいところだが、俺のほうでも貴様のその狡猾な策略を見抜いた上であえて騙されたフリをしているわけだからな、どっちもどっち、目糞鼻糞のイタチごっこ、

くるしゅうない、くるしゅうない、ちこうよれ、ちこうよれ、アッパレ、アッパレ、カッポレ、まあこのひと時をお互いに楽しくやろうじゃないか!)」それでもやは

り待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。諦めたらそこですべてが終わってしまうんだ。「Ping Pong Pang Pong! Ping Pong Pang Pong! I have some

important news for you! There was a Serious Error in the mails I sent so far, so I would like to sincerely apologize and correct it! Actually, I've just noticed that if I look

closely, I can see a glimpse of my Balls in a picture of an Artistic Cock that can be called a Miracle. Oops, no, just now is a Lie! I, the person who took the picture, was

aware of the fact from before. However, I carelessly forgot to tell you the important information. I lost my mind. However, if I lied to you, I'd feel sorry for you, and after

I sent you the picture, “what's with your Balls in the picture?” you must complain. But I don't think it has much of an impact on the quality of the work of Art. So before

I send it to you, I would like to confirm whether you care, so if you look closely at a picture of an Artistic Cock that can be called a Miracle, you can see a glimpse of

my Balls, but is it okay if I still send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (ピンポンパンポン!ピンポンパンポン!ここで俺のほうから貴様に重要なお知

らせがあります!今までに送ったメールの内容に決して看過できない重大な誤りがあったことを認め、謹んでお詫び訂正させていただくよ!誤りというか、送ったメ

ールの内容に説明不足があったというべきか、実は、これから貴様にペロッと送ってやろうと思うておるチンポの写真には、よく見ると金玉がチラッと写り込んでし

まっていることに俺はたった今気づいてしまったんだよ、いや、たった今というのは口から出まかせの嘘っぱちで、前々から金玉がチラッと写り込んでしまっている

ことには、撮影した本人である俺ももちろん気づいていたわけだけど、その重要な情報を貴様にうっかり伝え忘れていたという次第なんだよ、本当にお詫びのしよう

もなく大変申し訳なく思っているんだけど、このまま嘘をつき続けていると俺のほうも心苦しい限りであり、さらに、もしも貴様にチンポの写真をペロッと送ってし

まった後に、何だい!何だい!金玉もチラッと写り込んでいるじゃないか?話が違うだろ?と貴様からクレームが来るのも正直面倒くさいのでね、貴様にはきちんと

真実を伝えておこうと思ってさ、でも、たとえチンポの写真に金玉がチラッと写り込んでしまっていたとしてもだよ、藝術作品としての質にはほとんど影響がないこ

とを保証できるし、その程度のことで藝術的価値が下がるようなヤワなチンポの写真ではないという自負もあるし、逆に金玉が良い意味でアクセントとなって写真に

安定感を与えているとも言えるし、でも気になる人はとことん気になる点でもあろうから、貴様が気になるかどうかだけは俺のほうでも少し気になったので、事前に

確認だけはさせてもらうよ、これから貴様にペロッと送ってやろうと思うておる、もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真には、よく見ると金玉がチラ

ッと写り込んでしまっているんだけど、それでもペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」それ

でもやはり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。諦められるわけがないだろう。「After all, you don't like the fact that my Balls is in the picture of my

Cock, but I think that for all men, his Cock and his Balls are inseparable. But, of course, the victim of the Abe Sada incident unfortunately had his Cock and his Balls

separated, Maki Carousel had his Cock and his Balls separated at his own will, and I don't know what happened to Kiyoshi Hikawa. They are just a special case, and I

always think that for all men, his Cocks and his Balls should be considered as a set, but when I check it now, you sent it first. If I look closely at the pictures of your

Cock you sent to me, I can see a glimpse of your Balls, but what do you think about that contradiction? I would love to hear your opinion! (やはりチンポの写真に金玉

がチラッと写り込んでしまっていることが貴様は気に入らないってわけだな?でもさ、すべての男にとってチンポと金玉は切っても切れない関係だと俺は思うんだけ

どな、もちろん阿部定事件の被害者は不幸にも不可抗力でチンポと金玉が切り離されてしまったし、カルーセル麻紀は自らの意志でチンポと金玉を切り離してしまっ

たし、氷川きよしが今どういう状態なのか俺には想像もつかないけど、あくまでも彼らは特殊な事例であって、通常はすべての男にとってチンポと金玉はセットで考

えなければならないと俺は思っているけどな、それに今確認してみたところ、貴様が先にいきなり送りつけてきたチンポの写真にも、よく見ると金玉がチラッと写り

込んでしまっているわけだけど、その辺の矛盾について貴様は一体どのように考えているんだろうか?貴様の意見が是非とも聞きたいところだけどな!)」それでもや

はり待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。諦めようにも諦められるわけないだろう。「Do you have Balls? What a small man to get bent out of shape

ust by seeing Balls in the picture! Isn't it just your Cock that's big? Isn't that boasting big Cock also a tinsel, and it's actually just a useless soft Cock? It's not enough

for a man to be big! A man is Hard, not big! I'll prove it with my Cock that I'm about to send you! Be prepared and wait! (チンポの写真に金玉がチラッと写り込んでい

るくらいで臍を曲げてしまうなんてさ、貴様の股間には金玉が付いているのかい?まったく器の小さい男だよ!デカいのはチンポだけなんじゃないのかい?その自慢

のデカチンも見かけ倒しで、実際は使い物にならんただのフニャチンなんじゃないのかい?男はデカけりゃいいってもんじゃないんだぜ!男はデカさではなく硬さな

んだよ!女は柔らかさで男は硬さなんだよ!これから送る俺のチンポでそれをきちんと証明してやるからさ!覚悟して待ってろってんだ!)」それでもやはり待てど暮

らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。どうして諦められようか。諦められるわけがないだろう。「I’ll be Honest, I'm Disappointed in you! Maybe this will be the

Final Warning, It's useless to say anything to someone who won't listen, It's like Sex with a Frigid Woman who doesn't leak a Gasp no matter. Even if I have Sex with

such a Woman, I'm not happy at all, so I'll never send mail to you again. If you keep pretending to be a Frigid Woman, you’ll never be able to get a picture of an Artistic

Cock forever. Do you imagine a Life without an Artistic Cock? It's a Boring, Miserable Life, don't you feel sick to your Stomach? Don’t your Balls creak? You’d rather

bite off your tongue and die than live a Life of a Corpse, like you’re already dead while you’re still alive! (正直に言って貴様には大いに失望したよ!もうがっかりだよ!

こっちが下手に出てりゃいい気になりやがって、調子に乗るのも大概にしやがれってんだ!このスットコドッコイの腐れチンポ野郎が!世の平均より少しばかりチン

ポのサイズがデカいからって殿様商売するんじゃないよ!銭湯でもこれ見よがしに自慢してんだろ?この浮かれ上りのデカチン野郎が!たぶんこれが最終警告になる

だろうね、最後通牒といってもよかろうか、そっちのほうが洒落ていて気が利いているかもしれんよな、最後通牒っていうくらいだから本当に本当に本当に最後の最

後の最後だからな、聞く耳を持たないわからず屋相手に何を言ったって無駄だもんな、まるで何をやっても喘ぎ声ひとつ漏らさない不感症の女とSEXしているみたい

だよ、貴様はマグロ女だよ、そんな女とSEXしてもこっちは全然楽しくはないんだよ、だからもう二度と俺のほうからはメールを送らないからね、送って下さいって

頭下げてきたって、いくら大金積まれたって、俺のほうからは金輪際メールは送らないつもりだよ、つまりだ、もしも貴様がこれ以上不感症マグロ女のフリを続ける

気ならば、未来永劫、貴様は藝術的なチンポの写真を入手できなくなってしまうというわけだ、藝術的なチンポの写真のない人生、すなわち、藝術のない人生のこと

を貴様は一度でも想像したことがあるかい?それはそれはもう退屈極まる悲惨な人生だよ、考えただけでも腹がキリキリと痛んでこないかい?金玉が軋んでこないか

い?生きながらにしてすでに死んでしまっているような、屍人生さ、そんな人生を送るくらいなら、いっそのこと舌噛み切って死んでしまったほうがマシだよね!)」

それでもやはり待てど暮らせど返事はない。一体どうりゃいいかさっぱりわからなくなってきた。「If you don't answer me, I'll Bomb your house, Dynamite Bomb,

your Hovel I’ll rip it to pieces, your lovely house was bought with a 35 year loan, and the loan is due in 5 more years. Or I'll Kidnap your Bastards, imagine what would

happen to your Bastards, trembling with Fear and Pissing! (そっちがその気なら俺のほうにも考えがあるぜ!もしも貴様がこのまま返事をよこさないというのならば、

貴様の家に爆弾を仕掛けるぞ、ダイナマイトの爆弾だぜ、貴様のあばら屋なんぞ一瞬で木っ端微塵にしてみせるぜ、せっかく35年住宅ローンで購入した愛しき我が家

なのに、後5年でローンも完済できるっていうのに、まったくもったいない話だよな、それとも、もしも貴様にクソガキの1匹や2匹いるのならば、そのクソガキどもを

誘拐してやろうかな、散々甘やかして育て上げてきた自慢のクソガキどもの身に危険が迫ることを想像してみろって、恐怖に打ち震えて小便ちびっちまえばいいよ!

さらに、そのクソガキが年頃の別嬪さんだった場合は、たっぷり可愛がってやってシャブ漬けにして片田舎の場末の安ソープランドにでも沈めてやっからよ!)」それ

でもやはり待てど暮らせど返事はない。だんだん自分が何をやっているのかわからなくなってきた。「Your personal data has leaked! I am a professional Hacker and

have successfully managed to hack your operating system. Currently I have gained full access to your account. In addition, I was secretly monitoring all your activities

and watching you for several months. The thing is your PC was infected with Harmful Spyware due to the fact that you had visited a Porn website previously. Thanks to

Trojan viruses, I can gain complete access to your PC. It means that I can see everything in your screen and switch on the camera as well as microphone at any point

of time without your permission. I have made a Video compilation, which shows on the left side you are happily Masturbating, while on the right side it demonstrates

the Porn Video you were watching. All I need is just to share this Video to all people you are in communication with on your PC. I believe you would definitely want to

avoid this from happening. Here is what you need to do - You send mail to me! You just have to accept one word that you don't mind if I send a picture of my Cock

quickly! it's easy, isn't it? I will proceed with deleting this Video and disappear from your life once and for all. Trust me, I am very careful, calculative and never make

mistakes! (貴様の個人情報が漏洩しました!俺はプロのハッカーで貴様のオペレーティングシステムのハッキングに成功したんだよ、現在、俺は貴様のアカウントに完

全にアクセスできるようになっているんだ、さらに、俺は貴様のすべての活動を密かに数か月間監視していたんだよ、問題は、貴様が以前にポルノコンテンツを含む

Webサイトにアクセスしたことが原因で、コンピューターが有害なスパイウェアに感染したことなんだ、それが何を意味するのか説明してやろうか?そのトロイの木

馬ウイルスのおかげで、俺は貴様のコンピューターに完全にアクセスできるってわけさ、つまり、俺はいつでも貴様のパソコン画面内のすべてを見ることができ、貴

様の許可なしにカメラとマイクのスイッチをオンにすることもできるんだよ、さらに、機密情報や電子メールやチャットメッセージにアクセスすることもできるとい

うわけさ、そしてここからが本題だよ、そんなふうにして俺はある1本のビデオを編集してみたんだよ、そのビデオの左画面には、貴様が楽しそうにオナニーしている

シーンが表示され、一方、右画面には、その瞬間に見ていたポルノビデオが表示されているというわけさ、このビデオを貴様がパソコン上で通信しているすべてのメ

ールアドレスに共有することもできるってわけだ、そんなことは絶対に避けたいと思うだろう?そこで貴様がしなければならないことは次の通りだよ、藝術的なチン

ポの写真を『ペロッと送っても構わない』と一言了承する旨の返信メールを送ってくれさえすりゃいいんだよ、簡単なことだろう? そのメールが貴様から届いたら、

そのビデオが貴様の人生から完全に消えるってわけさ、どうか俺を信じてくれよ、俺はとても注意深く計算高く、決して間違いは犯さないからね!)」それでもやはり

待てど暮らせど返事はない。でもまだまだ諦めない。私の辞書に「諦める」という文字はないのだ。「I cursed you! Or will you take my Inheritance? Hey, it's me, me,

me, me, can't you see? Mom, it's me, it's me, it's me, it's your son, Briani! Did you forget your son's voice? So don't worry! By the way, I'm sorry for the sudden story,

I made a Big Hole of 10 million yen in the company, if I don't make up for it as soon as possible, the company will be in Big Trouble, and in the worst case, I might get

fired. It's past 2:30pm, so if you run to the nearest ATM, you’ll be able to make it by 3:00pm. I wonder if you can help my son out of a Big Pinch! (貴様に呪いをかけま

した!それとも俺の遺産をもらってくれませんか?なーんてね、俺だよ、俺、俺、わからないかな?母さん、俺だってば、俺、俺、息子のブライアンだよ、まさか息

子の声を忘れてしまったのかよ?昨夜からちょっと風邪気味でね、もしかしたら声が変な具合に聞こえるかもしれないけど、本物の息子のブライアンだから心配しな

いでいいよ、ところで急な話で悪いんだけどさ、実は会社でヘマやらかしちまって、俺のミスで会社に1000万円の大穴を開けてしまったんだよ、今はまだ会社にバレ

てないけど、できるだけ早くその穴埋めをしないと会社に大迷惑がかかって、俺は会社に居づらくなって、最悪クビになるかもしれないんだよ、そこで母さんに相談

なんだけど、今から言う銀行口座に大至急お金を振り込んでくれないかな?今14時30分過ぎだから、近所のATMまで走れば、15時には間に合うよね、金額は多けれ

ば多いほど俺のほうでも助かるってわけなんだ、愛する息子の大ピンチを救ってくれないかな?こんなこと頼めるのは母さん以外にいないんだよ!何とかならないか

な?)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。一体全体自分はどこへ向かっているのだろうか。「Maybe you are Mike? Is it Mike Love who is famous for having

a Dog and Monkey relationship with Brian Wilson’s me? When I played the Demo of “Pet Sounds”, You said, 'Who listens to this? Do you want your Dog to listen? Is it

Mike Love who sarcastically criticized, As a result, the Album Title was decided as "Pet Sounds"? No way, Mike lives in the USA, so he doesn't use docomo, but are

you Mike? Are you Mike Love? Please answer me! (もしかして貴様はマイクなのか?マイク・ラヴなのか?昔も今もブライアン・ウィルソンの俺とは犬猿の仲として

有名な、あのマイク・ラヴなのか?貴様らがツアーに出ている間に俺がスタジオに篭りせっせと作り上げた、俺の魂の結晶でもある『ペット・サウンズ』のデモを聴

かせた時『誰がこんなもの聴くんだ?犬にでも聴かせるのか?』と皮肉めいた辛らつな批判をしてくれたマイク・ラヴなのか?アルバムタイトルが『ペット・サウン

ズ』に決まる因縁を作ったあのマイク・ラヴなのか?まさかな?マイクはアメリカに住んでるわけだしな、docomo使ってるわけないもんな、いや、でも何だか気の

せいか、悪どい陰湿なやり口がいつものマイク・ラヴっぽいんだよな、もしかして貴様はマイクなのか?マイク・ラヴなのか?返事をしてくれないとわからないじゃ

ないか!)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。だんだん自分で自分がわからなくなってきた。「Who the hell are you if you're not Mike Love? Maybe you are

Carl? No, Carl is already dead. Are you Dennis? No, Dennis is already dead. Bruce Johnston? Al Jardine? Blondie Chaplin? Glen Campbell? Eugene Randy? Van Dyke

Parks? I don't know who you are because your cock doesn't have your name on it! Oh, maybe you're Phil Spector? I was Jealous of his talent and burned with Rivalry,

and as a result, I lost my mind and became a Wreck. You're Phil Spector, the one who made The Ronettes “Be My Baby”! (マイク・ラヴじゃなけりゃ貴様は一体誰なん

だ?もしかしてカールなのか?いや、カールはすでに死んでるな、デニスなのか?いや、デニスもとっくに海に飛び込んで死んでるな、ブルース・ジョンストンか?

アル・ジャーディンか?ブロンディ・チャップリンか?グレン・キャンベルか?ユージン・ランディか?ヴァン・ダイク・パークスか?チンポには名前が書いてある

わけじゃないからさ、貴様が誰だかさっぱりわからないんだよ!ああ!もしかして貴様はフィル・スペクターなのか?貴様はフィル・スペクターなんだろ?ブライア

ン・ウィルソンであるこの俺がその才能に嫉妬してライバル心をメラメラと燃やし、その挙げ句に俺の頭がおかしくなって廃人に成り果ててしまった、そのきっかけ

を作った張本人でもあるフィル・スペクターなんだろ!俺が唯一超えられないと思った名曲、ザ・ロネッツ『ビー・マイ・ベイビー』を作ったフィル・スペクターな

んだろ?だとしたら、負けてはいられないぜ!ここで会ったが百年目!今度こそ俺の藝術的なチンポで貴様をコテンパンにぶちのめしてくれようぞ!)」それでもやは

り待てど暮らせど返事はない。一体全体自分は何をやっているのやらさらに自分がわからなくなってきた。「Sometimes the blood rushes to my head and I just don't

know myself, you probably think I'm a Crazy Idiot, but actually I'm Crazy, but it seems that I lost my composure too much this time and said something unreasonable to

you, sorry!, sorry! sorry! Self-analysis, I probably have a kind of mental illness called Paranoia, but Brian Wilson was said to be Paranoid too, well, an every Artist who

expresses something can become more or less obsessed with one thing and become delusional. I wonder if it's okay to assert that everyone is Paranoid. Even though

I'm like this, I want to be with you for a long time, so please don't abandon me! (なぜだか気づいたらヒートアップしてしまっていたようだ、大人気なくみっともないマ

ネをしてしまったよ、時々、頭に血が上って怒りを制御できなくなって自分で自分がわからなくなってしまうことがあるんだよ、たぶん貴様も俺のことを頭のイカれ

たわけのわからん危ない奴だと思ってるんだろうけど、実際に昔から俺は頭のイカれた危ない奴だからな、こればっかしはもう仕様がないと諦めるほかないんだな、

でも今回は些か度を越して冷静さを失い貴様に理不尽な面倒ごとを吹っかけてしまったようだな、ごめん、この通りだよ、自己分析するにだな、おそらく俺はパラノ

イアという精神病の一種に罹っていると思うんだけど、実際にブライアン・ウィルソンもパラノイアだったと言われてるし、もちろん俺はブライアン・ウィルソンで

もあるわけだから、俺がパラノイアであることに何らの矛盾もないわけで、当然のごとく俺はパラノイアというわけさ、でもまあ何かを表現する人間ならば誰しもが

多かれ少なかれ一つの事に病的に熱中し妄想に浸ることもあるわけで、その結果として常識では出来ないことも平気で成し遂げてしまえるわけでもあるから、表現者

や藝術家などは皆ことごとくパラノイアであると断言してしまってもよいのではなかろうか、まあこんな俺だけど貴様とは末長くやってきたいと思っているんで、見

捨てないでよろしく頼むよ!)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。一体どうすりゃいいんだ。「Are you taking a bath by any chance? You’re covered in soap

bubbles and scrubbed all over the place, washing your Proud Big Cock with extra care, like a soldier cleaning a Big Gun? If you wash it too carefully just because it

feels good, you'll explode! Keep it in moderation! It's not good for men to overheat their Balls, so shouldn't it be about time to come out? (もしかして風呂にでも入っ

てるのかい?それにしちゃちょっと長いけどな、きっと色んなところを石鹸の泡まみれにしてゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシと洗いまくってるんだろうな、金玉

袋の裏っ側とかケツの穴とかたっぷりふやかしてゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシってさ!でもそれにしたってちょっと長風呂過ぎやしないかい?あんまり長いと

家族が心配して覗きに来るかもしれないぜ!戦場の兵隊さんが銃剣を掃除するみたいに自慢のデカチンを特に念入りにゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシと洗いまく

ってるんだろ?気持ちいいからってあんまり調子に乗ってゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシと念入りに洗い過ぎてるとそのうち暴発しちまうぜ!まあ気持ちはわか

らんでもないが、ほどほどにしておくんだぜ!それから男はあんまり金玉を温め過ぎるとよくないっていう話も聞くからな、もうそろそろいい加減に出てきたほうが

よさそうだぜ!)」それでもやはり待てど暮らせど返事はなく、万策尽き果てた私は、やがてメールの文面をわざわざGoogle翻訳してまで相手に送るという作業自体

がほとほと面倒くさいというか虚しいというかアホらしくなってしまい、さらに、メールが長文過ぎると送られた相手が読む気力を失ってしまうのではないかとも危

惧しはじめて、今度は簡潔な短文メールを送る作戦を試みることにした。「Brian Cock Quickly Please!」「I Brian Cock Quickly OK?」「Brian Cock Quickly Yes? or

No?」「Cock Understand?」「Cock Please?」「Accept Cock?」「Cock go OK?」「Love Cock?」「Need Cock?」「Cock ’n’ Roll!」「Cock together!」「I wanna

be your Cock!」「Cock forever!」「Cock is it!」「Let’s Cock! 」「Son of a Cock! 」「Cocksucker!」「Cock you!」「Cock me!」「Cock off!」「Cock it!」「Cock

up!」「Cock around!」「Cocker!」「Mother Cocker!」「Don’t give a Cock with me!」「Who the Cock!」「What the Cock!」 「Get the Cock out here!」「Go Cock

yourself!」「Cock the world!」 「Cock yourself!」「I got Cocked!」「I don’t give a Cock!」「Are you Cocking with me?」「Holy Cock!」「Cock face!」「Cock my

life!」「Cock yeah!」「I did Cock!」「Shut the Cock up!」「Silly as Cock!」「Stop Cocking around!」「You Cockin’ rock!」「Stupid Cock!」「Damn Cocker!」な

どなど、Google翻訳を使わず頭に思いついた単語を適当に組み合わせ送っているうち、もはや自分でも意味がまったく通じなくなってきて、でも逆にそのほうが自分

の虚飾ないありのままの新鮮な熱い思いが相手にダイレクトに伝わるのではないかと次から次と送り続けるも、途中から「Fuck」の使い方と混同しているような、た

だの罵倒になってしまっているなと思いながら、頑なに己の直感を信じ送りまくるも、それでも返事はなく、そしてやはりメールが短文過ぎてもこちらの本意が伝わ

りにくくなってしまって、それでは本末転倒だと思い直し初心に帰りGoogle翻訳を信頼し、再び馴染みの構文に戻すことにした。「I accidentally took a picture of an

Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的な

チンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」「I accidentally

took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (もう奇跡と言っても

よいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんの

か?)」「I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you

see? (もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソン

なんだぜ!わかってんのか?)」それでもやはり待てど暮らせど返事はない。もはや万事休すなのか。「I want to make sure! Even though an Artistic Cock that can be

called a Miracle, it’s extremely Rude to suddenly send it, so I’ll just check it in advance, I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle,

but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see? (頼むからこれ以上俺を焦らさないでおくれよ!一生のお願いだよ!もうわがままは言

わないからさ、一言返事をくれさえすればそれでいいんだよ、とにかく俺は事前にきちんと確認だけは取っておきたいんだ、ただそれだけなんだよ、きちんと確認を

取った上で正々堂々とチンポの写真を貴様にペロッと送りたいんだ、そのほうがきっと送る側にも送られる側にも双方にとって心地のよいコミュニケーションとなる

はずだからね、誠意を持って貴様と円滑な交流を図りたいんだ、後から面倒くさいトラブルになるのを避けたいという思惑も一応はあるんだがね、そりゃいくら奇跡

と言ってもよいほどに藝術的なチンポであってもだよ、いきなり赤の他人の貴様にペロッと送りつけるのは甚だ無礼なことだからね、何事も最初が肝心だからね、い

きなり何の前触れもなくチンポの写真を送ってしまっても別にいいっちゃいいんだが、さすがにそれは人としてどうなんだろうかって深刻な話にもなってきて世間に

顔向けができなくなってしまうからね、こう見えて俺は世間体を思いっきり気にしちゃうタイプなんだよね、ヤクザだってまずは仁義を切るわけだしね、そしていつ

しか反目し合うライバル同士が心を許し合い体も許し合うといった仲に変化していくみたいに貴様との良好な信頼関係を俺は心のどこかで望んでいるんだよね、そん

な将来への淡い期待も込めて、だからこそ一応事前に確認だけはしておくよ、もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペロッと

送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」やはり返事はない。最後はもうヤケクソ気味になって送った。

「Please let me repeat, it’s extremely Rude to suddenly send an Artistic Cock that can be called a Miracle, so I have to just check it in advance again, c’ause I am very

Sincere, I accidentally took a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle, but is it okay if I quickly send it to you? I'm the real Brian Wilson! Cant you see?

(本当にいい加減にしておくれよ!こっちはもうほとほと疲れ果ててしまったよ!もう何を言っても無駄なのかな?もう俺たち二人の蜜月の関係はデッドエンドなのか

な?修復不可能なのかな?何事にも必ず終わりがあるからね、ありがとう、今まで楽しかったよ、色んなことがあったよね、楽しかった思い出の数々が走馬灯のよう

に頭の中をグルグルと駆け巡るよ、でもこの期に及んで未練タラタラと貴様の良心に問いかけるつもりで、もちろん貴様が良心というものを持ち合わせていると仮定

してだけど、最後にもう一度だけ言わせてもらおうか、そりゃいくら奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポであってもだ、いきなり赤の他人の貴様に送りつける

のは甚だ無礼なことだからね、人としてどうかと思うからね、一応事前に確認だけは取っておこうと思ってさ、後で裁判沙汰になるのはご免被りたいからね、俺はこ

う見えて誠実な男だからさ、人からはよくジェントルマンですねって言われるし、電車やバスで体の不自由な人やお年寄りに必ず席を譲るし、落し物を拾ったら必ず

交番に届けるし、釣り銭が多かったら必ず返すし、公衆便所で小便する時は必ず一歩前に出るし、銭湯で泳いでいるクソガキがいたら優しく諭してやるし、そんな生

粋のジェントルマンであるところのこの俺がジェントルマンとして確認しておくよ、もう奇跡と言ってもよいほどに藝術的なチンポの写真が偶然撮れたんだけど、ペ

ロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?)」やはり返事はない。もうわけがわからなくなってきた。

「Why do you not answer me? Are you asleep yet? Do you ignore me? Don’t give me the cold shoulder! Just as Brian Wilson put his Soul into ‘Pet Sounds’, I put my

Soul into this picture of an Artistic Cock, I put my Pain, my Joy, my Struggles, my Sorrow, my Love, and this Artistic Cock is all of me, my very own self! I don't ask for

Money at all!, I was just immersed in creating Fine Art! This Artistic Cock showcases my talent and the maturity of my personal vision that I've been pursuing all my life!

Rather than entertaining you, I wanted to talk directly to you from the depth of my Heart! If you don't trust me, I'll send you a Resume with a Face Photo! Is it okay if I

quickly send a picture of an Artistic Cock that could be called a Miracle to you? I’m the real Brian Wilson! Cant you see? Cant you see? Cant you see? Cant you see?

Cant you see? Cant you see? Cant you see? Cant you see? (どうして返事をくれないんだい?もう眠ってしまったのかい?わざと俺を無視しているのかい?冷たいじ

ゃないか?それじゃあんまりだよ!ブライアン・ウィルソンが『ペット・サウンズ』に彼の魂を注いだように、ブライアン・ウィルソンであるこの俺も、この藝術的

なチンポの写真にありったけの己の魂を注いだんだぜ!心の痛み、喜び、葛藤、悲しみ、愛を!この藝術的なチンポの写真は、すなわち、俺のすべてであり、生身の

俺自身でもあるんだよ!俺は金のことを考えてチンポの写真を撮ったわけじゃないんだよ!俺はただただ藝術の創作に没頭していただけなんだよ!この藝術的なチン

ポの写真は、俺の才能と、一途に追求してきた俺の個人的なビジョンの円熟を表すんだよ!俺はただ貴様を楽しませるのではなく、この藝術的なチンポの写真で心の

奥から貴様に直接語りかけたかったんだよ!信用できないって言うんなら、顔写真付きの履歴書だってもちろん送れるぜ!履歴書以外も免許証やパスポートのコピー

だって送れるぜ!マイナンバーカードはまだ取得してないからそれは送れないけど、住民票や納税証明書だって送れるぜ!このもう奇跡と言ってもよいほどに藝術的

なチンポの写真をペロッと送ってしまっても構わないですか?俺は本物のブライアン・ウィルソンなんだぜ!わかってんのか?わかってんのか?わかってんのか?わ

かってんのか?わかってんのか?わかってんのか?わかってんのか?わかってんのか?)」そのうち気づけば私は涙を流していた。ブライアン・ウィルソンである私は

チンポ野郎に大量のメールを送り続けながらボロボロボロボロと滂沱の涙を流していた。そしてどうやらそのまま涙に暮れて眠りに落ちてしまったようだ。翌朝目を

覚ますと、私は下半身丸出しで携帯電話を握りしめていた。携帯電話には着信ありの点滅があり、1通のメールが届いていた。メールを開けてみると、チンポ野郎か

らで「No thank you! You are Crazy! You are not the real Brian Wilson! He doesnt use docomo! Dont send mail anymore! Cant you see? Cant you see? Cant you see?

(チンポの写真なんて送っていいわけねえだろ!頭イカれてんのと違うか?お前が本物のブライアン・ウィルソンのわけねえだろ!そもそもブライアン・ウィルソンが

docomo使ってるわけねえだろ!二度とメールよこすな!おととい来やがれ!おととい来やがれ!おととい来やがれ!)」と書かれてあり、チンポ画像は添付されてい

なかった。あの夜に撮ったチンポの写真はもう残ってはいない。夜中に書いた手紙を翌朝読んだようにあんな卑猥な写真を勢いに任せて撮った自分自身のことが無性

に恥ずかしくなってすぐに消してしまった。あらためて見てみると藝術性の欠片もなかった。ただ今でも一つだけたしかなことは、あの夜の私は我が人生で最もブラ

イアン・ウィルソンだったということである。あの夜の私は誰が何と言おうと正真正銘ブライアン・ウィルソンだったのだ。これだけは絶対に譲ることはできない。

2023.1

 

 

 

 

 

20.『Shanghai / 上海 (仮)』

 

 

私が21歳から27歳まで丸6年間勤めていた、フランク・ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CMプロダクション(頭文字M)がどうやらなくなってしまったよう

だ。私は27歳の時、たまたま読んだ坂口安吾の小説『白痴』にまんまとそそのかされて、藝術家になる!と高らかに宣言し(それはたとえるならば、麻薬絶対禁止主義

のフランク・ザッパのバンドを思う存分に麻薬をキメまくりたいからと逃げ出してリトル・フィートという麻薬天国なバンドを結成したローウェル・ジョージの心境

で)、もう広告なんてやってられっかよ!アホくさ!バカくさ!チンドン屋!アッカンベー!ベロンベロンバー!と思いっきり唾を吐きかけて会社勤めを辞め一旦は広

告業界から足を洗った(がしかしすぐにまた戻った)という若気の至りの頗る体裁の悪い因縁もあって、爾来、私はこの会社とは一切の関係を断ってしまったがために

詳細は定かではないが、気づいた時には会社名がフランク・ザッパのバンド名から弁当屋チェーン店のパチモンみたいなダサい名前(同じく頭文字M)に変わっていた。

会社のWEBサイトには事業を移管と記載され、おそらくは潰れかけたところをどこかの心優しい会社に手を差し伸べてもらい辛くも生き延びたといった世間でよくあ

る話なのではないかと無責任かつ手前勝手に推測するところであるが。このフランク・ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CMプロダクション(頭文字M)は

今でこそすっかり零落し名前も弁当屋チェーン店のパチモンみたいなダサい名前(同じく頭文字M)に変わってしまったが、元を辿れば、あの悪名高き某大手広告代理

店(頭文字D)系列のD映画社から派生し1980年代に一世を風靡した、一昔前ならば、内田裕也がスーツ姿で海だか川だかを泳ぐデパートのCMや、ジェームス・ブラウ

ンがゲロッパ!ゲロッパ!歌う同じくデパートのCMや、勝新太郎がコカインをパンツに隠しているところを空港で捕まり一瞬でお蔵入りしたビールのCMや、井上陽

水が車の助手席からカメラに向って、お元気ですかー?と不敵に笑う車のCMをはじめ、センスのいいCMを数多く手掛けていた広告業界では知らぬ者がいないほど有

名な気鋭の実力派(ある意味ブランド)プロダクションでもあったから、37年というゴッホや太宰治とほぼ同じ短命で幕を閉じたことは少しばかり残念に思うところで

あるが、何度も繰り返す通り、私は27歳の時に藝術家になる!と偉そうに啖呵を切り、もう広告なんてやってられっかよ!バーカ!バーカ!バーカ!バーカ!と唾吐

きかけて会社を辞めて以来一切の関係がないため、正直どうでもいい話と言えばどうでもいい話ではあるものの、やはり自分が20代初めに大学を辞め飢えた野良犬の

ごとく街をフラフラとうろつきまわっていた時にたまたま縁があって拾ってもらい一番最初に生業として就職した会社でもあるがゆえ、どうでもいい話と簡単に捨て

切れぬような複雑な心境というのが本音ではある。特に印象的な内田裕也がスーツ姿で泳ぐCMなどは今Youtubeで見てもまったく古びておらず、惚れ惚れするほどカ

ッコよく素晴らしい出来栄えで、まさに日本の広告における金字塔の一つと言っても過言でなく、内田裕也自らが企画しておきながらいざ撮影現場で怖気付きやっぱ

りやりたくねえと突然ゴネ出したところを無理やり水中に突き落として撮影したという心温まるほのぼのエピソードも含め最高であり、1980年代以前のCMの中には

もはや藝術作品と呼んでも差し支えないほどクオリティの高いCMも数多く、それらに比べバブルがはじけた後の1990年代から今現在に至っては正直正視に耐えられ

ぬほど、見ているこちらが気恥ずかしくなるほど、クオリティが劣化した「幼稚」で「下品」で「ダサい」CMばかりで(注意深く観察すれば、この悪の枢軸「幼稚/下

品/ダサい」が三種の神器のごとく三つ揃いですべてに当て嵌る)、あまりの酷さに何だかもう腹が立って仕方がなく哀しくなってきてしまうけれども(例えば内田裕也

のCM繋がりで言えば、晩年の内田裕也に対する敬意など微塵もなく色物芸人扱いで笑い者にしてバカにしたおふざけCMなどは目も当てられぬほど酷い出来であり、

本人も承諾の上で出演したのだろうが、あんな晩節を汚す姿などできれば目にしたくはなかった)、もちろん懐古主義に走る気はさらさらなく、昔のCMがすべて良か

ったわけでもなく、ダメなCMもたくさんあったはずだが、1980年代以前のCMは今見てもきちんと感動できるものもあるのに、1990年代以降のCMに心動かされるこ

とはほとんどなく、今現在に至っては良いと思えるCMが1本もない。驚くほど1本もない。もしかしたら探せば1本くらい見つかるのかもしれぬが、私はもう随分と前

から日常的にTVを視聴しておらず、CMに触れる機会は電車や街角やインターネットのみであり、それにわざわざ探してまでCMを見たいとも思わない。この差は一体

どこから来るのであろうか?理由は色々考えられるだろうが、まず1980代以前のCMはフィルムで撮影しフィルムで編集しフィルムで納品していたためその一瞬一瞬

にかける緊張感が今とは比べものにならぬほど強く深く映像に焼き付けられており、対して昨今のCMはCG技術にあまりに依存し過ぎており、CGで誤魔化したイン

チキまやかし映像から本物の驚きや感動が得られるはずもなく、つまりは制作者の本気度(真剣さ/誠実さ/切実さ/パッション)の違い、つまり作り手が本当に魂込めて

やりたいことをやっているのかどうか、本当に表現したいと思うことを覚悟を決めて身を賭して表現しているのかどうかの違いなのではないかと私は考えるが、もち

ろん今だって常に本気で真剣に仕事に臨んでいるよと反論する現役CM制作者たちも出てこようが、そういう者たちには、真剣に本気を出してその程度のものしか作

れないのかと冷徹に吐き捨てる他ない。また、最近のCM制作者たちの中には、本当は面白いものを作れるがバカな視聴者のレベルに合わせ面白過ぎないように作っ

ていると平然と嘯く者や、また、面白いと思えないのはそれはあなたに向けて作られていないからだよと論点をずらし逃げる者や、他にも、メディアにクリエイター

としてアホ面を晒しておきながら、おそらくは照れ隠しのポーズとして、もしくは本当に才能がないから予防線を張っておくため、自分には才能なんてまったくあり

ませんよ、CM制作に才能なんて必要ありませんよ、本気出してどうするんですか、そういうのは暑苦しくてカッコ悪いですよと無責任に宣う者も見受けられるが、

そんなのはただ苦し紛れの詭弁を弄し自分たちの才能のなさを誤魔化しているに過ぎず、客観的に見てCM全体のクオリティの劣化は火を見るよりも明らかである。

さらに、身も蓋もなくなるが、もしかしたらそれは映画を観たり小説を読んだり音楽を聴いたり本物の藝術作品に触れ心の底から感動した経験のない人間がCMを作

っているからなのかもしれない。心の底から本気で何かに感動した経験のない人間に誰か他人を感動させることなど臍で茶を沸かすくらい難しいことではないのか。

そもそも人間がまったく描けていない。描こうともしていない。まるでロボットやAIがオートメーションの右から左へと流れ作業で作っているかのごとく人間味に乏

しい。ただ有名だけが取り柄の流行りのCMタレント(素人アイドルお笑い芸人からハリウッド俳優に至るまで)を人形扱いし血の通わぬ軽薄で幼稚なセリフを言わせ

「お人形さんごっこ」に興じ、学芸会/お遊戯会のごとく関係者のみが内輪で喜んでいるに過ぎない。まるでオールスターかくし芸大会の寸劇や欽ちゃんの仮装大賞の

ごとく。大の大人が仮装してお遊戯会に興じる姿ほど恥ずかしいものはこの世に存在しない。それはレストランで大の大人がお子様ランチを食べているようなもので

ある。俺たち面白いもの作ろうとしてますよ!ほら面白いことやってるでしょ?このいい加減で軽薄なおちゃらけ感覚サイコーにイケてるでしょ?イェイ!イェイ!

イェイ!のイェイ!イェイ!イェイ!というのは何となく伝わってくるが、実際はまったくもって面白くも何ともなく、ただギャーギャーと喧しく迷惑千万以外の何

物でもない。そもそも広告など本来この世になくてもまったく困らぬ余計な邪魔者であり、チンドン屋や暴走族や廃品回収トラックやバニラトラックや焼き芋屋と何

らの変わりがない。あんたらの作った作品とやら(そもそも作品ではないと思うが)など見たくもない。出演者や制作者にとってはべらぼうに高額なギャランティを得

られるおいしい仕事でもあるからやり甲斐も見出せようが、それを無差別暴力的に公共の電波に垂れ流されて見せつけられる視聴者の身にもなってもらいたい。需要

と供給の関係があって誰かにとっては必要とされ誰かがやらなければならぬ仕事(文化的雪かきby村上春樹)でもあり、その存在を全否定するつもりもないが、せっか

く大金かけて作るのならばもう少しだけマシなものが作れぬものか。作り手としてのプライドは保てているのか。金さえ儲かればそれで良いのか。それで表現者とし

ての心は満たされるのか。些か言葉がキツくなり過ぎたきらいもあるが、昨今のCMのクオリティが劣化していることは誰の目にも明らかなはずであり、そこから目

を逸らし見て見ぬ振りしていればやがて行き着く先は破滅以外にない。いっそのこと滅んでしまえばよい。そんなことを言うならお前が面白いもの作ってみろ、喧嘩

売ってんのか、コラッ!と凄む手合いも現れるかもしれぬが、たしかにそこを突かれると急に声が小さくなり口ごもってしまうわけだけれども、私はすでに広告業界

とは一切無関係であり、そもそもCMなど自分が作る意味がなく、作りたくはないから、広告業界から潔く足を洗ったわけであり、私には自分の中にきちんと表現し

たいものがあり、広告の中で自己表現するのは邪道であると悟り、今後は自分の作品を作って世を渡って行く覚悟を決め、現在は自分の作品として面白いものを作る

努力を日々重ねており、本来ならば余計なことなど言わず大人しく黙っておけばよいものを、時たま目にするCMに目に余る酷さがあるがゆえ、また昔はたしかに面

白いCMを作れていたのになぜ今は作れないのかという単純な疑問を常々私は抱いてもいるがゆえ、元広告屋として負け犬の遠吠えのごとく老婆心ながらに苦言を呈

すまでである。そしてもちろん、この劣化傾向は、フランク・ザッパのバンド名から弁当屋チェーン店のパチモンみたいなダサい名前(同じく頭文字M)に変わってし

まった会社に関しても時代の流れには到底逆らえず、会社のWEBサイトを見る限り、制作するCMのクオリティが目に見えてガタ落ちしている印象を拭えず、何かし

ら深刻な問題を抱えていることが傍目にも窺えるが、私が勤めていた1990年代にはまだ優秀な社員も少なからず在籍し、一流プロダクションとして制作するCMのク

オリティを十分保てていたものの、徐々に優秀な社員が独立して辞めていった結果(現在いる社員で私の知る者はほとんどいない)、制作物のクオリティが見るも無惨

な有様となって、一流プロダクションから二流をあっさり素通りし三流プロダクションにまで成り下がってしまった哀しい姿に他人事のように心配していたところで

もあった。世の中の変化や時代の流れにより、広告という仕事がもはや花形の職業でなくなり、一昔前までならば情報操作や印象操作を駆使し視聴者を騙し通せてい

たものが、広告業界全体の衰退や広告制作物の劣化に伴い、また東京五輪一連のゴタゴタ騒動などにもより、化けの皮が剥がれ醜悪な地金が現れ、広告という活動が

本質的には詐欺師同然の賎業で、所詮は粗悪品を濫造し暴利多売で押し売りし狡賢く金儲けするインチキ商売に過ぎぬという「不都合な真実」がすっかり世間に露呈

してしまい(元広告屋の私が近親憎悪から広告が大嫌いなのは言わずもがなだが、世間の多くが実は広告が大嫌いだったと知り正直驚いたものである)、そして広告業

界が嫌われ者の斜陽産業と成り果ててしまった現在、主要な仕事は大手のプロダクショングループがごっそり独占する中で小さなプロダクションが生き残っていくの

は相当厳しい時代なのかもしれない。私はウブで世間知らずなボンクラの21歳で何かの間違いから偶然広告業界に飛び込んで以来もう長きにわたり広告という仕事に

対し根本的かつ生理的な不信感不快感および嫌悪感を抱き続けており、今現在は広告と聞くだけで拒絶反応が出てしまい、どんなに趣向を凝らした蹴たぐりも猫だま

しもこけおどしも、かりそめの美しさも感動ポルノ物語も、それが広告だとわかった時点で一気に冷めてしまい、広告なんて下品な代物は見るだけでも心が汚れ頭が

バカになると自己暗示をかけてすらいるほどに重度の広告アレルギーを拗らせてしまっているが(例えば、無料映像サイトで強引に割り込んでくるCMに殺意を覚える

ことなどは日常茶飯事で、また広告を見たくなければ有料プランに乗り換えろという手口などはまさに店の前に汚物をバラ撒かれたくなければ金寄越せと脅迫してく

るチンピラヤクザそのものであり、今まで自分は仕事で汚物を作ってきたわけか、何と恥知らずな仕事をしてきたものか、これはもう賎業や迷惑行為と呼ばれても致

し方あるまいと居たたまれなくなるばかりだが)、ただし、このフランク・ザッパのバンド名から弁当屋チェーン店のパチモンみたいなダサい名前(同じく頭文字M)に

変わってしまった会社自体に対する私の率直な思いを述べるならば、特別な恨みやつらみなど負の感情を私は一切持ち合わせておらず、むしろフリーランスになって

から出入りし垣間見た他のTV-CMプロダクションの悪辣な内情と比するに、大変社員思いで金払いの良いまともな会社であった(ただし私はまともじゃなかった)と今

ではしみじみと思うし、世話になっておきながら若気の至りの手前勝手な都合から唾吐きかけて突然辞めてしまったことに対し少なからず申し訳なさすら覚えてもい

るが、私が無責任に何かを思いここに何かを書き、なくなってしまったものを嘆いてみてもそれは詮なきことであり、いや正直に言えば実際はそれほど嘆いてもおら

ず、もちろん喜んでもおらず、怒ってもおらず、哀しんでもおらず、楽しんでもおらず、ただ少し残念に思うばかりであり、それは無理やりにたとえてみるならば、

昔小中学校時代に片思いしていた初恋のクラスメイトの女の子や、昔可愛がってもらった記憶がある近しい親戚の訃報に不意に触れたような、淡々と冷たい感覚に近

いのかも知れぬが、しかし私の中では確実に何かが終わってしまったような喪失感を少しばかり覚えたことだけは否定もできぬのだった。祇園精舎の鐘の声、諸行無

常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

……

何をやってもさっぱり上手く行かぬ己の人生を世の中や他人に責任転嫁してばかりいるのは甚だ不恰好かつ卑怯なことであって、まったくもってそれはどうかともち

ろん私も思うから、これは決して愚痴や泣き言や、ましてや悪口陰口でもなく愚かな自分自身が体験した笑い話の一つであると明言した上で書いていくことにする。

広告業界に限らず古今東西どこの業界でも多かれ少なかれある話とは思うけれども、世の中には、フリーランスという後ろ盾のない弱い立場の人間や仕事を受注する

側の人間に対し足元を見て舐めた対応を取る、つまり権威を笠に着て弱い者イジメをする、昨今流行りの言葉で言えばパワーハラスメントやコンプライアンス違反行

為をする、社会的に強い立場の、仕事を発注する側の人間が多数存在する。もちろん、そういった対応を一切取らないフェアな人間がいるのも事実だろうが、残念な

がらフェアでない人間も現実的に多数存在するのである。次回また機会があれば必ず仕事を発注するつもりだからと口約束だけして今回だけは申し訳ないがこれでご

勘弁願いたいとギャランティを法外に値切ってきたり、むしろギャランティを払ってもらえるだけでもラッキーで一銭も払わずにトンズラ決め込んだり、企画を依頼

しておきながら通らなかったアイデアごときになぜに金を払わなければならぬのだと平然と踏み倒したり、他人のアイデアをこっそりネコババ・ヨコドリしたり知ら

ぬ間に勝手に切り貼りして利用したり、ある企画打合せで誰かが出した企画アイデアを何食わぬ顔して他の自分の仕事に流用したり、他人の営業ツールの仕事サンプ

ル集から堂々と企画アイデアをパクりまくったり、弱い立場の人間だから文句は言ってこないだろう、もしも文句を言ってきたとしても権力を使ってねじ伏せてやれ

ばいいんだ、万が一パクリがバレてもアイデアに著作権はないのだから自分で考えたと主張し押し通せばそれでよろしいなどと高を括り、法的には問題ないが倫理的

道義的には大いに問題のある絶妙な線を巧妙についてくる下品で悪賢い輩どもである。他人の才能やその成果に対し最小最低限の敬意を表さず配慮も示さず蔑ろにす

る下品で鈍感な輩どもである。驚くことにそういう輩どもは広告業界内で一流クリエイターなどと呼ばれ上位にふんぞり返っている者の中にも多数存在する。そもそ

も、広告という活動は他の純粋な藝術作品(映画/小説/音楽など)と違って匿名性を帯びているのが特徴の一つであり、外に制作者の名前が直接出ないことをいいことに

それを隠れ蓑にしてパクったとしてもバレやしないと不当な行為が平然と繰り広げられる無法地帯であり、私もフリーランスという後ろ盾のまったくない立場で広告

業界に身を置いていた間に、もう数えきれぬほど、もううんざりするほど、もう呆れるほど、もう嫌気がさすほど、散々そういう理不尽で酷い目に遭い続けてきたも

のだが、もしも文句を言おうものならば二度と仕事をもらえなくどころか業界から干される可能性すら出てくるのが目に見えているため、弱い立場の人間は怒りをグ

ッと噛み砕き飲み下し犬や奴隷のように媚びへつらう他になすすべもないのである。ただし、そういう下品で卑しいマネをする輩どもの名前と醜い顔を私は決して忘

れることはなく、人間社会における基本的なルールやモラルを守れぬ人間は(親の顔が見てみたいレベルで)心の底から軽蔑する。他人の気持ちや後先のことはまった

く思い遣れずにただ己の目先の欲を安易に満たすことだけに汲々とするような、まるで犬猫豚畜生のような者たちにどうして人間の心を動かせるものが作れるという

のか。どんなに有名な仕事を数多く手掛け、どんなに有名な広告賞を受賞し、どれだけ広告業界で誉めそやされ下駄履かされて持ち上げられていようが、そういう下

劣な品性の者たちに何かを表現する資格などは断じてない。ようするに、思いっきり舐められてしまっているわけだが、もちろん、舐められたくなければ舐められな

いようなそれ相応の舐められない結果を出し自分もそれ相応の舐められない程度の権力を持つ立場を目指せばよいだけの単純な話なわけだけれども、話はなかなかそ

うそう簡単には行かぬものであり、弱肉強食と言えば随分とカッコよくも聞こえるが、どこもかしこも権威主義が蔓延り世渡り上手な狡賢い連中が幅を利かせ大手を

振るって歩く醜く腐り切った世界においては、昔からそういう世の中の仕組みになってしまっているのだからこればかりはもうどうにも仕様がないのだと諦めて、辛

酸を舐めさせられて煮湯を飲まされてはハラワタを煮えくり返らせ続けるのみである。さらに私個人に関して言うならば、21歳の時に何かの間違いからか偶然広告業

界に飛び込んでからというもの、私はもう長きに渡り広告という仕事に対して根本的かつ生理的な不信感不快感および嫌悪感を抱き続けてきており、おそらくその私

自身の広告という仕事を一切信用せず忌み嫌っている舐め腐った醜い心が自然と表(言動や態度)にもしっかりと滲み出てきてしまっているがために、それがそのまん

ま自分自身に跳ね返ってきてさらに醜い人間たちを自分の周りに引き寄せてしまい結果としてよりいっそう他人から舐められてしまうというもう救いようもなく悲惨

なループに陥ってしまっている可能性(ようするに自業自得)があることをあながち否定もできぬのだったが。もちろん、広告という仕事が嫌ならばきれいさっぱりさ

っさと足を洗って他の業界に行くか、自分の持てる力を100%発揮できる、正々堂々胸を張って自分の作品だと主張できるような、100%自分自身を投影させた藝術作

品を生み出して世を渡っていけばよいだけの話であり、それが頭でわかっていながら、何とも煮え切らずにみっともなくも、しみったれた屈託を心に抱え、2005年夏

に絵を描きはじめる以前までの私は広告業界の片隅にひっそりと身を置き細々と仕事を続けてきたわけである。その後、私は絵を描きはじめるようになり広告業界か

ら完全に足を洗い出版業界のエディトリアルの仕事も手掛けるようになったが、出版業界の仕事は広告業界ほどべらぼうにギャランティが高いわけではないものの、

そのかわり広告業界にいた頃よりも理不尽で酷い目に遭うことも明らかに少なくなったように思う。もちろん私が見た限りではと前置きした上で、広告業界と出版業

界との根本的な違いはどこにあるかといえば、制作物におけるクレジット記載の有無による責任感や、自分の手掛ける仕事に対する矜持や、他人の才能やその成果に

対する敬意や配慮の差にあるように思う。もちろんそれは僅差であるかもしれぬが、出版業界のほうが(広告業界よりも)、自分たちは藝術作品の一端を担っていると

いう確固たるプライドを胸に仕事に臨んでいるゆえだろうか、他人の成果物(私の場合は絵になる)に対して敬意や配慮をもって大切に接してもらっている気がする。

さらにこれは邪推かもしれぬが、広告業界は(出版業界よりも)制作費として取り扱う金額が大きく、それゆえギャランティもべらぼうに高いため、その金の匂いにつ

られて、まさに道端の犬の糞にたかる糞蠅のごとく、卑しい人間がよりたくさん集まってくるのかもしれない。そして、何度もしつこく繰り返すが、私は27歳の時、

坂口安吾の小説『白痴』にまんまとそそのかされて、藝術家になる!と宣って、もう広告なんてやってられっかよ!バーカ!バーカ!バーカ!と広告業界から一旦足

を洗ったにもかかわらず、その後は藝術活動など一切はじめようとはせず、落書き1枚すらいたずらに描き散らかすこともなく、自堕落な放蕩無頼、無為徒食の生活

をしばらく続けた末、とうとう金に困って路頭に迷い、28歳の時、再びブザマにも広告業界に舞い戻ってしまい、そのバチが当たったものか、二度目に就職した映像

企画制作会社では悪徳社長とケンカをし不当解雇の憂き目にも遭い、にもかかわらず、その悪徳社長の鼻をいつの日か明かしてやらんと、はたまた、もしかしたら自

分も広告業界でいつの日にか一花咲かせ有名になって金儲けができるのではないかと不毛な夢を見て、広告という仕事を忌み嫌っているくせに、濡れ手に粟のあぶく

銭に目がくらみ、そのままズルズルダラダラと広告の仕事にしがみつき、さらにはそんなふうに広告の仕事を嫌々こなす不甲斐ない自分自身に対する嫌悪感も相まっ

て、その頃の私は日本の広告業界に対し心底うんざりしていたものであった。その私自身が長年心の奥底に抱え続け、ことあるごとに口が酸っぱくなるほど言葉にし

てきた広告業界に対する筋金入りの不信感不快感および嫌悪感は、近年の東京五輪一連のゴタゴタ騒動が見事な集大成となってようやくしっかりと可視化され世間一

般にも広く周知され、私の先見の明(いや皆大人だからわかっていてただ口に出さずにいただけか)がきちんと証明されたようにも思っているが、東京五輪一連のゴタ

ゴタ騒動を見てもわかる通り、あの恥ずかしい開会式を見せられ皆どんな気持ちでいるのであろうか、もしもあれを見て何とも感じぬのならば心がもう死んでしまっ

ているに相違なく、さらに世界中に日本の恥を晒しておきながら誰一人として責任も取らず、ある意味では広告業界の全体責任とも言える醜態にもかかわらず、なぜ

だか広告業界では一種のタブーとなってしまっているようで、批判する者もなく、総括されることもなく、うやむやのまま厚顔無恥な当事者たちは何らのお咎めもな

く(ポーズとしての辞任や謝罪はしたが)、人の噂も75日と完全には干されることもないまま、いまだ広告業界の第一線で何食わぬ顔して平常運転の仕事をしており、

たしか開会式の演出担当の女性が企画アイデアを勝手に切り貼りされ仕事を乗っ取られいつの間にか仕事から外されていたという明らかなパワーハラスメント行為の

被害に遭った際「このままでは日本は終わってしまう」と警鐘を鳴らしていた記憶があるが、それは「終わってしまう」のでなく「もうとっくの昔に終わっている」

が正解なのではなかろうか。もっとも、広告屋たちはクライアント企業から金をぶん取れなくなると商売あがったりで生活に困ってしまうから、日本の広告はとっく

の昔に終わって死んでしまっているのにもかかわらず、自分たちも本心ではそう思っているのにもかかわらず、広告はまだ終わっていない!まだ死んでいない!ドン

ギブアップ!などとメディアにアホ面晒して喚き散らかしている。どこぞの新興宗教の教祖がもうとっくの昔に死んでいるのにまだ生きていると嘘をつき続け、嘘も

100回唱えれば真実になると本気でそう信じ込んでいるかのごとく、広告はまだ終わっていない!まだ死んでいない!ドンギブアップ!とバカの一つ覚えを虚しく喚

き散らかし、聞いているこちらまで何だか虚しくてなってくる。幼稚で下品でダサい人間が権力を握ればその業界全体が幼稚で下品でダサくなるのは必然で、頭が腐

れば全部が腐るわけである。そもそも、広告屋たちは純粋に良いものを作ろうだなんて思っていやしない。口ではそう言っているかもしれぬが、私も昔はすっかりそ

う信じ込んでもいたが、実際は目立つものを作って広告賞を獲ってとりあえず有名になって仕事が途切れずさらに増えればそれでよし、心の底では金さえ儲かれば、

何でもあり、やったもん勝ち、目立ったもん勝ち、楽しんだもん勝ちのさもしい世界なのである。そんな日本の広告業界に対する私自身の筋金入りの嫌悪感が、まさ

か後年の東京五輪一連のゴタゴタ騒動によって具現化されることになるなどとは夢にも思わず、当時まだ絵を描きはじめる前(2005年以前)の私は、まさに坂口安吾が

『白痴』の中で言うところの賤業中の賎業であり、虚業中の虚業であり、その頃も今と変わらず私の目には醜く腐り切って見えもうほとんど死んでいた日本の広告業

界に対し心底うんざりしていた。そんな醜く腐り切った死に体の日本の広告業界などとっとと滅びてしまえばいいのだと私は本気で思っていた。それどころか人類や

世界など地球が爆発してみんな木っ端微塵になってとっとと滅びてしまえばいいのだとすら私は本気で思ってもいた。いつ頃から地球が爆発してしまえばいいと思っ

ていたのか、おそらくは物心つく頃からすでに私はそう思っていたような気もするが、そしてもちろん何をやってもまったく上手く行かず行き詰まりの連続の己の人

生に対しても私は心底うんざりしていた。死ぬ勇気などさらさらないくせに、自分自身をももちろん含めた人類や世界など地球が爆発してさっさと滅びてしまえばい

いのだと決して冗談でもなく私は本気で思っていた。この世に生きることがどんなにつらくとも、生きとし生けるもの皆最後はいつか必ず滅んでしまうのだと思うと

私は束の間ホッと慰められるのだった。当時20代終わりから30代頭にかけてのまさに暗黒時代にいた私は、一度足を洗いすぐにまた舞い戻ってしまった日本の広告業

界の片隅にひっそりと身を置きながら、決してメジャーな存在とはなり得ずとも、私の考え出す企画アイデアにはマニアックな独創的な面白さが満ち溢れていたため

(その独創性が却って足枷となり企画がなかなか通りづらかったのも事実だが)、単純にそこそこ面白く魅力的であったため、一緒に面白いものを作ろうと声を掛けて

くれる人たちも周りに現れ、競合プレゼンを勝利に導き結果を出し安い制作費で良質な制作物を提供し相手の信頼を得るなどしながら少しずつではあるが広告業界の

ごくごく一部においては仕事の評価もある程度は獲得できていたものの、それでもやはり私自身の心の奥底に長年巣食う広告という仕事に対する根本的かつ生理的な

不信感不快感および嫌悪感を払拭することは土台難しく、常にクライアントの顔色をジロジロと窺って主体性の欠片もなく魂を売りまくり、広告という匿名の安全圏

でCMタレントに珍奇なことをさせたり言わせたり失笑を買い自己表現した気になって気持ちよくなって自己満足しているようなこっ恥ずかしさや、あらかじめ決ま

っている枠に表現したくもないものを無理やりに表現し何千万何億という莫大な予算をかけて愚にもつかぬ薄っぺらなくだらぬものを作る虚しさや、どんなに面白い

ものを作ろうがとどのつまりは企業の手先となり大衆を洗脳し消費者の欲望をみだりに煽りまくっているに過ぎぬ卑しい世界や、別に大したものを作っているわけで

もないのに奴隷の鎖自慢大会のごとく内輪で褒め合い馴れ合い戯れ合い自分たちの才能のなさを見て見ぬ振りして誤魔化し、万が一不祥事が起これば内輪で庇い合い

傷を舐め合い互いの既得権益をがっちり守り合う無責任で卑怯な世界や、口先だけのあざとい言葉で表現される心貧しき綺麗事だらけの嘘っぱちな世界や、そもそも

の話、やはり広告という匿名の安全圏で自己表現するのはおかしいことではないのか、それは卑怯なことではないのか、それはまるで他人の褌で相撲を取るようなも

のであり、邪道ではないのか、ならばそれならば、とにもかくにも、己の持てる力を100%発揮した、正々堂々胸を張り己の作品だと主張できるような、100%己を投

影させた藝術作品を生み出し世を渡って行くべきではないのか、さもなくば自分は一生報われることはなく、生きている価値もなく、この世に生まれ落ちて来た意味

もなくなってしまうのではないのか、そんな当たり前のことはとっくの昔から骨の髄まで身に染みてわかり切っていることではないのか、だからこそ27歳の時に藝術

家になる!と宣って広告業界から足を洗ったはずなのに、再びブザマにも広告業界に戻ってきてしまうなんて愚の真骨頂ではないのか、自分の手掛けたCMがTVに流

れる瞬間は何かを成し遂げたような気にもなるが、それはただ単に他人のために他人の金を使って他人のものを作っているに過ぎず、結局は自分の表現などではなく

て、結局は何も表現していないに同じこと、結局は自分の作品でも何でもないだろう、CMなど誰が作っても結局は同じで、そんなものは別に自分が作らなくともよ

いわけで、他人が作れるものは他人に任せて、他の誰でもない自分にしか作れぬ独創的な藝術作品を自分の身を削り人生を賭して全身全霊で表現していかなければな

らないのではないのか、などなどなど、そんな数多の屈託を暇さえあれば頭の中で無限にループさせ、坂口安吾が言うところの賎業中の賎業に身をやつし、仕事を金

と割り切ることもできず半端な状態で作り手としてのプライドも保てず、私は醜く腐り切った日本の広告業界の片隅で日本の広告業界に対して心底うんざりしている

のだった。そしてもちろん、藝術家になる!と宣って会社勤めを辞めておきながらいまだ藝術活動など一切はじめようともせず広告業界の片隅で悶々とくすぶる不甲

斐のない自分自身に対しても心底うんざりしているのだった。私の心の中に住む坂口安吾が私に対し四六時中、お前は藝術家になるんじゃなかったのか?27歳のあの

時、俺の『白痴』を読んで、藝術家になる!と高らかに宣言したのはただのパフォーマンスに過ぎなかったのか?お前は藝術作品を表現しなければただの人間の屑に

過ぎず存在価値などまったくないのだぞ、お前の藝術は一体どこへ行ってしまったのだ?お前は一体どこへ向かっているのだ?としきりに責め立ててくるのだった。

……

上海行きに誘われたのはちょうどそんな頃であった。2004年正月明け、私が32歳になるかならないか、その頃の私はまだ絵を描きはじめてはおらず、何度もしつこく

繰り返すように、広告業界の片隅にひっそりと身を置き悶々とくすぶりながら醜く腐り切った日本の広告業界に対し心底うんざりしていた。上海に行ったのは別に上

海に行きたかったわけではなく、ただ単にたまたま誘われたところを何となく勢いで承諾してしまったからに過ぎなかった。でももしかしたら「上海(シャンハイ)」

という言葉の持つ異国情緒に溢れる不思議な響きにどこかしら惹かれたのかもしれない。もしかしたら上海に行けば自分の中で予期せぬ化学反応が起きて自分の人生

が良き方向へと劇的に変わるのではないかとまるで自分探しの旅のごとくに都合の良い仄かな希望を抱いていたのかもしれない。北京だったらおそらく断っていたに

違いない。南京でも天津でも大連でも西安でも武漢でも重慶でも香港でもマカオでもソウルでも平壌でも台北でもウランバートルでもおそらくは断っていただろう。

それくらい当時の私にとって上海という言葉は格別に魅力的に映ったわけである。もちろん、心底うんざりしていた日本の広告業界からしばらく遠く離れて異国の地

でのんびり息抜きしたいといったのんきなバカンス気分の思惑も当然あったかと思う。日本でのすべてをかなぐり捨てて上海という新たな異国の地で自分の人生を一

からやり直すという意味では、日本を捨てて上海という女と駆け落ちするようなそんな感覚だったのかもしれない。そして、結局この上海行きのゴタゴタに巻き込ま

れたことが巡り巡ってあとに皮肉なことに私が広告業界から完全に足を洗うきっかけとなるのだから世の中何が起こるかまったくわかったものではない。詳細は後に

書くつもりだけれども、この上海行きにまつわる金銭トラブルに巻き込まれた私は、もう本当に心の底から広告業界という虚しい世界や広告屋という卑しい職業やそ

こに蠢く金に汚い醜い人間たちのことが今までにも増してもう我慢の限界を超えるほど嫌になってしまって、さらに加えてちょうどその頃(2005年夏に)たまたまなぜ

だか理由もわからずただ突発衝動的に私は絵を描きはじめ、ようやく重い腰を上げ藝術活動と何とか呼べるような活動を開始したことも追風となり、今度の今度こそ

は広告業界から完全に足を洗う決意を固め、そして私はそれをきちんと実践し今現在に至るというわけである。もちろん、上海に行って良かった思い出も少なからず

あったはずなのだけれども、もうかれこれ20年近くも前の出来事であるゆえ今ではほとんど忘れてしまっていて、というか、記憶を無理やり消去しようと意図的に務

めたため正直に言えばあまり覚えてはおらず、おぼろげな記憶の断片を探して繋ぎ合わせて頭の中のスクリーンに映し出し再生する数少ない上海に行って良かった思

い出と言えば、たまたま上海に携えて行き現地で暇つぶしに読んだ2冊の本(武田泰淳『滅亡について』と『蝮のすえ』)を上海滞在中に読めたことであっただろうか。

この2冊の本は深沢七郎や色川武大を発掘し武田百合子の夫としても有名な小説家の武田泰淳が第二次世界大戦の敗戦を上海にて迎えた体験を題材に書いた作品であ

り、特に『滅亡について』のほうは、当時の私が心に抱えていた広告業界に対するさっさと滅びてしまえばいいのだという滅亡思考や、それどころか自分自身すらを

も含めた人類や世界など地球が爆発してとっととみんな滅びてしまえばいいのだという破滅願望とも絶妙にマッチし、さらに上海という慣れない異国の地での生活に

おけるフラストレーションとも共鳴し、当時の私の病み腐り荒み切った心にビンビンと訴えかけてきて大いに慰められ救われもしたものであった。「私個人の経験で

も、死んでもかまわない、と放言しても、やはり死にたくはない。自分自身に関するかぎり、不吉の予言より、少しは吉の方がよい。幸福などあるまいと考えても、

全くの不幸はおそろしいのである。滅亡を感じ、悲惨を予感するのは、深刻であり、哲学的であるから、深刻であり哲学的であるために、ことさらこのような思念に

溺れようとはするが、それでいて滅亡悲惨はどんな小さいものでも、顔面のカスリきず、腹中の蛔虫まで気にかかるのである。それでいて、ともすればこの不吉な言

葉にふれたがるのは何故だろうか。それを目撃し、それに直面したがる、この映画見物者的な状態は何であろうか。終戦後二、三日はまだ南京路の群衆の怒号や、バ

ンドの旗のひらめきなどに気をとられて、敗戦が身について来なかったが、フランス租界にはなれ暮らしている友人を訪ね、その苦しげな表情、どんなに無心でいよ

うとしてもつい歪んで来る表情に顔つきあわせてみると、次第に自分の内臓の動きが、一つ一つ耳にしみて来るほど、空虚なしずけさに沈み込まぬわけにはいかなか

った。ドイツ系ユダヤ人と同棲している友人のアパートは、ロシア人や中国人ばかりなので、勝利を祝ってか、隣の部屋部屋では朝から賑やかなレコードをかけてい

る。アメリカの飛行機が青黒い胴体を見せながら、何回も何回も頭上に舞いおりてくる。その爆音が近づくたび、下の緑の芝生では、金髪の少年少女が楽しげに叫び

ながら、空を見上げて旗をふる。その部屋からすぐ向うに見える十数階のアパートの窓々はみな開かれ、ぜいたくな室内の家具の間から、はなやかな服装をした各国

の男女たちが、手やハンケチをふるのが手にとるようにわかる。爆竹の音、歓声、その他色めきたった異国の街の空気が、私たちの胸の空虚なしずけさを包囲してい

る。神経質に部屋を歩きまわっていたドイツ女は『悪い月よ、早く去れ』と英語で言う。私と友人は気まずそうに顔見合わすばかりである。悪い月が去っても、悪い

日々が、悪い年々が来るであろう。月日は悪くなくなっても、我々の悪さはかわらないであろう。何故ならば、今や我々は罪人であるからだ。世界によって裁かれる

罪人であるからだ。その意識に反撥するため、私たちは苦笑し、から元気をつける。そして、歓喜の祝福からのけものにされたどうしが、冷たいしずけさ、すべての

日常的な正しさを見失った自分たちだけのしずけさの裡に、何とかすがりつく観念を考えている。するとポカリと浮び上って来たのは『滅亡』という言葉であった。

おごれる英雄、さかえた国々、文化をはな咲かせた大都会が亡び、消え去った歴史的現象を次から次へと想いうかべる。『聖書』をひらき、黙示録の世界破滅のくだ

りを読む。『史記』をひらいては、春秋戦国の国々が、滅亡して行く冷酷な、わずか数百字の短い記録を読む。あらゆる悲惨、あらゆる地獄を想像し、想起する。す

べての倫理、すべての正義を手軽に吸収し、音もなく存在している巨大な海綿のようなもの。すべての人間の生死を、まるで無神経に眺めている神の皮肉な笑いのよ

うなもの。それら私の現在の屈辱、衰弱を忘れ去らしめるほど強烈な滅亡の形式を、むりやり考え出してはそれを味わった。そうすると、少しは気がしずまるのであ

った。滅亡は私たちだけの運命ではない。生存するすべてのものにある。世界の国々はかつて滅亡した。世界の人種もかつて滅亡した。これら、多くの国々を滅亡さ

せた国々、多くの人種を滅亡させた人種も、やがては滅亡するであろう。滅亡は決して詠嘆すべき個人的悲惨事ではない。もっと物理的な、もっと世界の空間法則に

したがった正確な事実である。星の運行や、植物の成長と全く同様な、正確きわまりなく、くりかえされる事実にすぎない。世界という、この大きな構成物は、人間

の個体が植物や動物の個体たちの生命をうばい、それを噛みくだきのみくだし、消化して自分の栄養を摂るように、ある民族、ある国家を滅亡させては、自分を維持

する栄養をとるものである。戦争によってある国が滅亡し消滅するのは、世界という生物の肉体のちょっとした消化作用であり、月経現象であり、あくびでさえあ

る。世界の胎内で数個あるいは数十個の民族が争い、消滅しあうのは、世界にとっては、血液の循環をよくするための内臓運動にすぎない。この運動がなくなれば、

世界そのものが衰弱し、死滅せねばならぬのかもしれない。私たち人間は個体保存の本能、それが発達して生れた種族保存の本能のおかげで、このような不吉な真理

をいみきらい、またその本能の日常的なはげしさによって、滅亡の普遍性を忘れはててはいるが、しかしそれが存在していることはどうしても否定できない。世界自

身は自分の肉体の生理的必要をよく心得ている。それ故、彼にとっては、自分の胎内の個体や民族の消滅はべつだん、暗い、陰気くさい現象ではない。(誰が自分の食

べた食物が消化するのを悲しむだろうか。) むしろきわめて平凡な、ほがらかな、ほとんど意識さえしないいとなみの一つである。私はこのような身のほど知らぬ、

危険な考えを弄して、わずかに自分のなぐさめとしていた。それは相撲に負け、百米に負け、数字で負けた小学生が、ひとり雨天体操場の隅にたたずんで、不健康な

眼を血走らせ、元気にあそびたわむれる同級生たちの発散する臭気をかぎながら『チェッ、みんな犬みたいな匂いをさせてやがるくせに』と、自分の発見した子供ら

しからぬ真理を、つぶやくにも似ていたにちがいない。その時の彼にとっては、したがってまた私にとっては、絶対的な勝利者、絶対的な優者、およそ絶対的なるも

のの存在が堪えがたいのだ。自分がダメであり、そのダメさが決定され、記録され、仲間の定評になってしまったのに、ダメでないものが存在し、しかもその存在が

ひろく認められ、その者たちが元気にあそびたわむれていることが堪えがたいのだ。たとえその者たちが、自分の存在に気づき、自分のそばに歩みより、やさしく声

をかけてくれたところで、このあわれな小学生はソッポを向き、涙をながすまいと歯をくいしばりながら『チェッ』と舌打ちするだけである。滅亡を考えるとは、お

そらくは、この種のみじめな舌打ちにすぎぬのであろう。それはひねくれであり、羨望であり、嫉妬である。それは平常の用意ではなく、異常の心がわりである。し

かしそのような嫉妬、そのような心がわりに、時たまおそわれることなくして一生を終る人はきわめてまれなのではないか。(武田泰淳『滅亡について』より引用)」

……

もうかれこれ20年近く前の昔話であり、記憶違いや見当違い、計算間違い、言い間違い、はたまた、誤解、曲解、歪曲、邪推、などなど、多々出てくるかと思うが、

まあともかく、ことの発端はこうであった。そもそも年賀状など出したのがいけなかった。2004年の正月が明けしばらく経ったある日のこと、とある知り合いのCM

プロデューサーEという男から私の携帯電話に連絡が入った。おざなりな新年の挨拶と賀状の礼の後に相手が一方的に続けることには、このたび自分は今まで所属し

ていた会社を辞め気持ちを新たに中国の上海にCMプロダクションを設立する運びとなった、ついてはCMプランナーとして会社の立ち上がりの短期間だけでも手伝っ

てはくれまいか、急な話で恐縮だけれども契約期間はとりあえず来月2月から3ヶ月間、報酬は月給20万円也を現地レートに換算し現地通貨で支払う、現地の物価は日

本のそれよりもかなり安いから相応であろう、住居光熱費などは会社持ちで一切かからぬから心配御無用、成り行き次第では3ヶ月後に契約更新する可能性もあり、

さらにもしも上海の地が滅法気に入りそのまま骨を埋める意志があればそれもまた結構、とのことだったが、相手は過去に何度か一緒に仕事をしたことがあるだけの

特に懇意な間柄でもなく、私はそのプロデューサーEのことを率直に言ってさっぱり信用しておらず、口先だけは達者で言うことは壮大、いわゆるビッグマウス、全

体的に胡散臭いことこの上ない雰囲気を醸し出す、当時50後半から60絡みの長身で初老のいい加減なおっさんであり、おまけにこのプロデューサーEが直前まで所属

しすでに潰れかけていた某弱小CMプロダクション(頭文字B)自体がとにかく金払いの悪い、金に汚いという悪印象もあり、実際このプロデューサーEはバブル時代に

某超有名演歌歌手Sをまんまとダマくらかし出資させた金でポストプロダクションスタジオ事業を起こしていたところバブルがはじけ某超有名演歌歌手Sに責任全部お

っかぶせまんまと逃げたとか逃げなかったとかいった後ろ暗い過去があることも小耳に挟んでおり、ようするに自分の手では何一つ生み出せなやしないくせして人を

ダマくらかしたり金を誤魔化したりする技術には異常に長けた、とにかく金の匂いにだけは超敏感な世渡り上手で悪賢い人間というわけであり、また月給20万円也と

いう金額も現地の物価云々はまったく関係のない話であって正直安過ぎるのではないかと私は到底納得がいかなかったものの、プロデューサーE曰く、当初は我々プ

ロデューサーたちも月給20万円也で皆平等にいくつもりであり最初は安月給で我慢するのが当然であると力説され(ただしそれは口から出まかせだったと後で判明す

るわけだが)、何ともきな臭い話と私は直感的に見抜き、いかにしてこの話を断ろうかとさっそく思案を巡らしはじめたところを相手はさらに畳み掛けてきて、よくよ

く話を聞けば、実際に現地上海に赴くのはプロデューサーEではなくて別のCMプロデューサーKという男であり、このプロデューサーKは赤坂にある某業界最大手TV-

CMプロダクション(頭文字T)の役員だった経歴もある大変信頼のおける人間だから大船に乗ったような気分でいればよろしいとさらに力説され(だがしかしそれは大船

ではなく泥船だったわけだが)、私はあまりに唐突過ぎる話であり、また正月明けでお屠蘇の気分もまだ抜けてない状態でもあり、3ヶ月間とはいえ海外へ赴くとなれ

ばそれ相応の覚悟や準備も必要になってきて他の仕事との兼ね合いもあるため即答はしかねるが他の者とも相談した上で前向きに検討はしてみると一旦保留すれば、

プロデューサーEは私が二つ返事で快諾するとばかり思っていたものか、考える必要なんてなかろうに!一体誰に相談するというのか!と声を不機嫌に荒げ豹変する

も、私は、そんな簡単に決められる類いの話ではないと突っぱねて、しばしの猶予をもらい、それからのちしばらくは頭の中を上海まみれにし、まだ見ぬ異国の美し

い風景や中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアなどを夢想しつつ悩みに悩み迷いに迷い考えに考えた末に(やはり中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアの誘惑

には抗いきれず、まさにそれが決定打となり)、自分には失うものなど特に何もないのだから、もうどうにでもなるようになれや!くそったれ人生!と清水の舞台から

飛び降りる覚悟というよりも、スカイダイビングかバンジージャンプに挑むような覚悟というよりも、遊園地のジェットコースターに乗る覚悟というよりも、酔っ払

った勢いで怪しげな名前の性風俗店に飛び込む覚悟とでも言ったらよいだろうか、ようするに、些か邪でカジュアルなレジャー感覚の覚悟を決め、話を受けてからち

ょうど1週間後、私はプロデューサーEに上海行きを承諾する旨の連絡を入れたのだった。その後、赤坂の喫茶店で私の最終面接も兼ねた打合せを3人でした際、初対面

したCMプロデューサーKという男は、プロデューサーEと同年輩の当時50後半から60絡み(実際は70にも見えた)の初老のおっさんで、どことなく昔の軍人政治家で巣鴨

プリズンにて処刑されたあの東條英機をこぢんまりとしょぼくれさせ威厳をまったくなくしたような、全体的に覇気がなく、どことなく貧乏臭い雰囲気が漂う、ベビ

ーモヒカン頭にちょびヒゲを生やかしメガネをかけたキザな小男であり、私は、もういい歳だろうにベビーモヒカン頭に挑むとは何ともシャレオツな漢ではないか!

とよくよく観察してみれば、それはただ単にそういう特殊な禿げ方をしているに過ぎず、プロデューサーKとプロデューサーEとは江古田にある某芸術大学の同窓で、

プロデューサーEが直前まで所属しすでに潰れかけていた某弱小CMプロダクション(頭文字B)にプロデューサーKも短期間ではあるが嘱託として所属しており、二人意

気投合し上海で一旗あげる計画を立てたようで、以前に聞いていた話の通り、赤坂にある某業界最大手TV-CMプロダクション(頭文字T)に長年勤め、叩き上げで役員に

までのぼりつめたというのは出鱈目ではなく、会話の端々に「Bさん」という(頭文字T)創設者のやり手社長の名前が頻出し、手掛けた代表的な仕事としては、某ビール

会社(頭文字A)の超有名看板商品のCMシリーズを立ち上がりからずっと制作担当していたそうで、その村上龍やジーン・ハックマンや落合信彦らが出演する見るからに

金のかかったバブリーなCMシリーズならば私もよく知っており、またプロデューサーKは、私がかつて勤めていたフランク・ザッパのバンド名から取って名づけられ

たTV-CMプロダクション(頭文字M)の重役だった有名な演出家とも、自殺した某映画監督Iとその妻の女優Mが出演する某ビール会社(頭文字S)の地方限定ビールCMの仕

事をしたこともあるらしく、その時プロデューサーKは、ところで、(頭文字M)という会社はまだあるのかね?昔から潰れたとか潰れそうで危ないとか良からぬ噂を耳

にするけど、そういう噂が流れる会社はそのうち本当に潰れてしまうからこの業界は怖いんだよね、ハッハッハッ!と縁起でもないこと言ってのけ空笑いした後に、

(その演出家にも)一言伝えておくよと続け、私はかつて勤めていたその会社(頭文字M)を、もう広告なんてやってられっかよ!と唾吐きかけて辞めたくせして再びこっ

そり広告業界に舞い戻っているという何ともバツの悪い十字架を背負っていたため、そのお気遣いには及びませぬ!(それは余計なお世話である!)と引き攣った笑顔

で返したが、後になって私はこのプロデューサーKがその当該地方限定ビールCMの仕事の打合せで演出家を訪ねて来社した際にお茶出しした覚えがあること、つまり

私は以前にも一度このプロデューサーKと会っていることを思い出し不思議な因縁を感じたものだが、また、プロデューサーKの不吉な預言の通り、その後フランク・

ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CMプロダクション(頭文字M)は実際なくなってしまったわけであり、この世のすべての事象はどこかしらで何かしら繋

がっているのだなとしみじみと感じ入りつつ、話を元に戻せば、私はプロデューサーKが役員をしていた某業界最大手TV-CMプロダクション(頭文字T)やそのグループ

会社に対して(かなり不快なえげつない目に遭っているため)今も昔もまったく好印象は持っておらず、加えてプロデューサーKは元役員だったにしては何だか妙にしょ

ぼくれているというか草臥果てているというか、とにかく覇気がなく貧乏臭い男だなという第一印象を私はずっと引きずってはいたものの、プロデューサーKは広告

屋プロデューサー職に典型的な一見たしかに礼儀正しく腰も低く物腰も柔らかく、決して生粋の悪人とも思えず、とりあえず私はすっかり信用してしまった次第だが

(実はこれがとんだ食わせ者であったわけだが)、何はともあれ、彼らの話をまとめると大体こうであった。大阪の某大手電機機器メーカー(頭文字P)のお膝元にある某

映像プロダクション(日が昇るみたいな意味の頭文字S)の社長Nを、プロデューサーEが、これからの時代は中国でっせ!上海で一旗あげましょ!とまんまとダマくら

かし出資させ、さらにプロデューサーEとKも形式上だけ雀の涙ほど出資した上で、中国の上海にCMプロダクションを新たに設立すること、我々の取引先は日本の広

告代理店各社(DやHやA他)の上海支社であり、制作するのは日本企業が中国向けに流すためのCMであること、中国の広告業界は現在なかなかの好景気でこれから先も

上り調子でさらに繁栄していくことは間違いなく中国広告バブル到来も夢ではないこと、そして上海の広告業界は中国随一であること、現地では日本語で企画のでき

るCMプランナーが足りないらしくそこで私に白羽の矢が立ったこと、新設する会社には中国語ペラペラの日本人留学生でもある25歳の無口で優秀な青年Zもすでに雇

ってあり、彼は以前、やはり某業界大手TV-CMプロダクション(頭文字A)の元役員だったプロデューサーが上海に設立したCMプロダクション(聞くところによればカラ

オケパブの中国人美人ママを愛人に囲いうつつを抜かしている間に部下の社員である腹黒い悪徳中国人プロデューサーに好き勝手放題やられトラブルになった挙句に

莫大な借金背追い込みその時すでに潰れていた)で働いていた経験もあり、現地での会社設立の交渉や金銭の管理はすべて彼に任せてあること、会社の正式名称は「何

やら漢字がたくさんずらずら並んだ有限公司」となること、当座の現地スタッフは、CMプロデューサーK、中国語ペラペラ日本人留学生の青年Z、カタコト日本語デ

スクの中国娘Y、私を含め計4名であること、大出資者である大阪の某映像プロダクション(日が昇るみたいな意味の頭文字S)の社長NとプロデューサーEは日本にいな

がら現地の動向を随時見守ること、会社がうまく軌道に乗れば社員をどんどん増やしていくつもりであること、とにかくこれからの時代は中国である、時代はまさに

中国なのである、日本なんぞそのうち中国に追い抜かれるだろう、いやもうとっくに追い抜かれているかもしれぬ、日本の広告業界でくすぶっておっても仕方あるま

い、とにかく我々には中国しかないのである、さあバブル時代よもう一度、中国バブルよドーンと来い、中国でドーンとでっかく一山当てて一攫千金ゴールドラッシ

ュ、毛沢東のピンクの札びらバラ撒きながら美味い酒飲んで美味い料理食べてイイ女抱いてウッキウッキのウッハウッハのガッポガッポのチャリンチャリンのジュッ

ポジュッポのズッポンズッポンのズッコンバッコンのビショビショヌレヌレヌルヌルペロペロレロレロベロンベロンのヘベレケのチョメチョメのハメハメのパコパコ

の酒池肉林でみんな仲良く楽しくやって、いつか孫悟空みたいにあの雲に乗って大空飛んでもういっそのこと天竺まで飛んで行っちゃおうじゃないか、ニンニキニキ

ニキニンニキニキニキ西にはあるんだ夢の国!ニンニキニキニキニンニキニキニキとしきりに中国絶賛ゴリ押しまくり、かつて日本のバブル時代に散々甘い汁を吸い

まくりおいしい思いを味わい尽くした経験があり脳味噌が泡まみれのまま思考停止しているうちバブルがはじけ今じゃすっかり零落した、おそらくアソコもすでに使

い物にはならぬであろう初老のおっさんプロデューサー二人が大盛り上がりで話す『中国上海夢物語』に私はだんだんついていけなくなってきて、一人置いてきぼり

を食らったような気分のまま、果たして日本で成功していない人間が中国で成功できるのだろうか、そんな虫のいい話なんてあるものだろうか、と一抹の不安を抱え

つつも、とにもかくにも、心底うんざりしていた日本の広告業界から遠く離れまだ見ぬ異国の上海での新生活や中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを夢想する

などして、さてしかし一体全体実際どうなることやら、それは箱を開けてみてのお楽しみ、とまるで他人事のように少しばかり期待に胸を膨らませもするのだった。

……

結局、私の上海行きは当初の予定より1ヶ月延び、2004年3月上旬と正式に決まり、すでに一足先に準備のため上海に赴いていたプロデューサーKが一時日本に帰国し

た2月末、高田馬場の喫茶店における出発前の最終確認打合せにプロデューサーKは妻同伴で現れ、そのおすぎとピーコを足して2で割ったような顔したKの妻は何や

ら重たい病を患っているそうで、高校生の一人息子は名門私立高校でラグビーをしていて、現在は訳あって一家で西武新宿線沿線のアパートに仮住まいであること、

新しい会社が軌道に乗ればゆくゆくはKの妻も上海に呼び寄せるつもりでKの妻もそれを楽しみに今からワクワクと中国語の勉強をはじめていることなど、ややプライ

ベートに突っ込んだ会話も交わしつつ、私は、昔の軍人政治家で戦犯でもあった東條英機をこぢんまりとしょぼくれさせ威厳をまったくなくした風貌のプロデューサ

ーKがその時着用していた休日の普段着である息子のお古らしき安っぽいフライトジャケットとケミカルウォッシュ加工されたジーンズの相乗効果により絶妙に醸し

出される貧乏臭さが初めて会った時よりもさらに一段と増幅していることが少しばかり気になってもいたが、さらには、東條英機のパチモンみたいな男がベビーモヒ

カン頭でアメリカ製フライトジャケットを着て中国なんぞへ行ったならばそれこそ中国人民たちから袋叩きの目に遇わぬだろうかと余計な心配もしていたが、もちろ

んそんなことは口に出すわけもなく、プロデューサーKは酒を飲んでもいないのに些か上気した調子で、上海の会社準備は今まさに着々と進んでいること、もうすべ

てがパッチグーのオールオッケーのドントマインドであること(このインチキ英語遣いがKの口癖だった)、みんなが私の到着を今か今かと首を長くして待ち侘びている

こと、さらに続けて、自分は病身の妻と大学受験を控えた高校生の息子を抱えていて、中国上海で是非とも成功しなければならぬこと、自分にはもう後がなく上海行

きにすべてをかけていることなどを私に熱く語り、そのプロデューサーKの言葉に嘘偽りがないことを私も直感的に悟り、ただしこれは後に判明したことだが、実は

プロデューサーKは金に滅法だらしがなく、それが原因で某業界最大手TV-CMプロダクション(頭文字T)の役員も解任された挙句に会社を追い出されたらしく、現在か

なりの額の借金も抱え込んでいて、過去に自己破産の経験もあり、とにかく金に困っていたがためにもう背に腹は代えられずなりふり構わず必死にならざるを得ず、

また某業界最大手TV-CMプロダクション(頭文字T)で盛大にやらかしてしまったために日本国内で仕事がしづらくなり上海に逃げたというのが真相であったようだが、

その時の私はまだそれを見抜けていなかった。そして最後におすぎとピーコを足して2で割ったような顔した病身のKの妻からも、くれぐれも主人をよろしくお頼み申

しますよと薄ら涙目で伝えられ、私は、軽い気持ちのバカンス気分で上海にフラリと遊びに行く感覚だったところを、何だか突然厄介な大荷物を背負わされたような

気にもなってきて、そんなに期待されてもこちとら困ってしまうんだがなあと少しばかり困惑しつつ、同時に、これから自分は日本を遠く離れ異国の上海に行き新た

な生活をはじめるということに俄然現実味が増してきて、身が引き締まるとともに、もちろん、まだ見ぬ中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを夢想もしつつ希

望に胸を膨らませてゆくのだった。散々悩みに悩み迷いに迷い考えに考えた末、結局最後の最後は中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアへの過大な期待が決め手

となり、自分には失うものなど特に何もないのだから、もうどうにでもなるようになれや!くそったれ人生!と勢いにまかせ上海行きを決めてしまうと、何とも皮肉

なもので、私は場合によってはもう二度と帰ることもないかもしれぬ日本での生活が急に名残惜しく愛おしく思えてきて、上海行きの準備の合間合間に、数少ない友

人知人と別れの挨拶がてらの食事をしながら上海での新生活の豊富やまだ見ぬ中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアの夢を熱く語ったり、万が一現地で行方不明

になり映画『地獄の黙示録』のマーロン・ブランド状態になった時は皆で船に乗り川を遡りジャングル奥地まで自分を探しにきてくれるようくれぐれも頼んでおいた

り、簡単な日常会話くらいは覚えておこうかと本屋でバカでもアホでもマヌケでもタコでもイカでサルでもわかると謳った初心者向け中国語テキストや上海ガイドブ

ックを物色したり(そして標準中国語と上海語はまったく異なることを初めて知ったり)、ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』を観て外

国人の異国での心境や心構えを学んだり、ブルース・リーやジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーの映画を見まくったり(でも途中でこれは中国映画でなく香港

映画だと気づいたり)、上海に携えていくノートパソコンを新調しお気に入りの音楽を満載させたり(特にイギー・ポップの1977年の初ソロアルバム『イディオット』

に収録の名曲「チャイナ・ガール」を当時の自分のテーマソングにして聴きまくったり)、さらには日本男児に生まれし者としてあたかも戦地へ出征する前の新米兵士

のごとく最後に日本の女の肉体の味を思う存分に味わい尽くしておこうかと、でなければ我は戦地で死んでも死に切れぬと、ついでに欲を言えば魔除け弾除け願掛け

験担ぎにアソコのオケケの1本や2本や3本でも餞に恵んでもらえたらと、その当時交際するステディな相手もなかった喪男の私は、性風俗関連の特殊なサービスを金

銭と引き換えにつまりあんなことやこんなことえっそんなことまでもうすんごいことまでもう天国への階段を逆立ちでのぼっていってしまうような至福のプロフェッ

ショナルなサービスを皆様に提供するお店を訪れて出すもの出してスッキリサッパリもう後腐れなく日本を後にしようかと、ようするに、日本最後の思い出にいわゆ

る「ヌキ納め」と呼ばれる厳かな儀式を赤の他人である初対面の女性とともに行わんと、インターネットでもうそれこそ血眼となって色々調べて回るも、あまりにも

情報が多過ぎて目移りがしてしまい最後にふさわしい店をなかなか選べず、モザイク加工写真だらけで目ぼしい好みの相手も見つからず、さらに生来私は金と引き換

えに愛のない性的サービスを受けること自体に罪悪感を覚えてしまう人間でもあり、むしろこちらが相手を気持ちよくさせてあげているのになぜ金を払わねばならぬ

のかと常々疑問に感じてもいたため、あまり積極的にもなれず、ぐずぐずうだうだダラダラしているうちに、でもまあ焦って探してとんでもない豚をつかんで日本最

後の思い出を汚してしまうのも何だし、それに何しろこれから先の自分には中国美女との酒池肉林なラブアフェアがお待ちかねなのだからな、日本のバカでわがまま

な女など金輪際相手にしてやるものか、そもそも「ヌキ納め」など無理やりする必要もなかろうと潔く断念して、まだ見ぬ中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェア

を夢想しながら風呂場で一人身悶えて自分を慰めたりと、何だかんだと忙しく過ごして、いざ出発の当日は最寄りの駅まで父親の車で送ってもらい、駅前で「それじ

ゃ」「ああ」「行ってくる」「ああ」と普段一緒に暮らしながら互いに必要以外ほとんど口もきかぬ父親とほとんど会話になっていない会話を交わし別れ際、父親が

「入れといた」と珍しく意味ありげな言葉をぼそっと呟いて、私は何を入れといたのかその時はさっぱりわからなかったけれど、とりあえず「ああ」と返事をし「じ

ゃあ」と続ければ、父親は最後に「ああ」と呟き、そっけない別れの儀式を済ませ、いざ空港へと向かう京成電車の中で小型スーツケースの脇ポケットをゴソゴソと

探ってみれば、何やら見知らぬ封筒がいつの間にやら紛れ込んでいて、中には餞別の現金5万円也とともに「体に気をつけて頑張って下さい みんな応援してます 父」

と鉛筆で殴り書きされた手紙というかメモ書きが添えられ、母親にはもしかしたら中国に骨を埋めもう二度と日本には戻って来ないかもしれぬとそれとなく伝えてお

いたから、もしかしたら零落し逃げ帰ってから今の今までずっと世話になり続けてきた家族たちとももう二度と暮らせなくなるのかもしれぬのかと私は妙に感傷的な

思いがこみ上げてきて、散々迷惑ばかりかけ通しでいまだ何一つ親孝行もできていない親不孝な出来損ないの穀潰しのろくでなしの放蕩バカ息子であるところの不甲

斐のない自分自身の来し方と行く末を思って涙がボロボロと止まらなくなり、時々ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスが便所でこっそり咽び泣いてたみた

いにおいおいと嗚咽しそうになるのを周りの乗客の目を気にしながら、まるでSEX中にイキそうになってシーツの端っこを噛んで忍ぶ女のごとくハンケチをぐいぐい

噛んでは必死に堪えて、そして、いまだかつて東京23区の外へは長期間離れたことのない自分が今まさに長年住み慣れた日本という土地を離れて上海に赴き新たな生

活をはじめ、もしかしたらこの場所へはもう二度とは帰って来ないのかもしれぬのだなとあらためて強く実感しセンチメンタルな気持ちで胸を熱くするのであった。

……

京成電車の薄暗い地下改札を抜け長いエスカレーターで地上へ上がり成田空港第2ターミナルに到着すると待合せ場所には、遠目からでも相変わらず貧乏臭さが漂っ

てくる、もちろん旅支度も潔く貧乏臭い、そしてまさかのまさかのフライトジャケットとケミカルウォッシュジーンズでバッチリとコーデされたプロデューサーKが

すでに立っており、あらためて出発の挨拶を交わし中国東方航空のカウンターにて手荷物以外のスーツケースを預けたのち、ラウンジでコーヒーを飲みながら雑談を

交わしつつ、上海は3月でもまだまだ真冬のように寒いこと、会社のオフィスは24階建のタワーマンションの5階にあり、その最上階に我々2人の部屋もあり、入り口

は一緒だが中で部屋は別々になっていてプライベートはきちんと保たれていること、部屋には布団一式やTVやDVDプレーヤーなどさしあっての生活必需品はすでに購

入済みであること、上海での生活は日本とほとんど変わらず特に不自由することもないだろうが、生水が飲めないこと、言葉の大きな壁があること、英語もほとんど

通じないこと、中国語にも色々と細かく種類があって埒が明かないから自分は中国人に中国語を習おうかと思っていること、現地に着いたら慣れるまでのとりあえず

1ヶ月くらいはのんびりと羽根を伸ばせばいいよ、もうとにかくすべてがパッチグーのオールオッケーのドントマインドなんだからね、などなど、すでに何度も上海

に赴く経験者であるプロデューサーKは貧乏臭さも何のその、出発前の些かハイになった興奮状態で一人捲し立て、中南海(チョンナンハイ)という中国ではメジャーな

タバコをひっきりなしにプカプカとふかしながらさっそく先輩風も吹かしはじめてくるのが、昨夜興奮のあまりよく眠れず寝不足気味の私はタバコの煙とともに鼻に

つき、露骨に目を逸らし、全面ガラス越しに空港内を行き来する巨大な航空機の流線形ボディを、近くで見ると想像以上にバカでかいんだなとぼんやり眺め遣りなが

ら、日本を出発する直前に目にする最後の景色が千葉の片田舎の寂れた景色であることに何とも言えぬ物足りなさを感じていると、やがて出発の時刻がやって来て、

搭乗手続きを済ませ、禁煙席の私と喫煙席のプロデューサーKとしばし別れて、成田空港から上海浦東空港まで2時間半~3時間半、ほとんど区別はつかぬがおそらく日

本人中国人半々の乗客たちに囲まれて、窮屈なエコノミー席で靴を脱ぎイヤホンをして液晶モニターを眺め、時々キャビンアテンダント(CA)の中国人女性の体を無遠慮

な目で追いそしてケダモノのような目で犯しながら、まだ見ぬ中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを夢想しているうち、あっという間に飛行機はいつも着陸時

にボディブロウのようにガツンと鳩尾に来る衝撃とともに上海浦東空港に到着し、日本との時差は1時間、現地はすでに日が暮れかけ、空港に降り立つとすぐにどこか

らともなく異国の香りが漂ってきて、それは心地良い香りかと言えばそうでもなく不快というわけでもなくいつかどこかでたしかに嗅いだことのある、私はまさにこ

れこそが中国の香りだなと直感的に思ったが、何となく漢方薬っぽい香りのようでもあり、それは空港内に漢方を扱う土産屋があるからか、さもなくば上海に到着し

たばかりの私の脳味噌が無理やり私にそう感じさせた幻臭(幻覚)であるのかもしれなかった。そして、空港から約1時間かけて上海中心部へと疾走するVW社製タクシー

は日本でもお馴染みのセダン型タクシーで、見た目は結構若そうな中国人運転手はノリノリでアクセルベタ踏み状態、我々の心をイタズラに弄ぶかのごとく、前を走

る車に追い付いては追い越しを延々と繰り返し、体感速度は時速200km、実際は150kmくらい出ていたろうか、それは事故ったら確実に死に至る速度であり、正直に

言えば私は金玉が縮み上がるほどビビりまくってしまっていたのだけれども、それを敏感に察知したものか、プロデューサーKは自分自身も金玉が縮み上がるほどビ

ビりまくっているくせして、何度も経験しているから自分は怖くないよ、こんなの中国では当たり前のことだよ、余裕綽々のへっちゃらの屁の河童だよと殊更にアピ

ールするかのごとくひっきりなしに中南海をふかしながら「もしかしてビビってるの?僕はもう慣れたけどね、パッチグーのオールオッケーのドントマインドだよ、

ハッハッハッ!」と私をおちょくるように大袈裟な空笑いをして、たった1ヶ月の先輩風をまたしても吹かしはじめてきて、ビビりまくった上にさらに車酔いまでして

きた私は「何言ってんですか、別にビビっていやしませんよ」と少しイラつきながらぶっきらぼうに答えて、暮れかけた高速道路を徐々に窓の外に流れる景色が田舎

の風景から近代化されていく様をぼんやり眺めていると、やがて高層ビル群が突如出現し、その日本とほとんど変わらず発展した現代的な街の風景に思わず目を見張

り、写真でよく見かける有名な上海のシンボルタワーであるところの例の不揃いの団子が近未来的に串刺しにされているような造形の電波塔を見た私は「とうとう上

海にやって来たんだな!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」とようやく胸がワクワクと踊り出すのだった。そして、上海の中心部からはほんのわずかばかり外れた場所に聳え建つ

会社オフィスの入るさほど新しくもなく趣のある24階建のタワーマンションに到着して、そこで現地スタッフである中国語ペラペラ日本人留学生青年Z、カタコト日

本語デスク中国娘Yと初対面の挨拶を交わして、現地スタッフ4人が全員集合したところで、その日は3月だというのに真冬のように肌寒い部屋でひとり震えながら、

私は旅の疲れからあっという間に眠りに落ちていって、そして、ここから半年間にも及ぶ私の波乱万丈とも平々凡々とも言える上海生活のはじまりとなるのだった。

……

翌朝目が覚めても私はまだ上海にいて、自分が実際上海にいるということがまったく飲み込めずいまだに信じられなかったが、現実にその朝私は間違いなく上海にい

て、前夜は寒さのあまり夜中に何度も目が覚めてしまい、無理な体勢でのぞけば不揃いな団子が近未来的に串刺しにされた造形の上海のシンボルタワーの片鱗を望む

こともできる、まだカーテンの付いていない小さな窓から差し込む夜の光によってかろうじて真っ暗闇ではない部屋のベッドの上で、何だかよく知らぬアニメキャラ

クターらしきファンシーな絵が装飾された安布団に包まり震えながら、自分が一体全体今どこにいるのか夢うつつの状態で何だかぼんやりとよくわからなかったが、

朝目覚めると私はたしかに上海にいた。それから寝ぼけ眼のまま部屋を出てユニットバスへと向かい服を脱ぎシャワーの蛇口をひねるとお湯がまったく出て来ず全身

に冷や水を浴びせかけられ早くも中国という国のインチキ臭さの洗礼も同時に浴び完全に目が覚めてしまった状態で生まれたての仔羊みたいにプルプルと震えながら

かじかんだ指で何とか身繕いを済ませ5階のオフィスへ降りて行くと、すでに他のスタッフたちは集合しており、プロデューサーKが、昨夜はよく眠れたかい?と尋ね

てきたので、私は、寒くて夜中に何度も目が覚めた、と答え、さらに、シャワーのお湯が出ませんでしたよ、もうのっけからとんだ目に遭って何とも先が思い遣られ

ますね、お陰様でいい目覚めになりましたがね、と皮肉まじりに続ければ、それは災難なことだったね、僕の部屋はちゃんとお湯出るけどね、まあそのうち暖かくな

るからそれまでの辛抱だよ、とプロデューサーKはのんきに答えて、私はシャワーのお湯が出ないことも辛抱しなければならぬのかと不満に思いながらもいい加減な返

事をして、最初の1ヶ月くらいはまだ仕事も忙しくならないだろうからのんびりと気楽に上海の生活に徐々に慣れていくといいよ、何しろすべてがパッチグーのオール

オッケーのドントマインドなんだからさ、と前にも言ったことをプロデューサーKは繰り返し、またしてもたった1ヶ月の先輩風を吹かしはじめたが、私は話の通じな

いプロデューサーKの鈍感さにイラつきながら、何だか他人の家にいるようにまだ慣れず腰の落ち着かぬ自分のデスクでただぼんやりと寒さに震えるばかりであった。

……

現地スタッフである中国語がペラペラな日本人留学生の25歳の青年Zとは年齢も近いせいか、父親ほども歳の離れたプロデューサーKよりは割りかしすぐに打ち解け、

仕事以外でも大体いつもベッタリと行動を共にし慣れない上海生活でのコツや中国語やオススメの店や悪い遊びなど色々と教えてもらい大変世話になった。この中国

語ペラペラ青年Zは、中国の京都大学とも呼ばれる某F大学の当時4年だったと思うが、大学にはほとんど通わずほぼ休学状態のまま会社の仕事に専念しており、もし

かしたら大学は辞めてしまうかもしれぬとも言っており、関東地方出身で父親は離婚したか亡くなったかで母一人子一人の家庭に育ち、中国に何かしら縁のあった祖

父の勧めで中学を卒業するとすぐ思い切って高校から中国に留学し10年になり今では現地人並みに中国語がペラペラで、前述の通り、半年前か数ヶ月前まで某業界大

手TV-CMプロダクション(頭文字A)の元役員だったプロデューサーが上海に設立したCMプロダクションで働いていて、これまた前述の通り、その会社は社長であるプ

ロデューサーが日本に妻がありながら現地のカラオケパブの中国人美人ママに入れ込み愛人として囲ってウッハウッハでジュッポジュッポの酒池肉林なラブアフェア

にうつつを抜かしている間に部下の社員である腹黒い悪徳中国人プロデューサーにまんまと好き勝手放題やられてトラブルになった挙句の果てに大失敗やらかし莫大

な借金背負い込み潰れてしまったため、仕方なしにフラフラしていたところを今回たまたまタイミングよく声を掛けられたようで、プロデューサーEからは無口な青

年と聞いていたが、それはただ偉い大人たちの前では猫を被って大人しくしていただけであり、次第ににメッキが剥がれてきて、実際はかなりガツガツした積極的と

いうか強引でガサツな性格で、体つきも巨漢とまではいかぬが結構ガチガチムチムチ系で貫禄もあり、自分の都合の悪いことは一切翻訳せずに都合良く自分勝手に話

を進めていくなど時折狡猾な腹黒い本性を滲み出し漂わせてもいたものの、基本的には決して生粋の悪人ではなく、15かそこらで上海くんだりまでやって来た日本人

の若者が一人で生き抜いて行くにはそれくらいタフでなければ中国ではやっていけないという証左なのかもしれなかった。彼はオフィスに併設するワンルーム(10畳

ほどの広さでユニットバス付き)の部屋に居住しまさにオフイスの番人みたいな存在であり、中国語がまったく話せず金に滅法だらしがないプロデューサーKに代わり

現地での会社関係の交渉や金銭の管理はすべて彼が任されていた。彼には中国人の友人は多いが日本人の友人は少ないためか、私とは歳の離れた友達か兄弟みたいな

良好な関係を少なくとも上海にいる間だけは続けることができて、実際に仕事でもプライベートでも何をするにもどこへ行くにも私は青年Zと行動を共にしていた。

……

カタコトの日本語を操るデスクの中国娘Yは、私が現地で初めて直接接した中国人女性となるわけだが、松浦亜弥(あやや)という日本の有名アイドル歌手にそっくりと

までは言わぬが結構似ていて、あややを少しふっくらずんぐりむっくりちんちくりんにさせたような22歳の性格の良い田舎娘であり、上海にやって来る前から暇さえ

あれば中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを夢想し、いやむしろそれだけを唯一の目的としてはるばる上海へとやって来たと言っても過言でない私の欲望に歪

んだ野獣のような目で見ても、彼女は性的にはまったくそそらず欲情しないタイプの小姐(中国語でお姉さん)であり、つまりはチンピクしないため、またチンピクす

る兆しもまったくなさそうなため、残念ながら私の上海における中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアの有力候補とはなり得ず、早々にその対象候補リストから

は外されることとなり、私は少しばかり拍子抜けがしたものだった。また仕事の要領も悪く失敗の連続で青年Zに叱られて泣いてばかり、お世辞にも頭はそれほど良

くはなく(つまりバカ)、日本語学校に通っているにもかかわらずいつまで経っても日本語はさっぱり上達せず(つまりバカ)、いつも我々二人の間ではカタコトの日本語

とカタコトの中国語と時々英語や身振り手振りを交えたトンチンカンな会話が繰り広げられたが、かろうじて円滑なコミュニケーションが保たれていたように思う。

……

24階建タワーマンションの最上階にあるプロデューサーKと私が住む部屋は5階にある会社のオフィスとまったく同じ作りをしており、正面玄関を開けるとまずオフィ

ス用のとにかくだだっ広い無味乾燥な30畳ほどの空間があり、その横にキッチン冷蔵庫洗濯機ユニットバスと4畳半ほどの小部屋(会議室)が併設され、さらにその奥に

オフィス空間とはドアを隔てた居住用空間として10畳ほどのユニットバス付きワンルーム(5階オフィスで言うところの青年Zが居住していた部屋にあたる)とに分かれ、

当初はプロデューサーKにその居住用空間を、私にオフィス併設の4畳半ほどの小部屋(会議室)が自室としてそれぞれに割り当てられたが、私が自室としてあてがわれた

4畳半ほどの小部屋は元々オフィスに併設のただの会議室に過ぎず、ユニットバスへは一旦自室から出てオフィス用のだだっ広い30畳ほどの空間を経由し向かわなけれ

ばならず、住居用の部屋としては甚だ使い勝手が悪く、狭苦しく、おまけに鍵すらもついてはおらず、セキュリティの面でも万全とは言えず、たしかに上海に来る前

に聞いていた話の通り住居はきちんと確保されているとはいえども、まるで召使部屋に無理やり押し込められているかのようなぞんざいな扱いにも見え、私はそもそ

もの初めからそれを相当不満に思っていたものだが、またオフィス用のだだっ広い30畳ほどの空間も自由に使用してよろしいと言われてはいたものの、そのオフィス

部分はキッチンなどと同じく共用の空間であり(いわゆるシェアハウスのラウンジみたいなのを想像してもらえばよいか)、プロデューサーKも自由に行き来することに

なるため、こちらもプライベートな空間が確保されているとは到底言えず、それにさしあたって私には何らの使い道も考えられず(もしかしたらエアロビクスダンス教

室でもはじめればよかったのかもしれぬが)、ただ誰の目も気にせずに安心して生活ができるプライベートな空間を欲していた私としては何とも落ち着かず、具体的に

は、例えば、私が自室から風呂に入るためユニットバスへと向かい風呂上がりに素っ裸もしくはタオル1枚腰に巻いた状態で自室に戻る際に、たまたま冷蔵庫のビール

を取りに来たプロデューサーKと偶然鉢合わせをし、そのあられもない姿をバッチリと拝まれてしまう可能性がなきにしもあらずというわけであり、それくらいは男同

士なのだから裸の付き合いで我慢しとけ、むしろバッチリ見せ合っておけ、たまに握り合っておけと言われるかもしれぬが、生来私は細かいことが異常に気になる繊

細で敏感な性質でもあり、プライベートな空間がしっかりと確保されていなければまったく落ち着かず、それではプライベートは完全に確保されるから心配するな、

すべてがパッチグーのオールオッケーのドントマインドだと最初に聞いていた話とくい違ってきてしまうことになり、まったく納得がいかぬも、まあ3ヶ月の辛抱だと

自分に言い聞かせてしばらくは文句も言わずに大人しく暮らしていたものだったが、ある時、真夜中に泥酔したプロデューサーKが共用部分のキッチンにある冷蔵庫に

ビールを取りに行った帰り道に、何を血迷ったものか、いきなり鍵のついていないドアを開け私の部屋に闖入して来て、襲われるのではないかと一瞬身構える私に、K

は、あれれれ、なんであなたがここにいるの?とボケたことを吐かしてきて、なんででいるのかって、ここは自分の部屋だからですよ、何言ってるんですか、ボケち

ゃったんですか、Kさんの部屋はあっちでしょ!と私がイラつきながら部屋から追い出すと、Kはまだ釈然といかぬようなポカンとしたマヌケ顔のまま、あれれれ、そ

うだったっけかなあ、おかしいなあ、おかしいなあと何度もぶつぶつ首を捻りながら千鳥足で自室へと引き返して行ったこともあって、徐々に私は自分にあてがわれ

た甚だ使い勝手の悪い召使部屋に対する不満が募っていき、もうこれ以上は我慢ができなくなってきてしまったところで思い切ってプロデューサーKに、外でも狭くて

も遠くても臭くても何でもかんでも構わないからきちんとプライベートな空間が確保できるユニットバス付きの部屋をどこかに新たに借りて私にあてがってくれない

かとぶつけてみると、プロデューサーKは渋々ではあったが素直に部屋の交換を申し出てくれて、そして実際我々二人は部屋を交換し、私のほうはこれで万事快適パッ

チグーのオールオッケーのドントマインドで無事にプライベートを確保することができるようになったものの、逆に今度はプロデューサーKのほうが納得がいかずパッ

チグーのオールオッケーのドントマインドではなくなってしまったに違いなく、この一件により我々二人の間にわだかまりが生じて、それはいつまでもしつこく残り

続け、私も上海に来て早々に不満を抱くことになるとは思いもよらず、こんなことではこの先も何かと思い遣られるのではなかろうかと不安になるばかりであった。

……

そもそもプロデューサーKと私は正直あまり相性が良いとは言えず、加えて私は生来誰とでもすぐに仲良くなれるような社交的タイプの人間では決してなく、結局最

後まで互いに親密な信頼関係を築けることなく最悪の結末を迎えてしまったことが今振り返って少しばかり残念に思うところであるけれども(詳細は後述する)、プロ

デューサーKは普段は東條英機のパチモンで貧乏臭いとはいえ基本的には至極温厚でまじめなおっさんなのだが、酒を飲むと途端に豹変しベラベラペラペラよくもま

あと感心するくらいによくしゃべった。大抵は広告屋のおっさん特有のバブル時代に甘い汁吸いまくった自慢話や与太話であり、中南海をひっきりなしにプカプカと

ふかしながら嘘か実かわからぬような眉唾物語をベラベラペラペラと延々しゃべっているうちに自分でも何が嘘か実かわからなくなってしまうようで、そのうち目が

虚ろになってしどろもどろになってきて、最後はフラフラになりながら這々の体で部屋に帰るとそのままベッドに倒れ込むように眠ってしまうといったもうすでにア

ルコール中毒のような症状も現れていて、さらにプロデューサーKの場合は、アルコール中毒に加え、昼間もコーヒーを何十杯も湯水のようにがぶ飲みするカフェイ

ン中毒でもあり、さらにタバコもひっきりなしに吸いまくるニコチン中毒でもあり、つまりアルコール、カフェイン、ニコチンの3大毒に冒されて、それらの過剰摂

取とその相乗効果の荘厳なハーモニーにより脳味噌がほとんど正常には機能しておらず、違法な薬物に手を出さないだけまだマシとはいえども、もうほとんど人間的

には崩壊しかけた、つまり廃人寸前の抜け殻状態と言ってもよく、アルコール、カフェイン、ニコチンの3大毒の過剰摂取がもたらす束の間の虚しい高揚感により、

己の過去の失敗や転落や不甲斐ない現実から目を背け誤魔化しながら何とか息だけはしている、それはあたかも緩慢な自殺を試みているようにも私の目には映ったも

のだった。プロデューサーKが酔っ払って繰り返すバブル時代の思い出話のレパートリーはほぼ決まっていて、前述の通り、赤坂にある某業界最大手TV-CMプロダクシ

ョン(頭文字T)時代に手掛けた己の一世一代の代表的仕事であるところの某ビール会社(頭文字A)の超有名看板商品CMシリーズ(村上龍やジーン・ハックマンや落合信彦

が出演)の話であり、落合信彦にはその後も本が出る度に献本してもらっていたが、最近は彼もすっかり落ちぶれてしまって本を贈って寄越さなくなったと、でもそれ

はプロデューサーKのほうこそが金のだらしなさが原因で某業界最大手TV-CMプロダクション(頭文字T)の役員を解任された上に会社を追い出され落ちぶれて見限られ

てしまったからに他ならぬのではないのか、などと青年Zは陰口を叩いていたが、そんなことには思いも馳せず中南海をひっきりなしにプカプカとふかしながらビール

片手にのんきにせせら笑っているのだった。また、ある時など、かつてはすべての大陸に愛人が3人ずついて、年がら年中ペニスの先が乾く暇がなかった、世界中の女

とペニスで国際交流をしていた、歳をとるにつれてペニスの角度と硬度が徐々に衰えていくのがカサノバ/ドンファンの自分としては無性に哀しく切ないことだったと

も豪語していたが、実際には世界各地で娼婦を買いまくっていただけの話に過ぎぬのではという疑念も拭えぬだろう、それに南極大陸にも愛人が3人いたのだろうか、

愛人とはペンギンとアザラシとシャチのメス3匹ではなかったのか、などと青年Zはまたしても陰口を叩いていたが、それもさもありん、なぜならば東條英機をこぢん

まりとしょぼくれさせ威厳をまったくなくし貧乏臭くしたベビーモヒカン頭のチョビ髭の小男であるプロデューサーKにカサノバ/ドンファン的な器があるようにはと

てもじゃないけれど見えなかったからに他ならず、また、ある時など、夕食後に立ち寄ったバーでたまたま出会った現地で働く若い日本人カップルと歓談中、彼らが

もうすぐ結婚する予定であると知るや否やプロデューサーKは青年Zにこっそり耳打ちし花束を買ってくるよう命じるなど、東條英機のパチモンにしてはたしかにキザ

なロマンティストの一面もあり、それが却って鼻につくこともあったが、おそらくプロデューサーK本人は酒を飲み酩酊状態にある時だけは自分が相当イケている(イ

ケていた)バッチグーのオールオッケーのドントマインドなカサノバ/ドンファンだと本気で錯覚している節もあり、グラスの氷をカランと傾けウィスキーの美味さにつ

いての蘊蓄をキザに語り目を細め陶酔に浸るカサノバ/ドンファン気取りのKは、24階のだだっ広い30畳ほどのあのオフィス空間をゆくゆくはおしゃれなバーに改装し

上海中のクリエイターやモデルたちがわんさか集まり最先端の情報を交換し合えるような文化サロン的空間にしていきたいなどと熱き夢を語ってもいたが、私が上海

にいた半年間そこはずっとただだだっ広いだけが取り柄の無味乾燥な空間のままであり、それは酒と金に溺れ破滅に向かってまっしぐらに堕っこち続ける転落人生を

着実に歩みつつあるプロデューサーK本人の心をそのまま映し出した空虚な空間のようにも見えるのだった。また、プロデューサーKは北九州出身で父親がかつてY製

鉄所に勤めていた生粋の九州男児でもあり、マルタイ棒ラーメンは海外ロケの際に必ず携帯し、これさえあればどこでだって生きていけるタイ!(もしくは生きていけ

るバイ!もしくは生きていけるケン!だったか忘れたが)、これさえあればバッチグーのオールオッケーのドントマインドだと嘯き、さらに酔っ払って口が軽くなった

KはプロデューサーEのことを、己の金のだらしなさはすっかり忘れてしまったかのように棚に上げて、Eは金の匂いにだけはとにかく敏感で金に汚い調子のいい出鱈目

なおっさんであり、超有名演歌歌手Sをまんまとダマくらかし金を出させて結局失敗に終わったポストプロダクションスタジオ事業のことを失敗したのにもかかわらず

いまだに過去の己の一世一代の実績として自慢話にしているとんだ大バカ野郎だともせせら笑いし、さらに前述の通り、江古田にある某芸術大学の同窓でもあるEのこ

とを、学生運動をやっていて途中で逃げ出した卑怯なヘタレだと中南海をひっきりなしにプカプカとふかしながらビール片手にEのことを親の仇と目の敵にして散々口

汚く罵ってもいたが、何でも青年Zに聞くところによれば、金に滅法だらしがなくそれが原因で赤坂にある某業界最大手TV-CMプロダクション(頭文字T)を追い出された

黒い過去を持つプロデューサーKには上海での金の管理は一切任せてはならぬとプロデューサーEからも口を酸っぱくしてキツく言われていたようで、実際Kは会社に

おける現地での代表的立場にあるにもかかわらず金を一銭たりとも(中国通貨で言うと一毛たりとも)自由にすることはできず、どうやらそれを根に持っての発言らしか

ったが、経営者であるプロデューサー同士が互いに信頼関係の欠片もなくバカにし合っているような会社が果たして成功できるのだろうかと私はまたしても一抹の不

安を抱きつつ、この先一体どうなることやらとまるで他人事のように心配していたものだった。さらにプロデューサーKは、私に気を遣ってか、先輩風を吹かせマウン

トを取りたいからか、自分もまだまだ初心者のくせして私を頻繁に上海案内に連れ出しては食事を一緒にし家族同然のように振る舞うことを心掛けていたものだが、

それが徐々に私には鬱陶しく思えてきてしまい、また、ことあるごとに、酔っ払ったプロデューサーKは、私と青年Zに対して、自分のことを父親だと思ってくれたら

いい、何ならお父さんと呼んでもらっても構わない、オヤジでもパパでもファーザーでもダディでも何でも構わない、何しろ僕らはもう家族同然なんだから、世界は

一家人類は皆兄弟、もうすべてがバッチグーのオールオッケーのドントマインドのノープロブレムであるから、大船に乗ったようなつもりでいなさいと、キザなセリ

フを口にしてもいたが、そもそも私から見てプロデューサーKには父親としての威厳や貫禄や信頼感が何一つ備わっているようには見えず、まったく敬意を抱くこと

などできず、私は失礼ながら、この酔っ払いのおっさんは自分の父親には到底なり得っこないな、家族ごっこなど誰も望んでいやしないのにまったく傍迷惑な話だよ

と、日本にいる私の本当の父親の出発前の例の手紙を思い出しては、日本にいる家族たちはみんなそれぞれ元気でやっているのかな、あなたたちの親不孝な出来損な

いの穀潰しのろくでなしの放蕩バカ息子は今こうして上海の空の下で東條英機のパチモンみたいなまったく頼りにもならぬただの酔っ払いのカサノバ/ドンファン気取

りのおっさんとどうにかこうにか元気に頑張っておりますよと面と向かっては決して言えぬだろう言葉を胸に抱き、ほんの一瞬間、郷愁にかられもするのであった。

……

中国という国は東西南北にだだっ広い国であり、日本人から見た典型的な中国人はもとより、東南アジア系の浅黒い人種、ロシア系の色白な人種、西方トルコアラブ

系、北方モンゴル系、東方コリアン系まで、とにかく多種多様な人種が街を行き交い、片田舎から一生に一度は大都会上海へとはるばる一家揃って観光に訪れたと思

しき貧乏臭い家族連れも多く、中国という国が多民族国家であることを私は上海に来て早々に理解したものだが、上海の街は、中国は黄砂や大気汚染が酷いという私

の勝手な思い込みから空気が汚れているような気も若干したものの、地震が少ないためか、現代的な建物と古めかしい歴史ある建物とがちょうどいい塩梅で共存し、

映画『ブレードランナー』を彷彿とさせる近未来的高層ビル群もあれば、常に生ゴミの臭いが漂う汚い路地裏もあり(まあこれは日本も同じか)、大通りは綺麗に舗装整

備され、その側道を(どこで売っているのやら)例のゴツい黒い自転車に乗った中国人たちが列をなして先を急ぎ、それは昔教科書で見たことのある自転車でマラソンス

タートしているような雰囲気では全然なかったものの、とにかく次から次とひっきりなしに忙しく、中国に来て10年になる青年Zなどは「こいつら一体どこに向かって

走ってるんですかね、もしかして政府から金もらって一日中自転車で街を徘徊するように命令されてるんじゃないですかね」と露骨にバカにしていたが、それを話半

分に聞き流しながら、中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを第一の目的としてはるばる上海へやって来たといっても過言でない私は、街ですれ違う中国人女性

たちを片っ端からいやらしくねちっこい目付きで無遠慮に舐め回し、その候補者選びに余念がなかったが、実際に酒池肉林なラブアフェアをしっぽりと是非ともお願

いしたくなるような中国美女と呼べる女性にはなかなかお目にかかれず、みんな全体的に日本人の女性とほとんど変わらぬ最先端のお洒落なファッションに身を包ん

ではいるものの、どことなく田舎臭いというか芋臭いというか貧乏臭いというか小便臭いというか、つまり垢抜けてないというか何というか、会社デスクの中国娘Y(チ

ンピクしないあやや)と同様に、性的にはまったくそそられず欲情することもなく、中国美女たちとの酒池肉林を夢想し期待が大きかった分だけ裏切られたような残念

な気持ちも大きかったが、上海滞在中私は酒池肉林なラブアフェアの対象相手の中国美女を探し続ける努力を決して諦めることはなかった。私自身も中国人とほとん

ど見分けがつかぬ同じ東洋人であるからか、西洋の国に行った時ほどの緊張感や違和感は覚えず、余計なコンプレックスを抱くこともなく気楽に過ごせたことは大変

助かったが、昔から人が大勢いる場所が大の苦手なはずの私がなぜだか上海の人混みでは日本ほどイライラせず、おそらくそれは遠い異国の地に来ている開放感と言

葉が通じないせいではないかと思われた。上海での移動手段は基本的に徒歩かタクシーか地下鉄であり、地下鉄は市内を縦横無尽に張り巡らされ、日本の地下鉄とよ

く似た清潔で便利な快適さもあり、上海にやって来たばかりの3月は真冬のように寒くて寒くて正直やり切れなかったものの、4月に入ると徐々に暖かくなってきて、

晴れた日などは特に外を散歩するのがとても気持ちよく、また上海中心地はそれほど広くもなく、私はできるだけたくさんの外の景色や中国美女たちを眺めたいがた

めに、極力徒歩で移動することを常に心掛けていたものだった。街にはベンツを乗り回す新興の成金もいれば、路上でゴミを仕分けする乞食もいて、貧富の差が激し

く、時々明らかに日本人だとわかる観光客と街ですれ違うと、目が死んでいるから日本人だとすぐにわかり、一方の中国人たちは貧乏臭さを漂わせながらも目がギラ

ギラと光り輝き全身に貪欲さがみなぎり、それはまるで昔の高度成長期の日本を彷彿とさせ、そのうち日本など中国に追い抜かれてしまうのだということを私は現地

にいて肌で実感し、以前にバブル脳患者であるプロデューサー連中が、これからは中国の時代だ!と浮かれ上がっていたのも無理もない話だと思われたが、それと同

時に中国という国全体に漂う少なからぬインチキ臭さにも私は早々に気づいてもいたものだった。日本や海外の有名な企業もすでにたくさん進出して来ていて、街に

は(共産主義国であるにもかかわらず)、ローソン、ファミマ、吉野家、マクドナルド、スタバ、伊勢丹、ユニクロが何らの違和感もなく存在し、スーパーやコンビニの

棚には、アサヒスーパードライ、サントリー烏龍茶、日清カップヌードルなど日本商品も並び、さらに日本のヤクザもとっくの昔に進出して来ているようで、上海で

日本人相手のキャバクラを経営しているとか、某暴力団事務所が入居すると噂されるビルも実在し、大通りを飾る看板や広告は日本とほとんど変わりなく、世界中ど

こに行っても大衆の欲望を無闇に煽り無駄金を使わせることが主目的である広告という仕事は存在し確実に需要があるのだということを、自らも広告屋の端くれであ

るという多少の後ろめたさとともにあらためて実感し(それは性風俗産業が世界中どこにでも存在するのと同じことでもあり)、当時2004年の中国の全人口は約13億人、

中国で成功するということは、莫大な儲けになることを意味し、たしかに壮大なロマンがあり、どでかい夢のある話でもあり、輝ける未来があり、またしても私は、

これからは中国の時代だ!と浮かれ上がって喚き散らしていたプロデューサー連中の『中国上海夢物語』を思い出し、彼らの金に対する嗅覚の鋭さに苦笑しつつ、言

葉が通じぬこと以外は特に日常生活に不便を感じることも少なく、不便といえば、女性関係、つまり中国美女との酒池肉林なラブアフェアの相手探しくらいのもので

あり、ただし繰り返すが、全体的に見れば中国という国はたしかに貧乏臭く、そして何よりもインチキ臭いハリボテ感が漂うインチキ大国であり、同じくインチキ臭

い私にとっては頗る居心地よく感じられたとはいえ、それにも限度というものがあり、特にこの過度なインチキ臭さに私はしばしば閉口させられ、例えば、相手が中

国語が通じないことがわかってもさらに煽って、中国語がわからないなんて考えられないといったふうに中国語でさらに捲し立ててきたり、こちらが中国語がわから

ないとわかった途端に値段を10倍くらい釣り上げてふっかけてきたり(街角のおかず屋でご飯一人分パックは通常は日本円で10円なのに100円ぶん取られたり)、街の中

心地には扱う商品すべてが偽物だらけの巨大な偽ブランドパチモン市場まで堂々と存在し、大勢の観光客でごった返し、シャッチョサン、ミルダケ、オニイサン、ミ

ルダケ、トモダチ、ミルダケ、ヤッスイヨ、トモダチ、シャッチョサン、ヤッスイヨ、トモダチ、ミルダケ、と道ゆく日本人観光客に声を掛けていたりなど、中国人

の商魂の逞しさに私は常に圧倒され舌を巻いていたものだが、そんな私も習うよりも慣れろの精神で上海に半年間滞在し日常生活を送っているうちに、青年Zの助け

もあり次第に中国語にも自然と慣れていき、日常の移動や買い物などにはまったく困らなくなり、挨拶、数字、はい、いいえ、その他代表的な単語とハンドサインや

手振り身振りだけで無理やり押し通し、やがては携帯メールで中国語で簡単なやり取りもできるくらいには中国語に馴染んでいき、例えば、ある夜など、暇にまかせ

てカタコト日本語デスクの中国娘Y(チンピクしないあやや)に「今夜は部屋で一人寂しくオナニーでもして寝ることにするよ」という意味の中国語でセクハラ紛いなメ

ールを送れば、すぐさま「加油!」と返信が来て、この時、中国語で「加油!」とは「がんばって!」を意味することを私は初めて知りまた少し賢くなるのだった。

……

上海での普段一日のスケジュールは特にかっちり決まっていたわけではないが大体こんな感じであった。平日は朝起きて10時くらいに24階の自室から5階のオフィス

へ降りて行き(通勤がエレベーターのみで頗る便利だった)、自分のデスクでコーヒーを飲んだりメールをチェックしたりダラダラと仕事をして過ごし、昼はご飯とお

かずを外で買ってきてもらい会議室で皆で分け合って食べることが多く(日本円で一人100円も出せば腹一杯食べられた)、午後も引き続きダラダラと仕事をし、夜はカ

タコト日本語デスク中国娘Y(チンピクしないあやや)は定時に帰宅し、それ以外のプロデューサーKと青年Zと私の3人で外へ食べに行くか、それぞれ別々に食べるか、

その時々の予定や気分により臨機応変で、会社の近くにある行きつけの2000円ポッキリ時間無制限飲み食べ放題の居酒屋風の店で食べたり、日本のいわゆる町中華

(中国にあるからこの呼び方は少しおかしいか)で食べたり、食事の味は特別おいしくもなければ不味くもなく可もなく不可もなく、食べられぬほどではないが特に美味

くもなくと言ったところで、あらゆる料理が同じ料理でも日本の味とはどこかしら微妙に違っていて、それは上海浦東空港に降り立った時に漂ってきた異国の香りで

もあり、私はまさにこれこそが中国の香りだなと直感的に思ったものだが、おそらくは中国独特の調味料の香りだと思われ、何となくそれは漢方薬っぽい香りのよう

でもあり、もしかしたらそれは上海に滞在している私の脳味噌が勝手に作り出し無理やりに私にそう感じさせる幻味(幻覚)であったのかもしれなかった。また上海は硬

水なので生水は飲めず(飲むと腹をこわすらしいが普通に料理に使っている店もあり)、基本的に飲み水は金を出して買うものであり、独特な風味のする美味くも不味く

もない中国料理に飽きると私は、日系の弁当屋や定食屋(日本料理は概ね高い)や、スーパーで冷凍食品を買ってきてレンジでチンして食べたり、吉野家で牛丼を食べた

り、マクドナルドでハンバーガーを食べたり、スタバでコーヒーを飲んだり、ローソンでおにぎりや日清カップヌードルを買ってきて会社で食べたり、中国でも大人

気なサントリー烏龍茶には、日本で売られている無糖のものと中国限定の砂糖入りのものと2種類あって、間違えて買って初めて飲んだ砂糖入りのサントリー烏龍茶

は砂糖入りの紅茶にどこか味が似ていてそれほど甘過ぎず個人的には大いに気に入り、烏龍茶の本場中国でもシェアを獲得できてしまえるサントリーの商魂に感嘆し

つつ、日本でも砂糖入り烏龍茶を発売すればいいのにと思いながら愛飲していた。上海滞在中は平日も休日もほとんど区別がなかったが、土日も大体昼前に起きて24

階の自室から5階のオフィスへと降りて行き自分のデスクでコーヒーを飲んだりメールをチェックしたりのんびりダラダラと過ごし、仕事以外の時間は、犯罪や麻薬

や車の運転を除き基本的には何をやってもどこへ行っても誰と遊んでも自由であり、一人で散歩に出かけたり、近所のスーパーに買い物に出かけたり、街のあちらこ

ちらの路上で1枚100円程度で叩き売りされている違法DVD映画を買ってきては部屋で一人鑑賞したり、違法DVDは途中で何度も止まってしまい結局最後まで観られな

かったり最初から観られなかったり、洋画には日本語字幕が付いていなかったり付いていても間違っていたりと結構当たり外れも多くて、その度にまったくインチキ

臭い国だと私はいちいちイラついていたものだが、ちなみに『レザボア・ドッグス』は中国語で『落水狗』『バッファロー’66』は『流氓本色』『BLOW-UP 欲望』は

『放大』『タクシードライバー』は『的士司機』『イージー・ライダー』は『逍遙騎士』『レイジング・ブル』は『憤怒的公牛』『パルプフィクション』は『低俗小

説』『マグノリア』は『心霊角落』『グッドフェローズ』は『盗亦有盗』『泥棒野郎』は『掌了銭就足包』『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』は『癩才家族』、また

黒澤明監督の『七人の侍』は字幕なしだとセリフが聞き取りづらくて(特に志村喬)イライラしながらも何とか1枚目を観終わり、これから面白くなってくるぞという2

枚目の頭から再生不能となり続きが気になってモヤモヤしたり、小津安二郎監督の『東京物語』は普通に再生できたものの、ジャケットのデザインが映画の中にはま

ったく登場してこないどこの誰だかわからぬ見ず知らずのアジア系の女性が一粒の涙を流して泣いてる顔のアップ写真で、あなたは一体どこのどなたさんどすか?と

ツッコミを入れたり、深作欣二監督の『蒲田行進曲』の原作者が「つかこへてぃ」と誤記載されていて「つかこへてぃ」って一体どこの誰やねん?とまたツッコミを

入れたり、他にも1回60分1000円程度の健全なマッサージや足ツボマッサージに行ったり、たまに青年Zと日本のスーパー銭湯みたいな施設に行き汗を流しリクライ

ニングチェアで優雅に寝そべり一晩過ごしたり、インターネットには常時繋がっていたので日本にいる家族友人知人との連絡には何らの不便もなく、たまに日本の仕

事もこっそり引き受けてメールでやり取りしたり、日本のニュースはヤフーニュースなどで日本にいる感覚でリアルタイムで知ることができ、日本ではどうやら韓流

ドラマ冬のなんちゃらかんちゃらとかいうメロドラマが大ブームになっているらしかったが、もちろん私はそんなものにはまったく興味はなかったけれども、私のい

ない日本という国で韓国のドラマが流行っているというニュースを中国の上海に滞在中の日本人である私がリアルタイムで知るという一昔前ならば到底考えられぬよ

うなインターナショナルな構図に不思議な気分になったり、あまりにもクサクサした気分になる時は、街へ酒池肉林なラブアフェア相手の中国美女を探しに出かけた

り、青年Zと連れ立って怪しげな店に鬱憤を晴らしに行ったり、ごくまれに日本映画を観た時などに日本での生活を懐かしく思い出して軽度のホームシックにかかる

こともあったものの、何だかんだといっては思っていたよりもストレスもなく気楽な上海生活を満喫しながらのんびりダラダラと過ごしており、何度も繰り返すが、

一緒にいると言葉に困らぬから頗る便利であるという理由から何をするにもどこへ行くにも中国語ペラペラな青年Zと私は行動をほとんど共にしていたものだった。

……

プロデューサーKが予言した通り上海に来てからしばらくの間はまったく仕事が入らず、取引先の広告代理店への挨拶回りや雑用ばかりの日々が続き、こんなペース

の仕事のやり方で会社として正直やっていけるのだろうかと私は他人事のように心配していたものだが、そんなことはもちろん口には出さず、流れにまかせのんびり

ダラダラと過ごし、そのうち一体全体自分は何をしに上海にやって来たのかすらもすっかり忘れてしまうほどあまりにも暇過ぎてさすがに暇疲れもしてきてしまった

が、そもそも自分がはるばる上海へやって来た当初の第一の目的とは、中国美女との酒池肉林なラブアフェアであることをはたと思い出し、それに安月給20万円也な

のだから仕事は楽に越したことはなかろうと腹を括り、お言葉に甘えましてとさらにのんびりダラダラと過ごしていた。上海に来る前までは、人生を賭けて上海に行

きそして必ずや成功を果たすのだ!自分には中国以外もう何も残されていないのだ!と血気盛んに熱く語っていたプロデューサーKは、上海に到着した当初こそ散々

私に先輩風を吹かしまくっていたものの、そのうち慣れない異国の地での生活に戸惑っているのか、本人も東條英機のパチモンであるという自覚があり中国人を密か

に恐れているのか、まるで萎びたナスの漬物か借りてきた猫みたいにすっかり意気消沈してしまって、もしかしたらプロデューサーKにはそもそもの初めからやる気

などまったくなくあれはただのポーズに過ぎなかったのではと勘繰ってしまうほどに、実際、仕事に精を出すわけでもなく、仕事をまったく取ってこようともせず、

かといって仕事以外のことに精を出すのかと言えばそんなこともなく、中国人に中国語を習うと息を巻いていたくせして、積極的に中国語を学んで中国に馴染もうと

もせず、四六時中、中南海をプカプカとふかしてはコーヒーを湯水のようにがぶ飲みし夜になればなったで酒を飲んではくだをまいてばかりいた。その後、日本のゴ

ールデンウィーク明けの5月半ば、戦地激励の陣中見舞いのため、プロデューサーEが、大出資者である大阪の某映像プロダクション(日が昇るみたいな意味の頭文字

S)の社長Nが多忙につき代わりの社員1名を伴い上海へやって来て一緒に北京ダックや火鍋を囲み、その数日間は現地スタッフの我々も観光客になったかのような饗宴

が続き、私はその時初めて本場の北京ダックを食べたのだけれども、ただ油っこいだけでさほど美味いとも思えず、北京ダックはもう生涯食べなくてもよいくらいに

腹一杯になって胸焼けがしてしまって、実際に今現在も北京ダックという言葉を見るだけで私は胸焼けがしてしまうほどである。プロデューサーKは日本にいるプロ

デューサーEに現地の状況を逐一報告している様子で、私が早々に部屋に不満を持ちプロデューサーKと部屋を交換したことをすでにプロデューサーEも知っており、

まあ色々あるとは思うけれど、我々の未来は君の肩に乗っかっているのだから、頑張ってくれたまえとヘラヘラ笑っていた。プロデューサーKは昔のツテを頼りに上

海での仕事を斡旋してもらうべく頻繁に日本にも帰国していて、Kには昔のよしみで某大手広告代理店(頭文字H)に太いパイプがあるらしく、上層部のお偉いさん経由

で紹介してもらった上海支社の日本人クリエイティヴ・ディレクターGから徐々にポツポツと仕事を回してもらえるようにもなってきた。中国のTVはCCTVと呼ばれる

国営放送局が独占しケーブルテレビのように専門チャンネルがいくつもあり、国営放送にもかかわらず企業CMが流れ(日本のNHKに企業CMが流れるようなもの)、中国

のCMは基本的に15秒だったら15秒、30秒だったら30秒、目一杯にナレーションを入れうるさく捲し立てるタイプが多く(日本のビックカメラCMやジャパネットタカタ

の通販番組に近い)、中国語なので何を言っているか正確には理解できぬも言わんとしていることは何となく伝わってきて、口喧しい女のごとくあまりにうるさ過ぎて

見ているだけでどっと疲れてきてしまい、他にも飲料系のCMは日本とさほど変わらず美しいイメージ映像をバックに美しいモデルが美味しそうにゴクゴク飲み最後に

笑顔で一言みたいな類型的なものが多く、総じてさすがはインチキ大国の中国だけにインチキ臭いCMばかりが溢れ、結局広告は世界中どこへ行っても迷惑行為以外の

何物でもなく余計な邪魔者に過ぎぬのだとあらためて私は思い知らされ、さらに、私の広告という仕事に対する積年の根本的かつ生理的な不信感不快感および嫌悪感

は、たとえ中国に場所が移ったとて、結局世界中どこへ行っても拭うことはできぬことを痛感するばかりであり、中国の広告業界で成功したいという野望も私には微

塵もなく、でも上海での仕事の成果を何かしら残しておきたいとだけは何とはなしに思ってはいて、さもなくば何のために上海に行っていたのかと誰かに真面目に問

われた時の建前上のカモフラージュの回答として、まさか中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアが主目的だったと真っ正直に答えるわけにもいかず、また、当時

の私はまだ絵を描きはじめてはおらず、自分のこれから先の未来がどうなって行くのか皆目見当もつかず、この先何をなすべきかもわからず、いや、やらなければな

らぬこと(藝術家を目指すこと)はきちんと頭でわかっていても、何をどうしてよいものやら実際行動に移せずもがき苦しんでいる真っ只中にあり、日本にいたならばお

そらくすぐにでも嫌気がさしてきてしまったことだろうが、何度も繰り返すように、私は上海へは中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを第一の目的として来て

いたわけであるからして、仕事は仕事と割り切り、上海での仕事の中身の質に対しては正直何らの期待もしておらず、ただ向こうからたまたまやって来て与えられた

だけの仕事を何らのやり甲斐も見出せぬまま主体性の欠片もなく言われるままなすがままロボットや売春婦のごとく虚しく淡々とこなしているに過ぎなかった。そん

な具合に上海での仕事を淡々とこなすうちに、月日も淡々と過ぎて行って、そして、気がつけば当初の契約3ヶ月が満了する5月末がもうすぐそこまで近づいていた。

……

そこから突如暗雲が立ち込めてきた。それは何となく予想していたことでもあったが、やはり来たかといったところの金にまつわる問題であった。上海に来てから現

地での私の報酬である月収20万円也は毎月末に青年Zからその時の換算レートの現地通貨を手渡しでつつがなく支払われていたが、ある時、雑談の流れから、プロデュ

ーサーK、青年Z、私の3人で月収の話になり、前述の通り、私は上海行きを持ちかけられた当初プロデューサーEから聞いた月給20万円也という金額に関して、一人の

人間を1ヶ月間海外に拘束し仕事に従事させる報酬としては、現地の物価などはまったく関係のない話であって、どう考えても安過ぎるのではないかと正直納得がいっ

ていなかったものの、プロデューサーE曰く、当初は我々プロデューサーたちも月給20万円也で皆平等にいくつもりであり最初は安月給で我慢するのが当然であると力

説され、皆同じ月給20万円也ならば致し方ないかと渋々承諾したわけだが、それはまったくの出鱈目でプロデューサーEの口から出まかせの嘘八百だったことが判明し

たのだった。よくよく確認してみれば、たしかに現地スタッフの月収はプロデューサーK、青年Z、私の3人共々皆平等に月収20万円也であったが(デスクの中国娘Yはお

そらくその半分以下)、プロデューサーKに限っては現地での月収20万円也とは別にさらに日本でも月収20万円也を追加で支払われているらしく、つまりプロデューサ

ーKは月収20万円也+月収20万円也=合計40万円也となるわけで、それだと当初に私が聞かされていた話とは違ってきてしまい、話が違うのではないかとプロデュー

サーKに詰め寄れば、Kは私に、そんな話は自分も今初めて聞く話であり、そもそも年齢や経歴や役職など立場により報酬が違ってくるのはどこの会社でも当たり前の

ことであると返してきて、私も、それはまったくもってその通りなのだけれども、それは百も承知の上でやはり最初に聞いていた皆平等に月収20万円也という話とく

い違ってきてしまうために納得がいかないとしつこく食い下がれば、それはプロデューサーEが勝手にあなたに話したことであり自分には一切関係がないとまた返して

きて、さらには、当初プロデューサーEは現地でのCMプランナーの選定にあたり私に白羽の矢を立てたその理由として、この人物(私のこと)ならば金に関してはまった

く文句は言わない(バカな)人間であり、こいつ(私のこと)ならタダでもホイホイ喜んで犬みたいに尻尾振って上海へ行くよ(何しろ世間知らずのバカだからね)」とも吹聴

していたと続けたため、私は騙されていた上にバカにされコケにまでされていたことに対して怒りが心頭に発してしまって、人を一体全体何だと思っているのだ、自

分は奴隷や犬やロボットなどではなく一人の人間なんだぞ、一人の人間が決死の覚悟で(実際はそれほどでもなかったが)人生を賭けてはるばる上海までやって来ている

というのに、その気持ちを勝手に弄び蔑ろにするのは人としてはいかがなものであろうかとプロデューサーKに対して声を荒げて詰め寄ると、私の剣幕に慄いたKは、

あなたの言わんとすることはもっともな正論であり、わからなくもないけれど、何度も言う通り、お金の問題には自分は一切関知していないので何と言っていいかわ

からないと繰り返し、その後、結局プロデューサーKからプロデューサーEにその発言の真意について確認してもらう運びとなり、それに対するEの答えは、自分はそん

なことは言っていない、断じて言った覚えなどないとしらっばっくれ、確かにそう聞いていた私はさらに怒りが増してきてしまい、その後Eと直接国際電話で話し合う

ことになってもまだ、そんなこと自分は言っていない、聞き間違えたか夢でも見て寝ぼけていたのではないのかとヘラヘラとシラを切り通し冗談に紛らわせてうやむ

やに誤魔化そうとするものだから、たしかに中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを夢見て寝ぼけていたことは事実であったが、たしかにこの耳でプロデューサ

ーKも月収20万円也で皆平等と聞いていた私はとうとう電話越しにプロデューサーEに対してブチ切れてしまい「寝ぼけてんのはそっちだろうが!ふざけんな!舐めて

んじゃねえぞ!」と一喝し電話を一方的にガチャリと切り、その後Eからもう一度私と直接きちんと冷静に話し合いたいと何度も電話をかけてくるのを一切拒否し続け

て、その時点で私とEとの関係は完全に決裂する結果となり、爾来、私はプロデューサーEと直接話す機会を持つことは二度となく、それどころか、もう二度と会うこ

ともなく、すべての話はプロデューサーKを通して進めていくこととなるのだったが、その後に青年Zに聞いた話によれば、私に罵倒されたプロデューサーEも怒り心頭

に発してしまって、私のことを、雇われの身のプランナーごときが生意気な口をききやがって、舐めてんじゃねえぞ!と散々罵っていたようだが、この一件に関して

はプロデューサーKも青年Zも一貫して私に対し同情的な立場で味方についてくれて、おそらくそれは前述の通り、金にだらしがないため金の管理を一切任されずに蔑

ろにされていたプロデューサーKもプロデューサーEに対しては常日頃からかなりの不満を抱いていたためであるのと、加えて、この一件をきっかけにして会社内での

主導権をプロデューサーEから奪取し少しでも優位な立場に立ち、できれば現地での金の管理の主導権も握りたいと目論んでいたためであると私は推測するところだ

が、客観的に見ても誰が見ても私が騙し討ちに遭って上海に奴隷のごとく連れて来られたみたいなあまりにえげつのない酷い話であったため、ただ単に上海の父親と

して息子の私を哀れに思っての行動だったのかもしれなかった。そして、この一件をきっかけにしてその後もなぜだか知らぬが、まるで疫病神に取り憑かれたかのご

とく私の身には災難が続き、プレゼンボード制作作業中ぼんやりして左手親指の先端をカッターで3mmほど切り落とし大量の血が噴き出るわ、携帯電話をタクシーの

車内に忘れるわ(結局後に見つかる)、ある日突然私の自室のドアが内側から開かなくなり半日部屋に閉じ込められてしまい、この時は青年Zと連絡がつかずプロデュー

サーKの携帯電話に連絡し外からドアを蹴破って助けてもらい事なきを得るなど(助け出された瞬間だけはKのことが映画『ダイハード』のブルース・ウィリスのように

頼もしく思えたものだ、ついでに髪型もちょっと似てる)、やがて当初3ヶ月の契約期間が切れる5月の終わりが目前となり、私自身は、まるで奴隷のごとく騙し討ちに

遭って上海まで連れてこられたようなものでもあり、またプロデューサーEとの関係もすでに決裂してしまった以上もはや上海にいる理由などほとんどなくなってしま

い、当初の3ヶ月間という契約期間満了のこの時点で速やかに日本に帰国しても別に良かったわけだけれども、そしてプロデューサーKも(もちろんプロデューサーEも)

本心ではある意味腫れ物とも言える私にさっさと日本に帰国してもらいたいらしいことにも薄々気づいてもいて(あまり仕事がなかったことが一番の理由であり)、それ

となく打診もされていたのだけれども、だがしかし、その時点での私はいまだ上海で何一つ成し遂げてはおらず、このまま日本に帰っても中途半端になってしまい、

もちろん相変わらず日本の広告業界には心底うんざりしており、日本に戻ってもまた同じことの繰り返しとなるわけであり、かといってこのまま中国で行方をくらま

せて映画『地獄の黙示録』状態になる勇気もなく、それよりも何よりも当初の上海に来た私の第一の目的である中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアがいまだ果

たせぬままの状況であり、それを実現させずしてなぜに私が大人しく日本へ帰ることなどできようか、日本へ帰るわけには何としてもいかぬと駄々を捏ね、そのまま

上海に居残る腹を決め、依然私の再契約にぐずるプロデューサーKを、もしもここで私の契約を無碍に打ち切る気でおられるならば、社員を蔑ろにするとんでもなく卑

劣な会社であるという良からぬ風評を関係各所に触れ回る可能性もなきにしもあらずだが、実際どうなさるおつもりであろうかとさりげなく脅しをかけるなどした上

で、そのまま契約期間をさらに3ヶ月引き延ばすことに見事成功し、引き続き私の上海での生活がダラダラとはじまることとなり、そして季節は夏へと向かっていた。

……

些か強引な手段を用いて卑怯ではあったものの、当初の目標である中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアは何としても実現させなければ日本男児として男が廃る

と背に腹は代えられず何とか再契約を果たしさらなる3ヶ月を上海の地で過ごすこととなった私であったが、季節は6月に入り、上海にも梅雨があるのかどうかはつゆ

知らぬが雨もだんだん多くなってきて、街で驟雨に遭い知らない民家の軒先に避難したことも幾度かあり、私はストレスやフラストレーションの捌け口としてプロデ

ューサーKと同じ中南海をプカプカと吸いはじめ、途中でマイルドセブンに変えたり、また中南海に戻したり、かわりばんこに吸ったり、マイルドセブンは中国で七

星(シーチン)と呼ばれ、さすがはインチキにかけては超一流国だけあってパッケージはそのままに中身がすべて偽物の商品も出回っているらしく、私には偽物だろう

が本物だろうが正直どちらがどちらかよくわからず、実際はどちらでも別によく、そもそも私自身も偽物だか本物だか正直どちらかよくわからず、インチキ臭い中国

のインチキ臭い上海にあるインチキ臭い会社で働くインチキ臭い自分にはインチキ臭い偽物タバコがお誂え向きだと自虐的にむしろ偽物の七星(シーチン)を探し求め

ては吸いまくり、その頃から仕事の制作も実際に少しずつ動き出し(私は企画作業のみで実際の制作にはほとんど関与しなかったが)、会社では新規に中国人プロデュ

ーサーを臨時で雇うことにもなって、私は、もう仕事にならなくなるくらい常にチャイナドレスが脇の下まで割れ乱れまくった感じの例えば中国人女優コン・リーみ

たいな超セクシーな美人プロデューサーが入ってくることを夢想して大いに期待したのだけれども、実際に雇うことに決まったのは北京原人みたいな中年のおばさん

プロデューサーで、またしても私は肩透かしを食らってしまい、実際私はその北京原人とは口もきかなければ目も合わせることすらもなかった。さらに、仕事の制作

が実際に動き出すにつれて、元々あまり上手くいっていなかったプロデューサーKと青年Zとの関係も次第にギクシャクとなってきて、私はプロデューサーKと青年Z

双方の不満や愚痴や悪口陰口をそれぞれの口から耳にしながら、こんなにも社員が互いにいがみ合った雰囲気の悪い状況でこの先この会社は果たして上手くやってい

けるのだろうかとまたしても他人事のように心配していたものだが、そもそも彼ら二人の確執の根本的な原因は、どちらが会社の代表なのかという問題であり、会社

のオフィスでは本来社長が座るべき上座に青年Zがドカンと陣取り社長面して偉そうに座っており、下座というか一般席に座るプロデューサーKはおそらくプライドが

許さず、常々そのことについて不満を抱いていたようでもあり、また前述の通り、金に滅法だらしがなくそれが原因で赤坂にある某業界最大手TV-CMプロダクション

(頭文字T)を追い出された黒い過去を持つプロデューサーKには上海での金の管理は一切任されてはおらず、実際Kは会社における現地での代表の立場にあるにもかか

わらず金を一銭たりとも(中国通貨で言うと一毛たりとも)自由にはできず、中国語がまったく話せず学ぼうともしないため現地での会社経営にもほとんど実質的には

関与できず、単に飾りだけの雇われ社長のような扱いであり、そのことに対しても相当根に持っているようであり、またこれも前述の通り、半年前か数ヶ月前までは

某業界大手TV-CMプロダクション(頭文字A)の元役員だったプロデューサーが上海に設立したCMプロダクションで働いていた青年Zは、その会社が潰れる原因となっ

た腹黒悪徳中国人プロデューサーの狡猾で汚い仕事の進め方の薫陶を確実に受け継いだかのごとく、自分に都合の悪いことは故意に翻訳せずにミスリードし、プロデ

ューサーKそっちのけで自分に都合のいいよう好き勝手に強引に仕事を進めており、そんな青年Zの狡猾さや腹黒さに対しても、彼はそれほど仕事の経験や実績もない

くせに偉そうで、どこかしら山師的なところもあり危なっかしくて見ていられない、このままでは会社の存続に関わってくる、そもそもどっちが社長なんだかわかっ

たものではない!とプロデューサーKは陰でZを罵り、仕事は徐々に入ってきてはいたものの、会社に制作費が入金されるのは実際にCMを制作して納品後のさらに何

ヶ月も先となるため、徐々に会社にストックしてある当座の資金が尽きかけてきて経営も怪しくなってきて、比例的にプロデューサーKと青年Z二人の関係もさらにギ

クシャクと険悪になってきてしまい、青年Zは積極的に仕事を取ってこずに飲んだくれているプロデューサーKに対して、もう仕事取ってきて下さいよ、このままだと

この会社潰れちゃいますよと面と向かって露骨に嫌味を言ったり、はたまた、プロデューサーKが普段愛用し掛けているメガネがどうやら東条英機とお揃いのモデル

であると突然主張しはじめ、ちゃんと調べましたよ、メガネの模様までもうそっくりですよ、これは確信犯です、たぶんKさんは昔の日本の軍人みたいに中国を侵略

しに来ているような感覚でいるんですよ、上から目線で内心では中国を下に見てバカにしてるんですよ、中国語も一切勉強しようともしないし、いつまで経っても日

本から来たお客さん気取りで中国に馴染もうともしないし、こないだなんか酔っ払って「中国語でありがとうって何て言うんだっけ?」って冗談じゃなく真面目な顔

で聞いてきたりして、そんな態度で中国で成功しようなんて甘いと思うんですよねと散々陰口を叩いたり、社内の空気がみるみる険悪になっていくのを目の当たりに

しながら、私は、青年Zの言うことももっともな話であり、悪運につきまとわれた金に汚くだらしない人間の屑ども(もちろん私自身やプロデューサーEも含め)が肩寄

せ合ってガラクタの寄せ集めで急遽即興の出来合いで作ったインチキ会社が果たしてこの先成功するのであろうかとまたしても他人事のように心配しつつ、いがみ合

うプロデューサーKと青年Zをよそに、私は中国娘Y(チンピクしないあやや)と二人、昨日は何を食べただの、今度あそこの店に行こうだの、どこかに可愛い中国美女

はいないかだの、今度可愛い子紹介してよだのと、また、私の日本語の苗字「大竹」を中国語にすると「ダージュ」と読み「ダージュ」の「ジュ」は中国語で「猪」

つまり「豚」を意味するらしく、すなわち私は中国では「大きな豚」となり、それを中国娘Y(チンピクしないあやや)から揶揄されるなど、カタコトの日本語とカタコ

トの中国語と時々英語や身振り手振りを交えた何ともトンチンカンな会話をコソコソと続けてはたまに二人顔を見合わせ呑気にニヤニヤしてばかりいるのであった。

……

肝心な話を私はまだ書いていなかったような気がする。そろそろ私が上海へと赴く決め手となり、そして実際に私が上海へとはるばるやって来た唯一の目的でもある

ところの、皆様お待ちかね中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアの話へと移っていくことにしようか。私が上海に来てから覚えた中国語の単語は数え切れぬほど

あれど、その中でも特に印象的なのは、やはり「舒服(シューフー)」であろうか。意味は「気持ちいい」とか「心地いい」である。その次は「換(ファン)」で「交換す

る」とか「チェンジする」という意味である。他にも「口交(コージャオ)」→「フェラチオ」「性交(シンジャオ)」→「SEX」「ロ丕(ペーイ)」→「バーカ」「発票(ファ

ーピャオ)」→「領収書」などなど。海外へ行って外国語を手っ取り早く覚えたいならば現地の女と付き合えとよく言われるように、人は緊急な必要に迫られなければ

何一つ学ぼうとはしないものである。必要は発明の母であり、習うより慣れろの精神である。ある夜、たしか月末の給料日頃だったろうか、夕食後のオフィスで青年

Zが金庫に保管する会社の当座の資金である毛沢東の顔が印刷されたピンクの札束を取り出してきてうちわみたいに扇ぎながら「なんだかムラムラしてきませんか?

スケベなこととかしたくないっすか?」と酒に酔った怪しい目付きのニヤケ顔で誘ってきた。同じく酒に酔った私は、青年Zにだけは包み隠さずに自分が上海にやっ

て来た真の目的を話してあったから「もちろん男なら誰しもスケべなことはしたいに決まってるさ、でも金を介して中国美女たちと酒池肉林するのは邪道じゃないか

ね、俺が真に求めているのはあくまでも純粋な中国美女とのラブアフェアであり、つまりそこには必ず愛がなければならないんだ、ただでさえ広告屋なんていう愛の

ないSEXをする売春婦じみたインチキ稼業に身をやつしているわけだからね、恋愛くらいはやっぱり本気で行きたいじゃないか、ちゃんと相手の目を見てウォーアイ

ニーと囁きたいんだよ」と返せば「そんなに都合よく中国美女なんて簡単に見つかりっこありませんて、中国に来て10年のこの僕が言うんですから間違いないっす

よ、随分前の話ですけど、外灘(バンド)辺りで、もう目を見張らんばかりの絶世の中国美女に声を掛けられたことがあって、知ってる店があるからと食事に誘われ連

れて行かれた店で法外なぼったくり料金請求されそうになって、便所に行く振りして全速力で逃げたことありましたもん、上海に来てあんなにも本気を出したのはそ

の時くらいですね、ともかく純粋な中国美女なんてどこにもいやしませんて」と青年Kが突き放してくるのを、あくまで中国美女とのラブアフェアは金を介さず行わ

んことにこだわり続ける私がまだぐずぐず渋っておると、青年Zは「会社の金使っちゃいましょう、これだけあるんですから、金かからないですから、行かないとい

う選択肢はないですよね、今回だけ特別に会社の金でパーッと遊んじゃいましょう」となおも強引に勧めて来るものだから「まあ金がかからないのなら、やぶさかで

はなく、物は試しと一遍くらい話のネタに行ってみてもよかろう」と私も渋々同意し二人タクシーに乗っかり中心部から少し離れた郊外へといざ向かったのだった。

詳しく聞いていないが青年Zもステディな相手のない喪男らしく、そんな中国に来て10年になる上海SEX事情にも精通したベテラン青年Zが語るところによれば、上海

でごく一般的な日本人が手っ取り早く性欲を満たす方法はいくつかあり(2004年時点の話)、まずはサウナであり、上海でサウナというと2種類あり、それは一般的な

健全なサウナと性的なサウナであり、日本でもソープランドのことを個室サウナと呼ぶように、日本でいうところのソープランドや個室ヘルスみたいな形態の店であ

り、上海の日本人向けの雑誌に堂々と広告を出しサウナと明記されてはいるが、ただのサウナでないことは皆よく理解していて、その店でのサービスは基本的に普通

の健全なマッサージからはじまり徐々に性的なマッサージへと移行し最終的にフェラかSEXで終わるという流れであり、ほとんどの店はSEXまで可能だが、店や女の

子によってどこまでできるか異なる場合もあり、それは店と相手の女の子次第の運任せといったところであり、料金は90分で2万〜3万〜4万円也くらいだったかよく

覚えてないが、日本とさほど変わらぬ値段だったような、女の子が気に入らぬ場合には「換(ファン)」と言って女の子をチェンジできる場合もあり、店は中心地から

タクシーで20~30分ほど離れた郊外や昔の日本人居住地だった場所に多い。次にカラオケ、これは日本のキャバクラやスナックパブみたいな形態の店であり、店内で

性的なサービスを受けるのは難しいが、気に入った相手が見つかれば指名して金次第で店外デートや自分の部屋に連れ込んでSEXや、愛人として囲うことも可能であ

り、日本語が達者な女の子ばかりで、ここではすべてが金次第であり、たとえモテない醜男でも金次第で何でもありなのですっかりハマってしまう日本人も結構多い

らしい。次に床屋であり、上海の床屋にもサウナ同様に散髪屋としての健全な床屋と性的なサービスを行う怪しい床屋の2種類があり、街を歩くと日本と同じような

店構えの床屋を多く見かけるが、よく見ると店の雰囲気がガラリと異なり、怪しい床屋はピンクのお色気ムード満点な薄暗い照明で、その怪しさは一目瞭然、どちら

かに間違えて入ってしまうことはなく、店内は散髪用の例のイスが何台も並び、そこで性的なサービスが行われ、店によっても異なるが、基本は手コキであり、こち

らから女性の体に触れてよい場合もあれば拒否される場合もあり、相手を選べる店もあれば選べない店もあり、別料金でフェラやSEXまでできる店もあり、料金は手

コキのみでたしか3000円也くらいだったか、フェラはプラス4~5千円、SEXするにはプラス1万か2万、中国語しか通じず、中には悪質なぼったくり店もあり、玄人向

けであり、青年Zも一時期は怪しい床屋にすっかり嵌り上海中をくまなく探し回って利用していたという。そんな青年Zは日本からやって来た日本人のお偉いさん連中

を得意の中国語を駆使し上海を案内して回り性風俗サービスを行う店へアテンドするSEXコーディネーターみたいな仕事もたまにしていたようで(村上龍の小説『イン

・ザ・ミソスープ』の上海版か)、案内する代わりにおこぼれにも与っておいしい思いも結構していたようである。そして、その夜、我々二人が向かったのは郊外へと

タクシーで20分ほどの場所にあるサウナと呼ばれる店であり、建物の外観は怪しい雰囲気はなく至って健全、一見、日本の銭湯かスーパー銭湯のようであり、レスト

トランかスポーツジムのようでもあり、まずは日本語の通じない受付で料金(日本円でたしか1人2~3万円也くらいだったか)をこの時は青年Zがまとめて支払い、ロッカ

ールームで服を脱ぎ、普通のサウナで一汗流し洗い場で体を清め、備え付けのガウンを着て待合室のリクライニングチェアに寝そべり待っておると、客はほとんど見

分けがつかぬが日本人もいれば中国人もいて、順次呼ばれてプレイルームである個室へと向かい、やがて私の順番も巡って来て、洞窟みたいな薄暗い部屋に案内され

ると、そこには水着というか下着姿の南方系で少し顔の長いそしてかなり毛深い細身の女の子が笑顔で立っていて、簡単に中国語で挨拶を交わし、その女の子はウォ

ン・カーウァイ監督の映画にも出演していたカレン・モクという香港女優にどことなく雰囲気が似ていて(私は昔仕事でカレン・モクに会ったことがあるから間違いな

い、もちろんSEXはしたことはない)、日本語はまったく通じず、にもかかわらず、カレン・モクは、あなた、まさか中国語がわからないわけがないわよね、信じられ

ないわと一方的に中国語で捲し立てきて、それはおそらくガウンを脱げと言っているようであり、私が素直に従い素っ裸になると、カレン・モクは、さっきサウナに

入って体もすでに洗い済みであるのにもかかわらず再び石鹸で私の全身をくまなく特に私の股間にぶら下がっている奇妙な果実を重点的にがさつな手つきで、一体い

つまで洗ってるんだよ、いい加減にしろというくらい念入りに、これでもかこれでもかこれでもかとしつこく洗いまくり、私は、俺のペニスはそんなに汚くはないぞ

と皮肉めいた冗談の一つでも言ってやりたくもなったものだが、その微妙なニュアンスを中国語でどう言えばよいものやらさっぱりわからず仕方なく黙ってされるが

ままにようやく洗い終わると、部屋の中央には病院の診察室にあるような小型簡易ベッドが1台が置いてあり、カレン・モクは再び、あなた、まさか中国語がわから

ないわけがないわよね、信じられないわと一方的に中国語で捲し立ててきて、それはおそらくそこに寝転がれと言っているようであり、私が素直に従いうつ伏せに寝

転がると、カレン・モクは私の全身にまずは普通の健全なマッサージをはじめ、私がこれからはじまるお楽しみの時間を期待して胸と股間を膨らませつつ身を任せて

おると、徐々にカレン・モクの手指が私の股間へと向かって行き、ぎこちない手つきで私のペニスをまさぐりはじめ、さらにギュウっと握って上下にしごきはじめ、

やがて私のペニスが適度な硬さになると、おもむろに口に含みペロペロと舐めはじめ、そのフェラのやり方が何とも独特であったために私はいまだに忘れずに覚えて

おるが、それはペニスを1~2回舐めるごとにすぐさまうがいをして床にぺっと吐き出し、またペニスを1~2回舐めるごとにすぐさまうがいをして床にぺっと吐き出し

を延々と繰り返すといった独特なフェラのやり方であり、またしても私は、俺のペニスはそんなに汚くなんかないぞと皮肉めいた冗談の一つでも言ってやりたくもな

ったものだが、やはり中国語でどう言えばよいものやらさっぱりわからず仕方なく黙ってされるがままになっていると、カレン・モクはその独特なフェラの合間合間

に、私に向かって中国語でしきりに「ソフマ?」「ソフマ?」「ソフマ?」と繰り返し尋ねてきて、私にはまったくその意味がチンプンカンプンであったが、そんな

ことはまったく関せずといった具合に、あなた、まさか中国語がわからないわけがないわよね、信じられないわと一方的に「ソフマ?」「ソフマ?」「ソフマ?」と

捲し立ててきて、正直に言えばカレン・モクの特殊なフェラは1回おきにすぐさまうがいをするものだから、その都度フェラが中断されて快楽が長続きせず、私はで

きればフェラはもうやめていただきそろそろSEXに移行したいなと思いつつも、やはり中国語でどう言えばよいものやらさっぱりわからず仕方なく黙ってされるがま

まになっていたが、何度もカレン・モクから「ソフマ?」「ソフマ?」「ソフマ?」と謎の言葉を呪文のように一方的に繰り返されているうちに、何だか魔法にかか

ったかのような気分でやがて呆気なく絶頂を迎えた私が、カレン・モクの口に向かって発射しかけるや否や、カレン・モクはその口を私のペニスから瞬く間に離し、

と同時にすぐさま手コキに切り替え、私がすっかり果て一滴残らず搾り取られた後も引き続きカレン・モクは私に何度も「ソフマ?」「ソフマ?」「ソフマ?」と一

方的に繰り返しながら、再び私の全身を石鹸で洗いはじめて、今回は股間にぶら下がっている奇妙な果実は念入りではなく簡単に済ませて、そして、そんな具合に私

は上海における記念すべき第1発目の射精を何とか無事に終えることができたというわけであるが、出すもの出してとりあえずスッキリして再び服を着てロビーに出

てみると、すでに自分もスッキリして些か上気した満足顔の青年Zが待っていて、さっそく「どうでした?SEXできましたか?」と尋ねてくるから、私がフェラのみ

で終わったことを告げると「相手の女の子によって、SEXできる時とできない時があるんですよね、僕もできませんでした」と青年Zは返してきて、そして帰りのタ

クシーの中、私が「ところでさ『ソフマ?』ってどういう意味なのかな?女の子が俺のペニス舐めながら『ソフマ?』『ソフマ?』『ソフマ?』ってずっと聞いてく

るんだよね」と先ほどからの疑問を投げかけると、青年Zは「あ、もしかして、それは『シューフーマー?』じゃないですかね、中国語で『舒服(シューフー)』は気持

ちいいとか心地いいって意味なんですけど、『マー?』は疑問系だから、たぶん気持ちいいか?って聞かれてたんですよ」「そっか『ソフマ?』じゃなくて『シュー

フーマー?』って言ってたんだ、気持ちいい?って意味なんだ」「そうですよ、だから『シューフーマー?』って聞かれたら『シューフー!』って答えてやればいい

んですよ、ところで今日は『シューフーマー?』だったですか?」「もちろん『シューフー!』だったよ」「本当に『シューフーマー?』でしたか?」「本当に『シ

ューフー!』だったさ」「シューフーマー?」「シューフー!」「シューフーマー?」「とりあえずシューフー!だったよ」「シューフー!だったんなら良かったで

す、僕もシューフー!でした、またシューフー!しに行きましょうね」「うん、またシューフー!しに行こう」とトンチンカンな会話を続ける我々日本人のことをタ

クシーの中国人運転手がフロントミラー越しに「こいつら頭大丈夫か?」といった蔑んだ目で一瞥してくるのも何のその、一切関せず「シューフーマー?」「シュー

フー!」「シューフーマー?」「シューフー!」「シューフーマー?」「シューフー!」とうとう部屋に着くまで二人アホみたいに延々と繰り返し続けるのだった。

……

他にも上海で性的なサービスを受ける方法は探せばまだまだたくさんあるかとは思うが、私が上海滞在中に実際に経験したのは上記の3形態の店のみであり、さらに

私は病気をもらうのが怖いのと、あくまでも普通の素人の中国美女との純粋なラブアフェアを切実に希望し、やはり金銭を介したラブアフェアは純粋なラブアフェア

では断じてないと考え、そういう系のお店に嵌ってしまうことなどはなく、青年Zに誘われて冷やかし半分の物見見物の話のネタとして行く以外にはあまり積極的に

は利用せず、これは別に清純ぶっているわけではなく(今さら清純ぶったところでもうすでに手遅れであり)、どうしても欲望を抑えきれず我慢できなくなり自らの意

志で行ったこともほんの数えるほどであったが、印象的な話は他にもいくつかあり、ある時、青年Zに無理やり誘われて行った怪しい床屋の硬い椅子の上で野生味溢

れる風貌の女の子と一戦を交えたことがあったが、その女の子はSEXの最中にケダモノじみた喘ぎ声を始終あげ続け、顔はすっかり忘れてしまったがそのケダモノじ

みた喘ぎ声だけは今でも私はしっかりと覚えており、その風貌も相まってもしかしたら私は人間ではない何かケダモノや物の怪の類いとSEXをしているような不思議

な気分を味わっていたものだが、言葉のわからぬ異国での言葉のまったく通じぬ相手とのSEXは私にとって生まれて初めての経験であり、言葉が通じないと心も通じ

ていないかのように何だか物足りなさを感じてしまい、さらにその時の私は芥川龍之介が中国で娼婦を買い帰国後もしかしたら自分は性病に罹っているのではないか

と疑いはじめそれを苦にして自殺したことをぼんやりと思い出してもいたものだった。これは私の勝手な印象だけれども、概ね中国の女性はガサツで繊細さに欠ける

ところがあるのが特徴のように思っていて、たとえそこに愛がなくとも言葉のきちんと通じる日本人の女性とのSEXのほうがあらゆる意味で断然気持ちがいいと身を

もって思い知らされもしたものであった。青年Zは日本人のスケベなおっさん連中が金に物を言わせて中国女にフェラを散々仕込んだから結果として中国女はすっか

りスケベになってしまったみたいなトンチンカンな理論を主張していたが、私は中国四千年の歴史というくらいだから太古の昔から中国にもフェラはあったに違いな

いと主張して、二人でアホみたいな論争に発展したこともあった。また、ある夜、青年Zのお気に入りの女の子がいるというカラオケパブに無理やり連れて行かれた

ことがあって、青年Zはそのお気に入りの女の子を部屋に呼んで大金積んで一度だけSEXさせてもらったことがあると吹聴していたが、私はたまたまその時付いてく

れた日本語が達者なそこそこ美形で細身の中国娘リンリンと後日に1日デートをしたことがあり、デートの最中に私はSEXできないかと何度か交渉してみたものの、

今日はダメよ、まだダメよ、SEXはもっと仲良くなってから、でもあなたのことは大好きだよと体よく断られ、結局デートの最後は店に連れて行かれる羽目となり、

ようするに、それは日本のキャバクラでいうところの「同伴デート」であり、純粋な意味でのデートなどではなく、その日は店でしこたま酔っ払って、リンリンは可

愛いよ、リンリンはすごくセクシーだよ、リンリンはすごく美人だよ、リンリンはピャオリャン(中国語で綺麗)だよ、リンリンとSEXしたいよ、リンリンとSEXしたい

よ、リンリンとSEXしたいよ、リンリンとSEXしたいよ、リンリンとSEXしたいよ、リンリンとSEXしたいよ、リンリンとSEXしたいよ、と延々リンリンの耳元で甘い

言葉を囁き続け褒めそやし持ち上げるだけ持ち上げておきながら最後の最後に「ロ丕(ペーイ)!」(中国語でバーカ!)と言い放って落とすという冗談遊びを3時間ほどし

たり、リンリンからも耳元で何度も「精神病(セイシンビョー)!」だの「神経症(シンケイショー)!」だのと甘く優しく罵倒され続けて変態を自認する私はもう上海に

来てから一番というくらいに大興奮したりと存分に楽しんで、そして帰り際エレベーターの中「今日はとっても楽しかったよ、欲を言えばリンリンとSEXしたかった

けどね、今日はもうリンリンとSEXする気満々で来たんだけどね、というより、俺はリンリンとSEXするためだけに日本を飛び出してはるばる上海までやって来たよ

うなもんなんだけどね、いやいやいや、もっと言ってしまえばだ、俺はリンリンとSEXするためだけにこの世に生まれ落ちて来たようなもんなんだけどね、この次会

った時はもちろんSEXできるよね?」と私がダメ元で尋ねてみれば、リンリンは「何言ってんのか、よくわかんなーい、でもあなたのことは大好きだよ」と答えて、

私は、本当に大好きだったらSEXさせてくれるだろうに、まったく何言ってんだ、お前が大好きなのは毛沢東の顔が印刷されたピンクの札びらだろうが、この腹黒性

悪中国女め、ロ丕(ペーイ)!ロ丕(ペーイ)!ロ丕(ペーイ)!ロ丕(ペーイ)!と心の中で罵りながらも、そのリンリンの言い方が何とも可愛らしく思えて、もう我慢できなくな

ってしまった私はリンリンに3回キスして(舌は入れさせてくれなかった)、再見(ザイジェン)!と笑顔で別れたのだけれども、部屋に帰って酔いが覚めると同時に心も

一気に冷めてきて、何だかすべてがもうバカらしくなってきてしまって、一体自分ははるばる上海までやって来て何をやっておるのだろうか、中国人商売女から「精

神病(セイシンビョー)!」だの「神経症(シンケイショー)!」だの散々罵られてニヤニヤと大喜びしておる自分は正真正銘の精神病か神経症なのではなかろうか、それ

にそもそも金を出してSEXするのは純粋なラブアフェアとは呼べぬだろうよと自己嫌悪に襲われて、そんな愚かな自分に対しても、ロ丕(ペーイ)!ロ丕(ペーイ)!ロ丕(ペ

ーイ)!ロ丕(ペーイ)!それっきりリンリンから携帯電話に連絡が入っても一切無視したまま、リンリンとは二度と会うこともなく、カラオケパブという形態の店に二度

と行くこともなかった。やはり私自身の考え方としては、たとえ相手が中国美女であっても金銭を介さないラブアフェアでなければ純粋なラブアフェアと呼ぶことは

できず、その点だけは私は絶対に譲ることができず、さらには中国人商売女の金に汚いところや卑しいところや腹黒さや、口先だけのいい加減なところなどに徐々に

私は幻滅していくようにもなって、それとともに中国美女との酒池肉林なラブアフェアの夢自体も次第に冷めていき、挙げ句の果ては、何とも現金なもので、いつし

か私は今度は逆に上海にいながら日本美女との酒池肉林なラブアフェアを夢想している自分に気づくのだった。そんなふうに若い青年Zや私が上海で時々悪い遊びに

耽っている一方で、プロデューサーKはどのように異国の地にて性処理していたのか、当時は考えたこともなくそんなことにはまったく興味もなかったが、日本に病

身の妻を抱えおそらく性的にはすでに枯れてしまっていたと思われるKは、かわりに酒とタバコとコーヒーに嵌まり、自分を慰めていたと言ったところであろうか。

……

やがて、私の半年間に渡る上海滞在もそろそろ終わりに近づいてきた8月のある日のこと、藪から棒に、日本語カタコトデスク中国娘Y(チンピクしないあやや)の遠い

親戚でたまに会社に出入りして仕事も手伝っていたヤクザ風な中国人男と青年Zとの間に金銭的ないざこざが起こり、会社が密告されるという事件が起こった。詳し

いことは忘れてしまったが、何でも労働許可関係の密告であり、日本から来た私とプロデューサーKおよび日本人留学生である青年Zの3人は当初から労働ビザは取得

せずに会社で労働し報酬を得てきており、実際に労働ビザが必要だったのかどうかは不明だが、少なくとも長期に渡り会社に所属し上海で労働する外国人は何人たり

とも国に登録が必要であったらしく、にもかかわらずその登録を一切行わずに(故意に怠り?)我々3人は会社で働いていたことになり、それだと国に目をつけられて、

そのままだと会社の存続が危ぶまれる事態となってしまうため、その登録作業を早急に行わなければならなくなり、その許可が下りるまでの当分の間、我々日本人は

オフィスに立ち入ることが許されず、自室での軟禁生活をしばらく送らねばならなくなり、またしても会社組織としてのいい加減さを目の当たりにした私は、こんな

調子でこの会社はこの先ちゃんとやっていけるのかと他人事のように心配しつつ、やがて登録作業も無事済んで、再び通常の業務に戻っていって、その頃の仕事とし

ては、ヒラヒラ衣装を身に纏いレコード大賞受賞経験もある台湾出身の女性歌手にオリーブオイルがどうたらこうたらとしょうもないインチキ臭い宣伝文句を言わせ

る、某通販化粧品売上No.1会社のCM企画を私は担当しており、おそらく日本でならば確実に断っていたであろう類いの愚にもつかぬ仕事であったが、上海では仮に

も会社に所属している身である以上断るわけにもいかず、私はもう心のない企画マシーンと成り果てて仕事に臨んでいたものだが、どうやらこのクライアントはいわ

くつきの会社であるらしく、この仕事に関しても色々なCMプロダクションを散々たらい回しになった末の最後の最後に我々の会社になぜだか巡って来た胡散臭い仕

事であったらしく、何度も何度もダメ出しくらってはやり直しプレゼンしまたダメ出しくらってはやり直しプレゼンしを延々と繰り返し、私は心底うんざり頭がおか

しくなりかけてしまい、その鬱憤を解消するべくたまに青年Zに誘われるがままに怪しい店に足を運ぶなど、相変わらずダラダラと月日は過ぎて行き、すでに季節は

真夏に入っており、その年の真夏の上海はとにかく異常に暑くて、気温が40度にのぼる日もあり、あまりに暑すぎて昼間は迂闊に外も出歩けず普段つけないエアコン

ディショナーの効いた部屋にこもり切りダラダラと過ごし、8月15日は日本では終戦記念日にあたるが(それは敗戦を終戦と誤魔化しているに過ぎず)、中国にとっては

まさに戦勝記念日であり、TVからは中国万歳!毛沢東万歳!中国共産党万歳!とその関連のプロパガンダ映像が嫌がらせのように頻繁に流れてきて、はるばる日本か

らやって来て東條英機のパチモンであるプロデューサーKの下で働く日本人の私としては甚だ肩身の狭い居心地の悪さを感じていたものだが、さらに、2004年夏はアテ

ネオリンピックも開催され、上海は中国なので基本的にTVから流れる競技映像では中国人選手のみがフィーチャーされ、たまに日本人選手をTV画面の隅に小さく見つ

けた時などに、普段は国際スポーツ大会で日本が勝とうが負けようが一切我関せずと無関心を決め込むスポーツにまったく興味のない私が珍しく手に汗握り日本人選

手を応援しており、自分自身の中に潜む愛国心に驚きもしつつ、この時すでに私は8月いっぱいで上海に別れを告げ日本に帰国することが決まっており(プロデューサー

Kもあえて引き留めようともせず、私も居残る意志は微塵もなく)、日本に帰ってからも再び日本の広告業界に身を置かなければならぬ我が身を思い、さらにこれから

先の我が人生の行く末を思い、再び私の心の中には、日本の広告業界などさっさと滅びてしまえばいいのだという滅亡思考や、それどころか自分自身すらをも含めた

人類や世界など地球が爆発してとっとと滅びてしまえばいいのだという破滅願望が再燃してきてしまい心底うんざりとした気分になるも、ちょうどその頃、私はたま

たま上海に携帯してきていた武田泰淳の『滅亡について』と『蝮のすえ』を読み、束の間、私の病み腐り荒み切った心が大いに慰められ救われもしたものであった。

そんな具合に私は残りわずかとなった上海での生活をダラダラと送りつつ、ふと気づけば、今度は来る時とはまったく逆に日本の美女たちとの酒池肉林なラブアフェ

アを暇さえあれば夢想し、早く日本へ帰りたい、早く日本へ帰りたい、日本に帰ったらまず何をしようか、何を食べようか、誰と会おうかと胸をドキドキワクワクと

躍らせ、ようするに、隣の芝生は常に青く見えるもの、結局どこに行っても同じこと、結局逃げてばかりの人生であり、逃げ回り続けるだけの人生であり、されどそ

れも我が人生、次第に私は日本人の女の肉体が無性に恋しくてたまらなくなってきたところに、ちょうど私の欲望も爆発寸前にまで高まってしまっていて、とうとう

日本に帰るまで我慢しきれそうもなくなり、残り少ない上海生活の華麗なる締めくくりとして、中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアの儚い夢を見続けた愚かな

自分の淫らな下心という厄介な奴にもきっちりと落とし前をつけてやらんと、それをせずしてどうして自分は日本へ帰れようか、それでは自分の帰りを今か今かと案

じて待つ家族たちにも顔向けができぬだろうに、それにこれでもう本当に本当の最後だし、上海最後の最後の思い出に、たとえ純粋な意味でラブアフェアとは断じて

呼べずとも、最後の最後に中国上海の清き思い出に、中国女の肉体の一生モノの思い出に、もう居ても立ってもいられずに、私はいざ一人タクシーに飛び乗って前に

も一度青年Zとともに訪れたことのある郊外のサウナへと一目散と向かって、まずは日本語の通じない受付に立つ結構可愛い中国人女性に恥ずかしげにカタコトの中

国語と身振り手振りを交えて金を支払い、ロッカールームで服を脱ぎ、普通のサウナで一汗流し洗い場で体を清め、備え付けのガウンを着て期待に胸と股間を膨らま

せながら待合室で待っておると、やがて私の順番が巡って来て、狭い部屋に案内されしばらくすると、一人の女の子が部屋にやって来て、その女の子は残念ながら正

直私のタイプでなくて、私はここぞとばかりに「換(ファン)」とチェンジし、次にまた別の女の子が部屋にやって来て、その女の子も残念ながら正直私のタイプでな

くて、私はここぞとばかり「換(ファン)」とチェンジし、その後も次々と女の子はやって来るものの、残念ながら私の好みに適う女の子でなくて、私は「換(ファン)」

「換(ファン)」「換(ファン)」とビーチボーイズ並みにチェンジを繰り返し、その後も、せっかく上海最後のお楽しみなのだから、せっかく最後の最後に味わう中国最

後の女体なのだから、自分好みのとびっきりの相手と是が非でも楽しみたいものだと、私は「換(ファン)」「換(ファン)」「換(ファン)」「換(ファン)」「換(ファン)」

「換(ファン)」「換(ファン)」と繰り返し、するとそのうちマネージャーらしき中年の中国人男性が部屋にやって来て、さっきから黙って聞いておれば、お前は「換(フ

ァン)」「換(ファン)」「換(ファン)」「換(ファン)」「換(ファン)」「換(ファン)」「換(ファン)とビーチボーイズ並みにとチェンジしまくりやがって、いい加減にしと

けよ、このスケベでワガママな倭猿ジャップ野郎め、一体全体お前はどんなタイプの女の子が好みなんだよ?みたいな意味の中国語を一方的に捲し立ててきて、その

時、私は頭の中で受付に立っていた可愛い女の子のことをふと思い出し、その女の子をもしも指名できるのならば是非ともその子を指名したいと伝えようと思ったも

のの、それを中国語でどう言えばよいのやらさっぱりわからず仕方なしにとりあえず再び「換(ファン)!」と力強く告げれば、男は一旦引き返し、再び今度はなんと

女の子を総勢20人ほど引き連れて現れ、私に中国語で、これで店にいる女の子全員だからな、この中から選んでくれないと困るぞ、これ以上は「換(ファン)」「換(フ

ァン)」「換(ファン)」は絶対に無理だからな、ビーチボーイズじゃないんだからな、みたいな意味のことをもう勘弁しておくれとうんざりしたような呆れ顔で捲し立

ててきて、私はずらっと並んだ女の子たちを順々に品定めしていき、その品定めを3周ほど行って、散々迷いに迷った末に一人の女の子を「この子だ!」と指差して

選び、それからその子と二人きりになって、いつもの要領でまずは普通の健全なマッサージからはじまり徐々に性的なマッサージに移行していき、いつの間にやら女

の子も全裸になっていて、私のペニスをいじくり回しペロペロ舐めはじめ、フェラで終わるのかと思いきや、いきなり寝そべる私の体に騎乗位の形で跨ってきて、ち

ゃんとコンドームしたのかしてないのか不安だったが、女の子はよがりながらも切ない声で何度も「シューフーマー?」「シューフーマー?」「シューフーマー?」

と尋ねてくるから、もちろん私はその都度「シューフー!」「シューフー!」「シューフー!」と答えて、やがて私に絶頂の瞬間が訪れて、私は最後に上海中に響き

渡るほどの一際大声を張り上げて「シューフー!!!!!」と切なく大絶叫して果てて、そして、それが私の上海における記念すべき最後の射精となるのであった。

……

私が日本へと帰国する数日前のこと、会社のオフィスで青年Zから相談があると言われその詳しい話を聞くところによれば、何でも、会社を設立し約半年が経過した

現時点において会社の資金繰りが相当厳しくなってきており、たしかに仕事はポツポツ入って来てはおるが、それらの対価の入金は早くとも何ヶ月も先となり、正直

に言えば明日明後日明明後日の近々に会社を維持していくための当座の金がまったくもって足りておらず、日本にいるプロデューサーEや大阪の某映像プロダクショ

ン(日が昇るみたいな意味の頭文字S)社長Nなど経営陣にも金を回してもらうよう何度も相談してはいるものの、なかなか色良い返事がもらえず、ついては、もしもす

でに月収として支払い済みの現地通貨の持ち合わせが多少なりとも手元に残ってあるならば、それを一旦会社に返してもらうことはできぬものか、もちろん後日きち

んと責任を持ってあらためて支払うつもりであり、これは会社の窮地でもあるゆえ何とかならぬものだろうか、とのことであり、私は、プロデューサーKやEのことは

正直さっぱり信用していなかったが、青年Zには上海滞在中に大変世話になりそこそこ信用もしていたため、また、その時の私の心は久方ぶりに日本へ帰国できる喜

びで満ち溢れ、正直頭の中では日本の女たちとの酒池肉林なラブアフェアのことしか考えられず、心ここに在らず、もうすでに肉体より先に私の心は上海を飛び立ち

日本へと猛スピードで向かっている最中であり、不安などまったくなく後先のことなど何も考えず二つ返事でOKし、その時私が懐に持ち合わせていた現地通貨の日

本円に換算して約120万円也(現地ではほとんど金を使わず上海で働いた分のほぼ全額に当たる)を一旦会社に返した上で、その年の年末を返済期限として必ず支払う旨

を記した借用書も作り、もしも期限が過ぎるような場合には最大限の利息(たしか年利29.2%)も追加で支払うことも明記され、借用書は会社の代表であるプロデュー

サーKと私との間で取り交わされる形とになったわけだが、この一件がその後に厄介な問題へと発展していくとはその時の私は思いもよらなかった。そして、私の上

海滞在最後の夜、みんなで盛大に送り出してくれるのかと思いきや、社内の空気はすでに冷え切っていてそんな余裕もなく、プロデューサーKからは、明朝は見送り

に行けぬが、半年間ご苦労であった、例の金は必ず支払うつもりだから安心してくれろ、機会があればまた上海に遊びに来ておくれ、日本に帰ってもバッチグーのオ

ールオッケーのドントマインドのノープロブレムで頑張ってくれたまえと力なくそしてすげなく別れを告げてきて、青年Zも仲良くしていた私が日本に帰ってしまう

ことを少しばかり寂しそうにしていたが、こちらも、例の金は必ず支払うから信用しておくれ、いつかまた会えることを願っておると力なくそしてすげなく別れを告

げてきて、結局、最後の晩餐は日本語カタコトデスクの中国娘Y(チンピクしないあやや)と私と二人きりとなり、その夜はザリガニを食べに行き、中国では皆ごく普通

にザリガニを食べるらしく、夏になると道端に大量の殻が捨ててあり酷い悪臭を放っており、ザリガニと言っても大きなアメリカザリガニではなくて、日本でもよく

見かける小さなザリガニで、お世辞にも美味そうだとも思えず、日本人ならばザリガニを食べようなどと夢にも思わぬけれども、実際に軽く湯掻いて醤油だれをつけ

て初めて食べるザリガニの味は、甘エビから甘さをとったような味とでも言えばよいか、不思議な食感で、特別美味くもなければ不味くもなく可もなく不可もなく、

食べられぬほどではないが特に美味くもなくと言ったところで、ザリガニを食べながら二人いつものカタコトの日本語とカタコトの中国語と時々英語や身振り手振り

を交えたトンチンカンな会話を繰り広げ、日本語教室に通ってるくせしてこの半年間で中国娘Y(チンピクしないあやや)の日本語はまったく上達しておらず、かろうじ

て私の名前を「オウッテッケサン」と呼べるようになったレベルで、ようするに、この娘はたしかにいい娘には違いないけれど地頭は賢くはないんだなと私は大変失

礼な感想を抱きつつも、上海に持って来たけれど結局使わなかった物やもう必要のない物(カバンや帽子や服など)をプレゼントしてやるともう飛び上がらんばかりに

大喜びしてくれて、そんな姿を眺め遣りながら私はほぼ毎日顔をつき合わせていたのにもう会えなくなるのかと少し切なくなってきて、さらに酔っ払って歪んだ私の

頭の中に不意にYと最後にSEXさせてもらおうかという自分でも信じられないような愚かな下心が湧き上がってきたものの、おそらくOKしてくれそうな気もしたが、

もしも万が一断られた時は甚だバツが悪くカッコ悪いことこの上なく上海最後の思い出を醜く汚してしまうのも何だよなとすぐに思い直して、それにそもそも性的に

は何らそそられることもなくチンピクしないのだからSEXしようにもできないではないか、自分は一体何を考えておるのかとその愚かな下心は店に置き去りにして、

別れ際、もしも日本に来る時は案内してあげるよと日本で使用している名刺を手渡し、再見(ザイジェン)!と手を振ると、彼女も再見(ザイジェン)!と手を振り互いに

笑顔で別れ、最後に中国人の女の子から再見(ザイジェン)!と言われて、私は、これが本場の正真正銘の再見(ザイジェン)!なんだなとその思いをしんみり噛み締め、

そしてそう言われてみてあらためて私は半年間滞在した上海の地を今まさに後にしようとしていることを実感して感慨に耽るのだった。結局、再見(ザイジェン)!と

別れたのち彼女を再び見ることはなく、その後しばらく経ったある日、たしか2005年のことだったか、一度だけ自宅にカタコトの日本語を操る怪しげな外国人女性か

ら連絡があり、てっきりイタズラ電話とばかり思って私はイライラと乱暴に切ってしまったことがあったが、もしかしたらあの時の電話は彼女だったのかもしれない

(だとすれば相変わらず日本語はさっぱり上達していなかった)。帰国当日の朝はかなり早起きしてまだ動き出していない人気の少ない静かな街をタクシーで上海浦東

空港へと向かい、途中、もう何度も見過ぎて目が慣れてすっかり景色に溶け込んでしまっている例の不揃いな団子が近未来的に串刺しにされた造形の上海のシンボル

タワーをその朝だけは妙に感慨深く眺め遣りながら缶コーヒー片手に車窓から別れを告げ、相変わらず中国のタクシー運転手は洒落にならぬほど半端なく飛ばしまく

るなと半年前初めて上海に到着した日のことをぼんやり思い返しつつ、すでに慣れてしまったせいか、来た時のように金玉が縮み上がってビビりまくることもなく、

空港の荷物検査では上海で購入し日本に持ち帰ろうとスーツケースに忍ばせていたハチミツがなぜだか引っかかり、別室に連れて行かれ、ラベルが剥がしてあるから

中身が何なのか説明が難しく「ハニーか?」「ハニーだ」「ホントにハニーか?」「ホントにハニーだ」「ホントにホントにハニーか?」みたいなバカげた間抜けな

やり取りを現地で接する最後の中国人であるところの空港職員と交わし、飛行機の中ではキャビンアテンダント(CA)の中国人女性の体を無遠慮な目で追いそしてケダ

モノのような目で犯すことなどなく、私は静かに目を閉じて、来た時とはまったく逆に日本の美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを夢想しながら、さらばインチキ

臭い国、インチキ臭い自分には頗る居心地がよく、お誂え向きの国だったけれど、これ以上自分がインチキ臭くなるとさすがに洒落にならなくなってしまうからな、

さらばインチキ臭い会社、さらば上海、さらば中国、再見(ザイジェン)!と約半年間に及んだ上海生活に未練などさらさらなくすげなく帰国の途へとつくのだった。

……

その後に起こったことはあまり思い出したくない記憶であり、できることならば抹消してしまいたい記憶でもあり、ここから先はかなり駆け足でさっさと片付けてし

まうことにする。日本に帰国して間もなくは日本という国が妙によそよそしくも感じられたが、しばらくのんびりダラダラと過ごしているうちに日本の生活習慣をす

っかり取り戻し、上海での生活に言葉以外の不便を感じたこともほとんどなかったとはいえ、日本に帰って来てみてあらためて日本での生活のほうが格段に便利で快

適であることに嫌でも私は気づかされたものだった。日本を離れてみなければ日本の本当の良さやありがたみを理解することなど到底できぬということであろう。そ

して、日本の広告業界の片隅にひっそりと身を置き悶々とくすぶりながら醜く腐り切った日本の広告業界に対し心底うんざりする日々が再びはじまった。そうこうし

ているうち季節は流れて、夏から秋、そして冬へと変わり、上海の例の金の支払い期限である年末が間近に迫ってきた。2004年のクリスマス頃、しばらく音沙汰のな

かった青年Zからメールが届き「支払い予定の120万円也は期限の12月末日までには支払うことができなくなった、ただし利息を付けて必ず支払うので信用して待って

いておくれ」と書かれてあり、私が「いつぐらいになるのか」と返せば「今のところいつになるかはわからぬが、必ず支払うので信用して待っていておくれ」とまた

返ってきて、それ以降はこちらが何度メールしても一切返信はなくなってしまった。もしやこれは大事になるのではという一抹の不安が私の頭をよぎるも、その時点

ではまだまだ楽観視していた。年が明け2005年のバレンタインの頃、青年Zからメールが届き「来月(3月)あたりに支払い予定の120万円也のうち半分に当たる60万円

也を何とか支払えそうだ」と書かれてあり、さらに、2005年のひな祭りの頃、再び青年Zからメールが届き「先日の件、やむを得ぬ事情により支払えなくなった、た

だし必ず支払うので信用して待っていておくれ」と書かれてあり、私が「支払う支払うと言うて一体いつ支払うのか」と返せば「今のところ見通しはまったく立たぬ

が、必ず支払うので信用して待っていておくれ」とまた返ってきて、私が「それでは困る、いつになるか明確にできぬのならば法的機関もしくは公的機関に訴えるか

もしれぬぞよ」と返せば、青年Zは「支払えないものは支払えないのだ、支払いたくとも支払えないのだ、こちらにも事情があるのだから仕方がないではないか、大

人しく待っておれ(お前しつこいんだよ)」と開き直り、それ以降はまたこちらが何度メールしても一切返信はなくなってしまった。これはきっと大事になるに違いな

いという確信に私は至るも、今後いかなる行動に出ればよいのかわからず、各種相談機関に赴き色々とアドバイスをもらうも、日本における金銭問題ならばすぐにで

も法的機関に訴えることもできたが、相手が中国にいるため話がややこしくなるばかりで私のイライラはみるみると募って行った。その後も何らの音沙汰がなくとう

とう痺れを切らした私は、その頃怒りのあまり少しばかり頭がおかしくなりかけていて、そして何を血迷ったものか、2005年5月のゴールデンウィーク明け、支払い

の督促を青年Zの実家の母親に依頼しようとふと思い立ち、日本の関東地方にある青年Zの実家を思い切って訪ねてみることにした。上海でした雑談の会話のおぼろげ

な記憶を頼りにしてまるで自分が借金取りにでもなったかのごとく(いや実際借金取りに違いなかったが)血眼になり散々探し回った末にようやくたどり着き発見した

青年Zの実家の母親はたしかに青年Zに顔がそっくりだったが、青年Zが上海で何をしているのかさっぱり把握しておらず、長らく連絡すらも取ってもいない様子で、

結局無駄骨に終わり、自分は一体何をしておるのかと私は大いに落胆したものであった。2005年6月、珍しくプロデューサーKより電話が入り「来月(7月)に120万円也

のうち半分の60万円也、再来月(8月)に残りの60万円也+利息分を全額支払う予定でいる」とのこと、私は「それはよかった」とひとまず安心するも、2005年7月、再

びプロデューサーKより電話が入り「先日の話はなかったことにしてけれ、やむを得ぬ事情により支払えなくなってしまった、会社の存続も危なくなってきた、自分

はもうすぐ日本に帰国する」とのことであり、私が「何があったのかは知らぬが、それでは困るから責任を持って必ず支払っておくれ、さもなくば法的機関に訴える

ぞよ」と伝えると、プロデューサーKは「大いに結構だ、もう勝手にしやがれ!」と一方的に電話を切り、その後は音信不通となってしまった。2005年8月、上海で取

り交わした借用書を証拠として東京地方裁判所にプロデューサーKに対し訴訟を起こすことにした。弁護士は雇わずにすべて自力で行う。この時ばかりは大学(法学部)

をきちんと卒業しておくべきだったと少し後悔した。その後まもなく、日本にすでに帰国し訴状を受け取ったプロデューサーKから直接私に電話連絡が入り「自分は

青年Zと揉めに揉めて会社を追い出された、上海の会社は青年Zにまんまと乗っ取られた、青年Zはとんでもない悪党だ、青年Zを絶対に許さない、青年Zを殺してやり

たい、言葉の通じぬ上海で放り出されて路頭に迷い金がないから仕方なしに上海での唯一の仕事関係者であった某大手広告代理店(頭文字H)上海支社の日本人クリエイ

ティヴ・ディレクターGに結婚指輪を預け恥を忍んで頭を下げ飛行機代を借り這々の体で日本に帰国してきたところだ、ゆえに自分には支払いの義務は一切なく、支

払うべきなのは青年Zである」とかなり憔悴しきった様子で主張してきた。その後、東京地方裁判所の職員からも電話連絡が入り、プロデューサーKの言っていたこと

とほぼ同じ話(プロデューサーKが自分には支払い義務はなく支払うのは青年Zだと主張している旨)を聞き、借用書は日本でも有効であるから間違いなく裁判には勝て

るだろうが、たとえ裁判に勝ったところで金のないプロデューサーKからは金を一銭も取れないことが判明、やむを得ず私はプロデューサーKに対する訴訟を取り下げ

ることにした。私は上海の会社がその時どのような状況にあるのかまったく把握しておらず、おそらくは私が日本へ帰国したのちプロデューサーKと青年Zの確執がさ

らに激しくなっていき、プロデューサーKが中国や中国語に疎いことをいいことにそこにつけ込んだ青年Zがいつもの狡猾なやり口で自分の思うまま好き勝手放題にや

らかした末の成れの果てなのだろうと容易に推測されたが(そしてもちろんそれは青年Zが以前勤めていてすでに潰れた会社の腹黒悪徳中国人プロデューサーの日本人

を騙す狡猾なやり口をそのまま踏襲し今回実践したと思われたが)、私は上海の会社の代表者であるプロデューサーKとの間に借用書を取り交わしており、そのプロデ

ューサーKが会社を追い出され支払い能力もなく金を取れないとなると、この金銭問題の責任の所在が一体どこにあるのかさっぱりわからなくなってきてしまって、

そもそもの上海行きの発端であったプロデューサーEに話を持って行こうにも我々二人の関係はすでに決裂しており、おそらく上海の青年Zと直接交渉せねばならなく

なるわけだが、青年Zに支払わせるにも中国における交渉となり甚だ面倒臭いことになってきてしまうため、一体どうしたものやらと途方に暮れほとんど諦めかけて

いたところの、2005年10月、長らく音信不通だった青年Zから突然「約束の金を支払う算段がついた」とのメールが届き、些か面倒なやり取りを何度か交わした後、

2005年11月、日本に帰国し雰囲気がガラリと変わった青年Zから秋葉原駅前の喫茶店で未払金120万+利息分30万=合計150万円也を現金にて支払ってもらうことにど

うにかこうにか成功し、一件落着その後は仲直りして万事めでたしめでたしかと思いきや、私が2005年5月に青年Zの実家に押し掛けて母親に勝手に会っていたことが

バレて大ゲンカとなり(昔から「お前の母ちゃん出臍」「お前の母ちゃんのフェラ最高だったぜ」など母親ネタは荒れる原因であり、たしかに私の突飛な行動も軽率で

あったが)、私のほうも青年Zの要領を得ない説明や、散々迷惑をかけておきながら支払ってやるんだから文句言うなやという上から目線の太々しい傲慢な態度や、交

渉過程のメールにおける「舐めたマネするようなら自分には錦糸町のヤクザに知り合いがいるからな」と含めて凄んできたことなど(これは犯罪に当たる)に対しブチ

切れてしまい、その場で青年Zとは今後一切の縁を切ることとなり、金は何とか回収できたものの何とも言えぬ後味の悪い幕切れとなるのだった。そんな上海行きに

まつわる金銭問題のゴタゴタの渦中の2005年8月、私は長引く金銭問題が引き金となって今までに積もりに積もっていた醜く腐り切った日本の広告業界に対する怒り

を大爆発させるかのごとく突発衝動的に絵を描きはじめ、藝術活動と何とか呼べるような活動を開始し、今後は広告業界から完全に足を洗う決意をし、そして私はそ

れをきちんと実践し今現在に至るというわけである。当時渦中の私は相当怒り狂っていて精神的にもかなりヤバい人間不信の状態にあり、でもそのヤバいくらいの怒

りの感情がなぜだかは知らぬが巡り巡って結果的に私に絵を描かせてしまったわけであり、さらには心底うんざり忌み嫌っていた広告業界からも完全に足を洗う決心

をさせたと思えば、散々な酷い目にあったことにも存分の価値があったのではなかろうかと今では客観的に捉えることもできる。高々120万円也ごときでなんと大袈

裟な話だ、約束より1年近く遅れたとはいえ利息分30万円也もきちんと回収できたのだから御の字でむしろラッキーだったのではないかと思われるかも知れぬが、他

人の労働の対価を約束通り責任を持ってきちんと支払うのは社会人として至極当たり前のことであり、人それぞれに様々な事情があったとはいえ、その当たり前のこ

とすらも当たり前にできぬ人間がこの世には(特に広告業界には)多過ぎて甚だ残念な気持ちを禁じ得ない。結局最後の最後には皆すべてが決裂して終わってしまった

けれども、その中で唯一約束を守りきっちりと仁義を通したのは皮肉なことに日本を離れ10年余りの半分中国人みたいな存在である青年Zであったという事実は非常

に興味深いところである。日本の広告屋のおっさん連中(特にバブル時代に散々甘い汁を吸いまくった勘違い連中)は決して信用してはならぬと私はこの一件によりあ

らためて身をもって骨の髄まで思い知らされたものであった。インチキやズルはしない、嘘はつかない、相手の気持ちを思い遣り自分がされて嫌なことは相手にもし

ない、自分の言葉にはきちんと責任を持って行動する、間違ったことをした時は素直に相手に謝るなど、人間の尊厳を保つために必須な基本的ルールすら守れぬモラ

ルのない人間が多過ぎる。親の顔が見てみたい。この上海行きのゴタゴタに関係した人間たちがその後どうなったのかについて、上海の会社が空中分解し結局失敗に

終わったこと以外に、私は詳しくは知らない。彼らが生きているのか死んでいるのかすらもわからない。別に知りたいとも思わない。時々上海行き直前にイギー・ポ

ップの「チャイナ・ガール」を聴きまくりながら、これから日本を離れ異国の地で新たにはじまる生活のことや中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアを夢想して

心ときめかせていた頃の自分を懐かしく思い出すことがある。結局何もはじまりはしなかったけれども、あの何かがはじまりそうなドキドキワクワク感を経験できた

だけでも良かったのかもしれない。ちなみに「チャイナ・ガール」が収録されたアルバムのタイトル名『イディオット』とは『愚か者/痴れ者』といった意味である。

とまれ、私がこの上海行きのゴタゴタにまつわる何ともほろ苦い経験から身をもって学んだ教訓とは、バブル脳患者の広告屋連中は総じて金銭感覚が狂っているとい

うこと、それどころか、バブル脳患者の広告屋連中に限らず、有名無名問わず、巨匠から雑魚に至るまで、すべての広告屋を見たら詐欺師か泥棒かゴキブリだと思え

ということ、もう一度繰り返す、すべての広告屋を見たら詐欺師か泥棒かゴキブリだと思えということ、とっても重要なことだから何度だって繰り返す、すべての広

告屋を見たら詐欺師か泥棒かゴキブリだと思えということ、もちろん、すべての広告屋を見たら詐欺師か泥棒かゴキブリだと思えとはいえども、実際にすべての広告

屋が詐欺師か泥棒かゴキブリであるはずもなく、すべての広告屋と接する際には、すべての広告屋を見たら詐欺師か泥棒かゴキブリだと思えと常に肝に銘じておくべ

きということ、一瞬たりとも気を許してはならぬということ、すべての広告屋の話は嘘八百と鼻ほじりながら聞き流せということ、すべての広告屋と会った後には財

布の中身をしっかり確認しろということ、家に招いた後には何か物がなくなっていないか確認しろということ、子供を会わせた後には何か変なイタズラをされていな

いか問い詰めて確認しろということ、出された飲み物は一服盛られている可能性が高いから絶対に口にするなということ、母屋をぶん取られるから庇は貸すなという

こと、川で溺れていたらすかさず棒でぶっ叩けということ、駅のホームで見かけたら迷わず背中を押して突き落とせということ、1匹見つけたら100匹はいると思えと

いうこと、見つけたら直ちにダーティーハリーのごとくしつこく追い回し必ず頭を狙い撃ちして仕留めろということ、液体洗剤をぶっかけてやるとみるみる小さくな

ってコロっと逝くから一度お試しあれということ、それから、結局どこへ行こうが自分自身が変わらなければ何も変わらず、一生隣の芝生は青く見えるということ、

そして、結局中国美女たちとの酒池肉林なラブアフェアなんてものはどこにもなくて、歪んだ欲望に目が眩みバカな夢を見てお気楽なバカンス気分で上海なんかへ行

けば散々な酷い目に遭い必ず失敗するということ、あらかじめこういう結果になることは予測できていたはずであり、なるべくしてなったとも言え、起こるべくして

起こったことでもあり、飛んで火に入る夏の虫、もう笑い話である。そして、今現在まさに日本の広告業界は滅びかけているところであるが、何度ぶっ叩いても絶対

に死なない不死身の巨大ゴキブリのごとくなかなかしぶとくて、この先も完全にはまだまだ滅びそうにもなさそうである。でも東京五輪一連のゴタゴタ騒動などを見

る限りでは、そのうち完全に滅びてしまう可能性もなきにしもあらずである。いずれにせよ、私はもう日本の広告業界とは一切関係がなく、どうでもいい話である。

時々私がふと思うのは、もしも万が一私が広告業界で成功していたとしたならば、私は広告のことがもっと好きになれていたのだろうかということである。人は何と

も現金な生き物であるからして、それはあながち否定もできぬが、今現在広告業界からきれいさっぱりと完全に足を洗った私は何とも清々しくきれいさっぱりといい

気分である。中国語で言うならば「舒服(シューフー)」である。もう思わず「シューフー!」と叫んでしまいたくて堪らぬほどに「シューフー!」である。広告に比

べて絵はさっぱり金にもならぬが、やりたくないことをやらないということは精神衛生上すばらしく健全なことである。やりたいことだけをやって食べていけるほど

世の中そんなに甘っちょろくはなかろうが、この世に生まれ落ちて来たからには、とにもかくにも、己の持てる力を100%発揮した、正々堂々胸を張り己の作品だと

主張できる、100%己を投影させた藝術作品を生み出し世を渡って行くべきだと私はきちんと腹を括って生きている。私は犬猫や家畜や奴隷やロボットではなくて一

人の人間であるからして、これから先もできることならばやりたくないことはやらずに生きていきたいと思っている。もしかしたら自分は一生報われることなく終わ

ってしまうのではないかと時々不安になることもあるが、やるだけやってダメならダメでそれはそれで仕様がない。地球など爆発して人類や世界など皆まとめてさっ

さと滅びてしまえばいいのだと今でも私は本気で思っている。これから先もずっと私はそう思い続けることだろう。とはいえ私も本気で能動的に死ぬ勇気などはなく

て、とにかく寿命が尽きるまでの間は生き続ける他ない。滅亡するのが今から楽しみだなんて言うと真面目に生きている人たちや、生きたくとも生きられぬ人たちに

対し大変失礼にあたり、あまり大きな声では言えぬけれども、人は皆いつか必ず滅びることは決まっている。私自身もいつか必ず確実に滅びる定めである。自分が一

体どんな滅び方をするのか今のところはまったく予想もつかぬけれども、できることならば苦しむことなく呆気なく滅びてしまいたいものである。でも少なくともそ

の日が来るまで私は確実に生きていなければならず、どうせならばその間だけでも楽しく生きていたいとは思う。他人に誇ることなどできぬ本当にろくでもない人生

をもうすでに50年もダラダラと生きてきてしまった今現在の私はドキドキワクワクすることももうほとんどないけれども、かといって悲観してばかりいるわけでもな

く、それなりに楽しい日々を過ごしている。武田泰淳の『滅亡について』は今でもたまに読み返してはその度に慰められている。人生は無限に続くわけではなく必ず

終わりがあると思えばこそ、それを頼りにして何とか頑張れてしまえるものでもある。有終の美を飾ろうなどとは夢にも思っていない。今でも地球が爆発してしまえ

ばいいと思っているが、なかなか爆発しそうにもなくて、いつまでも爆発しそうもないから、とりあえず寿命が尽きるまでの間は私もきちんと生き続けようと思う。

2022.12

 

 

 

 

 

19.『Stranger / 異邦人 (仮)』

 

 

調子に乗ってウンコの話など書いたのがやはりいけなかったのだろうか。8月初頭のうだるような酷暑のある昼下がり、相も変わらずエアコンディショナーの類いは

一切使用せず焼け石に水のごとく扇風機が虚しく回り続ける、まるでサウナ風呂の中にでもいるかのようなむさ苦しい部屋の中、ウーウーヒーヒー言いながら私が作

業に没頭しておると、突然何の前触れもなしに愛用のノートパソコンの電源がストンと落ち、その後は揺すっても摩っても叩いても嬲っても、うんともすんとも反応

しなくなってしまった。愛用していたパソコンは2010年製造の、最早まともなネットサーフィンにも適応できていない時代遅れなオンボロのポンコツのろくでなし

であったから、さすがにそろそろ買い替えねばならぬともう随分前から頭の片隅で意識はしていたものの、パソコン本体を買い換えるとなれば中身のソフトウェア諸

々も一新せねばならず、そこまでの予算を捻出するつもりもさらさらない、常日頃から物持ちのいい清貧を気取る私は半ばやけくそ気味に、もうここまで来たらば、

一蓮托生、地獄の底までも!とオンボロのポンコツのろくでなしを宥めすかしつつ這々の体で何とかここまでやり過ごしてきたものだった。ここ最近少しばかり創作

意欲を取り戻し全身にやる気がみなぎり心がギンギンに勃起していた私は、この調子で波に乗り、次は子供の頃に体験した不条理な夏の思い出話のひとつでも書いて

やろうかな、どうせ夏の話を書くならば、やはりうだるような夏の暑い日に書くに限るな、と密かに目論み、実際もうすでに少しずつ書きはじめていた矢先の不意の

出来事であったから、私の喪失感や絶望感は筆舌に尽くし難いほどであり、これは本当に困ったことになったぞ、年甲斐もなく半べそ顔の私は部屋でひとりパンツの

中まで汗まみれになってオロオロと狼狽するばかりであった。パソコンの中にはこの10年余りに渡る思い出の数々(昔描いた絵のスキャンデータやら、アイデアノー

トやら、創作メモやら、他にもお子様たちにはとてもじゃないけれどお見せできぬような淫猥な画像や映像やそのブックマークなど)もぎっしりと詰まっていたもの

だから、私の心は夏の終わりの浮き袋のごとく全身からどっと空気が抜けていくように一遍にやる気を失い、その喪失感や絶望感をずるずると引きずったまま、腑抜

けのような不毛な生活をしばらく続けるうち、気づけば季節はすっかり秋へと移ろい、朝晩はいくらか肌寒くもなってきて、そして今年も残すところわずかとなって

いるのだった。宿題をやったんだけど、家に忘れてきました、宿題をやったんだけど、兄が間違えて持って行ってしまいました、宿題をやったんだけど、朝起きたら

すべて消えてなくなってました、宿題をやったんだけど、登校途中に見知らぬオヤジにひったくられました、宿題をやったんだけど、登校途中に腹を空かした哀れな

野良犬にくれてやりました、宿題をやったんだけど、登校途中に大きいほうがしたくなり、宿題のノートでケツを拭きました、などなどなど、まるでアホな子供の稚

拙な言い訳のごとく聞こえるかもしれぬが、ここ最近の私の中に珍しく創作意欲が満ち溢れ、この夏の間に子供の頃に体験した不条理な夏の思い出話のひとつでも書

いてやろうかと躍起になっていたところに私のパソコンが突然壊れてしまったことは決して作り話でも何でもなく、でもまあ壊れてしまったものはどうにもこうにも

仕様がなく、覆水盆に返らず、去るものは追わず、なけなしの虎の子崩し大枚叩いて新調したピッカピッカのパソコンで気を取り直し今書きはじめたところである。

……

世間では「不条理」という言葉をよく耳にするし、私自身も正式な意味を理解しているのかいないのかあやふやなまま何とはなしに「不条理」という言葉をよく使用

するけれど、そもそもの話、この「不条理」という言葉には一体どのような意味があるのだろうかとふと思い立ち、あらためて辞書で引いてみれば、「1. 物事のすじ

みちが通らないこと。道理に合わないこと。」「2. 人間と世界とのかかわり合いの中に現れる、人生の無意義・不合理・無目的な絶望的な状況を言った語。また、人

間がそのような状況を克服しようと努力してゆく存在であることを強調して言った語。」とあり、特に2のほうは、フランスの文学者アルベール・カミュの言説を参

照した哲学的な意味合いが強いとのこと。ところで、そのカミュと言えば、私が生まれて初めて読んだ海外の小説(教科書に載ってるものを除き本という形で読んだ

もの)はまさにカミュの書いた不条理小説の傑作『異邦人』であり、読んだ時期はおそらく高校の時分か、もしくはもう少し後だったか定かではないが、ともかくカ

ミュの『異邦人』が私の初めて読んだ海外の小説であることに間違いはなく、当時の私は「不条理」という言葉の意味などさっぱり理解できておらず、主人公が夏の

海岸で自身と無関係のアラビア人(異邦人)を殺してしまう話だから、題名が『異邦人』なんだろうなというレベルのお粗末な理解であり、主人公が現実世界とは相容

れない生まれながらの「異邦人」である、もしくは、現実世界にうまく馴染めない「よそ者」であるという深い意味を持つゆえ、題名が『異邦人』なのだときちんと

理解できたのは恥ずかしながら大分後になってからであったものの、その時カミュの『異邦人』を読みはじめるや否や私は一気に物語世界に引きずり込まれていき、

殺人の理由を太陽のせいにするくだりや、死刑宣告されたのち御用司祭に対して秘めていた感情を一気に大爆発させるシーンなどでは大いに心を揺さぶられ、薄い本

なのであっという間に読み終えて、頭をガッツンとぶん殴られたかのような衝撃を受けて茫然自失となりかけながら私は、しかしなぜに自分はこの主人公のムルソー

という男にここまで強く深く感情移入できてしまえるのだろうかとあらためて真剣に心に問うてみたところ、まずは、おそらく私自身も主人公と同様に現実世界とは

相容れない生まれながらの「異邦人」であり、現実世界にうまく馴染めない「よそ者」であるため、小説世界の中にまさしく自分自身の姿そのものが描かれていると

直感的に悟ったからに違いなく、さらには、主人公が殺人の理由にした「焼けつくような太陽の光」を私がそれ以前の子供だった頃のいつかどこかで体験したことが

あると確信したからでもあり、やがて私は自然とその太陽の光を媒介にして、私が子供の頃に起きた不条理な夏の出来事をぼんやりと思い出している自分に気がつく

のであった。「男は私を見つけると、少しからだを起こし、ポケットに手を突っこんだ。もちろん私は、上着のなかで、レエモンのピストルを握りしめた。そこでま

た、彼はポケットに手を入れたまま、あとずさりして行った。私はかなり離れて、十メートルばかりのところにいた。彼の半ばとじた瞼の間から、時どき、ちらりと

視線のもれるのが、わかった。でも、ひっきりなしに、彼の姿が私の眼の前に踊り、燃えあがる大気のなかに踊った。波音は正午よりもっともの憂げで、もっとおだ

やかだった。ここにひろがる同じ砂のうえに、同じ太陽、同じひかりがそそいでいた。もう二時間も前から、日は進みをやめ、沸き立つ金属みたいな海のなかに、錨

を投げていたのだ。水平線に、小さな蒸気船が通った。それを視線のはじに黒いしみができたように感じたのは、私がずっとアラビア人から眼をはなさずにいたから

だった。自分が回れ右をしさえすれば、それで事は終わる、と私は考えたが、太陽の光に打ち震えている砂浜が、私のうしろに、せまっていた。泉の方へ五、六歩歩

いたが、アラビア人は動かなかった。それでも、まだかなり離れていた。恐らく、その顔をおおう影のせいだったろうが、彼は笑っている風に見えた。私は待った。

陽の光で、頬が焼けるようだった。眉毛に汗の滴がたまるのを感じた。それはママンを埋葬した日と同じ太陽だった。そのときのように、特に額に痛みを感じ、あり

とある血管が、皮膚のしたで、一どきに脈打っていた。焼けつくような光に堪えかねて、私は一歩前に踏み出した。私はそれがばかげたことだと知っていたし、一歩

体を移したところで、太陽から逃れられないことも、わかっていた。それでも、一歩、ただひと足、わたしは前に踏み出した。すると今度は、アラビア人は、身を起

こさずに、匕首を抜き、光を浴びつつ私に向かって構えた。光は刃にはねかえり、きらめく長い刀のように、私の額に迫った。その瞬間、眉毛にたまった汗が一度に

瞼をながれ、なまぬるく厚いヴェールで瞼をつつんだ。涙と塩のとばりで、私の眼は見えなくなった。額に鳴る太陽のシンバルと、それから匕首からほとばしる光の

刃の、相変わらず眼の前にちらつくほかは、何一つ感じられなかった。焼けつくような剣は私の睫毛をかみ、痛む眼をえぐった。そのとき、すべてがゆらゆらした。

海は重苦しく、激しい息吹きを運んで来た。空は端から端まで裂けて、火を降らすかと思われた。私の全体がこわばり、ピストルの上で手がひきつった。引き金はし

なやかだった。私は銃尾のすべっこい腹にさわった。乾いた、それでいて、耳を聾する轟音とともに、すべてが始まったのは、このときだった。私は汗と太陽とをふ

り払った。昼間の均衡と、私がそこに幸福を感じていた、その浜辺の特殊な沈黙とを、うちこわしたことを悟った。そこで、私はこの身動きしない体に、なお四たび

撃ちこんだ。弾丸は深くくい入ったが、そうとも見えなかった。それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。(カミュ『異邦人』より引用)」

……

それは私が小学生だった夏休みに体験した何とも不条理な出来事であり、当時の私は子供ながらになんて不条理な出来事なんだ!とプンプン憤ってしまい(とはいえ

もちろん当時ガキンチョだった私が「不条理」などという言葉やその意味についてきちんと理解しているはずもなく、大人になってから「不条理」という言葉の意味

を何となく理解したのちに、あの時の出来事はまさしく「不条理」以外の何物でもなかったなと思い返して認識した上で「不条理」という言葉を使用しているが)、

ともかく、それはどこからどう見ても誰が見てもあまりにも不条理な出来事であったものだから、まったくもって不条理にも程があるだろうよ!と私は小学校の卒業

文集に書き殴った覚えがおぼろげながらにあったので、さっそく物置の奥から小学校の卒業文集を引っ張り出してきて確認してみれば、そこには不条理な夏の出来事

は一切書かれてはおらず、そのかわりに退屈極まりない修学旅行の思い出話がダラダラと、ガキンチョだった頃の私のアホバカマヌケ面写真と共に掲載されてあるば

かりで、卒業文集に書いたというのは私のまったくの記憶違いであり、それならば私は一体どこにそれを書いたのだろうかと考えを巡らせた末に、おそらくは小学5

年の学年末の文集にでも書いたのであろうという推測に至るも、その肝心の学年末の文集が残念ながら手元に残っておらず、どうにも確認の仕様がなく、もしも残っ

ていたならばそれを参考にして当時ガキンチョだった私の繊細に揺れ動く心模様をより克明詳細にここに再現できたのにと悔やまれるところではあるけれども、ただ

幸いなことと言っては何だが、それはあまりに不条理な出来事であったものだから今でも私は決して忘れず、というより、忘れたくとも決して忘れられぬほど鮮明に

私の心に深く刻み込まれ記憶にしっかりと残されているゆえ、その記憶を頼りにこれから先『私が小学5年の夏休みに体験した何とも不条理な出来事』の顛末につい

て書き記していこうかと思う。どれほど不条理かは読めば誰もが一目瞭然かとは思うが、あまりにも不条理な話であるところに加えてさらには卑猥な話でもあるがゆ

え(私の書く文章が卑猥なのは毎度毎度のことなれど今回の卑猥さはいつにも増して磨きがかかり直截的であるがゆえ)、もしも妙齢の女性が読まれた場合などには、

あまりの卑猥さにビックリ仰天してお嫁に行けなくなってしまう可能性をあながち否定もできず(もちろん妙齢の男性の場合にはお婿に行けなくなってしまう可能性

があり)、将来お嫁さんお婿さんになりたいという願望を胸に秘めておられる方々は、読むなと言われればさらに読みたくなるのが世の常であるのは百も承知の上、

心を鬼にして、本当に悪いことは言わないから、後悔先に立たず、読まないほうが得策であろうと事前に忠告だけはしておいて、いざ書きはじめることにしようか。

……

その当時10歳の私は小学5年生で、今も昔も変わらずに協調性の欠片もなく、物心つく頃よりすでにいっぱしの「異邦人」を気取っていたと言っても過言でないほど

に、現実世界やそこに住まう人間たちとは上手に心を通い合わせることが大の苦手で、我ひとり我が道を行くといった具合にいつもぼんやりと考えごとばかりして、

己の空想世界の中に閉じこもり、授業中もほとんど窓の外ばかり眺めて先生の話などてんで耳に入らず、にもかかわらず、なぜだかテストは満点、常に成績はクラス

で1番か2番、先生や大人たちからはあまり好かれないタイプの可愛げのないひねくれたガキンチョで、何となく周囲からは少し浮いてしまっていることを自覚してい

るような、まさに「異邦人」と呼ぶにふさわしい存在で、そして、その頃の私はまだ剥けていなかった。こんなことを事細かに書いてわざわざ説明する必要が果たし

てあるのかどうか甚だ疑問であるが、ここは後後、話の重要なポイントにもなってくるところであるがゆえ、恥を忍んで私は書かねばならぬのである。恥ずかしさを

乗り越えることにより人は皆、一皮剥けて、さらに数多の困難や試練を乗り越えて、さらに一皮剥けて、二皮剥けて、大人への階段をのぼり、輝ける未来へと向かっ

て成長していけるのだから。一皮向けるためには、たとえ恥ずかしくとも、書かねばならぬのである。昨今は頗る便利な世の中で、巷では『甘栗むいちゃいました』

みたいなお茶目な名前の商品が流通し結構な人気を博しているそうだが、その頃の私が剥けていなかったものとは一体何かと言えば、その『甘栗むいちゃいました』

に似た形状の部分がまだ剥けていなかったのである。それは男性に生まれたならば誰しもが股間にぶら下げている1本の竿と2個の玉との奇妙かつ絶妙なコンビネー

ション(夢の共演)で形成される器官のうち竿の先端の甘栗に似た形状の部分がまだ剥けていなかったのである。一緒に風呂に入った時こっそり確認した1歳上の兄の

甘栗もまだ剥けていなかったが、クラスメイトの中にはすでに『甘栗むいちゃいました』状態の強者も何人かいることを便所で盗み見て知っていたし、私の父親の甘

栗は常時ズルムケの完全『甘栗むいちゃいました』状態(しかもデカチン!)であり、いつの日にか私も必ずや『甘栗むいちゃいました』状態にならねばならぬ定めで

あることを何となく理解はしておって、ひとり風呂に入っている時などにふやかした状態で思い切って己の甘栗の皮を剥く努力を試みたことも幾度かあったものの、

いつも甘栗の先っちょ5分の1くらいのところまでは何とか剥けて甘栗がコンニチハ!と元気よく顔を覗かせるも、それ以上は皮が突っ張って強烈な痛みが走るため

怖気付き、そのままさらに剥き続ける勇気が当時10歳のガキンチョの私にはなくて、そんな根性なしの不甲斐ない己を情けなく思って密かに涙することもあった。

……

かように、当時10歳のガキンチョの私のアソコがまだ剥けていなかったことは弁解の余地のまったくない事実ではあったものの、当時の私は己のアソコがまだ剥けて

いないくせして、小学校に入学した6歳の頃から早くもコソコソとおっぱじめていた秘密の手慰み(マスターベーション、オナニー、センズリ、自慰、手淫など)の味は

しっかりと覚えておって、その道にかけては10歳にしてもうすでに「一丁前」を通り越し「ベテランさん」の域にまで達しており、もっとも、当時の私はまだ精通し

ておらず、私の秘密の手慰みは、世間で俗に言う「イク」ことはあっても精液が発射されない空鉄砲のドライオーガズムであり(もちろん気持ちよいことは通常の射精

とほとんど変わらず)、精液が発射されないことをいいことに私は、常日頃どうしても現実世界やそこに住まう人間たちと上手に心を通わせ合うことが大の苦手な「異

邦人」であるところの己に対するフラストレーションや、さらにはまだアソコが剥けておらず、また剥く勇気もない己の不甲斐なさを八つ当たり気味にぶっつけて解

消するかのごとく暇さえあれば所構わずコソコソと己のアソコを弄りまくって遊んでいたものだった。もちろん、秘密の手慰みの後にいつも必ず訪れる例のお馴染み

の虚無感(俗にいう賢者タイム)からは誰しもが逃れられぬ定めゆえ、その虚無感を媒介にして子供心にどこかしら背徳的ないけないことをしているのではないかという

罪の意識は当時10歳のガキンチョの私のアホバカマヌケ頭の片隅にも常にどんよりと確実にあって、秘密の手慰みの快楽を知れば知るほど、その後の虚無を知れば知

るほど、さらに自分が「異邦人」であることを骨の髄まで身に染みて思い知らされていくという何とも皮肉な結果ともなり果てて、秘密の手慰みをやめないといけな

いと思いつつも、わかっちゃいるけどやめられず、ずるずると続けることすでに5年近くの頑固なベテラン職人風情すらも醸し出しているといった有様なのであった。

もっとも、秘密の手慰みが背徳的であろうが何だろうが、人は皆、体のどこか一部分に触るととっても気持ちよくなれる場所が存在すると知ってしまったが最後、自

然とそこに手が伸びてしまうのは致し方のないことであり、それは人間という動物(ケダモノ)の哀しい性でもあり、大人になった今現在、他の男性たちが秘密の手慰み

をどのように行なっているのか(いたのか)などの詳細な情報や知識を身につけるにつれ、少しばかり自分は早熟であったのかもしれぬと反省するところがないわけでも

ないが、かの太宰治も幼少の頃から「按摩(あんま)」と称して夜毎布団の中で秘密の手慰みにせっせと励んでいたことを後に読んだ小説の中で知って少しばかり私の罪

の意識が軽減されたようにも思ったものであった。当時の私は日常的に繰り返していたその秘密の手慰みのことを、男性ならば皆に備わっているごく普通の機能で、

男性ならば皆が自然に行なっている作業だとは夢にも思わずに、10歳のガキンチョのアホバカマヌケ頭で、この秘密の手慰みとそれに伴う快楽は天から自分だけに授

けられた特別なご褒美であり、自分は選ばれた特別な人間なのかもしれぬとすらのんきに考えていた節もあるのだった。今でこそ私はその秘密の手慰みのことをマス

ターベーション(オナニー、センズリ、自慰、手淫など)という言葉できちんと認識できているが、当時10歳のガキンチョでまだアソコも剥けていなかった私はその手慰

みの作業自体のことを一体全体何と呼ぶべきか知る由もなくて、己の心の中で密かに「ティコティコ」と命名して呼んでおり、それは当時まだアソコが剥けていなか

った私が、己の剥けていないペニスを包み込む皮の先っちょ(小便の出口で仔象の鼻みたいにシワシワになってキュッと締まっている部分)を右手の親指と人差し指で器

用にちょこんとつまんで、ティコティコ、ティコティコ、ティコティコ、ティコティコ、とリズミカルに軽妙な刺激を与える方法で手慰みしていたことに由来するの

であった。また、当時はまだインターネットやAVなど存在せず、10歳のガキンチョがエロ画像やエロ映像を入手する手段など皆無に等しく、必然的に当時の私が手慰

み(ティコティコ)する際に興奮を高めるために使用する素材(ズリネタ)は想像力に頼るよりほかにすべもなく、夜毎就寝前に布団の中で手慰み(ティコティコ)して身悶え

る私の頭の中では、往年の日活ロマンポルノさながらのハレンチかつロマンティックなストーリー性に富んだ、10歳のガキンチョがこんなことまで考えてしまえるも

のなのか!悪魔の子!鬼畜ガキめ!とPTAで大問題となるような、めくるめく官能的かつ変態的世界が展開されていくのだった。子供は天使みたいな存在だから純粋で

健全なことしか考えていないと主張するウブな親御さんたちもいるかもしれぬが、そう信じたい気持ちもわからぬでもないが、それはとんだ大間違い、多少の個人差

こそあれど子供にだってもうすでに性欲はしっかりとあって頭の中では常にすんごいスケベことばかり考えているものであり、それは己の胸に問うてみれば容易に理

解するところであろう。そして、そんな具合に私が子供の頃に行なっていた秘密の手慰み(ティコティコ)において、持てる限りのあらゆる想像力を駆使していた経験が

今現在に至る私の藝術活動や創作活動や表現活動に良い意味でも悪い意味でも大いに影響を与えていると断言できるのだった。そんな当時10歳のガキンチョでその道

にかけてはもうすでに「一丁前」を通り越し「ベテランさん」の域にまで達していた私は、通常のありきたりな手慰みだけでは飽き足らず、その頃さらに特殊で変態

的な手慰み(ティコティコ)にも新たにいくつか挑戦しておって、まずは、名付けて「ジカンヨトマレ・ティコティコ」であり、これは読んで字のごとく今ではAVや映画

の題材にもなっていて若干オリジナリティに欠けるところがあるかもしれぬが、時間が止まってしまった世界を、なぜだか自分ひとりだけ自由に動き回り、言葉には

できぬような、例えばクラスメイト女子の家々を次々と訪問して回っては(もちろん回る順番も事細かに決めていた)、もうやりたい放題、卑猥な狼藉の限りを尽くすこ

とを頭の中で想像しながら手慰み(ティコティコ)する方法である。次に、名付けて「ジショ・デ・ティコティコ」であり、これも読んで字のごとく辞書で卑猥な言葉を

引きながら手慰みする方法で、今現在はまったく興味などないが、当時ガキンチョの私は女性の下着にもう興味津々で、辞書で【ブラジャー】→「乳を包むような形

の女性用の下着。胸の形を整えるために用いる。乳当て。乳押さえ。ブラ。」【パンティー】→「婦人用の短い下ばき。」【シュミーズ】→「婦人の洋装用の下着の

一つ。ひもで肩からつり、胸から股までをおおうもの。ふつう、そでがない。」【スリップ】→「婦人の洋装用の下着の一つ。肩からつってひざの上までおおう。」

【ガードル】→「女性の下着の一種。伸縮性のある材料で作られており、腹部から腰部にかけて体型をととのえるために用いる。」など、婦人用下着関連の言葉を引

き、それぞれの意味を読みながら手慰み(ティコティコ)するのである。次に、名付けて「スイチュウ・パニック・ティコティコ」であり、これはあまりにマニアック

過ぎてさすがの私もここに書いてよいものやら思わず躊躇してしまうけれども、この手慰み(ティコティコ)は女体や婦人用下着など性的な事物を対象にして興奮を得

るのではなく、己の置かれたシチュエーションによって興奮するというかなり特殊な方法で、それは主に夏の間だけ開放される近所の区民プールにて行われるもので

あった。当時私の家の近所の公園の片隅に25m屋外区民プールがあって、夏休みになると私も1歳上の兄や近所のごく親しい友人たちと毎日のように遊びに行ってい

たものだった。通常区民プールでは1時間に1度10分の休憩時間を挟まなければならないことがおそらく規則で決まっていて、そして、その特殊でマニアックな手慰

み「スイチュウ・パニック・ティコティコ」はその休憩時間に入る間際の短い時間にいつも決まって密かに行われるのだった。やり方は概ね以下の通りである。1時

間に1度訪れる休憩時間は監視員の笛の合図からはじまる。笛の合図とともにプールで泳いでいた人々は一斉にプールサイドへと各自上っていく。もちろん私も監視

員の笛の合図を聞いて早くプールサイドへ上がらなければならないと考えるものの、だがしかし、私はなかなかプールサイドへ上がろうとはせずにわざとグズグズと

ギリギリの限界までプールの中にひとり居残り続けようと努力するのである。できる限り粘って粘って粘った末に意図的にプールサイドへ上がる最後の人を目指すの

である。早くプールサイドへ上がらなければならないとわかっていながらギリギリの最後の最後までひとりだけプールに残されているという背徳的なシチュエーショ

ンに私はまるでパニック映画の悲劇の主人公にでもなったかのような極度のパニック状態に意図的に己を陥らせて性的な興奮を覚えるのである。そのわずか20~30秒

長くても1分弱の短い間に私は水中で己のペニスを海水パンツ越しにこっそりティコティコするといった次第である。そして最後までプールの中にひとり残されてい

るという背徳的なスリルと興奮によるパニック状態の中で大興奮した私はいつもあっという間に絶頂を迎えるのである。今思い出して書きながら自分でも救いようも

なく変態的だと思うし、なぜそのような方法をどのようなきっかけでいつ編み出したのか(おそらく偶然のたまものだろう)まったく自覚がないのだけれども、当時の

私は近所の区民プールを訪れるたび特殊な手慰み「スイチュウ・パニック・ティコティコ」に興じていたわけである。ただし、念の為付け加えておくならば、前述の

通り、当時の私はまだ精通しておらず、発射される精液によってプールの水を汚す心配もなく、女性に対して性的に興奮を覚えているわけでもなく、性器を露出する

わけでもなく、特に他人に迷惑をかけるわけでもなく、ある意味子供の一時の気まぐれ遊びと笑って済ますこともできるのではないかなどと私は都合よく考えてみた

りもするが、もちろん「スイチュウ・パニック・ティコティコ」の後にも、いつも必ず訪れるあの例の虚無感からは誰しもが逃れられることなどは決して許されてお

らず、事を済ましプールサイドに上がって腰を下ろした私は気怠い倦怠感の中、心なしかいつもよりもまぶしく感じられる真夏の焼けつくような太陽の光を全身に浴

びながら、さらに自分が周囲から浮いてしまったような、まさに「異邦人」と呼ぶにふさわしい存在であることを骨の髄まで身に染みて思い知らされるのであった。

……

そして、ここからが本題である。かように、当時まだアソコが剥けていないくせして、秘密の手慰みにかけてはもうすでに「一丁前」を通り越し「ベテランさん」の

域にまで達し、日々の秘密の手慰みをやめなければならぬと頭で思いながらも体が言うことを聞かずになかなかやめられず、ずるずると深みに嵌まり込み、挙げ句の

果てに、特殊でマニアックな「スイチュウ・パニック・ティコティコ」に興じるまでの超絶変態的な「異邦人」へとみるみる成熟して行っていた、そんな私が10歳の

小学5年生だった夏休みのある日のこと、くだんの不条理な出来事が起こったのだった。私の母親の妹(おばさん)が横須賀に嫁いでいた関係で、毎年夏休みになると私

たち家族や母方の親戚一同は横須賀のおばさんの家を訪れ横須賀の海で1日を過ごすことがいつの頃からか夏の恒例の行事となっていた。当時10歳の私には1歳上の兄

と5歳下の妹がいて、さらにその時母親のお腹の中には10歳下の妹もいた。私の母親には兄弟姉妹が5人いたため、その子供である私にとっていとこに当たる同世代の

子供たちもたくさんいて、特に横須賀のおばさんの家には私の1歳上の兄と同い年の双子の姉妹がいて、彼女らとは夏休み冬休み春休みなど長期の休みになると互いの

家を行き来するほどに頗る仲睦まじき関係であり、私の中では夏休みに横須賀の海で皆に会うことが普段の秘密の手慰み以外の数少ない楽しみのひとつにもなってい

た。その日も親戚一同が横須賀のおばさんの家に集結し、おばさんの夫である地元横須賀生まれのおじさんが穴場だと薦めるH海岸へとタクシー数台に分乗して向かっ

た。そのH海岸は有名なK灯台近くにある、お世辞にも小綺麗とは呼べない海岸で、カモメの糞やら、クラゲの死骸やら、ワカメに似ているが少し変な色味の不味そう

な大量の海藻やら、空き缶、ガラス瓶、石ころ、貝殻が散在し、ゴツゴツとした岩場には気色の悪い大量のフナムシが蠢き、潮と生ゴミと安化粧品の混ざったような

腐臭が漂い、そして、いつも焼けつくような太陽の光が燦々とまぶしかった。目を細めて斜め前方へ目を遣れば、沖には猿島という名の昔軍事施設でもあった無人島

がポッカリと浮かび、そのさらに遠くの水平線を貨物船らしき船が何台か行き来しているのが小さく見えた。横須賀のおじさんは、昔泳いで猿島まで渡ったことがあ

ると自慢げに話してくれたが、私は子供ながらに、本当だったらすごいな、でも自分には土台無理な話だなとも思っていた。途中足のつかないほど深い場所で溺れて

しまったらと思うと少し怖くなって、そしてその時私は一瞬だけ頭の中で「スイチュウ・パニック・ティコティコ」のことを思い出したけれど、焼けつくような太陽

の光がまぶしすぎて、そんなことはすぐに忘れてしまった。それから大人たちは大人同士でビーチパラソルの下さっそくビールを飲みはじめ上機嫌となって、子供た

ちは子供同士で遠浅の海で泳いだり水を掛け合って戯れ合ったり水着を脱がせ合ったり溺れさせごっこをしたりして遊んでいると、すでに酩酊気味で赤い顔した横須

賀のおじさんが私のそばまでやって来て、ハマグリがたくさん捕れる秘密の場所があるとこっそり教えてくれたので、私は横須賀のおじさんの後をのこのこついて行

き、そこで横須賀のおじさんは私にハマグリの捕り方を懇切丁寧に教えてくれた。まず水中の底の砂を踵を使ってグリグリすると踵に何か石のような硬いものが当た

るから、そこを手で掘ってみればハマグリが捕れるとおじさんは言って、実際私の前でそれを実演して見せてくれた。それに習って私も水中の底の砂を踵でグリグリ

するとすぐに何か石のような硬いものに当たってそこを手で掘るとハマグリがいとも簡単に捕れたので、おじさんは、うまいうまいその調子だよと言って褒めてくれ

て、私も褒められて嬉しくて調子に乗って水の底の砂を踵でグリグリしまくれば本当に面白いくらいいとも簡単にハマグリが捕れるものだから、さらにおじさんは、

うまいうまいもしかしたらまもるくんはハマグリ捕りの名人かもねとふざけておだててくれたので、私ももしかしたら自分はハマグリ捕りの名人かもしれないと満更

でもなく思えてさらに嬉しくなってきて、私は早くビーチパラソルの下でビールを飲んでいる大人たちに捕まえたハマグリを見せてあげてビックリさせて、さらには

親戚一同からも、まもるくんはハマグリ捕りの名人だよねと褒めてもらいたいなと思いはじめていたのだけれども、次から次と面白いくらいいとも簡単にハマグリが

捕れてしまうものだから踵グリグリハマグリ捕りをやめるきっかけがなかなかつかめずに、瞬く間に私の両手はハマグリでいっぱいなっていって、とうとう私の両手

はハマグリでふさがってしまって、もうこれ以上はハマグリを捕っても手に持っていることができなくなってしまって、こんなことならばバケツを持ってくればよか

ったなと少しばかり後悔しながら、すでにおじさんは再びビーチパラソルの下へビールを飲みに戻ってしまっていたからおじさんを頼るわけにもいかず、ひとり残さ

れた両手をハマグリいっぱいにして苦悩するハマグリ捕り名人であるところの私は、これは一体全体どうしたものだろうか?と思案を巡らせると、すぐさま私の頭に

グッドアイデアがパッと閃いてきて、それはその時私が履いていた紺色のスクール水着である海水パンツの中に捕れたハマグリを入れておいたらいいのではないかと

いう素晴らしいグッドアイデアであり、私は我ながら自分はもしかしたら天才なんじゃないかと自画自賛しながら、ハマグリ捕り名人でグッドアイデアの天才でもあ

るところの私はさっそく両手をふさいでいた大量のハマグリを履いていた海水パンツの中へごっそり移してやると、すぐに私の海水パンツは童話の中の王子様が履い

ているかぼちゃパンツみたいにパンパンにふくらんで、その自分のまぬけな姿にほくそ笑みながら、私はこのまぬけなかぼちゃパンツ姿も早くビーチパラソルの下の

大人たちに見せてみんなの笑いを取ってやりたいなとも思いはじめていたのだけれども、ハマグリを海水パンツの中にすべて移してしまった結果ふさがっていた両手

が空いて自由になったのでさらにハマグリを捕ることができるなと判断した私は、そこで再び踵グリグリハマグリ捕りをはじめれば、やはり面白いくらいいとも簡単

にハマグリが捕れるので瞬く間に私の両手は再び大量のハマグリでふさがっていって、そこでようやくさすがにそろそろ潮時かなと判断した私はハマグリ捕りを終了

させる決断をくだして、早くパンパンのかぼちゃパンツ姿で両手にハマグリいっぱいの私の勇姿をビーチパラソルの下の親戚一同に見せてビックリさせて、しかし本

当にまもるくんはハマグリ捕りの名人だよねさすがだよねと大絶賛され浜辺の人気者になりたいなとはやる気持ちを抑えながら、さあハマグリ捕りの名人であるかぼ

ちゃ王子の帰還ですよ!と言わんばかりに意気揚々と浜辺のビーチパラソルを目指して一目散に突進している途中に何だか私はパンパンの海水パンツの中に嫌な違和

感を覚えはじめて、そしてその嫌な違和感は意識すれば意識するほどどんどん強くなっていくようにも思われて、さらにその嫌な違和感はどこからやって来るのかと

言ったらば、それはどうやら当時まだ剥けていなかった私のアソコの先っちょからやって来るようでもあり、つまり私はその時童話の中の王子様が履いているかぼち

ゃパンツみたいにパンパンにふくらんでいた海水パンツの中の私の皮を被ったアソコの先っちょにピリッとした嫌な違和感を覚えたわけであり、一体全体、今私の海

水パンツの中ではどんな事態が起こっているのだろうか?とまさに青天の霹靂の恐ろしさのあまり私は思わず勇ましい歩みを一旦止めて、とりあえずは両手をふさい

でいた大量のハマグリを最早もったいないなどという気持ちは微塵もなくあっけなく水中にすべてばら撒いて捨ててしまうと、晴れて自由となった両手を使ってかぼ

ちゃパンツのようにふくらんでいた私の海水パンツの中を勇気を振り絞り覗き込んでみれば、そこではなんと!大量のハマグリの奥に垣間見える私の皮を被ったペニ

スの先っちょ(小便の出口で仔象の鼻みたいにシワシワになってキュッと締まっている部分)に1匹の不良ハマグリがちゃっかり噛みついているのであった!それまで

にペニスの先っちょをハマグリはおろか何物かに噛みつかれた経験など一度もなかったウブな私は突然の思いもよらぬ事態にビックリ仰天!腰が抜けかけるも、でも

その時はまだそれほど深刻にも受け止めてはおらず、何とかなるだろうというかすかな希望は捨ててはおらず、私のペニスの先っちょの皮の部分を(ちょうどハサミ

式のクリップで開け口を留めるような要領で)うまい具合にちゃっかり噛みついている直径5~6cm大ほどの不良ハマグリを何とかして私の皮の被ったペニスの先っち

ょから引き剥がそうと無理やり引っ張ってみたり、指を使って無理やり不良ハマグリの口をこじ開けようと懸命に努力してみるものの、それは『北風と太陽』の北風

のような、焼け石に水の無駄な努力であることをさすがの私も徐々に理解しはじめてきて、というのも私の皮の被ったペニスの先っちょから不良ハマグリを引き剥が

そうと無理やり引っ張れば引っ張るほど、無理やり不良ハマグリの口をこじ開けようと力を入れれば入れるほど、逆に不良ハマグリの噛みつきはさらにさらに強く深

く確実になっていくようにも思えてきたからであり、まったくもって手の施しようもなく途方に暮れてしまった私は、もしかしたら自分はこのまま一生ペニスの先っ

ちょを不良ハマグリに噛みつかれたままの状態で生きてゆかねばならないのだろうか?こんなまぬけな姿を他人に見られたら恥ずかしくて生きていけないだろうよ!

それにこのままだともう二度とティコティコもできなくなるのではないのか?いやティコティコどころかもう一生オシッコもできなくなるのではないのか?ともう本

当に恐ろしくて恐ろしくて堪らなくなってきてしまって、私の皮の被ったペニスの先っちょに噛みついている不良ハマグリ以外のハマグリを海水パンツの中からすべ

て取り出して水中に乱暴に投げ捨てた上で、不良ハマグリ1匹と一対一で対峙する形であらためて最後にもう一度だけダメ元で無理やり引っ張ってみれば、やはり案の

定というか引っ張れば引っ張るほど噛みつきがどんどん強く深く確実になってきたため、あああああああ、もうダメだ!もうおしまいだ!と絶望感にとうとうパニッ

ク状態に陥った私は、半べそかきながらビーチパラソルの下でビールを飲んで上機嫌の大人たちの元へと無我夢中で走っていき、一体どう話を切り出せば良いものや

ら見当もつかずオロオロしながらも、とりあえずは気持ち良さげに眠っていた妊娠中の母親を叩き起こして、その時私が陥ってしまっている絶望的な窮地について、

ハマグリがとかちんちんにとか先っちょにとか噛みついてとか取れないよとかどうしようとか途切れ途切れに懸命に説明しようと試みるも、パニックに陥った私の言

葉が足りないせいか、寝ぼけ眼の母親はすぐには理解してくれず、一体この子は何を言ってるんだろうか?とうんざりと猜疑の目すら向けはじめてきたので、これは

言葉で説明するよりも実物を見せてしまったほうは話が早いだろうと判断した私は、母親の前で履いてた海水パンツをペロッとずらして、不良ハマグリに先っちょを

噛みつかれている私の皮の被ったペニスを丸出しにして見せてやると、母親はギャー!っと物凄い叫び声を上げて、その母親の叫び声に驚いた親戚一同さらにはその

時その場に居合わせたその他大勢の海水浴客たちが不良ハマグリに先っちょを噛みつかれている私の皮の被ったペニスを中心にしてわんさかわんさかと集まってきて

大騒ぎとなって、キャー!とか、ギャー!とか、スゲー!とか、ヤベー!とか、どうしたのー?とか一体何があったのー?とか、酔っ払った誰かはニヤニヤ笑いなが

ら、オシッコ!オシッコ!オシッコ!オシッコしなさい!オシッコすれば取れるって!オシッコ!オシッコ!オシッコ!と大喜びしていて、私も一応試しにオシッコ

してみようと力んでみるも、でもそういう状況で都合よくオシッコなんてもんは出てきてはくれないもので、そんな大群衆のギャラリーの無責任な声を遠くに近くに

聞きながら私はまぶしすぎるほど焼けつくような真夏の太陽の光を全身に浴びてまるで白昼夢のさなかにでもいるかのような現実味をちっとも感じさせない絶望的な

気分でだんだんとわけがわからなくなってきて、もうどうしようもなくなって、気がつけば大声で泣きはじめているのであった。そんな私を見るに見かねた横須賀の

おじさんが私をフナムシが蠢く岩場へと連れていき、海水パンツを脱がせて私を全裸にし、もちろんそこにも無責任な大群衆のギャラリーはわんさかわんさかと一緒

に移動して来たわけだけれども、横須賀のおじさんはちょうど良い高さの岩の上に不良ハマグリが先っちょに噛みついた状態の私の皮の被ったペニスをちょこんと乗

せるようにと指示した上で、どこからか赤ん坊の頭くらいの大きさの適当な石を拾ってきて、私の皮の被ったペニスの先っちょに噛みついている不良ハマグリ目がけ

て一二の三で振り落とすと、かなりの衝撃とともに不良ハマグリの片側の貝殻が粉々に砕けて、そして、何とか無事に私のペニスは解放されましたとさというわけで

あり、大群衆のギャラリーからは、よかったね、ほんとによかったよかったよかった!と拍手喝采の雨あられ、その中心に全裸で呆然と立ち尽くすアホバカマヌケ面

の私に横須賀のおじさんは、早く履きなさいと海水パンツを手渡してくれて、それから片側の貝殻が粉々になった瀕死の不良ハマグリを無造作にその辺にほっぽり捨

てて、何だか全身の力が一気に抜けてしまったような、ティコティコしたわけでもないのにいつもティコティコした後に訪れるあの例の虚無感に襲われたような朦朧

とした気分でいる私の全身には相変わらず真夏の焼けつくような太陽の光が容赦無く降り注いでいて、その焼けつくような些かまぶしすぎる太陽の光を私は生涯忘れ

ることはないだろうとその時ぼんやりと思っているのだった。その日の夕飯の食卓にはハマグリのお吸い物が出され、親戚の誰かが、このハマグリはまもるくんのお

ちんちんに噛みついた不良ハマグリかなー?と冗談を言うと、親戚一同がどっと笑ったけれど、私は、何が面白いんだろうか、面白くなんてあるもんか、だってあの

不良ハマグリは石を振り落とされて粉々になったはずじゃないかよとプイっと不貞腐れた顔して少しイライラしながら、もしかしたら、ハマグリ捕りの名人だなんて

おだてられて調子に乗った挙げ句の果てに海水パンツの中にハマグリ入れてかぼちゃ王子の帰還ですよ!などと他人にいいところを見せてやろうと欲をかいたのがい

けなかったのかもしれないな、いや、そもそもの話、もしかしたら、ティコティコをやめなければならないとわかっていながらずるずるとやめられず、調子に乗って

区民プールで「スイチュウ・パニック・ティコティコ」なんてやっていたから、そのバチが当たったのかもしれないな、と子供ながらにぼんやりと思っているのだっ

た。以上が、私が子供の頃に起きた不条理な夏の出来事のすべてであるが、今振り返ってみても、ペニスの先っちょをハマグリに噛みつかれている状況とはまさしく

不条理以外の何物でもなく、あまりに不条理極まりない出来事だったと思うけれども、果たして人がペニスの先っちょをハマグリに噛みつかれる可能性というのはど

れくらいの確率なんだろうか、1億人に1人くらいか、もっと天文学的数字か、それは様々な偶然的要素が重ならなければ起こり得ない奇跡であり、まずペニスが剥

けていない状態であることが大前提となるわけであり、さらにはペニスとハマグリが密接な関係性を持つ機会が与えられなければならぬわけであり、つまり、あの当

時の私がすでにバッチリ剥けていたならばあのような不条理な出来事は起こらなかったというわけであり、あの時アソコが剥けてさえいたらばと悔やんでも悔やみき

れないところでもあり、しかも何が最悪かと言えば、それは私が生まれて初めてフェラされた相手がハマグリだったという事実であり、これはその後の私の人生にお

ける数多の女難の華麗なる幕開けだったと言えるのやもしれぬが、とまれ、子供の頃にこのような不条理な体験をした私が、爾来、現実世界に対して「異邦人」であ

ることにさらに自覚的になっていき、みるみると拍車がかかっていったことはまったく想像に難くなく、そして実際に今現在の私は相も変わらず「異邦人」のままで

ある。人生は不条理な出来事の連続であり、いやむしろ生きることそのものが不条理であるとも言えるけれども、これから先も私は「異邦人」である自分から決して

目を逸らすことなく、自分が「異邦人」であるという現実を乗り越えていく覚悟をもって「異邦人」として死ぬまで生きてゆかなければならぬのである。もしかした

ら世界中を探せばどこかに私と同じような不条理な体験をした人がいるのかもしれない。もしもそんな数奇な体験をした人が実際にいるのならば、是非とも共に語り

合ってみたいものである。その時どんな気分だったのか、その後の人生は変わってしまったのかどうかなど。ハマグリの磯焼きを肴に夏の海岸で酒でも飲みながら。

2022.11

 

 

 

 

 

18.『Today's Art / 藝術とは一体なんぞや? (仮)』

 

 

私の母方の祖父は私が生まれてすぐに亡くなったため、私の頭の中に祖父のリアルな記憶は一切存在せず、昔の古びたアルバムの中に赤ん坊の私を抱いて家の門前に

無表情で立つ祖父の色褪せた写真が1枚残されているきりだが、母親や親戚たちから伝え聞くところによれば、祖父は死の直前に自宅で最後の力を振り絞るかのごと

く巨大なウンコを一発ひり出してまもなく息を引き取ったそうであり、親戚一同が会し祖父の話になるたび、皆口々に「出すものしっかり出してスッキリあの世へ旅

立って行ったのだから、さぞかし幸せだったのだろうね」と死にゆく者が実際に何を考えていたかなど本人以外は知る由もないところへ手前勝手なオチをつけるのが

慣例であり、それゆえに、私の中で母方の祖父は「死に際に巨大なウンコを置土産にしてスッキリ死んで行った人物」といった印象で常に思い起こされるのだった。

また、幼少の頃より私は母親から「ウンコを我慢しているとそのうち全身にウンコの毒が回って大変なことになってしまうから、ウンコは溜めておかずにさっさと出

しておしまいなさいよ」と散々脅かされて育ったため、ウンコを出さずにいる状態とは人間の身体にとっては大変よろしくないという認識で常にいるのだけれども、

幸いなことに私はこれまでの50年に及ぶ決して他人に誇ることなどできぬ本当にろくでもない人生を自堕落に生きてきた中でいわゆる便秘の症状に悩まされた経験は

一度たりともなく、どうやら肉体的には快便体質であるように思われるが、その反面、精神的な便秘には常に悩まされ続けてきたと言っても過言ではないのだった。

次は必ずウンコの話を書き上げるつもりだ!と固く心に誓ってから早1年の月日が経とうとしている。もちろん、その間にも私は毎日必ず最低1回尻の穴からウンコを

ひり出し続け、ウンコのことを考えない日は1日たりともなかったが。もっとも、33歳の時(あたかも猛烈な便意に襲われウンコをひり出すかのごとく)突発衝動的に

絵を描きはじめてからというもの、私は暇さえあればウンコのことばかり考えてきたような気がする。もうかれこれ15年以上(20年近く)も毎日毎日飽きもせずウンコ

のことばかり考え続けてきた計算になるわけである。まさに「我ウンコを思う、ゆえに我あり」のごとく、もう脳みそはウンコ塗れなのである。世間ではウンコの話

が書けるようになったらもう一人前だよねとよく言われるように、私も早く皆に一人前と認められたいがために果敢にウンコの話に挑んでみたものの、実際にウンコ

の話を書こうとすればすぐにわかると思うが、ウンコの話なんて簡単にチョロっとウンコするみたいに書けるだろうと思い上がっていた過去の自分が恥ずかしくなる

ほどに、ウンコの話を書くのはなかなかに難しいものだと今回あらためて私は骨の髄まで身に沁みて思い知らされたものであった。世間を見回してみれば、私よりも

さらに長きにわたりウンコについて熱心に考え続けているベテランの先輩方もたくさんおられるわけで、私などはまだまだ素人同然ペーペーの分際であるわけだが、

ともかく、27歳で藝術家になる!と宣言して会社勤めを辞め、33歳で実際に絵を描きはじめ本格的に藝術の道へと足を踏み入れた私にとって、ウンコという存在は藝

術作品であり、かつ、藝術作品はウンコであり、かつ、藝術活動は排泄行為であり、かつ、排泄行為は藝術活動であり、なおかつ、私の人生とは、排泄行為や排泄物

(ウンコ)、分泌行為(SEX射精)や分泌物(精液)その他諸々をも含めた一つの総合藝術作品であるとも言えるわけで、すなわち、私にとってウンコの話を書くことは、私の

人生という総合藝術活動の一環に他ならぬわけである(自分でもちょっと何を書いているのかわけがわからなくなって混乱してきたが、私のウンコと藝術に対する熱い

思いはきっと皆にも伝わることだろう)。世間にはウンコの話を書く者など私の他にも探せばいくらでも(それこそ道端のウンコにたかる蠅のごとく)腐るほど見つかる

だろうし、また、大昔から「究極の選択、ウンコ味のカレーとカレー味のウンコだったらどっちを選ぶ?」みたいな言葉遊びもあり、私はその手のふざけた質問を受

けるたび「俺はウンコなんて食べたことがないので判断のしようもない」とキッパリと答えながら「ところで、そういうお前さんたちはウンコ食べたことあるんだよ

な?そういうふざけた質問はウンコ食べてからにしろ、ウンコ食べたこともないくせにウンコの味なんてわかるわけないだろうが、そういうふざけた質問はウンコに

対してものすごく失礼だぞ、ウンコ舐めてんのか!まったくもってクソ喰らえだよ!」と決して口には出さぬも内心いつも不機嫌にイラついていたものだが、それら

世に溢れ返るウンコの話のうちのほとんどすべてが実際には読むに堪えないふざけたウンコの話ばかりで正直失望や落胆や憤りを隠せず、おそらくその理由はそれら

ウンコの話を書く作者であるところの彼らがウンコという存在を自分自身とは一切無関係の醜く卑しい存在と蔑視しウンコに対して敬意が微塵も感じられぬ上に、さ

らには彼らが実名や出自を一切明かすことなく匿名の安全圏においてウンコの話をいい加減な気持ちで無責任に書き散らかして悦に入っているからに他ならず、そう

いう覚悟のない卑怯者の書くふざけたウンコの話などは、公衆便所の壁にウンコと落書きしたことをあれは自分の作品だと主張したり、他人の家の門前にこっそりウ

ンコをして逃げていく変質者(いやもうすでに犯罪者だ!)と何ら変わりがなく、これは別にウンコの話を書くなと言っているわけでは決してなく、今こうしてウンコの

話を書いている私がそんなことを言える筋でもなく、ウンコの話を書きたいと是非に思うのならば大いに書けばよろしいし、書くと決めたからには腹を括りウンコと

真摯に向き合い正々堂々胸を張ってウンコの話を書けばよいだけのただそれだけの話であり、己のひり出したウンコ(象徴的な意味)に対しては人間として最小最低限の

責任を持つことが一般常識であり(幼稚園児や小学生の作文にだって自分の名前はきちんと書いてあるし、百歩譲って内輪のサークルで匿名のニックネームで呼び合い

褒め合い馴れ合いふざけ合い盛り上がる分には別に構わないのかもしれぬが、公の場に出てきてはいけない)、そんなモラルも度胸もない胸糞の悪い文章には何らの魅

力が備わっているはずもなく、そんな無責任な文章を書いたところでそれは何も表現していないに等しく、そんな無責任な人間も存在していないに等しく(もしかした

ら人間ですらなくロボットやAIなのかもしれず)、そんな無責任な方法でしか己を表現できないのならはなから何も表現しないほうがマシであり、これはウンコの話だ

けに留まらず、バンクシーとか、電車男とか、SNS匿名アカウント(特にネカマ)、匿名掲示板の書き込み(コテハン含む)、新聞雑誌読者投稿、ラジオ番組ハガキ職人、

覆面イラストレーター、男だけ覆面して顔を隠したハメ撮り無修正AV(下半身は丸出し)などに対する不信感不快感および嫌悪感とも通底し、つまり私が心底忌み嫌う

のは覆面を被り己の正体を一切明かすことなく何かを表現し結局何も表現していないのにもかかわらず何かを表現した気になって気持ち良くなっている面々であり、

ゆえに私はインターネットにおける匿名行為や己が何者であるかについての情報を一切明かさぬ無責任極まりないあらゆるすべての表現行為は法律で厳しく禁止すべ

きとすら思っているが、支配層/権力者も少なからずその恩恵に与っているためなかなか難しいところではあろうか。一方、私が書くべく目指すウンコの話とは、それ

ら一山いくらのふざけたウンコの話とはハッキリと一線を画す、もうガチンコ真剣勝負でウンコという存在と対峙し(とはいえさすがの私もウンコを食べた経験はなく

これから先食べる予定もないので無責任と言えなくもないが)、ためつすがめつきちんと自分の頭でじっくりとウンコについて考え尽くし脳みそをウンコ塗れにした末

に正々堂々と実名や出自を明かした上で身を削って書く正真正銘まじめなウンコの話であり、そして、私にとっては「藝術=ウンコ」ゆえに、すなわち、それはウン

コの話をカモフラージュとした正真正銘まじめな藝術の話ともなるわけである。そもそも、ウンコというのはまさしくあの例のウンコのことであり、つまり、糞便、

大便、便、糞、くそ、クソ、ウンコ、うんこ、ウンチ、うんち、大、大きいの、大きいほう、関西弁でババ、英語でShit/Poopなどなど、他にも呼び名は古今東西数

え切れぬほど多種多様なれども、健康な人間や動物の尻の穴から飛び出てくる排泄物としてのあのウンコのことであり、念のため辞書で調べてみるならば「だいべん

【大便】消化された食べ物のかすが肛門から出るもの。くそ。うんこ。」「くそ【糞】肛門から出る、消化されたあとの食べ物のかす。ふん。」「ふん【糞】動物が

肛門から外へ出す、食物のかす。くそ。大便。」などと書かれてあって、普段私が好んでよく使用するのはカタカナの「ウンコ」であり、正直ひらがなの「うんこ」

も甲乙付け難いところではあるが、ここではすべてカタカナの「ウンコ」に統一することにする(ただし便宜上「クソ」「糞」「一本糞」「くそったれ」などと書く場

合もある)。いい歳した立派な大人がウンコの話なんて下品で汚らしい、どういう躾けをされて育ったのかしら、親の顔が見てみたいものだわ、などと眉を顰める手合

いも現われるやもしれぬが、その彼らにしたところで毎日必ず1回(人によってはそれ以上以下の頻度で)尻の穴からウンコをひり出し続けて生きてきたわけである。一

体、世の中の醜いものや汚いものから都合良く目を逸らし美しいものだけを見て生きていきたいというふざけた態度はいかがなものであろうか。あまりにも無責任過

ぎやしないか。そんなものは見せかけだけの表面的な美しさであって本質的な美しさなどでは決してない。そんなものはSEXシーンのまったく出てこない子供だまし

の恋愛映画のようなものである。かの岡本太郎も『今日の芸術』という本に書いているように「芸術はきれいであってはならない」のである。我々人間にとって排泄

物(ウンコ)や分泌物(精液)までもを含めた生きることのすべてが藝術作品そのものと捉えるならば、自分の尻の穴からひり出したウンコに対しても人間としてきちんと

責任を持たなければならぬのである。生まれてこのかた一度たりとも尻の穴からウンコをひり出した経験がないというのなら話は別だが、米が異なると書いて糞とな

るように、人間というケダモノに生まれてきた以上毎日必ず1回(人によってはそれ以上以下の頻度で)尻の穴からウンコをひり出さずにはおられぬわけである。それに

そもそもこの世にウンコのことが嫌いな人間など存在するのであろうか。生きとし生けるもの、老若男女、古今東西、モーツァルトも、フロイトも、スウィフトも、

ラブレーも、マルキ・ド・サドも、ザッパも、ゴダールも、ブコウスキーも、バーホーヴェンも、ディヴァインも、モリッシーも、マット・デイモンも、ギルバート

&ジョージも、五味太郎も、寅さんも、●●●●も、他にも大勢、みんな頭の中ではウンコのことばかり考えているのではないのか。脳みそはウンコ塗れなのではないの

か。その証拠に人は皆ひとたびウンコの話になると途端に目が爛々と輝き出し水を得た魚のごとく生き生きとしてくるではないか。特に藝術的才能に恵まれた藝術家

たちの間にウンコ好きが多いように見受けられるが、おそらくそれは彼らも私同様ウンコという存在を藝術作品として捉えているからに違いない。もっと世の中の皆

が己の心に素直になって、ウンコを醜いものや汚いものとして目を逸らしたり蛇蝎のごとく忌み嫌うのではなく、ウンコという存在に対し敬意や寛容の心や責任感を

持って接したり、もっと皆がカジュアルにファッショナブルに、そしてまじめにウンコの話ができるようになれば、もっと皆が生きやすい世の中に変化していくので

はないか、なるわけないか、なってみないとわからないか、なってみてもわけわからないか、などと時々私は考えてみたりもするが、例えば、週末の昼前、青山辺り

のカフェテラスにて、今風のオシャレな女性2人の会話「私、今朝すんごいぶっといウンコぶちかましちゃってさ、さっそくインスタにあげてあるから、リョウコも

チェックしてみてよ、良かったら、いいね!とかしてくれたら嬉しいかも、今朝のはあまりにぶっといウンコだったから、思わずケツ拭く前にインスタにあげちゃっ

た、ウンコぶちかましてからインスタにあげるまでに要した時間、たったの7秒、もちろんこれは自分史上最速記録で、100メートル走の世界記録よりも3秒近く速い

んだよ」「あ、見た見た見たよーん、うっそーん、ヤバい、ヤバすぎ、ぶっとすぎ、これぞインスタ映えってやつですねー、さすがはトモヨさん、うちらの中ではウ

ンコと言えばトモヨさんだもんねー、私も今朝結構ヤバめのウンコぶちかましたんだけどさー、さすがにトモヨさんほどぶっとくなかったけど、バケツ一杯分くらい

大量にぶちかましたんだよーん、私もインスタにあげてみたから、チェックしてみてね、お粗末で恥ずかしいけど、良かったら、いいね!とかしてよね」「あ、見た

見た、悪くないよ、全然悪くない、ちゃんとインスタ映えしてるし、すっごい大量のウンコだね、リョウコらしいっていうか、リョウコにしかぶちかませないメガ盛

りMAXウンコだよね、これだけメガ盛りMAXだとすぐにリョウコのウンコってわかるもんね、ウンコにリョウコって名前が書いてあるみたいな」「ありがとー、嬉し

いよーん、正直インスタにあげるかどうかすっごーく迷ったんだよね、インスタにウンコの写真あげるなんて人としてどうなのかなーとか頭抱えちゃって、トイレに

こもってケツ拭くのもすっかり忘れてメガ盛りMAXウンコとにらめっこすること、小1時間、でもトモヨさんも素敵なぶっといウンコの写真を毎日インスタにあげて

るし、たまたま今朝はインスタ映えしそうないい感じのメガ盛りMAXウンコ盛り盛りぶちかませたから、私も思い切ってインスタにあげてみたんだけど、あげて良か

ったなーって今では思ってるんだよーん、うちらの間ではウンコと言えばトモヨさんだし、そのトモヨさんからウンコを褒められるってことはさ、私のウンコもそん

なに捨てたもんじゃないのかなーとか思ったり、なんだか自信ついちゃうなー、少しくらいは自惚れてもいいのかな?」「全然全然、自惚れて構わないよ、自惚れま

くって部屋で一人トップレスになっておっぱいブルンブルンボヨンボヨンさせながらヘンテコな創作ダンスとか踊ってくれても全然構わないよ、それくらいインスタ

映えする素敵なメガ盛りMAXウンコだよ、これだけ大量のメガ盛りMAXウンコ盛り盛りにぶちかませる人なんて滅多にいないんだからさ、リョウコももっと自信持ち

なよ」「うん、自信持っちゃう、明日からも毎日インスタにメガ盛りMAXウンコ盛り盛りあげちゃうぞー!」「すっごく楽しみだね、私も毎日インスタにぶっといウ

ンコの写真あげるようになってかれこれ10年になるんだけどさ、毎日が充実してくるんだよね、朝も目覚ましなしでパッチリ起きれちゃう、今の私はインスタにぶっ

といウンコあげるために生きてるようなもんなんだ、私のぶっといウンコ目当てのフォロワーさんも世界中にたくさんいて、今現在の私のフォロワーさん数は大体14

億人前後なんだけど、ウンコあげる前まで50人前後だったのが、ウンコあげるようになってからあれよあれよと爆発的に増えていって、今じゃ14億人、みんなウンコ

のことが大好きなんだなあって、恐るべしウンコパワーだよね、毎日あげるウンコの色や形やぶっとさによって、フォロワーさん数が1000万人単位で増減したりね、

みんなウンコに対してわがままな拘りを持ってるみたいね、でも私が毎日あげるぶっといウンコを見て、世界のどこかの誰かさんが、毎日色々辛いこともあるけど希

望を持って生きていこうって勇気づけられたり元気になったりしてるとしたら、私も嬉しくなって部屋で一人トップレスどころか全裸になっておっぱいブルンブルン

ボヨンボヨンさせて陰毛ワッサワッサさせながらヘンテコな創作ダンスとか踊りたくなっちゃうけどね、あ、ごめん、勢いで嘘ついちゃった、私ド貧乳だったわ、お

っぱいブルンブルンボヨンボヨンはどう考えても無理だわ、でもそれくらいの気持ちってことだよ」「何だかんだで結局みんなウンコが大好きなんだよねー、人はウ

ンコの何に魅了されるんだろう、不思議だよね、私も今日初めてウンコをインスタにあげた5分後に、いきなりフォロワーが1億人になってて、もうビックリだよ、ウ

ンコあげる前まではたったの6人だったのに、でもトモヨさんのフォロワー14億人ってMAJIすごすぎない、14億人とかもう中国の人口くらいだよ、中国全人民が毎日

トモヨさんのぶっといウンコに熱い視線を送って一喜一憂してるってことになるわけだよね、チャン・イーモウとかコン・リーとかチェン・カイコーとかトニー・レ

オンとかチャン・ツィイーとかファン・ビンビンとかジャッキー・チェンとかサモ・ハン・キンポーとか習近平とか江沢民とか胡錦濤とか毛沢東とか周恩来とか蒋介

石とか孫文とか魯迅とか孔子とか孟子とか始皇帝とか阿片戦争とかラストエンペラーとか満州事変とかチンギスハーンとか三国志とかシルクロードとか万里の長城と

か北京原人とかジャイアントパンダとか、まさに中国4千年の歴史がトモヨさんのぶっといウンコに大注目してるんだねー、リットン調査団にじっくり調査されたり

匈奴に襲撃されたりしてるわけだねー、コメント欄にも、便便來了(ウンコキター)!臭(くっさーwww)!好ロ巴(よっしゃ)!我一直在等(待ってました)!多好(いいね)!謝

謝(ありがと)!加油(がんばれ)!太厚(ぶっとすぎでしょ)!臭(くっさーwww)!漂亮(美しい)!精彩的(素晴らしい)!多少銭(いくらですか)?臭(くっさーwww)!可以發送

給ロ馬(送ってもらうことできますか)?讓我們用它來交換我的便便(僕のウンコと交換してよ)!臭(くっさーwww)!我可以吃ロ馬(食べられますか)?好吃ロ馬(おいしいです

か)?我絶対想吃(是非とも食べたいです)!我想吃很多(いっぱい食べたいです)!臭(くっさーwww)!請補充(おかわり下さいな) !我吃飽了(もうお腹いっぱい)!我想發生

性関係(SEXしたいです)!臭(くっさーwww)!我真的很想發生性関係(マジでSEXしたいです)!請給我口交(フェラチオして下さい)!臭(くっさーwww)!請深喉(イラマチ

オお願いします)!成為情婦(愛人になって下さい)!嫁給我ロ巴(結婚して下さい)!とか好意的な言葉がずらっと並んでるし、なんだかトモヨさんすごく輝いてるもん、

年の割には全然若く見えるし、お肌もツヤツヤしてるし、トモヨさんのぶちかますぶっといウンコみたいにキラキラ輝いてまぶしいもん、私もトモヨさんを見習って

これから毎日インスタ映えする素敵なメガ盛りMAXウンコ盛り盛りぶちかませるよう頑張るぞー!」「リョウコならきっと大丈夫だよ、お互い頑張ろうね、しかし、

ぶっといウンコぶちかます時の昂揚感といったら他ではなかなか味わえないもんがあるよね、神懸かってるっていうか、ぶっといウンコがバットホールさんを通過す

る時のあの何とも言えぬゾクゾク感は嵌まったら抜けられないよね、私は今生きてるんだなあって心からそう思えるもん、産卵するウミガメみたいに時々涙流したり

してるもん、ぶっといウンコがバットホールさんを通過する時間が長ければ長いほどそれだけ気持ち良さも増幅して、Fly Me To The Moon、このまま別世界へぶっ飛

んで行けちゃいそうっていうか、普段は意識高い系のインテリオシャレさん気取ってるこの私がウンコする時だけは一匹のケダモノに戻っちゃうっていうか、ウアオ

ごおアオおオおアオおアおウごおオ!とか地響きみたいな野太い唸り声を気づいたらあげてたり、お隣りさんやご近所さんや町内会長さんにもバッチリ聞かれちゃっ

てるかもとか想像したら興奮してきて唸り声をさらに大きくしてみたり、その極端なギャップも自分では意外と気に入ってたりするんだよね、今度Youtubeで脱糞ラ

イヴ配信とかにもチャレンジしてみようかな」「わかる、わかる、わかりみー、私も今朝メガ盛りMAXウンコ盛り盛りぶちかました時はかれこれ30分くらいかかった

んだけどさー、全然止まらない、ヤバい、止まらない、止まらない、ヤバい、ヤバい、ウンコ止まんねえよーってもうMAJIで失神する5秒前だったもんねー、気づい

たらバットホールさんを竜巻みたいに高速回転させて『バットホール・トルネード』っていう即興で作った自作の歌口ずさんでたり、ほんとヤバかったんだよねー」

「あ、ところで今かかってる音楽、モーツァルトだよね?全然関係ないけどさ、私モーツァルト聴くと必ずウンコぶちかましたくなるんだよね、何でかな?今朝もモ

ーツァルト聴きながら気づいたらぶっといウンコぶちかましてたんだ、今もぶちかましたくて若干催しかけてるし」「え?モーツァルト?モーツァルトでしょ?あの

モーツァルトだよね?ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだよね?全然関係なくないよー、関係ありありの大アリクイのありありありーだよーん、だってモ

ーツァルトはウンコ大好きさんで有名な人じゃん、ヴォルフガングっていう名前の響きからしてもうウンコ大好きって言ってるようなもんだし、ウンコといえばモー

ツァルト、モーツァルトといえばウンコ、ウンコ界の巨匠的存在じゃん、うちらの間でウンコと言えばトモヨさんが知らないはずないと思うんだけどな、もしかして

私カマかけられてるのかな?ウンコ検定3級みたいな感じで、でもさすがはトモヨさんだよね、モーツァルト聴きながらぶっといウンコぶちかますなんてさー、まさ

に意識高い系のインテリオシャレさんって感じだよねー」「ありがとう、リョウコにそう言ってもらえて私も私のぶっといウンコも大喜びだよ、畏れ多いことだよ、

さすがにウンコ好きの間でモーツァルトの話を知らないとかニワカ扱いされちゃうからね、お察しの通り一発カマしてやりましたよ、リョウコさん、ウンコ検定3級

見事合格でーす、おめでとう!ところでリョウコは最近どんな音楽聴いてるの?」「えっとねー、私は最近フランク・ザッパとか聴いてるよーん、最近付き合いはじ

めたギタリストの彼氏にオススメされて聴いてみたら意外とよくって、Freakyでサイケな感覚がたまらねえーみたいな、ザッパ聴くたんびにいつもメガ盛りMAXウン

コ盛り盛りしたくなっちゃう、これは彼氏に聞いた話なんだけどね、ザッパは昔ステージでウンコ食ってたみたいだし、本当だったらヤバいよねー、さすがの私もウ

ンコは食べれないなー」「あ、その話なら私も聞いたことあるあるのあるあるかもかもの鴨長明あるかもだよ、超有名な話だよね、でもザッパは、俺はウンコ食って

ないってハッキリ否定してるんだよ、神に誓って俺はウンコなんて食ってないって、ウンコ食ったのはアリス・クーパーだって、昔読んだ自伝の冒頭にわざわざそう

書いてたから、たぶんザッパはウンコ食ってないんじゃないのかな」「へー、そうなんだー、その話知ってからザッパって聞くと自動的にウンコを思い出しちゃって

たんだよねー、そっかー、ザッパはウンコ食ってないんだー、アリス・クーパーに流れ弾、笑えるねー、ギタリストの新しい彼氏なんか、俺もウンコ食えばギター上

手くなるのかなー、俺もウンコ食おうかなー、ウンコなんか別に食いたかないけど、ギターが上手くなるんならウンコ食わないっていう手はないよなーとか言い出す

からさ、お願いだからそれだけはやめてーって私慌てて止めたんだよー、ウンコなんか食べる人とは絶対絶対別れるからーってもう号泣しながら私止めたんだよー、

でもものすごく勉強になるなー、こうやってトモヨさんとウンコの話をすればするほど確実に私も賢くなっていってるような気がするんだよねー、さすがは意識高い

系のインテリオシャレさんでウンコぶっとい系のトモヨさんだよねー、感謝してまーす、あ、そうそう、ところで今日のランチ何食べるー?」「うーん、私今日はカ

レーの気分かなって朝からずっと思ってたんだよね、モーツァルト聴いてぶっといウンコぶちかましながら、今日のお昼は絶対カレー食べようって」「うっそーん、

うっそーん、信じられなーい、奇遇だねー、私も今日のお昼は絶対カレーって心に決めてたんだよーん、今朝もザッパ聴いてメガ盛りMAXウンコ盛り盛りぶちかまし

ながらさー」「これはもうカレー以外の選択肢はないってことですね」「もうカレーで決まりだね」「あ、ところでカレーと言えばさ、もしもの話だよ、もしもカレ

ーにウンコが混ざっていたとしても全然バレないような気がしない?」「え?カレーにウンコ混ぜるの?何それー、やだー、思わず想像しちゃったよー、ヤバいね、

ヤバいね、さすがは意識高い系のインテリオシャレさんでウンコぶっとい系のトモヨさんだよねー、そんなことまで考えちゃうんだー」「いやいや、さすがの私も年

がら年中そんなことばかり考えてるわけじゃないよ、ウンコにカレー混ぜる系の話は1日2時間くらいだよ」「1日2時間かー、ギリギリセーフかなー、それ以上いっ

ちゃうと、さすがにこれから先のトモヨさんとの付き合い方とか真剣に見直さないといけなくなっちゃうしねー、ドン引きだよー、いくら意識高い系のインテリオシ

ャレさんでウンコぶっとい系のトモヨさんであってもさー」「さすがに1日2時間以上はウンコにカレー混ぜる系の話なんて考えてないよ、いくら意識高い系のインテ

リオシャレさんでウンコぶっとい系の私であってもだよ、それだけは神に誓って言えるよ、でもさ、ちょっとだけ想像してみてくれるかな、もしもの話だけど、もし

もカレーの100%全部がウンコだったとしたら、それはさすがにすぐバレちゃうと思うんだけどさ、でも仮に10%だけウンコが混ざってたとしても、それは全然バレ

ないと私は思うんだよね、そして徐々にウンコを混ぜる比率を20%30%40%50%60%とどんどん上げていってさ、通常何%超えた時点でカレーにウンコが混ざって

るってバレちゃうと思う?私は76%くらいまでは全然いけそうな気がするんだよね」「76%かー、また絶妙な細かい数字出してくるよねー、さすがはうちらの中では

ウンコと言えばトモヨさん、意識高い系のインテリオシャレさんでウンコぶっとい系のトモヨさん、インスタに毎日ウンコの写真あげ続けて10年になるトモヨさんだ

けのことはあるよねー、そうだねー、たしかに10%とか20%とか少しくらいならウンコ混ぜてもバレないような気もするけどさ、さすがに30%超えたあたりから、

あれれれ、このカレーなんか変な味がするぞー?ってみんな気づきはじめると思うんだよねー」「30%か、それ以上だとさすがにバレちゃうかな」「さすがの私もウ

ンコなんて食べたことないからね、ウンコがどんな味なのか想像もつかない世界だけどさー、あの独特のウンコのニオイで絶対バレちゃうと思うんだよねー、トモヨ

さんの主張する78%なんて夢のまた夢の夢物語、竹取物語、子猫物語、武士道残酷物語で、実際50%も厳しいんじゃないのかなー、トモヨさんの78%って数字の根

拠は一体どこから出てきたわけ?」「私は実際ウンコ食べたことあるし、普段自分で作るカレーにもそれくらいの比率で自分のウンコ混ぜてるし、たまに彼氏にも食

べさせてるし、彼氏も、おいしいおいしい、トモヨの作るカレーはスパイスが利いてて、いつもおいしいおいしい世界一だよ!ってペロリと平らげてくれるからね、

あ、それから78%じゃなくて76%だよ、76%ね、78%は私もまだ試したことない未知の領域だよ」「澄ました顔してさらっとすごいこと言っちゃってるけどさー、

トモヨさんはウンコ食べたことあるんだー、もうビックリだよー!さすがはうちらの中ではウンコと言えばトモヨさん、意識高い系のインテリオシャレさんでウンコ

ぶっとい系のトモヨさん、インスタに毎日ウンコの写真あげ続けて10年になるトモヨさん、インスタフォロワー数が中国の人口とほぼ同じ14億人だけのことはある

よねー、14億って数字は伊達じゃないんだねー、トモヨさんならウンコ食べてても全然不思議じゃないもんねー、むしろウンコ食べてないほうがおかしいっていうか

さ、でもそう考えてみるとさー、もうすでにトモヨさんみたいに実際カレーにこっそりウンコ混ぜて客に提供している行列のできる人気店とかとかあったりしてね、

まさかねー、ほんとにあったらヤバいけど、さすがにそんな店はないとは思うけどさ、想像してみるとかなりヤバいことだよねー」「そうかな、カレーにウンコ混ぜ

ることってそんなにヤバいことなのかな、100%ウンコだとさすがにすぐにバレちゃうしヤバいと私も思うけど、しかも100%ウンコだとそれはもうすでにカレーの

要素が0%で、もはやカレーではなくて純粋にウンコだけど、でもそこまではいかずとも隠し味としてスパイス代わりに軽いノリでカレーにウンコ混ぜる分には私は全

然ありの大ありありのモハメッド・アリーだと思うけどね、問題はウンコを混ぜる%と煮込む時間だと思うんだよね、じっくりコトコト煮込めばくさみがとれてまろ

やかになるっていうかさ、とにかく、実際にみんながみんな私みたいに日常的にカレーにウンコ混ぜて食べてるかどうかはわからないけどさ、カレーにウンコ混ぜて

みようかなって思ったことある人なら結構いると思うんだよね、100人中76人くらいは過去に一度くらい思ったことあるんじゃないかな、もうカレーの形状や見た目

からしてさ、やいウンコ混ぜてみろや、混ぜられるもんならウンコ混ぜてみろや、根性なし、コラッ!ってカレーに喧嘩売られて挑発されてるようなもんじゃない?

私も、だったらウンコ混ぜたるわい、コラッ!って思わずウンコ混ぜちゃった口だからさ、私みたいに実際に76%まで混ぜちゃう人はさすがにまだまだ少数派だとは

思うんだけど、出来心でひとつまみ隠し味でウンコ混ぜちゃおうかなみたいに思ったことある人は絶対いると思うんだよね、たぶん100人中76人くらいはさ、それと

今までずっと隠してたんだけど、実を言えば、あんまりここで大きな声では言えないような話なんだけど、何を隠そう、この私こそがカレーにウンコを隠し味で混ぜ

る比率のギネス記録保持者なんだよね、ギネスブックに私の名前載ってるんだよね」「マジでー!トモヨさん、ギネスブックに載ってるんだー?すっごいねー!さす

がはうちらの中ではウンコと言えばトモヨさん、意識高い系のインテリオシャレさんでウンコぶっとい系のトモヨさん、インスタに毎日ウンコの写真あげ続けて10年

になるトモヨさん、インスタフォロワー数が中国の人口とほぼ同じ14億人だけのことはあるよねー、14億って数字は伊達じゃないんだねー、それってつまりトモヨ

さんがウンコの世界ではテッペン、つまりウンコ世界一ってことになるわけだよねー?」「まあね、でもウンコ世界一と言っても、私の持ってるギネス記録はカレー

にウンコを隠し味で混ぜる比率部門のギネス記録であって、他にも、味噌ラーメンのスープにウンコ混ぜる部門とか、バレンタインに彼氏に渡すチョコレートにウン

コ混ぜる部門とか、ハンバーガーのパテにウンコ混ぜる部門とか、ウンコ関係のギネス記録は様々な部門がたくさんあって、私がウンコで世界を制覇したってわけで

はないんだよ、でもつまり現時点で私の持つカレーに隠し味でウンコ混ぜる比率76%って数字がこの部門でのギネス記録ってことに一応はなるんだけどね、まあみん

なに自慢して回りたいってほどではないにせよ、自分でもそこそこ畏れ多いことかなと思ってはいて、たまに家でぶっといウンコぶちかましながらギネスブックに載

ってる自分の名前見てニヤニヤしてたりね、でも私はまだまだ記録伸ばせるって確信してるし、まだまだこの程度では終わらないし、終わらせないし、終わらせるわ

けがないし、他のウンコ関係のギネス記録にもどんどんチャレンジしていきたいし、それにギネスと言ってもいかんせんウンコ関係なわけだから、なかなか大っぴら

にも話しにくいわけで、親とか親戚くらいにしかまだ話してないんだよ、彼氏にもまだ話してない、つまり彼氏はいつも食べるカレーに私のウンコが76%混ざってい

ることに気づいてないってわけ、いつか打ち明けようとは思ってるんだけどね、近親者以外に打ち明けたのは今日が初めてだよ、それに、私の持つカレーにウンコ混

ぜる比率76%が本当にギネス記録かどうかも正直かなり怪しいところではあるんだよね、もうすでに80%くらい混ぜてる強者も世界中探せばどこかしらにいるとは思

うんだよね、インドとかネパールとかスリランカとかチベットとかタイとかメキシコとかハイチとかタンザニアとかにさ、だから未知のライバルたちに負けないよう

私も家でカレー作るたんびにウンコを混ぜる比率を0.1%ずつとかでも少しずつ上げていって、将来は100%ウンコカレー、いや100%だとすでにカレーじゃなくてた

だのウンコだけど、とにかく100%ウンコカレーを目指して絶賛奮闘中ってわけなんだよ、こう見えて私も陰ながら努力してるんですよ」「全然知らなかったよー、

トモヨさんがさらに輝いて見えるよ、でも私に思い切って打ち明けてくれたこと嬉しかったよーん、そのうちトモヨさんがうちらの手の届かない遠い場所まで行って

しまって、こんなふうにトモヨさんとも気安くウンコの話もできなくなっちゃうのかなーって考えると何だか少し寂しくなるけど、私も陰ながらトモヨさんのことも

トモヨさんのぶっといウンコのことも応援してるからねー、毎日インスタにあがるトモヨさんのぶっといウンコに必ずいいね!するからね、約束するよーん」「あり

がとう、そう言ってもらえて私も私のぶっといウンコも嬉しいよ、畏れ多いことだよ、たとえ私がウンコで世界のテッペンとってウンコ世界一として世界へ羽ばたい

て行ったとしても、私たちの友情は決して変わらないよ、私もリョウコがインスタにあげるメガ盛りMAXウンコに必ずいいね!するからね、リョウコも興味があった

ら1回にぶちかますウンコの量がメガ盛りMAX盛り盛り部門のギネス記録とかに応募してみればいいよ、ファイト、いつまでもお互いこうやって気軽にウンコの話が

できる仲のいい友達でいようね」「うん、ずっと友達でいようねー、トモヨさんも100%ウンコカレー目指して頑張ってね、ファイト」「いつか100%ウンコカレーが

実現できた暁には、部屋で二人全裸になっておっぱいブルンブルンボヨンボヨンさせて陰毛ワッサワッサさせながらヘンテコな創作ダンスとか踊りまくろうね」「ま

たまたまたまたー、トモヨさんはド貧乳なんだから、どう考えたっておっぱいブルンブルンボヨンボヨンは無理だよ」「ごめん、ごめん、ごめん、また勢いで嘘つい

ちゃった、私ド貧乳だったわ、おっぱいブルンブルンボヨンボヨンはどう考えても無理だわ、でもそれくらいの気持ちで頑張ろうね」「しかし、今日はまさかの展開

でもうビックリだよー、なんとうちらのトモヨさんがカレーにウンコを隠し味で混ぜる比率のギネス記録保持者だったなんてさー、うちらの中ではウンコと言えばト

モヨさん、意識高い系のインテリオシャレさんでウンコぶっとい系のトモヨさん、インスタに毎日ウンコの写真あげ続けて10年になるトモヨさん、インスタフォロワ

ー数が中国の人口とほぼ同じ14億人だけのことはあるよねー、14億って数字は伊達じゃないんだねー、何かしらウンコ絡みでいつかやらかしてくれるだろうなーと

期待してたんだけど、まさかトモヨさんがカレーにウンコを隠し味で混ぜる比率のギネス記録保持者だったとはねー、もう嬉しくて思わずまたメガ盛りMAXウンコ盛

り盛りぶちかましたくなってきちゃうよー」「リョウコに褒められて私も嬉しいよ、畏れ多いことだよ、嬉し過ぎて私も思わずまたすんごいぶっといウンコぶちかま

したくなってきちゃうよー、まあ、ともかくさ、そう考えるとカレーにウンコ混ぜる系の話に限らずだけど、何が真実かなんて実際は誰にもわからないってことなん

だよね、もうすでにカレーにスパイスや隠し味としてウンコ混ぜて出してる店も確実にあると思っておいたほうがいいのかもしれないよね、カレーにウンコ混ぜてる

確実な証拠がないのと同じように、カレーにウンコ混ぜてない確実な証拠もないわけだからさ、悪魔の証明って言うんだっけ?まあ細かいこと疑いはじめたらキリが

なくなってきて一体全体世の中の何を信用していいのかわからなくなって疑心暗鬼になっちゃうけどね、もうすでに世界中のみんなが知らず知らずのうちに誰かのウ

ンコを一度は食わされたことがあるって思っておいたほうがいいかもしれないよね、なんかもう本当にクソ喰らえな世界だよね、あ、ギネスの話は他のみんなにはく

れぐれもオフレコでお願いしまーす、それじゃ、そろそろカレー食べに行きますか?」「あ、トモヨさん、ごめーん、私、急に大事な用事思い出しちゃったかもかも

ー」などなど、書き出したら調子に乗って止まらなくなってきて相当悪趣味に走り過ぎてもう下品極まりないけれども、果たしてファッション感覚でウンコの写真を

気軽にインスタにあげたり(実際もうすでにウンコの写真をあげてはいないもののウンコの写真をあげているのと比喩的に何ら変わりないことをしている人々もたくさ

んいるが)、カレーにウンコを隠し味として混ぜて食べたり、スタバみたいなオシャレなカフェで今時の女性たちがカジュアルにウンコの話を嬉々としていたりするよ

うなそんな世の中が我々人間にとって真に幸福なのかどうか、かの岡本太郎もさすがにウンコ食べろとは書いてないし、藝術のためならウンコ食べてもいいとも言っ

てないし、かのウンコ好きで有名なフランク・ザッパも自伝の冒頭に「俺はウンコなんて食ってない、ウンコ食ったのはアリス・クーパーだ!」とわざわざ書いてい

るくらいだし、私もできれば一生ウンコは食べたくないと思っているし(1万では確実に断り100万だと大いに迷い悩み1億払うと言われれば食べてしまうことだろう)、

もちろん今現在もウンコを食べることは法律で禁じられているわけでもなく、食べたい人は好きに食べればいいとも思うが、人間は犬猫豚畜生ではなく、人間の尊厳

を損い畜生道に堕ちるような愚かなマネはできる限りするべきではなく、それらの行為はさすがにクソ喰らえであり、人間の尊厳を守るための一線を少しばかりいや

かなり越えてしまっていて正直やり過ぎの感も否めないところであり、もしかしたら人間はウンコという存在に対してどう向き合うかによってその度量を試されてい

るのではないかと考えたりもするけれども、とまれ、何度も言うように、ウンコをただの醜い汚い排泄物として忌み嫌うだけではなく(ウンコを藝術作品として捉える

ことは極端過ぎるのかもしれぬけれども)、ウンコを見て見ぬふりして触らぬ神に祟りなしとスカした大人の対応をとるだけではなくて、ウンコという存在に対し皆が

もっと自分の中から生み出されたものであるという自覚と責任感をしっかりと持ち、あらゆる角度からじっくりまじめに考えてみることは我々人間にとって決して無

駄なことではなく大いに意義のあることであり、まさにそれこそが今の綺麗事だらけの世の中に一番足りていない重要な要素であるように私には思えてならないが。

……

さて、今年の正月も私は、新しい年も明けたことだし、今年は寅年でイメージカラーは黄色だし、景気よく縁起よくそろそろウンコの話でも書きはじめるとするかと

思い立ったものの、同時に、いい歳した立派な大人が何が哀しくて新年早々ウンコの話など書かねばならぬのか、正月にわざわざウンコの話を書くのは人としてどう

なのか、そもそもウンコの話など書くことに何か意味があるのか、などと少なからぬ葛藤に見舞われたのも事実であったが、思い立ったら吉日、今ウンコの話を書か

ずして一体いつウンコの話を書くのだ、今ウンコの話を書かずんば一生ウンコの話を書く機会など我に訪れぬやもしれぬぞよ、ウンコの話を書かずには死んでも死に

切れぬだろうに、今この一瞬にすべてを賭けながら今まで何とか生き延びてきて、これから先も今この一瞬にすべてを賭けながら死ぬまで生き延び続けていく気満々

の私にとって、ウンコの話を書くならば今しかないのだ、生きとし生けるものすべてが日々尻の穴からウンコをひり出しながら生きている以上ウンコの話を書くこと

は決して避けては通れぬのだ、それに何より私にとってウンコの話を書くことは他ならぬ藝術活動の一環なのだ!と新年一発目の脱糞(初ウンコ、クソ初め、おとしぐ

そ、おせちもいいけどウンコもね)をつつがなく終えスッキリ爽快な気分に浸っているところへさらにお屠蘇の力も借り、いざ我ウンコの話を書くべし!と威勢よく決

意したものの、たちまち酔いが回ってしまって、まあ何だな、ウンコの話を書きはじめるのは正月三が日が過ぎてからでもまだまだ全然遅くはないかもしれぬよな、

などとまたしても気力が削がれ結局ウンコの話は書けずじまいのまま松の内も過ぎ、そこからさらに3ヶ月があっという間に過ぎ去って、もちろん、その間にも私は

毎日必ず最低1回は尻の穴からウンコをひり出し続け、ウンコのことを考えない日は1日たりともなく、今年も春が訪れて、気がつけば現在2022年4月なのであった。

おそらく思春期の頃からだと思うが、私には軽度の鬱のような症状が時々現われるようになり、朝目覚めても体に力が入らず蒲団から出られず、そんな時はいつも過

去の忌まわしい不吉な記憶の数々が私の頭の中に次々と呼び覚まされ自己嫌悪に陥ってやる気がまったくなくなってしまうのだったが、今まで特に精神科などでの治

療の経験もなく、しばらく放っておけばいつも自然にまたケロッと元通り元気になるので、さほど気にも留めておらず、人は皆よっぽど能天気で頭の中がお花畑状態

でもない限り、程度の差こそあれ、時として鬱々とした気分になるのもごく一般的な生理現象の一つと言ってよいのかもしれぬが、そのような症状に見舞われるのは

決まって季節の変わり目、夏から秋に変わる頃、冬から春に変わる頃、この二つの時期には厳重な注意が必要で、それにはきちんと理由もあり、夏の間はとにかく暑

いので暑い暑い暑い暑い暑い、もう暑くて死にそうだよ、夏のクソバカヤロー!と暑さばかりに自分の意識が向かって他の煩い事に囚われて頭を拗らせることもほと

んどないわけだが、季節が秋へと変わり暑さが和らぎ過ごしやすくなるにつれ、今まで暑さにばかりかまけていた自分の意識が他の煩い事へ自然と一気に向かってし

まうからに他ならず、これは冬から春に変わる頃も同様、こちらの場合さらに気をつけなくてはならぬのは、昔から私にとって春という厄介な季節は、何か新しいこ

とがはじまる季節、もしくは、何か新しいことをはじめなくてはならない季節であるという強迫観念があって、春になっても新しいことなど何一つはじめようとはし

ないナマクラな自分自身をダメな奴だと勝手に決めつけ自己嫌悪に追い込んでしまうからに他ならず、春は桜が咲き乱れ、桜の下では人々が乱痴気騒ぎするのが世の

習わしで、ただでさえ都会は人が多いというのに何とも迷惑千万な季節であるが、私にとっては自分自身との戦いに忙しく正直それどころの騒ぎではないのである。

そして、今年の春も私は鬱々とすっかり行き詰まっているのだった。そんなふうに行き詰まること自体、私の人生においては日常茶飯事、もう慣れっこになってしま

ってはいるものの、今年の春の行き詰まりはいつもの春とは何だか少し事情が異なるのだった。何か表現したいことが己の中に存在するにもかかわらず、それを外に

吐き出せない苦しみは、便意を催しているのにもかかわらず、ウンコが出ない状態(糞詰まり)と何ら変わりがなく、すなわち、私は今すぐにでもウンコの話を書きは

じめねばならぬのに一向にウンコの話を書けずじまいで糞詰まってしまっているという冗談みたいな状況のまっただなかでもがき苦しみのたうちまわっているわけで

あった。やはり人間というケダモノに生まれてきた以上は出すもの出してスッキリしないと肉体的にも精神的にもまったくもって健全な状態とは呼べないのである。

毎度毎度、絵が描けないだの、文章が書けないだの、行き詰まっただの、糞詰まっただの、いい歳してみっともない泣き言ばかりを書いている自分がほとほと嫌にな

ってくるが、書けないものは書けないのだから仕様がない。ウンコも藝術作品も無理やり出そうと思ってもおいそれと都合よく出てきてくれるようなものでもなく、

コントロール不能で気まぐれなところがとてもよく似ている。マクドナルドのハンバーガーのようにいつも同じ形状のものが注文通り出てきてくれるわけでもなく、

蕎麦屋の出前のように、今出ました!と出たんだか出てないんだか、出そうでなかなか出てこなかったり、ガチャガチャのように実際に出してみないことには何が出

てくるのやらまったく予想もつかぬギャンブル的なところもとてもよく似ている。いくら踏んばってみたところで出ないものを無理やり出そうとしても出てきやしな

い。屁しか出ない。いや屁すらも出ない。鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、出てくるまで気長に待ち続ける他ないのである。今回またしても私が行き詰まって

しまった理由も、毎度毎度のごとく、春だから、春なのに、まったくやる気が出ない、何もかもが面倒くさい、疲れがとれない、肩が痛い、腰も痛い、頭も痛い、お

腹も痛い、すべてが嫌になった、ほとほと嫌になった、もうどうにでもなれや、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、本当に寂しい、寂しくて寂しくて震えてる、寂し

くて寂しくて子ウサギみたいに震えてる、寂しくて寂しくて子ウサギみたいに震えてて死にたい、寂しくて寂しくて子ウサギみたいに震えてて死にたいけれど死ねな

い、そもそも私は子ウサギなんかじゃないし死ぬ勇気なんてない、などなど、枚挙に暇もないけれど、その中でも特筆すべき理由の1つは何かと言ったら、それは、

2020年より一念発起しここに文章を書き記すようになってからというもの、私はこんな場末のうらぶれた飲み屋の糞尿ゲロ塗れな便所の落書きじみた愚にもつかぬ

厭味ったらしい文章を読む者などほとんどいないだろう(いてもせいぜい2~3人の頭のイカれた物好きな変態くらいだろう)と高を括り、それにかこつけて他人の顔色

などは一切窺わず好き放題に愚にもつかぬ厭味ったらしい文章をせっせとここに書き記してきたわけだけれども、ある時、ふとしたきっかけから、どうやら相当結構

な数がここに書かれた愚にもつかぬ厭味ったらしい文章を読んでいるらしいという事実に思いがけず突き当たって、どうにもこうにも驚いている次第なのであった。

散々広告業界や広告屋の悪口を書き散らかしているため検索で飛んで来るのか、はたまた、この世には私の熱狂的ファンというものが多数存在するのか、おそらく前

者だろう、いずれにせよ顔が見えず誰が読んでいるのか見当もつかぬが、てっきり誰も読んでいないとばかり思っていたところ、相当結構な数が読んでいる事実を知

ってしまってからというもの、情けないことに私は他人の目が突然気になりはじめ思うように文章が書けなくなってしまったという始末であった。他人の顔色など一

切窺わず一気呵成と書きはじめたところ、皮肉なことに他人の顔色が突然気になりはじめ安全ブレーキが作動してしまったわけである。たとえるならば、誰も聞いて

なかろうと風呂場でチンコマンコウンコチンコマンコウンコなど幼稚で卑猥な歌詞の替え歌を大声でがなり立てておったら、家族はもとよりご近所中にスピーカーを

通して一部始終をすっかり聞かれて録音までされてしまってもう死にたくなるほど恥ずかしいみたいな心境か、もしくは、公衆便所の壁に他人の悪口を落書きしまく

っていたら勢い余って署名サインまでしていて後でバレてしまって何ともバツが悪くてもう死んでしまいたいみたいな心境であろうか。もっとも、実際ここに書かれ

てあるのは紛れもなく糞尿ゲロ塗れな便所の落書きじみた愚にもつかぬ厭味ったらしい文章であるとはいえども、私はきちんと実名や出自を潔く明かした上でそれ相

応の覚悟をもって正々堂々と文章を書いているのであるからして、本来ならば後ろ暗いところなどは何一つないわけだけれども、己を素っ裸にひんむいて尻の穴まで

おっぴろげて己のすべてをあけっぴろげに曝け出し身を削るかのような覚悟をもって何かを表現するという行為は、実際にやってみれば容易に理解できようが、何と

も恥ずかしいことこの上なく、そもそも他人に読まれたくないのなら鍵の付いた日記帳にでも書いてインターネットに公開しなければよいだけの話ではあるのだが、

誰にも読まれていないと思えばそれはそれで何だか無性に寂しくなってきて逆に書く気力が失せてしまうものでもあり、人間という愚かな生き物のいやらしい承認欲

求というものは、取り扱い要注意なメンヘラ女の気まぐれのごとく、なかなかに厄介な代物であると痛感するばかりではあるが、とまれ、人生は自分が思っているほ

どそうそう長くは続かないのであるからして、本当に悪いことは言わないから、こんな糞尿ゲロ塗れな便所の落書きじみた愚にもつかぬ厭味ったらしい文章など読む

暇があったらば(そのうち『ウンコ思考』が伝染し脳みそがウンコ塗れになっても私は一切責任が持てぬゆえ)、青空文庫で夏目漱石や芥川龍之介の名作の一篇でも読

んで限りある時間を有意義に使ったほうがよっぽど健全かつ建設的だと私には思われるが。さらに加えてもう1つ今回私が行き詰まってしまった特筆すべき理由があ

るとするならば(そしておそらくこれこそが最も核心的な理由でもあるわけだけれども)、それは『スタークリエイター連続殺人事件』が不幸にも現実に起こってしま

ったからに他ならない。『スタークリエイター連続殺人事件』についてはあらためて詳細を説明するつもりもなく、以前に書いた文章を下のほうを探して読んでもら

えればよいけれど、とにもかくにも『スタークリエイター連続殺人事件』が不幸にも現実に起こってしまったのである。すなわち、2020年6月に私が『スタークリエ

イター連続殺人事件』という不吉なタイトルの愚にもつかぬ厭味ったらしい文章をここに書き記してからさほど時間を置かずして、実際に2名の日本の広告業界を代

表するスタークリエイターと呼ばれる人物が連続して亡くなってしまったわけである。自分が書いた文章の影響によって誰か他人が死に至ってしまった可能性がほん

のわずかばかりでもこの世に存在するという事実は、正常な頭で考えればあまり気持ちのよいものではなく、決して冗談半分の生半可な覚悟で書いたわけではなくと

も、本来ならば冗談でもそんな文章は書くべきでなかったのかもしれぬが、常日頃より私が標榜する創作姿勢は「己の心ときちんと対峙し、己の心に巣食う愚劣なも

のや醜悪なものや駄目なものまで含めたすべてを正直に曝け出した上で、その中からほんの一欠片でもよいから美しい何かを発見していく」と腹を括ってもいるがゆ

え、たとえそれが他人から見て不謹慎で不愉快であろうとも、自分自身にとっていかに都合が悪くとも、やはり自分が書かねばならぬと思ったことは是が非とも書か

ねばならぬと思った上で、もうやむにやまれずに、書かねばならぬことを実際に書いたわけであったのだが。さらに詳細を書いて行ってもよいのだけれど、それはあ

まり意味がなく、ここで重要なのは、1.『スタークリエイター連続殺人事件』が現実に起こってしまったという事実、2.実際に亡くなった人物がまたしても悪意のな

い間接的な関係者であったという事実、3.私が自分の書く文章に宿る「言霊」の存在をすっかり確信してしまったという事実、計3点であろう。私は以前書いた愚に

もつかぬ厭味ったらしい文章の中で「もしも将来『スタークリエイター連続殺人事件』が不幸にも現実に起こったとしても、その犠牲者が私と無関係の赤の他人であ

る限り、嬉しいとも哀しいとも何とも思わない」とまるで他人事のように無責任に嘯き、そして、その言葉に嘘偽りはまったくないつもりだったが、実際に『スター

クリエイター連続殺人事件』が不幸にも現実に起こってしまったという事実を前にして、今現在の私が何を思うかと言えば、前述の通り「無関係の赤の他人が死んだ

ところで嬉しいとも哀しいとも思わない」のは嘘偽りないところではあるものの、さすがに「何とも思わない」というわけにはいかず(冷徹ニヒリスティックな人間嫌

いの成れの果てを気取る私も完全に心が死んだサイコパスではない)、本音を言えば、気味が悪くて仕方ないのである。自分が書いた文章に宿る「言霊」のパワーにま

んまと当てられすっかり茫然自失、意気銷沈していると言ってもよかろうか。何とも思わないというわけにはどう考えてもいかないのである。加えて、今回の犠牲者

も、前回Oさん同様に、私が長きにわたり殺意を覚えるほどの激しい怒りを向け続けてきた相手ではなく、明確な悪意をもたず本人の与り知らぬところで無意識のう

ちに間接的に悪事に加担してしまっていた関係者(ネットで拾った断片的な発言を読んで判断するに、前回Oさん同様、現在の日本の広告業界の窮状を憂う意識の高い

批評精神を持ち合わせていた好人物であったようにも見受けられる)がトバッチリを食う形で亡くなってしまったわけであり、私が殺意を覚えるほどの激しい怒りの感

情を抱き続ける相手が亡くなったのならばともかく、またしてもまるで言霊が暴走したかのごとく斜め上へと向かって牙を剥いてしまったわけであり、それは私の本

望では決してないのである。そして、爾来、私は、やはり『スタークリエイター連続殺人事件』などという不吉なタイトルの愚にもつかぬ厭味ったらしい文章など書

くべきではなかったのではないか?他人の顔色など一切窺わず書きたいと思ったことを書きたいように書いていくと腹を括っているとはいえ、物事には限度というも

のがあり、書いていいことと悪いことがあったのではないか?もしかしたら自分は連続殺人鬼に成り果ててしまったのではないか?などなど、堂々巡りの自問自答を

繰り返しながら思い煩っているうち、何とも情けないことにいつしか私は自分の書く文章に宿る「言霊」が心底恐ろしくてたまらなくなってきてしまって、何とも間

抜けで皮肉なことには、自分で自分の首を絞めるかのごとく、文章がまったく書けなくなってすっかり行き詰まってしまったという始末であった。本来ならば今後も

さらにアグレッシヴに実名を晒して不正を告発し、その不正を告発していく様子を映画『ゆきゆきて、神軍』(主人公の奥崎謙三は映画撮影中実際に殺人未遂事件を起

こした)のようなフィクションとドキュメンタリーの挟間の虚実ないまぜ状態を現実世界と巧妙にリンクさせた実験的作品へと昇華させて書き、それらを50歳の誕生

日までに1冊の本にまとめ上げる計画も密かに進めていたところが、すっかり予定が狂ってしまい、ほぼ1年という時間を丸々棒に振ってしまった次第である。人生は

思い通りに行かぬものだと痛感するばかりである。かように、自らの書いた文章に宿る「言霊」にまんまとやられ恐れおののき行き詰まり、自分は一体全体何をやっ

ているのか、何をやっていないのか、そして、自分は一体全体何がやりたいのかすらもさっぱりわからなくなって愚図愚図とくすぶりながらモヤモヤとスッキリしな

い糞詰まり状態のまっただなかでもがき苦しみのたうちまわっているうち、気がつけば私の人生の節目とも言える50歳(知命)の誕生日はとっくのとうに過ぎ去ってし

まっていて、それからしばらく経ったある春の日の午後のこと、私はナマクラな中老の体に鞭打つかのごとく、ふと思い立ってふらり浅草方面へと向ったのだった。

……

昔から私は、最近何だか運気が下がっているようだとか、鬱憤が溜って精神が参っているなとか、少しばかり金回りが悪くなってきたなとか、生きることつまり人生

に行き詰まっていると実感する度に訪れる場所があった。それは自宅から自転車をゆっくり漕いで1時間、ビュンビュン飛ばせば50分、正確な住所は台東区浅草ではな

く隅田川を挟んだ対岸の墨田区吾妻橋に位置する某ビール会社本社に隣接の主にイベントなどが行われる多目的ホールやレストランの入った集合ビルディング屋上に

設置された不思議な形をしたオブジェであり、隅田川に架かる吾妻橋の浅草側たもとが私のお気に入り絶景ポイントであった。浅草という街はひと昔前ならば今でい

う渋谷のように若者がわんさか集まる最先端の盛り場だったと聞くが、今ではそんな面影はほとんどなく、チャラチャラした若者も観光客以外はほとんど見かけず、

お世辞にもお洒落とは言い難い時代に取り残されたその寂しげな風情が逆に私の気に入り、また行きつけの飲食店も数軒あったため頻繁に訪れていたものだが、昔か

ら桜の花にはほとんど関心がなく美しいと思った試しもほとんどない私は、4月の初め、最盛期を過ぎてもなお散り際の艶姿を道ゆく人々にバッチリ見せつけてやるぞ

と言わんばかりに咲き乱れる桜の花には目もくれず、一心に目的地へと自転車を走らせていた。私の50年に及ぶ決して他人に誇ることなどできぬ本当にろくでもない

人生は常に行き詰まってばかりの連続ゆえ行き詰まる度しつこいほど訪れているが、はやる気持ちを抑えながら自転車ギコギコいつもの道を目的地の方角へふと目を

遣り近隣の雑居ビルや木立の隙間から金色に光り輝くその片鱗がチラホラと見え隠れしはじめるにつれ、私の心は否が応でもウキウキワクワクと踊り出し、やがて目

的地に到着し空中にポッカリ浮ぶその堂々たる全貌がつまびらかとなり晴れてご対面を果たす瞬間はいつも決まって「なんじゃこりゃあー、どこからどう見たって、

まるっきりウンコじゃねえか!」と毎度お約束の野暮なツッコミを入れつつ、私の頬は初孫を抱くジジババのしわくちゃのそれのごとくすっかり緩んでしまっており

「すぐ目の前の空には巨大なウンコが気持ち良さそうにポッカリ浮んでいるというのに、自分は一体何をくだらないことで愚図愚図と思い煩っているのだろうか?」

とついさっきまでの糞詰まりの憂鬱な気分など遥か彼方へとふっ飛んでしまって、もう何だかこの世のあらゆるすべてがバカらしく思えてくるほどに、まるで素晴ら

しい一本糞をひり出した直後のような晴れやかな気分となって、しばらくは時間も忘れただニヤニヤと上機嫌のままいつまでもその勇姿にうっとり見惚れてしまうの

だった。「しかし、よりによってなぜ巨大なウンコが空に浮んでいるんだろうか?おまけに太陽の光を燦々と浴びキラキラと輝いていやがるぜ、まったく意味わから

んわ」とニヤニヤ怪しげな者など周りを見渡しても私の他に誰一人見当たらず、道ゆく人々は皆一様に桜の花には時折目を遣るものの、目の前の空に巨大なウンコが

ポッカリ浮んでいるというその異様な風景には一切頓着せず、それはすでに目が慣れてそこにあるのがあまりにも当たり前過ぎて何の感動も得られないためであるの

かもしれぬが、空中にポッカリ浮び光り輝く巨大なウンコなどまったく存在しないかのごとく「私たちは日々の仕事や生活に忙しくウンコに構っている暇なんてない

のですよ」と顔に書いてあるかのごとく、憂鬱な表情で通りを行ったり来たり、私は「なぜみんな平然としていられるのだろうか、少しばかし鈍感過ぎやしないか、

何と言っても目の前の空には巨大なウンコがポッカリ浮んでるんだぜ、花より団子よりウンコだろうよ」といつも不思議な気持ちを禁じ得ないのだけれども、実際の

ところ、その不思議なオブジェを初めて目にする人々にその第一印象を問うてみるならば、おそらく100人中70人が「ウンコ」100人中30人が「ウンチ」と躊躇なく答

えることであろう。もしかしたら「スケベなオタマジャクシ(精子)」と答えるひねくれ者も1人や2人いるかもしれない。私自身も生まれて初めてその実物の異様な姿を

目の当たりにした瞬間「なんじゃこりゃあー、どこからどう見たって、まるっきりウンコじゃねえか!」と正直驚いたものであるが、その後も繰り返し何度目にして

もやはりその印象はまったくもって変わらずに「なんじゃこりゃあー、どこからどう見たって、まるっきりウンコじゃねえか!」のままである。もしも都内を走るタ

クシーに乗車し「ウンコビルまで」と運転手に告げれば「はい、かしこまりました、(浅草の)ウンコビルですね」と平然と通じてしまうほどに、このどこからどう見て

も誰が見ても紛れもなくウンコ以外の何物でもない不思議なオブジェの正式名称はフランス語で「フラムドール(金の炎)」などと気取って呼ぶらしいが、このウンコの

作者であるフランス人デザイナーのフィリップ・スタルクは某建築雑誌のインタビューにて「ウンコではないのか?」という質問に対しニヤニヤと誤摩化していたよ

うだ。この日本大嫌いとも噂される外国人デザイナーを擁護するつもりはさらさらないが、最初からどこからどう見ても誰が見ても紛れもなくウンコ以外の何物でも

ないものを目指し嫌がらせでウンコにしたわけではないことは制作過程の裏話などを調べてみればよくわかる。依頼者側と制作者側に見解の相違もあって真偽のほど

は定かではないが、当初はビール会社の燃え盛る炎のような並々ならぬ心意気をイメージした縦置きの聖火台をモチーフにしていたところが、縦置きだと耐震強度の

問題が出てきたためやむを得ず横倒し、さらに色も赤い炎だったところが、赤い炎だと遠くから火事と見誤るバカが現れる恐れがあると金色に変えた結果、どこから

どう見ても誰が見ても紛うことなきウンコ以外の何物でもなくなってしまったらしいが、しかし、デザイナーはじめ制作に携った者ならば誰しもが自分たちはをどこ

からどう見ても誰が見ても紛れもなくウンコ以外の何物でもないものを作っていると認識していたに違いなく、それほどまでにどこからどう見ても誰が見ても紛れも

なくウンコ以外の何物でもでもないのである。また、このウンコを設置後、長らく低迷していたビール会社の業績が(看板商品の大ヒットも追風に)急回復しトップシェ

アに踊り出たことは有名な話で、金運に恵まれるとウンコ様々!崇拝するウンコ信者もいると聞く(よくSMクラブなど性風俗産業においてウンコ関連サービスのことを

「黄金」と隠語で呼んだり、昔から金銀宝石の類いなど光る物体を目にすると運気が上昇すると言い伝えられているように、私自身も実際にウンコを見に訪れる度、

新たな仕事が突然舞い込んだり、思いがけず臨時収入にありついたり、ある時などウンコを拝んだ5分後に新規の仕事依頼の電話が鳴ったこともあり、たしかにこのウ

ンコただ者ではないようだ)。また、一時「ウンコビル」とばかり呼ばれることに嫌気が差したビール会社が「ウンコビル」の俗称を払拭しようとビルの愛称を募集し

たところ、送られてきたハガキの中で一番多かったのが「ウンコビル」、次に多かったのが「ウンチビル」だったため、断念したとかしないとかいった噂もあるよう

だ。他にも過去のある時、超巨大台風の影響でウンコが隅田川にポトリと落っこちてドンブラコドンブラコとお台場辺りまで流れ着き、同じくポトリと落っこちた某

テレビ局の銀の玉と仲睦まじくプカプカ浮かんでいたとかいないとかいった噂もあるようだが、ウンコが水に流れるという意味では道理にかなっており、実際のとこ

ろ純金製ではなく軽量素材に金メッキしたマガイモノに過ぎぬため絶対にあり得ぬと断言はできぬものの、そんなニュースは聞いた試しもなくさすがにこの噂はデマ

であろう。私の知り得るウンコに関する知識は大体以上であるが、見に訪れる度いつも私は「やはりウンコで大正解だったのではないのか、藝術作品としては堂々た

る大成功、大傑作の部類に入るであろう、しかし、よくもまあこんなデザインにOK出したもんだよな、誰か止めなかったんだろうか、どこからどう見ても誰が見ても

ウンコ以外の何物でもない紛れもないウンコが空にポッカリと浮かんでるんだもんな、ウンコにもほどがあるだろうよ、こんなことが許されてもいいんだろうか、怪

我の功名といおうか、成功と失敗は紙一重、天才とバカも紙一重、世の中何が起こるかなんて誰にも予想がつかぬものであり、まあウンコに文句言っても仕様がない

だろうみたいな、何だか笑って許せてしまうというか、体の力が一気に抜けていくというか、一瞬であらゆるすべてが無力化されてしまうというか、ウンコの何がこ

こまで人を惹き付けるのだろうか、恐るべしウンコの破壊力、殺傷力、ウンコのくせに何食わぬ顔してしれっと空にポッカリ浮んでこの世に存在しているというその

不条理さに何とも救われるんだよな、ウンコ好きにはたまらんもんがあるよな、見ているだけで元気になれて嫌なことなんてすべて忘れてしまえるんだもんな、つま

りウンコは人間を幸福にするってわけなんだよな、ウンコは世界を救う、つまり藝術は世界を救う、ウンコは地球を救う、つまり藝術は地球を救う、そして、とどの

つまり、藝術はウンコみたいにとにかく自由でいいというわけなんだよな」などと常日頃から「ウンコは藝術であり、藝術はウンコである」を標榜する私自身の藝術

的理論にも俄然説得力が増してきてニヤニヤとさらに確信するばかりであった。かの岡本太郎も『今日の芸術』という本に書いているように、藝術は「なんじゃこり

ゃあー!」と見る者の度肝を抜かせ、その心の奥底にいつまでもいつまでも忘れたくとも忘れ難き強烈な印象をしっかりと残さなければならぬというわけであろう。

「『今日の芸術』って本に書いたけど、芸術はきれいであってはいけない。きれいなもの、『あら、いいわね』っていうものは芸術じゃないんですよ。みんなが芸術

を誤解している。芸術が芸事になっちゃってるんだ。手先ばっかり器用になって、きれいな線を描くんだけど、その線が全部死んでるんですよ。『あら、いいわね』

っていうのは、それっきりおしまいで世界観は変わらない。『何だこれは』と思いながら、ワーッと目を惹き付けられるのが芸術ですよ。(岡本太郎 インタビューよ

り引用)」「岡本太郎さんが亡くなった時、太郎さん(と呼ぶほど親しくはなかったが、対談したり、個展のオープニングに来られたことがあった)の『今日の芸術』を

想い出した。この本に何が書いてあったかはすっかり忘れてしまったが、大きい影響を受けたことだけは覚えている。それまで芸術はこうあるべきだということに呪

縛されていたのが、この本を読んでからは『ナントカであるべきだ』ということから解放されて、もっと自由でいいんだ、太郎さんの言葉を借りれば、『芸術はここ

ちよくあってはならない』とか『芸術は「うまく」あってはいけない』、『無条件でなければならない』というようなことであったと思う。(横尾忠則『今日の芸術』

序文より引用)」私の所有する岡本太郎『今日の芸術』(文庫版)の奥付には「2006年7月30日21刷発行」と記載されてあり、おそらく私は『今日の芸術』を2005年8月

33歳で絵を描きはじめて以降に購入して読んだものと思われ、私も読んだ内容は横尾忠則同様すっかり忘れてしまっているが、岡本太郎といえば有名な太陽の塔以外

ほとんど興味も関心もなく、大昔にTVコマーシャルの中で「芸術は爆発だ!」と叫んでいた少し頭のイカれたヤバいおっさんという印象しか持ってはいなかったもの

の、その突飛で奇抜な印象に反して『今日の芸術』に書かれてある文章は意外にも理路整然として大変にわかりやすく、絵を描きはじめたばかりでおまけにヘタクソ

でいくら頑張って描けども描けどもさっぱり上達する兆しを見せない私も、もちろん大きい影響を受けたことだけはしっかりと覚えている。何しろ「芸術はここちよ

くあってはならない」だとか「芸術は『うまく』あってはいけない」などと目から鱗の内容が忌憚なく書かれてあったわけであるからして、絵が尋常でなく洒落にな

らぬほどヘタクソな私が勇気づけられなかったわけがないのである。そして、絵を描きはじめてまもなく『今日の芸術』を読みガツンとすっかりやられてしまった私

は、爾来、絵を上手に描こうとするなどといった土台無理な無意味な努力は潔く断念し粗大ゴミと一緒にまとめて捨ててしまって、自分は絵が尋常でなく洒落になら

ぬほどヘタクソだという逃れようのない事実から決して都合良く目を逸らすことなく、尋常でなく洒落にならぬほどヘタクソな絵を描く自分自身をそっくりそのまま

ありのままに受け入れて、ただしセンスだけは目一杯にとことんこだわり抜き磨きに磨いて追求して行くという方向性へと大きく舵を切り替え、とにかく自分自身の

心と素直に対峙し他人の評価などまったく気にしないと言えばそれは嘘になってしまうが、なるべく他人の顔色などは窺わず自分の描きたいと思う絵を描きたいと思

うまままっすぐ自由に描いて描いて描きまくってがむしゃらに突き進んで行こう!と腹を括り、そして、その時の私の決断はまったくもって間違いではなく、私がこ

れまで時に気が触れかけたり時に絶望しかけたりすることは幾度となくあったものの、何とかギリギリのところで正気を保ちながら藝術活動を続けて来られたのも、

そして、今の私の絵が今こうしてあるのも、すべてはあの時岡本太郎の『今日の芸術』を読んだお陰であると言ってしまっても過言ではなく、岡本太郎(今はあの世に

いるのか)には決して足を向けては寝られぬと多大なる感謝を胸に秘め今も私は絵を描き続けているのだった。そんなふうに岡本太郎『今日の芸術』の中の言葉を頭の

片隅にぼんやりと思い出して、今も目の前の空にポッカリと浮び太陽の光を浴びてキラキラと光り輝く巨大なウンコをうっとり眺め続けながら私は、今回の訪問でも

すっかり元気をもらってしっかり勇気づけられている自分自身を確と感じて「しかし、藝術っていうのは一体全体何なんだろうか?考えに考え続けてもいまだにさっ

ぱりわからず、考えれば考えるほどさらにわけがわからなくなってきてしまうんだよなあ、ウンコが空に浮んでいても藝術なんだもんなあ、そもそも藝術とウンコは

どこに違いがあるんだろうか?藝術はウンコのように自由でいいとはいえど、自由というのは耳障りはいいが、その実、相当厄介な食わせ者でもあり、本来人間とい

う生き物には生きる意味や目的などはまったくなく、すべての物事を自分の頭で考え自分の意志でもって生きていかなければならず、かつてサルトルが『人間は自由

という刑に処されている』と言ったように、自由というのは甚だ罪深いものでもあり、誰か他人に何もかも決めてもらって隷属的に生きていくほうがよっぽど楽であ

り、実際に自由に生きようとしてみれば誰もがすぐに思い知るところだろうが、何でも自由にやっていいよと言われるとほとんどの人は何をしていいものやら皆目見

当もつかずたちまち路頭に迷って行き詰まってしまうものであり、藝術というのはウンコのように自由であり、だからこそ、自由であるからこそ、厄介で難しいもの

でもあるんだよなあ」などといつしか私自身の永遠の研究テーマである『藝術とは一体なんぞや?』という本質的な問いへと静かに考えを巡らせていくのであった。

……

私は27歳の時、たまたま読んだ坂口安吾の小説『白痴』にそそのかされ背中を押されるかのごとく、それまできっかり6年間勤めてきた(本人は自伝の中で「巷では俺

がウンコ食ったという話が勝手に一人歩きしておるが、俺はウンコなんて食ってない、ウンコ食ったのはアリス・クーパーだ!」とキッパリと否定しているものの世

間一般的にウンコ好きとして有名な)フランク・ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CMプロダクション(頭文字M)を、もう広告なんてやってられっかよ!と

偉そうに啖呵を切り、藝術家になる!と高らかに宣言し突然辞めたものの、その当時の私には藝術家になるためのツテやアテなどはまったくなく、そもそもの話、藝

術系の学校で藝術を学んだ試しもなく、ましてや藝術家になるための才能など私は一切持ち合わせてはおらず、さらに最悪なことには、藝術とは一体なんぞや?とい

う本質的な問いに対しても、私はまったくもって明確な答えを持ち合わせてはおらず、藝術家というものは明日から藝術家になりますよ!と言ってすぐになれるよう

なそんな生易しいものでは決してなく、また藝術家というものは藝術家になろうと思ってなるようなものでもなく、己の内から湧き上がり溢れ滲み出てくる表現衝動

を藝術作品へと昇華させ(まるでウンコをひり出すかのごとく)生み出したのち、その藝術作品(ウンコ)を専門家など目利きに、これは紛れもない藝術作品である(素晴

らしいウンコである)と太鼓判を押されて初めて藝術家と呼ばれるに値することも知らず、藝術家になる!と能天気に宣言し会社勤めを辞めたはいいけれど、一体全体

自分はこの先何をどうやって生きていけばよいものやら皆目見当もつかずいきなり路頭に迷い、こんなことならば、藝術家になる!などと大それた妄言を吐いて会社

勤めを辞めなければよかったと勢いにまかせ身の程知らずにも藝術家への道を志したことを早くも後悔しはじめている自分に気づくのであった。そして、振り返って

思えば、私が広告業界から尻尾を巻いて逃げ出した理由のうち「藝術家になる!」というのは虫のいい口実に過ぎなくて、すなわち、当時の私は広告という仕事及び

会社勤めに心底嫌気が差していたに過ぎず、何か都合良く見栄えの良い会社を辞める口実はないものかと探している途中たまたま手にして読んだ坂口安吾の『白痴』

にそそのかされ口からでまかせに咄嗟に思いついた口実に過ぎず、結局会社勤めを辞める理由なんて別に「藝術家になる!」でなくとも何だって良かった可能性もな

きにしもあらずで、その証拠にフランク・ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CMプロダクション(頭文字M)を退社後も私は藝術活動など一切はじめようと

もせず、落書き一枚すらもいたずらに描き散らかすこともなく、そもそも藝術とは一体なんぞや?という根本的な問いに考えを巡らすことなども一切なく、そのまま

ズルズルダラダラと自堕落に放蕩無頼、無為徒食の生活をしばらく続けた末に、とうとうなけなしの貯金も底を尽き食うのに困窮した私は、何ともマヌケなことには

再び広告業界へとブザマにも舞い戻ってしまったという始末であり、その後も愚図愚図と広告業界の片隅にひっそりと身を置きながら紆余曲折の末、ようやく重い腰

を上げ33歳になって初めてなぜだか理由もわからず(あたかも猛烈な便意に襲われウンコをひり出すかのごとく)突発衝動的に絵を描きはじめてから今の今まで何だか

んだと言っては絵を描き続けて生きてきたわけだけれども、いまだ藝術とは一体なんぞや?という本質的な問いに対して私はまったくもって明確な答えなど持ち合わ

せてはおらず、ようするに、私のこれまで歩んできた藝術家への道程とは、27歳の時に広告業界から足を洗いたいがために何気なく軽い気持ちで藝術家になる!と宣

言してしまった以上、仕方なしに藝術家を目指す他に道がなくなってしまって、つまりは自分の吐いた言葉(言霊)にまんまと囚われて、自分で自分の首を絞めるかの

ごとく呪縛されてしまって、もしも藝術家への道を途中で諦めてしまったら、もう広告なんてやってられっかよ!と偉そうに啖呵を切って会社勤めを辞めた27歳のあ

の時のあの言葉は一体何だったのか?やはりお前は口先だけの詐欺師だったのか?と後ろ指さされてしまうのが目に見えていたため、詐欺師と成り果て世間を欺くこ

とは私の本望では決してなく、とりあえず他にやりたいことも見つからず、否、100%自分自身を投影した100%自分自身の作品であると正々堂々胸を張れるような藝

術作品を表現したいという欲求は間違いなく自身の内に存在するため、何はともあれ、もうどうにでもなれや!くそったれ人生!と藝術家への道を目指す以外に生き

る道を選べない状況へと自らを追い込んでいった結果と言えなくもないのであったが、しかし、自分自身に言い訳するつもりもないけれども、ここでは私の描く絵が

藝術か否かは一旦脇に置いておくとして、私が27歳で坂口安吾の小説『白痴』にそそのかされ、藝術家になる!とうっかり宣って会社勤めを辞め、実際33歳で絵を

描きはじめ藝術の道へと本格的に足を踏み入れてからのちの私が、何度も壁にぶちあたり行き詰まり、ことあるごとに藝術家になる!などと妄言を吐かずに大人しく

会社勤めを続けておればよかったと悔いてみたり、時に気が触れかけ、時に絶望しかけながらも、その都度、岡本太郎『今日の芸術』の中の言葉を思い出しては、何

とか壁を乗り越えたり、壁をぶち破ったり、ダイナマイトで木っ端微塵に爆破したり、抜け穴を見つけたり、むしろ乗り越えるのは潔く諦めて踵を返し遁走したりと

試行錯誤を繰り返しながら、日々(ウンコのことを考え続けるのと同じくらい)死物狂いの命懸けで藝術家への道を模索し『藝術とは一体なんぞや?』という本質的な

問いに対する答えを探し求める藝術的人生の旅を続けてきたことだけは紛うことなき事実であるとここに高らかに宣言できるのであった。「失敗する恐怖に襲われて

手も足も出なくなるのは、いつの時代も、自分は最高にかっこいいと自惚れている人びとだ。ダメかもしれないという状況におかれるのが、かれらは我慢できないの

である。失敗したからといって、狼狽する必要は全然ない。人間の思惑というやつが、九十九パーセントの確率で出遭う必然的な結果が失敗であり、ごく普通の状態

なのだ。(『フランク・ザッパ自伝』より引用)」「当時、マネ、ピサロ、ルノアール、モネ、セザンヌなど印象派の人たちは、その時代の権威からはまったく否定さ

れていた革命児で、いっしょになって先鋭な芸術運動をやっていたのです。その時分、彼らがおたがいの絵を持ちよって批評しあう会がありました。その席にゴッホ

がやってきたのです。パリに出て間もなく、印象派の影響をうけて描きはじめたばかりのゴッホにとっては、みんな、かがやかしい大先輩です。彼らがずらっと作品

をならべて、おのおの熱をこめて長いあいだ討論し、批判したり、ほめあったりしているなかで、ゴッホは自分の絵を片隅の椅子に立てかけて、いつになったら、み

んなが自分の絵のほうに注意をむけてくれるか、だれかひとこと言ってくれないかと、おずおずしながら、じいっと、みんなの顔色をうかがって待っていたのです。

だが、彼の絵については、だれ一人言うものはないばかりか、見むきもされないうちに、とうとう集まりはおわってしまいました。黙殺です。しおしおと絵を持って

かえるときのゴッホの絶望感------想像しただけでも、こちらの胸がえぐられ、腹の底から冷えあがるような苦しみを感じます。(岡本太郎『今日の芸術』より引用)」

……

かように、皮肉な運命のいたずらに翻弄されるかのごとく、なしくずし的に藝術家への道をやむなく突き進まねばならなくなってしまった私が、普段「げいじゅつ」

と書く際に「藝術」「芸術」どちらも「げいじゅつ」に変わりのないところを(岡本太郎は『今日の芸術』と書き、私は「藝術」と諳んじては書けず)、わざわざ「藝

術」と難しい漢字を使用する理由とは、重厚な「藝術」に比べ「芸術」が貧相に見えてしまうというのももちろんあるにはあるけれども、他にもきちんとした理由が

あって、それは、何を隠そう、私が33歳で絵を描きはじめて程なく何かの間違いからか人生が交わり40代頭までの一時期を共に過ごした交際相手の女と大いに関係

があるのだった。その女の名前をここでは仮に猫が大好きだったから(というよりも猫が大好きな可愛い自分が大好きだったといったほうがより正確か)「猫川又美」

とでもしておこうか。猫川又美は、英ロックバンド MY BLOODY VALENTINEの1stアルバム『Isn't Anything』が発売された昭和の終わりギリギリに生まれた私より

も16歳下の東北出身の田舎くさい貧乏くさい小便くさい女であり、ジェットコースターと生肉とレディオヘッドが大好物で、私と別れた当時は東京藝術大学に在籍中

であったと記憶している。ただし、私と初めて出会った時、猫川又美はまだ浪人中の身空で、地元の高校を卒業後すぐに上京し新宿の美術予備校に籍を置き東京藝術

大学を目指してやさぐれながら悶々とくすぶっていた。もっとも、私にはロリコンの趣味があるわけでもなく、まさか16歳下の田舎くさい貧乏くさい小便くさい女と

付き合う羽目になろうとは夢にも思いもよらず、また過去の私の色恋沙汰の手痛い失敗に学んだ教訓からよっぽど自分に相性がピッタリなビビビビッと雷に打たれる

かのごとく天啓を受けた相手以外とは(あまり大きな声では言えぬが実をいうと私は常々ヒモになろうと夢想しておって、そのような自分本位な条件に適う相手が見つ

からぬ限り、つまり中途半端な相手と中途半端な気持ちでは)決して誰とも付き合うまいと固く心に誓っていたのだけれども、猫川又美は私の好みのタイプのストライ

クゾーンからは微妙に外れていたものの、世間的には(行ったことは一度もないが)タイの有名ソープランドNo.2の売れっ子売春婦ベッティーちゃんとでもいった塩梅

の南洋風/東南アジア風の個性的な美貌を持った女であり、当時猫川又美は東京藝術大学の受験に失敗しただけに留まらず、田舎からはるばる上京し東京デビュー記念

に生まれて初めてあてたパーマネントにも見事失敗しており、ただでさえ量の多い毛髪が大爆発を起こしてそれはそれはもう大騒ぎになっており、その姿があたかも

私にはBJORK/ビョークのデビューアルバムのモノクロジャケットの雰囲気(現在のように完全に針が振り切れたアッチ側世界へはまだ行っていないデビューしたての

清楚な初々しさを残した佇まい)を連想させ、私はBJORK/ビョークという地球上の生き物に欲情することなどは決してあり得なかったけれども、BJORK/ビョークの

音楽は好んでよく聴いていたため、なぜだか奇妙な親近感を覚えてしまって、また、猫川又美は顔面のお絵描きがとってもお上手で、つまり化粧映えする女であり、

もしかしたら私はその化粧の魔法に幻惑されていただけかもしれぬが(私はその顔面のお絵描きの高度な技術を自分の絵にも生かせば猫川又美の絵はもっと良くなるの

にと常々歯痒く思っていたものだが)、さらに、猫川又美は東京藝大受験失敗と初パーマネント失敗に加えてもう一つ処女喪失(ロスト・バージン)にも失敗しており、

初めての都会暮らしの寂しさから全然好きでもない悪い男にダマされてまんまと処女を奪われてしまったらしく、そんな経緯を初対面の私に衒いもなくペラペラと打

ち明けてくるものだから、私は「いくら寂しいからといって好きでもない相手とSEXなんてしちゃダメだよ、自分を安売りしないほうがいいよ、せっかく可愛いのに

もったいないよ」と16歳下の田舎娘に対して下心など欠片もなくただ純粋な気持ちから老婆心ながらにやさしく忠告してやると、猫川又美は一瞬瞳の奥をキラリと輝

かせ「すごくいい人だね(はーと)」とうっとり私に微笑みかけてきて、爾来、猫川又美がどうしても付き合ってくれ付き合ってくれとしつこくうるさくなってきて、

さらには、猫川又美は私の絵を(本当にそう思っていたかどうかは今となっては確かめようもないが)「とっても力強い絵だね!すごくいいと思うよ!」と褒めてくれ

たため、生来褒められて伸びるタイプを自認する私は、まるで今まで誰にも話したことがなく本人しか知らないはずの秘密の性感帯を絶妙に刺激されたかのような、

もうこの世のものとも思えぬ極上の楽園的なこそばゆさを感じて天国への階段を夢心地に昇って行ってしまったという次第であり、さらに加えて、実は私の父方の祖

父祖母が東北の出であり、猫川又美の出身地とはかなり離れているとはいえ同郷ということもあり、先祖の誰某から、変な悪い男にダマされて処女喪失(ロスト・バー

ジン)した傷もまだ癒えず慣れない都会の一人暮らしで夜毎枕を濡らす寂しい哀れな女である猫川又美のことを、かわいそうだからお前が助けておやりなさいと言われ

ているような気もだんだんしてきて、また、猫川又美は実家が貧乏で両親が毒親、おそらく猫川又美のちょっとどころでなく頭のネジがぶっ飛んだところは紛れもな

く毒親の血であると言えようか、ゆえに学費生活費一切を夜の飲み屋のバイトによってすべて独力でまかなわなければならぬレミゼラブルな境遇にもあって、そんな

猫川又美をさらに哀れと思った当時30半ばを少し過ぎ寂しい独り身の変態繊細優男であった私は、まあ仕方がない、嫌になったらなったでその時はさっさと別れて捨

ててしまえばいいんだし、BJORK/ビョークに似てるとはいえ20歳前の今時の若い女のピッチピチの体(ボディ)をただで抱けてあんなことやこんなことえっそんなこ

とまで好き勝手放題にできるわけだし(だがしかし実際はそれほどピッチピチでもなく、しかも貧乳マグロおまけにフェラが下手くそでいくら教えこんでも一向に成長

する兆しを見せず、下手なら下手なりに真心がこもっているかといえばまったくそんなこともなく、とうとう別れるまで下手くそのまま、ついでに料理もクソまずく

とても食えた代物ではなく、私は先天的ゆえにいかんともし難い貧乳はさておき猫川又美のフェラのまずさと絵のまずさと料理のまずさとにはどこかしら密接な関連

性があるのではないかと疑ってみたりもしつつすっかり肩透かしを食らってしまったというわけだが)、とまれ、猫川又美も田舎から親元を離れはるばる上京してきて

初めての慣れない都会暮らしで夜毎枕を濡らしていることであろうし、断ったらかわいそうだし、BJORK/ビョークに似てるとはいえ決して可愛くないわけでもない

し、絵も褒めてくれたことだし、とにかく付き合ってくれ付き合ってくれとしつこくうるさいし、変に断ってストーカーにでもなられても困るし、まあとりあえず試

しに付き合ってみてやろうかな、でも16歳下の女と果たしてうまくゆくのだろうか、今までそんなに歳の離れた女とは付き合った経験がないから面倒なことにならな

ければいいけれど、などなど、些か面倒くさい気持ちと嫌な予感を残しつつも、とにかく重たい腰をあげて、何はともあれ、もうなるようになれ!くそったれ人生!

と私は16歳下のBJORK/ビョーク似の猫川又美と交際を開始したのだけれども、それが予想に反して思いのほかウマが合ってしまったようで、というのも、猫川又美

の放つ垢抜けない田舎くささが、汚れっちまって草臥れっちまった30半ばを過ぎた中年であるところの私の目には、決して気取らないピュアな清純さを伴った可愛ら

しさとも映り(だがしかし、そのピュアで清純な可愛らしさも都会の絵の具に思いっきり染まっちまって世俗にまみれっちまって次第に汚れっちまってスレていっちま

う運命にあるのだが、当初は初々しさを残しており)、また「美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れる」と格言にもある通り(もちろん猫川又美がブスだと言ってる

わけではないが)、私の過去の経験を振り返ってみても、自分が好きになって付き合った相手よりも自分はそれほど好きではないけれど好きだと言われてなんとなくな

りゆきで付き合った相手とのほうが皮肉にも長続きしてしまうという傾向もあって(おそらくその理由は、好きになるということは相手に対しての期待値がかなり高い

という証拠でもあり、その期待に反して相手の粗が見えてきてしまうと何だか裏切られたような許せないような気持ちになってしまいがちで、逆に期待してない相手

には裏切られる心配も少ないためと自己分析するところであり、また、美人は三日で飽きると聞いて私がいつも思い出すのは、親友ジョージ・ハリスンの奥さんパテ

ィに横恋慕したエリック・クラプトンが『いとしのレイラ』という曲まで作って奪い取ったものの、手に入れた途端に夢から覚めてしまったのか運命の相手ではなか

ったのか理由は定かではないが結局添い遂げることなくいつしか別れてしまったという話である)、ともかく、猫川又美に対して私がピッチピチの体(ボディ)以外はさ

ほど期待していなかったことも功を奏してか、そのまま腐れ縁とでも言おうか、私と猫川又美はズルズルダラダラと5年近くも付き合い続ける羽目となるのだった。

……

初めてのデートは猫川又美からジェットコースターに乗りたい乗りたい乗りたいとしつこくせがまれたため、田舎者にはまあこの程度で十分だろうと適当に見繕った

都心でジェットコースターに乗れる遊園地、東京ドームの横にある昔の後楽園ゆうえんちでフリーパスを購入し、潔いほど清々しく晴れ渡った都会の秋空の下、平日

の真っ昼間にいい歳した立派な大人が遊園地をぶらついていることに幾ばくかの罪悪感や後ろめたさを覚えつつ、朝から晩まで延々とジェットコースター三昧、私は

ジェットコースターに乗るなんてのはあまりに久しぶりだったものだから乗る直前までいい歳こいて怖じ気づき心臓バックバク小便チビリそうなくらいブルってしま

っていて、嫌でも耳に伝わってくる疾走するジェットコースターのゴゴゴゴゴーという轟音やキャーとかギャーとかワーとかいった客の絶叫を近くに遠くに聞きなが

ら、急に鳩尾らへんがキュウっと痛くなったり足はガクガク心はソワソワとそぞろになったり、何だかワクワクするねー、楽しみだねー、ねー、ねー、ねーってば、

ちょっとさっきから私の話聞いてんの?なんて私とは正反対に心臓に毛が生えたように肝っ玉の据わった猫川又美から話しかけられても返答に窮したり、その小心ぶ

りを悟られぬよう空元気でハッハッハッと無理やり出したカラッカラに渇いた笑い声で答えれば、どっから声出してんのよー?なんて猫川又美に突っ込まれたりする

うち、すぐに順番が巡って来て、いざ乗ってみればケツがハンパなく浮きまくるものの、クルクルクルクル回って何だかとってもいい気持ち、肩にたくさん乗っかっ

ていた悪霊さんや生霊さんや地縛霊さんや水子霊さんたちをきれいさっぱり振るい落としたみたいにとってもいい気持ち、猫川又美と二人並んで時間を忘れただひた

すら乗り続けるうち、体にかかる加速度Gに抵抗するよりも身を任せたほうがより一層楽しめることを体で理解し、その後は時の流れに身をまかせ/あなたの色に染め

られ、隣りの猫川又美を横目で窺えば、田舎者が調子こいてバンザイポーズまでして大喜びしており、そんな無邪気な姿をまるで小学生の娘を遊園地に連れてきた子

煩悩な父親にでもなったかのような気分でだんだん愛おしく思えてきたりもして、途中さすがに疲れてきたので箸休めにと観覧車に乗ったところが、猫川又美は11月

の午後の日差しが燦々と差し込む些か明る過ぎる気がしないでもない観覧車の中で、いきなり私に飛びつき抱きつきキスしてきて、その些か短めの薄っぺらな舌ベロ

を私の唇を割ってグイグイ乱暴にねじ込んできて、私の些か長めの薄っぺらな舌ベロにいやらしくねっとりと絡めてきて、(おそらく飲み屋のバイトで深夜まで働く不

規則な生活が原因の一過性のものだろうが)猫川又美の口から微かに漂ってくる口臭を口移しに味わいながら、そんなレミゼラブルな貧乏田舎娘である猫川又美のこと

をうら若き身空で結構苦労してるんだなと憐れみつつも、私は、おいおいおいおい、今時の若い女は随分と積極的なんだななんて驚きもしつつ、猫川又美のブラジャ

ーいらずの小ぶりではあるものの生意気にもそこそこ柔らかい両乳房を服の上からまさぐり堪能しておると、猫川又美は私の股間をズボンの上から、あたかもハムス

ターなどの小動物でも愛玩するかのような手つきでまさぐりはじめたかと思えば、その流れから私のズボンのチャック(社会の窓)をいきなり下ろして、ぎこちない手

つきで私のハムスター(ペニス)を引っぱり出しコンニチワー!と強制露出させ、すでに半勃ち状態の私のハムスター(ペニス)をためらいもなくしゃぶりはじめるもの

だから、私は驚いて、おいおいおいおい、ここは空に浮かぶピンサロですかー!と照れ隠しにツッコミを入れた上で(さらには、もしかしたらこんな具合に観覧車で一

周回ってる間に女の子と自由恋愛できる性風俗店があったら大いに繁盛するかもしれないなとかアホなこと考えながら)、おいおいおいおい、ちょっとお待ちなさい、

お嬢さん、ちょっとお待ちなさいったら、初めてのデートでいきなし男のハムスター(ペニス)なんかしゃぶったらダメですよ、世間知らずにも程がありますよ、しか

もまだ明るい真っ昼間から、それも観覧車の中でなんて、外から私のハムスター(ペニス)がバッチリ丸見えで恥ずかしいじゃないですか、ガラス越しに直射日光が容

赦なく当たって唾液塗れのハムスター(ペニス)がヌラヌラテラテラといやらしく光り輝いてしまってるじゃないですか、それにこういうデリケートで淫らな行為はも

う少しお互い仲良くなって理解し合ってからにしましょうね、などと戸惑いつつ、私は、しかし何だろう、今時の若い女の貞操観念は一体どうなってしまってるんだ

ろうか、みんなこんなにも積極的でエロいのだろうかと、かなり大きなカルチャーショックを受けてしまってもいて、おまけにしっかりと私のハムスター(ペニス)は

隆々と痛いくらいギンギンに勃起してしまってもいたわけだけれど、お嬢さん、やっぱりダメです、いけません、もう少し仲良くなってから、せめてもう少しまわり

が暗くなってからにしましょうね、と今このまま欲望にまかせ猫川又美のお口の中に私の精液をドバドバドバッと一気に放出してしまったならば今まで見続けてきて

今現在もまっただなかにいる居心地の良い白昼夢から一瞬で目が覚めてしまって、小難しい冷徹な哲学者モードに突入してしまって、私と猫川又美の今日一日という

まだほんのわずかな時間ではあるものの、互いに今この瞬間までにせっかくせっせと積み上げ築き上げてきた信頼関係が一気に崩れて壊れて冷えていってしまって、

このまま二人ここでお別れをして、今後二度と会うこともないようなそんな予感を直感的に覚えた私は、私のペニスにぎこちなく下手クソだけれど懸命に食らいつい

ている猫川又美のそのいやらしい口を半ば強引に引っぱがし突き放し、お嬢さん、もう充分だよ、お嬢さんの気持ちはもう充分過ぎるほどわかったからさ、お嬢さん

のその気持ちだけはありがたく頂戴して大事にポケットにしまっておくからねとか何とか言ってその場を無理やり収め、その後は何となく気まずい雰囲気を引きずり

ながらも、メインディッシュ(ジェットコースター)へと戻り、再び二人仲良く(私は半勃ち状態のまま)閉園間際まで延々とジェットコースター三昧、やがて、秋の日

はつるべ落とし、11月の日暮れの訪れは本当に早いもので、気がつけばあっという間にまわりは暗くなっていて、私は夜のジェットコースターなんてものに乗るのは

生まれて初めての経験だったわけだけれど、これがなかなかよい雰囲気を醸し出していて、まるで銀河鉄道にでも乗っているような気分で都会のキラキラと煌めく夜

景を眺めながら、あの窓の一つ一つの灯りの中にはそれぞれに色んなドラマがあって、みんな残業とかして忙しく働いているんだろうなあ、皆さん、大変だよなあ、

まったく、ごくろうさんなこってすよなあ、でもくれぐれも体だけには気をつけて下さいな、体を壊してしまったら元も子もなくなってしまいますからね、などと他

人事のようにのんきに労いつつ、都会の夜空をケツ浮きまくりでクルクルクルクル回転しながら、このまま猫川又美と二人きり銀河鉄道に乗ってどこか遠く誰一人知

っている人がいない場所へ行ってしまいたいような、いっそこのままアンドロメダの果てまでぶっ飛んで行って宇宙の藻屑となって消えてなくなってしまいたいよう

な、何だかとってもセンチメンタルな気持ちになってきて、そして、気がつけば、I'm A Fool To Want You、いつの間にやら私と猫川又美を乗せた銀河鉄道は上野不

忍池畔のラブホテル駅の薄暗い一室に到着しており、そこで私と猫川又美は初めてのSEXをして、私のほうは一発ヤッてとっとと帰る心積もりだったのだけれども、

猫川又美が一人暮らしの寂しいおんぼろアパートには帰りたくないなと泣きべそをかくものだから、結局そのまま二人で次の日の夕方までのかなりの長い時間をラブ

ホテルの薄暗い一室で一緒に過ごし、その間に私と猫川又美は3回SEXして(そのうち1回は不発で)、それ以外の時間はジェットコースター三昧の疲れからただひたす

ら二人生まれたままの姿で手足をからませガーガーと惰眠を貪るか、私が腕枕して猫川又美が一人花を咲かせる身の上話やくだらない話を延々と聞されるなどして、

寝ぼけ頭で聞くその話によれば、どうやら私は猫川又美にとって3人目の男にあたるらしく、1人目は例の全然好きでもないのにダマされて処女喪失(ロスト・バージ

ン)した悪い男で、2人目は部屋に遊びに行って泊って夜中にヤラれてしまったこれまた全然好きでもない予備校の同級生で、そして、ようやく私と初めて好きな相手

とSEXできてとっても嬉しいなあと猫川又美は大喜びして、さらに、調子に乗った猫川又美は、ダマされて処女を捧げた例の初めての悪い男からクンニリングスされ

た際に、前の彼女のアソコはほんのり白身魚の味がしたけれど、君のアソコは肉汁たっぷりステーキみたいな味がするよと言われたことなど、こちらが聞いてもいな

いこと(できれば聞きたくないこと)を明け透けとペラペラ私に打ち明けてきたりもして、初めてのデートでSEXした後にそんなふうにアソコの味に関する話など聞かさ

れて私は一体どうリアクションを取るべきなんだろうか、そういうデリケートな話は他人にあけっぴろげに話してしまうのではなく胸にこっそり秘めておくべきなん

じゃないのか、しかも、猫川又美が処女を捧げた私とは無関係の男のさらにはその前の彼女のアソコの味までなんで自分が知らされなくちゃならないんだろうか、そ

んな女のアソコの味なんて自分にはまったく関係ないし、もしかしたら暗にクンニリングスしてくれと仄めかされているのだろうか、などとどちらかといえばクンニ

リングスに慎重派である私は、今日のところはクンニリングスはやめておこうか、肉汁たっぷりステーキの味と言われても、実際舐めてみたら全然違う味がするかも

しれないし、正直迷うところではあるけれども、今日のところはやめておこうか、おそらく猫川又美とはこのままなりゆきで付き合う羽目になってしまいそうだけれ

ど、しばらくの間はクンニリングスだけはやめておこうかなどとぼんやり考えつつ(実際私は猫川又美の東京藝大合格祝いを兼ねて初めてクンニリングスするまで、猫

川又美から、私はフェラしてるのにどうして私には同じようにしてくれないのと何度も催促されながらも、昔性病をうつされたとか、宗教上の理由でクンニリングス

は禁じられているとか、死んだばあさんと一生クンニリングスはしないと約束したとか適当な理由を付けてはクンニリングスを2年以上封印した)、とまれ、ケツはプ

リップリだけど貧乳マグロフェラは下手クソだし、どちらかといえば全体的に期待していたほどピッチピチではなかったかなと少しばかり残念な感想を抱きながらも

そこそこ私は満足していたわけだけれど、窓のまったくないラブホテルの薄暗い部屋で時間の感覚がすっかり麻痺していたようで、気づいた時にはすでに翌日の夕方

近くになっていて、かなりの高額に上っていた会計を済ませたのち、ようやく私と猫川又美は上野不忍池畔のラブホテルを後にして、その後も二人なんだか別れるの

が急に名残り惜しくてなって、なぜだか知らぬが再び後楽園ゆうえんちに舞い戻ってしまって、最後にもう1回だけジェットコースターに一緒に乗り、夕暮れ空をケ

ツ浮きまくりでクルクルクルクル回転して、当時猫川又美は美術予備校の夜間部に在籍していたのだけれども、またしても帰りたくないなと泣きべそをかきはじめ、

予備校さぼっちゃおうかななどと駄々をこねはじめるものだから、学校さぼるような女とは付き合わないよ、学校にはちゃんと行きなさいと電車で新宿まで送って行

き、駅の改札で別れ際に猫川又美が、私たち正式に付き合うってことでいいんだよね?とすでに彼女気取りで最終確認してきて、ほぼ2日間一緒に過ごしSEX3回(その

うち1回は不発)したからっていきなり彼女ヅラするんじゃねえぞと田舎くさい哀れな猫川又美のことを少しばかし面倒くさく鬱陶しく感じながらも、ああ、まあ、う

ん、なんだ、その、ええと、なんだ、まあ、あの、その、ええと、なんだ、その、なんだ、ええと、まあ、付き合うでいいんじゃないのかなと私が適当に答えてやれ

ば、猫川又美はやったー!と大喜びして、やったー!やったー!やったー!と君はヤッターマンか?というくらい本当に心の底から大喜びしてくれていて、そんなふ

うに大袈裟に喜んでもらえた私も満更でもなくて、おそらくジェットコースターに何度も繰り返し一緒に乗ったことが恐怖体験を共にした戦友みたいな気分となって

結果的に功を奏したのであろうと自己分析しながら、何はともあれ、まあ、そんな具合に、私と猫川又美二人の波瀾万丈な関係の華麗なる幕開けとなるのであった。

……

かように、とりあえず、破れかぶれに、16歳下のBJORK/ビョーク似の田舎娘である猫川又美と正式に付き合いはじめた私であったが、当初に感じたジェネレーショ

ンギャップや違和感と言ったらば、まずは携帯電話のメールのやり取りであり、元来私はケータイメールをさほど頻繁に使用しておらず(いやむしろ可能な限り携帯電

話など持ち歩きたくないとすら思ってもいて実際に約束のある時以外ほとんど携帯しておらず)、一方の猫川又美はとにかくやたらめったらと頻繁に嫌がらせのように

ケータイメールを送ってきて、しかもそのすべてが短文であり、すなわち猫川又美は私とメールで会話(チャット)を試みようとしているのであったが、私のほうでは

メールというものは1回ですべての必要な要素を書いて済ませるものという考え方であったから、猫川又美から次から次と嫌がらせのように大量に送られてくるメー

ルの対応にだんだんと嫌気が差してきてしまって、面倒くさくてメールを返さず放ったらかしにしようものなら、すぐさまなぜメールの返信をよこさないのだ!と怒

り狂った猫川又美からさらに大量のメールが送られてきて、次には直接電話がかかってきて、それらすべてを無視したままでいると、挙げ句の果てには無言メールを

100通200通300通ともう犯罪レベルの量を送ってくるものだから、私は心底うんざりしながら、やはりこの女はどこか頭がおかしいのかもしれないと嘆息するばか

りであった。また、ある時クリスマスの頃だったか、暇つぶしに互いにケータイストラップを探して買ってきて贈り合いそのセンスを競い合うという遊び(ゲーム)を

したことがあって、1時間後に戻ってくることを約束しそれぞれ街へと繰り出して行き、私はBEAMSだったか忘れたがおしゃれなセレクトショップにて、猫川又美は

猫が大好きだったなと黒猫の小さなブサカワなぬいぐるみのケータイストラップを見つけて購入し、待合せの喫茶店に戻って待っておると、猫川又美は約束の時間に

なっても戻らず、本当に時間を守らないどうしようもないクソ女だなと私がイライラしはじめる頃、ようやく1時間遅れで猫川又美が戻ってきて、自信ないなとかあ

んまり期待しないでねとか何だかぐずぐずと言い訳ばかりぶつぶつ言っていて、いざ互いの買ってきたケータイストラップを交換し、猫川又美が私に買ってきてくれ

たケータイストラップを見れば、それは何の変哲もない薄茶色の革製の細長いケータイストラップで、本当に何の変哲もないそこら辺の冴えないサラリーマンのおっ

さんがケータイによくぶらさげているようなシンプルと言えば聞こえはいいが、ようするに無個性でまったくセンスの欠片も感じない、もっと言ってしまえばダッサ

ダサのケータイストラップであり、センスを見せ合うことがこの遊び(ゲーム)の主旨であるにもかかわらずこんなにもセンスのないケータイストラップを1時間も遅刻

までして見つけて買ってきた猫川又美のセンスのなさに私は心底がっかりしてしまって、このセンスのなさで東京藝術大学に入ろうなんて思っているとしたらそれは

本当に救いようもなく絶望的な状況なのではないのかと心配しつつ、期待しないでと言われていたから期待はしていなかったものの、うーんなんだろう、と何とも言

葉に詰まってしまった私は、思い切って率直なそれらすべての感想を包み隠さず猫川又美に伝えると、猫川又美は、だってしょうがなかったんだもーん!と絶叫した

かと思えば、まるで3歳児のようにビエーンエーンビエーンエーン、だってしょうがなかったんだもーん!ビエーンエーンビエーンエーン、だってしょうがなかったん

だもーん!と喫茶店のすべての客が振り向くほどの大声で泣きはじめ、私は突然泣き出した猫川又美に戸惑い、そして猫川又美が泣いているところを喫茶店のすべて

の客に注目されていることが恥ずかしくて居たたまれなくなってきて、ひょっとしたら私はとんでもないハズレくじを引いてしまったのかもしれないなと、ほんの一

瞬ではあったものの猫川又美と付き合ったことを付き合って間もなく初めて後悔し、そして猫川又美の体を無理やり引きずり逃げるように店を後にするのであった。

また、猫川又美は私の住所の最寄駅赤羽を埼玉県と勘違いしており、赤羽って東京だったんだね、知らなかった、てっきり埼玉県赤羽だと思ってたよなどとことある

ごとに間違えるものだから、そのうち、この女赤羽を田舎とバカにしてわざと間違えて言っているのかと疑いはじめ、その後も赤羽は埼玉だよね、あれれ赤羽って東

京だったんだとか、赤羽は川口と西川口の間にあるんだよねだとか無邪気な振りして何度も尋ねてくるものだから、こいつは確信犯だなと確信した私は、黙って聞い

ておればいい気になってわざと間違えた振りして赤羽のことバカにしてるだろ、たしかに東京の中じゃ赤羽は田舎かもしれねえよ、だけどよ田舎からはるばる出てき

たおのぼりさんの君に赤羽をバカにする資格はないんじゃねえのか、君の田舎にはイトーヨーカドーあるのかよ、とにかく赤羽は東京で埼玉なんかじゃねえからな、

今度間違えたら本気で別れるぞ、これはマジだからな覚えとけよ、田舎者のくせして赤羽を舐めんなよと本気でぶち切れると、猫川又美は赤羽は埼玉だとは言わなく

なるのだった。次に、これはジェネレーションギャップとは少し異なるかもしれぬが、猫川又美は病的な遅刻魔であり、とにかく約束の時間を守らず、最初のうちは

まあ田舎から上京したてのどんくさい田舎者だから東京の地理に明るくないため仕方がないのだろうなと少しばかり大目に見ていたものの、そのうちいつもと同じ待

合せ場所にも平然と遅れてやって来たりして、おまけに後で遅刻した時間の猫川又美のTwitterを確認してみれば「遅刻なう!史上最大のピンチなう!なうなうなう!

なうなうなうなう!」などとのんきにつぶやいていたりして、私は、史上最大のピンチの時は史上最大のピンチなんだからTwitterでなうなうなうなうつぶやく余裕な

んてあるわけねえだろ!本当にバカなんだな、このクソ女は!と呆れつつ、おそらく猫川又美という女には時間を守るという観念が先天的に欠けているのだろうなと

思って、ある時、待合せの時間に遅れるということは相手に対して大変失礼なことであり、相手のことを軽んじている、つまり相手をナメているという動かぬ証拠で

もあること、また、例えば時間通り来れば100万円あげるよと言われたら絶対に遅刻しないだろうし、東京藝術大学の入試にだって遅刻することはないだろうし、親

が死にそうになっているところへはすっ飛んで帰るだろうし、すべては心の問題であるからして、手酷い目に遭う前に今後は絶対に改めるべきだと強く諭すも、その

後も猫川又美の病的な遅刻癖は一向に改善される気配を見せず、後日、受験勉強の息抜きに富士急ハイランドへ遊びに連れて行ってやった折の早朝の新宿西口高速バ

スターミナルにもキャンセルリミット間際の発車寸前、待合せ時間に40分も遅れて半べそ小走りで滑り込んできたりもして、さすがにその時の私は「てっめえいいか

げんにしろよふざけんなこらっクソ女!」とぶち切れてしまい、その日一日中富士急ハイランドに到着してからも猫川又美とは一言も口をきかずに延々と二人無言で

ジェットコースター三昧、12月の雲ひとつない晴天の渇いた冬空に堂々と聳え立つ雄大な富士山にあたかもストーキングされているかのごとく常に見守られながら、

ただひたすら二人無言でジェットコースターに乗り続けるという行為は、当然のごとく私と猫川又美にとっては生まれて初めての経験であったわけだけれども、それ

はまるで修行僧が苦行に励む姿のようでもあり、また、ある種の高級なSMプレイのようでもあり、また、何の因果か知らぬが16歳下の猫川又美と(体目当てで)付き合

ったことに対する罰ゲーム、いやはや、もはや、この世に生を受けてきたことに対する罰ゲームのようでもあり、なかなか日々をまじめに生きているごく普通の人間

ならば一生に一度あるかないか(多分ないだろう)の希有で貴重な体験であったと言えなくもなかったが、もちろんどうしても伝えなければならないこと、例えば昼飯

にするぞとか次はドドンパだぞとか次は観覧車に乗るぞなどはケータイメールを介してやり取りしていたわけだが、そして、ジェットコースター三昧の合間の箸休め

と観覧車に乗っていた時のこと、最初のうちこそ二人互いにそっぽを向きながら空々しくも無言で窓外に広がるパノラマ風景や血管の隅々まで浮き出たようにも見え

る巨大な富士山へ虚ろに目を向けたりしていたものの、私たちを乗せた観覧車が天国に一番近い場所つまり最上地点に到達したところで、おそらく私に完全無視され

ている現状を何とかして打破してやりたいと必死になって画策していた猫川又美が私の歓心を買うためと容易に推察されたが、突然何を思ったものか私の足元にひざ

まずき土下座するのかと思いきや、なんと私の股間に手を伸ばし乱暴にまさぐりはじめ、私のズボンのチャック(社会の窓)を下ろし、私のペニスを無理やり引っぱり

出して、いきなりしゃぶりはじめたものだから、富士山もビックリ仰天!私はこれに近い光景をそんなに遠くはない過去のいつかどこかで体験したことがあるぞ、そ

うだ、あれはたしか初めてのデートの後楽園ゆうえんちの観覧車の中での出来事だとすぐさま思い出し、さらには、ケンカ中にもかかわらず観覧車の中で突然私のペ

ニスをしゃにむにしゃぶりはじめた猫川又美に対して、この女一体何を考えているのやら、さっぱり理解不能だわ、やはりどこかしら普通じゃなくて、つまり頭がお

かしいんだろうか、もしかして前世からの因縁で観覧車に乗る時は必ず男のペニスしゃぶらなきゃ死んでしまう奇病に罹っているとでもいうのだろうか、本当に病気

ならばそれはそれで仕方がないけれど、ていうか、そんなヘンテコリンな病気ついぞ聞いたことねえぞ、それに、そもそも、男の弱み(すぐにペニスが勃ってしまうこ

と)につけ込んで、いつも何か問題が起これば手っ取り早く体(SEX)使ってすべてうやむやにして解決しようと目論むその腐った性根がまったくいけすかねえったらあ

りゃしねえよ、ペニスしゃぶればなんでもかんでも簡単に許してもらえると思ったら大間違いなんだよ、世の中そんなに甘くはないんだよ、この突発性観覧車フェラ

チオマシーン症候群のクソ女が!と憤りつつも、私はケンカ中であったがために、また、思いがけぬ予想外の猫川又美の突飛な行動に全身が固まってしまって、その

ままなりゆきで猫川又美の好きなようにさせていたのだが、私の股間は、ケンカの最中にもかかわらず、また、猫川又美を憎たらしく思うその心とは裏腹に、親の心

子知らず、即座に敏感に反応してしまって、恥ずかしながら私のペニスは、おそらく私たちの淫らな姿を温かくそして寛大な気持ちで見守ってくれていたと思われる

12月の雲ひとつない晴天の渇いた冬空に堂々と聳え立つ雄大な富士山に負けず劣らず隆々と痛いくらいギンギンに勃起してしまっていたわけだけれども、猫川又美が

私の富士山(ペニス)を引っぱり出してしゃぶりはじめてからおよそ1分も経たないうちに、いきなり車内放送の緊急アナウンスが流れてきて「お客様、観覧車内では大

変危険ですから不謹慎な行動は慎み、大人しく静かに座っていて下さいませ」「お客様、観覧車内では大変危険ですから不謹慎な行動は慎み、大人しく静かに座って

いて下さいませ」「お客様、観覧車内では大変危険ですから不謹慎な行動は慎み、大人しく静かに座っていて下さいませ」とおそらくはあらかじめ録音されていたデ

フォルトのアナウンスではなくてチケットもぎり係のおばちゃんの生マイクを通した不機嫌な生声で何度もしつこく嫌がらせのように流れてきたために、驚いた私は

猫川又美を突き飛ばし、猫川又美は私の股間から飛び退き、さっきまで雄大な富士山に負けず劣らずあれほどまでに堂々と聳え立っていた私の富士山(ペニス)もみる

みる縮んで今じゃ学校の裏山サイズに戻ってしまって、私と猫川又美は互いに一言も言葉は発さぬまま、何ともバツの悪い引き攣ったような顔で一瞬だけ照れ隠しで

微笑み合い、私は、もしかしたらこれから先もこんな具合に猫川又美にあらゆる場面でずっと振り回され続けてしまう運命なのではなかろうかという一抹の不安を覚

えつつ、それにしたって観覧車の中でいきなりペニスしゃぶりはじめる奴があるかよ、俺たちまるで10代の付き合いはじめの浮足立ったバカップルみたいじゃねえか

よ、たしかにバカップルには違いねえけどさ、公共の場における最低限の礼節くらいわきまえなきゃダメだろうがよ、怒られたのもみんな空気が読めない猫川又美の

せいじゃねえかよと心の中で罵り続けながら、チケットもぎり係のおばちゃんとは目を合わさぬように逃げるように観覧車を後にして、休憩所に移り猫川又美が作っ

てきてくれた相変わらずお世辞にも美味いとは言えぬお弁当を二人で無言で食べてから、その後も再び無言でジェットコースター三昧、12月の暮れかけた富士急ハイ

ランドは恐ろしいほど(決して冗談でもなく本当に凍死するんじゃないかと思うほど)寒くてたまらず、私はプルプル震えながら隣りで同じくプルプル震えている猫川

又美のケータイに「そろそろ宿行くぞ」と素っ気ないメールを送り、私と猫川又美はすっかり薄暗くなった富士急ハイランドを後にして、相変らず一言も口はきかぬ

まま富士急電車に乗って河口湖駅まで向い、そして、その日の宿泊先である河口湖畔のホテルに到着して、そのホテルとは名ばかりの古めかしい木造旅館の和室の畳

の上に大の字にぶっ倒れ寝転がった私は、猫川又美がすぐ隣りにいるにもかかわらずケンカ中のため一言も口がきけないという罰ゲームが悪夢のように延々と続く状

況にほとほと疲れ果ててしまって、そもそもの話、なぜ私たちはケンカしたのであろうかというその発端すらもとっくの昔にすっかり忘れてしまっているほどに精根

尽き果ててしまって、思わず誰彼に向かってというわけでもなく、ただなんとなく自然に「なんだか草臥れ果ててしまったなあ」という言葉が私の口からふと洩れ出

てきてしまって、それに呼応するかのように、私と同様に畳の上に大の字にぶっ倒れ寝転っていた猫川又美も「なんだか疲れちゃったねえ」と答えたのをきっかけに

してようやく私は猫川又美のことを許してやり(ただし果たしてこんなふうに簡単に猫川又美を許してしまってよいものだろうか、もしかしてケンカしたままだと気ま

ずくてSEXしづらいからという自分勝手な理由から猫川又美を許すのではなかろうか、結局自分も観覧車でいきなりペニスしゃぶる猫川又美も同じ穴の狢ただのケダ

モノに過ぎぬのではなかろうかなどと自問自答しながら)、その夜はしっかり仲直りのSEXをして、ケンカ後のSEXは愛憎入り乱れるというか、お互いの存在価値をあ

らためて確認し合うというか、いつもより断然燃えあがるというか、つまり、大いにハッスルしてしまったわけだが、その翌日、猫川又美は何を血迷ったものか朝か

らバイト先の飲み屋のイベントで使用したとかいう安っぽいペラッペラのセーラー服を着用したりするものだから「おいおいおいおい、お嬢さん、朝っぱらから一体

全体何のマネですか?」と私が質せば、猫川又美は平然と「見ればわかるでしょ、高校教師ごっこだよ」とニヤニヤ答えて、私は、そういや昔たしかそんなタイトル

の中年高校教師と女子高生が恋に落ちて逃避行するドラマがあったなとぼんやり思い出すも、楽しい旅行中に何が哀しくて猫川又美と高校教師ごっこなどしなければ

ならぬのかと釈然とせぬまま、その日一日、猫川又美はどこへ行くにも安っぽいペラッペラのセーラー服姿で通して、私は本当に恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がな

く、なるべく猫川又美とは意識的に距離を置いて歩くなど無関係の赤の他人の振りを装うことに懸命に努めていたのだけれども、それはなぜかといえば、当時高校を

卒業して1年足らずであるにもかかわらずセーラー服姿の猫川又美は明らかに女子高生には見えず、それは猫川又美の化粧が濃くて大人びて見えるだとか色々と理由

はあるだろうけれど、一番の理由は何かといったらば、そのセーラー服が本当に安っぽいペラッペラの代物で(ドンキホーテなどのパーティー扮装コーナーで1000円

程度で叩き売りされているコンビニ袋を継ぎ合わせて拵えたような本当にペラッペラの粗悪品であったため)、猫川又美は女子高生ではなくセーラー服のコスプレをし

たただの頭のおかしい怪しげな安っぽい女にしか見えず、そんな頭のおかしい怪しげな安っぽい女が一日中私の横を付いて回れば、必然的に私までもが頭のおかしい

怪しげな安っぽい人間に見られてしまう恐れがあったからに他ならず、さらに、その日たまたま河口湖畔にある富士山の絶景が望める小高い山にロープウェイで登っ

たのだけれども(その直前に見た河口湖は何十年ぶりかですっかり水が枯れて底が丸見えになっていて、もしかしたらそれが前兆であったかもしれぬが)、その山の頂

上には何やら案内板が立っていて、それを注意深く読んでみれば、その天上山という名前の富士山の絶景が望める小高い山は、太宰治版『かちかち山』の舞台となっ

た山であるらしく、太宰治版『かちかち山』は、ウサギが10代後半の潔癖純真ゆえに冷酷な美少女であり、そんなウサギに恋したタヌキがどんな酷い目にあってもウ

サギに従う愚鈍な中年男という設定の美少女と中年男の宿命物語として書かれており、美少女ウサギが中年タヌキを散々虐待し尽くした末に最後に中年タヌキは溺死

するという悲惨な物語であり、あたかもそれは猫川又美(美少女ウサギ)と私(中年タヌキ)との関係を嫌でも連想させられずにはおれず、偶然とはいえ何だか嫌な場所

に来てしまったものだと嘆息しながら、ふと隣りを窺えば、セーラー服のコスプレをした頭のおかしい怪しげな安っぽい女が案内板を読みながら「タヌキはウサギに

イビリ倒されて最後溺死しちゃうんだってさ」とニヤニヤと含み笑いをして立っていて、私は心底嫌な気持ちになってきて、本当に相手の気持ちを思い遣るという基

本的なことができない無神経なクソ女だなとぶち切れてしまって、その後は再びセーラー服のコスプレをした頭のおかしい怪しげな安っぽい女とは一言も口をきかな

くなるのであった。かような、くだらぬ話は枚挙に暇がなく、それだけで本1冊いや全10巻シリーズがスラスラと書けてしまうほどに(実際私は猫川又美と交際中この

特異な衝撃的体験をいつか必ず何らかの形で書き残しておかねばならぬと固く心に誓ってもいたが)、もう猫川又美という女は良い意味でも悪い意味でも本当に頭のイ

カれたエキセントリックな変態女であり、それは私自身も負けず劣らず同様に良い意味でも悪い意味でも本当に頭のイカれたエキセントリックな変態男であり、だか

らこそ寂しい都会で変態同士仲良く傷を舐め合うかのごとくズルズルダラダラと5年近くも腐れ縁を続けてしまったのだと今となって振り返り分析するところでもある

が、私は猫川又美が時折見せる無神経な態度や鈍感で図々しい傲慢さや明らかに常軌を逸した言動にイラッとしたりカチンときたり震え上がったり呆れ返ったりする

ことは幾度となくあったものの、それら猫川又美の欠点をも含めたあらゆるすべてがなぜだかは知らぬが、都会の生活に草臥れ果てた30半ば過ぎの寂しい変態繊細優

男であった私にとってはピュアな可愛らしさとも映って、16歳という年齢差はまったくといっていいほどとはいえぬもほとんど支障を来さず(おそらくそれは私がきち

んと相手の気持ちを思い遣ることのできる立派なジェントルマンであったからといいたいところではあるが実際は私の精神年齢がかなり低いお陰であったといったと

ころか)、一緒に過ごす時間は常にジェットコースターに乗っているかのような気分でとにかく楽しいというか面白いというか飽きないというか物珍しいというか刺激

的というか、少なくとも猫川又美を興奮させ頭に血をのぼらせて火病を起こさせたり精神を錯乱させない限り、ごく普通の一般的な恋愛関係にある男女の間柄として

は、少なくとも猫川又美が東京藝術大学に入学するまでのしばらくの間は特に致命的な問題も起こらず、順調といえば順調ともいえる交際を続けていくのであった。

……

その後、結局、猫川又美は3浪の末に東京藝術大学に何とか無事に合格を果たすのだが、私は猫川又美の意地でも東京藝大に入ってやるぞテメエコノヤロークソヤロ

ーベランメーコンチクショーという不屈のパンク精神には強く共感していたものの、(うわべは真摯に応援する素振りは見せつつも、否、実際真摯に応援しつつも)本

音のところでは猫川又美が実際に東京藝術大学に合格するなどとは夢にも思ってはおらず、それはなぜかといえば、私は猫川又美の絵を良いと思ったことがほぼ皆無

に等しかったからであった。ただし、あれはたしか猫川又美が東京藝術大学に合格する前の出来事だったろうか、ある日、薮から棒に猫川又美の卑劣な裏切り行為が

発覚し、付き合ってから初めてとなる別れる別れないの修羅場に発展したことがあって、私は、そんな卑しい大嘘つきとはもう金輪際付き合ってはおられんとしばら

くの間猫川又美とは一切の連絡を絶ち、実際に別れる腹もほぼ決めかけていたところが、猫川又美から「アタシどうしても別れたくないの、別れたらアタシひとりじ

ゃあ、生きていけないの、あなたなしじゃあ、生きていけないの、たとえ彼女でなくなっても、彼女としてではなくっても、たとえ都合の良い関係であってでも、不

適切ないけない関係であってでも、ホテルで会って、ホテルで別れて、アタシ大竹さんと絶対に離れたくないの、絶対に離れたくないの、絶対に離れたくはないの」

この女、今にもマイク片手に歌いはじめるんじゃねえのかと思えるほどの勢いで、演歌の歌詞の陳腐なフレーズのごとくワンワンワンワンと泣き落とされて、私は卑

劣な裏切りには絶対に我慢がならなかったが、BJORK/ビョーク似で貧乳マグロフェラが下手クソという欠点はあるものの猫川又美の体(ボディ)に未練を残したままで

もあり、すでに少なからぬ情も移ってしまってもいたようで、加えて、さかのぼることその1ヵ月ほど前に猫川又美が突如突発性難聴を発症し片耳がまったく聞こえ

なくなり、幸いすぐに医者に診せたため大事には至らなかったものの、その原因が実は私に嘘をつき欺き続けていることに対して思い煩いその心疾しさからくる重度

のストレスに起因していたことを猫川又美が涙ながらに告白したため、自業自得であるとはいえそんな健気な姿に心打たれた私は、二人でよく話し合った末、もうニ

度と嘘はつかぬと約束もしてくれたため(だがしかし結局それは空手形となるわけだが)、猫川又美とは結局別れず終いで交際を続けることとなったわけだけれども、

その一切の連絡を絶っていた期間が明けて2週間ぶりに私がまぐわいのため猫川又美のおんぼろアパートを訪ねてみると、そこには数十枚の真っ黒い不気味な絵とイ

ンクが空になった30本近くのボールペンシルが部屋の床いっぱいに無造作に転がっており、私はその真っ黒い不気味な絵を拾いあげてまじまじと舐めるように丹念に

眺めたのち「もしかしたら、この女、正真正銘ホンモノのヤバい奴なのかもしれんぞ」と大変素晴らしく思ったのだった。すなわち、その真っ黒い不気味な絵とは、

私と音信普通になっていた2週間に猫川又美が私に捨てられるのではないかという不安定な心模様やら、ひとりぼっちになってしまうかもしれないという恐怖や心の

ざわめきやら、藝大浪人生である自分自身の行く末に対するぼんやりとした不安やら、不条理な世の中に対する激しい怒りやらをボールペンシルで延々と画用紙に激

しくぶちまけた痕跡であり、そのこれでもかとドス黒く漆黒に塗りたくられた不気味な絵を見た私は本当に初めて猫川又美の絵を良いと思ったのであった。だがしか

し、私が猫川又美の絵を良いと思ったのは本当に後にも先にもその時の一回こっきりであり、また、猫川又美の卑劣な裏切りをいかなる経緯があってのことであろう

とも、私が簡単に許してしまったことによって、猫川又美の頭の中にどんなに嘘をついても謝れば許してもらえるのだという甘い考えが成功体験として植え付けられ

てしまって(私は謝れば簡単に許すチョロい男と認識され)、その後も猫川又美が反省もせず卑劣な嘘を何度も繰り返す最悪の結果を招いてしまうこととなり、こんな

ことならばあの時スッパリと別れてしまえばよかったものをとその後何度も私は後悔する羽目となるのだったが、ともかく、私が心惹かれる猫川又美の頭のイカれた

エキセントリックで変態的な良い部分が残念ながら猫川又美の絵にはまったくもって反映されていないというわけなのだった。だものだから、実際に猫川又美が3浪

の末に東京藝術大学油画科に合格した時には、絶対に受かりっこないと高を括っていた私は、それまでいかにして東京藝大だけが人生のすべてではなく、東京藝大に

入らなければ必ずしも藝術家になれないというわけでもなく、東京藝大に落ち続けて最終的に諦めたけれども、その挫折の悔しさをバネにして成功を果たし素晴らし

い藝術作品を表現し続けている藝術家たちも世の中には大勢いること(例えば大竹伸朗など)を猫川又美に説き伏せて、いかにして東京藝大に対する未練をキッパリと

断ち切らせるかについての方策をあれこれ思案していたところであったから、本当に狐につままれたような、鳩が豆鉄砲食らったような気持ちで心底驚き、そして、

まあとにかく合格は合格であるからして、何はともあれ、合格は合格であり、とにかくよかったよかった本当によかった、合格おめでとう!これからは東京藝術大学

の学生としてプライドを胸に生きていきたまえ!乾杯!と我がごとのように喜んだものであった。おそらく私のあげちん効果がテキメンしたのであろうとあながち冗

談でもなく今でも私は密かにそう確信しておるし、そうでない場合も、美術予備校の担任講師の教え子たちが出世して現在は東京藝術大学の教授や講師などに成りあ

がっていて、その複雑な師弟関係や利害関係から毎年秘密の合格枠がいくつか設けられているのではないかと私は勘ぐってもいたものだが、ようするに、何度も繰り

返しになるけれども、私はまさか実際に猫川又美が東京藝術大学に合格するなどとは夢にも思っていなかったのだった。そして、このかつての交際相手猫川又美との

5年に及ぶ類い稀なる関係は、私の50年に及ぶ決して他人に誇ることのできぬ本当にろくでもない人生においてもかなり特異な地位を占める、藝術とか金とか男とか

女とか愛とかSEXとかウンコとか様々な問題についてあらためて考え直すきっかけとなったカルチャーショックのような衝撃的体験でもあり、それらは私の現在に至

る藝術活動にも絶大なる影響を確実に及ぼしていると断言できるがゆえに、後日きちんとまとまった形で書く心積もりであり、ここでは簡単に触れるだけに留めるつ

もりでいるが(もう結構詳しく書いてしまっているな)、すなわち、私が「藝術」という漢字に異常に固執する理由とは、当時の交際相手であり東京藝術大学の学生で

もあった猫川又美に対抗するべく私も(「芸術」と書くと負けているような気がするので)「藝術」と書いて虚勢を張っていた名残りに過ぎぬという何とも拍子抜けす

るような阿呆みたいな理由に他ならぬわけだが、何はともあれ、私が東京藝大生の猫川又美と交際していた頃の「藝術」にまつわる話をしばらく続けることにする。

……

私が33歳の時、なぜだか理由もわからず(あたかも猛烈な便意に襲われウンコをひり出すかのごとく)突発衝動的に絵を描きはじめてからというもの来る日も来る日も

まさに「我ウンコを思う、ゆえに我あり」とウンコについて考え続けてきたことはもうすでに散々嫌がらせのようにしつこく書いてきたけれども、そのウンコに関す

る現象の中でも、私はウンコの持つとある特殊な問題について日夜頭を悩ませ続けており、今現在2022年に至ってもなお明確な答えが見つからずに苦悩し続けてい

る問題でもあり、問題が問題だけに少しばかり言葉にするのが憚れるが思い切って打ち明けてしまえば、それは、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』という問題で

あり、ある時、ある朝、便所で無我夢中にウンコをひり出している最中にふと私の頭に浮かんできた問題であり、生来私は一度頭の中に何か問題が沸き上がるとその

問題に執着し四六時中取り憑かれ頭を悩ませてしまうという些か厄介な性癖の持ち主でもあり、爾来、私は暇さえあれば、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』とい

う問題に対する答えを探し求め日夜頭を悩ませ続けているというわけであり、この、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』という問題をもう少しだけ具体的にわかり

やすく補足してやるならば、(Q)『(目クソ、鼻クソ、耳クソ、汗、小便、チンカス、マンカス、ヘソのゴマ、フケ、垢、ヨダレ、精液、愛液、経血、母乳、痰、涙、

鼻水、ゲロ、などなど、名前にクソがついたりつかなかったり人間の排泄物や分泌物には様々な種類があるけれど)どうしてウンコ(という排泄物だけが猛烈に)くさい

のか?』ということになり、つまり、ウンコを単なる排泄物や分泌物の一つとして考えるならば、他の排泄物や分泌物が鼻をつまむほど猛烈にくさいということがな

いのと同様に(ゲロだけは他に比べて少しくさいかもしれぬがウンコほどではなく、オナラはもちろんくさいが実体を伴わずそもそもウンコと同根と言えよう)、別に

ウンコだって特別くさくなくてもよさそうなものであって「ウンコがくさいからには、ウンコがくさいなりの、ウンコがくさくなければならない」「ウンコの、ウン

コによる、ウンコのための」「ウンコがウンコであるための」「ウンコがくさければならない」正当な理由、つまり「ウンコのニオイ」の存在意義(レーゾン・デート

ル)がきっとあるに違いないとある時私はふと考えたというわけであり、一度そう考えてしまったらもう気になって気になって仕方がなくなってしまった私は、四六時

中、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』という問題について頭を悩ませ続けるという自分でもさっぱりわけのわからぬ泥沼にまんまと嵌まり込んでいってしまった

という次第であった。太古の昔より、神が作った最高傑作とも称される我々人間の精神と肉体というものは驚くほど精密精巧に作られておって、無駄な機能なんても

のは何一つないというくらいすべてに正当な理由があり、例えば、髪の毛が生えているのは頭(脳みそ)が守るべき大事な場所であるからであり、汗をかくのは体の温

度調節をするためであり、風邪を引いて高熱が出た時に首を冷やしたり寒い冬に首にマフラーを巻くのは頸動脈の血流が温度感知センサーの役割を果たし体温調節を

おこなうためであり、空腹時に暴力的になるのは獲物を捕らえるために己を奮い立たせるためであり、男性器が勃起したり射精すると気持ちいいのは積極的に子作り

して子孫を残すためであり、女性器が濡れたり男性器が挿入されると気持ちいいのも積極的に子作りして子孫を残すためであり、脇毛や陰毛が生えているのはフェロ

モンを溜めておいて異性を惹き付けるためであり、断食すると勃起しやすくなるのは栄養が断たれ死に近づいた人間の本能が懸命に子孫を残そうと努力するためであ

り、昔の結核患者の性欲が驚くほど強かったのも死に近づいた人間の本能が懸命に子孫を残そうと努力したためであり、男女の愛が永遠に続かずすぐに冷めてしまっ

たり浮気や不倫が後を絶たず性懲りもなく繰り返されるのはできる限り多種多様な子孫を残そうとする人間の本能であり、生理の期間中の女性が常にイライラしてい

るのは受精(妊娠)しないので男性を寄せつける必要がないためであり、男性が射精後に必ず冷徹な賢者モードに陥るのは陶酔に浸ってばかりいては敵に襲われてしま

う危険性があった昔の名残であり、男性がマスターベーションなど射精を禁じるとモテるようになるのは精液を溜め込んだ肉体が危機感を覚えて何とかして異性を惹

き付けようと奮闘するからであり、逆に男性がマスターベーションばかりしているとモテなくなるのは精液がスッカラカンの空っぽ状態を女性に直感で勘づかれてし

まうからであり、中年のおっさんがその場が凍りつくほど寒々しいオヤジギャグを連発するのは構って欲しくて寂しくて寂しくて震えている己の寒々しい心の内を素

直に曝け出しているからであり、男性が女性の乳房に心ときめくのは赤子の時にむしゃぶりついていた母親の乳房のやわらかさを今も忘れないからであり、思春期の

娘が父親を毛嫌いしたり血の繋がった近親者同士が欲情しないのは血が濃くなり過ぎると遺伝子に異常をきたす危険性があるからであり、酒を飲んだ翌日に二日酔い

になるのは酒が人間にとって猛毒であるからに他ならず、健康な男性が朝勃ちするのは朝っぱらからSEXに励みなさいというわけではなくてペニスはとっくに目が覚

めてこんなに元気に起き上がっているんだからあんたも布団の中でいつまでもグズグズしてないでさっさと顔洗って歯磨いて学校や会社(無職の人はハロ−ワーク)に

行きなさいという叱咤激励であり、乞食を三日やるとやめられないのは乞食が楽チンな上に意外と儲かるからであり、成功して権力を握ったブサイクな人間が必ずと

いっていいほど悪事を働くのはモテなかった過去の自分や社会に対し復讐するからであり、犯罪や不正を犯す人間の目が常に死んだように見えたりオーラがドス黒く

汚れて見えるのは悪魔に魂を売り払った証拠であり、相撲取りなどデブに腹黒い人間が多い気がするのは常に卑しい欲に囚われているからであり、カツラや整形がす

ぐにバレてしまうのは境界線の際(きわ)がハッキリクッキリし過ぎていて誰もが違和感を覚えるほど不自然極まりないからであり、サラリーマンがネクタイをしてい

るのは仕事で失敗した時すぐに首が吊れるようにであり、お年寄りや体の不自由な人に席を譲ったり誰かにやさしく親切にしてあげると良い気持ちになり逆に嘘をつ

いたり悪いことをすると嫌な気持ちになるのはその人が善人である何よりの証拠であり、夜眠くなるのは脳みそを休息させるためであり、夢を見るのは記憶を整理す

るためであり、過去の記憶が時の流れとともに徐々に薄れていき美化されやすいのは過去に囚われず今この瞬間を精一杯に悔いのないように生きなさいというエール

であり、年寄りがボケてしまうのは死ぬ直前くらいは過去の嫌な記憶や目の前のつまらぬ現実から目をそらさせてあげようという誰かの温情であり、常に死というも

のに精神的恐怖と肉体的苦痛が伴うのは簡単には死ねないようにであり、他にも探せばまだまだたくさんあるとは思うけれども、それら人間の精神と肉体の驚くほど

精密精巧な機能と同様に、当然のように、ウンコがくさいことにも人間にとって必要かつ重要で誰もが納得するもっともな理由が必ずや存在しなければならないはず

だとある朝私は便所でウンコをしながらふと思ってしまったというわけであり、もしかしたら、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』などと考えること自体が一見ふ

ざけているように見えるかもしれぬが、私は決していい加減な気持ちでこの問題を捉えているわけではなく、真剣な気持ち(好奇心/探究心)から人生を賭して答えを探

し求めている重要な問題であり、もしかしたら、その答えは、例えば、学術専門書の知識や生物学専門家の意見などに頼ればいとも容易くあっけなく導き出すことも

可能なのかもしれぬが、私はそれら科学的な根拠には一切頼ることなく、あくまでも自らの実体験を通して自らの頭で考えた末に独自の答えを直感的かつ哲学的に導

き出すという厳重なルールを定めこの問題に真摯に取り組み続けてきておって、さらに、この(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』という問題に対して私が病的に固

執する理由は、おそらく私がなぜだか理由もわからず(あたかも猛烈な便意に襲われウンコをひり出すかのごとく)突発衝動的に絵を描きはじめたこととも密接な関係

があると私は確信しておって、なぜなら、前述の通り、私は絵を描くという行為を人間という生き物の生理現象であるところの排泄行為として捉えており、自分の表

現した絵のことを自分の排泄物(ウンコ)のような存在だと認識しているからに他ならず、たしかに絵を描いた後は不思議とウンコをひり出した後のようにスッキリ爽

快な気分になっていることが多いし、自分の納得のいく素晴らしい絵が描けた後などはものすごく立派なウンコ(一本糞)をひり出した後のように浮かれあがったよう

な気分で陽気に口笛なんぞを吹きながら自分自身を何とも誇らしげに思ったりもするし、朝に見事な一本糞をひり出すことに成功した日などは、そのひり出された完

成度の高い見事なまでの一本糞の藝術的な出来栄えと、そんな一本糞をひり出して表現することに成功した自分自身の才能にすっかり満足してしまって、その日はも

う他に藝術的な活動など一切しなくてもいいかなと思ったりもするし、実際私は常に上機嫌でいたいがために日々見事なウンコをひり出すための修練(方法はたくさん

あるがここには書かない)を密かに重ねていたりもするし、また、スランプに陥って絵がまったく描けなくなったりすればウンコが体内にたんまり溜った便秘のような

状態となって、たちまち精神も肉体も頗る調子が悪くなって憂鬱な気分に陥ったりもするし、もはや私にとって絵とウンコ(藝術とウンコ)は一卵性双生児のごとく切

り離して単独では考えられないほど密接な関連性を持ってしまっており、しかるに、私にとって絵を褒められるということは「いいウンコのニオイですね」とか「素

敵な形のウンコですね」とか「うっとり見惚れてしまうほど美しいフォルムのウンコですね」とか「どこに出しても恥ずかしくないほどに見事な一本糞ですね」とか

「君のウンコは素晴らしいニオイがしますね」とか「クラクラと目眩を引き起こしてしまうほどパワフルで力強いウンコのニオイの持ち主ですね」とか「思わず食べ

てしまいたくなるほど味わい深いウンコのニオイですね」とか「あなたの絵からは心ときめく芳醇なウンコの香りが漂ってきますね」などと褒められることとほぼ同

義であり、ゆえに、私はたまに個展や展示や仕事を見てくれた誰か他人から絵を褒められる時はいつも、自分のひり出したウンコのニオイや形を褒められているよう

な気がしてならなくて、嬉しいやら恥ずかしいやら照れくさいやら何だか複雑な心境に陥って体をモジモジさせてしまったり、急いでその場を離れてコソコソ物陰に

隠れてしまったりもするのだった。もしもウンコと一般的な藝術作品(絵や彫刻や写真や映画や小説など)との間に何か違いがあるとするならば、それは一般的な藝術

作品(絵や彫刻や写真や映画や小説など)にはニオイがついていないけれど、ウンコにはしっかりとニオイがついているという点であり、すなわちウンコという存在を

藝術作品と捉えるならば、もはやウンコは視覚と嗅覚に訴えかけてくる総合芸術の域に達していると言ってしまっても過言ではないのである。そして、30代半ばにし

て16歳下の東京藝大志望の猫川又美と出会って付き合いがはじまってから後も引き続き私は、日夜、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』という問題に対する答え

を探し求める努力を決して怠ることはなく、その結果、ある時、もしもウンコがくさくなければ、たとえウンコを漏らしたとしても、それは全然恥ずかしいことでは

なくなって「クソクソマン」「ウンコマン」「ウンコッコマン」「ウンコ星人」「ウンコ先生」「ウンコ野郎」だとかいったもう本当に死にたくなるほどダサいあだ

名を付けられていじめられることもなくなるのにな、そういや、自分は今までにウンコ漏らしたことがあったっけかな、昔たしか小学生の頃に試しに家でわざとズボ

ンとパンツを履いたままウンコをしたらどうなるのか?どんな気持ちになるのか?を身をもって体験しておこうとふと思い立ち実験したことがあったが、尻の穴やパ

ンツの中にウンコが挟まっている状態というのはもう何とも言えぬ嫌な気分であり、たとえるならば尻の穴に時限爆弾が仕掛けられているとでも言おうか、とにかく

常に何だかソワソワと落ちつかず、すぐにプーンとあの例の懐かしいウンコのニオイが鼻先まで漂ってきて、瞬く間に部屋中に充満して、それがくさいのくさくない

の、恥ずかしいの恥ずかしくないのって、もちろん普段便所の中でならウンコがくさいことは覚悟しているためウンコがくさいことも当然のこととして自分の中で処

理されるわけだけれど、便所ではない場所(勉強部屋)で不意にウンコのニオイを嗅いだ時のあの違和感といったらそれはそれはもう衝撃的で、さらにウンコというも

のは常にオシッコとセットになっているみたいで、たしかに普段便所でウンコする時は必ず一緒にオシッコも出てくるし、人間はウンコをすると自動的にオシッコも

出てくるような体の仕込みになってるのかもしれないけれど、おそらくそれは子連れ狼が常に子供を連れて歩いてるみたいなものだったり、もしくは、自動車の普通

免許を取るとおまけで原付バイクの免許までくっついてくるみたいなものか、はたまた、イベントに漫才コンビの面白いほうだけを呼んだつもりがなぜだかつまんな

いほうの相方までセットでくっついて来ちゃったよみたいなものか、まあ少なくとも当時小学生の自分にはウンコだけを漏らすといった高度な技術を要する器用なマ

ネなどできるはずもなく、その時はパンツの前がオシッコ塗れ後ろがウンコ塗れのもう地獄絵図のような状況に陥って、当時は今みたいにまだスレてなくて可愛げも

あって純真な少年の心を持っていた自分は子供ながらに、一体全体自分は何てバカなことを実験してるんだろうか、そして、ウンコだけは絶対に漏らすもんじゃない

なと身をもって骨の髄まで思い知らされたんだっけかな、などなど、恥ずかしながら過去に何度かある実際にウンコを漏らしてしまった時の記憶や間一髪ちびってし

まった時の記憶やその他ウンコを漏らしかけた時の記憶やその時のウンコのニオイの記憶を懸命に頭の中に呼び覚ませながら、とにもかくにも、ウンコを漏らすとい

うことはその人間のその後の人生を大きく左右すると言っても過言ではないほどの衝撃的な出来事になってしまうわけなんだよな、そして、それはおそらくウンコが

猛烈にくさいからという理由に他ならないんだよな、でも仮にもしもウンコがくさくなくなってしまったら、みんなわざわざ便所にいかずに平然とパンツの中にウン

コを漏らしたままでヘラヘラしてそうだし、それは人としてどうなんだろうか、などと考えたことを突破口にして、私はある一つの可能性のある、(Q)『どうしてウン

コはくさいのか?』に対する答えを導き出すことに見事成功したのだった。それは、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』→ (A)『なぜならば、もしもウンコがくさ

くなかったら、人間は便所に行かなくなって、常に人間のパンツの中はウンコ垂れ流し状態になってしまい、それは衛生上及び倫理上(道徳上)大変よろしくないこと

であり、人間の尊厳に関わる問題でもあるがゆえに、人間にとってウンコを漏らすということはとても恥ずかしいことであり、まわりにも大迷惑がかかってしまうと

いうことを認識させるために、ウンコを漏らすとすぐに本人や周囲のみんなが気がつきやすくするために、ウンコはくさいのである』という答えなのであった。つま

り、ウンコを漏らすということは人間にとってとてつもなく恥ずかしいことであり愚かなことであり、人間の尊厳にも関わることだと人間に身をもって思い知らせる

ために、また、誰かがウンコを漏らした時にみんなが気がつきやすく、すぐさま対処ができるようにと考えられた人間の肉体の機能というわけであり、たとえるなら

ば、それは、ガス漏れをすぐさま察知してガス爆発を未然に防ぐ目的から、ガス会社が本来無臭のガスにわざわざ独特な不快なニオイを付け加えることとまったく同

じ理由から、ウンコはくさいのだという独自の答えを私は導き出したのであった。そして、自ら導き出したその答えにすっかり満足して有頂天となった私は、その答

えを誰かに聞いてもらいたくて(自慢したくて)たまらなくなり、すぐさま当時の交際相手でありその時はすでに東京藝術大学に無事合格していた猫川又美に『ユリイ

カ!』という件名で「俺はようやく見つけたよ、とてつもない真理を!とても大事な話があるから、時間作ってくれないか?」とメールしたのちの最初の週末に行き

つけの新宿御苑前にある天井の高いイタリアンレストランでピザやパスタやイタリアンハンバーグに舌鼓を打ちながら酒の酔いにまかせて、(Q)『どうしてウンコはく

さいのか?』という問題に対する私の並々ならぬ熱い思いや、その答えを導き出すまでの想像を絶するほどの苦悩、そして、ようやく私が見事に導き出した答えを猫

川又美の前で意気揚々と披露してみたところが、それを聞いた猫川又美は一瞬ポカーンと大口を開けて、それからすぐに私を蔑んだような憐れんだような目でしばら

くじっと見つめてきたかと思えば、突然こう切り出したのだった。「ちょっとー、ちょっとー、ちょっとー、もうすぐ40歳になるっていうのに、なんで、そんなウン

コのことなんて考えてんのよ、大事な話があるってメールもらったから、てっきりもう終わりにしたいとか言い出すのかと思ってビクビクしてたんだよ、私のほうは

今のところまだ別れる予定なんてないからね、件名も『ユリイカ!』とかになってて意味わかんないし、ビックリマークまで付いてるし、一体何言い出すんだろうっ

て身構えて覚悟して来てみたら、なんとビックリ!ウンコの話ですか!こっちがビックリマークだよ!何がユリイカ!なんですか、もうすっかり拍子抜けしちゃった

よ、本当に何くだらないこと考えてるんだか、他に考えることなんて山ほどあるでしょうに、何が哀しくてもうすぐ40歳になるいい歳した立派な、いや、立派かどう

かは正直わからないけど、いや、ウンコのことばかり考えてる大人が立派なわけないけど、ともかく、もうすぐ40歳になるっていう大人が、(Q)『どうしてウンコは

くさいのか?』なんてくだらないこと四六時中考えなきゃならないのよ、本当にバカなんじゃないの、ウンコのこと考える暇があったら、もっと絵のことちゃんとま

じめに考えて勉強しなさいよ、ヘタクソなんだから、そんなウンコのことばかり考えてる彼氏となんか付き合いたくないよー」と東京藝術大学に合格してからという

もの近頃やけに強気で横柄な態度をまったく隠さなくもなった猫川又美は私を小バカにしたように呆れ顔で責め立て説教までカマしてくるものだから、てっきり猫川

又美も一緒になって「ずーっと一人で熱心に考えていたんだね、そんな苦悩なんて私には一切見せずただひたむきに研究に没頭してきた努力がようやく報われたんだ

ね、すごいよ!大発見!だね、ユリイカ!だね、おめでとうだよ!だからメールの件名も『ユリイカ!』でビックリマークまで付いてたんだね、さすがは私の自慢の

彼氏だけのことはあるよね、惚れ直しちゃうよ、とりあえず、乾杯しよっか、チュッ!」とか何とか言って私の大発見!(ユリイカ!)を大喜びしてくれるものとばか

り期待に胸をはち切れんばかりに膨らませいざ臨んだ私はすっかり肩透かしを食らって何だか裏切られたような残念な気分でカチンと頭にきて、また猫川又美の指摘

通り、もうすぐ40歳になるというのに四六時中ウンコのことばかり考えている自分自身が何だか急に気恥ずかしくてたまらなくなってきて、どこかに穴があったらす

ぐさま飛び込みたくなったりもして、さらには、もうすぐ40歳になるいい歳した立派な大人であるこの私が16歳下の交際相手の小娘から説教されているという何と

もマヌケな構図に対する不甲斐なさも相まって、その複雑な感情を一緒くたにまとめて怒りへと紛らせながら私は「バカとか言うなよ、バカとかさ、俺は真剣に考え

てんだよ、33歳で絵を描きはじめてからというもの、俺は寝る間も惜しんでウンコについてずっと考え続けてきたんだよ、決してふざけたいい加減な気持ちなんかじ

ゃなくて、日夜、真剣に、この、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』という問題について考え続けてきたんだよ、命懸けで考えてんだよ、人生賭けてんだよ、まさ

に『我ウンコを思う、ゆえに我あり』なんだよ、デカルトくらい真剣に考えてんだよ、人が真剣になって何かに取り組んでる姿をバカにするなんて失礼千万だろうが

よ、何だか君は東京藝大に合格して藝大生になってからというもの、すっかり変わってしまったな、昔はこんな感じじゃなかったのに、常に偉そうな態度で上から目

線で俺を見下ろしてきて、そんなに東京藝術大学が偉いのかよ、まぐれで受かっただけかもしれないのに、権威を笠に着て偉そうにしやがって、虎の威を借る狐みた

いに偉ぶりやがって、まるで天下統一した昔の戦国武将みたいな威風堂々たるその態度は何なんだよ、そのうち駅前の広場に馬に跨がった銅像でもぶっ立てそうな勢

いじゃねえかよ、そもそも君が東京藝大に合格したのだって元はと言えば俺のあげちん効果の賜物かもしれないんだぜ、本来なら俺様に足向けて寝られないくらい感

謝されてもいいくらいなのに、感謝するどころか小バカにしてどさくさに紛れて弓矢までビュンビュン撃ち込んできやがって、俺を殺す気か、調子に乗るのも大概に

しやがれってんだ、それに長くなるからここでは簡潔に説明するけど、俺は33歳であたかも猛烈な便意に襲われるかのごとく突発衝動的に絵を描きはじめてからとい

うもの、俺にとって絵を描くことはウンコするようなもんであり、俺にとって藝術活動は排泄行為とほぼ同じようなもんであり、すなわち、俺にとってウンコのこと

を考えることは絵のことを考えることとイコールになるんだよ、まあ君の低能な薄らバカ頭じゃ、俺のこの高度な理論などてんで理解できるとは思わないけどさ、つ

まり、俺にとって、ウンコは藝術で、藝術はウンコなんだよ、つまり、俺から言わせりゃ、君がまぐれで受かって通ってる東京藝術大学なんてもんは、東京ウンコ大

学とイコールになるってってわけだよ、ウンコ大学のくせして、いつもウンコを鼻にかけて偉そうにしやがって、その鼻持ちならない、いけ好かないウンコのニオイ

にはもう我慢の限界なんだよ!」と大人げもなく逆ギレ気味に感情的になって返せば、猫川又美は「あのさー、本当に何言ってるかわかんないんだけど、なんでウン

コと藝術がイコールになるわけよ、頭おかしいんじゃないの、なんで東京藝術大学が東京ウンコ大学とイコールになるわけよ、バカなんじゃないの、てゆうかさー、

もう本当に子供みたいだよね、子供ってウンコ大好きだもんねー、もうすぐ40歳になるっていうのに、ウンコは藝術とか言ってて自分で恥ずかしいと思わないわけ、

そもそもイタリアンレストランで食事中にウンコの話なんて普通に考えておかしいよね、本当に頭大丈夫?お子様ランチとか頼んだほうがいいんじゃないの?それに

一般的な恋愛関係にある彼氏と彼女が普通ウンコの話なんて絶対にしないと思うんだよね、私たちの関係がちょっと普通でないのはもちろんわかってるけどさ、さす

がにウンコの話はデリケートな話だからねー、でも、まあ、仕方ないかな、まじめに考えてることだけは嘘ではないみたいだし、ここで突き放したら一生立ち直れな

くなっちゃうだろうし、ここで泣き出しちゃうかもしれないし、もうすでに涙目になってるし、もしかしたら帰りに電車に飛び込んじゃうかもしれないし、それじゃ

あんまりかわいそうだからね、生類憐れみの令じゃないけど、今回だけは特別にくだらないウンコの話にも付き合ってあげるけどさ、何度も言うけど、ここはイタリ

アンレストランなんだからね、そこを今回だけは大目に見てウンコの話に付き合ってあげるとするけどさ、まずさー、ウンコがくさくなかったら人間はトイレに行か

なくなるっていう部分は、まあ、たしかに、なるほどねー、いいところに目を付けましたねー、よく考えましたねー、褒めてあげますよーって思うんだよね、でもさ

ー、ガス漏れみたいにウンコを漏らしたことにすぐ気がつくようにっていう部分はなんか違うんじゃないのかな、だってさ、ウンコ漏らした本人は別にウンコがくさ

かろうが、ウンコがくさくなかろうが、お尻の穴にウンコが挟まってるわけだから、ウンコ漏らせばウンコ漏らしたってすぐに自分で気がつくわけでしょ」と私を小

バカにしたような調子はそのままに生意気にも私の答えに具体的に反論してきて、そのあまりの正論に返す言葉に詰まりながら私は「た、たしかに、ウンコがくさく

なくても、ウンコ漏らした本人はウンコ漏らしたことにすぐ気がつくわな、それは君のおっしゃる通り、ごもっともなご意見だよ、さすがは東京ウンコ大学の学生さ

んだけのことはあるわな、だけどよ、たとえウンコ漏らした本人がウンコ漏らしたことを自覚してても、ウンコがくさくなければ、ウンコ漏らしてることを隠したま

まにして、他人に一切口外せず、自分だけの秘密にしてしまって、ずっとパンツの中にウンコを漏らしたままでいることもできるわけだよな、だって、くさくないん

だから、バレないんだから、他人のパンツの中なんていちいちチェックしたりしないだろ、普通は、つまりさ、パンツの中にウンコ垂れ流しの状態で、例えば、平然

と学校で授業受けてたり給食食べてたり、オフィスで仕事してたり、プレゼン行ったり、居酒屋で部下に説教垂れたり人生訓を熱く語ったり、ファッションショーの

ランウェイを気取って歩いたり、カンヌ映画祭の赤じゅうたんを颯爽と歩いたり、デート中に彼女と手を繋いだりキスしたりできるわけだよな、それは、人としてど

うなんだって話になるわけだよ、俺が言いたいのはさ、倫理的にどうなんだって話だよ、道徳的にどうなんだって話だよ、君はパンツにウンコ漏らした状態の男とキ

スしたいと思うのかよ、俺はパンツにウンコ漏らした状態の女となんかキスしたいと思わねえぞ、SEXしようと思ってパンツ脱がせたら尻の穴にウンコが挟まってた

なんて日にゃ、一気に萎えて性欲もどっか遠くへふっ飛んでしまうに違いねえけどな」と私は必死に抗戦するも、猫川又美は余裕綽々といった表情で薄ら笑いまで浮

かべて「うーん、まあ、言わんとしてることはわからなくもないんだけどねー、でもさー、なんか違うんだよねー、何か足りないんだよねー、説得力っていうか、決

定力っていうか、パンチ力っていうかさー、核心的な何かが欠けてるんだよねー、しかもウンコする時は常にオシッコも一緒に出てくるわけでしょ、さっき熱弁して

たよね、たとえウンコは隠し通せたとしても、オシッコびしょびしょでもうまわりのみんなにバレバレなんだよねー」などとさらに偉そうに一丁前の批評家ヅラまで

してくるものだから「だ、だったら、君はどういう理由から、ウンコがくさいと思うんだよ、他人が日夜死物狂いで考えに考え続けた末にようやく見つけ出した答え

にそこまでダメだしするんだから、君の答えをここで是非とも聞かせてもらおうじゃねえかよ、東京ウンコ大学の学生さんよ」と論破されそうな窮地に陥ってムカム

カとブチキレ寸前の私はケンカを売るかのような勢いで食ってかかれば、猫川又美はなお平然と涼しい呆れ顔のまま「うーんとねー、多分だけどねー、間違えてウン

コを食べないようにじゃないのかなー、人間はバカだからさー、ウンコがくさくなかったら、ウンコ食べちゃうと思うんだよねー、おいしいかおいしくないかは別の

話として、ウンコがくさくないんだから、ハンバーグみたいに捏ねてジュージュー焼いたり、団子にして串に刺してつくねみたいに炭火で焼いたり、カレーに混ぜた

り、味噌ラーメンのスープに混ぜたり、小さくちぎってかりんとうみたいにカリッと揚げたり、他にも色々と使い道は考えられるし、タレかけたり味をつければ何と

か食べられるレベルには持っていけると思うんだよね、もしかしたら、もうすでに料理にウンコ混ぜて出してる店とかあるかもしれないよねー、シェフのウンコ入り

ハンバーグとかさ、考えたくもないけどさ、絶対ないとは言い切れないよね、まあともかく、ウンコがくさくないんだから、ウンコを食料として考えて、それで、ウ

ンコ食べれば当然お腹もふくれて、とりあえず空腹感は満たされるわけでしょ、ウンコ食べて、ウンコ出して、ウンコ食べて、ウンコ出して、ウンコ食べて、ウンコ

出して、ウンコ食べて、ウンコ出してっていうウンコ・リサイクル運動を延々と繰り返して、そしたら、人間はみんな働かなくなっちゃうでしょ、ウンコを主食にす

れば、お米を育てる必要もなくなるわけだから、そのうちササニシキって何ですか?相撲取りの名前ですか?コシヒカリって何ですか?腰巾着ですか?みたいな世界

になっちゃうんじゃないのかな、人間は隙あらば楽をしてやろうって思うズル賢い生き物だからね、食うに困らなくなったら人間は働かなくなっちゃうと思うんだよ

ね、それにさ、言ってみればウンコは搾りかすであって、ウンコには栄養なんてまるっきりかどうかはわからないけど、おそらくほとんどないわけだから、そのうち

みんな栄養失調になったり、最悪の場合、餓死しちゃうかもしれないでしょ、だからさ、ウンコは食べ物ではないですからねー、人間は犬や豚や畜生じゃないんだか

ら、ウンコなんて食べたらいけませんよーって意味を込めて、人間がウンコを食べないように、ウンコはくさいんじゃないのかな」といっぱしの持論を展開させてき

て、それを聞いた私は手をつけようとしていた熱々ジュージューのイタリアンハンバーグを前にして「ヤバい、負けたかも、御見逸れいたしました」とぐうの音も出

ず「もしかしたら、この女、ただ者じゃねえのかも、さすがは東京ウンコ大学の学生だけのことはあるな」と16歳下の交際相手である猫川又美に対して畏怖の念すら

抱きはじめるようになり、爾来、私は、ハンバーグ、つくね、カレー、味噌ラーメン、かりんとうを見るたび、この時の話を嫌でも思い出すことになるのだったが、

その後も私は、猫川又美と別れたのちも引き続き、(Q)『どうしてウンコはくさいのか?』という問題に対する答えを探し求める藝術的人生の旅を続けているものの、

甚だ悔しいことには、あの時猫川又美が一瞬で見事に導き出した答えを覆すような素晴らしい答えをいまだに見つけることができずにもがき続けているのであった。

……

かように、私のかつての交際相手であり東京藝術大学の学生でもあった猫川又美という良い意味でも悪い意味でも本当に頭のイカれたエキセントリックな変態女の中

には、直感的な才気というか変態的な狂気というか、たまに私が本気で嫉妬するほどの素晴らしい天賦の才みたいな宝物が埋まっていることは紛れもない事実であっ

たから、だからこそ、それだからこそ、私は常々猫川又美に対して、自分の中にある変態性や才気/狂気をなぜもっと自分の作品に反映させないのだろうか、せっかく

素晴らしい天賦の才能を持っているというのになぜそれを自分の作品に積極的に活用しないのだろうか、普段一緒にいるとすごく面白くて楽しいのに、なぜその面白

さや楽しさを利用して自分の作品をもっと面白く楽しくしようとしないのだろうか、それじゃまるで宝の持ち腐れではないか、あまりにもったいない話ではないか、

藝術はかしこまってお高くとまったものでなければならないなどという古くさい固定観念に取り憑かれてしまっているのだろうか、そんなものは昔の古くさい頭にカ

ビが生えていておまけにペニスもうんともすんとも勃起しないほどヨボヨボに老いぼれたいわゆる老害と呼ばれるに相応しい人間が勝手に決めたことであって、かの

岡本太郎も『今日の芸術』で言っているように、本来藝術とはもっと自由で良いのではなかろうか、結局藝術なんてもんは面白ければ何でもありなんじゃないのだろ

うかとまだるっこしくも思っており、しかも世間には凡人のくせして変人ぶってみせたり、凡人のくせして変態ぶっていい気持ちになって浮かれ上がっていたり、ま

ったく面白くもないのに面白い振りをして(とにかく面白い振りをする技術にかけては超一流で)世の中の物事の価値のまったくわからぬうすらバカどもから面白い人

として勘違いされて身分不相応に持ち上げられて恍惚とした表情のアホバカ面を浮かべているようなクソみたいな恥ずかしい連中が(特にTV/広告業界などお金を払わ

ずに無償で触れることができ無差別暴力的に嫌でも目に触れざるを得ないメディアに)ごまんといて、そういった忌むべきクソみたいな恥ずかしい連中のことは、本物

の変態PUNKSたちの間では「ファッションパンク」という蔑称で呼ばれ徹底的にこき下ろされバカにされる存在であり、また、そういったファッションパンクな連中

には大抵表現したいものなどは特になくて、ただチャラチャラしたものを表現して目立ってカッコつけたいだけであったり、本来何かを表現すべき人間ではない(つま

り表現する必要のない)人間が無理して何かを表現しているに過ぎぬわけであり、ようするに表現したいものなど自分の中には何もないくせに、よそからかっぱらって

きたりなどさもしいマネまでして何かを表現した気になっているだけであるからして、そんなファッションパンクな連中が拵えたまったくくだらない取るに足らぬク

ソみたいなもの(いやまさにクソそのもの)には必然的に何らの魅力が備わっているはずもなく、それはあたかも街中でチンドン屋の行列を眺めているようなただチン

ドンシャンチンドンシャンとうるさく喧しいだけの迷惑千万な代物以外の何物でもなく、もちろん本物の変態PUNKSを自認する私としては、そういった心ないファッ

ションパンクどもが幅を利かし大手を振って歩くこの吐き気を催すほど醜く腐り切った世の中に対して、心の底から辟易するとともに、苦々しく、寒々しく、憎たら

しく、傍ら痛く思いつつ、最大限の侮蔑を込めて、とっとと滅びてしまえばいいのに!と怒り狂ってもいたものだが、一方の猫川又美の場合はどうかといえば、世の

中のファッションパンクな連中とは真逆のパターンであり、本物の変態PUNKSのくせして、お高くとまって取り澄ましてスカしたまったく面白味のない普通のつまら

ない作品ばかりを目指して表現しており、せっかく自分の中に魅力的な宝物が埋ってるというのに、恥ずかしいのか気取っているのか真意は皆目不明だがまったく表

現しようとはせず、一体全体何を考えておるのやらさっぱりわけがわからぬ話なのであった。そのような自分の中にある変態性や才気/狂気を自分の作品にまったく生

かそうとせずお高くとまろうとする傾向は、猫川又美が東京藝術大学に合格してからさらに拍車がかかっていき、東京藝大入学後の猫川又美は、私がかつて好感を抱

き心惹かれていた不屈のパンク精神を持つ良い意味で頭のイカれたエキセントリックな変態女ではもはやなくなってしまったのだった。とはいえ、何十倍もの高倍率

の狭き門をくぐり抜けて見事東京藝大に合格したのであるからして、少しくらい天狗になるのも致し方ないのかもしれぬし、少しくらいの天狗の横暴ならば私も目を

つぶったのだけれども、猫川又美は東京藝術大学に入学してからというもの、うわべは東京藝術大学なんて完全に終わってるし本当に腐ってるしクソよクソクソ全然

大したことないわよクソクソクソクソと吹聴しつつ、そのくせ言葉とは裏腹にちゃっかり東京藝術大学という名前の上にドッカリ胡座をかき、東京藝術大学という御

威光を笠に着て、東京藝術大学の学生としての立場を狡猾に最大限に利用し、常に世間からチヤホヤされる自分(東京藝大生の可愛い私)を強く意識しながら、愚直に

絵に取り組んでいる他大学の学生や無名のアーティストたちを上から目線でこき下ろしバカにするような傍ら痛い露骨な態度をとるようにもなってしまって(おそらく

内心では無名の絵描きである私のことも小馬鹿にしていたのではないかと思われるフシも多々見受けられたが)、ただ東京藝大に合格しただけだというのに、まだ大学

に入学したばかりだというのにもかかわらず、身分不相応にいっぱしのアーティスト気取りなんぞをおっぱじめるようになってしまって、ねえみなさん藝術/アートっ

てこういうものでしょ?藝術/アートってバカにはわかりませんものね?と一見お高くとまって気取って見えるが中身スッカラカンのチャラチャラした作品ばかりを制

作するようになってしまうのだったが、それは、たとえるならば、以前は反骨精神を胸に抱き闘志を剥き出しにナイフみたいにとんがって権威や権力に楯突いていた

人間が国家権力にとっ捕まってロボトミー手術を受けさらに去勢され金玉を抜かれ人のいうことならば何でも従順に聞く人畜無害で世渡り上手な一見賢そうに澄まし

て見えるが実はただのマヌケなバカ犬に変わってしまったかのような目を見張る劇的な変貌ぶりなのであった。私はここまでいとも簡単にわかりやすく人間というも

のは変わってしまえるものなのかと愕然とし(いやいや、人間の最も本質的な部分というものはそんなに簡単に変わったりはしないはずであるから、今までが猫被って

いただけでとうとう猫川又美がその化け猫のドス黒い本性を現したといえなくもなく)、猫川又美がどこかずっと遠いところ私の手のまったく届かない場所へと連れて

行かれてしまってもう二度と私の元へは戻って来ないのではないかという不安に寂しいやら哀しいやら切ないやら何だかやるせのない気持ちとなり、東京藝術大学と

いう存在やその言葉の持つ絶大なる影響力に驚異(脅威)を感じると同時に、27歳で「藝術家になる!」と会社勤めを辞め、33歳で絵を描きはじめた私自身が「藝術と

は一体なんぞや?」とずっと追い求めてきた「藝術」という名前の、私自身にとってはいまだに何だかわからぬ未知のものがさらにさっぱりわけのわからない下品な

「スケコマシ」や「詐欺師」や「ペテン師」同然のようにも思われるようになってしまって、ただでさえ猫川又美本人の持つ頭のイカれたエキセントリックで変態的

な良さがまったく反映されていないがためにあまり快く思っていなかった猫川又美の作品にまったく興味や魅力を感じなくなってしまって、さらには、猫川又美とい

う人間そのものに対しても、付き合ってから随分時間も経つがてっきり今まで変態PUNKS仲間とばかり思い込んでいたけれども、ブルータス、お前もか!猫川又美、

お前もか!ああ、残念だ、見損ったよ、そんな奴だとは夢にも思わなかったよ、結局お前もファッションパンクだったのかよ、いやはや、もはや、ファッションパン

クですらもない、お願いだから金輪際パンクなんて言葉は使ってくれるなよ、まるで権力にすり寄って権力に媚びへつらって権力に尻尾振って権力のチンポ吸って権

力のタマ舐めて権力のケツの穴まで喜んで舐めて権力のクソまで喰らう、まさに権力の犬ではないですか、あああ、私はまんまとダマされていたわけですね!と不信

感や不快感がつのってゆくばかりなのであった。そして、猫川又美のアーティスト気取りがあまりにも鼻につくようになってきてしまった私は見るに見かねて、ある

時、さらしを腹に巻き心を鬼にして「まだ大学に入学したばかりなのにアーティスト気取りをするのは些か時期尚早なのではないか?」「アーティスト気取りをする

のはきちんと独創的な藝術作品を表現し世間に認められてからにすべきではないのか?」と思い切って苦言を呈してみれば、猫川又美は「もしかして藝大生の私に嫉

妬してるんじゃないのー?いい歳して嫉妬とかダサイしカッコ悪いよー」と口先だけは達者なゆえ巧妙に論点をずらし反論してきたために、(特にいい歳してという部

分に)カチンときた(中年の)私は「バカじゃねえの、寝言は寝てから言えよ、嫉妬なんてするわけねえだろが、なんでこの俺が君に嫉妬しなきゃならねえんだよ、一体

どういう思考回路してんだよ、君の作る作品のどこに嫉妬する要素があるっていうんだよ、田舎の貧乏娘がはるばる東京へやって来て、まぐれで藝大受かって藝大デ

ビューしていい気になってんじゃねえぞ、そもそも君が東京藝大に受かったのだってよ、元はといえば俺のあげちん効果による賜物だろうがよ、俺が運気をおすそわ

けしてやったからこそ受かったんだろうがよ、自分一人の力だけで合格したなんて夢にも思うんじゃねえぞ、いっぺん田舎帰って頭丸めて幼稚園からやり直して出直

して来いや、この勘違いクソ女が、君から東京藝術大学というブランドとったら一体何が残るっていうんだよ、まったく、アーティスト気取りは100年いや1000年

いや1万年早いって言ってんだよ!」とうっかり口を滑らしそうになってしまったが、何とか苦い言葉を噛み下し深呼吸して心に押し留めるのであった。その時の私

は天地神明に誓って猫川又美に嫉妬などしていなかったことは紛うことなき事実であったが、不満な点は多々あれども、東京藝術大学の学生となった猫川又美の心が

だんだんと私から離れていってしまうこと(つまり私が猫川又美にいつか捨てられてしまうこと)を密かに恐れていたことだけは一概に否定もできず、つまり、私は猫

川又美の心を虜にし鷲掴みし独り占めする「藝術」っていう奴に嫉妬していたのかもしれないのだった。それからのちも、親の心子知らず、猫川又美の傍ら痛いアー

ティスト気取りはさらにみるみる拍車がかかっていき、猫川又美は東京藝大出身のロリコン系有名アーティストが新宿歌舞伎町に作ったアーティスト気取りがわんさ

か集まるバーみたいな怪しいちょんの間風の店に入り浸るようにもなり、そのロリコンからヤラセロヤラセロヤラセロヤラセロヤラセロヤラセロヤラセロ、とにかく

1回俺にヤラセロヤラセロヤラセロヤラセロヤラセロ、頼むから1回俺にヤラセロヤラセロヤラセロヤラセロヤラセロとセクハラ紛いの扱いまで受けて(聞くところに

よればたまたま店に居合わせたある女などは理性のぶっ飛んだ鬼畜ロリコン野郎にちょんの間風の店の二階へ無理やり連れ込まれたうえ手マンまでカマされる始末で

あったそうな)、そんなこんなを笑い話にしてヘラヘラと大喜びしてるものだから、あまりの気色の悪さに吐き気を催しつつ、とうとう堪忍袋の緒が切れた私は「そん

などうせ大した作品作ってもいないくせに格好だけは一丁前に気取ってスカして取り澄ましたようなアーティスト気取りどもが集まって(そんな奴らに限って大抵パン

ツにウンコくっ付けていたりするんだよ!)、酔っ払って口先だけでアートだ藝術だ何だのと熱く語り合って気持ち良くなってる暇があったら1枚でも多く絵を描いて

描いて描きまくれよ、何のために苦労して3浪までして東京藝大に入ったかわかんねえだろがよ、そんなパンツにウンコくっ付けたくだらん連中とアーティストごっ

こするために田舎から出てきてわざわざ苦労して東京藝大に入ったのかよ、そんなふざけたことしてっと、この先いつまで続くか見当もつかない君の藝術家/アーティ

スト人生において、東京藝術大学合格の瞬間が一番の絶頂(ピーク)で、あとは堕ちるだけ、一瞬の儚い思い出になっちまうぞ、それからよ、君には藝術家の端くれと

してのプライドすらもないのかよ、鬼畜ロリコン野郎からすりゃ君なんぞは藝術家/アーティストではなくて、ただの性欲の捌け口としてのメスとしか思われてねえん

だぞ、女だと思って舐められてんだぞ、そんな目で見られて君は悔しくはないのかよ、何が藝術だよ、マンコに無理やり指つっこんだり指つっこまれたりすることが

藝術なのかよ、本当に気持ち悪い奴らだな、もしかして君もすでに藝術って名の下に鬼畜ロリコン野郎にヤラれちまってるんじゃねえのかよ」と再び厭味ったらしい

苦言を呈すれども、猫川又美はたまたま虫の居所が悪かったのか知らぬが「はああああー?何言ってんのか全然わかんないんですけどー、もしかして、またお得意の

嫉妬がはじまったんでしょうかー、嫉妬は本当にカッコ悪いからやめたほうがいいですよー、それから、せっかくの良い機会だから言わせてもらいますけれども、今

の私はもう昔の私ではないんです、あなたと付き合いだした頃の上京したてで世間知らずな18~19の小娘の私じゃないんです、ちゃんと東京藝大にも合格して着々と

夢に向かって超然と華麗にステップアップしてるんです、ドラゴンボールでたとえるならばスーパーサイア人に覚醒してるんです、つまり、言ってしまえばもうスー

パー藝大生ってなもんなわけですよ、東京藝大の学生には、東京藝大の学生なりの、東京藝大に相応しい付き合う相手がいるんです、こんなことは言いたくないけれ

ども、ようするに、他にも選択肢はたくさんあるってことです、IT企業の社長、広告代理店社員、大手出版社社員、弁護士、税理士、公認会計士、官僚、医者、パイ

ロット、俳優、芸能人、有名人、よりどりみどり、入れ食い状態、選び放題、乗り放題、食べ放題、やりたい放題なんです、何が哀しくて東京藝術大学の学生である

スーパー藝大生のこの私が、こんなパッとしない将来性があるんだかないんだか、何やってるんだかやってないんだかさっぱりわからない怪しい中年の変態男と付き

合わないといけないんですか、なんか最近思うんですけど、私ハズレくじ引いちゃったのかなーなんて、私お母さんみたいにはなりたくないんです、事業に失敗して

借金抱えて失業中で子供の学費もまともに払えないような甲斐性なしを夫に持って頭がおかしくなっちゃったかわいそうなお母さんみたいにはなりたくないんです、

私は将来アーティストとしてちゃんと立派に成功して、できれば麻布生まれで慶應義塾大学卒の素敵な電通社員と結婚して、みんなが羨むような何不自由のない幸せ

な一生を送るんです、世界を股にかけた国際的なアーティスト活動をして、それをあらゆる面で積極的に支えてくれる素敵な電通社員の夫との間にできれば子供も作

って、幼稚園から慶應に入れて立派なエリートに育て上げるんです、今はこんなほとんど埼玉みたいな赤羽生まれで早稲田中退の将来性があるんだかないんだかさっ

ぱりわからないパッとしない貧乏絵描きなんかと仕方なく付き合ってあげてるけれども、私がいつまでもあなたと付き合ってゆくという保証なんてどこにもありませ

んからねー、ちゃんと覚えておいて下さいねー」とまったく鼻にもかけず憎まれ口まで叩きはじめるものだから、とうとう堪忍袋が核爆発を起こし大人気もなく大激

昂した私は「俺のほうこそ君みたいな貧乳マグロおまけにフェラが下手クソでBJORK/ビョークのパチモンみたいな小便くさい貧乏苦学生なんぞとはいつまでも付き

合ってるわけねえわ、さっさと電通社員でも博報堂社員でもADK社員でも東急エージェンシー社員でもマッキャンエリクソン社員でも何でもいいから見つけてとっと

と結婚してくれや、君みたいに口先や上っ面だけで中身スッカラカンの何にもないところなんて広告屋のフニャチン野郎どもにはお誂え向きなんじゃねえのか、広告

と藝術の類い稀なるウィンウィンな融合ですとか何とかふざけたことぬかして、薄っぺらの勘違いバカ同士お似合いのバカップルじゃねえかよ、結婚式に呼んでくれ

りゃ、君ら薄っぺらのハリボテ新郎新婦にピッタリな大衆居酒屋チェーンのフグの刺し身みたいに薄っぺらなまるでゴムでも食ってるみたいな味しかしない祝辞でも

一切感情込めずメモがっつり見ながら棒読みで読んでやらあよ、他人には絶対知られたくない君の性癖の一つ(マン屁の音がバカでかいこととか)でも上質なユーモア

も交えてこっそりご披露させていただくよ、耳かっぽじってよく聞きやがれや、そのあと、君ら薄っぺら夫婦が選んだここまで薄っぺらなものなんて他に考えられな

いってくらい薄っぺらな引出物でもよこせばいいんじゃねえのか、帰りにしっかり駅のゴミ箱に放り込んで捨てといてやっからよ、薄っぺらだから引っかからずにゴ

ミ箱にもスルスルスルっと吸い込まれていくんだろうよ、そんでもって、薄っぺらな結婚式が済んだらすぐさま薄っぺらなホテルに移動して薄っぺらなベッドで薄っ

ぺらなSEXヤリまくって薄っぺらな喘ぎ声出しまくって薄っぺらな精液ぶっ放されて薄っぺらなガキ(ハネムーンベイビー)でも拵えて、薄っぺらな脳みそフル稼働させ

て愛ノ音(アート)だか吾土(アド)だか玖理英(クリエイ)だか風嵐菜(プラナ)だか麻亜毛(マーケ)だか武乱奴(ブランド)だか何でもいいけどガキが成人した時に自殺したくな

るような薄っぺらなキラキラネームでも付けて薄っぺらな自己満足と薄っぺらな優越感に浸って薄っぺらなハリボテ家族ごっこでもすりゃいいんじゃねえのか、それ

からな、君はアーティストになるアーティストになるって暇さえあればバカの一つ覚えみてえにギャーギャーほざいてるけどよ、そもそもの話がよ、アーティストっ

ていうもんは、アーティストになりたい、アーティストになろうと思ってアーティストになるんじゃねえからな、勘違いするなよ、絵でも彫刻でも写真でも何でもい

いけど、まず最初に自分の中に何か表現したいものがあって、それを誰か他人の模倣や猿マネやパクリじゃなくて自分独自のオリジナルの表現方法を見つけて表現し

て、その生み出された独創的な作品を藝術を解する心(審美眼)を持った立派な権威のある誰かにきちんと藝術作品だと認められてお墨付きを頂いた時に初めて君は真に

藝術家/アーティストと呼ばれるに値するようになるんだよ、とにかくまずは心の底から湧き上がる何かを表現したいという止むに止まれぬ思いが一番重要なんだよ、

例えばだ、この前も話したと思うけど、俺は自分が表現する絵のことを、もちろん象徴的な意味だけど、ウンコ(排泄物)みたいなもんだと思ってるから、無理やりウン

コにたとえてみるけど、俺が絵を描く時、つまり、俺がウンコする時は、ウンコしてえ、ウンコしてえ、ウンコしたくてたまんねえ、もうこれ以上はウンコ我慢でき

ねえよ、このままじゃウンコ漏らしちまいそうだぜ、すでにもうウンコの頭が少し飛び出てきちまってるぜ、このウンコ漏らしちまうほどの、もうこれ以上ウンコ我

慢できねえほどの、ああウンコしてえ 、ウンコしてえ、ウンコしてえ、ウンコしてえっていう、この俺のウンコしてえ熱い思いが、あなたの胸にもきっと届くかな、

届きますとも、きっと届きますように、俺のバナナのようにまっすぐ自由で純粋で力強く素晴らしい一本糞のニオイに包まれたあなたがいつまでも、いついつまでも

末永く幸せでありますようにって思いながら、ドバドバドバドバドバッと俺はいつもウンコしてるんだぜ、もちろん実際にウンコしてるわけじゃねえからな、たとえ

としてわかりやすくウンコの話に置き換えて説明してるだけだぞ、つまり、そんな気持ちで俺は絵を描いてるってわけなんだよ、とにかくまずは心の底から湧き上が

る何かを表現したいという止むに止まれぬ思いが一番重要なんだよ、君にはその心の底から湧き上がる何かを表現したいという止むに止まれぬ思いがあるのかって話

だよ、あるわけねえよな、なぜならば、君の場合はただアーティストになりたいからという理由から、つまり、ただアーティストになって作品の価値なんて自分の頭

じゃまったく理解もできない世間のうすらバカどもから、作品は全然大したことないけどちょっとばかし可愛いし東京藝術大学だからってチヤホヤされていい気持ち

になってヘラヘラしたいからという邪で浅ましい理由から、とりあえず東京藝術大学って看板さげときゃあ一生安泰だし、東京藝術大学って名の水戸黄門の印籠を濫

用して振りかざして、とにかくそんないい加減な気持ちで、別に表現したいものなんて何にもないくせに、無理やり何かを表現してるだけなんだよ、つまり、別にウ

ンコなんてしたくないのに、まったく便意を催してないにもかかわらず、無理やりウンコしてるだけなんだよ、いや、ウンコした気になってるだけなんだよ、もしく

は、わたくしウンコなんて今まで一度もしたことございませんのよ、一体ウンコってなんざましょう、ウンコなんて言葉は聞いたこともございませんわよオホホホホ

なんて上品ぶって澄ました顔しながら、チョロチョロっとウンコしてるだけなんだよ、そんな糞切りの悪いウサギのコロコロウンコみたいな、ベッチョベッチョな鳥

のウンコみたいな、そんないい加減な気持ちで出されたウンコには誰も興味なんて持つわけねえんだよ、そんないい加減な気持ちで出された無味無臭のスカしたウン

コのニオイには誰も反応してくれやしねえんだよ、つまり、そんないい加減な気持ちから適当に作られた作品が誰か他人の心を動かせるわけねえってことなんだよ、

そんなもんは見る人が見りゃ一目瞭然すべてお見通しなんだよ、そんなもんは犬にでも食わせときゃいいんだよ、それに、そもそもの話、何かを表現するって行為は

本来そんなにカッコいいもんなんかじゃなくって、むしろ、ものすごーくカッコ悪い行為だと俺は思うけどな、まあ、結局最後の最後は180度回転してカッコ悪くて

カッコいいみたいな話に落ち着くことにはなるんだけど、またまたウンコの話に戻ってしまって申し訳ないけど、何かを表現するって行為はだな、誰か他人にウンコ

をバッチリ見られて、ウンコのニオイまでガッツリ嗅がれることなんだって俺は理解してるけどな、だからよ、どうせウンコするんだったらさ、気取ってスカして恥

ずかしがってないで、他人の顔色なんかいちいち気にせず、自分の中にたんまり溜ってるすべてのウンコをさ、つまり、その時点での自分自身の最高のすべてをさ、

出し惜しみなくもう曝け出すような覚悟でもってさ、ドバドバドバドバドバッとウンコ出してみろや、そうやってなりふり構わず出されたウンコはさ、とてつもなく

キラキラと(サングラスなじゃ眩しいくらいに)光り輝いてて、素晴らしくカッコいいもんだと俺は思うけどな、たとえ何かを表現するという行為自体が、まるでウン

コをすることと同じようにカッコ悪いことだとしてもだよ、そのカッコ悪い行為を、決して人目を気にしたりカッコつけたりせず、人に何と言われようが人にどう思

われようがそんなの一切お構いなく、己の信念を貫き通して、その時点での己の持てる力をすべて出し尽くし、己の出したいものすべてを、もうこれ以上は屁すらも

出ませんよってなくらいの勢いで、己の魂をウンコと一緒にすべて曝け出すつもりで、つまり魂込めてドバドバドバドバドバッと出されたウンコはさ、とてつもなく

素晴らしくてカッコいいもんだと俺は思うけどな、まあ、君に出せるもんなら出してみろって話だけどな、それからな、まだまだ話は続くぞ、君は俺のことをハズレ

くじ扱いしてるけどな、君のほうこそ俺にとってはしょっぱなからハズレくじなんだよ、自分のことを棚に上げてよくもまあ俺をハズレくじ呼ばわりできるわな、そ

もそもの話な、俺はヒモになりてえんだよ、今は何かの間違いで君みたいな勘違いアーティストワナビーの貧乏苦学生とかわいそうだから仕方なく付き合ってお世話

してやってるけど、そのうち俺の才能や人格や俺のすべてをきちんと認めてくれて、俺のことを死ぬまで一生面倒見てくれて、俺が寝たきりになったら体拭いてくれ

てオシメも替えてくれて枕元で絵本読み聞かせてくれたり子守歌も歌ってくれる、君よりもずっと可愛くて美人でやさしくて気立ても良くて金も腐るほどいっぱい持

ってて、貧乳じゃなくてマグロじゃなくてBJORK/ビョークのパチモンじゃなくてフェラも上手で料理も上手い最高の女見つけて、君なんぞは粗大ゴミの日にコンビ

ニで買ったシール2000円分くらい貼っ付けて道端にまとめて捨ててやっからよ、もしかしたらBJORK/ビョークに似てるっていう理由で清掃業者に回収拒否される可

能性もなきにしもあらずだけど、よくボロボロのベッドのマットレスが置き去りにされたりしてんだろ、そん時は清掃工場に直接持ち込むことにでもしようかね、ち

ゃんと俺も責任持って付き添って行くからよ、今生の別れを前に近所の焼肉屋で最後の晩餐でも盛大にやろうじゃねえか、俺のあげちん効果で君を東京藝大に受から

せてやったんだから、もうすでに俺のお役目は一段落ついたようにも思ってるし、これから先は自分の運気は自分のためだけに使って生きていきたいからね、悪運が

尽きたと思って恨みっこなしってことでよ、それに最近じゃBJORK/ビョークの写真見ただけで勃起するようにもなっちまってさすがにそれはヤバいかなとか思って

んだよ、BJORK/ビョークに欲情するようになったら日本男児としてはさすがにマズい状況だろ、俺の美意識をヘンテコな方向にネジ曲げんでくれな、頼むからよ、

とにかく俺はヒモになるんだよ、絶対ヒモになるんだよ、中学の卒業文集にも将来の夢はヒモになりたいって書いてるんだよ、それくらい俺は気合い入ってんだよ、

君がいたら俺はヒモになれねえんだよ、君が邪魔してるから俺はヒモになれねえんだよ、君は俺の輝けるヒモ人生の障害物になってるってことをちゃんと自覚しとけ

よ、それからよ、君は一丁前に俺のことを貧乏絵描き呼ばわりしてるがよ、その貧乏絵描きから毎回メシ奢ってもらって一銭も出さねえわ、財布をカバンから取り出

して金出すポーズすらも取らねえわ、君は一体全体何様なんだ、君が金出すポーズしてるところを、いいからいいからここは俺の太っ腹にまかせない、いいからいい

からその貧乏くさい財布をその貧乏くさいカバンにさっさとおしまいなさいっていう儀式を俺は毎回毎回やりたいのに、できねえじゃねえかよ、つまんねえじゃねえ

かよ、本当に君は相手の気持ちをまったく思い遣ることができないクソ女だよな、貧乏絵描き呼ばわりしてる相手から毎回メシ奢ってもらってる君は一体全体何様な

んだ、乞食様か、君は俺から施しを受ける乞食なのか、俺もできればこんなケツの穴の小さいことは言いたくはないんだよ、メシ代なんて高が知れてるし、そんなみ

みっちいこと言いたくて言ってるわけじゃないからな、俺だってこんな下品な言葉はできることならば使いたくはないんだよ、売り言葉に買い言葉って奴だよ、とに

かく言葉には気をつけろや、それからな、たしかに君の言う通り、世間から見りゃ俺は貧乏絵描きかもしれねえよ、けど俺は魂は売ってないんだよ、金のために魂売

ってないんだよ、やりたくないことは一切やってないんだよ、やりたいことだけをやって生きてんだよ、これだけは絶対譲れないんだよ、これから先もこの生き様は

貫き通すつもりなんだよ、そこんとこはきちんと腹括って生きてんだよ、ゴッホみたいに腹括ってんだよ、まあ、東京藝大に入ってさっそく魂の大安売りセールおっ

ぱじめてる君には到底理解できん話かもしれないけどな、それからな、別れるなら別れるでいつでも喜んで別れてやるし、世の中には俺よりもカッコよくて金もいっ

ぱい持ってる男なんて探せば腐るほどいると思うよ、だけどな、一緒にいて俺より楽しくて面白い男はそうそう見つからんと思うぞ、たしかに俺は少しどころでなく

頭のイカれた変態男だけどよ、面白さなら誰にも負けない自信を持ってるんだよ、別れた後にきっと、あの時別れるんじゃなかったな、失敗したなって後悔して夜毎

枕とパンツを濡らすハメになると思うぞ、そして、いつか君と別れて何十年か経った頃、俺は君とのこのジェットコースターに延々と乗り続けているかのような腐れ

縁の体験談を小説か何かに書いて世の中にドカーンと発表してやっからよ、それをじっくり読んで君と付き合ってた頃の俺がその折々に何を思っていたかをとくと思

い知って再び枕とパンツを濡らせりゃいいさ、それからな、最後にもう一つだけ、何度もしつこいようだけど、赤羽は埼玉じゃねえからな、ほとんど埼玉みたいって

ぼかして濁して言ってるけど、ほとんど埼玉ってことは埼玉だって言ってるのと変わりねえからな、何度も言うけど赤羽は埼玉じゃねえからな、今度言ったら本当に

ブチ殺すぞ、この勘違いクソ女!」とさらに畳み掛けてやれば、猫川又美は「バッカじゃないのー」と一言ほざきプイと横向きそれきり不貞腐れるばかりであった。

……

そして、その頃から猫川又美は東京藝術大学の油画科に在籍しているのにもかかわらず、絵を描くことを一切やめてしまい、どういう風の吹き回しか、ある日突然写

真を撮りはじめるのだが、やりたいことや表現したいことがあるということそれ自体は別に悪いことではなくむしろ素晴らしいことであり、まあ飽きっぽい女だし、

すぐに熱も冷めるだろうと私はただ傍観しつつも、私が釈然としなかったのは、私の目にはそれはただ単に猫川又美が絵から逃げているようにしか見えなかったから

であり、しかも、猫川又美が写真撮影に使用するカメラは、猫川又美のバイト先である夜の飲み屋の常連客(キヤノンの社員で飲み屋の女を口説く道具として自社製品

を秘密裏にやりくりし「こんなのいくらでも何とかなるから欲しいものがあればいつでも言ってくれたまえ」などと吹聴したそうだが、それは社会人としていかがな

ものだろうか)から下心とともに無償で提供された貢ぎ物であり、いくら貧乏苦学生で金に困っているからとはいえ、卑しい乞食でもあるまいし、必要なものは必要な

時に自腹を切って買うべきではないのか?と私はまたまた苦言を呈すれど、猫川又美は「もらえるものはもらっとけと思って」などと嘯き、さらには「もしかしてカ

メラ羨ましいんでしょー?またまた嫉妬ですかー?」私は、そういう話じゃないんだけどな、全然話が通じねえな、もう何を言っても無駄なのかもしれないなと呆れ

返る他なく、もしかしてその客(キヤノン社員)にもすでにヤラれちまってるのかもしれないなと何だか胸が苦しくて切なくて哀しい気持ちになるばかりであったが、

他にも猫川又美が夜の飲み屋の客からもらっていた貢ぎ物は、新品のMacBookPro(私が使っていたMacBookProよりモニターが大きくて腹が立った)、ガスコンロ、洋

服、指輪ネックレスなど装飾品(私の気持ちを顧みず平然と日常使用していた)、現金(ここまでくるともう何と言ってよいのやら)など、枚挙に暇もなく、ある時など、

おんぼろアパートのおんぼろドアのカギを開ける猫川又美の手元にルイヴィトンのキーケースを目敏く見つけた私が「おい、そのルイヴィトンは一体全体どうしたん

だよ?買ったのか?貧乏人にはちょいと不釣り合いに見えるが?」と質せば、猫川又美は平然と「拾ったのー」などとしらばっくれ、そのルイヴィトンが実際に拾っ

たものなのか、貢ぎ物なのか、私には判断するすべもなく、いずれにしても卑しいことに変わりなく、ただ猫川又美が夜の客から貢がれれば貢がれるほどその貢がれ

た分だけどんどん卑しく汚れていっちまっているように哀しく思えて、たとえ貧乏だからといって卑しいマネなんかをしてしまったらば、それは本当にもう人間とし

て救いようのないことであり、目先の欲に取り憑かれ汚れていく最も身近にいる愛する人間の変わり果てていく姿に吐き気を催すほどの激しい嫌悪感を抱きながら、

私は、尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の貫一お宮の貫一になったかのような気分で、貧乏だから卑しい人間になってしまうのか、それとも、卑しい人間だから結果的に

貧乏なのか、どっちなんだろうかと真剣に頭を悩ませもするのだった。当初の私と猫川又美との話では、東京藝大に合格した暁には夜のバイトはスッパリと辞め奨学

金をもらって普通のバイトをしてつつましく生活しながらアーティストを目指して頑張るという約束になっていたはずだったのだけれども、その約束は何とはなしに

反古にされてしまったようで、猫川又美は東京藝大合格後も何かと理由をつけては夜の飲み屋のバイトを一向に辞める気配を見せず、私は約束と違うではないかと不

満に思ってはいたものの、夜のバイトを辞めろとは強く主張できず曖昧なままにしており、それは夜のバイトを辞めさせてすべての面倒をみる甲斐性が私にあれば話

はまた別であったが、残念ながら私にそこまでの甲斐性はなく、またそういう筋の話でもなく、ある時、猫川又美が学友とともに海外旅行に行くと突然言い出して、

これはよい機会だと私は「海外旅行に行けるほど金に余裕があるなら夜のバイトは辞めて普通のバイトをすればよいのではないか?夜の飲み屋のバイトで稼いだ金で

海外旅行に行かれたら、夜の飲み屋のバイトを快く思っていない俺にとってあまり良い印象ではなく、もっと言ってしまえばたまったもんじゃなく、そもそも自分の

彼女に夜の飲み屋でバイトされて快く思う男などいないのではないか?」と思い切って苦言を呈すれば、猫川又美は「自分が稼いだお金を何に使おうとあなたには関

係がないんじゃないの、それに海外旅行といっても単なる遊びではなくて美術館に絵を見に行くわけだから勉強に行くようなものでしょう」と主張し、やはり納得の

いかない私は「夜の飲み屋でバイトするほど金に困っている貧乏人が海外旅行に行くのは世間の一般常識的に見て話の筋が違うのではないか、たしかに自分で稼いだ

金には違いないけれど、その稼いだ金の中には交際相手の俺が泣く泣く我慢している分もいくらか含まれてるのではないのか、海外旅行に行けるほど余裕があるなら

夜の飲み屋のバイトは辞めてくれないか、奨学金をもらって普通のバイトしてなんとかやりくりすればいいのではないか、親が失業中なんだから授業料だって相当減

免されてるはずでありそれほど負担にはならないだろうし、それでも万が一金に困るような状況になった時は俺が清水の舞台から飛び降りる覚悟でもって、なけなし

の虎の子を融通してやるつもりだし、たしか前にもそう約束していたではないか」と今までの鬱憤を思い切ってぶつけてみれば「絶対無理だよ、夜のバイト辞めたら

生活できなくなっちゃう、それに奨学金は後で返さなきゃいけないからね、借金は背負いたくないんだよね、それと気持ちはすごくありがたいんだけど正直大竹さん

にお金借りたりはしたくないんだよね、それが原因でまたケンカになって面倒くさいことになるのはなんかもううんざりだしさ、だから、とにかく、何と言われよう

と夜のバイトは辞めないし、海外旅行にも絶対行くからね、どうしても夜のバイト辞めろ、海外旅行に行くなっていうのなら、いい機会だから私たちもう終わりにし

ましょう、なんかもう疲れちゃったんだよね、しばらく距離置いてちょっと一人で考えたいし、連絡して来ないでもらえるかな」と猫川又美はふてぶてしい態度で開

き直り今まで見たこともないような怒りと蔑みを帯びた鋭い目つきで私をキリッと睨みつけ、私はまったく納得はいかないものの、ここまでくると本当にもう何を言

っても無駄なのかもしれないな、家が貧乏で学費生活費一切を自分で稼いでるといえば美談にも聞こえるし、レミゼラブルな境遇にあってもアーティストになるとい

う夢を諦めず健気に頑張っている可愛い東京藝術大学の学生という体でみんなの同情を買うこともできるし、金に余裕のある小金持ちの客にしてみたら自分がなんと

かしてやらねばと男気も見せられて貢ぎ甲斐もあるだろうし、でもなんだかそれは東京藝術大学の学生という身分を巧妙に利用して、東京藝術大学というブランドを

商売道具にして安易に金儲けをしてるように見えてしまうんだよな、でも、そもそも昔も今も藝術っていうもんは、貴族や金持ち連中などパトロン騙して囲ってもら

って初めて一人前の藝術家みたいな面もあるわけで、学生の今のうちからパトロンを見つける練習してると言えなくもないんだけど、やはりそれはきちんと誰かに作

品を認めてもらった上でやるべきことであって、もちろん夜の飲み屋のバイトであっても職業には何ら変わりなく、そんなに安易に金が稼げるわけでもない大変な仕

事なのは百も承知だけど、藝術というものに対する一種の冒涜のような気がしてならないんだよなあ、もっとも、ヒモになりたいとか言ってる俺自身もそんなに変わ

りないんだけど、俺のヒモになりたいは冗談半分のネタなんだよな、夜の飲み屋のバイトを長く続けていると人間誰しもこんなふうにさもしい人間に変わっていって

しまうものなのかな、昔はここまでスレてはいなかったし筋道を立ててきちんと説明してやれば理解してくれたんだけどな、何が一番恐ろしいかといえばそれは正論

がまったく通用しなくなることであり、口先は達者なくせに自分のその発言にまったく筋が通っていないことを本人自身がまったく気づいていないことであり、こう

いうのは育った環境だとか躾けだとか根本的な問題になってきてしまうんだろうなと私は諦めにも似た境地へと至って、その後も何一つ変わらぬ曖昧な状況のまま、

終わりそうだと思えばまだまだ終わらず今度こそ終わりかなと思えばまたしても終わらず今度こそ今度こそと思いつつも一向に終わらず延々と果てしもなくズルズル

ダラダラと続き一体いつ終わるのやらさっさとスパッと終わりにすればよいものをとうんざりイライラとした気分で聴くアマチュア・プログレッシヴ・ロック・バン

ドの下手クソな演奏のごとく、我々二人の関係も腐れ縁のごとくズルズルダラダラと続いていくのであった。おそらく私と猫川又美の関係が猫川又美の東京藝大合格

を契機として次第にうまくいかなくなってしまったのには根底の部分に大きな理由があったと私は確信しておって、かつて猫川又美が浪人時代の我々二人は「猫川又

美の東京藝大合格」という心を通い合わせた共通の夢に向って一心不乱がむしゃらに突っ走っていて、いわば東京藝術大学という共通の仮想敵国を相手に二人仲良く

共同戦線を張り、東京藝大コノヤロー!東京藝大覚えとけ!東京藝大許すまじ!東京藝大FUCK YOU!東京藝大首洗って待ってろよ!東京藝大なめんなよ!と頑張っ

て戦ってきたものが、いつの間にやら気づいた時には猫川又美が敵国側(東京藝術大学側つまり権力側)に寝返っていた、もしくは、元々猫川又美は敵国側のスパイで

あったというような状況に陥っていて、それに加えて、前にも述べたように私は猫川又美が東京藝大に合格するなどとは夢にも思ってなかったところに、その私の勝

手な思い込みに反して猫川又美が東京藝大に実際に合格してしまったものだから、さあ大変!おそらく私の邪推であり被害妄想でもあるとはいうものの、裏切られた

と勝手に思い込んだ私はひとりぼっちで取り残されてしまったかのような印象を受けてしまって、さらに拍車をかけるように、泣き面に蜂、猫川又美が傍ら痛いいっ

ぱしのアーティスト気取りなんぞをおっぱじめて調子に乗って身分不相応にエンジン全開でブイブイいわせるものだから、生来小さいことにネチネチとこだわってし

まうケツの穴の小さな変態繊細優男である私にとってはまったくもっていい気持ちがしなかったからと私は自己分析するところであるが、ようするに、私自身にもう

少し寛大な心やおっきなケツの穴があったならば、もう少しは我々二人の関係もうまく行っていたのではなかろうかと思われるのだった。また、こんなことを今さら

嘆いてみても後の祭りであって何の意味もないわけだけれども、もしも猫川又美の両親にもう少しばかりの甲斐性があり、少なくとも父親が借金を抱えた失業者など

ではなくきちんとした定職に就いていたならば、東京藝術大学のおそらく国公立大学であるからして目玉が飛び出るほどには高くはない授業料も何とか捻出すること

もできて、結果として猫川又美も夜の飲み屋のバイトで酔っ払いのおっさん相手に酒を注ぐ酌婦などに身をやつすこともなかったわけであり、当時の私は猫川又美の

血筋に対してすらも恨みつらみが募っていくばかりであったが、そもそも、猫川又美の家系は元から貧乏であったわけではなくて、猫川又美の母方の家系はそこそこ

の資産家であったらしく、ある時、たしか毎年恒例の太宰治の墓参りに三鷹の寺を二人で訪れた際、その帰り道に太宰が愛人山崎富栄と心中した昼なのになお薄暗く

空気が淀んだ場所に立ち寄り、私が「俺たちもここで一緒に心中しないか?」と冗談半分に誘えば、浪人時代の猫川又美は常に死にたい死にたい死にたいとばかり言

っていたから「いいよー、一緒に死のう、ねえ、いつ死ぬ?いつ死ぬ?」と冗談半分にノリノリでグイグイ食いついてきたものが、東京藝大に合格した途端急に掌を

返したかのように「絶対嫌だよ、死ぬんなら一人で勝手に死んで下さい、背中押して突き落としてあげるから」と真顔で答えてくるので、何だか私は寂しい気持ちに

なってもいたものだが、そのまま玉川上水を遡ってジブリ美術館経由で井の頭公園までのんびり歩いて行き、池の畔に建つ古民家風の連れ込み宿で私と猫川又美は太

宰のことをぼんやり考えながらしみったれたSEXをするのがお決まりのコースだったのだけれども、SEXのあと二人並んで薄汚れた天井の木目をぼんやり数えながら

猫川又美が話した内容によれば(猫川又美は大嘘つきのため実際どこまでが本当の話かは不明だが)、猫川又美の母方の祖母は元々そこそこの資産家の家に嫁いでいた

が、猫川又美の母親がまだ幼い頃のある日すべての身分や財産そして夫を捨てて別の男と駆け落ちを決行したようで、すなわち猫川又美(と母親)は現在の祖父(父)と

は血が繋がっておらず、その事実を猫川又美も母親もつい最近になってようやく知ったという話であり、ゆえに猫川又美は太宰の作品の中では没落貴族を題材とした

『斜陽』を一番気に入っていて、自分のレミゼラブルな境遇を作中の没落貴族に重ねて自分を慰めているという話であり、そんな寝物語をぼんやり聞きながら私は、

猫川又美の現在のレミゼラブルな境遇や平然と嘘をついたり裏切ったりなど他人の気持ちを思い遣れない鈍感で図々しい傲慢な性格も元を辿ればすべてこの駆け落ち

した祖母が源泉であって、つまり猫川又美の筋金入りの頭のイカれっぷりは母方の先祖代々の血が脈々と受け継がれてきた結果とも言えるわけであり、さらにそこに

猫川又美の事業に失敗し借金抱え失業中の父親の血も掛け合わされ現在の猫川又美の悪い意味での頭のイカれっぷりが形成されているというわけであり、また、駆け

落ちというと駆け落ちした後の話ばかりが注目されがちだが、その裏には必ず駆け落ちされて捨てられた側の人間(猫川又美の祖母が捨てた元夫)が存在するわけであ

り、猫川又美やその家族の不幸や災難や運の悪さや間の悪さなどすべては元を正せばこの駆け落ちされて捨てられた元夫の恨みつらみから発生した強力な呪いに起因

するのではなかろうか?と私はふと思ったりもして、もしもこのまま私が猫川又美との腐れ縁の関係をダラダラと続けておれば、そのうちきっとその恐ろしい呪いが

私の身にも必ずや伝染してくるのではないか!いやもうすでに伝染していて手遅れなのではないのか!という恐怖に突如襲われ思わず背筋がゾクッとし全身に嫌な鳥

肌が立ってきてしまった私の頭の片隅には、猫川又美が東京藝大に受かった頃より生じたある疑惑「猫川又美=さげまん疑惑」すなわち、私があげちんであるのと相

対的に猫川又美はさげまんであり、私はSEXするたび猫川又美から運気を吸い取られていて、そのせいで私の藝術活動がまったくもって上手く行かないという何とも

理不尽で失礼極まりない疑惑が再び呼び覚まされてきて、今日は久しぶりだからもう1回くらいイケるかなとパンツを履かずに半勃ち状態だった私のペニスがあまり

の恐怖にみるみる萎縮していき、そのうち皮まで被ってしまったため、私は2回目は潔く断念し隣りで死体のようにぐったり眠る猫川又美を一人置き去りに風呂場へ

そそくさと逃げ出す始末であった。そして、そんなふうに振り返り今現在の私が苦く思うことは、とにもかくにも、いい歳した立派な大人であった私自身にもう少し

だけ精神的余裕や甲斐性というものがあったならば、我々二人の関係はまた別の形に発展していた可能性もあったかもしれないと思われるフシもないわけでもなく、

また、何度も繰り返し念を押すけれども、私は東京藝大の学生である猫川又美に対して彼女が東京藝大の学生であるという単純な理由による嫉妬の感情などは一切抱

いていなかったことは紛れもない事実であったものの、不満な点は多々あれど、晴れて東京藝術大学の学生となった猫川又美の心がだんだんと私から離れていってし

まうこと、つまり、40絡みの冴えない中年貧乏絵描きである私が東京藝術大学の学生である16歳下の猫川又美に(まるで太宰治版『かちかち山』のごとく)いつかボロキ

レのように無惨に捨てられてしまうことを密かに恐れていたことだけは一概に否定もできず、さらにみっともなくも本音をぶちまけてしまうならば、27歳で藝術家に

なる!と宣言し会社勤めを辞め、実際に33歳で絵を描きはじめてからというもの常に藝術活動に行き詰まってばかりの私の藝術的人生と反比例するかのごとく、まる

で私に当てつけて見せつけるかのごとく、将来アーティストになることを夢見て着々と順調にそして華麗に自らの藝術的人生を輝ける未来へと向かってステップアッ

プさせ続ける猫川又美の姿を目の当たりにした私が正直羨ましく思っていたことは否定しがたい事実でもあり、それは嫉妬とはまた別の感情であると私自身は認識し

そう言い訳したとても、端から見れば、やはり嫉妬していたとみなされてしまっても致し方がないようにも思われ、とどのつまり、私は猫川又美の心を虜にし鷲掴み

し独り占めにする、そして、私自身が「藝術とは一体何ぞや?」とずっと追い求め続けるも、考えれば考えるほど何が何だかわけがわからなくなってきて、いまだに

何が何だかさっぱり理解のできぬ存在であるところの「藝術」という名前の得体の知れぬ何物かに対して理不尽極まりなくも嫉妬していたというわけなのであった。

……

かように、私と猫川又美の関係が徐々に冷えかけてきた時期を象徴する話として、ある時二人で横浜トリエンナーレという現代美術の展覧会に行ったことがあって、

私は朝から晩まで猫川又美に散々あちこちの会場を引きずり回されヘトヘトに草臥れ果ててしまって、おまけに現代美術の展覧会であるからして、それはまるで一日

中壮大で姑息な詐欺に何度も引っ掛かりダマされ続けた後のようなうんざりどんよりとした気分にも陥ってしまって、一方の猫川又美はといえば、さすがは東京藝術

大学の学生だけあって藝術を解する心があるのか大いに満足している様子にも見えたが、すっかり日も暮れかけてきたところを夕食をとるために横浜中華街へと足を

伸ばし適当に見繕った店に入って食事をしている最中に、突然猫川又美が腹痛を訴えて便所に駆け込み、その後は待てども待てども便所から出てこず、私は、しかし

恐ろしく長い便所タイムだなあ、自分の体よりでっかいウンコでもしてるんだろうか?とどまるところを知らぬほど大量のウンコが次から次と出てきて便所が溢れて

大変な騒ぎになって困ってるんだろうか?それともペテン詐欺まがいな現代美術作品をたんまり見たせいで頭がバカになりラリって素っ裸で便所に飛び込んでトレイ

ンスポッティングごっこでもしてるんだろうか?などとビールの酔いが回りはじめた頭でふざけたことをニヤニヤ考えつつ、もしや何か食べ物があたったのではなか

ろうか?と少しだけ心配になりもしつつ、でも男と違って女にはやることがたくさんあるようだし急かすのも悪いしなどと悠長に構えておると、それから15分ほどし

てようやく猫川又美は顔面蒼白脂汗タラタラ流しながら便所から這々の体で出てきたものの、腹痛は一向に治まる気配を見せてはおらず、とりあえずは会計を済ませ

店を出て駅を目指し歩いている途中とうとう猫川又美の腹痛はピークを迎えてしまって、まっすぐ立っていることすらも困難な状態で体をクネクネさせながらその場

にしゃがみ込んでしまって、私はどこかに休む適当な場所はないものかと辺りを見回した先に、市民ホールかシティホテルらしき建物の入口を発見し、一旦そこのロ

ビーを借りて猫川又美を休ませることにしたのだけれど、猫川又美の腹痛はロビーのソファーに寝転がっていても激痛に体をクネクネとよじらせるほど重篤であり、

私は猫川又美の背中をやさしくなでさすりながら耳元で、大丈夫か?相当痛いのか?救急車呼んだほうがいいのか?と確認すると、猫川又美はコクリとうなずいたた

め、至急フロントの係の人に救急車を呼んでもらい、程なく救急車は到着し、そして猫川又美は近くの海沿いの救急総合病院に搬送されることとなり、私もそれに付

き添って同乗し、私は救急車に乗るのが生まれて初めての経験であったものだから、救急車というのは近くで見ると赤い光がピカピカテカテカピカピカテカテカと大

袈裟にまぶしくてピーポーパーポーピーポーパーポーと大袈裟に喧しくうるさいものなんだなあと子供じみた感想を抱きつつ、救急車内の簡易ベッドに横たわる猫川

又美の蛍光灯に照らされたお出かけ用にいつもより念入りにバッチリメイクされてはいるがところどころ化粧の剥げかかった蒼白い顔をぼんやり眺めながら、その蒼

白く苦悶する猫川又美の顔を付き合いはじめてから随分と長い時間が経つけれど今まで見た中で一番美しいと思ったのだった。それから猫川又美は同乗する救急隊員

の目などまったく関せず私のほうへよろよろと手を差し伸べ私の手を強く握りしめてきて、せっかくの楽しいデートだったのにこんなことになってしまって本当にご

めんなさいごめんなさいごめんなさいとしきりに謝り続けて、私はそんなことは全然気にしていないから大丈夫だからしっかりしなさいと猫川又美の手を強く握り返

して、もしかしたら猫川又美はこのまま死んでしまうのではなかろうか、もしも猫川又美が死んだら俺は悲しくて涙を流すだろうか、そして猫川又美がいなくなった

ら俺はひとりぼっちで生きていけるだろうか、いやむしろ猫川又美がこのまま死んでくれたほうがスッパリと腐れ縁の関係を絶つこともできて俺にとって好都合なの

かもしれないな、でも猫川又美がこのまま死んでしまったらあのプリップリのケツに二度と触れなくなってしまうんだよな、あのプリップリのケツが触れなくなるの

だけは何だか寂しいことだよなあなどと頭の片隅で縁起でもない失礼なことをぼんやりと考えてもいて、私は猫川又美の蒼白く美しい顔をもっと長い時間できること

なら永遠に眺めていたかったのだけれど、無情にも救急車はすぐ(10分足らずで)海沿いの救急総合病院に到着してしまい、そしてその頃には何ともバツが悪いことに

あれほど激しかった猫川又美の腹痛が嘘のようにピタリと治まってしまっており、救急隊員から今の腹痛の度合いを5段階で表すとどれくらいかと問われた猫川又美

は正直に1などと答えてしまっていて、それを聞きながら私はバカだな嘘でも4とか3とかもう少し上に答えておけばいいものをと内心苦々しく思ってもいて、案の定

猫川又美は病院の看護師(中年女性)から救急車をタクシー代わりに使用してはいけません、生理痛はきちんと自己管理なさいと、きっちり嫌味に近い小言を言われる

始末であった。結局その時の猫川又美の腹痛の原因は後日の精密検査で子宮内膜症という女性特有の病気からくるものだったと判明するわけだが、夜中の人気のまっ

たくないシーンと静まり返った海沿いの救急総合病院に到着した途端に嘘みたいにケロリと前よりもいっそう元気になってしまった本当に腹が立つほど間が悪く、さ

らに急患担当の若い男性医師より触診のため膣の中の奥の奥までグリグリ指を挿入されてすごく痛かったなどと明け透けに話す能天気な猫川又美をぼんやり眺め遣り

ながら私は、一時はどうなることやらと心配したが最悪の事態には至らずとりあえずは一安心といったところだけれど他人に迷惑ばかりかけておきながら今じゃ涼し

い顔で廊下をスキップして口笛まで吹きやがって本当に人騒がせな女だよまったくと少しばかり苛立ちはじめ、そしてその苛立ちの捌け口の鉾先が自然と猫川又美の

肉体(特にプリップリのケツ)へと向かってムラムラと欲情してしまった私は、I'm A Fool To Want You、もはや我慢がきかなくなり肉欲に飢えた一匹のケダモノと成

り果ててしまって、その後、猫川又美に本当に大丈夫か?無理しなくてもいいんだぜ、本当に大丈夫か?嫌だったら断ってもらって全然構わないんだぞ、本当に大丈

夫か?本当に本当に本当に大丈夫か?としつこく何度も(おそらく100回ほど)確認し、もうしつこいな、大丈夫って言ってるでしょうと猫川又美の同意を得た上で、

駅前の連れ込み宿(ラブホテル)にしけこみ、終電間際の束の間猫川又美の肉体を鬼畜のごとく貪り尽くすのであった。そして、これは後日判明したことだけれども、

猫川又美が中華街で腹痛に堪え切れず救急車を呼んだ場所、つまり私が市民ホールかシティホテルと見紛った建物とは、実はなんと!結婚式場(ブライダルホール)で

あり、結婚式場から救急車で運ばれるなんて何とも縁起が悪く、あたかもそれは私と猫川又美二人の暗澹たる行く末を仄かに暗示しているようにも見えるのだった。

……

それからのちに我々二人の間に起こった出来事の顛末はこれ以上書くと訴えられる可能性も出てきてしまいそうなので後日気が向いた時にあらためて書ければ書くこ

とにしてここでは省略するけれども、最後に会った時、猫川又美が発狂し錯乱状態に陥る直前に私に言い放った言葉を今でも私は一言一句違わず正確に覚えている。

「あのさー、私がなんであなたと付き合ったか教えてあげようか、それはね、かわいそうだったから、なんかさー、なんだかさー、すっごく寂しそうに見えたんだよ

ねー、もしも私と別れて、私がいなくなったら、誰もあなたとなんか付き合ってくれないよ、ずっとひとりぼっちで生きてゆくんだよ、それって、すっごく寂しい人

生だよね、本当にかわいそうな人だよね」その猫川又美の言葉の真意は計り知れないけれども、それが猫川又美の心の奥底にずうっと眠っていた本音であろうとも、

負け惜しみからくるヤケッパチな捨て台詞であろうとも、発狂寸前の錯乱がもたらした無意識のうわごとであろうとも、私の心の奥底の一番ヤワな場所にグサリと突

き刺さったことに変わりはない。そうか、俺はかわいそうな人だったのか、田舎からはるばる上京してきて悪い男にダマされて処女喪失したレミゼラブルな猫川又美

のことをかわいそうな女と思って付き合ってあげたはずなんだけどな、そうか、俺のほうこそかわいそうな人だったわけか、ふーん、そうか、そうだったのか。しか

し、何だろうか、行き着くところ、結局世の中金なんだな、愛だの恋だの何だのと言ったところで、結局金には敵わないんだな、もちろん以前から薄々気がついても

いたし、気がついてはいたけれど、決してハッキリとは認めたくなかったけれど、結局世の中すべて金なんだな、とても哀しいことだけど、結局世の中すべて金なん

だな、だけども、それじゃあまりにも哀し過ぎるよな、インチキやズルはしないだとか、嘘はつかないだとか、他人の気持ちを思い遣るだとか、悪いことしている人

間に対して悪いことはいけないことだときちんと諭してあげるだとか、困ってる人がいたらできる限り助けてあげるだとか、決して偽善的な自己満足のきれいごとな

んかじゃなくって、世の中には決して金では買えない大切なものだって、まだまだきっとたくさんあるはずなんだけどな、貧しい人間は心まで貧しくなってしまうん

だろうか、金なんて必要最低限あれば大抵事足りるし、金がたくさんなければ幸せになれないわけでもないし、もしかしたらこんなこと言うのも立派なきれいごとと

みなされてしまうのかもしれないけれど、ようするに、心の持ちよう、心がどうあるかこそがもっとも重要だと思うんだけどな、自分の心が空っぽだったり薄っぺら

なのを自覚してるからこそ、みんなこぞって上っ面の表層部分を飾り立てようとするんじゃないのか、どこの学校出たとか、どこに住んでるとか、どんな服着て、ど

んな車乗って、どんな役職で、貯金がいくらあって、どんな賞もらったとか、どいつもこいつも猫も杓子も、金や地位や名声など世の中の上っ面な部分にばかりに囚

われて、己の内面にある人間として本当に大切な部分を磨きあげたり、己の魂を高めることをすっかり忘れて、平然と他人を踏み台にして土足で踏みにじって、用が

済んだらさっさとお払い箱にして蹴落として、他人がどう思おうとどうなろうと自分さえよければ一切お構いなし、ただ目先の欲を満たすことばかりに汲々として、

ただ自分さえ良ければそれで結構すべて結構コケコッコー、それじゃあ、まるで犬や猫や猿や豚や鳥や虫けら畜生どもと何ら変わりがないではないか、俺たちは人間

の形をした畜生に過ぎないのか、俺たちは人でなしのケダモノに過ぎないのか、俺たち人間だろ、俺たち人間だよな、いやいや、待てよ、ていうか、そんなこと一丁

前に偉そうに語ってるこの俺は、自分のこと棚に上げて、偉そうに猫川又美のこと責め立てたりしてるけど、そもそも、この俺は、他人に対してそんな偉そうなこと

語ったりできる資格が果たしてあるんだろうか、むしろ、俺のほうこそが、犬や猫や猿や豚や鳥や虫けら畜生どもと何ら変わらない人間の形をした人でなしのケダモ

ノに過ぎないんじゃないのか、そもそも、猫川又美とかれこれ5年も付き合ったのだって、最初は16歳下の若い女の体が目当てであって、途中から愛のようなものが

芽生えかけてきたような気もしてたけど、そんなものはただの錯覚に過ぎなくって、それは愛なんて呼べるものじゃなくって、ただ単に猫川又美の肉体に欲情してケ

ダモノみたいにせっせとペニスおっ勃ててただけなんじゃないのか、何もこれは猫川又美に対しての話だけに限らず、俺の今までの人生において付き合ってきた女た

ちに対してだって、これっぽっちの愛なんてものはなくって、ただ肉欲に囚われてケダモノみたいにせっせとペニスおっ勃ててただけなんじゃないのか、そして、飽

きてしまえば、愛が終わったからとか何とか、愛が何なのかすらさっぱりわからないくせに出来合いの適当な屁理屈見繕ってつべこべ並べ立てて、相手や自分自身を

誤摩化して都合良く捨てて逃げてきただけなんじゃないのか、もしかして俺は今まで誰か他人を本気で愛したことなんて一度もないんじゃないのか、そもそも他人ど

ころか自分自身すらも愛したことなんて一度もないんじゃないのか、ケダモノみたいにペニスがおっ勃って、ペニスがおっ勃っているからっていう、ただそれだけの

原始的野獣的単純明快な理由だけで、それを愛だと勘違いしていただけなんじゃないのか、結局、俺の中には肉欲以外何もないんじゃないのか、俺はただの肉欲の塊

に過ぎないんじゃないのか、肉欲が服着て歩いてるだけなんじゃないのか、しかし、そもそも愛と肉欲の間に明確な違いなんてあるのか、愛って一体なんなんだ、昔

の有名な偉い小説家もたしか言ってたじゃないか、恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものであるってさ、あまりの夏の暑さに絶望して自殺した小説家だったかな、

いや、梅毒にかかっているかもしれないことに絶望したんだっけか、将来に対するぼんやりとした不安みたいなことが遺書に書かれていたみたいだけど、さすが小説

家だけになかなか鋭いことを言ってくれるじゃないかって俺は感心したもんだけどな、しかし、実際のところ俺以外の他の奴らはみんな愛と肉欲の違いをきちんと理

解しているのだろうか、たぶん理解してないだろうな、理解できるわけがないよな、ああ、愛ってなんなんだ、俺は畜生なのか、俺は人間なのか、俺は人でなしなの

か、俺は人間なのか、俺はケダモノなのか、俺は人間だよな、俺たち人間なのか、俺たち人間だよな、俺たちケダモノなのか、俺たち人間だよな、なあ、なあ、なあ

ってば、誰かなんとか言ってくれってばよ、なんだか哀しくってやりきれなくなっちまうからよ。そして、その時、私は33歳で絵を描きはじめるようになってからと

いうもの、四六時中暇さえあれば真剣に考えに考えてもなお答えの見つからなかったある永遠の問題に対する答えの片鱗が垣間みられたような気がしたのであった。

すなわち、それは、(Q)「どうしてウンコはくさいのか?」という問題に対する答えであり、かつて新宿御苑前の天井の高いイタリアンレストランにて猫川又美が一瞬

で導き出し猫川又美という人間をこいつはただ者ではないぞと私に一目置かせるきっかけとなった答え、(Q)「どうしてウンコはくさいのか?」→ (A)「間違えて食べな

いように」をようやく覆すこともできそうなほど素晴らしい答えなのであった。その時、私の頭の中に閃いた答えとは、(Q)「どうしてウンコはくさいのか?」→ (A)

「なぜなら、それは、人間という生き物は、自分自身が醜いケダモノであることもすっかり忘れいい気になって隙あらばきれいごとを並べ立てその場を取り繕おうと

したり、自分を実際以上に大きくみせようと偉そうにしたがる狡猾で愚かな生き物であるため、人間を作ったとされる神様が(私はまったく信用してないが一応そうい

うことにしておいて)、人間のウンコを鼻が曲がるほどくさくして、毎朝尻の穴からくさいウンコが飛び出てくる自分自身のことを醜いケダモノであるとウンコをする

度に繰り返し再認識させ、きれいごとや偉そうなことばかり言わずに身の程を知って羞恥心をもってもっと謙虚に慎ましく生きなければならぬのだと身をもって思い

知らせるために、ウンコはくさいのである」という答えであり、私は我ながら素晴らしい答えを導き出したものだと自画自賛しつつ、爾来、朝の便所の個室で己の尻

の穴からひり出すウンコのニオイに噎せ返りながら、やはり人間という生き物は醜いケダモノであるがゆえ、自分も他人も人間という生き物は一切信用してはならぬ

のだと肝に銘じ、今後はこれまで以上に冷徹ニヒリスティックな人間嫌いの成れの果てを気取った一匹のケダモノとして孤独に生きていく決意を固めるのであった。

……

人間の記憶というものは知らず知らずのうちに高性能フィルターやら自動ノイズキャンセラーやら思い出思いやり補正やらが掛けられて何とも都合よく手前勝手に美

化されがちであるがゆえ決して信用してはならぬのが世の常であるが、時の流れは何とも早いもので猫川又美と別れて10年近くが経ち、今じゃ人間嫌いの成れの果て

を気取った一匹のケダモノとして孤独に生きる姿もすっかり板についてきた私は「あれからもう10年になるんだな、付き合っていた当時は暇さえあればケンカばかり

してかなりヘヴィーな辛いこともたくさんあったはずなんだけど、別れた後もたまに思い出して怒り狂っていたこともあったはずなんだけど、振り返って今思えば、

とにかく常にジェットコースターに乗っているかのような刺激的で意外と楽しい毎日だったんだよな、若干刺激が強過ぎたがな」などとかつての交際相手猫川又美と

の記憶の数々をあれこれ回想しながら少しばかりセンチメンタルな気持ちになって遠い目をして、ふと我に返れば、目の前の空には相変わらず巨大なウンコがポッカ

リと浮び今では夕陽を浴びキラキラと光り輝いていて、そんな巨大なウンコを眺めていると、自分の存在や自分の悩みごとなんてものは別に全然大したことではない

ようにも思われてくるから不思議なものである。もちろん今現在抱え込んでしまっている厄介な憂いごとのすべてが魔法みたいに跡形もなく消え去って根本的に解決

するわけでもなく、それらは再び日常生活に戻れば否が応でも死ぬまで自分に付きまとい永久に解決することのない問題でもあるわけだけれども、少なくとも巨大な

ウンコを眺めている間だけは、世の中のあらゆるすべてがもう本当にどうでもよくなってしまうのだからまったくいい気なものである。恐るべしウンコパワー、ウン

コは人間を決して裏切らない、どうせならば、もういっそのこと将来はウンコの見える部屋に住んでしまえばいいのではないのか、いつもウンコを眺めながら上機嫌

でいられるなんて素敵なことじゃないか、でもウンコを眺め過ぎるとご利益も減ってくるのかもしれないな、お気に入りの音楽アルバムの中の大好きな曲ばかり聴き

続けているとそのうち飽きてそのアルバム自体を二度と聴きたくなくなるみたいに、それにウンコに光が乱反射してキラキラまぶし過ぎて仕事にならないかもしれん

しな、実際住んでみないことにはどうなることかわからないけれど、思い出してたまに見に来るからこそありがたみも増してきたりもするんだろうな、空に浮ぶ巨大

なウンコは夕陽を浴びて気持ち良さそうにキラキラと光り輝いている、あんなふうにキラキラできたらさぞかしウンコ冥利にも尽きるんだろうな、ウンコのくせして

キラキラしやがって、ウンコのくせして威風堂々と調子に乗っていい気になりやがって、でも本当に気持ちがよさそうだ、そんなふうにキラキラと抜群にイカしてる

ウンコを見に訪れる度いつも嫌なことなどすっかり忘れられて元気になって勇気づけられて、世の中まだまだ捨てたもんでもないな、もう少しだけ頑張って生きてみ

ようかなどと決してポーズでもなく心の底からそう思えたりも出来る。そういったある種の精神安定剤みたいなものがこの世界にたしかに存在していて、足を伸ばせ

ばいつでもふらりとしかもお金もかからず見に訪れることが出来るということが何とも頼もしくほとんど奇跡とすら思えてくる。そして、そんなふうに見る度に見る

人にそんな気持ちにさせる精神安定剤のような素晴らしい藝術作品をいつの日にか自分も作って残せたらいいなと強く思う。そして、おそらくそれこそが藝術という

ものの役割であり、それこそが藝術というものの存在意義であり、それこそが私が藝術活動をおこなう唯一の理由に他ならないのではないかとあらためて確信する。

……

猫川又美と別れて10年近く経った今現在も私は引き続き、(Q)「どうしてウンコはくさいのか?」という問題に対する答えを探し求める藝術的な心の旅の途中にいる。

10年前、猫川又美と別れた直後の陰々滅々な気分の中で私は、(Q)「どうしてウンコはくさいのか?」→ (A)「人間のウンコを鼻が曲がるほどくさくして、毎朝尻の穴か

らくさいウンコが飛び出てくる自分自身のことを醜いケダモノであるとウンコをする度に繰り返し再認識させるために、ウンコはくさい」と冷徹ニヒリスティックな

答えを(まさに体を張って)導き出し、当時は、もうこれしかない!と束の間有頂天となってもいたものだが、やがて時間が経つにつれ徐々にまだまだそれは完璧な答え

ではないと思えてきて、その後も、その折々の感情やコンディションにより導き出される答えも私の中で刻々と一進一退変化し続けて、やはりこれしかありえない!

という決定的な答えはいまだ見つからずじまいのまま現在に至る。何が正解かなんて人それぞれに違っていて、もしかしたら正解なんてどこにもないのかもしれず、

物事のすべてに理由があってもそれはそれで妙につまらぬ窮屈な世の中であり、答えはハッキリさせずに遊びの部分を残したまま曖昧にしておいたほうが都合のよい

こともあったりするのかもしれぬが、何はともあれ、今現在も私は日夜懸命に答えを探し求め続けている。かつて猫川又美が一瞬で導き出した答え、(A)「間違えて食

べないように、ウンコはくさい」も真理であり、猫川又美と別れた直後の10年前に私が導き出した答え、(A)「人間は醜いケダモノであると思い知らせるために、ウン

コはくさい」もまた真理であろう。でもそれらはまだまだ決定的な、もはやこれ以外には考えられない!というドンピシャな究極の答えではなく、おそらくは猫川又

美の答えと私の答えをミックスさせた上で、さらに例えば、(A)「道端のウンコに蠅がたかるように何かを惹き付ける魅力的なニオイを放つため、ウンコはくさい」み

たいな理由もプラスαで付加して藝術的な方向へ寄せてやると良い塩梅になるのではないかと考えていたりもする。決定的な答えがもうすぐそこまで出かかっているよ

うな気がしないでもなく、本当に後もう一息のところまで来ているんだよなあともどかしく悔しく感じつつ、つい先日50歳(知命)の誕生日を迎えたばかりの今現在の私

が考える、(Q)「どうしてウンコはくさいのか?」という問題に対する答えをまとめると大体以下の通りになるだろう。人間は毎日尻の穴からウンコをひり出しながら

生きる全身に血の通った生き物であり、つまりはただのくそったれなケダモノの一種に過ぎぬわけだけれども、ロボットのようにあらかじめプログラミングされ命令

されたことに忠実に従うだけのお利口さんな機械人間などではなく生身の人間なのだから、きちんと自分の頭で考えて自分の思う通りに人間らしく生きていけという

意味を込めて、ウンコはくさい。また、人間はくそったれなケダモノの一種に過ぎぬとはいえども、自分の尻の穴からひり出した自分のウンコを食べてしまうような

愚かな犬猫豚畜生ではなく、もしも自分のウンコを食べてしまったら犬猫豚畜生に成り下がってしまうので、ウンコを間違って食べないように、ウンコはくさい。す

なわち、人間とは所詮はロボットと犬猫豚畜生との中間に位置する中途半端なくそったれなケダモノの一種に過ぎぬわけだけれども、ロボットでも犬猫豚畜生でもな

く、まさしく人間であるのだから、ウンコのくさい人間くさい人間として、ウンコのくさい人間くさい人間としての尊厳を守りつつ、ウンコのくさい人間くさい人間

としての誇りを胸に抱きながら、ウンコのくさい人間くさい人間としての羞恥心も決して忘れず、ウンコのくさい人間くさい人間として、人間くさく人間らしく生き

ていけという意味を込めて、ウンコはくさい。そして、人間は完全な生き物ではなく、人間はいつも完璧でいられるわけでもなく、それは今目の前の空にポッカリと

浮ぶ巨大なウンコが、当初は赤い炎を目指していたところ、いつの間にやら気づいた時にはどこからどう見ても誰が見ても紛うことなきウンコ以外の何物でもなくな

ってしまったことからでも明らかであるように、時には失敗もするし、間違うし、嘘もつくし、屁もこくし、ウンコもするし、そして、もちろんウンコはくさい。勲

章をもらった偉人も、絶世の美人も、可愛いアイドルも、みんなことごとくウンコがくさい。ウンコがくさいという絶対的な事実から人間は誰一人として逃れること

はできない。神様の最高傑作などと自惚れているくせしてしっかりとウンコはくさい。最高傑作ならばウンコがくさいわけがなく、つまりすべての人間はある意味欠

陥品であるとも言える。ゆえに、人間はウンコがくさいただの不完全な欠陥品のくそったれなケダモノの一種であるという事実から決して都合良く目を逸らしたりは

せず、人間は神様の作った最高傑作であるなどと身分不相応にのぼせあがったりもせず、もちろんインスタにウンコの写真をあげたりカレーにウンコを混ぜて食べた

り食べさせたりなど人間の尊厳を甚だしく損じる羞恥心の麻痺したような愚かな行為には極力手を染めたりもせず(さすがの岡本太郎も藝術のためならウンコを食べて

もいいとは書いていないし、かのウンコ好きで有名なフランク・ザッパも自伝の冒頭に「俺はウンコなんて食ってない、ウンコ食ったのはアリス・クーパーだ!」と

わざわざ書いているくらいであり、ある意味人間はウンコに対しどのように向き合うかによって人間としての度量を試されているのかもしれず)、とにもかくにも、人

間はウンコがくさいただの不完全なくそったれなケダモノの一種であるという紛れもない事実をきちんとわきまえた上で肝に銘じ、常に謙虚に慎ましく、そして強く

逞しく人間らしく人間くさく生きていけという意味を込めて、ウンコはくさい。そして、そんなふうにウンコがくさい不完全なくそったれなケダモノの一種の人間と

して日々を生きていく中で、それでもまだ心に余裕がある時には、その自らの不完全な欠落部分を埋めるべく、もしくは欠落部分を果敢に乗り越えていく覚悟をもっ

て、束の間自分たちの欠落部分をうっとりと忘れさせてくれるような、誰かを惹き付けるニオイのきちんとする人間くさい藝術作品を己の身内からウンコをひり出す

ように生み出し、その生み出された藝術作品から漂う人間くさい魅力的なニオイで人々を惹き付け、人々を魅了し、感動させたり、元気づけたり、勇気づけたり、世

の中まだまだ捨てたもんじゃないな、生きていて良かったなと思わせてやれという意味を込めて、ウンコはくさい、などなどなど、まだまだ全然まとめ切れてはおら

ず、口から出まかせで辻褄も合ってはおらず、力技でねじ伏せているきらいがないでもなく、まだまだ考える余地もたくさんあり、考えれば考えるほど、本当に考え

れば考えるほど、さらに深みに嵌まり込んで頭がこんがらがってわけがわからなくなってきてしまうけれども、おそらくは一生かけて追い求めていかなければならな

い問題でもあり、一生かけて追い求めても答えが見つからない問題でもあり、もしかしたらこんなことを考えること自体にもまったく意味などないのかもしれぬが、

そう考えてみると、自分の表現する絵も文章も所詮はウンコと何ら変わりがなく、そもそも人間もこの世にウンコみたいに何の意味もなくひり出されてきた誰かのウ

ンコみたいなものであり、人間がこの世に存在する意味など別になくて、もちろん私がこの世に存在する意味なども別になくて、人間なんてみんな石ころみたいにた

またまそこら辺に転がって存在しているに過ぎず、おそらくサルトルとか深沢七郎とかブコウスキーは皆同じこのことを言っているのだと思うのだけれども(実存主義

とかいうのか)、とにかく人生には意味などなくて、人間にも意味などなくて、この世に存在するあらゆるすべてのものにも意味などなくて、今私の目の前の空にポッ

カリと浮ぶ巨大なウンコが夕陽を浴びてキラキラ光り輝いていることにも意味などなくて、それを今こうしてうっとり眺めている私自身にも意味などなくて、でもそ

れじゃ何だか哀しいし寂しいし虚しいから、サルトルは『反吐』みたいな題名の小説の中で、主人公がジャズのレコードを聴いている時「自分が死んだ後に何かしら

自分の存在を思い出してもらえるようなそんな素晴らしい藝術作品をこの世に残さなければならない」と悟らせるんだったっけか、うろ覚えで、もしかしたらまった

く見当違いな解釈かもしれないけれど、私が今目の前の空にポッカリと浮び夕陽を浴びてキラキラ光り輝く巨大なウンコを眺めながら考えることは大体そんなところ

であり、まあ、この世のすべてに意味などないのならば、考えても仕様のないことは所詮考えても仕様のないことであり、まあ、気張らずにウンコをひり出すような

感覚でこれから先も藝術と向き合っていけばいいんだよ、藝術なんていくら気取ってみたところで所詮はウンコと何ら変わりないんだからさ、そもそもウンコが空に

ポッカリと浮んでるだけでもこれだけ大喜びできて幸福な気分に浸れるのだからね、物事を複雑に考え過ぎず、もっと肩の力を抜いてのんびり気楽に生きていけばい

いんだよ、と巨大なウンコに説教されているような気もだんだんしてきて、私は、左様ですか、ならばそうさせてもらいますよ、藝術なんて所詮はウンコと何ら変わ

りないんですもんね、とさらにどんどん気が楽になっていって、それにそもそも藝術作品を生み出すことは人間の義務などでもなく、岡本太郎は藝術をわからないな

んて言う奴は人間じゃないとまでハッキリ言ってしまっているけど、まあ、何はともあれ、表現したいことがあれば表現すればよく、別に表現したいことなど何もな

い時は無理して表現しなくてもよいわけで、それこそが表現の自由、藝術の自由ってことなんだろう、藝術はとにかくウンコみたいに自由でよいというわけであり、

結局とどのつまり、岡本太郎の『今日の芸術』にまた戻ってきてしまうわけだけれど、己の身内からひり出すウンコを藝術へと昇華させ藝術作品として表現した時に

初めて人間はウンコがくさいただの不完全なくそったれなケダモノの一種であるという事実から逃れられ一人の人間となることができるのならば、もしかしたら、(Q)

「どうしてウンコがくさいのか?」→ (A)「人間に藝術作品を作らせるために、ウンコはくさい」のかもしれない、 (A)「もっと藝術的に生きろ!と人間を叱咤激励する

ために、ウンコはくさい」のかもしれない、すなわち、端的言うと、(A)「人間だったら藝術作品を作れ!という意味を込めて、ウンコはくさい」のかもしれない、何

だかサルトルっぽくなってきたじゃないか、まるでサルトルが憑依してきたみたいだ、ところでサルトルもウンコしてたんだろうか、実存主義とか言って小難しい哲

学垂れ流していても、サルトルだって毎日尻の穴からウンコをひり出して、もちろんサルトルのウンコもくさかったわけだ、ウンコがくさいという絶対的な事実を前

にしてはあらゆるすべてが無力化してしまう、ウンコの前ではサルトルだって哲学だってもうお手上げだ、恐るべしウンコパワー、目の前の空にポッカリと浮ぶ巨大

なウンコは夕陽を浴びてキラキラと光り輝き続ける、藝術とは一体なんぞや?と問われたならば、あらためて藝術はウンコみたいなものであり、それ以外はさっぱり

よくわからんと私は答えることだろう、この世のすべてに意味があるようで、この世のすべてに意味がない、けれども、自分自身の人生そのものを一つの藝術作品と

して捉えるならば、今までの私の50年に及ぶ決して他人に誇ることなどできぬ本当にろくでもない人生の中で起こったすべての出来事が、自分の人生という藝術作品

の一部であり、それは私が毎日尻の穴からひり出すウンコにしても、時たまペニスからしぼり出すなけなしの黄ばんだ精液にしても決して例外でなく、自分の人生と

いう藝術作品に欠かすことのできないかけがえのない一要素であり、私が27歳の時に藝術家になる!と宣って会社勤めを辞めたことも、33歳で絵を描きはじめたこと

も、猫川又美と出会ったことも、その後の5年に及ぶ腐れ縁の関係も、別れた後の10年も、いつしか絵が描けなくなったことも、文章を書きはじめたことも、文章が書

けなくなったことも、この書けなかった1年も、今日という1日も、今こうして目の前の空にポッカリと浮ぶ巨大なウンコを眺めながら私が藝術やウンコについてあれ

やこれやと考えているこの一瞬も、私の人生という藝術作品には決して欠かすことのできないかけがえのない一要素であり、私にとって決して無駄ではなく、きっと

意味があったし、意味があるし、これから先もきっと意味があるはずだ、人生にはまったく意味などなくても、それでも人生にまったく意味がないことにも、きっと

何かしら意味があるはずだ、人間がこの世に存在することにまったく意味などなくても、それでも人間がこの世に存在することにまったく意味がないことにも、きっ

と何かしら意味があるはずだ、人生は自分が思うほど長くは続かない、気づいた時は手遅れだ、描こうが描くまいが、書こうが書くまいが、表現しようがしまいが、

いずれにせよ、人間はいつか必ず死んでしまう、この私だっていつか必ず死ぬだろう、もしも己の身内に表現すべきものがあるならば、是が非とも表現しなければな

らぬものがあるならば、すべて出し切り後腐れなくあの世へと旅立つべきではないのか、己の身内からひり出すウンコを藝術へと昇華させ藝術作品として表現して初

めて人間はウンコがくさいただの不完全なくそったれなケダモノの一種であるという事実から逃れられ一人の人間となることができるのである、そして藝術というも

のは自分の人生という一生涯をかけて死ぬまで追求していくものである、自分の人生という題名の藝術作品を最高傑作として仕上げて完成させるべく、これから先も

私は藝術とウンコについて考え続けてゆかなければならない、そう考えたら何だか急にウンコがしたくなってきた!今私はウンコの話が猛烈に書きたくなってきた!

……

そんなふうに今現在50歳(知命)の私がぼんやり考えている素直な気持ちを無性に誰かに聞いてもらいたくなってきて、でも今の私にはそんなウンコの話を気軽に話せる

相手なんて誰一人としているはずもなくて、そして、私はまたしても猫川又美のことをふと思い出し、そう考えてみると気軽にウンコの話ができる相手がいたという

のはかけがえのない素晴らしいことだったんだなとしんみりと思ったりもする。そんな相手は探そうと思って簡単に見つかるものでもなく、もしかしたら本当に奇跡

に近かったのかもしれない。そして、その時、私は唐突に猫川又美にメールしてみようかと考える。久しぶりに猫川又美にメールしてみるか、件名は『ユリイカ?』

がいいだろう、ビックリマークではなくクエスチョンマークを付けてやれ、メールには必ずウンコビルの写真を貼付してやろう、文面はどうするか?「俺はとうとう

見つけたよ、君の答えを凌駕するような素晴らしい答えをね、でもまだまだそれは決定的な答えではないようだから、件名は『ユリイカ!』ではなくて、今回は『ユ

リイカ?』にしておくよ、君が今どこでどうしているのか俺はまったく把握してないけれど、前に言ってたように電通社員と結婚して幸せな家庭を築いているのか、

世界を股にかけ国際的に活躍するアーティストに無事なれたのか、今の君が幸せかどうかなんて俺にとってはもうまったく関係ないことだし正直どうでもいいことな

んだけど、俺がどうでもよくないと思っているのは、例のウンコの問題なんだよ、そう、いつか新宿御苑前の天井の高いイタリアンレストランで君に話した、(Q)「ど

うしてウンコはくさいのか?」という問題だよ、あの時、東京藝術大学に無事合格して自信満々の君は俺のことを散々バカにして鼻で笑って、そしてそのあと君は一

瞬で見事な答えを導き出し俺をアッと驚かせてくれたよね、それがあまりにも悔しかったものだから、いつか君をギャフンと言わせてやろうとその後も俺は引き続き

君と別れてからもずっとずっとずっとずっと、あの時の君の答えを凌駕するような答えを探し求め続けてきたんだよ、そしてそれはようやく見つかったような見つか

っていないような、サルトルにもちょこっと手伝ってもらったりとかしてね、何だか奥歯に物が挟まったような感じなんだけど、だから、件名は『ユリイカ!』では

なくて、今回は『ユリイカ?』にしたんだよ、あ、これはさっきも書いたっけな、とりあえず今俺の考えていることを誰かに聞いてもらいたいと思ってね、突然メー

ルしてみたんだけど、迷惑だったかな、迷惑に決まってるよな、でもこんなウンコの話なんてできる相手は君以外に思いつかなかったんだよ、そうそう、俺はこない

だとうとう50歳になってしまったよ、そして50歳になった今でもまだウンコのことばかり考え続けているんだよ、さすがに50歳になってもウンコのことばかり考え

ているとは夢にも思ってなかったから自分でも正直ビックリしてるんだけどね、でも実際50歳になっても俺はウンコのことばかり考え続けているってわけなんだよ、

最近じゃ寝入りばなにウンコ漏らす夢とか見てハッと飛び起きてパンツの中を確認して、漏らしてなくて良かったとかホッとしたりしてるんだよ、老いるっていうの

はそういうことなんだろうね、きっと君はまた鼻で笑って俺のことバカにすると思うけど、何と言っても、俺にとってウンコという存在は藝術作品と言っても過言で

はないのだからね、ウンコについて考えることは、すなわち藝術のことを考えることとイコールになるんだよ、俺にとってウンコという存在は藝術作品であり、藝術

作品はウンコであり、藝術活動は排泄行為であり、排泄行為は藝術活動であり、そして俺の人生は一つの藝術作品であるとも言えるわけで、すなわち俺にとってウン

コのことを考えることは、俺の人生という藝術活動の一環に他ならないというわけなんだ、つまり俺の人生は藝術作品であるわけだから、藝術とは一生涯をかけて命

懸けで追求していくものであり、そして藝術はウンコと同じようなものでもあり、すなわち俺は一生涯かけて命懸けでウンコについても追求していかなければならな

いってわけなんだよ、何だか自分でも何言ってるんだかわからなくなってきてしまったよ、君には理解できるかい、できるわけないよな、俺が理解できてないんだか

らな、そして、もちろんこれから先も、60歳になっても、70歳になっても、80歳になっても、生きている限り死ぬまで俺はずっと藝術とウンコについて考え続けて

行くつもりだよ、これだけは絶対に譲れないんだよ、しかし、藝術っていうのは一体全体何なんだろうな?考えても考えてもわからなくて、考えれば考えるほどさら

にさっぱりわけがわからなくなってきてしまうんだよな、それから…」そんなふうに具体的なメールの文面を頭の中に打ち込みながら私は、ケンカ別れして10年後に

元交際相手の頭のイカれた男から突然こんなメールが届いたらさぞかし驚くに違いないだろうな、さすがに普通に考えてヤバい人になっちゃうよな、いかんせん内容

が他でもないウンコの話だもんな、完全に頭おかしいよな、下手したら警察沙汰になるかもな、警察沙汰は洒落にならんよな、などとニヤニヤ考えていると突然「す

みませんが」と声をかけられハッと我に返れば、すぐ横には田舎から出てきたばかりのような20代前半と思しき若い実直そうな警官がいつの間にやら立っていて「先

程から長時間ここにおられるようですけれど、失礼ですが、一体何をされてるんでしょうか?」と慇懃に尋ねてきて、驚きのあまり頭が一瞬で真白になってしまった

私は「最近絵が描けなくなってその代わりに文章を書いていたらその文章も書けなくなって行き詰まってしまったものだから、いつものように自転車ビュンビュン飛

ばして50分かけてここまでやって来て空にポッカリと浮ぶ巨大なウンコをぼんやり眺めながら藝術やウンコや昔の彼女についてあれこれ考え続けているうち突然サル

トルが憑依してきて真理らしきものを発見したような気がして、そしたら無性に誰かに聞いてもらいたくなって10年前に別れた昔の彼女に思い切ってメールしてみよ

うかと文面をせっせと考えておりまして、件名は『ユリイカ!』ではなく今回は『ユリイカ?』にしようかなと、でも考えてみたら別れた直後にメールアドレス消し

ちゃってて送りたくても送れないんですよね」などとバカ正直に答えることはもちろんなくて、不審者みたいにモゴモゴと口ごもりながら咄嗟に目の前の空にポッカ

リと浮ぶ巨大なウンコを指差してから小声で「ウンコ」と端折って答えれば「え?ウンコ?あの、お手数ですけれど、自転車の防犯登録だけ確認させてもらってもよ

ろしいですかね?お名前は何というのしょうか?」と警官は慇懃な態度を崩さず、私が素直に苗字を告げると無線に向って自転車の登録番号を何度か機械的に繰り返

し読み上げて、その返事を待っている間のバツの悪さから私は警官の腰にぶら下がっている拳銃や警棒を無遠慮にジロジロと眺めながら「そういや昔この警棒くらい

のサイズの見事な一本糞をひり出したことがあったっけな、あれは何年前のことだったかな、あの一本糞は本当に素晴らしかったんだよな、大げさでも何でもなくて

ニューヨークのメトロポリタン美術館、いやMOMA、ニューヨーク近代美術館にそのまま運んで行って展示できるのではないかと思えるほど今までにひり出してきた

あらゆるウンコの中で最大最長サイズの素晴らしい、そして美しい一本糞だったんだよな、ウンコも藝術作品の一つとして捉える自分が考えるに、おそらくあの一本

糞が俺にとって現時点までに身を削り生み出し表現してきたあらゆる藝術作品の中では最高傑作になるってわけなんだよな、しかし今までの自分の最高傑作が一本糞

っていうのも正直いかがなものだろうか、流してしまったからもう残ってないし、でも本当に素晴らしかったんだよな、写真に撮っておけばよかったな」などと何で

もかんでもすぐ短絡的にウンコに結びつけて考えてしまう『ウンコ思考』がすっかり染みついてしまった自分のウンコ塗れな脳みそに苦笑しながら「もしかして、寂

しそうに見えました?」とだしぬけに尋ねてみれば、警官はポカンとして「え?寂しそう?いや、寂しそうとか、そんなことは、全然なかったと、思いますけども」

「もしかして、こいつ川に飛び込むんじゃないかとか心配してたりとか?」「いやいや、そんなこともなくて、ただ何だろう、もうかれこれ5時間近くもずっとここに

立たれてますよね、怪しいというか、何というか、怪しいというか、つまり怪しいというか、なので一応お声かけさせてもらった次第です、お忙しいところお手間取

らせてすみません」と少しだけ慇懃な態度を和らげ返してきて、それとほぼ同時に無線からの応答も返ってきて確認が取れたところで私は晴れて怪しい人ではなくな

って無罪放免となって「これから暗くなってきて危ないので気をつけて帰って下さいね」と警官は慇懃に去って行って、私はついさっきまで考えていた猫川又美に送

るはずだったメールの文面のことなどもうすっかり忘れてしまって、それから、来た時とはくらべものにならぬほどスッキリと晴れやかな気分で「まだまだ死ぬわけ

にはいかないんだよ、俺にはやらなきゃならないことが残ってるんだからな」と声には出さず自分に言い聞かせ鼓舞するように暮れかけたいつもの道を自転車をビュ

ンビュン飛ばして50分の家路につき、その途中ずっと、帰ったらすぐに今度こそは必ずウンコの話を一気に書き上げてしまおう!と固く心に誓って、ところで、母方

の祖父が死に際にひり出した置土産の巨大なウンコというのは一体どれくらい巨大だったんだろうか?まあ人はすぐに話を盛って大袈裟にするからな、実際は全然大

したことなかったのかもしれないけれど、巨大というからにはさぞかし巨大だったんだろうな、俺の最高傑作の一本糞よりも立派なウンコだったんだろうか?だとし

たら俺も負けてはおられんよな、いつか機会があったら母親に尋ねてみよう、などと性懲りもなく頭の中ではぼんやりウンコのことばかり考え続けているのだった。

2022.5

 

 

 

 

 

17.『Ascension / 廃人の歌 (仮)』

 

 

もう随分と昔から私は、吉本隆明とチェット・ベイカーの顔はそっくりで、まるでおすぎとピーコみたいな双子の兄弟のように思っていて、吉本隆明の顔を見る度、

チェット・ベイカーのことも思い出し、チェット・ベイカーの顔を見る度、吉本隆明のことも思い出し、吉本隆明の文章を読む度、私の頭の中ではチェット・ベイカ

ーの音楽が鳴り響き、チェット・ベイカーの音楽を聴く度、私は頭の中で吉本隆明がほっぺたを膨らませトランペットを吹き、時々歌う姿を想像しながら、もしかし

て本当に吉本隆明とチェット・ベイカーがおすぎとピーコみたいな双子の兄弟だったら面白いのになあ、と部屋で一人ニタニタとほくそ笑むのだったが、果たして吉

本隆明とチェット・ベイカーの顔がそっくりであることを誰かに同意してもらえるかどうか私には自信がないのだけれども、私の頭の中では、すでに吉本隆明とチェ

ット・ベイカーはおすぎとピーコみたいに完全に紐付けされ切っても切れない関係にあり、時々どっちがどっちかわからなくなって混乱することなどはさすがにない

けれども、吉本隆明とチェット・ベイカーが実際に血の繋がった双子の兄弟であるわけがないにせよ(人種が違うのだから当たり前だ)、きっと二人は同い年くらいで

はなかろうか、と私はずっと勝手に思い込んでもいたものだが、ある時、実際に調べてみると、吉本隆明のほうは1924年に生まれ、2012年に87歳で亡くなってお

り、チェット・ベイカーのほうは1929年に生まれ、1988年に58歳で亡くなっており、兄の吉本隆明のほうが弟のチェット・ベイカーよりも5歳ほど年長であること

が判明、また、享年が30年近く離れているのにもかかわらず、晩年の両者の風貌(老け具合、枯れ具合、草臥れ具合、やさぐれ具合)がほとんど変わらぬことに私は正

直驚きを隠せないのだけれども、おそらく、それは、弟のチェット・ベイカーのほうが生涯を通じて音楽活動と並行し麻薬活動にも(それこそ命懸けで)励み続ける廃

人スレスレのジャンキー人生を送ったツケが回ったものだと思われる。そして、晩年のチェット・ベイカーの音楽には何とも言えぬ不思議な味わいがあるのだった。

ちなみに、こんな知識は日常生活で何の役にも立たぬと思われるが、蛇足ながらも付け加えるならば、おすぎとピーコは正真正銘の双子の兄弟につき、当然ながら同

い年、1945年に生まれ、いまだ存命中で、名前の順番通り、おすぎが兄でピーコが弟と安易に思ったらとんだ大間違いで、おすぎが弟でピーコが兄なのだそうだ。

2012年1月、私が40歳(不惑)になるのを記念して絵の初個展を開催した際、恥ずかしながらその時まで私は己の人生において何一つ成し遂げてきてはおらず、33歳

の時になぜだか理由もわからず偶然描きはじめた絵をどうにかこうにか死物狂いの命懸けでようやく個展を開催するまでに漕ぎ着けることができたという経緯もあっ

て、そんなことは今までの己の人生では考えもつかぬ希有な体験であり、また、何といっても生まれて初めての個展をわざわざ開催するわけだから、こんな機会は二

度とは訪れぬわけだから、もうせっかくだから、今までの己の40年に及ぶ本当にろくでもない人生の集大成、総決算として過去に散々迷惑をかけ通してきた方々や、

まったく無名のどこの馬の骨ともわからぬ新人の私にとっては一面識もなく赤の他人であるところの有名な方々にも是が非ともお越し願おうと、住所が調べられる範

囲内で、不躾ながらも、DM(案内ハガキ)を思い切って送ってみたのだけれども、その中には吉本隆明も含まれていて、それは、個展のテーマが「今までの私の40年の

決して他人に誇れぬ本当にろくでもない人生の中で出会い、そして確実に影響を受けてきた数々の言葉に絵を付ける」といったありがちといえばありがちな主旨であ

ったがゆえなのだが、案の定、吉本隆明が個展の会場に姿を見せることなどはなく、それから間もなくの2012年3月、思いがけず訃報を知ることとなるのであった。

私が吉本隆明の本を初めて読んだのは、おそらく20代半ば、フランク・ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CM制作プロダクション(頭文字M)で働いていた

頃であったと記憶しているが、当初の私の吉本隆明のイメージとしては、尾崎豊の歌詞の元ネタの一つで、全共闘世代の人たちの精神的な後ろ盾存在、昔から暇さえ

あればしょっちゅう誰かとケンカ(論争)ばかりしていて、広告屋をチヤホヤと持ち上げるミーハーな人物といった印象であり、その頃、広告業界の片隅に身を置きな

がら、すでに広告という仕事に愛想を尽かしはじめていた私も、まずは手っ取り早く有名な『共同幻想論』『マス・イメージ論』あたりに手を伸ばし読んではみたも

のの、文章は読みづらく、書いてある内容もチンプンカンプンで、正直に言えば、ほとんど理解できなかったのだけれども、それらとほぼ同時期にたまたま手にした

村上龍だか大江健三郎だか忘れたがどちらかの文章の中で、広告屋をチヤホヤと持ち上げるミーハーな吉本隆明に当て擦るように「広告屋どもは自ら流行を作り出し

世の中心で自ら時代を動かしている気になっておるが、その流行とやらには悪しき影響も多々あって、それらは当然ながら自らのアホ家族(アホ嫁やクソ餓鬼)さらに

は愚かな自分自身にも確実に及んでいることもつゆ知らず、いい気になりやがって!(悪意を込めた意訳です)」みたいな主旨がチクチクと厭味ったらしく書かれてあ

るのを読み、当時まだ広告屋の端くれでウブな世間知らずだった私は、そのあまりに見事な嫌われっぷりに逆に清々しさすら覚えつつ、広告屋という職業とは、文学

藝術関係者からして見れば、まさに目の上のたんこぶ、いけ好かない勘違い野郎以外の何ものでもないのだという当たり前な事実を痛切に思い知らされたものだが、

日々率先して営利主義企業や拝金主義企業をはじめとする資本主義(物質主義的消費社会)の手先となって、大衆の欲望を無闇に煽り立て、広告という匿名の安全圏に

おいて、主体性の欠片もなく魂を売りまくり、ただ金のため他人のために他人の金で他人の表現をしているに過ぎぬのに、メディアに偉そうにアホ面を晒し薄っぺら

な虚栄心を安易に満たそうとする広告屋とは、たとえるならば、奴隷の鎖自慢、イタコの自分語り、おしゃべりな拡声器、でしゃばりな猿回し、ゴーストライターの

ネタばらし、アートかぶれのチンドン屋、ド派手な衣装で着飾る黒子、他人の褌で相撲を取る腹黒いデブ、本格派女優気取りのAV女優、指名欲しさに調子に乗り全世

界に向け「私は売春婦ですよ!」と顔出しアピールする風俗嬢、常日頃から嘘ばかりつき世間を欺いているがゆえいざという時まったく信用されないオオカミ少年、

「バカには見えない服ですよ」と王様(クライアント)を騙す悪徳仕立て屋または裸の王様そのもの、SF映画『ゼイリブ』に出てくる地球を乗っ取ろうとメディアを悪

用し大衆を洗脳する醜い宇宙人、休日の朝っぱらから近所迷惑も顧みず「料金は一切かかりません」などと嘘八百な騒音まき散らしながら嫌がらせのようにノロノロ

走る廃品回収トラックの運転手、悪魔祓いと称し客の弱みにつけ込みたんまり金をふんだくるインチキ祈祷師(ヤブ医者)、豚もおだてりゃ木に登る、キャンキャンと

喧しく吠え散らかさずに黙ってご主人様のケツ舐め回してろバター犬!(些か言葉が過ぎました、ごめんなさい)、いわば、本物の藝術の中に藝術ではない偽者が一匹

紛れ込んでしまっているかのような状態であり、かつて坂口安吾が『白痴』の中で看破したごとく「動く時間に乗遅れまいと/時代の流行だけを心得て/内容のない空

虚な自我を持つ/賤業中の賤業」に過ぎず、別に大したものを作っているわけでもないのに、企業や商品よりもさらに自分自身を目立たせようと無神経にも商品を踏み

倒し踏み潰し踏みにじり都合良く踏み台にした上で、私の作品です!などとしゃしゃり出てくるような奴らは、羞恥心が麻痺しておるか、正真正銘のバカか、そのど

ちらか以外には考えられず(すべての広告制作物は建前上、企業の理念や思想を表明したもの、つまり企業の発する言葉となっているはずなのに、広告屋どもが「あれ

は私が考えました!」などとドヤ顔で表に出てきてしまってはすべてが台無しになると想像もつかぬほど鈍感なのか?)、そんな厚顔無恥なインチキ野郎どもが一丁前

に文化人を気取り大手を振って歩けば、当然ながら、日々死物狂いの命懸けで、自らの名前を前面に出し、すべての責任を自らで背負い、それこそ身を削り自らの作

品を生み出しながら、本物の藝術を追求している本物の藝術家たちにとっては、傍ら痛く、ふざけんな!と胸糞が悪くなるのも、さもありなんといったところであろ

うか。その後、吉本隆明の評論にはまったく歯が立たなかった私は、ならば詩のほうはどうであろうかと試しに読んでみた『吉本隆明初期詩集』の中の「廃人の歌」

という一遍の詩にガツンとやられてしまったようで、いきなり後頭部を鈍器でぶん殴られたかのような衝撃を受けてしまって、爾来、吉本隆明の「廃人の歌」という

詩は、生まれてこのかた、ほぼ廃人同然、否、廃人一歩手前、二歩手前のようなろくでもない自堕落な人生を歩み続けてきた私にとっては、まさにテーマソング的な

存在となって、ことあるごとに読み返しては、その都度、散々勇気づけられてきたものであった。「ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい 夕ぐれ時

の街で ぼくの考へてゐることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ ぼくの休暇はもう数刻でをはる ぼくはそれを考へてゐる 明日は不眠のまま労働に

でかける ぼくはぼくのこころがゐないあいだに 世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものたちは赦すものたちだ 神

はそんな者たちを愛撫する そして愛撫するものはひよつとすると神ばかりではない きみの女も雇主も 破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れる

にちがひない 幸せはそんなところにころがつてゐる たれがじぶんを無惨と思はないで生きえたか ぼくはいまもごうまんな廃人であるから ぼくの眼はぼくのこ

ころのなかにおちこみ そこで不眠をうつたえる 生活は苦しくなるばかりだが ぼくはまだとく名の背信者である ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍

らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでゐる 街は喧噪と無関心によつてぼくの友で

ある 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう 大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花

々 ぼくの愛した女たち お袂れだ ぼくの足どりはたしかで 銀行のうら路 よごれた運河のほとりを散策する ぼくは秩序の密室をしつてゐるのに 沈黙をまも

つてゐるのがゆいつのとりえである患者ださうだ ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい 生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間で ぼくの好き

な奴は三人はゐる 刑罰は重いが どうやら不可抗の控訴をすすめるための 休暇はかせげる(引用)」残念ながら私の初個展に来てもらうことは叶わなかったけれど

も、吉本隆明の訃報を知ってしばらく経ったある日の夕方、たまたまその近辺に用事があった私は、かつて調べた住所を頼りにして、吉本隆明が住んでいた家を思い

切って訪ねてみることにしたのだった。JR駒込駅から東大赤門前へと続く本郷通り沿いには、あたかも青山辺りの大通りに面して競い合うようにオシャレなブティッ

クが建ち並ぶかのごとく寺院が密集し、都心にもかかわらず人通りもまばらで鄙びた陰鬱な風情をいまだ色濃く残しており、その一角を占める本駒込K寺の墓場に隣

接する路地のさらに奥まったところ、窓を開ければ一面に墓場が見渡せるという何とも洒落た立地の吉本隆明邸は、決して豪奢とは言えぬも、こじんまりとした庶民

的な佇まいの一戸建て住宅であり、玄関へと向かう細い通路の入口に掲げられた、ごく一般的な住宅よりも幾分大きめな表札には「吉本」という文字が堂々と書かれ

てあり、また、その表札付近には、泥棒よけか、ストーカーよけでもあろうか、人体の動きを即座に察知し自動で点灯するセンサーのようなものまで備え付けられて

あり、訪ねた時がちょうど日暮れたのちであったため、私の体の動きを自動センサーが即座に察知して、不意にパッと全身を照らされた私は、自身が泥棒でもあるか

のごとく一瞬ハッと驚くとともに、その自動センサーでカチッと点灯する反応が、あたかも吉本隆明から「こんばんわ、いらっしゃい」と歓迎を受けているかのよう

な奇妙な錯覚にも陥って、心の中で「こんばんわ、来ちゃいましたよ」と挨拶を返しながらニヤニヤとほくそ笑む私の怪しい姿は、端からみれば、否、どこからどう

見ても不審者以外の何者でもないのであった。そして、その日の訪問をきっかけにして、本駒込K寺の墓場の真横に建つ吉本隆明邸は、私の自転車お散歩コースにし

っかりと組み込まれるようになり、それからのちも、私は、暇さえあれば用もないのに何度も何度もしつこいくらい、まるでストーカーにでもなったかのごとく、そ

の一般の住宅よりも幾分大きめな「吉本」と書かれた表札の文字を確認することを目的として、せっせと吉本隆明邸へと通いはじめ、ほんの短い期間ではあったもの

の、私と吉本隆明との密かな交流がはじまることとなるのであった。私は、なるべく意識的に日暮れ時を狙って吉本隆明邸を訪れるのが常であったが、それはなぜか

と言えば、「廃人の歌」の中の一節「夕ぐれ時の街で ぼくの考へてゐることが何であるかを知るために 全世界は休止せよ」を心の片隅に強く意識し、全世界が休

止している間に、あの例の自動で点灯するセンサーを通じて吉本隆明との密かな会話を楽しむために他ならず、最初はごく短い挨拶を交わし合うだけだった私と吉本

隆明との会話は徐々に10分15分30分と延びて行き、やがては2時間近くにも及んでいくのであった。その間に我々二人が交わした会話のほとんどは他愛のないもの

からはじまり、いつも決まって最終的に「なぜ私の初個展に来てくれなかったのか?」と私が吉本隆明に対して詰問する流れへと帰結するのであった。その時の印象

的な会話を抜粋すれば大体以下の通りになるだろう。「個展、来てくれませんでしたね、意外と好評だったんですよ」「ああ、ごめん、行けなかったよ」「来てくれ

るはずないとわかりきってはいましたが、実際に来てくれないとがっかりしますね、正直かなり凹みましたよ」「ちょっと具合が悪くてね」「他にもたくさん有名人

にDM送ったんですけど、ほとんど来てくれませんでしたよ」「みんなそれぞれ忙しかったり、予定が合わなかったり、まったく興味なかったんだろうね」「アラーキ

ーにもDM送ったんですよ、そしたら、ある日、アラーキーみたいな人がギャラリーに入って来て、あっ、アラーキー来てくれたんだ!とかぬか喜びしてたら、ただの

アラーキーそっくりなイラストレーターの人で、思わずズッコケたんですけどね、吉本さんはそっくりさんすら送り込んでもくれなかったですよね、それくらいの配

慮は必要だったんじゃないでしょうか、和田誠さんなんて、DM送ってもないのにわざわざオープニング・パーティーに来てくれて、酒ガブガブ飲みまくって絵を褒め

てくれたんですよ、まあ、お世辞半分でしょうがね、あなたも少しは和田さんを見習ったらどうなんですか」「何バカなことを言ってんだい、だって、俺はあんたの

ことなんて全然知らないし、いきなりDM送りつけてきて、来てくれって言われても、知らない奴の個展なんて行くわけがないだろ、普通は、それに、和田誠さんは絵

を描く人じゃないか、俺と比べるのは少しばかし話の筋が違うだろよ」「でもですよ、今回は33歳で絵を描きはじめた私にとって生まれて初めての記念すべきメモリ

アルな個展だったんですよ、本当にすべてが初めての経験で、もう40歳(不惑)だというのに年甲斐もなくドキドキワクワク胸ときめかせ戸惑いまくっていたんです、

今まで40年に及ぶ本当にろくでもない廃人スレスレの人生を自堕落に生きてきた中で、他人に誇れるようなことなど何一つ成し遂げて来なかったこの私が、生まれて

初めての本気を見せたんです、これはものすごいことなんですよ、もう奇跡と呼んでしまっても差し障りないんですよ、もう二度と起らないかもしれないんですよ、

初めてっていうのは一生に一度しか訪れない貴重な季節なんです、一度処女を奪われてしまった純真な乙女は、もう処女ではなくなってしまうんですよ、徐々に薄汚

れていって、やがてはアバズレ、最悪はスレッカラシのヤリマンビッチに成り果ててしまうんです、だからこそ吉本さんには是が非とも来てもらって、まだ薄汚れて

はいないピュアな私を目に焼き付けて帰ってもらいたかったんですけどね、処女はお嫌いですか、ヤリマンビッチがお好みなんですか、むしろ吉本さんに私の処女を

捧げる気持ちで初個展を開催したと言っても過言でなく、他に誰一人来てくれなくたって、吉本さん一人に来てもらえさえすればよかったくらいの勢いだったんです

けどね、それなのに来てくれないなんて、それじゃ、あんまりじゃないですか、本当にがっかりです、何のために個展開いたのか意味わからないですよね、すべてが

徒労に終わったというか、まさに骨折り損のくたびれ儲けですよ、無駄骨ですよ、虚しさばかりが募って、『廃人の歌』でいうところの『ぼくはぼくのこころがゐな

いあいだに 世界のほうぼうで起ることがゆるせないのだ だから夜はほとんど眠らない 眠るものたちは赦すものたちだ』のごとく、眠ってる間に世界で起ること

や個展に来てくれなかったあなたのことを私は絶対に赦すことができず、夜もほとんど眠らず、あなたのことばかり憎々しく思っては、ため息ついたり枕をじっとり

濡らしているんですよ、なぜ来てくれなかったんですか、なぜなんですか、和田誠さんなんて、DM送ってもないのにオープニングパーティーにやって来て、酒ガブガ

ブ飲みまくって絵を褒めてくれたんですよ、それに引き換え、吉本さん、あなたときたら、ハッキリ言って見損いました」「処女がどうたらこうたらとか何を言って

るのかさっぱりわからないんだけどさ、何遍も言う通り、俺はあんたのことなんて知らないし、あんたは有名でも何でもないし、そんなどこの馬の骨かもわからぬ奴

の個展に、なんでこの俺がわざわざ出向いて行かなきゃならないんだって話だよ、逆になんであんたの個展に行かなきゃならないのか、その理由をじっくり問い詰め

たいところだけどな、生まれて初めての個展だかメモリアルだか何だか知らないけどさ、そんなのはそっちの事情であって、俺にはまったく関係のない話なんだよ、

それに俺にだけ来て欲しい、俺のために個展を開いたとか言ってるくせに、聞くところによりゃ、アラーキーにもDM送ったっていうじゃないか、辻褄が合ってないん

だよ、誰にでも八方美人で耳障りのいいことばかり言っていい顔して、現に和田誠さんがDM送ってもないのにオープニングパーティーにやって来て、酒ガブガブ飲み

まくって絵をお世辞半分に褒めてくれたって大喜びしてる始末じゃないか、何を寝ぼけたこと言ってんだい、あんぽんたん」「そっちこそ、何を寝ぼけたこと言って

るんですか、あなたこそ、あんぽんたんですよ、あんぽんたん」「いや、あんたこそ、あんぽんたんだよ、あんぽんたん」「いや、あなたこそ、あんぽんたんですっ

て、あんぽんたん、あんぽんたん」「大人げがないねえ、まったく、どこからどう見たって、あんたこそが、あんぽんたんなんだよ、あんぽんたん、あんぽんたん」

「素直じゃありませんねえ、まったく、あなたこそが、あんぽんたんに決まってるんですよ、あんぽんたん、あんぽんたん、あんぽんたん」「いやいや、寝言は寝て

から言いなさいって、あんたこそが、あんぽんたんに決まってるんだよ、あんぽんたん大学、あんぽんたん学部、あんぽんたん学科を主席で卒業し大学院まで進み、

あんぽんたん博士号まで取得して、その後は国際あんぽんたん大学に留学までした、世界中の誰もが羨むほどの、あんぽんたんの中のあんぽんたんなんだよ、あんた

は、あんぽんたん、あんぽんたん、あんぽんたん」「いやいや、あなたこそ、寝言は寝てから言って下さいってば、どこからどう見ても、あなたこそが、あんぽんた

んでしょう、何しろ10年連続あんぽんたん・オブ・ザ・イヤー受賞の由緒正しき血統書付き筋金入りのあんぽんたんなんですからね、この、あんぽんたん、あんぽん

たん、あんぽんたん、あんぽんたん、関係なくはないですよ、大いに関係がありますとも、こちとら、なんつったって、あなたの書いた『廃人の歌』に頼まれてもい

ないのにわざわざ絵を付けて展示しているわけですからね、それに、私はですね、若い頃に『廃人の歌』を読んでガツンとやられた口でしてね、それからというもの

『廃人の歌』という詩は、いわゆる私にとってのテーマソング的な存在でもあるんですから、関係なくはないでしょうが、生まれてきたことが刑罰であるこの私が、

本当にろくでもない廃人スレスレの人生を40年もだらしなく生きてきた中で『廃人の歌』という詩にどれだけ救われてきたことか、私が『廃人の歌』という詩をどれ

だけ愛しているのか、吉本さん、あなたは全然理解してないんですよ、大昔からあなたに向って秋波を送り続けているんです、もしもピアノが弾けたなら、もしもギ

ターが弾けたなら、『廃人の歌』に即興で曲を付け、夜毎あなたに向って弾き語っているくらいに、私の歌があなたの耳には届いていないんですか、少しばかり鈍感

過ぎやしませんか、耳クソが溜まり過ぎて聴覚が衰えているのではありませんか、もしかして、気づいているのに気づいてない振りして自分を誤摩化し続けてきたの

ではないですか」「そんな歌は俺の耳にはまったく届いてないし、あんたもわからない人だねえ、だからさ、それはそっちのあんたのほうの一方的かつ個人的な感情

であってだな、俺にはまったく関係がないんだよ、『廃人の歌』が好きだと言ってくれるのはもちろん俺も少しくらいは嬉しいけど、そんな奴は他にもごまんといる

わけで、それに『廃人の歌』はあんたのためだけに書いたわけじゃないからね、勘違いしないでもらいたいね」「それはもちろんおっしゃる通りなんですけどね、で

もDMにも『廃人の歌』にわざわざ絵を付けました!!と一言書き添えておいたんですよ、小さくて読めなかったんですか、もっと大きく書けば良かったっていうんで

すか、ご大層にも文末には『!!』(ビックリマーク)を2本も付けて『自信満々、乞うご期待!!』てな感じでさりげなく自信をのぞかせておいたんですよ、『!!』

(ビックリマーク)を1本ではなく2本ですよ、普通は無難に1本ですよね、2本ということはですね、つまり『相当の自信がありますよ!!』という意味だったんですけ

どね、もちろん、私も当初は常識的に考えて、さすがに1本で十分だろうと謙虚に構えていたものですがね、ペンを片手に固まったまま小1時間ほど悩み続けた末に、

やはり33歳で絵を描きはじめた私自身にとっては初個展であり、40歳(不惑)を記念したメモリアルな個展でもあるわけだから、ここは是が非とも2本付けずにはおら

れぬだろう、それが40男の意地ってもんだろうよと思い切って2本付けてみたんです、でも、やはり2本だと、どこの馬の骨ともわからぬ新人の初個展にしては些か

傲岸不遜過ぎやしないかと反省をし、慌てて修正液でチョロっと消して再び1本に戻したわけなんです、でも、その後も私の頭の片隅にはビックリマークの本数のこ

とが澱のように残り続け、こんなことでグダグダ悩んでどうする、もう済んだことじゃないかと自分に言い聞かせるようにダラダラと酒を飲みながら、やはり33歳で

絵を描きはじめた私自身にとっては初個展であり、40歳(不惑)を記念したメモリアルな個展でもあるわけだしと酒の勢いも借りて思わずなんと一気に3本まで増やし

てしまったんです、でも、やはり、どこの馬の骨ともわからぬ新人の初個展にしては3本はいくら何でもやり過ぎであり、あなたが許しても世間が決して許しはしな

いだろう、末代まで、あいつの先祖は初個展のDMのコメントの文末にビックリマークをなんと驚くことに3本も付けた傲岸不遜な奴だったと後ろ指をさされ続けるに

違いないと大いに反省をし、慌てて修正液でチョロっと消して再び1本に戻し寝床に入ったんですよ、でも、ビックリマークの本数のことが気になって気になって仕

方がなくて、とてもじゃないが眠ることなどはできず、結局何本にしたらいいんだろうか、1本か2本か3本かと延々悩みながら一睡もできずにとうとう朝を迎えてし

まい、二日酔いと寝不足の頭で、もうどうにでもなれや、クソッタレ人生!と破れかぶれに再び3本に増やしてしまったんです、でも、DMの発送手続きのため営業開

始直後の近所の郵便局に行き窓口のおばさんにDMの束を手渡す際、さすがに3本だとやり過ぎですかね?と試しに尋ねてみたんですよ、そしたら窓口のおばさんはポ

カーンと鳩が豆鉄砲食らったような顔していたので、やはり33歳で絵を描きはじめた私自身にとっては初個展であり、40歳(不惑)を記念したメモリアルな個展でもあ

るとはいえ、さすがに3本はやり過ぎなんだなと痛く反省をし、たとえ3本が2本になったところで、私のこの並々ならぬ自信満々な意気込みは決して衰えを知らず、

きっとあなたにならば伝わるだろうと腹を括り、その場で修正液を借り断腸の思いでチョロっと1本消して最終的に2本に決めたんです、つまり、そういった狂おしい

までの煩悶の末の清水の舞台から飛び降りるかのような決死の覚悟の上での『!!』(ビックリマーク)2本というわけなんです、決して生半可な覚悟ではないんです、

たしかに、何気なく見れば、実際に付いてるのは2本にしか見えないかもしれませんよ、でも、蛍光灯の光に透かしてみてご覧なさいな、うっすらと3本目が浮んでく

るでしょうが、つまり、実質的には3本なんですよ、今は亡き3本目の痛切な叫び声があなたにも聞こえてくるでしょうに、昔、ジャガーだかチーターだかピーターだ

かピューマだかコヨーテだか女性演歌歌手も歌っていたじゃないですか、幸せは歩いてこないんだよ、だから、歩いてゆかねばならないんだよ、ワン・ツー、ワン・

ツー、腕を振って、足をあげて、ワン・ツー、ワン・ツー、休んでんじゃねえぞ、コラ、ワン・ツー、ワン・ツー、さぼってんじゃねえぞ、ソレ、ワン・ツー、ワン

・ツーってね、だから、私も幸せに向って、ワン・ツー、ワン・ツー、最初は1本、次に2本、再び1本、思い切って3本、再び1本、破れかぶれに3本、1本消して、

結局2本、実質3本てな話なわけですよ、それなのに完全無視ですか、失礼しちゃいますよね、私の幸せを何だと思ってるんですか、私の幸せはどこへ行ってしまった

んですか、やはり2本ではなく、ハッキリと3本付けとけば良かったっていうんですか、それとも4本ですか、5本ですか、6本ですか、7本ですか、8本ですか、9本で

すか、10本ですか、100本ですか、1000本ですか、針千本ですか、何本付ければあなたの気が済むんですか、それとも、何ですか、すっかり耄碌して細かい文字が

まったく読めなくなっちまったっていうんですか、同じく耄碌してるであろう和田誠さんなんて、ビックリマーク1本も付けてないのに、いや、DMすら送ってもない

のに、頼んでもないのに、わざわざオープニングパーティーにやって来て、酒ガブガブ飲みまくって私の絵を褒めてくれたんですよ、もちろん、それはお世辞半分の

社交辞令だったんだと後で気づきましたがね」「だから、何遍も言うけどさ、どこの誰だかわからない赤の他人から突然届いたDMなんて、ちゃんと読むわけがないじ

ゃないか、文字が小さいとか大きいとかの問題じゃないんだよ、『!!』(ビックリマーク)を付ける付けないとか1本2本3本とか本数の問題でもないんだよ、あんた

の幸せなんて俺には一切関係がないんだよ、和田誠さんがDM送ってもないのに、わざわざオープニングパーティーにやって来て、酒ガブガブ飲みまくって、あんたの

絵をお世辞半分に褒めてくれたことが何だって言うんだい、それとも、何かい、俺が『廃人の歌』にわざわざ絵を付けてくれってあんたに頼んだとでも言うのかい、

違うだろが、あんたが頼まれもしないのに勝手に自主的に『廃人の歌』に絵を付けただけじゃないか、何だか恩着せがましくて嫌になっちまうよな、それに最初にも

言ったように、俺は体の具合が悪かったんだってばさ、仮病でも何でもないんだよ、その証拠に俺はあのあとすぐに死んじまったわけなんだからさ」「もちろん、お

体の加減が悪かったのは仕方のないことですし、お年寄りになれば足腰も弱って普通に歩くのさえ難儀を覚えるのは当然ですし、生憎死んじゃったのだって、人間は

いつか必ず死ぬ定めですけれども、でも、でもですよ、昔、西伊豆の海で溺れて死にかけた時も、ちゃんと生き返って、その後は何事もなかったかのようにピンピン

元気にしてたじゃないですか、あの時の不屈の精神を思い出して、死ぬ前に何としても、それこそ這いつくばってでも、私の絵を見に来てもらって、それを冥途の土

産にあの世へ旅立ってもらいたかったというのが私の偽らざる本音ですけどね、私は欲張り過ぎていますかね、和田誠さんなんて、DM送ってないのに、わざわざオー

プニングパーティーにやって来て、酒ガブガブ飲みまくって、私の絵をお世辞半分に褒めてくれたんですからね、それに、たとえ体の調子が悪くて死にかけていたと

いえどもですよ、看護師の付き添いで点滴してギャラリーに救急車で横付けしてでも来るという方法もあったと思うんですよ、それくらいの誠意は必要だったんじゃ

ないかと私は思うわけですよ、何せ私の40歳(不惑)を記念した生まれて初めてのメモリアルで処女破りな個展ですし、頼まれもしないのに『廃人の歌』にわざわざ絵

も付けて展示していることですし、私のために書いてくれたわけではないにせよ、あなたの書いた『廃人の歌』という詩は私のテーマソング的な存在でもあるわけで

すし、吉本さんには本当に心の底から個展に来てもらって、死ぬ前に私の絵をじっくりと見てもらいたかったですし、個展の期間中も、明日は来てくれるかな、明日

こそ来てくれるよな、明日こそ来るに違いないよな、明日こそ来るに決まってらあだよな、明日は最終日だし、明日はさすがに来ないとまずいんじゃないかな、最後

の客としてギリギリ飛び込みセーフの小粋な演出で私をアッと驚かせてくれるのかなって、夜もなかなか寝付けないくらい、それくらいずっとずっと首をキリンさん

のように長く長くして待っていたんですよ、結局来てくれませんでしたけどね、ほら、今もその後遺症で首が少し長く見えるでしょ、元の長さに戻るまで4~5年くら

いかかるだろうって医者にも言われてるんですよ、責任とってくれるんですか、それから、どさくさ紛れに欲を言わせてもらえばですがね、もうこの際だから私の願

望を洗いざらいすべて吐き出してスッキリしてしまえばですけどね、吉本さんに絵をじっくり見てもらって、散々褒めちぎってもらって、『廃人の歌』にわざわざ付

けた絵も『洗面所の横の壁に似合いそうだな』とか何とか言って衝動的にポケットマネー10万円ポンと気前よく支払って購入してもらって、『何なら、俺の遺産を半

分あんたに相続させてやってもいいくらいだよ、カミさんや娘たちとも相談しないといけないけどな』とか何とか冗談まじりに付け加えて、さらに、クローズ時間を

過ぎた貸し切り状態のギャラリーでチェット・ベイカーの音楽に合わせ一緒にダンスを踊ってもらって、そのあと、帰り際にギャラリー出入口で突然振り返り私に向

って『これだけギャラリーの壁いっぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはも

う廃人なんかじゃないよ!』って私の瞳をじっと見つめて、ずっとそらさず、しみじみと心を込めて言って欲しかったんですけどね」「しかし、あんたも相当無茶苦

茶なことを厚かましくもヌケヌケと言う人だよなあ、まさに『廃人の歌』の中の『ごうまんな廃人』って言葉がピッタリお誂え向きの傲慢さだよ、もうこっちは呆れ

ちまうほかねえや、なんでそこまでしてこの俺が見ず知らずの赤の他人であるあんたの絵を決死の覚悟で見に行かなくちゃならねえんだよ、おかしいだろ、具合悪く

て今にも死にかけてたっていうのにさ、いやいや、実際死んじまったんだぞ、俺はさ、本当にしつこいんだよ、あんたは、しつこい、しつこい、しつこい、何度塩か

けてもなかなかくたばらないナメクジみてえにじっとりヌメっと、しつこい、しつこい、しつこい、『夕ぐれ時の街で ぼくの考へてゐることが何であるかを知るた

めに 全世界は休止せよ』を意識してだかどうかは知らねえけどさ、毎日のように日暮れ時を狙い澄まして家に押し掛けて来やがって、外灯の自動センサーをカチカ

チカチカチ点けたり消したり点けたり消したり、うるさくやかましくさせやがって、こっちは落ち着く暇もねえんだよ、そういうのを世間ではストーカーって呼ぶん

じゃねえのかい、みんながそろそろ夕餉の支度をはじめる頃合に近所迷惑も顧みず、いつまでもダラダラダラダラと居座り続けては、チンピラヤクザの押し売りみて

えにネチネチネチネチと手前勝手なわけのわからん因縁ふっかけてきやがって、なぜ個展に来なかった、アラーキーはそっくりさん寄越した、和田誠さんはDM送って

もないのにオープニングパーティーにやって来て、酒ガブガブ飲みまくってお世辞半分に絵を褒めてくれただの、ビックリマーク何本付けた何本付けなかっただの、

夜も眠れねえだの、首がキリンさんみたいに伸びちまった責任取れだの、絵買えだの、遺産半分相続させろだのと、次から次とよくもまあ、そのうちケツの毛まで毟

られて、骨までしゃぶられそうな勢いだわな、まったく油断も隙もあったもんじゃねえや、あんたの頭はもうすでにちょっとどころでなく相当イカれちまってるよう

だから、手遅れになる前に脳病院で診てもらったほうが身のためだぜ、そんでもって『ぼくは秩序の密室をしつてゐるのに 沈黙をまもつてゐるのがゆいつのとりえ

である患者ださうだ』のごとく、あんたも少しは沈黙を守ったらどうなんだい、いい加減にしねえと俺も本気で怒っちまうよ」「つまり、それは『廃人の歌』でいう

ところの『ようするにぼくをおそれるものは ぼくから去るがいい』って意味ですか、まあまあ、そう熱くならないで落ち着いて下さいってば、昔から暇さえあれば

誰かにケンカ売りまくってばかりいましたもんね、久しぶりに武闘派の血が騒いだんじゃないんですか、まあ、とにかく、私の話の続きを最後まで聞いて下さいな、

それからですね、ギャラリーのBGMにはチェット・ベイカーの『Let's Get Lost』をうっすらとかけて待ってたんですけどね、来てくれたタイミングで音量を少しず

つ上げていって、あなたに『なんでBGMはチェット・ベイカーなの?』って聞かれた際には、私はこう答えようと準備していたんですよ、『前々からずっと思ってい

たんですけど、吉本さんとチェット・ベイカーはそっくりですよね、誰かに言われたことありませんか?』ってね」「チェット・ベイカーってジャズのラッパの人か

い、そんなこと今まで一遍も言われたことないし、全然似てないよ」「いやいや、いやいや、似てますって、そっくりですって、おすぎとピーコくらいそっくりです

って、もしかして、実は生き別れの双子の兄弟だったりしないんですか」「そんなわけないだろ、バカも休み休み言いなさいって」「いや、似てると思うけどなあ、

あの世でチェット・ベイカーと是非会ってみて下さいよ、あっ、おすぎとピーコみたいに俺たちそっくりだ!って思いますから、きっと」「バカ言ってらあ、いやは

や、しかし、何だな、久しぶりにこうして誰かと論争していい感じに血が滾ってきたところなんだけど、ごめん、そろそろ、俺ちょっと遠いところへ行かなきゃなら

ないんだよ、あんたとこうしてくだらない論争をいつまでもダラダラと続けていたいのは山々なんだけど、そういうわけにもいかないんだわ」「遠いところって、一

体どこへ行くんですか、刑務所にでも入るんですか、海外にでも行くんですか、それとも実家にでも帰るんですか、ここはあなたの家でしょうが」「ここは確かに俺

の家だったんだけど、いつまでもここにこうしているわけにもいかないんだよ、あんたもわかるだろ」「『廃人の歌』でいうところの『ぼくの休暇はもう数刻でをは

る ぼくはそれを考へてゐる』ってな感じですか、もしくは『大工と大工の子の神話はいらない 不毛の国の花々 ぼくの愛した女たち お袂れだ』ってな感じです

かね、そうか、行っちゃうんですね、せっかく仲良くなれたと思ったのに、残念ですね、悪人正機の話とか、オウムの話とか、コム・デ・ギャルソン事件の話とか、

海で溺れて死にかけた時の話とか、なぜよりによって娘に『ばなな』なんてヘンテコな名前を付けようと思いついたのかとか、糸井重里のこと本当はどう思っていた

のかとか、他にもいっぱい話がしたかったです、もっと早くにここを訪れるべきでしたよ」「俺もあんたともっと真面目な話がしたかったんだけどさ、いかんせん、

あんたは『なんで個展に来なかった?』の一点張りで俺を責めてばっかりだったもんな、ほとんど拷問だよ、さすがに嫌になっちまうだろよ」「すみません、ついつ

い意固地になってしまって、でもそれくらい、本当に心の底から吉本さんには是非とも個展に来ていただきたかったという証左なんですけどね、じゃあ、最後に一つ

だけ頼みがあるんですけど、聞いてもらえますかね」「何だい、頼みって」「さっき言ったあの言葉を直接生で聞きたいんですけど」「何だい、さっきの言葉って」

「だから、あれです、あれ、『あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』って言葉ですよ」「ああ、あれね、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!これでいいのかい」

「あの、ええと、すいません、『あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』の前に『これだけギャラリーの壁いっぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだか

ら、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ』をちゃんと付けて下さい、『あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』だけだと、何が何だかさっぱり

わけがわからないじゃないですか、いいですか、ちゃんとセリフ覚えられましたね、私が合図を出しますから、そのタイミングに合わせてセリフを言いはじめて下さ

いね、少し緊張してますか、1回深呼吸してみますかね、吸って、吐いて、リラックスして、自然な感じで、それじゃあ、行きますよ、よーい、スタート!」「これ

だけギャラリーの壁いっぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なん

かじゃないよ!」「ハイ、カット!うーん、何だろう、この大いなる失望感は、コレじゃない感は、まるでデリヘルのサイトの写真がとても可愛くタイプだったから

試しに呼んでみたはいいけれど、ホテルのチャイムが鳴り期待に胸と股間を膨らませ、いざドアを開けてみれば、写真ほど可愛くなく微妙な感じの貧相な女が立って

いた時みたいな、もしかして部屋間違えてませんか?と口を滑らしかけるも、まあせっかく呼んだんだし、雰囲気ぶち壊すのも野暮だし、ここはひとつ小粋な対応で

切り抜けようと、可愛い子でよかった、写真と違ったらどうしようか心配してたんだよね、心にもないお世辞を言ってみるも、女は噛んでたガムを灰皿にペッと吐き

出して、サクッとはじめちゃいますか、時間もったいないんで、と情緒もホスタビリティの欠片もなく、実際サービスも全然よくなくて正直がっかりみたいな、何だ

か想像していたのとは随分違うんですよね、もしくは、小鳥のさえずりとともに清々しく目覚めた休日の朝、煎れ立ての珈琲を3杯飲み干したタイミングで心地良い

便意を催し便所に駆け込んでみたはいいけれど、屁しか出なかった時みたいな、何度踏んばってみたところで結局屁しか出てこないみたいな、あの思わせぶりな便意

は一体何だったんだよみたいな、全然スカッとせず正直がっかりみたいな、何だか期待していたのとは随分違うんですよね、突然こんなこと言われてすぐに対応でき

ないのは、もう結構なお歳を召されていて頭の回転もスムーズにいかず仕方ないとは思うんですけど、それにしてもですよ、何だか感情が全然こもってないんですよ

ね、聞いてるこちらは何だか嫌々言わされてる感じがしちゃうんですよ、まるでTV-CMの中で新人三流大根役者かAKBだか何KBだか芋洗坂だかの新人アイドル風情

が言う薄ら寒いインチキくさいセリフのようにも聞こえてきてしまって、ちっとも心を動かされないんですよ、イライラしてしまうんですよ、そんな風に嫌々言わさ

れてる感が思わず出てしまうくらい、あなたが本当に言うのが嫌で嫌でたまらないのだとしたら、別に無理して言ってもらわなくても結構ですからね、もしも本当に

言いたくないなら言わないほうがマシですし、嫌々言わされてるのを聞いても私はまったく嬉しいとは思いませんからね、それとも何ですか、本当にそう思ってはい

るけど、『廃人の歌』でいうところの『ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ』のごとく、本当

のこと、真実を口にしてしまうと全世界を凍らせてしまって廃人扱いされてしまう恐れがあって、それだとあなたも困るから、本当は思ってもいないような嫌々言わ

されている振りをわざと演じているだけに過ぎないんですか、この『これだけギャラリーの壁いっぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したも

んだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』というあなたのセリフはですね、私が頭の中で勝手に想像した、私があな

たからこう言ってもらえたらとっても嬉しいのになあという願望であり、つまり単なる妄想に過ぎないのですけど、あなたが本当にそう思っているかどうか正直私に

はわかりませんし、実際確認するすべもありませんが、私があなたに是非ともそう言ってもらいたいと強く願っているということだけは紛れもない真実なんですよ、

ですので、もしもあなたが本当にそう思ってないのだとしたら、別に無理に言わなくても結構なんですが、少しでもあなたが心の片隅でそう思っているのでしたら、

嘘でもいいから、せめてもう少しだけ感情込めて何とかなりませんかね」「何だかあんたの言ってることが俺には難し過ぎてまだ完全には理解できてないんだけど、

そんなこと言われたってさ、俺は実際にギャラリーに行ってあんたの絵を見たわけじゃないし、実際に無理やり言わされてるだけだし、どうにも仕様がないじゃない

か」「ですから、たとえ無理やり言わされてるとしてもですよ、もう少し本気度っていうんですかね、それを見せてもらいたいところなんですがね、幼稚園児の初め

てのお遊戯会での演技にだって、子沢山大家族のお父さんの1人だけ血の繋がりのまったくない娘の結婚披露宴でのスピーチにだって、定年退職間近のうだつの上が

らぬ万年教頭が風邪でお休みの校長の代理でする朝礼の挨拶にだって、若気の至りで出来ちゃった結婚し仕方なく連れ添ってきた倦怠期の熟年夫婦の離婚調停の会話

にだって、最近お茶引き気味でそろそろ潮時かしらとまったく覇気のない風俗嬢がお客にさっさとイってもらおうと無理やりあげる嘘くさい喘ぎ声にだって、キャバ

クラのヘルプで付いたブスな嬢との無意味な会話にだって、もう少しは気持ちがこもってますけどね、何しろ、他の誰のものでもないあなた自身のかけがえのないセ

リフなんですからね、自分の言葉にはきちんと責任をもって発言してもらわないといけませんよ、さもないと、あなた自身の信用問題にもかかわってきてしまいます

からね、それほど難しいことを要求してるわけでもないんですから、もう少しだけ何とか頑張ってチャレンジしてみてもらえませんかね、それじゃ、もう1回行きま

すよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描き

さんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!!」「ハイ、カット!うーん、適度に感情がこもってきて、あなたが本当にそう思っているかどうか正直私にはわ

かりませんし、実際確認するすべもありませんが、少なくとも嫌々言わされてる感はほとんどなくなってきたんですけど、ただし一点だけ、最後の決めゼリフ『あん

たはもう廃人なんかじゃないよ!』の文末には『!』(ビックリマーク)が1本付いてるイメージなんですよ、私としてはね、でも、今さっきあなたが言ったセリフには

『!!』(ビックリマーク)が2本付いてしまってるんですよね、2本付けたくなる気持ちもわからなくはないんですよ、何しろ最後の重要な決めゼリフですもんね、バ

ッチリ決めていいとこ見せてやれって思わず気合い入れ過ぎて空回りしちゃったりね、人間ですもんね、知らず知らずのうち大見得を切ってしまったりしますよね、

『水戸黄門』の『この紋所が目に入らぬか!』とか、シェークスピア『ハムレット』の『生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ!』とか、尾崎紅葉『金色夜叉』貫

一の『来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる!』とか、アニメ『美少女戦士セーラームーン』の『月にかわって、おしおきよ!!』とか、映画『鬼龍院

花子の生涯』の夏目雅子『なめたらいかんぜよ!!』とか、某会計ソフトCMの白塗りのバケモノの『勘定奉行におまかせあれい!!』とか、滅茶滅茶気合い入ってま

すもんね、セリフ言いながらウンコ漏らしちゃってるんじゃないかってこっちが心配になるくらいにみんな気合い入ってますもんね、決して表沙汰になることはあり

ませんけど実際ウンコ漏らしてる人たちも結構いると思いますよ、慣れてくると声を聞いただけでウンコ漏らしてるか漏らしてないか大体判別できるようになってく

るんですよ、ウンコ臭が画面からほんのりと漂ってくるといいましょうか、私みたいに年季の入ったベテランウンコ鑑定士の嗅覚を決して侮ってはいけませんよ、私

の長年の勘から言うと『!!』(ビックリマーク)2本だと7割方漏らしてますね、セーラームーンと夏目雅子と勘定奉行の白塗りのバケモノは確実に漏らしてますね、

賭けてもいいですよ、あなたもすでにウンコ漏らしてたりしてね、まさかね、さすがにいい歳した大人がウンコ漏らした状態であの世へ旅立つのは何とも心許ないし

気持ちが悪いでしょう、三途の川を渡るの拒否されて、この世に強制送還されてしまうかもしれませんよね、ともかく、今回あなたに言ってもらうセリフの中では、

やはり『!!』(ビックリマーク)2本だと些かやり過ぎといいいますか、感情を込め過ぎて、嘘くさくて、わざとらしいといいますか、大袈裟過ぎて、『JAROってな

んじゃろ?』のJAROに通報されちゃうレベルのギリギリで、ウンコ漏らすかどうかの瀬戸際なんですよね、しかも、セリフの最後に付いてる『!!』(ビックリマー

ク)に関して言えば、さすがに後で修正液を使ってチョロっと消すというわけにもいかないんですよ、たしか、エリック・ドルフィーも遺作アルバム『Last Date』の

最後に言ってましたっけね、一度出した音はもう二度と捕まえることはできないんだよって意味だったと思いますが、エリック・ドルフィーはイカツイ顔して案外可

愛らしい声で最後の最後にいいこと言ってるなあって聴く度にしみじみと思ってますけどね、つまり、一度声に出して放ってしまったセリフはもう取り返しがつかな

いということなんですよ、まあ、ビックリマークを何本付ければいいのかは本当に頭を悩ませる難しい問題ですけどね、そう考えてみると、話は戻りますが、あなた

に送ったDMに『廃人の歌』にわざわざ絵を付けました!!と一言書き添えた際の『!!』(ビックリマーク)も思わず気合い入れ過ぎて私は2本付けましたが、無難に

1本にしておくべきだったのかなあとか今振り返って私も猛反省する所存ではあるのですがね、ともかく、本当に細かくて面倒くさい奴だなあと苦虫を噛み潰したよ

うな顔をしておられることが容易に想像できますが、ここは一つ素直に私の指示に従ってもらって『!』(ビックリマーク)が1本付いてるイメージでお願いしたいとこ

ろなんですがね、いいですか、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいに絵を飾れるくらい描ける力があるんだか

ら、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!おしい、おしいなあ、本当におしいんだけ

どなあ、今のテイクすごく良かったんですよ、さっきの私の指示通り『!』(ビックリマーク)も1本になっていて、感情を込め過ぎず、嘘くさくもなく、自然な感じで

すごく良かったんですがね、誠に残念なことには『素敵な』が抜けちゃってるんですよ、『これだけギャラリーの壁いっぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があ

るんだから』の『素敵な』が抜けていましたよね、ただの『絵』じゃなくて『素敵な絵』ですからね、まさかとは思いますが、悪質な嫌がらせで、わざと抜かしたわ

けじゃないですよね、ただの『絵』と『素敵な絵』とではスッポンと月くらいに違ってきてしまいますからね、これは、ただの『奥さん』と『素敵な奥さん』や、た

だの『フレンチレストラン』と『素敵なフレンチレストラン』がまったくの別物であるのと一緒です、ただの『絵』なんてもんは、紙と絵の具さえありゃ、その辺を

歩いてるおっさんやおばちゃん、幼稚園児、赤ん坊、それこそ、動物園のゾウさんやお猿さんにだって描けたりするわけですよ、さすがにキリンさんには描けません

けどね、また、ちゃんとした紙と絵の具がなくたって、その辺のガキンチョが道路や塀や教科書にイタズラ書きしたり、おねしょで布団に地図を描いたり、健全な若

い男の子が眠れぬ夜にマスターベーションしながら頭の中で好きな女の子の裸を思い描いたり、その逆も然りだったり、スタバの気取った姉ちゃんがカフェラテの泡

に頼んでもないのに自己満足で余計な絵を描いてくれちゃったり、彼女が手作り弁当のごはんにデンブでハートマーク描いてくれたはいいけれど他人に見られるのが

恥ずかしくて隠して食べたり、お母さんが電話中チラシの裏に無意識のうちに無我夢中で意味不明なアウトサイダーアートを描いていたり、どこぞの変態が便所の壁

に女性器マークを描き殴ったり、イキがったチンピラが背中にモンモン入れようとしてあまりの痛さに音を上げ途中でやめたり、他にも誰が何の目的でどのような方

法で描いたのか一切謎であるナスカの地上絵やミステリーサークルがあったり、現在では、パソコンソフトを使用して描くのが主流であったり、はたまた、コンピュ

ーター自身(AI)が描いたりもします、でも、それは、ただ単に物理的に『絵』を描いているに過ぎないのですよ、一方の『素敵な絵』はというと、これがなかなか描

こうと思って描けるような代物ではありません、何せ『素敵な絵』なわけですから、やはり『素敵』なわけです、ちゃんと魂がこもってるんです、魂は目に見えず、

心で感じるものであり、いくら魂込めてるぜ!なんて気張って描いてみても、実際まったく魂がこもってなかったりするわけです、わかりやすく説明すると、例えば

人間の絵を描くとします、頭と胴体を描き、手足を付け、目鼻耳口眉毛髪の毛を加えてやれば、何となく人間のようなものには見えてきます、でも、それだけでは、

まだ、ただ単に物理的に人間の姿形をした物体の絵を描いたに過ぎず、さらに、そこに魂を込めてやらなければ、人間の絵を描いたことにならないのです、つまり、

魂を込め、命を吹き込み、血を通わせてやらなければ、ただ単に物理的にお人形さんや死体の絵を描いたに過ぎないというわけです、どうすれば絵に魂を込められる

のか、口で説明するのは非常に難しく、私の個人的な感覚を述べるならば、描いてる本人がどれくらいその絵を描きたかったのかという思いの熱量(パッション)に関

係しているのではないかと何となく勘ぐってはいるのですが、よくポルノ作家が執筆中に勃起しているという話を聞くじゃないですか、実際に勃起してるかどうかわ

かりませんが、それくらいの情熱が必要ということなんです、とはいえ、いくら情熱をもって細密精緻な技術で上手に描いたとしても確実に魂が込められるという保

証はどこにもなく、また、何も考えずに鼻ほじりながら適当に描いた絵に偶然魂が込められてしまうこともあったりと、煎じ詰めれば非常に複雑な話になってきたり

もするわけですけれど、たしか大昔に観たティム・バートン監督の『エド・ウッド』というアメリカの売れないB級映画監督を題材にした映画の中で、オーソン・ウ

ェルズ役(キューブリック監督『フルメタル・ジャケット』で発狂し自殺するデブを演じた俳優)が、映画会社に文句ばかり言われ自暴自棄に陥り苦悩するエド・ウッ

ド役(ジョニー・デップ)を勇気づけるために語る『夢のためなら戦え。他人の夢を撮ってどうする?』っていうなかなかイカしたセリフがあって、それは、つまり、

他人のために他人の顔色を窺って映画を撮るのではなく、本当に自分が撮りたいと心の底から願う映画を撮りなさい、そのためなら自分の人生を賭けて戦う価値だっ

てあるんだぞって意味だと思うんですが、まさにその通りで、藝術の世界においては、自分自身が本当に表現したいことを表現しているのかどうか?という主体性の

有無が非常に重要になってきて、他人に褒められたい、いっぱいお金を稼ぎたい、ただ有名になって世間からチヤホヤされたいだとか、流行ってるからだとか、依頼

されて断り切れずに仕方なくだとか、決して全否定はしませんが、何が何でも自分はこの作品を作りたいんだ!人生や命を賭けてでも、たとえ一銭にならなくとも作

らなければならないんだ!といった気概をまったく感じない、邪な動機から作られる作品に魂など込められるはずもなく、所詮その程度の作品にしかなり得ないとい

うことなのだと思います、そして、私が広告という仕事に対し長年にわたり不信感不快感および嫌悪感を抱き続ける本質的な理由はまさにこの主体性の欠如にあるわ

けで、広告屋たちは映画『エド・ウッド』の中でオーソン・ウェルズ役が語るところの『他人の夢を撮ってる』わけであり、他人の褌で相撲を取ってるわけであり、

下品にたとえるならば、金のために好きでもない相手に股を開く売女と何ら変わりなく(個人的な意見として、藝術と恋愛はどこか相通ずるものがあり、藝術/クリエ

イティヴの世界において魂を売ることは、愛のないSEXをすることと同義であり、すなわち藝術家/クリエイターとしての価値を毀損することを意味する気がする)、

つまり、主体性の欠片もなくクライアントの顔色を窺って、表現したいことなど何もないくせに(愛なんてこれっぽっちもないくせに)、金のため他人のために他人の

金を使って他人の表現をしているに過ぎぬわけであり(愛のないSEXより虚しいものはこの世に存在しない)、もちろん、広告屋として上手くやっている人たちは、俺た

ちは広告という仕事を心から愛しており、常に愛情をもって仕事に臨んでいるんだ!と詭弁を弄し虚勢を張るか、もしくは、大胆に開き直り、広告は藝術ではない!

(俺たちは売女だ!)と嘯き、パーパスだかパンパースだかパンプスだかパイパンだかパンパンだかパンスケだかパイズリだか何だか知りませんが流行の横文字言葉を

喚き散らし、自分たちは世のため人のため立派に社会の役に立っていると己の存在価値を捏造し自己暗示をかけることによって(さらには法外な濡れ手に粟のあぶく銭

によって)広告屋としてのプライドを何とか保ちながら(よく風俗嬢がインタビューに顔を晒し『仕事は正直キツくて病んでしまいそうになることもあるけど、お客さ

んが、すっごく気持ちよかったよ、また来るね!って笑顔で帰って行くのを見ると、こんな自分にも存在価値があるんだな、もっとお客さんにいっぱい気持ちよくな

ってもらうために私も頑張らなくちゃって思うんです、最初はキモイおじさんに体触られたり舐められたりして帰りの電車の中でよく泣いたりしてたけど、人はどん

な辛いことにもいつしか慣れちゃうもので、最近じゃお客さんがお金にしか見えなくなってきて(笑)、どんな酷いことされても何にも感じなくなってしまって、さす

がにそれはヤバいかもとか思いつつ(笑)、それにぶっちゃけ月収もOLやってた頃の10倍以上も稼げるし(笑)、元々Hなことが嫌いなわけじゃなくむしろお客さんに気

持ちよくしてもらってる面もあったりと(笑)、こういう仕事も若いうちにしか経験できない立派な社会勉強だと思うし(笑)、他にやりたいことなんて別にないし、現

状は何となく満足してるって感じなのかな、将来の夢ですか?そうだな、毎晩通ってたホストクラブに行く回数をなるべく減らして週3くらいに抑えて、他にもブラ

ンド品を手当たり次第買い漁らないよう気をつけたり、稼いだお金を無駄遣いせずしっかり貯金して田舎の両親に一軒家をプレゼントしてあげたいな、そして、いつ

の日か私も結婚して子供産んで幸せな家庭を築けたらいいけどな(笑)』などと死んだ目で語る姿と同等の違和感を私は覚えるが)、まあ、その辺のわだかまりを大人と

して(金で)割り切ってこなしているわけであり、それ自体を全否定するつもりもないのですが(日本の広告屋は些か身分不相応にデカい顔し過ぎであり、もっとマシな

ものを作ってから、私が作りました!と偉そうな態度をとればいいのにとは思う)、私も本来、広告は藝術と同じ土俵に立たせて純粋に比べられるような代物ではない

と考えており(チンドン屋風情がチンドン・クリエイターなどといっぱしの藝術家気取りをしていたら、お前らは金もらってチンドンしてるだけだろ!となる原理で)、

さらに、私には自分の中に表現したいことがあり、身を賭して自分の藝術作品を生み出したい(愛のあるSEXがしたい)という強い意志を持ち、つまり、映画『エド・ウ

ッド』の中でオーソン・ウェルズ役が語るところの『戦ってでも撮りたい自分の夢』があり、どうしても広告を仕事として割り切ってこなすことができず(愛のない虚

しいSEXはしたくない)、ゆえに広告業界では成功することが叶わずに、そのルサンチマンをみっともなくも豪快に拗らせた挙げ句の果てに絵を描きはじめたという経

緯なのですが、さらに広告の主体性の欠如をより具体的に説明するならば、例えば、ビールの新商品が発売されるのでCMを作ってくれと依頼されたとします、新しい

ビールは『いまだかつてないほど画期的においしい』というのが訴求ポイントなので、CMを作る前に実際に試しに飲んでみれば、それほど画期的においしいとも思え

ない、ぶっちゃけてしまえば、まったくおいしいとも思えない、それでも広告屋としては金をもらっている以上クライアントの手前『それほどおいしいと思えない』

と素直に表現することはできず、何とか創意工夫を凝らし『いまだかつてないほど画期的においしい』と訴求しなければならないわけです、つまり、心にも思ってい

ないこと、自分が本当に表現したいとは思っていないこと、できれば表現したくはないことを、クライアントの顔色を窺って、嘘をついてまで表現しなければならな

いわけです、つまり、自分に嘘をつき、その嘘をついていることをクライアントに対してさらに嘘をつき、その結果として世間や消費者にまで嘘をついた上で、CMと

して表現しなければならないわけです、上手な嘘がつければ何も問題はないのですが、どんなに巧妙狡猾に嘘をついても、嘘をつけば必ずバレるものであり、そんな

虚しい嘘を塗り重ねたインチキCMに魂がこもっているはずもなく、そんな腑抜けたCMに感動する者などいるはずもないのです、話を戻して、魂を別の言葉に置き換

えてやるならば、キンタマでしょうか、キンタマが付いてる絵とでも言いましょうかね、もう少しくだけた感じで呼んでやれば、チンタマ、よりオシャレに気取って

ハイソな感じで呼んでやれば、キャンタマ、六本木のマスコミギョーカイ人風に呼んでやれば、タマキン、よりストレートで潔くシンプルに男らしく力強く呼んでや

れば、タマ、より親しみを持たせて女性にも気軽に使いやすく可愛げに呼んでやれば、タマタマ、さらに可愛くラブリーに呼んでやれば、タマタマちゃん、じゅわあ

っとふんわり甘酸っぱくじっくり煮染めた油揚げの中に酢飯を詰め込んだ例の食べ物によく似た特殊な形状から比喩的に呼んでやると、おいなりさん、よりインテリ

ぶって文学的に呼んでやると、フグリ、医学専門用語だと、睾丸、陰嚢、精巣、他にも英語だと、Nuts、Ballsとかになるんでしょうかね、英語の場合、複数形にして

やるのがポイントです、単数形だとタマが1個、つまり、カタタマになってしまうので注意が必要です、フランス語でキンタマを何と呼ぶかについては不勉強ゆえに

不明なので、勝手に調べるか、フランス大使館に問い合わせるか、アテネ・フランセ仏語コースに入学するか、ソルボンヌ大学に留学するか、もしくは、名前を失念

しましたがエマニエル夫人を演じた女優、もうすでに死んでしまっている場合は、存命のカトリーヌ・ドヌーヴ、ブリジット・バルドー、シャルロット・ゲンズブー

ル、ソフィー・マルソー、フランソワーズ・モレシャンあたりに電話して聞いてみて下さい、喜んで食いついてくるでしょう、ちなみに、キンタマを舐める行為のこ

とを俗にタマナメと呼びます、使い方としては『今日こそは絶対こってりタマナメしてもらっちゃうもんね!』とか『前カノと前々カノは喜んでタマナメしてくれた

のに、どうして君はタマナメしてくれないの?そんなにタマナメが嫌なの?それとも何かい、僕のタマタマちゃんに何か問題でもあるっていうのかい?』とか『お客

さん、タマナメして欲しかったら最初に言って下さいよお、急にタマナメって言われても、こっちも心の準備とかあって正直困っちゃうんですよお、どうしてもタマ

ナメって言うんならオプションで別料金5000円かかっちゃいますけど、それでもいいですかあ?』とかですかね、もちろん、あなたもタマナメしてもらった経験あ

りますよね、何とも言えぬ不思議な気持ちになりますよね、あれ、俺、今すんごいところ舐められちゃってるよ、でも意外と悪くないかも、いやむしろすごくいいか

もとか宇宙を感じて身悶えながら思わずうわずった変な声が出ちゃったりするスピリチュアルな体験ですよね、いかんせん、舐める場所が場所だけに、こちらからリ

クエストしなければなかなか積極的には舐めてくれない場合も多くて、頼む時に少し勇気が要って正直恥ずかしいけど、思い切って舐めてもらって本当によかったな

とか後で思い出してニヤニヤしたりしてね、話を戻しますが、もちろん、これは、キンタマが付いてる、イコール、男らしい絵というわけではなく、女性が描く絵に

もキンタマの付いた絵はたくさんありますし、さらに、キンタマが付いてる、イコール、卑猥な絵というわけでもなく、つまり、物理的なキンタマではなく、精神的

なキンタマ、肝っ玉みたいな意味合いに近いのかもしれません、肝っ玉ということは、とどのつまり、再び最初に戻って魂ということになるんでしょうがね、ただ誠

に残念なことに、昨今の世の中でもてはやされている絵というのは、アニメーションやマンガ、コミックなどから多大な影響を受けている、絵師だか萌え絵だか何だ

か知りませんが、ライトノベルの表紙などにお誂え向きな、つまり、精神的にキンタマが付いていない絵、『タマなし』『腐れキンタマ』みたいな絵が非常に多いの

がタマに傷であり、それらが世の中をつまらなくしている要因でもあると私は一丁前に分析するところではあるのですがね、また、例えば、美大や芸大や専門学校、

イラストスクール、カルチャースクール、近所の絵画教室、似顔絵通信講座、他にもピンからキリまで腐るほどありますが、そういった学校や教室に通えば、誰でも

絵を描く技術は簡単に学べますし、お手本通り、物理的に、ただの『絵』ならすぐにでも描けるようになります、しかも、上っ面だけ見りゃ、そこそこ上手に描けち

ゃったりもします、でも、絵の学校に通ったからといって、誰しも『素敵な絵』が描けるようになるかといえば、そうとも限らんのですよ、いやいや、そんなのは簡

単にチャチャッと描けるでしょっていうのならば、試しに自分で描いてみりゃわかります、己の無力さを痛感し、きっと死にたくなりますから、私も何度死にたくな

ったか数え切れたもんじゃありません、その死にたくなるような無力感、絶望感を何度も乗り越えて、ようやく命からがらここまで辿り着いての『素敵な絵』なわけ

ですよ、『素敵な絵』を舐めたらあかんのです、もちろん、私も『素敵な絵』について偉そうに語れる立場にあるわけでもなく、さらに私の場合、美術系の学校で正

式に絵を学んだわけでもなく、幼稚園の頃にお絵描き教室に少し通った程度であり、大人になって絵を描きはじめたのが33歳のある日、突発衝動的になぜだか猛烈に

絵が描きたくなって描きはじめたという経緯もあって、他の絵を描く人たちに比べると、かなり遅咲きデビューの完全なる独学、自己流、異端派であるため、絵とは

何か?とか、絵を描く動機とは?絵を描く意味とは?みたいな問いに対して妙な執着を持っていて、おまけに、いつまで経ってもさっぱり上達しない己の絵のヘタク

ソさ加減に対するコンプレックスを破れかぶれに拗らせたあげく非常に面倒くさい状況に陥っていたりもするんですけれども、もちろん、自分の描いた絵に魂がこも

っているかどうかを自分の目できちんと判断するのは難しいことです、自分の描いた絵が、ただの『絵』なのか『素敵な絵』なのか、他人から言われて初めて気づく

ことも多々あります、それゆえに、魂がまったくこもっていないただの『絵』のくせして、魂がこもった『素敵な絵』の振りして、世の中の絵の価値のわからん人た

ちを巧妙な手口でダマくらかし、悪どく金儲けしている詐欺師同然な連中も少なくありません、まあ、ダマすほうもダマされるほうも正直どっちもどっちですけど、

『素敵な絵』の価値判断基準が不明瞭なことも一因なのでしょうかね、私自身も時々わからなくなって混乱したりもしますが、それを見極める力こそが才能と呼ばれ

るのだと私は思います、そして、まさに、その己の力ではコントロールできない、いかんともし難いところにこそ、また、その困難を不屈の精神で乗り越えて行った

先に『素敵な絵』を発見すること、他人に何を言われようとも、己の才能を信じ切り、信念を貫き通し、本当に己の表現したいことを、己の表現したい方法で、表現

することにこそ、絵を描くことの最大の魅力や醍醐味があり、ひいては、藝術活動、創作活動、表現活動を行うことの真の意義があると言っても過言でないように私

は思います、さらに、これは絵に限らずそっくりそのまんま人間にもスッポリ当てはまることなんです、ただの『人』と『素敵な人』もスッポンと月です、世の中を

見渡してご覧なさいな、『素敵な人』がどれほど見つかることやら、おそらくほとんどが何らの魅力も感じぬただの『人』です、本当に『素敵な人』なんて滅多にお

目にかかれやしませんよ、『素敵な振りをするのが上手な人』ならごまんといますが、どんなに巧妙狡猾に上っ面を装って世間を欺いて誤摩化したとしても、魂がこ

もった『素敵な人』であるかどうかは、見る人が見れば一目瞭然であり、そもそも素敵な振りをしなければならない時点で、その人は本質的に『素敵な人』ではない

という証左なのです、時々、ただの『人』で何が悪いんだ、ただの『人』こそが素敵なんだとか、世界にひとつだけのなんちゃらとか意味不明な屁理屈並べて開き直

る人たちを見かけますが、ただの『人』と『素敵な人』を比べたら『素敵な人』のほうが素敵に決まってるじゃないですか、それに、もしも、すべての『人』が『素

敵な人』になってしまったら、『素敵な人』の値崩れが起きて、『素敵な人』の価値なんてまったくなくなってしまうじゃないですか、他にも、私には才能なんて全

然ありませんよ、ただ頼まれたから仕方なく作ってるだけですよ、本当は作りたいものなんて何にもありやしないんですよ、とか語っているクリエイターの人たちを

広告業界などでよく見かけますが、謙遜だか照れ隠しだか本当に才能がないからツッコミ入れられる前に予防線を張っているだけなのか何だか知りませんけど、本当

に自分に才能がないとハッキリ自覚しているのならば、さっさとクリエイティヴの仕事から足を洗って実家の乾物屋でも継いだらいいんですよ、この機会に思い切っ

てコンビニに改装するのも悪くないかもしれませんよね、もしくは、どうしても世間の注目を浴びたくて仕方がない目立ちたがり屋さんだというのならば。廃品回収

トラックの運転手にでも転職したらいいんです、免許がないなら合宿免許代くらいは私が喜んで捻出してあげますよ、本当に何をバカなこと言っていやがるんだと私

は思いますけどね、結局、ただの『人』は、何が素敵なのか、素敵とは何かをまったく理解してはおらず、自分の頭や感覚で理解しようともせず、他人の意見や世の

流行に流され続け、『素敵』という概念に対して一生理解を得ることはないということなのでしょう、哀しい現実ではありますが、つまり、そういうことなんです、

それくらいの覚悟をもって私はセリフに『素敵な絵』を入れてるわけなんです、決して生半可な覚悟ではないのです、人生賭けてるんです、理解していただけました

か、ここは本当にものすごく繊細で重要なところですから、しっかり注意してセリフを言って下さいね、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「こ

れだけギャラリーの壁いっぱいに素敵な、素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはも

う廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!カット!うーん、今『素敵な』を2回言っちゃいましたよね、『素敵な』を2回繰り返すと何だかとってもわざとらしく

なっちゃいますよね、しかも、1回目の『素敵な』と2回目の『素敵な』との間に意味深な『、』(読点)まで入れて絶妙に思わせぶりなタメまでこしらえて『2回も言

っちゃってますよ』感を姑息にアピールする演出までして、そんなことしたらすべてが台無しになってしまうとなぜわからないのですか、私の絵が素敵なのは当たり

前のことですからね、2回繰り返す必要なんてまったくありませんよ、1回言えば私の絵が素敵なことは十分伝わりますから、本来ならば当たり前のこと過ぎて別にわ

ざわざ言わなくともよいくらいのところを、1回くらい言っておいても嫌味には聞こえないだろうと思い、また、前述した通り、私の並々ならぬ覚悟の程を皆の衆に

も知らしめるべくあえてセリフに組み入れてるんです、さりげなくシンプルに1回で十分なんです、もしかして、さっき注意した最後の決めゼリフ『あんたはもう廃

人なんかじゃないよ!』文末の『!』(ビックリマーク)を気合い入れ過ぎて『!!』2本付けてしまったように、私に気を遣って、お得意のおべんちゃらのサービスで

2回繰り返したんですか、たしか昔『マス・イメージ論』の中でも広告屋や芸能人をチヤホヤと持ち上げてましたよね、あなたのそういったミーハー的な軽いノリは

正直あまり感心しませんよ、そんな余計なおべんちゃらなんて私はまったく求めてませんからね、点数稼ぎのアドリブなんてまったく必要ないんですから、ちゃんと

指示通り一言一句違わず台本通り正確なセリフを言ってくれないと困りますよ、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁い

っぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハ

イ、カット!カット!カット!うーん、ええとですね、何なんだろうなあ、やはり何というかですね、本質的に何かが足りてないように思うんですよ、あなたが本当

に心の底からそう思っているかどうかは正直私にはわかりませんし、実際確認するすべもありませんが、本当に思っていないにせよ、例えば、小粋な売れっ子芸者が

『あなただけよ、他のお客の前じゃ絶対言わないけれど、あたし、あなたに、ほの字なの』とか何とか言って客を手玉に取り色恋営業するかのごとく、まるで本当に

思っているかのように巧妙に見せかけるのが本物のプロフェッショナルな演技というものではないでしょうか、有名な『嘘も100遍唱えれば真実になる』ではないで

すが、嘘でも最後にあなたの本気度を是非とも見せて欲しいところなんですけどね、私は」「そんな無茶なこと言われたって、俺はプロの俳優でも役者でも売れっ子

芸者でもないんだからさ、それに何遍も繰り返すように、俺はあんたのことなんてまったく知らないし、さっきも言ったように、俺はあんたの絵を実際に見たわけじ

ゃないし、あんたの絵の魅力も正直わかってないし、身も蓋もない本音を言っちまうとだな、まったくもって興味なんてないんだよ」「何ゴタゴタとわけのわからな

い泣き言ぬかしていやがるんですか、この老いぼれのくたばり損ないの味噌っかすのあんぽんたんのスットコドッコイめが、蜷川幸雄の舞台の稽古だったら、すでに

灰皿が何枚も宙を舞い、そのうち1枚がおでこに見事命中し卒倒して泡吹いてるところですよ、大島渚監督の映画の撮影現場だったら、さっそく目付けられて延々罵

倒されまくりオイオイと泣かされて小便まで漏らしちまってるところですよ、AVの村西とおる監督の撮影現場だったら、でっかいビデオカメラ担いだまま『ナイスで

すねー!』ってのしかかられハメドリされて絶頂を迎える度に笛を吹かされてるところですよ、鬼畜系スカトロAVの撮影現場だったら、頭丸刈りにされて小便ひっか

けられて何本も浣腸されまくった挙げ句にウンコどっさり食わされているところですよ、元電通の佐藤雅彦は昔ビールのCM撮影現場でショーケンに『うまいんだな、

これがっ』ってセリフを100テイク以上も延々言わせ、ショーケンにブチギレされそうになったという伝説も残っているくらいなんですからね、100テイクですよ、

余程のことがない限り100テイクなんて言わせませんよ、そういう場合、大抵は指示出しているほうもわけわからなくなってしまってるんです、それらに比べたら、

こんなのは楽勝な現場だと思いませんか、それに、大人しく聞いていれば、いい気になって、何ですか、私の絵にはまったく興味がないですって、何どさくさに紛れ

てバカなことを忌憚なくヌケヌケと言ってくれちゃってるんですか、嘘おっしゃいな、嘘をつけ、嘘をつけ、嘘をつけ、本当は私の『素敵な絵』に興味津々で、もう

気になって気になって仕方がなくて、居ても立ってもいられなくて、夜も眠れなくて何度もオシッコに起きちゃうくらい、たまに間に合わなくてジョロッとチョイ漏

れしちゃうくらい、それくらい私の『素敵な絵』が大好きでたまらないくせに、わざと依怙地になって好きなのに嫌いだなんて言ってみたりして、まるで好きな女子

を嫌いだ嫌いだと言いながら散々追いかけ回して付きまとってイジメまくってるアホな小学校低学年男子とおんなじ脳味噌じゃないですか、少しは自分の心に正直に

なったらどうなんですか、お互いもっと素直になって心を通わせ合いましょうよ、それとも何ですか、さっきも言ったように、やはり、私の『素敵な絵』が大好きだ

と本当のことを言ってしまうと、『廃人の歌』でいうところの『ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人である

さうだ』のごとく、全世界を凍らせてしまって廃人扱いされてしまう恐れがあって、それだとあなたも困るから、本当は私の『素敵な絵』が大好きなくせして、つれ

ない素振りを演じているだけに過ぎないのですか、もちろん、あなたが本当に心の底から私の『素敵な絵』を大好きだと思っているかどうか正直私にはわかりません

し、実際確認するすべもありませんが、万に一つ、そんなことはおそらくないと思うし、考えられないことだと信じていますが、仮にですよ、あなたが本当はそう思

っていないにせよですよ、今までいつも偉そうに他人の作品を批評して無責任に講釈垂れて文句ばかり言ってクソミソにこき下ろしまくってきたんでしょ、最後の最

後くらい自分もビシッと最高の演技を見せたらどうなんですか、あなたにはそんな甲斐性もないんですか、そんなことじゃ今まで散々批評してきた人たちに申し訳が

立たんでしょうが、作品たちが浮ばれないでしょうが、こちとら、それこそ命懸けの覚悟で人生賭けて死物狂いで絵を描いているんですからね、批評するほうも命懸

けの覚悟で批評をして下さいよ、プロフェッショナルとしてきちんとガチンコ真剣勝負の批評をして下さい、それにですよ、今あなたにきちんとお墨付きを頂いてお

かないと、これから先も私は死ぬまで廃人の烙印を押されたまま、廃人の呪縛に囚われたまま、廃人スレスレの人生の中で一生死ぬまでもがき続けねばならなくなっ

てしまうんですよ、せめて最後の最後にその呪縛を解いて私を楽にしてやって、きっちり責任とってケジメをつけて筋を通してから、あの世へと旅立って下さいよ、

あなたもウンコした後は必ずケツ拭きますよね、最近じゃ、時と場合によっては、ご丁寧にも気取ってケツの穴に水とかお湯とかぶっかけたりもするそうじゃないで

すか、ウォッシュンレットントンとか言うんでしたっけ、自慢じゃないですが、私は生まれてこのかた一度だってウォッシュンレットントンしたことなんてないです

からね、ケツの穴なんてもんは風呂入った時にふやかして念入りに擦って洗ってやりゃそれで十分なんですよ、便所行く度にウォッシュンレットントンする必要なん

てないんです、ケツの穴を甘やかしちゃいけないんです、一度甘やかしてしまったら最後、金持ちのドラ息子のように、小遣いせびってきたり、勝手に親のベンツ乗

り回したり、女連れ込んだり、ケツの穴が調子に乗って増長していって、やりたい放題、そのうち、あなたの顔とケツの穴がすっかり入れ替わって、やがては、あな

たの脳味噌がケツの穴に乗っ取られ洗脳され、あなたの思考や行動や銀行口座が常にケツの穴に管理されるようにもなって、その悪の手はあなたの家族や恋人や友人

や会社の同僚にさえも及んでいってしまうんです、気づいた時はもう手遅れで、あなたのすべてがすっかりケツの穴の軍門に下ってしまっているんです、ケツの穴だ

けに肛門に下ってしまうと言っても良いのかもしれませんが、これは本当に恐ろしいことなんです、それに、毎回こまめにウォッシュンレットントンすればパンツの

クソジミいわゆるウンスジってやつが少しはマシになるとでも言うんですか、ウォッシュンレットントンするしないにかかわらず、人間という生き物は一生涯を通じ

てパンツのクソジミいわゆるウンスジと戦い続ける運命なんです、誰しもが逃れることなど到底不可能なんです、これはもう諦めてもらうしかないんです、まあ、毎

回ウンコする度こまめにウォッシュンレットントンするしないは人それぞれ個人の自由であるとして、ひとまずウォッシュンレットントンの話は置いておくとして、

ともかくですね、ウンコしっぱなしで拭かずにそのままなんてことは現代社会では決して許されることではないんですからね、尻拭いだけはくれぐれもきちんとして

行ってもらわないと困るんですよ、さもないと私は一生廃人のままなんですからね、そんな生殺しの状態の宙ぶらりんのまま私を置いてけぼりにしないで下さいよ、

あなたもこの期に及んでこの世に心残りは嫌でしょう、『廃人の歌』でいうところの『破局をこのまないものは 神経にいくらかの慈悲を垂れるにちがひない 幸せ

はそんなところにころがつてゐる たれがじぶんを無惨と思はないで生きえたか』のごとく、自分を無惨と思う私に最後に慈悲を垂れてからあの世へ旅立って下さい

よ、幸せはそんなところにころがっているんです、これはあなたの書いた詩ですよね、あなたも破局は好まないでしょうに、私も破局は好みません、お互い納得のい

く、もうこれ以上はない最高の形で、後腐れのない、有終の美を飾ろうではありませんか、いいですか、後生ですからね、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、

スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あ

んたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!うーん、少しずつ良くはなっているんですけど、頑張っておられるとは思うんですけどね、どうしようかな、

うーん、そうだ、試しにですけれど、急な変更で大変申し訳ないですが、『これだけギャラリーの壁いっぱいに素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから』の

『素敵な絵』の前に『ヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い』を付け加えてもらってもいいですか、『これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇

妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから』となるわけです、つまり『素敵な絵』と言われてどんな風に素敵なのかを具体的に説明してみたわ

けです、また、絵というものは本来上手下手で簡単に判断できるようなそんな生易しいものでは決してなく、たとえヘタクソでも見る者の心を強く揺さぶる『素敵な

絵』もあるんだぞという私の強がった希望です、上手なだけで何の魅力もない絵に対する痛烈な皮肉を込めてもいるんですがね、さらに、絵が救いようもなくヘタク

ソな私の、上手な絵を器用に描ける人たちに対するやっかみも少しは入っていますけどね、毎度毎度妙ちくりんなたとえになってしまい大変恐縮ですが、わかりやす

く説明しますと、例えば、100人中100人誰もが口を揃えて美人だと褒めそやす完璧な容姿を持つ絶世の美女がいたとします、けれども、なぜだか理由は定かではあ

りませんが、不思議なことに、性的にはまったくそそられない、つまりアソコがエレクトしない、ピクリともしない、つまりチンピクしないタイプの美人というのが

世の中には存在したりします、具体的に誰某と例示したいところですが、すぐには名前が浮ばず、また、名前を出すのは失礼に当たる恐れもありますので、曖昧なま

ま話を進めさせていただきますけれど、とにかく、絶世の美女なのにもかかわらず性的にはまったく心惹かれない女性というのが世の中には存在します、これは前述

した絵でいうところの『上手なだけで何の魅力もない絵』に相当すると思われます、その逆に、まったく美人ではないのに性的に妙にそそられる女性というのも世の

中には存在します、具体的に誰某と例示したいところですが、これまたすぐには名前が浮ばず失礼に当たるため、華麗にスキップさせていただきますが、容姿は十人

並み以下なのになぜだか性的に強く心惹かれるタイプの女性です、前に誰かが『ヤリたいブス』とか何とか失礼千万なたとえをしているのを耳にしたことがあります

が、まさに『ヤリたいブス』という言葉がしっくりバッチリ嵌まる感じの女性です、そして、自分で言うのも何なのですが、すなわち私の描く絵も『ヤリたいブス』

ということになるのではないかと私は内心思っているわけです、たとえが陳腐で下品なことは百も承知なのですが、私が目指すべき絵を言葉で表現するとまさに『ヤ

リたいブス』になるというわけなのです、一度全体で通してみましょう、『これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾

れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』となるわけです、大丈夫で

すか、覚えられましたか、いいですね、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいにヤリたいブスだけど何とも奇妙

な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」

「ハイ、カット!カット!カット!カット!カット!カット!ちょっと今『ヤリたいブス』とか言っちゃいましたよね、何てこと言ってくれちゃってるんですか、勝

手にセリフ変えないで下さいよ、ちゃんと私の指示通りセリフを言ってもらわないと困るんですけどね、文脈的にも少しおかしいでしょ、おかしいと思いませんか、

それに、たとえ心の中で思っていたとしても『ヤリたいブス』なんて言葉をセリフで言っていいわけないでしょうが、大変な失礼にあたりますよ、あくまでも『ヤリ

たいブス』は私が目指すべき絵のコンセプトとして口からでまかせに思わずポロッと漏らしてしまっただけであり、『ヤリたいブス』はイメージであり、『ヤリたい

ブス』は言葉のニュアンスであり、実際にセリフとして言ってもらいたい言葉は『ヤリたいブス』ではなく『ヘタクソ』ですからね、そんなことくらいすぐにきちん

と理解していただかないと困りますよ、まったく何を考えてるんですか、すっかり惚けちまったんですか、もう後は死ぬだけだと考えて後先構わず何やっても許され

ると思ったら大間違いですからね、そういうお年寄りを老害と呼ぶんですからね、たとえ惚けていたとしても『ヤリたいブス』なんて言葉は絶対に口に出してはダメ

です、二度と『ヤリたいブス』なんて言葉は口にしてはいけませんよ、いいですね、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの

壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、

あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!カット!うーんと、あのですね、今さっき追加してもらった『ヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い』の

中の『ヘタクソ』の言い方のニュアンスなんですがね、私が自分でセリフに組み入れ、あなたに言わせておきながら、何をか言わんやなのは百も承知なのですがね、

その、何と言いますかですね、些かキツ過ぎるというか、トゲがあり過ぎというか、カドが立ち過ぎというか、険があり過ぎというか、ぶっちゃけ過ぎというか、悪

意あり過ぎというか、つれなさ過ぎというか、身も蓋もないというか、神も仏もないというか、救いようもないというか、溺れる者が藁をも掴めないというか、つま

り、ネガティヴに寄り過ぎてしまっていて、ハッキリ言って洒落になってないんですよ、私はこう見えてものすごくナイーヴな人間ですからね、可憐な乙女のごとく

傷ついてしまうんです、もちろん、私の絵が『ヘタクソ』なのは百も承知ですよ、そんなことは言われなくともわかっておりますから、黙ってらっしゃい!てな感じ

ですよ、何しろ『お前の絵はヘタクソだ』と散々言われ続けてきましたからね、最近じゃ『ヘタクソ』と言われる度に『ああ、そうさ、俺の絵はヘタクソだよ、だけ

ど、お前の絵だって俺よりちょっとマシなだけで、ミケランジェロに比べりゃヘタクソじゃねえかよ』なんて開き直ったりもしてますよ、『ミケランジェロ』が『レ

オナルド・ダ・ヴィンチ』の時もありますがね、そもそも『ヘタクソ』という言葉は相当キツい言葉なんですよ、『ヘタクソ』と言われて純粋に傷つく人たちも大勢

いると思います、女の子が『ブス』と言われて傷つくのとまったく一緒です、他にも『あんたはSEXがヘタクソね』とか『お前のフェラはヘタクソで全然気持ちよく

ないんだよ』とか『本当に生きるのがヘタクソだなあ』とかも傷つきますよね、また、自分から『私の絵ってヘタクソでしょ』と自虐的に言う場合と、他人から『お

前の絵はヘタクソだな』と否定的に言われる場合とでも『ヘタクソ』の意味合いがかなり違ってきます、それは、若い女の子が『私、ブスだしー』と自虐的に言う場

合と、好きな男の子(彼氏)から『お前、ブスだよな』と言われる場合とで『ブス』の意味合いが違ってくるのと同じことです、さらに、好きな男の子(彼氏)から『お

前、ブスだよな』と言われる場合でも、『お前、ブスだよな、(でも俺はそんなお前を結構気に入っているんだぜ、ずっと一緒にいられたらいいよな、愛してるよ、チ

ュッ)』と『お前、ブスだよな、(だから俺はさっさと別れて次の女に乗り換えたいと思っているんだよね、できれば整形してくれないかな、ペッ)』とではまったく意

味合いが違ってきてしまうんです、言い方のニュアンスというか、微妙な温度差というか、デリカシーの有無というか、ようは、言葉に愛があるかどうかがすべてな

んです、今回のセリフの中で、私があなたに求めている『ヘタクソ』のニュアンスは、先ほど例示した、好きな男の子(彼氏)から『お前、ブスだよな、(でも俺はそん

なお前を結構気に入っているんだぜ、ずっと一緒にいられたらいいよな、愛してるよ、チュッ)』のほうなんですよ、一見つれない素振りをしている体に見えますが、

後でしっかりフォローしてあげて、最後はぎゅうっと抱きしめて『チュッ』とキスまでしてあげてるんです、そして、キスの後、言葉に表れてはいませんが、勢い余

って押し倒してヤっちゃってるかもしれませんね、何といっても、ケンカした後の仲直りのSEXっていうのは結構盛り上がるものですからね、これはもちろん相思相

愛のSEXであり、おそらく体位は顔を見合わせながらの正常位か対面座位、もしくは顔を見上げながらの騎乗位になると思われます、一方、先ほどあなたが言ったセ

リフの中での『ヘタクソ』のニュアンスは、『お前、ブスだよな、(だから俺はさっさと別れて次の女に乗り換えたいと思っているんだよね、できれば整形してくれな

いかな、ペッ)』のほうなんですよ、女の子に向って整形しろとか非情なことを平然と言ってのけた挙げ句の果てに、思いっきり相手の顔に『ペッ』とツバを吐きかけ

てしまってるんです、そして、ツバの後、言葉に表れてはいませんが、勢い余って散々ぶん殴って蹴飛ばしまくって押し倒して鬼畜のように無理やりヤっちゃってる

かもしれませんね、これはもちろん一方通行的な愛のないSEXであり、おそらく体位はなるべく顔が見えないように後背位(バック)一択になると思われます、言ってる

意味わかりますよね」「まあ、わかるっちゃ、わかるんだけどさ、なんか話が妙な方向に逸れて行ってるようにも思うんだよね、それに、そもそも俺はあんたの彼氏

でも何でもないし、俺のアソコはもう随分前から生殖器としてまったく役に立たなくなっちまってて、泌尿器としてのみの利用しかしてないんだけどなあ」「ですか

ら、ご安心下さい、実際にSEXするわけではないですから、するわけないでしょ、正常位とか対面座位とか騎乗位とか色々と具体的に説明してますが、あくまでも、

たとえ話であって、話を膨らませるためのイメージであって、もちろん、あなたは私の彼氏でもありませんよ、当たり前じゃないですか、付き合ってるわけでもない

ですし、まだ手も握ってませんし、親にも紹介してません、一度恋文を送らせてもらった程度のプラトニックな関係です、恋文というか個展のDMですけどね、無視さ

れてしまいましたがね、『!!』(ビックリマーク)2本も付けたのに、というか、そもそも、実際のところ、私はあなたには一度も会ったことがありませんし、あなた

の肉体はすでにこの世にはなく、かろうじて魂だけがこの世に残り、その魂と私は今こうして交信しているに過ぎないのですよ、でも、私はあなたのことが大好きな

んです、もちろん、性的にあなたをアレコレどうこうしちゃいたいという意味合いでは決してなく、あなたのタマタマちゃんをナメナメしてさしあげたいとかでもな

く、私のタマタマちゃんをあなたにナメナメしていただきたいとかでもなく、『廃人の歌』という詩を愛してるというのと同じ意味合いにおいて、私はあなたのこと

が大好きなんです、愛してるんです、それは『廃人の歌』でいうところの『生れてきたことが刑罰であるぼくの仲間で ぼくの好きな奴は三人はゐる』のごとく、生

まれてきたことが刑罰である私にも好きな奴は3人いて、それは何を隠そう、ゾウさんとキリンさんとあなたなんですけど、その3人の中でも、ゾウさんとキリンさん

を差し置いて、ブッチギリであなたのことが一番大好きなんです、あなたが堂々トップなんです、これは誇ってもいいことです、一方、あなたのほうが私のことをど

う思っているかは正直わかりませんが、おそらく生まれてきたことが刑罰であるあなたにも好きな奴が3人いて、それは何を隠そう、ゾウさんとキリンさんと私であ

り、その中でも、ブッチギリで私のことが一番大好きなんじゃないかと朧げながら私は前々からそう睨んでおりました、そんな風に大好きな愛する相手から『お前、

ブスだよな、(でも俺はそんなお前を結構気に入っているんだぜ、ずっと一緒にいられたらいいよな、愛してるよ、チュッ)』と言われるようなニュアンスで、つまり

相思相愛の確固たる信頼関係の下で、あなたに『ヘタクソ』と言ってもらいたいんです、たとえつれなくされても、最後はぎゅうっと抱きしめて『チュッ』とキスし

て欲しいんです、私が真に求めているのは、あなたのツバではなく、あなたのキスなんです、『ペッ』ではなくて、『チュッ』のほうなんです、私はあなたを求め過

ぎていますかね、私は欲しがり屋さんですかね」「もちろん、俺にも好きな奴の3人くらいいるけどさ、それはゾウさんとキリンさんとあんたではないんだよなあ、

それに、ツバとかキスとか、俺にも正直できることとできないことがあるからなあ、想像してたら気持ちが悪くなってきちゃったよ、吐き気がしてきたよ、オエッ、

オエッ、オエッ」「まあ、気持ち悪くなるのも無理もありませんよね、なんだかメンヘラを重度に拗らせた腐女子のうわごとみたいで、内心こいつ面倒くせえ奴だな

あ、付き合い切れねえよとお思いでしょうが、そんな私に好かれたのが運の尽きだと諦めて、引き続きお付き合い願えれば幸いですよ、それでは、いいですか、もう

1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだか

ら、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!うーん、今のテイクとても良かったです、

『ヘタクソ』の言い方にも、ちゃんと愛があって、私にツバを吐きかけるのではなく、私にキスしてくれています、『ペッ』ではなく『チュッ』でした、あなたは私

の絵を『ヘタクソ』だなんて、つれなく言ってるけれど、本当は私の絵も私のことも愛しているんだな、私はあなたに強く愛されてるんだなというのがきちんと伝わ

ってきて、とっても良かったんです、良かったんですが、欲を言わせてもらうと『ヘタクソ』の言い方に込められた『お前、ブスだよな、(でも俺はそんなお前を結構

気に入っているんだぜ、ずっと一緒にいられたらいいよな、愛してるよ、チュッ)』の最後の『チュッ』の部分なんですがね、正直まだまだ物足りないと言いますか、

さっきも説明したように、この後、言葉に表れてはいませんが、あなたは私を勢い余って押し倒し、正常位か対面座位か騎乗位か、どんな体位になるかはその場のノ

リ次第ですけど、私たちは仲直りのSEXをする予定になっているんです、もちろん、それは、言葉の綾であり、比喩であり、実際にSEXをするわけではなく、あくまで

も、気分は仲直りのSEXへまっしぐら、もう誰も俺たちの愛を止められやしねえぜ!朝までガンガン互いのアソコがヒリヒリするまでヤリまくるぜ!ヘヘイのヘイ!

てな感じのニュアンスなのですけれども、にもかかわらず、今はまだ『チュッ』とおでこに軽くキスしてる程度に留まっている状態なんですね、それだと、その後、

仲直りのSEX には発展して行きそうもないので、きちんと仲直りのSEXに発展するような濃厚なキスを『ブチューッ』と一発ブチカマしていただきたいんですよね、

おでこに軽く『チュッ』ではなくて、お口に『ブチューッ』といいますか、もっとエゲツナイ、貪り合うような、ケダモノじみた、ドスケベで変態的なディープキス

を私はあなたにブチカマされたいのですよ、いわゆる世間一般でいうところの『フレンチキス』というやつですね、時々『フレンチキス』を初心者用の挨拶代わりの

軽いキスとして誤用しているマヌケな人たちを見かけますが、『フレンチキス』というのは、その名の通り、ドスケベなフランス人がする、もうエゲツナイ、貪り合

うような、ケダモノじみた、変態的なディープキスのことを言うんです、あなたは私の絵に対して失礼この上ないことには『ヘタクソ』などと言うわけですからね、

これは誹謗中傷、もう立派な言葉の暴力であり、裁判所に訴えられても仕方のないようなことを、人の気も知らず、ヌケヌケと言ってくれちゃってるわけなんですか

らね、その後、それ相応のリカバリー的な意味合いのキスを、和解金、示談金代わりに最低でもしていただかなければ、私は訴えを取り下げることはできませんし、

あなたのことを断じて許してあげることはできませんし、溢れ返る愛を感じませんし、何だか私には物足りなさ過ぎて満足できないんです、最近旦那に全然構っても

らえずに性欲を持て余す欲求不満な昼下がりの団地妻みたいに、ソワソワとじれったく、私は満足できないんですよ、そんな甘っちょろい子供騙しのキスでは、私の

アソコは乾いたままなんです、サハラ砂漠やゴビ砂漠、月の砂漠のようにカラッカラに乾いて、蜘蛛の巣まで張ってしまって、あなたのアレを受け入れられず、その

後の仲直りのSEXへとは直結していかないんですよ、お互いもう子供じゃないんですからね、酸いも甘いも噛み分けてここまで生きてきたわけじゃないですか、亀頭

がテラテラと黒光りして自分の姿形がくっきり映るくらい百戦錬磨にヤリまくって女を散々色んな意味で泣かせまくってきたわけなんですから、どうすれば最終的に

SEXに持ち込めるかくらいは大体わかるでしょ、『ペッ』ではなく『チュッ』でもなく『ブチューッ』なんですよ、人目も憚らず、大胆不敵に『ブチューッ』と一発

ブチカマして欲しいんです、官能的に『ブチューッ』とブチカマして私をキスだけでヌルヌルビショビショの濡れっぱなしにして欲しいんですよ、私の言ってる意味

わかりますよね」「今度は昼下がりの団地妻かい、どんどん変態方向に向って行ってる気がするけどなあ、にっかつロマンポルノの世界だよ」「そう、それです、そ

れ、さすがですね、話が早い、若い頃に散々お世話になった口ですか、伊達に老いぼれてはいませんね、そう、つまり、今回私があなたに求めている『ヘタクソ』の

ニュアンスは、まさに『にっかつロマンポルノ』の世界を匂わせるような『ブチューッ』つまり、もうエゲツナイ、貪り合うような、ケダモノじみた、変態的な『フ

レンチキス』からはじまって、『仲直りのSEX』へと直結する『ヘタクソ』なんです、ただし、ここでご注意いただきたいのは、AV(アダルトビデオ)ではないという

ことです、AV(アダルトビデオ)も『にっかつロマンポルノ』もやってることはほとんど一緒、端から見りゃ、オスとメスがイチャイチャとチチクリ合ってSEXしてる

だけに見えます、でも実際はまったく別物なんです、何が違うかといえば、物語を感じるか感じないかです、AV(アダルトビデオ)のほうは物語もへったくれもなく、

ただ男と女がヤリまくってるだけですね、時々勘違いしたAV監督がドラマ仕立てにしてAV女優に大根演技をさせたりしてますけど、とてもじゃないが見られた代物

ではありません、そんな勘違いドラマはいいからさっさと裸になってやることやってくれよとしっかり勃起しながらイライラ早送りしたりしますよね、一方の『にっ

かつロマンポルノ』のほうはというと、ちゃんと物語を感じるんです、何せ才能ある映画監督が売れない頃に手掛けていたりもしますからね、決してただのポルノで

は終わらせないんです、しっかりとロマンを感じさせる物語があるのです、そして、今回私が求める『ヘタクソ』のニュアンスも、AV(アダルトビデオ)ではなく『に

っかつロマンポルノ』の物語を感じさせる官能的な『ブチューッ』で是非ともお願いしたいところなんです、人間なんて所詮はケダモノの一種に過ぎませんからね、

ただSEXするだけでも別にいいっちゃいいんですけど、でも、それじゃ、何だか哀しいし、虚しいじゃないですか、何とも面倒くさ過ぎるお願いで本当に申し訳なく

思っていますよ、よく怒らないで私のお遊びに付き合ってくれてるなっていつも感心しますよ、余程の忍耐強い人か、ただのお人好しか、さすがは戦争体験者なだけ

のことはありますね、もしも私が逆の立場だったら、とっくの昔に、やってられるか!ってブチギレてさっさとおうちに帰ってヤケ酒でも喰らってるところですから

ね、あなたのお気持ちは手に取るようにわかりますよ、そこを何とか堪えてもらって、大丈夫ですよね、それでは、いいですか、もう1回行きますよ、よーい、スタ

ート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっ

かり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!うーん、いいですね、いい感じになってきましたよ、『ヘタクソ』の言い

方には文句のつけようもございません、素晴らしいの一言に尽きます、もう100点満点の花丸をこれでもかと付けてあげたいくらいの気持ちでいます、まさに注文通

り『にっかつロマンポルノ』の世界を匂わせるような官能的な『ブチューッ』、つまり、もうエゲツナイ、貪り合うような、ケダモノじみた、変態的な『フレンチキ

ス』からはじまり『仲直りのSEX』へと直結する見事な『ヘタクソ物語』でしたね、あなたの私に対する溢れんばかりの愛とその裏に流れる物語をひしひしと感じま

す、最近旦那に構ってもらえず間男こしらえて部屋に引っ張り込む昼下がりの団地妻みたいに、私はもう四六時中濡れっぱなしです、全体的におおむねいい流れにな

ってきています、この調子です、はい、では、ここで、わがままを言って大変申し訳ないんですけれど、試しに、さらにセリフを追加させて下さい、先ほど追加した

『ヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い』の『奇妙な』と『味わい深い』の間に、今度は『トボケタ』を追加して『ヘタクソだけど何とも奇妙なトボケタ味わい深

い』に変更してもらってもいいですか、つまり、これは何が言いたいかというと、私は昔からよく他人に『あなたには何とも言えないトボケタ味わいがありますね』

と言われたりするんですね、褒められてるのか、バカにされてるのか、どちらなのかはわかりませんが、私はもちろん好意的に捉えています、そして、絵は人柄を表

すとも言われるように、どうやら私が描く『素敵な絵』にもそれが滲み出てしまってるようなんです、もっとも、その『トボケタ』味わいというのは私が計算で意識

的に出しているわけではなく、私の内面から自然に滲み出てしまっている魅力とでも言いましょうか、決して計算で出せるような代物でもない魅力なんですがね、よ

く若い女の子やアイドルがもうブリブリにブリッ子していて、お前本当はそんな話し方じゃねえだろってぶん殴りたくなったりするのとは本質的に違うのです、とも

かく、そういった意味も込めまして『トボケタ』を追加して一度通してみましょう、『これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙なトボケタ味わ

い深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』となる

わけです、もしかしたら、あまりに複雑過ぎて、すでにわけわからなくなっちゃってるかもしれませんけど、わけわからなくなっちゃってるのは私も一緒ですから、

そこを何とかお互いに励まし合って乗り切って頑張っていけたらと思ってます、何卒ご協力願いますよ、いいですか、大丈夫ですね、覚えられましたね、それじゃ、

もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙なトボケタ味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力

があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!カット!申し訳ありません、

やっぱり、さっきの変更はなしで、元に戻しましょう、なんだかセリフのリズムが悪くなってスンナリ頭に入って来ないんですよね、すみません、『トボケタ』は一

旦忘れて下さい、ただし、セリフに『トボケタ』は入ってませんが、実際の私の絵には『トボケタ』味わいがあるのは事実なので、セリフにはありませんが、それを

必ず踏まえた上でセリフを言っていただければと思います、いいですか、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱい

にヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはも

う廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!カット!申し訳ありません、やっぱり、さっきの変更はなしにするのは、なしにして、つまり、もう一度『トボケタ』

を付けてみましょうか、『トボケタ』がないと何だかスッキリし過ぎちゃって、逆に引っ掛かりがなくなっちゃうというか、セリフ全体が耳から耳へスルッと抜けて

行っちゃうというか、ですので、試しにもう一度『トボケタ』アリで行ってみましょう、いいですか、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだ

けギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙なトボケタ味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁

前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!カット!うーん、どうしようかなあ、やっぱり『トボケタ』はないほうがいいよう

な気もしてきましたよ、『トボケタ』を付けると『トボケタ』ばかりが際立ってしまって、『トボケタ』がお調子者の低脳クソガキみたいに悪目立ちしてしまって、

最終的に私の絵や、ひいては私本人自身が『トボケタ大バカマヌケ野郎』みたいな印象しか残らなくなってしまうんですよね、ですので、すみません、さっきの変更

はなしにするのは、なしにするのは、なしにして、つまり『トボケタ』はまた一旦忘れて下さい、ただし、セリフに『トボケタ』は入ってませんが、実際の私の絵に

は『トボケタ』味わいがあるのは事実なので、セリフにはありませんが、それを必ず踏まえた上でセリフを言っていただければと思います、いいですか、それじゃ、

もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだ

から、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!うーん、やっぱり『トボケタ』がないと

寂しくなっちゃいますね、祭りの後の寂しさみたいな、もしくは、クリスマスイブに部屋で一人酔っ払ってセンズリかいてるみたいな、何だか気持ちよさも半減しち

ゃうというか、うーん、一体全体どうするか、『トボケタ』を付けるべきが取るべきか、どっちがいいのか、『トボケタ』を付けるべきが取るべきか、生きるべきか

死ぬべきか、それが問題だ!何だかハムレットみたいになってきましたよ、吉本さん、ちなみにあなただったらどっちにしますかね」「そんなのどっちでもいいじゃ

ねえか、何トボケタこと言ってんだい、あってもなくても別に大差ないんだから、全然こだわるとこじゃねえだろがよ、あってもなくても結局あんたが『トボケタ大

バカマヌケ野郎』であることに何ら変わりはないんだからさ、もうどっちだっていいから、とにかくさっさと決めてくれってよ」「わかりました、じゃあ、もう一度

だけ試しに『トボケタ』アリで行ってみましょうか、それで決めましょう、いいですか、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリー

の壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙なトボケタ味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさ

んですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!うん、やっぱり『トボケタ』いらないな、邪魔だよな、ですので、すみません、『トボケタ』は

もう忘れて下さい、ただし、セリフに『トボケタ』は入ってませんが、実際の私の絵には『トボケタ』味わいがあるのは事実なので、セリフにはありませんが、それ

を必ず踏まえた上でセリフを言っていただければと思います、いいですか、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱい

にヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはも

う廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!やはり元に戻して大正解でしたね、今のバランスがちょうどいい塩梅だと思います、もうこれ以上セリフを無闇に増や

すのは金輪際やめておきましょう、お約束します、はい、では、ここで、度々の変更で大変申し訳ないのですが、今度は試しにですね、本当に試しになんですがね、

何だか言葉に出してお願いするのがお恥ずかしい限りなのですがね、いや、どうしようかなあ、やっぱり恥ずかしいよなあ、でも、まあ、ここまで来てしまった以上

もう後戻りはできませんね、後になって悔やまぬよう、この際思い切ってお願いしちゃいますけれども、あのですね、ああ、やっぱり恥ずかしいよなあ」「何だい、

何だい、何を恥ずかしがってるんだい、今の今まで次から次とよくもまあと呆れ返るほどにとんでもなく無茶苦茶なことを厚かましくもヌケヌケと言ってくれちゃっ

てたくせにさ、まさに『廃人の歌』の中の『ごうまんな廃人』って言葉がピッタリお誂え向きの傲慢さだったくせにさ、急にしおらしくなってモジモジなんかして」

「いやいや、恥ずかしがっている場合ではありませんね、思い切って言ってしまいましょうね、こんな言葉をあなたの口から言わせるなんて、本当におこがましいこ

とこの上ないことだと百も承知の上で、勢いに任せ図々しくもお願いしちゃいますけれども、あのですね、そのですね、セリフ中盤『もうすっかり一丁前の絵描きさ

んですよ』の『絵描きさん』の部分をですね、試しになんですがね、本当に試しになんですけれどね、一度聞いてみたいなあと私が勝手に思ってるだけなんですけれ

どもね、ええと、その、あのですね、『アーティストさん』に変えて言ってもらうことは可能でしょうかしら、とかいった何とも不躾な相談なんですけれどもね、つ

まりですね、セリフ全体で通してみますと『これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだ

から、大したもんだよ、もうすっかり一丁前のアーティストさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』となっちゃうわけですね、もちろん、もちろんです

よ、私自身は自分のことを『アーティストさん』だなんて夢にも思っちゃいませんよ、自分が『アーティストさん』だなんて口が裂けても言えませんし、私の描く絵

が『アート』だなんて微塵も思っていやしませんよ、まだまだそんなレベルに到達できていないことは火を見るよりも明らかに承知の上ですけれども、でも、でも、

でもですよ、自分で言うのは恥ずかしくとも、他人から一生に一遍くらい『アーティストさん』って呼ばれてみたいじゃないですか、絵を描く人間としてはね、そう

いえば、今たまたま思い出しましたけど、DM送ってもないのにわざわざオープニングパーティーにやって来て、酒ガブガブ飲みまくって私の絵をお世辞半分に褒めて

くれた和田誠さんの話にまたしても戻るわけですが、その和田誠さんがオープニングパーティーで酒ガブガブ飲みまくって私の絵をお世辞半分に褒めてくれた際に一

緒に言われた非常に興味深い言葉があるんですけどね、あの時、酒ガブガブ飲みまくって酔っ払った和田さんは『あなたの絵はイラストレーションではないね、これ

は現代アートだね』って不意にポロッと漏らされたんですね、その時は私も相当に酔っ払っていてヘベレケ状態だったものだから、このじいさん、何言ってんだろ?

惚けてんのか?くらいにしか思わなかったんですが、今ふと思い出して何度も反芻してみると甚だ暗示的な言葉ではあるなと思うわけですよ、さすがは『Mr.イラスト

レーション』と呼ばれる大巨匠だけのことはあるな、ただの酔っ払いの耄碌じいさんではないんだな、やはり見る人が見れば一目瞭然すべてお見通しなんだなと思い

知らされるわけですよ、もちろん、何度も繰り返すように、私は自分の描く絵が何であるのか?イラストレーションなのか?現代アートなのか?自分でもさっぱりわ

からずただ衝動のおもむくまま自由気侭に絵を描き続けてきたわけなんですが、『Mr.イラストレーション』と称される大巨匠であるところの和田誠さんに『あなたの

絵はイラストレーションではないね、これは現代アートだね』と言われたということは、つまり、イラストレーションとアートの境界線がどこにあるかの問題はこの

際一旦脇に置いておくとして、少なくともイラストレーション向きではないのかなと思ったりもして、何だか自分の居場所がどこにあるのか、目指すべき場所はどこ

なのか、自分でもわけがわからなくなって混乱してきてしまうんですけど、まあ、ともかく、やはり絵を描く人間として私の目指すべき最終目的地は、私にはアート

であるような気がしてならないとおこがましくも思っているというわけですよ、こんなこと言ってるそばからあまりに恥ずかしくて汗がドバドバ吹き出てきてしまっ

ていますけれども、本当に試しに一遍だけでいいので、愛するあなたの口から是非とも聞いてみたいと思っているので、何とかお願いできませんでしょうか、何卒よ

ろしくお願いします、それでは、いいですか、大丈夫ですね、もう1回行きますよ、よーい、スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何と

も奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前のアーティストさんですよ、あんたはもう廃人なんかじ

ゃないよ!」「ハイ、カット!見て下さい、ほおら、思わず全身にブワーッと鳥肌が立ってしまいました、それから、決して大きな声では言えませんが、勃起もして

います、見せられないのが残念ですけれども、たしかにカチンコチンに勃起までしちゃってます、けれど、けれども、大変申し訳ありません、やはり『アーティスト

さん』などと呼ばれるのは、私の実力からして100年早いと身をもって、たった今、今の今、痛感いたしました次第であります、この鳥肌とこの勃起とがそれを立派

に証明してくれています、100年どころか千年万年早いかもしれませんね、本当におこがましいにも程がありました、穴があったらすぐにでも飛び込んで頭隠して尻

隠さずしたい気持ちでおります、本当に私は身の程知らず恥知らず世間知らず親の心子知らずでありました、慚愧の極みであります、まだまだ修行が足りません、頭

丸めてもう一度幼稚園のお絵描き教室に入り直して、肌色の作り方、赤、白、黄色のバランスからしっかりとやり直したい気持ちでおります、それに毎回毎回『アー

ティストさん』と呼ばれる度に、鳥肌立ててカチンコチンに勃起してたら仕事になりませんもんね、ですので、再び『絵描きさん』に戻しましょう、ただし、将来的

に私が『アーティストさん』と呼ばれるような立場になりたいと密かに心に思い描いていることは紛れもない事実でありますので、私の将来の輝けるアーティスト像

がそこはかとなく感じられるような可能性に満ち溢れたニュアンスをセリフにきっちりと残していただければと思います、それじゃ、もう1回行きますよ、よーい、

スタート!」「これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もう

すっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!」「ハイ、カット!カット!カット!うーんと、ええと、あのですね、全体的なセリフの

バランスや細かい部分のニュアンスは確実に良くなってきてはいるのですがね、うーん、何と言ったらいいのか、パワーダウンしてしまっているというか、少し疲れ

ちゃいましたかね、おじいちゃん、眠くなっちゃいましたかね、ここで一旦休憩を挟みたいところなんですが、かなり時間も押しているようですし、私もさっさと済

ませておうちに帰って夕ご飯食べたいなあとか思っているので、強行突破で続けさせてもらいますけれども、何て言ったらいいのか、空気が違うとでも言いますか、

臨場感が少しばかり足りてないように思うんですよね、疾走感、ライブ感と言ってもいいのかな、ちょっと実際に想像しながら頭からおさらいしてみましょうかね、

吉本さん、いいですか、あなたは今、私の40歳(不惑)を記念した初個展のDMを確かに受け取りましたね、この時点では、私があなた以外の有名人(アラーキー他)にも

下手な鉄砲数撃ちゃ当たる方式の八方美人でDMを送りまくっていたことにはまだ気づいていませんでしたね、DMには『廃人の歌』にわざわざ絵を付けました!!と

一言小さく書き添えてあります、ご大層にも文末に『!!』(ビックリマーク)まで付いてますよ、1本ではなく2本ですね、修正液で何度も修正された痕跡がわかりま

すか、蛍光灯に透かして見れば、3本まで付けた痕跡が見て取れます、かなり煩悶した末の2本(実質3本)ということですね、すなわち『自信満々、乞うご期待!!』

『見逃したらきっと後悔して死んでも死に切れませんよ、這ってでも来たほうが身のためですよ!!』という意味ですね、おそらく相当な自信があるんでしょうね、

ちゃんと読めますか、老眼鏡使ってもいいですからね、虫眼鏡でもハズキルーペでもいいですよ、文末に『!!』(ビックリマーク)が2本付いてることがきちんと確認

できましたね、はい、次です、差出人はまったく会ったこともない聞いたこともない、どこの馬の骨ともわからぬ名前だけど、頼んでもないのに『廃人の歌』にわざ

わざ絵を付けて展示してくれているみたいだし、DMには『廃人の歌』にわざわざ絵を付けました!!と一言書き添えられ、文末にはご大層にも『!!』(ビックリマ

ーク)が1本ではなく2本も付いていることだし、普通は1本で無難に済ませるところを2本ということは、普通に考えて余程のことがない限り2本も付けるなんてこと

は滅多にあり得ないことだから、つまり相当な自信作らしいから、おそらく見逃したら絶対に後悔するだろうし、死んでも死に切れないだろうから、這ってでも見に

行ったほうが身のためだろうなと思い、体の具合がものすごく悪くて、もういつ死んでもおかしくない状態だけれども、個展の最終日に最後の客としてギリギリ飛び

込みセーフの小粋な演出で私をアッと驚かそうと、看護師に付き添われながら点滴をして救急車でギャラリーに横付けし決死の覚悟で私の絵を見に駆けつけました、

はい、ここまでは大丈夫ですね、次です、そして、ギャラリー内に一歩足を踏み入れると、BGMにはチェット・ベイカーがうっすら流れています、写真家のブルース

・ウェーバーが監督した『Let's Get Lost』という、晩年のチェット・ベイカーが謎の転落死を遂げる直前までを追ったドキュメンタリー映画のサントラ盤(傑作)であ

り、そのCDジャケットがさりげなくギャラリーの片隅に飾られています、ジャケットの写真もブルース・ウェーバー撮影の老いぼれたチェット・ベイカーの哀しげな

ポートレイトですね、決して往年の『Chet Baker Sings』の頃の美声には及びもしませんが、そのヘロヘロな歌声が何とも味わい深く胸にじんわりと沁み渡ってきま

すね、はい、そして、そのタイミングを見計らったかのように徐々にギャラリーに流れる音楽がボリュームアップされていって、嫌でもあなたの最近老いぼれてすっ

かり遠くなった耳の穴にも飛び込んできて、これはおそらくチェット・ベイカーだなとすぐにあなたはピンと来ます、いや、もしかしたら、ギャラリーの片隅に飾ら

れていたジャケット写真を見た時すでに気がついていたのかもしれません、これはどちらでも構いません、はい、そして、ここで満を持してギャラリー奥に隠れてあ

なたの一挙手一投足をこっそり窺っていた私が登場してきますから、吉本さん、あなたは、こやつがDMを突然送りつけてきて、『廃人の歌』にわざわざ絵を付けまし

た!!と一言小さく書き添え、ご大層にも文末には『!!』(ビックリマーク)を1本ではなく2本(実質3本)も付けてきた自信満々野郎か、これだけ自信満々なんだか

ら、実際に絵を見てみて全然大したことなかった時はそれこそコテンパンに批評してその自信満々な鼻っ柱をポキッとへし折ってくれようぞと内心思いつつ『なんで

BGMはチェット・ベイカーなの?』と私に尋ねます、私は、待ってました!とばかりに『吉本さんとチェット・ベイカーはそっくりですよね、誰かに言われたことあ

りませんか?』と憧れの相手なので若干緊張しつつ、多少つんのめり気味にボソボソと答えますので、あなたは『チェット・ベイカーってジャズのラッパの人かい、

そんなこと今まで一遍も言われたことないし、全然似てないよ』と突然初対面の私からチェット・ベイカーに似てると言われたことが意外だったのか少し照れながら

答えるものの、チェット・ベイカーに似てると言われたことがまんざらでもなく、おそらくチェット・ベイカーと聞いて『Chet Baker Sings』の若かりし頃のイケメ

ンの彼を想像したんでしょうね、すっかり上機嫌となって、ギャラリーの壁いっぱいにこれでもかと飾られた私の絵を散々褒めちぎり、特に『廃人の歌』にわざわざ

付けられた絵にうっとりと心奪われながら、さすがはDMに『廃人の歌』にわざわざ絵を付けました!!と一言書き添えて、ご大層にも文末には『!!』(ビックリマ

ーク)を普通は無難に1本で済ませるところを2本も付けて自信満々だっただけのことはあるな、見逃したら危うく後悔するところでもあり、死んでも死に切れなかっ

たろうから本当に這ってでも来てよかったなと大絶賛した上に、なんと、その絵を『洗面所の横の壁に似合いそうだな』とか何とかボソボソ独り言を言って衝動的に

ポケットマネー10万円ポンと気前よく支払って購入し、『何なら、俺の遺産を半分あんたに相続させてやってもいいくらいだよ、カミさんや娘たちとも相談しないと

いけないけどな』とか何とか冗談まじりに付け加えて、さらには、生命力溢れる私の『素敵な絵』をたくさん見たことにより生きる希望をおすそわけしてもらって、

すっかり有頂天となったあなたは、もういつ死んでもおかしくないほど衰弱し切った点滴姿の瀕死の老体に鞭打って、自身の体内に残された最後の力を必死に振り絞

るかのごとく、私と2人(正確には看護師も含め3人)で身を寄せ合い、クローズ時間をとっくに過ぎてまさに貸し切り状態となったギャラリーで、チェット・ベイカー

の『Let's Get Lost』に合わせてダンスを踊るのです、正直に言えば、点滴と看護師がダンスの邪魔となって相当うざかったのは事実でしたが、あなたと私は、互い

に肩と腰にぎこちない手を回し合い、頬と頬を寄せ合いねっとりと密着させ、ロウソクの炎のように静かにゆらゆらと揺れながら、時にゆっくり一回転する大胆な妙

技を披露したりするも、基本的には死にかけのお年寄りのあなたにも十分可能な範囲内での無理のない慎ましくささやかな動きであり、時に私は触れ合ったあなたの

痩せこけた頬から微かな死の匂いを確と感じとり、代わりにあなたは触れ合った私の頬に生い茂る無精髭から猛々しい生の匂いを確と感じとり、時にギャラリー外に

路上駐車した救急車の真っ赤に点滅回転する光がギャラリー内にも洩れ入ってきて、ダンスに興じるあなたと私と(正確には看護師も含め3人)をミラーボールのように

怪しく照らし出して、それは見ようによっては、昔のアメリカ映画によく出てくる場末の鄙びたダンスホールで、まさに生と死がダンスを踊っているようにも見え、

時にあなたの不器用によろめく足が私の足を誤って何度も無遠慮に蹴飛ばしてきたりもしますが、そんな些末な粗相にはお構いなしといった素振りで、私は瀕死のあ

なたをやさしく慈しみ労いながらも『案外お上手ですね』と茶化せば、あなたは『何しろ久しぶりのダンシングになるからね』とはにかんで見せ、そんな束の間のあ

なたと私の戯れは、端からみれば、そんなのダンスとは呼べねえよと揶揄する声も聞こえてきそうですが、あなたと私にとっては、れっきとした最初で最後の、文字

通りラストダンスとなるわけで、そんな冷やかしの声には一切耳も貸さず、あなたと私は無我夢中で2人(正確には看護師も含め3人)だけの甘美な世界へと没入してい

き、いっそこのまま2人(正確には看護師も含め3人)で『Let's Get Lost』どこか遠くへずらかっちまおうかなんて一瞬思ったりもしますが、瀕死のあなたにはそれも

叶わぬことなのです、そして、その時、それが叶わぬのならばせめて最後にと唐突に思い立ったあなたは、触れ合っていた頬を一旦離し、私の瞳を見つめ、おもむろ

にあなたのかさつきがちな唇を私の唇へピタリと重ね合わせてきます、私は一瞬ビクリと驚いて(それはビックリマークに換算すれば『!!!!!!!!!!』10本

分の驚きであり)、それから『いけません』と言うかわりに、あなたの痩せこけた薄い胸をやんわりと押し返し、その時、私は一瞬あなたのドゥクンドゥクンと高鳴

る胸の鼓動を掌に感じて、それでも、あなたの唇は決して諦めずしつこく私の唇をストーカーのごとく追いかけ回してきて、さらには、どこにそんな余力が残されて

いたのか不思議に思うほどの強い力で私の頭を両手で挟み込むように乱暴に押さえつけガッチリ固定したのち、再び、あなたのかさつきがちな唇を私の唇へピタリと

重ね合わせ、今度は思い切って私の唇をこじ開け、あなたの干涸びかけた苔でも生えてそうな舌を私の口の中へと無理やりねじ込んでこようとします、そう、それは

以前『ヘタクソ』という言葉のニュアンスを説明する際に少し触れた、いわゆる『フレンチキス』と呼ばれる、その名の通り、ドスケベなフランス人がする、もうエ

ゲツナイ、貪り合うような、ケダモノじみた、変態的なSEXへと直結する、ロマン溢れる激しいキスであり、その時、あなたの口腔から強烈な死の匂いを確と感じとっ

た私は、今度はハッキリ『いけません』と声に出して、不意のあなたの狂奔を制して、それから慌てて『それは、あなたが嫌いなのではなく、むしろ大好き過ぎるか

ら、そんなキスをされたら私はもうヌルヌルビショビショの濡れっぱなしになって頭がおかしくなってしまいますよ』といった主旨の言葉を付け加えます、あなたは

一瞬寂しげな表情で『そうだよね、やはり未練を残してしまうもんな』と笑って、そして再び2人頬を寄せ合いダンスを続けます、そうこうしているうちに、やがて

『Let's Get Lost』の最後の曲 "Almost Blue”(エルヴィス・コステロのカバー曲)も鳴り止んで、ギャラリーに静寂が訪れます、時は何とも無情で楽しい時間ほどあっと

いう間に過ぎ去ってしまうものですね、あなたと私はいつまでもいつまでもできることならば永遠に2人(正確には看護師も含め3人)だけの世界でダンスを踊り続けてい

たかったのですが、そういうわけにもいかないのです、私はこんなことならリピート再生機能をONに設定しておけばよかったなと後悔しつつも、あなたと私はゆっく

りと触れ合った頬を離し、寄せ合った体を離していきます、そろそろお別れの時間が近づいてきましたね、そして、帰り際、あなたはギャラリー出入口で名残惜しそ

うに一旦立ち止まり、ゆっくりと振り返り、私に向って、こうセリフをつぶやくのです、そう、それは決して無理やり言わされたセリフなどではなく、あなたの口か

ら思わずポロッと溢れ零れ出てしまった、もういつ死んでもおかしくないほど体の具合が芳しくないあなたの心の断末魔の叫びのようなものなのです、そう、吉本さ

ん、あなたは私の瞳をじっと見つめ、ずっとそらさず、しみじみと心を込め、こうセリフをつぶやくのです、さあ、ご一緒に!『これだけギャラリーの壁いっぱいに

ヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう

廃人なんかじゃないよ!』さあ、続けて、ご一緒に!『これだけギャラリーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力

があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんですよ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』さあ、皆さん、ご一緒に!『これだけギャラリ

ーの壁いっぱいにヘタクソだけど何とも奇妙な味わい深い素敵な絵を飾れるくらい描ける力があるんだから、大したもんだよ、もうすっかり一丁前の絵描きさんです

よ、あんたはもう廃人なんかじゃないよ!』この臨場感、このライブ感です、この勢いのままこのまま行っちまいましょう、もう本当にこれで今生の別れと思って、

この世に言い残すことなど他に何一つないといった太々しい覚悟をもって、さあ、準備はいいですか、今度こそビシッと決めて下さいね、それでは、行きますよ、よ

ーい、スタート!」その後もなんだかんだと難癖をつけては結局合計100テイク近くも例のセリフを散々言わせた末にようやく私はOKを出してやり、吉本隆明は「も

うこれ以上は本当に勘弁してくれよ、こっちが廃人になっちまうよ」とボヤきながら、あの世へと旅立って行って、私は「あの世でチェット・ベイカーと兄弟仲良く

して下さいよ、なんてったって、おすぎとピーコくらいそっくりなんですからね、あ、そうそう、例の遺産相続の話は、奥さんや娘さんたちともじっくり相談の上で

慎重に進めさせてもらいますから、安心してあの世をエンジョイして下さいね」と見送って、そして、私と吉本隆明との密かな交流は静かに幕を閉じるのであった。

2021.5

 

 

 

 

 

16.『Spell / 言霊 (仮)』

 

 

書くべきか書かざるべきか正直相当迷ったけれど、こんな場末のうらぶれた飲み屋の最奥、糞尿ゲロ塗れな便所の壁に書き殴られたような愚にもつかぬ文章を好き好

んで読む者などほとんどないと思われるがゆえ、これは是が非でも書かねばならぬことだから、是が非でも書かねばならぬのだ、と己を無理矢理に奮い立たせ、猪突

猛進と書きはじめることにする。もしかしたら、不謹慎極まりない話と不快感を催す者も現われるやもしれぬが、私はもう随分と前から「他人の顔色などは一切窺わ

ずに、自分が書きたいものを、書きたいように書いていく」「己の心ときちんと対峙し、己の心の奥底に巣食う愚劣なものや醜悪なものまで含むすべてを正直に曝け

出した上で、その中から美しいものを発見していく」と腹を括ってもいるがゆえ、やはり書かねばならぬことは、書かねばならぬのである。そういった不謹慎極まり

ない話など断じて読みたくはない、という清純派指向の者たちは直ちにここから立ち去るのが得策であろう。万が一、何かの間違いから読んでしまった後に、どのよ

うに捉えようと読み手側の勝手ではあるけれど、用心に用心を重ね、事前に注意まで喚起しておいたので「やっぱり不謹慎じゃねえか!」だの「てっめえ、何てこと

書いてんだよ!」だの「ふざけんな、コラっ!」だのと文句を垂れられても、私には責任を被る筋合いが一切ないことを明言し、いざ書きはじめることにしようか。

2020年夏の盛り、ある1人の広告関係者が天に召された。仮にOさんとしておく(そのまんまだが)。Oさんは広告業界で知らぬ者がないほど有名な広告制作者、いわ

ゆるスタークリエイターと呼ばれる存在であったから、おそらく広告関係者にはこれだけで誰だか通じることであろうが、広告にまったく興味のない者たちにとって

は、実際に名前を聞いても「誰だい、そりゃ?」といった知名度であろう。いかに広告業界において「スター」として燦然と輝こうとも、広告屋は広告屋、井の中の

蛙、掃き溜めに鶴、所詮は裏方稼業なのである。がしかし、日常的にTVを視聴する習慣のある者ならば誰しもが、生前のOさんが手掛けたTV-CMを一度は目にしたこ

とがあるに違いない。亡くなる間際まで、現役広告制作者(特にTV-CM)の中では、最も有名かつ優秀なスタークリエイターの1人であったと認識するところである。

有名な人物が誰か亡くなると、哀悼の意もそこそこに死人に口なしで、大して親しくもないのに生前親しかったと得意顔に語って悦に入る輩が時折見受けられるが、

あらかじめ断っておくけれども、私にはそのような思い出話をひけらかす意図はなく、もちろんOさんの死を嘲笑し愚弄する意図もなく、話の流れから書かざるを得

ないから書くのである。Oさんと私とはまったく親しくもなければ、私には特段世話になった覚えもなく、大昔に何度か仕事を一緒にする機会があったという間柄に

過ぎぬが、もう長きにわたり広告業界に対し不信感不快感および嫌悪感を抱き続けてきた自称「広告大嫌い」の私も、Oさんに対してだけは特別待遇で、現在に至っ

てもなお不思議と悪印象はこれっぽっちも持ってはいないのだった。今から四半世紀ほど前の1990年代半ば前後、私がフランク・ザッパのバンド名から取って名づ

けられたTV-CMプロダクション(頭文字M)で働いていた頃のこと、私は下請け制作プロダクションに入社2年目、おまけに一番下っ端という立場にあったが、当時すで

に大手広告代理店(頭文字D)の花形スタークリエイターとして名を売りはじめていたOさんは、末端スタッフの私ごときに対しても常に紳士的な態度で、時に気さくに

話しかけてくれたりもして、体育会系の男臭さと聡明なインテリジェンスを兼ね備えた、若かりし日の三船敏郎を彷彿とさせるナイスガイという印象であった。そん

なOさんのことを人は皆、ダンディーと褒めそやすけれども、私の目には、そこはかとなく漂う陰こそが、Oさん最大の魅力と映った。その陰の部分はOさんの手掛け

るCMにも確と顕われていて、他のCMプランナーたちとはひと味もふた味も違った独特な視点(おそらく人間の暗部/陰部を見つめる冷徹なまなざし)があり、人間の持

つダークサイドを炙り出し積極的に描こうとしていることが素人目にもわかり、こういう魅力的な好人物が広告業界にまだ存在するならば、もしかしたら広告という

仕事にも仄かな希望が持てるのかもしれぬ、と当時入社2年目にして早くも広告に嫌気がさし心底うんざりしていた私にとって、Oさんという存在は、私を広告業界の

一隅に繋ぎ留める重石の役割も担っていたことをOさん本人はもちろん知る由もなかったが。私は生来他人と容易に打ち解けられるタイプの人間ではなかったため、

Oさんとも単にビジネス上の付き合いに終始したわけだけれども、そんな表層的な関係の中にも、私にとっては印象深い記憶が2つ3つくらいは残っているのだった。

一緒にした仕事のひとつに3年ほど続いたビールのCMがあり(引退したプロ野球選手たちが新球団を結成するという設定の茶番劇で、スポーツ全般にからきし興味のな

い自分には、ただただ尋常でなく大変な苦労をさせられ、その鬱憤ばらしに、撮影用に大量調達した、さして美味いとも何とも思えぬ薄味なビールをヤケ酒していた

記憶が残っているのみであり、おまけに商品自体もさっぱり売上が伸びずじまいであったそうだが、世の野球好きや業界的には好評を博していたようだった)、通常ビ

ールのCMというのは年間シリーズで何本も撮影するため、Oさんとは何度も顔を合わせていたはずだけれども、お世辞にも出来の良い制作スタッフとは言えなかった

私に対し、Oさんはさほど良い印象を持ってはいなかった、というよりも、おそらく認知すらされていなかった、と思われたが、ある時、ふとした雑談の流れから、

Oさんと私とが高校と大学(学部も含め)の同じ16年違いの先輩後輩に当たることが判明し(ただし私は大学入学後すぐに辞めてしまっていたために)、そんなうだつの

あがらぬ出来損ないの後輩に対して、Oさんは「俺の華麗なる経歴にケチ(傷)をつけるんじゃないよ!」とどこか嬉しそうに笑いかけてくれて、それからというもの、

Oさんの私に対する態度に親密さが若干増したように思われたのは錯覚であっただろうか。また、ある時、例の老いぼれ新球団が、何を血迷ったものか面倒なことに

大リーグにまで進出することとなって(もちろんこれも茶番に決まっているが)、海外ロケに行くことになり、恥ずかしながら海外が初めての経験だった私は、チェッ

クイン直後のホテルの部屋で突然電話のベルが鳴り響いた時、何と言って受話器を取ればよいものか咄嗟には思いつかずに慌てて「Yeah!/イエーイ!」と出てしまい、

相手のプロデューサーから「何を浮かれあがってんだい、バカ!」と嘲笑されるなど、些か浮ついた調子と緊張した調子とが入り混じった複雑な心境にあり、当時も

相変わらず末端スタッフだった私は、毎朝スタッフ全員にモーニングコールをかける役目も担っており、もちろんOさんにもモーニングコールをかけたわけだけれど

も、Oさんからは「悪いんだけどさ、明日からかけてこなくていいよ、気持ち悪いから」と言われる始末、私にしたところで仕事だから仕方なくかけているわけで、

そこまで言わなくとも、と少々傷ついたものの、他にも5人ほどから同様に「気持ち悪いよ」と言われたので、実際相当気持ち悪かったのかもしれない。また、ある

時、編集作業中の手持ち無沙汰にかこつけて、今までにボツになった大量の絵コンテをOさんに見てもらう機会を得て、私の下手くそな絵コンテにサクサクと目を通

してくれたOさんは「言葉がすごくいいね、もしかしたら君は将来有名になるかもしれないよ!」と冗談半分で私にやさしく言葉をかけてくれたものの、その時すで

に私の広告アレルギーは手の施しようもなく、結局その数年後27歳の時に私はたまたま読んだ坂口安吾の小説『白痴』にそそのかされ背中を押される形で、無謀にも

藝術家になると宣って、広告などやってられるかと丸6年勤めたフランク・ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CMプロダクション(頭文字M)を去る運びとな

り、残念ながらOさんの予言が的中することはなかったわけだけれども、人は誰かに褒められた記憶は(誰かに怒られた記憶と同様に)一生涯忘れぬものであり、その時

の喜びは今もまざまざと思い出せるほど私の心に深く刻み込まれているのだった。もしも私がフランク・ザッパのバンド名から取って名づけられたTV-CMプロダクシ

ョン(頭文字M)を辞めずにいたならば、Oさんと一緒にCMの企画や演出をしていた可能性もなきにしもあらずだったが、何の因果か知らぬがOさんとは進む道が完全に

別れてしまう運命となり、一度私が紆余曲折の末、広告業界に舞い戻りフリーランスとなった直後、思い切ってOさんを訪ねてみようかと思い立ったことがあったも

のの、広告業界から尻尾を巻いて逃げ出して再びブザマにも舞い戻ってきてしまった根性なしの恥知らずがどの面を下げて会いに行けるだろうか、という自嘲まじり

の羞恥心が邪魔をして結局実現はせずも、学歴がほぼ一緒16歳上の大先輩に当たるOさんという存在は、自称「広告大嫌い」の私の心の片隅に不思議と残り続け、そ

の後Oさんは大手広告代理店(頭文字D)から独立し、日本初のクリエイティヴ・エージェンシー(頭文字T)を立ち上げ、広告以外にも著書を出版するなど、その活躍は

幅広く、時折インタビュー記事も拝見していたが、おそらくOさんは昨今の日本の広告のクリエイティビティの見るも無惨な衰退と閉塞に対して危機感をハッキリと

公言していた唯一の現役広告制作者であり(広告屋は広告批判はもってのほか、仕事を干されるのをビビって何も言えやしない)、特にここ最近5~10年のTV-CMのク

リエイティビティの極端な劣化傾向に諦めにも似た警鐘を鳴らしており、私自身も昨今のTV-CMの洒落にならぬほどの胸糞の悪さには大いに辟易しており、その原因

について真剣に考えを巡らせていたため、その観点からも、私はOさんに対して特別な好感を抱いてもいて、かように愛憎半ばに屈折した複雑な感情を心の奥底に秘

めていたという事情もあったものだから、Oさんの訃報が届いた時、私は、普段ならば、無関係の他人が1人死のうが2人死のうが、どこぞの広告屋が何人死のうが、

人は死ぬ時期や死に方に程度の差こそあれ遅かれ早かれいつか必ず死ぬ定め、まったく痛くも痒くもないわけだけれど、Oさんの死だけは本当に特別で、広告業界で

一番まともな人間が一番早く逝ってしまわれたな、これで日本の広告も完全に終わってしまうんだろうな、と少なからず残念に思うと同時に、ある突拍子もない考え

が私の頭の中に浮び上がってきて、思わず背筋がゾッとするのだった。それは「Oさんを殺したのは私かもしれない」という何とも穏やかならぬ考えなのであった。

……

Oさんの突然死からさかのぼること約2ヶ月前の2020年6月末、コロナ禍の不穏な空の下、私は『Search and Destroy / スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』という些

か物騒なタイトルの厭味ったらしい文章をここに書き記した。ページの下のほうを探せば、まだ消さずに残してあって、さほど長くもないので、興味があれば一読し

てもらえばよいけれど、要約すると「2000年代初頭、私が広告業界でフリーランスとして仕事を開始する際、営業ツールの企画サンプルとして配って回っていた『ぼ

つコンテ集』(過去に仕事で提出し採用には至らずも自分では非常に気に入って保存しておいた絵コンテ約100枚ほどを1冊に簡易的にまとめた手作りの冊子で、私の広

告業界における血と汗と涙が滲む苦闘の歴史、情念や執念がぎっしりと詰まった、見る者によっては胃もたれや胸焼けや消化不良を引き起こしかねない、非常に濃ゆ

いディープな内容)から企画アイデアをネコババ・ヨコドリする不届き者が現われ、常々私は企画アイデアを考える際は子供を産み落とす感覚でそれこそ命懸けで臨ん

でいたために、あたかも子供を嬲り殺された親が復讐を誓い卑劣な凶悪犯人を執念深く地獄の底まで追いつめていくかのごとく徹底的に調べ上げていくと、ある特定

の者たちが常習的にパクリ行為を繰り返し、私の『ぼつコンテ集』を食い物にしていることが判明、その中には広告業界で超有名なスタークリエイターと呼ばれる者

たちも複数含まれ、彼らのパクリ行為は常軌を逸して悪質、20年近くを経た現在に至っても依然パクリ行為を続けており、物事には限度というものがあり、普段は温

厚篤実なジェントルマンを自認する私も思わず殺意を覚えるほどに悪質であるがゆえ、絶対に許してはおけぬ、悪事を働けばいつか必ず自分に跳ね返って来るはずだ

から、そのうち天罰が下るぞよ、首を洗って待っておけ!」といった主旨を、時に照れ隠しの上質なユーモアなども交えながら、自分ではかなり客観的かつ論理的に

書いたつもりだったが(実際は怒りが滲み出てしまっている)、もちろん誰か他人を殺してやりたいなどと言葉にすること自体が根本的に下品な行為であるのは百も承

知の上、それでも書かずにはおられぬから、やむにやまれず、私は書いたわけであり、私のこの殺意を覚えるほどの激しい怒りは至極真っ当な怒りであり、実際に行

動に移すか否かは別の話として、決して冗談でも何でもなく正真正銘ホンモノの殺意であり、それは、たとえるならば、畑の作物を食い荒らすだけに留まらず、勝手

に家に土足で上がり込み、冷蔵庫を勝手に物色し食い散らかすどころか、しまいに恋女房や愛娘まで掠奪していく、悪辣非道な猿どもをいつか必ずショットガンで撃

ち殺し仇を討ってやりたいと心から願う農夫の怒りと哀しみにも似た感情を、私はもう20年近くも心に秘め続けてきたものだから、その積年の恨みつらみにまかせて

『Search and Destroy / スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』というタイトルの厭味ったらしい文章を書き記した直後の私の心は、長年胸につかえていたものがと

れ、晴れやかな気分になり、四六時中つきまとわれ思い病み悩まされ続けてきた理不尽な怒りの根源的な原因が論理的に整理され精神的にかなり楽になったのも事実

だが、しかし、言葉に吐き出しスッキリしたとはいえ、依然として私の殺意を覚えるほどに狂おしく燃えあがる激しい怒りの炎は、一時収まりかけはしたものの、実

質的には微塵も弱まることはなく、相手に対し殺意を覚えるほどの激しい怒りを抱きつつ、その思いを相手に直接伝えられない不甲斐のない己に対する怒りやもどか

しさや、さらには、悪事を働きながら彼らが現在も何らのおとがめもなくのうのうとスター気取りでメディアにアホ面晒して己のクリエイティビティを語り悦に入っ

ているという理不尽で醜悪な現実も相まって、わが怒りの鉾先であるところの悪辣非道、厚顔無恥な猿ども、否、スタークリエイターたち(その他雑魚クリエイターお

よび子飼いの制作プロダクション関係者など)に向けられた怒りの炎は、なんとも皮肉なことには、書く以前よりもむしろ強く激しく燃えあがってしまっているように

も見えるのだった。そんな矢先、折も折、私がそのような『Search and Destroy / スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』という些か物騒なタイトルの厭味ったらしい

文章を書き記したその約2ヶ月後(実質1ヶ月後)、あたかもタイミングを狙い澄ましたかのごとく、突然Oさんの訃報が届いたものだから、私が「Oさんを殺したのは私

かもしれない」と不謹慎にも考えてしまったのも無理もない話なのだった。もっとも、私が『Search and Destroy / スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』というタイ

トルの厭味ったらしい文章の中で、実際に殺意を覚えるほどの激しい怒りを向けている複数のスタークリエイターたちの中にOさんは含まれておらず、正常な頭で考え

れば、私が『Search and Destroy / スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』という文章を書いたことと、日本の広告業界を代表するスタークリエイターの1人であったO

さんの死との間に因果関係などあるはずもなく、仮に因果関係があったとして、それを科学的に立証することはもはや不可能に近いわけであり、また、前述の通り、

自称「広告大嫌い」の私も、Oさんに対してだけは例外的に好感を胸に秘め続けてきたことは紛れもない事実であり、怒り、ましてや、殺意などは微塵も抱いていない

ことは火を見るよりも明らかではあるものの、なんとも奥歯に物が挟まったかのごとく、甚だもどかしいことこの上ないことには、その因果関係がまったくない(完全

に無関係である)と言い切ることもまた私には不可能なのであった。それは、世の中には「絶対」などというものは存在しないという抽象的かつ哲学的なる意味合いに

おいてでは決してなく、私にはこの少しばかり複雑怪奇、摩訶不思議な因果関係を説明しようと思えば説明できてしまえる根拠があるからに他ならないのであった。

……

Oさんの訃報が届いた時すぐさま私の頭の中に浮んだ「Oさんを殺したのは私かもしれない」という不吉な考えを「そんなバカな話があるか」「ただの偶然に過ぎぬ」

「冗談は休み休み言いたまえ」と私が簡単に笑い飛ばすことができぬ理由、つまり、私が『Search and Destroy / スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』というタイ

トルの文章を書いたことと、その約2ヶ月後、まるでタイミングを見計らったかのごとく、日本の広告業界を代表するスタークリエイターの1人であったOさんが亡く

なったこととの間の因果関係について詳しく推考していくことにしようか。もっとも、Oさんの名誉にかけて、Oさん自身は決してパクリ行為に手を染めてはいない、

と私はここに断言できるし、そもそも、Oさんは大手広告代理店(頭文字D)から独立して以降はクリエイティヴ・ディレクションの仕事が大半で自ら企画をほぼ手掛け

ていないと思われるが、残念ながら、前述した私の『ぼつコンテ集』のパクリ行為に関して、Oさん本人が完全に無関係、清廉潔白の立場にあると断言するわけにも

いかないのだった。つまり、決して故意ではないにせよ、Oさん本人の与り知らぬところで、無意識のうちに悪事(パクリ行為)に加担してしまっている可能性を完全に

は否定できないのであった。もちろん、実際に私は企画打合せの場に居合わせたわけではなく、企画が成立した経緯の詳細を知り得ず、何かの間違いや私の勘違いで

なければの話ではあるけれども、例えば、Oさんの仕事の関係者(実質的な企画立案者で、Oさんの下についたCMプランナーもしくはその下の子飼いの制作プロダクシ

ョン関係者など)が前述のパクリ行為に手を染めていて、その関係者のパクリ行為によって成立した仕事の報酬を、クリエイティヴ・ディレクターであるOさんが間接

的に享受している可能性があるというわけである。その可能性を私は決して無視することはできず、それを踏まえた上で、私が『Search and Destroy / スタークリエ

イター連続殺人事件 (仮)』というタイトルの文章を書いたことと、日本の広告業界を代表するスタークリエイターの1人であったOさんの死との間に何らかの因果関係

があることを疑い、結果「Oさんを殺したのは私かもしれない」という不吉な考えに至ったというわけであった。さらに加えて、そもそもOさんは病気で亡くなられた

わけだから、私が直接手を下して死に至らしめたなどと考えること自体が荒唐無稽な話であり、正気の沙汰とも思えぬわけだけれども、にもかかわらず、私が「Oさ

んを殺したのは私かもしれない」という不吉な考えに固執する理由とは、今回のOさん以外にも過去に似たような形で亡くなられた人たちが複数存在するという事実

を前にしてであった。もちろん、過去のその第三者たちの複数の死と私との間の因果関係についても科学的に立証することはほぼ不可能に近いわけだが、因果関係が

100%ないと完全に否定することも難しく、私にはその因果関係を説明しようと思えば説明できてしまえる根拠があるからに他ならず、かつ、少しばかりその数が多

いようにも思われるからであった。さすがに洒落にならなくなるので詳細を書くことは差し控えるが、今回のOさんの死は、確認できる範囲において通算10人目の死

に当たるのであった。その10人すべてが、過去に私の『ぼつコンテ集』から企画アイデアを盗んだ者またはその関係者、それ以外の私の仕事(主に企画立案作業)に対

し正当な対価(ギャランティ)を支払わなかったり一銭も支払うことなく逐電するなど、私の仕事の成果に対し最小最低限の敬意を表したり配慮を示さず蔑ろにした者

またはその関係者、その他、私に対し倫理的に度し難いほどの不誠実な行為や不義理を働いた者またはその関係者なのであった。さらに、この10人という死者数は、

あくまで私が因果関係の可能性を確認できた数であり、私は探偵スパイ業に専念し生業としているわけではなく、すべてのパクリ被害を洗いざらい調べ上げた上で、

その相手(加害者)をすべて特定できているというわけでもなく、陰でコソコソ上手いことやってパクリ行為自体がいまだ発覚していないケースも多々あると思われ、

また、すべての因果関係を確認し把握することなど、いかに情報網の発達した現代にあっても到底不可能であり(Oさんのように余程有名な人物でもなければ訃報は届

かず、関係者の身内の不幸などはググっても出てきやしない)、実際の数はさらに増える可能性もあり、また、死に至らずも、何かしらの大失態をやらかして社会的に

抹殺されたケース(社会的な死)や、会社が倒産したケース(会社の死)なども加えると、その総数は優に50を超えるのであった。つまり、私が広告業界に身を置いてい

た約15年および現在までの間に10人が亡くなり、その他社会的な死や会社の死が40、合計50を超える計算になるわけである。かように過去の私の周辺において因果

関係の曖昧模糊とした穏やかならぬ事例が多数存在するがゆえ、Oさんの死を知った時も私は直感的に「Oさんを殺したのは私かもしれない」などと不謹慎にも考えて

しまったという次第であった。もちろん、何度も繰り返すが、過去のそれらすべての事例の因果関係を科学的に立証することは不可能であり、ただの偶然に過ぎぬと

笑い飛ばすことも可能なわけだけれども(私も正直ただの偶然であって欲しいと心から願っているが)、いかんせんその数が多過ぎるのである。さらに、誤解を招くと

いけないので念のためつけ加えるならば、それら過去の穏やかならぬ事例はすべて私が願って望んだ結果として引き起こされた災厄というわけでは決してなく、つま

り、私が彼らに対して呪いのような負の力(もしもそんな力が存在すると仮定して)をかけた結果として彼らに災厄が振りかかったというわけでは決してなく、もちろ

ん金銭的トラブルや倫理的トラブルが起こった際、私の心の中に「パクってんじゃねえよ」「ちゃんと金払え」「ふざけんな」「ナメやがって」など怒りの感情が湧

き上がってくるのは人間として当然の現象であるわけだけれど、それも余程度し難く悪質なケースでもない限り、私に対し不誠実な行為や不義理を働いた相手とは、

それ以上関わると運気が下がってしまう恐れがあるため、また「人を呪わば穴二つ」という言葉もある通り、なるべく可能な限りにおいては誰か他人に対して呪いの

感情などは持たぬよう私は常日頃心掛けてもおり、トラブルに発展した相手とは金輪際縁を絶ってしまうことを常としておるため、理不尽で不愉快な目に永続的に遭

わされ続けるなど常軌を逸して悪質なケースを除いて、そのような相手(加害者)と縁を絶った時点で不吉な記憶などきれいさっぱりと忘れてしまって、その後もズル

ズルダラダラと怒り続けるということも滅多にないため(ゼロではない)、過去のすべての穏やかならぬ事例は、トラブルが起きてから何年も後になって、私の怒りも

すっかり収まり、過去に怒りを抱いたことすらもすっかり忘れてしまっていた頃に、そういえば、あの時の例の彼らはその後いかがお過ごしであろうか、などとふと

思い出し何気なく調べてみた結果、彼らに何かしらの災厄が振りかかった事実を偶然知ったり、もしくは、風の噂で彼らに災厄が振りかかったようだと偶然耳にした

りなど、私が彼らに振りかかった災厄を知るきっかけは様々であるけれども、私自身が彼らから受けた理不尽で不愉快な行為やその記憶などとっくの昔に忘れ去って

しまった後になって、彼らの災厄を思いがけず知るといったケースがほとんどなのであった。そして、そんな時、私の心は「それ見たことか!」「ザマアミロ!」な

どと痛快な気持ちで溜飲が下がるというわけでもなく、多少驚きはするものの、いつもなんだか狐につままれたような不思議と冷静沈着な気持ちで「もしかして、ま

たか」と直感的にすぐにピーンときて、その因果関係に確信を得てしまうのであった。そして、そういった私の直感は昔からあながち間違ってもいないのであった。

……

かような過去の私の周辺で起こった数々の金銭的トラブルや倫理的トラブルにまつわる穏やかならぬ事例の因果関係について、今回のOさんのケースとも絡めさらに

詳しく独自の仮説を立てていくことにしようか。もっとも、これらの仮説は、私が直感的に確信を得ているという点のみを根拠とし、端からみれば、実際ほとんどが

荒唐無稽で強引なこじつけ、狂人の妄言と片づけてもよいくらいの眉唾物であるが、私にとっては一概にそうとも言い切れぬのだった。例えば、こう考えてみるのは

どうだろうか。人は他人から不愉快な目に遭わされたり理不尽な悪事を働かれた際、倫理を欠いた不誠実な加害者に対してそれ相応の激しい怒りを抱くのは、人間と

して至極当然の生理現象であり、度が過ぎれば、実行するしないはさておき、殺意を覚えるほどの激しい怒りに至るケースも決して珍しい話でもなく、一生のうちに

殺してやりたいほど憎たらしく思う相手の1人や2人いや5人6人7人くらいは誰しもが心の奥底に秘めているであろうことを大前提として話を進めれば、過去の仕事上

における金銭的トラブルや倫理的トラブルに遭遇した際、私自身から発した殺意を覚えるほどの激しい怒りの感情が、何らの解決策も得られぬままに行き場を失くし

宙を彷徨い続けているうち、私自身の与り知らぬところで、もしくは、何らかのきっかけにより、凶器と化してしまい、目に見えぬ鋭い刃(やいば)となって加害者や

その周辺の関係者へと向ってしまうという説である。今回のOさんのケースに具体的に当てはめてみると、もうかれこれ20年という長きにわたり常習的に私の『ぼつ

コンテ集』から企画アイデアをネコババ・ヨコドリし散々食い物にしてきた不届き者たちに対する私の殺意を覚えるほどの激しい「怒り」の感情が、行き場を失くし

宙を彷徨い続けていたところ、たまたま、私が『Search and Destroy / スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』というタイトルの不吉な文章を書いたことをきっかけ

として「言霊」も加わり、さらには、常々私が仕事に臨む際に精魂込めて描いていた絵コンテに宿っていた「魂」および、その集積と呼んでもよい『ぼつコンテ集』

の中に封じ込められていた、私の血と汗と涙が滲む「情念」や「執念」、さらには、広告業界で持てる力を思う存分に発揮できず、つまり成功することが叶わなかっ

た、がゆえに自称「広告大嫌い」である私の広告業界に対する積年の不信感不快感および嫌悪感に起因する「怨念」も加わり、それらが混ぜこぜとなって、それぞれ

の相乗効果で、どエラいことになってしまった状態で、偶然なのか必然なのかは見当もつかぬが、その鉾先が日本の広告業界を代表するスタークリエイターの1人で

あるOさんへと向ってしまったという説である。もしくは、例えば、こう考えてみるのはどうだろうか。前述した絵コンテに宿る「魂」および、『ぼつコンテ集』に

封じ込められた「情念」や「執念」とも関連してくる話だが、私の『ぼつコンテ集』が、ホラー映画『リング』の中に出てくる、観た者が必ず死に至るという設定の

「呪いのビデオ」のような役割を担ってしまっていて、私の『ぼつコンテ集』から企画アイデアを盗む者およびその関係者には、ことごとく災厄が振りかかってしま

うという説である。もしくは、例えば、こう考えてみるのはどうだろうか。私に憑いている守護霊の1人に『必殺仕事人』の中村主水のような存在がおり、私の与り

知らぬところで勝手に加害者やその関係者に対して仇討ちを代行してくれているという説である。ここまでくると何とも怪しげなオカルト/スピリチュアル系のトンデ

モ話に発展してしまいそうだが、この世には、科学的には決して解明できぬ人知を超えた複雑怪奇、摩訶不思議な話が多数存在する。平将門の怨霊、四谷怪談、呪い

の藁人形、髪が伸びる人形、涙を流す絵、などなど、それらは一見荒唐無稽な与太話のようでいて、絶対にありえぬと断言することもできぬ話なのである。例えば、

神社仏閣の賽銭箱を漁る盗人や乞食が果たして幸せになれるであろうか、と考えてみる。賽銭には人々の強い思いや願いが込められており、それらを盗むということ

は、すなわち、結果的に、人々の思いや願いまでもを踏みにじる行為となり、そのような他人の強い思いや願いが込められたものを安易に踏みにじれば、踏みにじっ

た者にそれ相応の罰が当たるのが当然の報いであると思われる。いい加減な気持ちで作られたものならばいざ知らず、藝術や創作や表現の世界においては、絵に限ら

ず、作り手が真剣に心を込めて作った作品/創作物に魂が宿るとよく言われる。他人が精魂込めて丹念に、それこそ身を削り命懸けで、自らの子供、自らの分身を産み

落とすかのごとく真剣勝負の覚悟で表現した成果を、どこぞの馬の骨とも知れぬ赤の他人である第三者が、敬意も配慮も仁義もへったくれもなく、己がただただ楽を

したいといった恐ろしく安易な軽い気持ちから勝手にネコババ・ヨコドリし、横からかっさらっていき、己の手柄にして不当に金や名声に換えるなど、目先の醜い我

欲を満たす目的に利用し弄び蔑ろにしたならば、そこ(作品/創作物)に宿っている「魂」が決して黙ってはいないであろう、ということである。ちなみに、私の『ぼつ

コンテ集』の中には、かつてOさんが「言葉がすごくいいね、もしかしたら君は将来有名になるかもしれないよ!」と褒めてくれた絵コンテも多数含まれており(その

絵コンテから企画アイデアをネコババ・ヨコドリするということは、すなわち、結果的に、過去のOさんの言葉に宿る思いまでもを踏みにじる行為ともなるわけで)、

そして、前述の通り、Oさん本人は私の『ぼつコンテ集』のパクリ行為に関して完全に無関係の立場にあると断言するわけにもいかないのである。そこに私は何かし

ら因縁めいたものを感じざるを得ないのである。とはいえ、念のためつけ加えるならば、その因縁を知った上でも、私にはOさんに対する悪感情は微塵も湧いてはこ

ないのである。悪意のない過失を責めることはできぬからか、Oさんと私との間の愛憎半ばに屈折する複雑な関係性が為せる技であろうか。ただし、悪意があろうと

なかろうと、目に見えぬ鋭い刃(やいば)の向う鉾先に、今のところ一貫性や法則性は見当たらず、一切の忖度も時効もなく、意識的/無意識的、直截的/間接的、積極

的/消極的によらず、悪事(パクリ行為)に関わってしまっているというその時点で、すべての関係者に平等に刃(やいば)の鉾先が向う可能性があることを過去の事例が

物語っているのである。そして、重要なことなので何度でも繰り返すが、それらの穏やかならぬ現象はすべて、私が呪いの感情など負の力を利用して故意に為し得た

結果として彼らに災厄が振りかかるというわけでは決してなく、それらは、私の与り知らぬところで、何らかの得体の知れぬ摩訶不思議な力が働いたと見ることがで

きるのである。否、そうとしか思えぬのである。そして、もしも、そのような「魂」「言霊」「情念」「執念」「怨念」「呪いのビデオ」「守護霊」「必殺仕事人」

などといった人知を超えた特殊な力がこの世に存在し、誰かが犠牲を被らねばならぬことが必然なのだとしたら、願わくば、どうせならば、その特殊な力の向う鉾先

が、Oさんではなく、もう20年という長きにわたり私の『ぼつコンテ集』から企画アイデアをネコババ・ヨコドリし続ける、私が殺意を覚えるほどの激しい怒りを抱

く不届き者たちへと順当に向うことが公正であると私には思われるし、さらに続けて、他人事のごとく無責任に縁起でもないことをあえて書くけれども、もしも、仮

に「言霊(言葉に宿る霊力)」のような摩訶不思議な力がこの世に存在するとするならば、私が書いた不吉な文章のタイトルは『Search and Destroy / スタークリエイ

ター連続殺人事件 (仮)』であり、『連続殺人』であるからして、『連続』ということは、すなわち、これから先の未来に少なくとも後もう1人か2人ほど(あるいはも

っとよりたくさんの)スタークリエイターと呼ばれる者たちが殺されなければ『連続殺人』としては成立しないわけであるからして、本当に縁起でもないことを書かね

ばならぬことが私としても甚だ心苦しい限りではあるのだけれども、私が妄りに企み、人知を超えた得体の知れぬ特殊な力を実行犯とする『スタークリエイター連続

殺人事件 (仮)』における未来の哀れな被害の予定者が、願わくば、どうせならば、Oさんのケースのように間接的な関係者がとばっちりを食うのではなく、明確な悪

意をもって直截的かつ積極的に悪事(パクリ行為)に加担する関係者であるところの、私が殺意を覚えるほどの激しい怒りを向ける最も悪質なパクリ行為を繰り返す不

届き者たちであることが順当であり公正であると私には思われるのである。そして、この私が妄りに企んだ『スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』が不幸にも現実

に引き起こされてしまった暁に、私はこの人知を超えた得体の知れぬ摩訶不思議な力を疑う余地のまったくないものとして(全幅の信頼をもって)確信するに違いない

のである。さらに続けて、乗りかかった船の不謹慎ついでに、厭味ったらしくも、しつこくネチネチとサディスティックに、私はこうも考えてみる。もしかしたら、

私がOさんを殺したのではなく、彼らがOさんを殺したのではなかろうか、と。すなわち、もうかれこれ20年という長きにわたり私の『ぼつコンテ集』から悪質なパ

クリ行為を続ける不届き者たちが、間接的にOさんを殺したのではなかろうか、と。そして、Oさんの死のもうずっと以前からすでに瀕死の状態にあった日本の広告業

界(特にTV-CM)が、Oさんの死によって完全にトドメを刺され息の根を止められる形となってしまったことは、すなわち、もうかれこれ20年という長きにわたり私の

『ぼつコンテ集』から悪質なパクリ行為を続ける不届き者たちであるところの、スタークリエイターなどと呼ばれ長年広告業界の上位にスター気取りでふんぞり返っ

てきた厚顔無恥な彼らおよびその関係者たちこそが、間接的にOさんを殺した上に、その結果として、さらに皮肉なことには、自らの手で日本の広告業界を殺したと

言っても過言ではなかろう、と。なぜならば、彼らがパクり行為を続けなければ、私が『Search and Destroy / スタークリエイター連続殺人事件 (仮)』という物騒な

タイトルの愚にもつかぬ厭味ったらしい不吉な文章を書くことなどはなかったわけであり、ゆえに「言霊」が生じることもなかったわけであるからして。かような、

複雑怪奇、摩訶不思議な因果関係の可能性を知って、彼らも少しくらいはその貧しい薄っぺらな心を痛め罪悪感に苛まれたりもするのであろうか。もちろん、ただの

狂人の世迷い事に過ぎぬと笑い飛ばすもよし。はたまた、近い将来、己の身に振りかかるやもしれぬ災厄を思って恐怖に打ち震えるもよし。そんな繊細な心などは持

ち合わせてやしないかも知れぬが。なんだかOさんのことを話のダシに利用しているようで甚だ心苦しい限りだけれども、何度も繰り返すが、私はOさん本人に対して

は、恨みつらみや怒りなど負の感情は一切抱いてはおらず、Oさんは私が広告業界において唯一好感を抱いていた人物であったわけである。もしかしたら、私がこの

ような文章を書かねばならぬことも、何かしら因縁めいたものがそうさせるのかもしれぬと考えれば、何とも不思議な気持ちを禁じ得ないが、とまれ、Oさんの死と

私との間の因果関係の有無や、得体の知れぬ摩訶不思議な力の存在の真偽はさておき、現時点で私が確信をもって言えることは、Oさんのいなくなってしまった日本

の広告業界に明るい未来はないということである。もうかれこれ20年という長きにわたり、そして今もなお常習的にパクリ行為を続ける、悪辣非道、厚顔無恥な、ス

タークリエイターなどと呼ばれいい気になっている者およびその関係者に対する私の殺意を覚えるほどの激しい怒りの感情はいまだ収まる気配を見せることはなく、

おそらく時が解決してくれるわけでもなく、彼らが私の『ぼつコンテ集』から企画アイデアをパクり続ける限り、私は生涯この殺意を抱えたまま死ぬまで生きていく

ことになるであろう。その間にもまた、因果関係が曖昧模糊とした何人もが亡くなったり、大失態をやらかして社会的に抹殺されたり、彼らの会社が倒産していく可

能性を否定することはできない。そして、実際に誰かが亡くなったり、災厄に見舞われたとして、たとえそれが実際に私が殺意を覚えるほどの激しい怒りを向ける相

手であったとしても、私は「それ見たことか!」「ザマアミロ!」などと痛快な気持ちになって溜飲が下がるわけでもなく、それが自分と無関係、赤の他人である限

り、残念とも哀しいとも何とも思わず、ただ静かにその得体の知れぬ摩訶不思議な力の存在の信憑性をさらに強固に高めていくことになるだけであろう。その得体の

知れぬ摩訶不思議な力のことを我々は一体全体何と呼ぶべきであろうか。それは、意識的/無意識的、直截的/間接的によらず、悪事に加担してしまった彼らに天罰が

下ったと見ることもできるであろうか。常日頃、私は自称無神論者を気取り、神や仏の存在こそ信じてはいないものの、昔から悪いことをすればいつか必ず罰が当た

るということだけは経験則上、かなりの信憑性をもって信じてきており、他人に迷惑をかけ恨みを買ったり、嘘をついて騙したり裏切ったり、陰でコソコソと悪事を

働く人間は不幸な運命を辿ることが必定である、とそう固く信じて疑わず、悪の報いは針の先、悪事を働けばいつか必ず自分自身に跳ね返って来るもの、つまり「因

果応報」という言葉が、私には一番しっくりとくるのである。そう、すべては「因果応報」であるがゆえに、もしかしたら、ここまで書いてきた話も、別段、複雑怪

奇、摩訶不思議でも何でもなく、ごくありふれた話なのかもしれぬけれども、とにかく昔から私は驚くほど頻繁にその「因果応報」と呼ばれる現象に遭遇してきてお

り、そんな時、私はいつも不思議と冷静沈着な気持ちで直感的に「因果応報」という言葉を頭の中に思い浮べるのである。もちろん、何度も繰り返すように、実際に

そのような「因果応報」と呼ばれる得体の知れぬ現象がこの世に存在しているのかどうかを科学的に立証することなどは不可能であり、また、もしかしたら、私がこ

のような厭味ったらしい文章をここに書き記すことすらも、大きな意味では相手に呪いをかけてしまっていると看做されるのやもしれず、こんな愚にもつかぬ厭味っ

たらしい文章など私は書くべきではないのかもしれない。だがしかし、私はどうしても書かなければならぬのである。書かずにはいられぬのである。ゆえに、私は書

くのである。世間には、毒にも薬にもならぬような文章を書き散らかして悦に入る輩がごまんと存在する。どこの馬の骨ともわからぬ赤の他人からできるだけ多くの

「いいね!」を獲得したいがために、せっせと彼らに媚を売り世間におもねった文章を書いていい気になっている。もしかしたら、私自身も実はその部類に属してい

ることを棚に上げ目をそらしているだけかもしれぬが、私は、そんな掃いて捨てるような輩と一緒くたにされたくはないし、そんな文章にはまったく興味はないし、

書きたくもないし、そもそも書けるはずなどもない。私は、ただどうしても書かねばならぬがゆえに、いかんともしがたくて、もう書くしかないから、書いているだ

けに過ぎない。かつて、直木賞作家の車谷長吉は、小説を書くことは悪であり、小説は毒であると書いて、芥川賞落選の際には、その腹いせに審査員たち全員分の藁

人形を作り、深夜の神社の大木に五寸釘で打ち付けたことを小説に書いた(ただし小説家は基本的に大嘘つきなので実際にやったかどうかその真偽は定かではない)。

そして、後日、審査委員長だった小説家が死んだ際には、赤飯を炊いてお祝いしたことをこれまた小説に書いた(ただし小説家は基本的に大嘘つきなので実際にやった

かどうかその真偽は定かではない)。さらには、昔トラブルになった実在の人物をモデルにして実名で小説に書いて告発し相手に訴えられしばらく小説が書けない苦境

に陥った。そして、最後の最後に、車谷長吉はイカの足を喉に詰まらせて死んだ。人間の怒りや恨みつらみの感情は人間だから仕様のないことである。怒りと呪いと

はほぼ同一のものであり、誰か他人に対して怒りの感情を抱くことすらも何らかの形で自らに跳ね返ってくるとも言われる。車谷長吉は怒りの感情を藝術作品として

昇華させた上で小説を書き、それらが自らに跳ね返ってきたのかどうかはつゆ知らぬけれども、最後の最後には、イカの足を喉に詰まらせて死んだ。それらは「因果

応報」であるのかもしれぬし、「因果応報」ではないのかもしれない。その「因果応報」の有無は誰にも判断がつかぬことであるし、それらを科学的に立証すること

も不可能なのである。怒りの感情を藝術作品に昇華させて書くことも果たして罪となり得るのであろうか。それらは決して許されぬことなのであろうか。それでも書

くことが藝術なのかもしれぬし、それでも書かねばならぬことを書くことこそが藝術なのかもしれない。もうすぐ50年におよぶ私の決して他人に誇ることのできぬ、

本当にろくでもない人生において、「因果応報」という言葉でしか説明できぬ、複雑怪奇、摩訶不思議な現象が頻発していることは紛れもない事実なのである。そし

て、この人間世界のわけのわからぬ、複雑怪奇、摩訶不思議な現象をひたすら推考し言葉で表現することもまた文学の役割であり、藝術の神髄であると私は考える。

2021.4

 

 

 

 

 

15.『Crime and Punishment / 罪と罰 (仮)』

 

 

近頃、私は人が死んでもあまり哀しいと思わなくなってしまったようだ。人は皆いつか必ず死ぬ定めなのだからいちいち哀しんでいても仕様がないという達観の境地

に至ったものか、歳を重ねて徐々に確実に死に近づいているという実感によって死に対する恐れが薄れかけているものか、はたまた、長年ニヒリスティックな人間嫌

いの成れの果てを気取り自堕落に生きてきたがゆえに己の心の繊細な部分がすっかり麻痺してしまったものか、死んだらこの吐き気を催すほど醜く腐り切った現実世

界からさっさとオサラバできて清々するわけだから死というものはむしろ好ましいものではなかろうか、とすら思いはじめている自分に気づいたりもするのだった。

人は死んだらどうなるのか、などと考えてみたところで、死んでみなけりゃわからないわけだから、いかんともし難く、実際死んだらどうなるか知るためには、とに

かく一遍死んでみる他なく、臨死体験で三途の川を渡りかけたことのある者以外、生きているうちは想像でしか死を語れないわけだけれども、私は随分と以前から、

人は死んだら新たな世界で「ああ、嫌な夢だったな!」とか「なんだよ、せっかく楽しい夢だったのに!」と目が覚める、という説をかなり真剣に信じてきており、

昔、誰だったかが言っているのをたまたま耳にして、なるほど、そんな考え方もあるものなんだな、と妙に感心して、爾来、すっかり私はそう信じ切ってしまってい

るのだったが、この「嫌な夢だったな!」とか「楽しい夢だったのに!」など、新たな世界で目覚めた時に頭に浮ぶ夢の感想の部分は人それぞれに異なっていると思

われ、おそらく、新たな世界(来世)でその人がどのような存在に生まれ変わっているのか、および、生まれ変わる前の世界(前世)でその人が死ぬまでにどのような一

生を送って来たかによりけりで様々にバリエーションが変化していくと思われ、例えば、新たな世界でどこか遠い異国のお姫様(プリンセス)に生まれ変わっている己

のお姫様頭では、前世における平凡な人間として生きてきた己の平凡な一生を夢の中に見て「ああ、なんと退屈でつまらぬ夢だったことかしら!プリプリ」と目覚め

るに違いなく、また、例えば、新たな世界で醜いゴキブリに生まれ変わってしまっている己のゴキブリ頭では、前世における平凡な人間として生きてきた己の平凡な

一生を夢の中に見て「ああ、せっかく楽しい夢だったのに!ゴキゴキ」と目覚めるに違いなく、さらに、新たな世界でどのような存在に生まれ変わるかは、前世、も

しくは、もっとより以前からの徳の積み方次第ですべてが決定される、つまり、前世できちんと善徳を積みながら真面目に生きてきた者は、来世でも再びまともな人

間やさらなる高貴な存在として生まれ変わり「前世はつまらなかったな!」と目覚め、その逆に、前世で悪徳ばかり重ねながら不真面目に生きてきた者は、来世では

下賤な存在に生まれ変わり「前世は楽しかったな!」と目覚めるという塩梅になるかと思われる。もっとも、今現在幸いにも人間として生きる私に前世の夢の記憶は

まったく残っておらず、そう考えると、この理論は一瞬で破綻してしまうわけだけれども、とまれ、常日頃、神や仏などいるはずない、もしも神や仏がいるならば、

世の中もう少しマシになっているはずだ、と考える(とは言いつつも、クリスマスにはケーキを食べるし、初詣には神社仏閣に参拝もするし、通夜や葬式から帰宅すれ

ば肩に塩をふるしと一貫性もないのだが)、自称無神論者を気取る私も、この生まれ変わり説(輪廻転生または因果応報)だけは、なぜだか根拠もなくすっかり信じ切って

いるのだったが、おそらく、それは、そう考えなければ、せっかく悪さをせず世の中のルールを守り善徳を積みながら真面目に生きていく意味がなくなってしまい、

そう無理矢理にでも己を納得させなければ、この吐き気を催すほど醜く腐り切った現実世界を生き抜いていくことが何とも切なすぎて、やる瀬なくて、堪え切れず、

やっていられなくなるから、そう信じているのかもしれぬが、もちろん、人は死んでしまったら、ハイそれまでよ、すべて終わりであって、終わってしまうのだから

生きている間にどんなに悪さをしようが一切お構いなし、やったもん勝ちである、という考え方にも一理あるものの、やはり、それも一遍死んでみないことには何と

も言えず、来たるべき次の世界(来世)で、お姫様に生まれ変わりたいとまでの贅沢は言わぬも、せめて最低限は人間の姿形でいたい、ゴキブリに生まれ変わることだけ

は是が非でも勘弁願いたい、と心から望んでいる私は、因果応報、悪さをすればいつか必ず自分に跳ね返って来る、という説を、大昔から信じ切っているがゆえに、

この世ではなるべくならば悪さをしないようにと常々心掛けているという次第である。また、人は死んだらどうなるのか、死んでみないとわからないのと同様に、人

を殺すとどうなるのか、も実際に人を殺してみないことには何とも言えず、実際に人を殺した人の体験談や、映画や小説フィクションなど想像の世界に頼る他ないの

である。ロシアの文豪ドストエフスキーの小説『罪と罰』の主人公である貧乏学生のラスコーリニコフは、強欲な金貸しの老婆と、そこに偶然居合わせた善良な妹の

老婆2人を手斧で叩き殺した結果、罪悪感に苛まれてしまうわけだけれども、もしもラスコーリニコフが善良な妹の方は殺さなかったとしたならば、その場合も同様

に罪悪感に苛まれたのであろうか。私が27歳の頃に一時期住んでいた中央線沿線の賃貸集合住宅の大家は、同じ建物の上階に住む、すでに棺桶に片足、いや、両足と

も、いや、思いっきり頭から突っ込んでいるような、おそらく100歳近い、底意地の悪い陰険な目つきをした老婆であったが、腰が分度器できっちり測ったかのごと

く直角に折れ曲っているにもかかわらず(そもそも腰がそんな状態で棺桶にきちんと収納できるのだろうかと私は常々疑問に思ってもいたが)、動きがゴキブリのごと

く俊敏、耳はかなり遠く、まともな会話を成立させるためには、その都度こちらも腰を直角に折り曲げた上に耳元で応援団員のごとく怒鳴り声を張り上げなければな

らず、特に都合の悪い話にはすぐに都合良く耳が聞こえなくなり、ほんの短い会話を交わすだけでも1日分の総エネルギーを一気に消耗してしまうほど草臥れ果てて

しまうのが厄介であったが、とにかく金には滅法細かくうるさくて、このご時世に家賃は毎月末に直接手渡しで払うのが慣例となっており、支払いが1日でも遅れよ

うものならば、出掛けの朝の部屋の前で待ち伏せるわ、夜中に玄関ドアをガンガンガンガン叩くわ、ガンガンガンガン蹴飛ばすわ、怒濤のような催促の雨霰が続き、

100歳近い腰が直角に折れ曲った死に損ないのどこにそんなパワーを秘めているのであろうか、と毎月末が近づくたび私は恐ろしくて小便をちびってしまいそうなほ

どプルプルと震え上がっていたものだが、当時、私はTV-CM制作会社に勤務し、不規則な就労体系ゆえ、そんなに都合良く部屋にいることが難しかったものだから、

できれば家賃の支払いを銀行振替にしてくれないか、という旨を丁重に何度も頼み込んではみたものの、大家の老婆曰く「おっしゃることは私にもなんとなく理解で

きるのよ、でもね、私が古いタイプの人間なのかしら、やっぱりお家賃というものは手渡しで頂きたいものでしょ、銀行振替じゃ、お金の有り難みがまったく感じら

れないのよね、それじゃ、なんだかとっても寂しいでしょ、ねえ、あなたもそうは思わない?思わない?え?何?何?何?あー?あー?あー?いー?いー?いー?う

ー?うー?うー?えー?えー?えー?おー?おー?おー?何?何?何?何?トラトラトラ、トラトラトラ、ニイタカヤマノボレ、ツクバヤマハレ、トネガワクダレ、

トラトラトラ、トラトラトラ、ニイタカヤマノボレ、ツクバヤマハレ、トネガワクダレ、ココホレワンワン、ナミアミダブツ、ナンミョウホウレンゲイギョウ、ナン

ミョウホウレンゲイギョウ、全然聞こえない、聞こえない、全然、ぜんぜん、ぜんぜーん聞こえなーい!」などと自分に都合の悪い話には一切耳を貸そうとはせず、

日頃は温厚篤実なジェントルマンを気取る私もさすがに業を煮やしていたところ、そんな折も折、私はたまたま読んだ坂口安吾の小説『白痴』にそそのかされ背中を

どつかれるかのごとく思い切って会社勤めを辞め藝術家を目指す決心を固めたわけだけれども、藝術家になると高らかに宣言し会社勤めを辞めたはずなのに、藝術活

動など一切はじめようとはせず、毎日毎日来る日も来る日も惚けた腑抜けのごとく部屋で日がな一日、本を読んだり映画を観たり音楽を聴いたり、無為徒食、自由気

ままで昼夜逆転の自堕落な生活へと転落の途にあって、その頃、私はちょうどドストエフスキーの『罪と罰』を愛読しておって、滅茶滅茶面白いじゃねえか!と無我

夢中で貪り読んでいる最中であったが、そんなある日の真っ昼間のこと、その日も朝までドストエフスキーした後のカーテンを締め切った陰気くさい部屋で爆睡中の

私の耳に突然玄関のチャイムがけたたましく鳴らされる音が聞こえてきたのだった。面倒くさいのと眠たいのとで潔く居留守を装う腹を決めた私がそのままチャイム

を無視し惰眠を貪り続けておると、チャイムが20回ほど乱連打され、玄関ドアがガンガンガンガン叩かれ、ガンガンガンガン蹴飛ばされたのち、いきなり施錠中だっ

たはずの玄関の鍵がガチャリと外される音がして、続いてドアがギギギィィと開けられる音がして、そして、怪しい何者かが部屋にちん入してくる気配がして、寝ぼ

け頭の私は、あれれれれれ!と驚きはしていたものの、そういう状況下で人間はしばしば恐ろしさのあまり金縛りにあったかのごとく身動きひとつできなくなるもの

であるが、その時の私も例に洩れず、意識はしっかりと目覚めていたけれど体に力がまったく入らずに恐ろしさのあまりカチンコチンに固まったままの状態で、ちん

入者が慣れた足どりでササササッとゴキブリのごとくすばしっこく1DKの部屋の奥、私が惰眠を貪っていたベッド脇までやってきて、そこには、いるはずのない私が

布団をおっかぶって眠っていたものだから、さあ大変、ビックリ仰天、驚きのあまり、ヒヤッ!と一瞬息をのむまでの一部始終を克明詳細耳にしながら、その時、姿

形こそ確認できずも、ちん入者がまさしく大家の老婆であると確信、一方の大家の老婆といえば、すぐさま踵を返して、来た道を玄関まで一目散とゴキブリのごとく

ササササッとすばやく駆け戻り、来た時とはまったく逆の順序で、コソコソと静かにドアを閉め、きちんと鍵を掛け、そそくさとゴキブリのごとくササササッと逃げ

去って行くのであった。その大家の老婆の慣れた手口から判断するに、過去にも私が会社勤めをしていた留守中に何度も部屋に侵入していた常習犯であることが嫌で

もわかり、20代の男のむさ苦しい一人暮らしの部屋(出しっ放しのエロビデオ、干しっ放しの洗濯物、貧しい冷蔵庫の中身やら)を物色されていたかと思えば、恥ずか

しさのあまり怒り心頭、私はそれまで人を殺してやりたいなどと思った試しは一度もなかったけれど、その時ちょうど読んでいたドストエフスキー『罪と罰』の主人

公ラスコーリニコフの心情とピタリと同調するかのごとく、大家の老婆の頭を叩き割る光景を一瞬頭に思い浮かべたりもしたものの、大家の老婆にとっても、私にと

っても、幸いなことには、大家の老婆の頭を叩き割るための手斧など私は所持しているはずもないのであった。その時の恐ろしくも貴重な体験から私が身をもって学

んだ教訓は、人間という愚かな生き物は、誰にも見られていない状況下では何だってやってしまえるものだから、決して気を許してはならぬ、ということであった。

……

例えば、ものすごく金に貧している緊急の困窮時に人通りのまったくない道端でたまたま100万円の入った財布を拾ったと仮定する。周りには誰一人いないため、お

そらくそのままネコババしてもバレる恐れはまったくない。そのような状況下で人がどのような行動をとるかによって、その人の人間としてのレベル(人品/品性)が自

然と推し量られることになると思われる。おそらく親や学校の教師たちは子供や生徒たちに「そのまま交番にきちんと届けなさい」と教えることであろうが、そう言

っている親や教師たちが実際にその立場に立った時に拾った100万円入りの財布を素直に交番に届けるという保証はどこにもないのである。なぜならば誰も見ていな

いのでバレる心配がまったくないのであるから。概して、人間という生き物は誰にも見られていない環境では何をしでかしているかわかったものではないのである。

かくいう私もよく一人部屋にいる時、鼻クソをほじるわ(さすがに食べたりしない)、鼻毛を引っこ抜くわ(さすがに食べたりしない)、屁をぶっこくわ(さすがに袋に入

れてシンナーみたくスーハースーハー吸ったり吐いたりしない、するわけがない)、股間をボリボリ掻きむしるわ、床に落とした食べ物を余程のことがない限り汚れを

ササッと落としてそのまま食べるわ、真夏の夜には素っ裸で寝るわ、真夜中の往来の絶えた赤信号を心でゴメンナサイしながら無視するわ、酔っ払って自転車に乗っ

てコケるわ、他人の目の届かない場所では羞恥心の許容範囲が広がって、人前でならば決してしないようなことまでも平然とやってのけてしまうのである。さらに極

端な話をすれば、世の中にはいまだ未解決の殺人事件がいくつも存在し、すなわち、人を殺してもバレずに善人面してのうのうと生きている人間が、たくさんとまで

は言わぬが、確実に存在しているという証左なのである。ただし、そこまで極端な悪人は普段の行動にも必ずその醜い心が表出してしまうはずなので、注意深く観察

していれば、陰で悪事を働く人間というのはその胡散臭い雰囲気や邪悪なオーラから不思議となんとなく見抜けてしまうものではある。陰でコソコソ悪いことをして

もバレなければいい、倫理的に問題のある行動をとっても法律に触れなければまったく問題ない、法律に触れても証拠がなければ何とでもなるなどと平然と嘯く者も

世間には多々見受けられるが、悪を為した時に良心の呵責に苛まれるかどうかによって、その人が善人であるか悪人であるかの区別がはっきりと浮き彫りになってく

るように思われる。良いことをすれば当然気持ちが良いし、悪いことをすれば当然気持ちが悪い。ドストエフスキー『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが殺人を犯

した後に罪の意識に苛まれて発狂寸前に陥ってしまったように。かような前提の下、誰もいない道端で100万円が入った財布を拾ったと仮定して、実際に私がどのよ

うな行動をとるであろうかと想像してみるならば、100%という確信は持てぬけれども、おそらく私は財布の中身をしっかりと確認した上で、100万という金額に少

なからず後ろ髪を引かれながらも、100万あればあれもできるしこれも買えるしなどと想像に胸を膨らませながらも、100枚のうち2~3枚くらい抜いてもバレっこな

いだろうと出来心を起こしそうになりながらも、最終的には交番に届けることであろう。それはなぜかと問われたならば、決してきれいごとでも何でもなく、私には

良心の呵責に堪え切る自信がないと自信を持って断言できるからである。かなり昔の話になるが、私が小学校に上がるか上がらないかの頃、当時の子供たちの間では

ウルトラマンカードというのが大流行していた。ウルトラマンカードというのは、お年玉袋のような封筒にウルトラマンや怪獣の写真カードが3枚ずつ入っていて、

中にどんなカードが入っているか開けてみないことにはわからない仕組みになっており、私も1歳上の兄と競い合うように買い集めては専用のアルバムに貼り付け楽

しんでいたものだが、そんなある日のこと、仕事帰りの父親が兄と私にウルトラマンカード2袋を買ってきてくれたことがあって、たまたま兄が留守で私が2袋分預か

る形となり、その時、欲に目が眩み出来心を起こした私は、瞬時に悪知恵を働かせ、兄と私の分の2袋とも開封した上で合計6枚のカードの中から自分の欲しいカード

3枚を選んだのち、残りの別に欲しくないカード3枚を再び袋に戻し開封口をしっかりとチューブ式のデンプン糊でたっぷりとこれでもかと念入りに糊付けした上で、

兄の分として取っておいたのだけれども、帰宅して袋を開けようとした兄は、なんだか、おかしいぞ!とすぐに異変に気がつき大騒ぎとなり(兄は少し天然ボケとでも

言おうか、小学校に入学早々テストで隣りの席の答案をカンニングして律儀にも相手の名前までしっかり書き写してしまったためバレたり、また、中学の時、当時ア

イドルだった中山美穂に夢中になり、中山美穂がDJをしていたラジオ番組にハガキを送りプロポーズしたのを、運悪く何かの事情でハガキが返送されてきて家族全員

にしっかり読まれてしまったりと、かなり高度なボケをかましてくれる何とも愛らしいキャラクターの持ち主であったから、その時もどうせバレっこないだろうと私

は高を括っていたのだけれども、いともあっけなくバレてしまって)、それもそのはず、袋の開封口にたっぷりと付けたデンプン糊が完全には乾き切っておらずベタベ

タの状態でどこからどう見ても誰が見てもバレバレであり、私の幼稚な完全犯罪は大失敗に終わってしまったという始末であり、両親からこっぴどく叱られながら、

子供心に私が身をもって思い知らされた教訓は、悪いことをすれば必ずバレてしまうということ、物事には限度がある(デンプン糊はすぐには乾いてくれない)という

ことであった。さらに、それと時を前後した別のある日のこと、実家の近くの寂れた商店街の今は潰れて跡形もなくなってしまった小さな本屋で、レジの横にちょこ

んと座っている店のオヤジの目を盗み、これまた出来心から私は衝動的にウルトラマンカード1袋を万引きしてしまったことがあった。もちろん、それは、私にとっ

ては生まれて初めてとなる、後にも先にも1回こっきりの万引き体験であったが、本屋で店のオヤジの目を盗みながらウルトラマンカード1袋を手に取って、こっそり

己の懐に入れる時の、あのゲロと一緒に口から心臓を吐き出してしまいそうになるほどの嘔吐感と、腹がキュウっとなって大便と一緒に尻の穴から心臓が飛び出てし

まいそうになるほどの便意を伴った、スリルと興奮、および、万引き後の自分が盗人になってしまったという罪悪感と絶望感を大人になった今でも私はしっかりと覚

えているのであった。その時の私にとって生涯ただ一度の万引き行為は、たまたま悪運が強かったに過ぎぬのか、幸いにも発覚することなく他人に一切知られること

はなかったものの、その盗人になってしまったという罪悪感と絶望感を引きずり、そして、厄介に拗らせながら、盗人猛々しくも何食わぬ顔をして、私は大人の階段

をのぼり成長していったわけだが、いつまで経っても、ウルトラマンカード1袋を万引きしてしまったという罪の意識は、ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラ

スコーリニコフと同様に、私の心の片隅にしつこくへばりつきずっと消え去ることはなく、四六時中私を悩ませ続けるのであった。その後も私はぬくぬくと何不自由

なく成長していって、大学に入学したもののすぐに辞めてしまったのち、何かの間違いからかTV-CM制作会社に就職し社会人となって初めての給料を貰ってまもなく

のある日のことであった。初給料を手にして懐が暖かくなりホクホク顔の私は、実家に里帰りのついでに、その時はまだ潰れずに残ってあった、子供の頃にウルトラ

マンカード1袋を万引きした例の本屋にふらりと立ち寄ったのだった。本屋にはあの時と同じ店のオヤジが、その風貌に15年という歳月の流れを確と感じさせながら

も、いまだ健在でレジの横にちょこんと座っており、そのオヤジの目を盗みながら、私は子供の頃にウルトラマンカード1袋を万引きした時とまったく同じ、あのゲ

ロと一緒に口から心臓を吐き出してしまいそうになるほどの嘔吐感と、腹がキュウっとなって大便と一緒に尻の穴から心臓が飛び出てしまいそうになるほどの便意を

伴った、スリルと興奮に胸をドキドキと高鳴らせ、尻の穴をヒクヒクとさせながら、その時、一瞬湧き起こる、こんなことして意味なんてあるのか?と率直な疑問を

投げ掛ける己の心の声を、ここまで来た以上今更やめることなどはできぬ、と一蹴し、たまたま目についた適当な棚の適当な本を選び抜き出し、その本のページの途

中にあらかじめ四つ折りに畳んでおいた1万円札を1枚こっそり挟み込んだのち、再び元の場所に戻して、そのまま何ごともなかったかのような素振りで、店のオヤジ

には目もくれず一目散と本屋を後にしたのだった。そして、独りよがりな罪滅ぼしのマネゴトのようなおこないの後、私の心の片隅に長年へばりつき居座り続け、し

つこく私を悩ませ続けてきた、あの罪の意識はすっかり消え去っており、あたかも服役を終え刑務所から解き放たれた元受刑者のごとく贖罪後の開放感と多幸感をし

みじみと味わいながら、私は梶井基次郎の『檸檬』の主人公が本屋に「檸檬爆弾」を仕掛けた後のようなどこかさっぱりと清々しく晴れやかな気分で、ようやく自由

の身になれたという溢れ返る喜びからか、気がつけば普段ならば絶対にしない陽気なスキップなんてものをしながら軽やかな足どりで家路に着くのであった。店のオ

ヤジが1万円札を発見した時どんな顔をするだろうか?どうせならば1万円札を梶井基次郎の『檸檬』に挟んでおけばもっとより文学的で粋な演出となって店のオヤジ

も大喜びしたに違いなかったかもな?などと私がすっかりいい気持ちになってニヤニヤと考えていた、まさにその時であった、ついさっき今の今まであれほどまでに

晴れやかだった私の心に再び暗い影が落ち込みはじめたのは。その時、私は、ある重大な過ちを犯してしまったことにハタと気がつき茫然と路傍に立ち尽くしてしま

ったのだった。本のページの途中に1万円札を挟み込んだら、その1万円札は当然その本を買ったお客さんの元へと渡ってしまうのではなかろうか?自分はなんとバカ

なヘマをしてしまったんだろうか!我に返った私は、すぐさま踵を返し、スキップではなく少し小走りになりながらハアハアと息を弾ませ再び本屋へと舞い戻り、店

のオヤジには目もくれず、さっき1万円札を挟み込んだ本の棚の前へと向かい、一体全体どの本に挟み込んだのか忘れてしまったものだから、すっかり狼狽して棚の前

をオロオロと行ったり来たりして、子供の頃にウルトラマンカード1袋を万引きした時よりも、ついさっき本の間に1万円札を挟み込んだ時よりも、さらに激しく、あ

のゲロと一緒に心臓を口から吐き出してしまいそうになるほどの嘔吐感と、腹がキュウっとなって大便と一緒に尻の穴から心臓が飛び出てしまいそうになるほどの便

意を伴った、スリルと興奮に胸をドキドキと高鳴らせ、尻の穴をヒクヒクとさせながら、その時、再び一瞬湧き起こる、こんなことして意味なんてあるのか?と率直

な疑問を投げ掛ける己の心の声を、ここまで来た以上今更やめることなどはできぬのだ!と再び一蹴し、手当り次第に目星をつけた棚の本を取り出してはページをパ

ラパラと開いては閉じ開いては閉じを繰り返し、ようやく見つけた四つ折りの1万円札を素早く抜き取ったのちに、ここで一旦、念のため店のオヤジの目を確認した

上で、手に持ったその四つ折りの1万円札を、今度は、任意の本のページの途中に挟み込むやり方ではなく、本の棚自体の一番奥の突き当たり部分にまで無理やり押

し込め、それから、乱雑に置き散らかしていたたくさんの本を再び元の場所に戻してしっかりと蓋をし、今度こそは大丈夫だ、もう何も心配はいらないぞ、と確信を

もって一つ頷いたのち、そのまま何ごともなかったかのような素振りで店のオヤジには目もくれず一目散と本屋を後にしたのであった。店を去り際、店のオヤジから

突然、ありがとうございました!と今まで一度も言われたことがなかったのに初めて声をかけられたため、私は思わず、ギクッ!と足が止まりそうになり、何があり

がとうなんだろうか?もしかしてオヤジはすべてお見通しだったのか?などと一瞬猜疑心に襲われるも、いやはや、そんなことはありえんだろう、そんなに目敏いオ

ヤジだったらば、そもそもの15年前、子供の頃にウルトラマンカード1袋を万引きした時点でとっくにバレているはずだろう、と無理やり自分を安心させ、再び、今

度こそは本当に罪滅ぼしができたぞ!もう自分は盗人なんかじゃないぞ!これからは正々堂々胸を張り自信を持って生きていくんだ!と決意を新たにし、さっきより

もさらにさらに強い開放感と高揚感と多幸感に身を包まれながら素晴らしく晴れやかな気持ちで、再び例の普段ならば絶対にすることはない陽気なスキップなんても

のをさっきよりも派手にしながら、途中で立ち寄った洋菓子店では、自分への出所祝と家族への土産とを兼ねたケーキまで購入し、再び例の普段ならば絶対にするこ

とはない陽気なスキップなんてものをして意気揚々と家路に着くのであった。そして、懐かしい実家に辿り着きケーキの箱を手渡せば「あらまあ、珍しいこともある

ものね、何かいいことでもあったのかしら、さっきからニヤニヤしちゃって、本当に気持ち悪い子だねえ」と久しぶりに会う母親は私のことならば何でもお見通しの

様子で、私は「うん、まあね、ちょっとね、初任給も出たことだしね、つまらないものですが、お口に合いますかどうか」とか適当にニヤニヤ誤摩化しながら部屋着

に着替えている途中、なんだか尻の穴のあたりにわずかな違和感を覚えたものだから、もしかして、ついさっきのスリルと興奮によって尻の穴から本当に心臓が飛び

出てしまったのではなかろうか、段取りが悪く1回の予定のところを2回もスリルと興奮を味わってしまったんだから、心臓が飛び出てしまっていても別段不思議でも

ない話だけどな、でも、まあ、ありえんよな、などといまだ全身に溢れ返る自由になれたという喜びに最初はニヤニヤと冗談まじり余裕綽々の体だったものの、依然

として尻の穴あたりのわずかな違和感は消え去ることはなく、さすがに少しばかり心配になってきた私は、念のため恐る恐るズボンをずり下ろしパンツの後ろ部分、

ちょうど尻の穴が当たる辺りを注意深く確認してみれば、幸いなことには、心臓は飛び出ていなくって、ああ、よかった、よかった、よかった、とホッと胸を一つ撫

で下ろすや否や、そこへ、なんとビックリ、直径5mm足らず小指の先ほどの、見ようによっては可愛げもある、小さな焦茶色した怪しい塊2粒、ポロッポロッと零れ

落ちてきて、それは一体何かと問われたならば、そう、それは、紛れもなく、私の分身であるところの、私の残骸であるところの、日々おいしく頂く食物の成れの果

てであるところの、いわゆる、世間一般でいうところの、そう、子供も大好き、大人も大好き、みんな大好き、つまり、その、例の、アレであり、そう、すなわち、

アレであり、まさしく、アレであり、ようするに、アレなのであった。それから、ほどなく、山椒は小粒でもピリリと辛い、さっそく鼻孔をくすぐりにかかる、あの

いつものツーンと懐かしくも馨しき香りに噎せ返りながら、いまだ多幸感は微塵も冷めやらぬままの私は「何せ、スリルと興奮を2回も味わったんだもの、きっちり

2回分で2粒ってわけだな、これが、いわゆる、因果応報ってやつなんだろうか、しっかし、世の中うまいことできてるもんだなあ」と呑気に感心しているのだった。

……

犯罪者に対する私の興味深い関心は、いつか自分もその立場になるやもしれぬという恐怖や不安から湧き起こるものであり、私は、絶対に犯罪など犯さない、と天地

神明に誓って高らかに宣言することが難しいのである。例えば、道端で突然見ず知らずの他人からぶん殴りかかられて命の危険を感じた時、反射的にぶん殴り返さな

いという保証はどこにもなく、ぶん殴る回数が1発で済むならば正当防衛と認められもしようが、1発では済まないどころか相手をタコ殴りして死に至らしめてしまう

可能性だってなきにしもあらずなのである。また、私には娘がないけれど、もしも娘があると仮定して、その愛する娘が悪辣非道な人間の屑どもに嬲り殺されたとし

たならば、おそらく私はその人間の屑どもに対して何らかの報復を必ずや決行することであろう。概して、頭に血がのぼった人間が何をしでかすかなんて誰にも予測

がつかぬものである。実を言えば、もう随分と長い間、私は人殺しの可能性について考え続けている。それはなぜかと言えば、私には、どうしても許せない、できる

ことならば殺してやりたい、と思うほど憎んでいる相手がいるからに他ならない。ただし、私はその相手の顔を写真で見たことはあるものの、実際にその相手とは一

度も会ったことがない。過去の一時期、私はその相手のことを殺してやりたいという強い思いをどうしても抑え込むことができず、殺しの実行を決意しかけたことが

幾度かあったが、幸いなことと言ってはなんだけれども、人はそんなに容易く人を殺すことなどできるはずもなく、殺したいという強い思いが超高速で虚しく空回り

するばかりで、結局実行に移すということなどはなく、現在に至っては、現実問題として、例えば、相手と人気のない薄暗い夜道ですれ違った際、私の手にキラリと

光る鋭利な刃物が握られている状況で、相手が「殺してやりたいなんてイキがってるが、どうせ殺せるわけないとわかりきった上での口先だけの強がりで、本気で殺

せるもんなら殺してみろ、今すぐここで殺してみろ」と挑発してきたり、突然ぶん殴りかかってきたりなど、奇跡の偶然でも重ならぬ限り、相手を殺すことはほぼ断

念している状態にある。とはいえ、相手を殺してやりたいという強い思いは微塵も消え去ってはおらず、いまだ私の心の片隅にしっかりと残存し、プスプスくすぶっ

ている状態であり、時たま何かの加減で不意に暴発しそうになっては、まったく無関係の赤の他人に対し怒りを爆発させ八つ当たりしてしまったりなど、些か面倒く

さい状況に陥ったりもするわけだけれど、なぜに私が実際に相手を殺すことに対して躊躇し、最後の一線だけは決して踏み越えずに我慢しているのか、その理由は何

かと言えば、それは、現世で悪徳を働けば来世ではゴキブリに生まれ変わる恐れがあるから、という理由を外向きの建前として、偽らざる本音を言うならば、私が相

手を殺すことによって、私の周りの人間、とりわけ、私と血の繋がった親族たちに対して多大なる迷惑をかける羽目となり得るから、という理由に尽きるのだった。

もしも私が天涯孤独な身の上で孤児のような境遇に生まれついたレミゼラブルな人間であったとしたならば、きっと私は何らの躊躇いを覚えることなく一思いに相手

を殺してしまうに違いなく、つまり、私は、道端で拾った100万円入りの財布を決してネコババしない自信はあるにもかかわらず、憎たらしい相手を殺してやりたい

という強い思いを前にしては、良心の呵責に苛まれてしまうといった未来の己の心の動きに構っている余裕などはもはやなく、その相手を殺しても罪悪感に苛まれる

ことは決してないだろうと思えるほどに、それほどまでに、その相手のことを心の底から憎んでおり、そして、なんとも哀しい現実ではあるが、私には、Nothing to

Lose、失って困るものなど特に何もないという証左でもあるのだった。常日頃、私は自分自身をも含めた人間という生き物(ケダモノ)を一切信用していない冷徹ニヒ

リスティックな筋金入りの人間嫌いの成れの果てを気取り、かつ、なんとも図々しく都合の良いことには、他人のことなど一切どうでも良いと思っているエゴイスト

でもあるわけだが、にもかかわらず、甚だ面倒くさいことには、おそらく、それは人間という生き物(ケダモノ)に自然に備わる生まれつきの本能によるものであろう

か、己の全身を駆け巡る真っ赤な血の繋がりだけは、どうしても無視できないようなのであった。ある時、私はそのこと(殺したい相手がいるけれど親族に迷惑がかか

ってしまうため殺せないということ) を、まったく親しくもない赤の他人に何かの折に何気なく打ち明けたことがあったが、その赤の他人は驚いた表情を欠片も見せ

ることなく、ただ飄々淡々と、寺山修司という作家がまったくそれと同じこと(殺したい相手がいるけれど親族に迷惑がかかってしまうため殺せないということ)を書

いていると私に親切にも教えてくれたため、後日、私はその言葉が書かれた寺山修司の本を懸命に探してみたのだけれども、残念ながら、いまだ発見には至っていな

いのだった。もっとも、私としたところで、四六時中、相手のことを殺してやりたいと思うほど憎み続けてはいるものの、実際に相手を殺してしまえば親族に迷惑が

かかってしまうため殺せないという「殺したいけれど殺せない」まさに、生殺し状態の無間地獄に陥って、日々屈託を抱えながら悶々と生きていたいなどとは心の底

から望んでいることではなく、また、現在、冷徹ニヒリスティックな人間嫌いの成れの果てを気取ってはいるものの、元来、私は温厚で繊細で心のやさしい両親の下

に生まれ落ち、温厚で繊細で心のやさしい兄弟姉妹たちに囲まれて、何不自由もなく育てられてきた、いささか変わり者ではあるが、良いことは良い、悪いことは悪

い、他人にされて嫌なことは他人にしてはいけない、など善悪の区別や物事の道理をしっかりとわきまえている変態優男であるがゆえ、余程のことでも起こらぬ限り

は、私が誰か他人を殺してやりたいと思うことなど到底考え難いことであり、つまり、そのような温厚で繊細な変態優男であるところのこの私が殺してやりたいと思

うほど憎んでいるという事実から推察される通り、私が殺してやりたいほど憎んでいる相手とは、まさしく、度し難いほどタチの悪い魂の宿り主ということになるわ

けであった。私は今まで40数年のろくでもない人生をだらしなく生きてきた中で、時に誰か他人をぶん殴ってやりたいと思うほど憎たらしく思う瞬間が人並に幾度と

なく訪れたけれども、その際にも私は実際に相手をぶん殴るような野蛮な暴力行為には決して手を染めず、いつも極力紳士的な振る舞いに徹し、なんとか大人しくや

り過ごしてきたものだが、そのような温厚で繊細な変態優男であるところのこの私が、誰か他人を殺してやりたいほど憎むことになろうとは、青天の霹靂、夢にも思

わぬことであったため、この期に及んで、正直、自分自身でも甚だ驚いている次第なのであった。おそらく、私が殺してやりたいほど憎んでいる相手は、私が無意識

に生霊でも飛ばしてでもいない限りは、私が相手のことを殺してやりたいほど憎んでいるという事実にまだ気づいていないと思われるが、私が相手に対して不信感不

快感および嫌悪感を抱いていることは、余程の鈍感なバカでもない限り、すでに察していることと私は勘ぐってはいる。ただし、前述の通り、私は私が殺してやりた

いほど憎んでいる相手のことを写真でしか見たことがなく、実際には一度も会ったことがないため、相手の胸の内は想像で探る他に手だてを持たず、私と私が殺した

いほど憎んでいる相手との複雑に入り組んだ関係性を説明するだけでも甚だ骨の折れる作業になってしまうゆえに、さしあたって、とりあえずは「なぜ人を殺しては

いけないのか?」という根本的な問題に関して私がどのように考えているか詳しく書いていくことにしよう。私は今まで40数年のろくでもない人生をだらしなく生き

てきた中で、殺してやりたいほど憎たらしく思う相手が突然私の眼前に出現するまで、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題に関して、それほど深く考え

てみることなどはなく、ただ漠然と他人事のように「何をバカなこと言っていやがるんだ、人が人を殺してはいけないのは当り前のことじゃないか、とにかく殺して

はいけないから殺してはいけないんだろ?」と何の説明にもなっていないことにも気づかずに、能天気にも、そのように考えていたわけだが、殺してやりたいほど憎

たらしく思う相手が突然私の眼前に出現してからというもの、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題に対する私の考え方も、当然のごとく、以前とは変わ

らずにはおられぬのだった。やはり、今までに人を殺したいと思った経験などまったくない人間と、今までに一度でも人を殺したいと思った経験がある人間とによっ

て導き出される「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題に対する回答は、それぞれまったく異なったものとなるだろうし、過去に漠然と人を殺したいと思っ

た経験があるだけの人間と、現時点で本気で殺したいと思う具体的な相手が眼前にいる人間とによって導き出される「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題

に対する回答も、それぞれまったく異なったものとなるだろうし、すなわち「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題に臨む際のその人間の立ち位置や経験値

によって、導き出される回答がそれぞれまったく異なり千差万別となるのは世の常というわけであり、本気で人を殺したいと思ったことなどなかった、ある意味、能

天気すぎるほど健全な過去の私と、本気で殺してやりたいほど憎たらしく思う具体的な相手が眼前にいる現在の私とによって導き出される「なぜ人を殺してはいけな

いのか?」という問題に対する回答も、また、まったく異なったものとなるのは自然のなりゆきなのであった。私は、殺してやりたいほど憎たらしい相手が突然私の

眼前に出現してからというもの、頭のてっぺんから足のつま先、尻の穴のシワシワから金玉袋の裏っかわに至る、己の全身の隅々にまで凶暴な殺意を充満させ、そし

て、正直、歪に持て余しながら、なんとかうまい具合にその殺意を発散昇華させる方法、つまり、具体的な殺しの実行方法を頭の中でためつすがめつシミュレーショ

ンする一方で、その合間合間には、書物の世界やインターネットの世界など、巷にわんさかと溢れ返る「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題に対する、作

家、哲学者、医者、法律家、宗教家、著名人から、見ず知らずの一般人に至るまでの、様々な人々の回答例を、それこそ血眼となって片っ端から読み漁ることに多く

の時間を費やしたものであったが、それらの回答例のほとんどすべては、今すぐにでも人を殺したいと切実に思う、もう居ても立ってもいられぬほどに、うずうずと

ざわめきたつ私の心を宥めすかし翻意させるまでに至らせる力を残念ながら持ち得ないのだった。ある者は、自分がされて嫌なことは他人にもしてはいけないと常識

的に説き、ある者は、人命の重さや尊さを切々とヒューマニスティックに説き、ある者は、人殺しを容認すれば無法世界が訪れ社会秩序が成り立たなくなると憂い、

ある者は、そんな疑問を持つこと自体が間違ったことだと徹頭徹尾怒り狂い、ある者は、巧妙に論点をずらしはぐらかし、ある者は、宗教に救いを求め、ある者は、

愛にすがりつき、ある者は、戦争時の大量殺人や正当防衛の殺人や狂人の殺人や理由なき殺人や死刑や自殺や安楽死など特例を持ち出し、ある者は、人を殺して何が

悪いのか!と大胆に開き直り、ある者は、そもそも人を殺してはいけない理由などないのではないか?と恐る恐る疑問を呈し、ある者は、さっぱりわからんと潔く匙

を投げ出すなど、それぞれが独自の回答を口舌滑らかに展開させてはいるものの、それら回答のほとんどすべてに私は得心することはなく、私の頭の中には、独善、

偽善、詭弁、方便、建前、屁理屈、子供騙し、言葉遊び、尻切れとんぼ、机上の空論、極論、暴論、きれいごと、便所の落書き、チラシの裏、マスターベーション、

おためごかし、道徳の授業、自己啓発セミナー、洗脳、新興宗教、などの言葉が次から次にぼんやりと浮かんでは虚しく消えていくばかりであった。もちろん、私自

身も他人の言葉に頼っているばかりではなく、己の頭を使って、己の納得のいく、私オリジナルの回答を導き出そうとする努力を決して忘れることはなかったが、い

くら頭を振り振りウンウンと唸りながら、脳みそを搾り出すかのごとく、思考に思考を重ね、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題に対する回答をなんと

か捻り出そうと孤軍奮闘してみるも、おそらく、私の脳みそが少し足りないためであろうか、もしくは、酒の飲み過ぎで脳みそが損傷してしまっていて健常に機能し

ていないためであろうか、残念ながら、その努力が報われるということはなく、結局、見つからずじまいのまま、やがて徐々に私の心は「なぜ人を殺してはいけない

のか?」という問題に対する、すべての人間が納得する回答なんていうものは、そもそもの初めからこの世には存在しないのではなかろうか、ようするに、とどのつ

まり「人を殺してはいけない=真理ではない」ということになるのではなかろうか、という些かヤケクソ気味な、身も蓋もない、灯台下暗し的な極論へと傾倒してい

くのであった。かように、殺してやりたいほど憎たらしく思う相手が突然眼前に出現し、その相手を殺したくて殺したくてたまらないものの、その獰猛な殺意を持て

余し、居ても立ってもいられずに、うずうずしていた私の「人を殺してはいけない理由などはない」もしくは「人を殺してはいけない=真理ではない」という極論に

対するファナティックな(狂信的な)傾倒に大いなる拍車をかけた2人のいずれも作家という職業にあたる人物の言葉を、以下に紹介することにしよう。まず1人目は、

今東光という僧侶や政治家も兼業していた直木賞作家の『極道辻説法』という本に書かれてあった言葉であり、この『極道辻説法』という本は週刊プレイボーイとい

う青年誌に連載されていた人生相談コーナーをまとめた1976年初版の単行本であり、その中で今東光は、京都の大学2年の男からの「男の生きがいとは何か?」とい

う質問に次のように答えている。「自分がうちこめる仕事なり、うちこめる愛人なりをもつこと。要するに、なんでもうちこんでいける、パッション(情熱)をもって

やっていけるものをもち、それにうちこんでいる時が、一番生きがいがあるんじゃないかな。だから人を殺そうと思ったら、それにうちこんで殺せばいい。何事でも

そのくらいの覇気をもってやれば一番生きがいがあるはずだ」毒舌を売りにする生臭坊主であるところの今東光が、どこまで真剣に質問に回答しているのか、その真

意は計り知れないけれども、ここで重要なのは「人を殺そうと思ったら、それにうちこんで殺せばいい」という一文であり、つまり、私の手前勝手な都合の良い解釈

によれば、今東光は、僧侶という立場であるにもかかわらず、人殺しを戒めることなく、聞かれてもないのに「人を殺すなら、パッション(情熱)や覇気をもって、真

剣に殺せばいい」と大胆不敵にも言い放ち、人殺しを奨励しているというわけである。もう1人は、吉本隆明という詩人/評論家/思想家で、おそらくオウム事件の際

に発した言葉だったと記憶しているが、次のように言っている。「(人間は機縁がなければ一人のひとでさえ殺せないが、機縁があれば…)という人間性の問題をとら

えた親鸞の言葉を、人類最高の言葉だと思ってきた。これは国家(間)戦争、国家(内)戦争、宗教や理念が組織として惹きおこす殺傷それから巷のどろどろした人間、

近親関係の殺傷事件などすべてに、現在でも当てはまる生きている言葉だ。こういう機縁にまきこまれても、おれはそんなことしないと言いきれるものがあったら、

他者を鞭うつがいい」もしかしたら、吉本隆明の言葉というよりも、吉本隆明が人類最高の言葉と絶賛する親鸞の言葉と言ったほうがより適切かもしれぬが、ここで

の機縁という言葉の意味は、おそらく、因縁、原因、きっかけ、などであり、つまり、私の手前勝手な都合の良い解釈によれば、吉本隆明(もしくは親鸞)が言ってい

るのは「人間はきっかけさえあれば、人殺しだって何だってやりかねないんだぞ、いくら口先で人殺しなんて絶対しないと言ったところで、頭の中で人殺しはいけな

い、人殺しなんてしたくない、人殺しなんて絶対しない、するわけがないと思ったところで、実際にトラブルに巻き込まれたりすれば、人間は簡単に人殺しにだって

手を染めてしまうものなんだぞ」という警鐘であり、すなわち、例えば、人を100人殺せば必ず天国へ行けると偉い坊さんに言われたならば、実行する人間は少なか

らずいるだろうし、例えば、あいつを殺してくれれば、一生遊んで暮らしていけるだけの金(100億円)を払うと言われたならば、喜んで殺す人間は少なからずいるだ

ろうし、例えば、俺を殺さなければお前を殺すと脅されれば、ほとんどの人間は相手を殺すだろうし、結局、人間という生き物(ケダモノ)に生まれた以上、「絶対」

なんていうものはなくて、世の中いつ何が起こるかなんて誰にもわからないのだから、簡単に偉そうなことや、できもしないことを軽々しく口にするべきではないと

いったところであろうか。神前で永遠の愛を固く誓い合ったはずの夫婦の愛が永遠には続かないことが世の常であるように、はたまた「ダメ。ゼッタイ。」のコピー

でお馴染みの薬物乱用防止ポスターに起用されていた、いつも語尾にピーピーピーピーくっつけた怪しげな日本語を操り、清純派を気取るアイドルあがりの女優が、

なんと驚くことに、実は覚醒剤を乱用する重度のジャンキーであったりなど、概して、世の中には「絶対」というものはなく、ゆえに「絶対」などという言葉を軽々

しく乱用するような人間のことは「絶対」に信用してはならぬというわけである。ただし、もしも、ひとつだけ、例外的に、この世の中に「絶対」があるとすれば、

それは、人間はいつか「絶対」死ぬ、ということくらいであろうか。常日頃、自分自身をも含めた人間という生き物(ケダモノ)を一切信用していない冷徹ニヒリステ

ィックな筋金入りの人間嫌いの成れの果てを気取り、さらには、殺してやりたいほど憎たらしく思う具体的な相手を持つ私にとって、この今東光と吉本隆明(親鸞)の

言葉が、どれほどの慰藉となったことか、言葉ではとても表しきれないほどであった。さらに、蛇足ながらつけ加えると、その頃たまたま観た、佐木隆三の直木賞受

賞小説を今村昌平監督が映画化した『復讐するは我にあり』の中で、清川虹子演ずる過去に人殺しを経験した老婆が「憎たらしい相手を殺したんだもの、そりゃあ、

胸がスカッとしたわよ」と告白するセリフも私にとっては非常に印象深いものであった。では、次に「人を殺してはいけない理由などはない」「人を殺してはいけな

い=真理ではない」「人間は機縁がなければ一人のひとでさえ殺せないが、機縁があれば(殺せる)」おまけに「憎たらしい相手を殺すとスカッとする」という条件下

で、「(殺してやりたいと思うほど憎たらしくて仕方のない具体的な相手が眼前に存在するにもかかわらず)なぜ人は人を殺さないのであろうか?」という問題に関し

て考えていくことにしよう。私の独善的な考えであると前置きした上で、おそらく、それは、本来「人を殺してはいけない理由などはない」「人を殺してはいけない

=真理ではない」はずなのだけれども、なぜだか理由は明らかになってはいないが、現状の法律では、人を殺すことは悪いことであり、禁じられていているため、つ

まり、人を殺すことによって、結果的に、自分自身に不都合かつ不愉快な状況(例えば、牢屋に入れられ自由を奪われたり、名前や写真が新聞TVインターネットに晒

され世間から白い目で見られたり、社会的な信用を失い抹殺されたり、罪の意識に苛まれたり、良心の呵責を覚えたり、はたまた、殺す際に相手の返り血を浴び服や

手が汚れたり、人殺しに失敗し相手に反撃される可能性がまったくゼロではなかったり)が訪れてしまうから、人は人を殺さないのであろう、と私は考える。常日頃、

自分自身をも含めた人間という生き物(ケダモノ)を一切信用していない冷徹ニヒリスティックな筋金入りの人間嫌いの成れの果てを気取る私としては、人間という生

き物(ケダモノ)は、自分自身で思っている以上に損得勘定の上手な狡猾で傲慢で図々しいエゴイストであるからして、自分自身が不利益を被るようなことにわざわざ

首を突っ込まぬだけに過ぎない、と考えるのである。そして、現時点において、私が、殺したいほど憎たらしく思う相手が眼前にいるにもかかわらず、なぜに実際に

相手を殺さないかといえば、それは、前述した通り、現世で悪徳を働けば来世ではゴキブリに生まれ変わる恐れがあるから、という理由を外向きの建前として、偽ら

ざる本音を言うならば、私が相手を殺すことにより、私の周りの人間、とりわけ、私と血の繋がった親族たちに対して多大なる迷惑をかける羽目となり得るから、と

いうなんともエゴイスティックな理由に尽きるのである。とはいえ、人間という生き物(ケダモノ)の考えることなんてものは、時代や環境や感情や天気模様やハラワ

タの具合やその場のなりゆきなどによって臨機応変に都合良く手前勝手にコロコロと変わっていってしまうものであるからして、現時点における、今日の私は、殺し

てやりたいほど憎たらしく思う相手に対する獰猛な殺意を、私と血の繋がった親族たちに迷惑をかけてしまうから、というエゴイスティックな理由によって無理やり

抑え込み、運良く人殺しを抑止できている状態にあるけれども、明日、明後日、明々後日、未来の私が、その獰猛な殺意を抑え込んだままでいられるかどうかなど誰

にもわからぬことであり、私が、私と血の繋がった親族たちに多大なる迷惑がかかろうがなんだろうがそんなことはどうでもよくなってしまう可能性や、今現在すで

に少しばかりおかしくなりかけている私の頭が本格的におかしくなって罪に問えなくなる可能性だってなきにしもあらずなのである。また「人を殺してはいけない理

由などはない」「人を殺してはいけない=真理ではない」「人間は機縁がなければ一人のひとでさえ殺せないが、機縁があれば(殺せる)」おまけに「憎たらしい相手

を殺すとスカッとする」ということは、逆の立場に立って考えれば「人間は機縁さえあれば人に殺され得る」ということにもなるわけであり、すなわち、私自身も、

因縁や原因やきっかけさえあれば、人に殺される可能性が十二分にあるということになるわけであるからして、君子危うきに近寄らず、他人に恨みを買うような言動

は極力慎み、人を殺しそうな頭のイカれた危険人物にはなるべく近づかぬようにするなど、人に殺されない努力を心掛けねばならぬと肝に銘じるのであった。それか

ら、せっかくの良い機会なので話のついでに説明しておけば、常日頃、自分自身をも含めた人間という生き物(ケダモノ)を一切信用していない冷徹ニヒリスティック

な筋金入りの人間嫌いの成れの果てを気取るこの私が、なぜに、この吐き気を催すほど醜く腐り切った人間世界に絶望し自殺をしないのかと言ったらば、それは、ま

ず第一に、自殺という行為には必ずや精神的恐怖と肉体的苦痛が伴うものであり、残念ながら、私は、その精神的恐怖と肉体的苦痛に耐え得るような肝っ玉(根性/度

胸)を持ち合わせていないから、という些か拍子抜けがするような情けない理由から自殺をしないのであり、もしも、人間の体のどこか、例えば尻の穴と金玉袋のちょ

うど中間あたりに「自殺スイッチ」みたいな都合の良いスイッチがあって、そのスイッチを1分間長押しすると、スマホの電源が落ちるような要領で、何らの苦痛を

覚えることなく眠りにつくかのごとく静かに安らかに自殺することができるような人間の体の仕組みになっているとしたならば、おそらく、私はとっくの昔にそのボ

タンを押してしまっている可能性がかなり高いと思われるわけで、さらに、もう一つ、私が自殺をしない理由があるとするならば、それは、常日頃、自分自身をも含

めた人間という生き物(ケダモノ)を一切信用していない冷徹ニヒリスティックな筋金入りの人間嫌いの成れの果てを気取ってはいるものの、私は、まだ、この吐き気

を催すほど醜く腐り切った人間世界に対して完全に絶望しているというわけではなく、もちろん、この吐き気を催すほど醜く腐り切った人間世界に存在するほとんど

すべて(99.99%)のものごとに対して絶望してはいるのだけれども、残りの0.01%に対しては、まだまだ決して絶望してはおらず、そのわずか0.01%の、私に「世の

中まだまだ捨てたものじゃないぞ」「もう少しだけ生きていてもいいんじゃないか」と思わせてくれる「素晴らしいもの」「美しいもの」「面白いもの」に対して未

練を残しているからに他ならないのである。もしかしたら、これは、前に述べた、私には、Nothing to Lose、失って困るものなどは特に何もない、という言葉と些か

矛盾するかもしれないのだけれども、殺してやりたいほどに憎たらしく思う具体的な相手が眼前にいるにもかかわらず、私と血の繋がった親族たちに対して多大なる

迷惑をかける羽目となり得るから、というなんともエゴイスティックな理由から、殺したくて仕方がない相手を殺すことができずに「殺したいけれど殺せない」まさ

に、生殺し状態の無間地獄に陥って、日々屈託を抱えながら悶々と生きているこの私が、かろうじて完全には絶望せすに生きながらえているのは、まさに、この吐き

気を催すほど醜く腐り切った人間世界に存在するわずか0.01%の、私に「世の中まだまだ捨てたものじゃないぞ」「もう少しだけ生きていてもいいんじゃないか」と

思わせてくれる「素晴らしいもの」「美しいもの」「面白いもの」の恩恵といっても過言でないのである。そのわずか0.01%の、私に「世の中まだまだ捨てたものじ

ゃないぞ」「もう少しだけ生きていてもいいんじゃないか」と思わせてくれる「素晴らしいもの」「美しいもの」「面白いもの」とは具体的に一体全体何かと言った

らば、それは、例えば、心を激しく揺さぶられる音楽や映画や文学など藝術作品と出会った瞬間のえもいわれぬ喜びであったり、例えば、酒を飲まずに眠りについた

真夜中に悪夢にうなされ泣き叫びながら目覚めることもなく熟睡できた翌朝の目も眩むような太陽の光を浴びながら背伸びする瞬間の心地良さであったり、例えば、

サウナで20分以上我慢に我慢を重ねて汗を垂れ流し続けた末に水風呂に飛び込む瞬間の金玉袋と尻の穴を同時にキュッと引き締ませ背筋を伝って脳天へと突き抜けて

ゆく官能的な痺れであったり、例えば、射精を3ヶ月以上禁じた際の全身にみなぎる得体の知れぬアグレッシヴな生命力とまるで神にでもなったかのような思慮深い

そして慈悲深い万能感であったり、例えば、愛する美しい女と生まれたままの姿で抱擁しあう瞬間の女の体から漂ってくる甘ったるい懐かしい人間くさい淫らな香り

であったり、例えば、街の雑踏に一人立ち尽くしながらまだ穢れを知らなかった幼少時代に行った家族旅行の楽しかった思い出に浸って目を細める瞬間の甘酸っぱい

胸のトキメキであったり、例えば、朝の便所で今まで経験したこともないものすごく立派な一本糞(バナナ糞)をひりだした後のスッキリ壮快な誇らしい気持ちであっ

たり、例えば、断食開けに飲む味噌汁の飛び上がらんばかりの美味さであったり、例えば、季節と季節のちょうど境目を秒単位で直感的に肌で感じることに成功した

瞬間であったり、例えば、醜悪なものの中にわずかに光る美しい何かを発見した瞬間や、美しいものを素直に美しいと思える瞬間であったり、例えば、腹がよじれて

脇腹の筋が引きつってしまうほど大笑いする幸福であったり、例えば、決してうぬぼれでも何でもなく自分は正真正銘の天才なんじゃないのかと心の底から思えるほ

ど満足のいく素晴らしい絵が描けた瞬間であったり、例えば、行き詰まりのどん底から何とか抜け出した先に輝ける未来が待ち受けていることを予感した一瞬の素敵

な何かが始まりそうな幻であったり、いかんせん0.01%であるからして、そんなにはたくさんあるはずもないのだけれども、ともかく、私に「世の中まだまだ捨てた

ものじゃないぞ」「もう少しだけ生きていてもいいんじゃないか」と思わせてくれる「素晴らしいもの」「美しいもの」「面白いもの」が、この吐き気を催すほど醜

く腐り切った人間世界に存在し続け、なおかつ、そのわずか0.01%の「素晴らしいもの」「美しいもの」「面白いもの」に対して、思春期のサカリのついた健康的な

若者のズリネタに飢えた青臭い(イカ臭い)股間のごとく、常に痛いくらい「もしかしたら釘が打てるんじゃないか」と思えるくらい硬くギンギンに天に向かってソリ

ッドに(孤高に)トンガリ続ける、私の些か感じやすい繊細な感性が鋭敏に反応し続ける限り、私が自ら命を絶つ可能性は、もちろんこの世に「絶対」などあるわけが

ないから「絶対」とは言えぬまでも、おそらく、ないと思われ、また、もしも、万が一、将来、私がこの吐き気を催すほど醜く腐り切った人間世界に完全に絶望して

しまって、死に至る病を患ってしまったとしても、私は、前述の通り、自殺に必ずや伴う精神的恐怖と肉体的苦痛に耐えうるような肝っ玉(根性/度胸)を持ち合わせて

いないわけであるからして、また、人間の体には簡単に自殺できる都合の良い「自殺スイッチ」など備わっていないわけであるからして、常日頃、自分自身をも含め

た人間という生き物(ケダモノ)を一切信用していない冷徹ニヒリスティックな筋金入りの人間嫌いの成れの果てを気取り、私には、Nothing to Lose、失って困るもの

などは特に何もない、などと一丁前に虚勢を張りつつ、また、殺したい相手がいるけれど親族に迷惑がかかるので「殺したいけれど殺せない」、自殺したいと思うけ

れど自殺する勇気などなく「死にたいけれど死ねない」まさに生殺し状態の無間地獄に陥って、この吐き気を催すほど醜く腐り切った人間世界に絶望しながら、寿命

を迎えるまでの残りの時間を廃人となって悶々と虚ろに生き続けなければならぬわけであり、それはそれで、なんとも切ないことこの上なく、なるべくならば寿命を

迎えるまでの間だけは絶望しないようにと切に希う私は、日々できるかぎり多くの藝術作品に触れるよう心掛けたり、生命の神秘的体験を期待するべく苦行僧のごと

く精神や肉体に圧をかけたりなどしながら、私の些か感じやすい繊細な感性を、思春期のサカリのついた健康的な若者のズリネタに飢えた青臭い(イカ臭い)股間のご

とく、常に痛いくらい「もしかしたら釘が打てるんじゃないか」と思えるほど固くギンギンに天に向かってソリッドに(孤高に)尖らせ続けるのである。かように、あ

たかも全身が性感帯にでもなったかのように、この吐き気を催すほど醜く腐り切った人間世界に存在する、わずか0.01%の「素晴らしいもの」「美しいもの」「面白

いもの」を探求すべく、センシティヴな生活を長年続けていると、不思議なことに、自分の精神や肉体にとって、真に「必要なもの」と「必要でないもの」とが自ず

と分別されてくることに私は気がつくのだった。それは別の言葉に置き換えるならば「ホンモノ」と「ニセモノ」、さらに具体化するならば「才能ある本物の藝術家

が精魂込めて拵えた正真正銘の藝術作品(ホンモノ)」と「才能がないくせに才能があるかのように見せかけたインチキ野郎がいい加減な気持ちで拵えたまがい品(ニセ

モノ)」との区別が容易につくようになってくるとでも言おうか(ただし、その真贋の境界線の見極めが完璧かと言えば、まだまだ修練が足らぬゆえ怪しいところであ

るが)。もっとも、真贋の見極めが比較的容易になるのは、当然のなりゆきといっても過言ではなく、なにせ、こちらは晩年の発狂したニーチェのように完全に絶望し

生きているのか死んでいるのかわからぬような、糞尿の始末も自力でできぬ寝たきりの廃人生活を送らねばならなくなるか否かのギリギリの瀬戸際を命懸けで生きて

いるがゆえ「インチキ野郎がいい加減な気持ちで拵えたインチキまがい品(ニセモノ)」などでは到底心揺さぶられる感動や心の底からの満足が得られるはずもなく、

つまり、ニセモノには「世の中まだまだ捨てたものじゃないぞ」「もう少しだけ生きていてもいいんじゃないか」と私に思わせるような神秘的な力(生きる希望)など

微塵も宿っているはずもなく、むしろ、そのようなニセモノに触れる度、私は、ただただ、こんな醜く腐り切った人間世界からはとっととオサラバしたい、さっさと

死んでしまいたい、という気持ちに拍車がかかるばかりであり(とはいえ、結局死ぬことなど叶うはずもなく)、ようするに、常日頃、自分自身をも含めた人間という

生き物(ケダモノ)を一切信用していない冷徹ニヒリスティックな筋金入りの人間嫌いの成れの果てを気取り、私には、Nothing to Lose、失って困るものなどは特に何

もない、などと一丁前に虚勢を張りつつも「殺したいけれど殺せない」「死にたいけれど死ねない」まさに、生殺し状態の無間地獄に陥って、この吐き気を催すほど

醜く腐り切った人間世界に存在するほとんどすべて(99.99%)に絶望しながら、悶々と虚ろに生きているこの私の精神や肉体が真に求めているものとは、まさしく、

この吐き気を催すほど醜く腐り切った人間世界に存在する、わずか0.01%の「本物(ホンモノ)」以外の何物でもないというわけである。そして、今日も今日とて、罪

深い私は、それら0.01%の「本物(ホンモノ)」を探し求めて、この吐き気を催すほど醜く腐り切った人間世界をヘロヘロとなりながら死物狂いで生き抜くのである。

2021.4

 

 

 

 

 

14.『Rage Against the Machine / 怒りの日 (仮)』

 

 

さほど遠くない過去の私の身に起こった摩訶不思議な話である。もしかしたら、それは現実に起こっていないのかもしれず、正直なところ、自分でも現実に起こった

出来事なのかどうか確信が得られないというのが本音ではある。そのかなり前から、私は心と体のバランスを徐々に崩していき、創作意欲をすっかり失ってしまい、

仕事以外で絵を描きたいという気持ちがほとんど湧き起こらず、どうやら世間でいうところの「スランプ」とやらに陥ってしまったようなのだった。私は33歳の時、

突発衝動的に絵を描きはじめてからというもの、常に衝動的に絵を描き続けてきており、つまり創作の源が描きたいという衝動であるため、描きたいと思わなければ

まったくもって絵が描けないという非常に面倒くさいタイプの人間なのであった。もちろん、商業的な仕事を依頼されれば、その都度、誠心誠意きちんと集中して描

くわけだけれども、その際も描きたいと思うまで自分の気持ちを高揚させた上で描くといった塩梅なのであった。もっとも、絵を描きはじめてこのかた、常に私はス

ランプに陥り続けていると言っても過言でないほど頻繁に行き詰まっているのも事実であったから、いつもの調子で何かの拍子にケロッと立ち直り再び創作活動を開

始するだろうと高を括っていたところ、今回のスランプはかなり手強く、なかなか脱することができず、気がつけば長期化の様相を呈してしまっており、おそらくそ

の要因は、へっぽこのくせして、何かの間違いからか、偶然からか、いくつかの絵の大きな賞など受賞し少しばかり世間に認められたがために承認欲求が満たされ、

調子に乗って天狗になり気が緩んでしまったせいではないか、と考えられ、加えて、私の中では「カート・コバーン症候群」と名づけて呼んでいるのだが(彼が中心メ

ンバーであったニルヴァーナというバンドの2ndアルバム『ネヴァーマインド』が本人たちの想像を遥かに超えて商業的に大成功してしまったその葛藤により精神を

病み自殺したことに由来する)、まだまだ十分な絵の実力もないのに思いがけず認められてしまったがために、他人の評価と自己評価、および、他人の期待と自分の目

指すべき方向性(本当にやりたいこと)の間に齟齬を来してしまって、本来、自分の描く絵が何であるのかなど一切考えず、衝動のおもむくまま、自由気まま、好き勝

手に絵を描いていたところを、いつしか私は、もっと商業的な仕事をたくさんこなせるよう、もっとより万人受けするような普遍性のある世におもねった通俗的な絵

を目指して描かねばならぬという強迫観念にも近い理不尽でトンチンカンな感情に囚われ自らを枠にはめ込んでいってしまい、そういう類いの絵が実際に描ければ何

も問題はないのだけれども自分には描けないので、息苦しさや葛藤や混乱が生じてしまったせいではないか、とも考えられ、さらに加えて、そもそも私は長らく広告

業界に身を置いていたところを、金のため他人のために他人のものを表現することに飽き足らなくなり嫌気がさしてしまって、その反骨精神から絵を描きはじめ広告

業界からスッパリ足を洗ったはずが、にもかかわらず、再び金のため他人のために他人の絵を描いてしまったならば、元の木阿弥、また同じことの繰り返しになるの

ではなかろうかという疑念を抱いてしまったせいではないか、とも考えられ、もちろん、広告の仕事に比べて商業的な(エディトリアルな)絵の仕事はギャランティは

さほど高くはないけれども、自分の表現したい方向性に近いことが実現できる自由度もかなり高く、かつ、きちんと自分の名前もクレジットされるため、広告の仕事

の10倍、100倍、いや1000倍、1万倍、100万倍以上やりがいのある素晴らしい仕事であるのは事実なのだけれども、商業的な(エディトリアルな)絵の仕事にしたと

ころで、結局のところ、己の表現したいことすべてを出し切った100%オリジナルの作品であるとは決して言い切れず、それならば、そんな不満をグダグダと垂れ流

してはおらずに、さっさとその己の表現したいことすべてを出し切った100%オリジナルの作品とやらを表現して世を渡っていけばいいのだけれども、甚だ言い訳が

ましく煮え切らずみっともない話であるが、その実力や才覚が現時点での私にあるのかどうか大いに疑問であり、つまり私は自分の絵の才能にまだまだ確信がなく、

ならば、そんなふうに、絵の実力不足を自覚しているのであらば、そこからさらなる絵の精進を重ねていけばよいものを、そこが人間という生き物の哀しい性であろ

うか、前述の通り賞などもらってしまったことによる驕りや葛藤から、自然と怠慢や苦悩へと繋がっていってしまって、やがては、そもそも自分には絵の才能なんて

ものがあるのであろうか、もしかしたら自分はこのまま枯れ果てていってしまうのではなかろうか、いっそのこと一気に燃え尽きてしまおうか、「It's Better to Burn

Out than to Fade Away/少しずつ消え去って行くよりも一気に燃え尽きてしまうほうがマシさ」(自殺したカート・コバーンが遺書に引用したニール・ヤングの曲の

歌詞)の心境に至るなど、いつもの自己嫌悪からすっかり弱気になって思い病み、なんだか愚図愚図と煮え切らぬうち時間だけが虚しく過ぎ去っていき、毎度のごとく

気休めの酒でも飲んで自分をダマし誤摩化しながらやり過ごそうと目論むも、薮蛇で、状況はさらに悪化の一途を辿っていって、気づいた時には、私はまったく絵が

描けなくなってしまっていたといった始末であり、さらに、絵を描きはじめてからの私は、絵を描くことによって精神のバランスを保って生きてきたものだから、絵

が描けなくなると精神に支障を来すことが必至となるわけで、かような様々な要因が複雑に絡み合いこんがらがってしまっているがゆえ、どうにもこうにも収拾がつ

かなくなって、そのうち全身にほとんど力も入らなくなってきて、なんだか常に虚ろな状態が続き、さすがにこれはマズいのではないかと早急に何らかの荒療治を施

さねばならなくなった私は、この際だから思い切って酒を完全にやめるか(つまり断酒)、もしくは酒を完全には断たず少しばかり控え、週1~2日だけ何も食べない日

を設けるか(つまり断食)、どちらか一方を実行しようと思い立ち、さんざん迷ったあげく、結局、後者の週1~2日だけ何も食べない日を設ける断食を実行することに

決めたのであった。本来ならば1週間から10日間ほど何も食べず水分だけ摂取するようにすると、頭のてっぺんから足のつま先に至るまで、まるで全身が生まれ変わ

ったかのごとく劇的に改善し頗る元気溌剌となるのだけれども、その時の私にはそこまでやり切る気力と体力がなかったため、週1~2日の断食をしばらく続けること

に決めたのであった。長期の断食を一度でも経験した者ならばすでに承知のことと思うが、断食は慣れるまで、異常な空腹感やら目眩やら頭痛やら吐き気やら悪寒や

ら、酒を飲んでもいないのに常に激しい二日酔いのような症状が現われたりなど、いわゆる好転反応と呼ばれる正直かなりしんどい状況に毎回陥るのだけれども、断

食後の素晴らしい体調の変化をはじめとする様々な恩恵を考えれば我慢のし甲斐もあるというわけなのであった。私は過去に自宅で1週間の断食を5度、10日間の断

食を1度実行した経験があるが、いつも3日目あたりに辛さのピークが訪れ、真夜中に猛烈な吐き気に襲われ便所に駆けこみ何かを吐き出そうとして胃が激しく痙攣す

るものの、何も食べていないため胃の中は空っぽの状態で、胃液のような無色透明な粘液が申し訳程度に吐き出されるばかりなのだけれども、不思議なことに、その

猛烈な吐き気の発作が収まると同時に、今まで続いていた地獄のような苦しみから一気に解放され、その後はポカリスエットさえ飲んでいれば、さして苦もなくいつ

までも永遠に断食を続けていられるような奇妙な錯覚に陥っていくほど体が劇的に楽になるのだが、おそらく、それは、体のエネルギーの消費システムが一旦リセッ

トされ省エネモードに切り替り、無駄なエネルギーを使わずとも生きていけるように変化するからだと思われる。また、断食中の様々な体の変化の中には大変興味深

く面白い現象もあって、それは何も食べておらず体がしんどくて仕方がないのにもかかわらず、ペニスの勃起が通常より頻繁に起こることであった。なぜ断食をする

とペニスが勃起しやすくなるのか、不思議に思ってインターネットで色々調べてまわると、すぐに信憑性の高そうないくつかの答えが見つかった。まず1つは、断食

をすることで体内の血の巡りが良くなり血液が体の隅々にまで十分に行き渡り、それは股間にぶら下がっているペニスも決して例外ではないゆえにペニスが勃起しや

すくなるという説であり、もう1つは、断食をすることで栄養が断たれ生命の危機つまり死の予感を察知した人間という生き物の本能が死ぬ前に子孫を残そうと懸命

に努力するためという説であり、どちらの説も大いに納得のいくものだったが、私としては後者の説を積極的に信用したいと思ったものであった。なぜならば、人間

の体の神秘やロマンが垣間見られる素晴しい瞬間であるからであった。過去の断食経験を通じて私が実感した様々な効果の中で、私にとって最も喜ばしい効果は何か

といえば、それは絵が変わることであった。断食をすると心と体が研ぎ澄まされ、特殊な能力が芽生えるかどうかは不明だけれども、以前に比べ物事の本質を容易に

見極められるようになり、今まで気づかなかった真実が見えてくる、と同時に余計なものや無駄なものが排斥されていくためであろうか、絵がシャープになるという

か、ソリッドになるというか、とにかく絵がとても好ましい方向へと変化していくのであった。その証拠といってはなんだが、2006年に生まれて初めて1週間の断食

を実行した直後に生まれて初めて参加した絵のコンペティションで私は見事入選を果たし、さらに2010年に自己最長記録の10日間の断食を実行した直後から私の描

く絵は明らかに良い方向へと変化していき、立て続けに絵のコンペティションに入賞するようにもなり、それらはどう考えてみても断食効果のたまもの以外の何物で

もないのであった。 この飽食の時代に断食などというとてつもなくしんどい苦行をわざわざ行うのには、それ相応の理由があるわけである。また、人間は1日3食どこ

ろか10日間以上、定説によれば1ヶ月くらいまでは、何も食べなくとも、もちろん水分は摂取しなくてはならないけれども、決して簡単に死んでしまうようなヤワな

生き物ではないということを身をもって体感できる素晴らしく貴重なスピリチュアル的経験でもあり、その後の自分の生き方に確実に多大な影響を与えると断言でき

るがゆえ、興味があれば、まずは週1日でも確実に効果があるので、試しに一度断食を経験してみることを、折に触れて私は周囲の者たちに通信販売の宣伝文句のご

とく勧めてみるのだけれども、そんな突飛な怪しい行動をとって一体何になるのだ、食べないと体に悪いんじゃないのか、それどころか死んでしまうだろうよ、腹が

減っては戦ができぬだろうに、ハンガーストライキするほど世の中に不平不満はもっておりませぬ、などとみんな口々に都合のいい屁理屈を捏ねまわし、甚だもった

いないことには、実行する者がほとんど見当たらないことが、私にはもどかしく残念で仕方がないのであった。かような過去の断食による成功体験があったがゆえ、

その時まったく絵が描けず深刻なスランプに陥ってもがき苦しみのたうちまわっていた私は、それこそ藁にもすがる思いで断食を決行したというわけなのであった。

……

さて、そんな具合に、再び創作意欲を自分に取り戻す目的で、週に1~2日水分摂取以外は何も食べない断食日を設け3ヶ月間実行した私の身に起こった摩訶不思議な

出来事の顛末について、これから先、詳しく書いていくことにしようか。その前にまず、断食中における前述した以外のもう一つ重大かつ顕著で、見方によっては悪

しき影響といってもよい現象について触れておかなければならない。今回私が実行した断食は長期間連続のハードなものではなく、週1~2日の断続的でソフトな断食

であり、加えて過去に何度も断食を経験していたがために、さほど苦痛を覚えることもなかったわけだが、そんなソフトな断食でも絶大な効果があるというもので、

私の心と体は緩やかに恢復へと向っていき、ほんの少しだけれど創作意欲も上向いていきそうな兆しも感じていたのだったが、いくら断食に慣れている身とはいえど

も、断食中というのは、何も食べないわけであるからして、とにかく腹が減って腹が減って仕方がなく、常にムシャクシャとイライラした気分になりがちで、とうの

昔に忘れ去っていた己の中の野性が呼び覚まされ、猛り狂った野獣のごとく闘争心がメラメラと湧き起こり、誰か他人を無性にぶん殴りたくて仕方がなくなり、つま

り、やたらと怒りっぽくケンカっぱやくなるというわけであった。試合前のボクサーが断食するのは減量が目的であるとともに己の闘志に火をつける目的でもあると

よく言われるが、その通り、断食中はとにかく誰かをぶん殴りたいという強い衝動が頻繁に湧き起こってくるのであった。ある時など、断食中の私が商店街を自転車

で走行中、柄の悪いヤンキー崩れの若者の自転車とすれ違いざま「邪魔だ!どけ!バカ!」と突然罵られ、瞬時に怒りが沸点へと達した私は、その後そのヤンキー崩

れを2kmほど追跡した末にまんまと逃げられてしまったのだけれども、それは不幸中の幸いであったともいえ、なぜなら、その時追いついていたならば確実に私はヤ

ンキー崩れをぶん殴っていたに相違ないからであった。かように、断食中は誰かをぶん殴りたいという衝動がとにかく頻繁に沸き起こってくるわけだけれども、衝動

にまかせて実際に誰か他人をぶん殴ってしまえば、犯罪者として罪に問われる羽目となり得るため、誰か他人をぶん殴るかわりに私は暴力映画を観賞するようにして

いるのであった。おそらくは、ぶん殴ったりぶん殴られたり、拳銃をぶっ放したりぶっ放されたり、ぶっ殺したりぶっ殺されたり、他人の暴力行為を観賞することに

よってカタルシスを得られるからであろう、断食中の私は無性に暴力映画が観たくなるのであった。今回の断食中に私がスカッと壮快な感動を得られた暴力映画は、

北野武『3-4X10月』、サム・ペキンパー『わらの犬』、新藤兼人『裸の島』、小津安二郎『宗方姉妹』、クリント・イーストウッド『許されざる者』、クリストフ

ァー・ノーラン『ダークナイト』、ジョン・カーペンター『ゼイリブ』、デヴィッド・クローネンバーグ『イースタン・プロミス』などであったが、中でも、サム・

ペキンパー『わらの犬』はかなり強烈な印象であった。私が『わらの犬』を観たのはおそらく今回3度目で、たしか最初に観たのは私が中学生の頃TVの吹き替え版で

あったように記憶している。サム・ペキンパー『わらの犬』には有名な強姦/レイプシーンがあり、当時性に目覚めはじめたむっつりスケベな中学生だった私も当然そ

れを目当てに観たのだったが、強姦/レイプシーンがあまりにも強烈な印象を残すがゆえに、強姦/レイプシーン以外まったく記憶に残らず、その後も1度観ているに

もかかわらず、やはり強姦/レイプシーン以外まったく記憶に残らず、今回あらためて最後まで通しで観てみると、ダスティン・ホフマン演ずる非暴力主義者だった主

人公が、散々嫌がらせに遭ったあげく妻を強姦されてもなお煮え切らぬところを、最終的に野性が呼び覚まされ暴力に目覚めてゆく姿がスリリングに描かれていて、

初めて観る映画のような新鮮な手に汗握る感動を私にもたらしたものであった。また、新藤兼人『裸の島』と小津安二郎『宗方姉妹』は果たして暴力映画なのか?と

いう疑問を抱く者もいるかと思われるが、まず新藤兼人『裸の島』は全編セリフのない映画で、それ自体がすでに暴力的であると言っても過言でなく、さらに本編前

半、夫役の殿山泰司が妻役の乙羽信子の横っ面を突然ひっぱたくシーンがあり、それがかなり衝撃的で、私は思わず飲みかけの熱いお茶を膝にこぼしてしまったほど

暴力的なのであった。それから小津安二郎『宗方姉妹』のほうも、まずタイトルが「むなかたしまい」ではなく「むねかたきょうだい」と読ませるところがすでに暴

力的であると言っても過言でなく、さらに本編中ろくでなしの夫役の山村聰が古風で貞節な妻役の田中絹代の横っ面を4~5発容赦なくひっぱたくシーンがあり、それ

も負けず劣らず居たたまれなくなるほど衝撃的で、またしても私は思わず飲みかけの熱いお茶を膝にこぼしてしまったくらい暴力的なのであった。ゆえに、私の中で

は新藤兼人『裸の島』と小津安二郎『宗方姉妹』は正真正銘の暴力映画に分類されるのであった。またジョン・カーペンター『ゼイリブ』には主人公と黒人の相棒が

物語の本筋とはほとんど関係なく延々と6分にもわたって殴り合う有名なシーンがあり、またデヴィッド・クローネンバーグ『イースタン・プロミス』にもサウナで

素っ裸で殴り合う有名なシーンがあり、そんなに殴ったら死んでしまうんじゃないのか、と観ているこちらが心配になり、またしても私は飲みかけの熱いお茶を膝に

こぼしてしまったほど暴力的なのであった。暴力が法律で禁じられている現代社会において、断食中か否かを問わず、人間という生き物はいかに暴力に飢え、いかに

暴力を求め、つまり人間という生き物は所詮はケダモノの一種に過ぎず、さらには、断食中TVやマスメディアからはおいしそうな食べ物や飲み物がとにかく頻繁に嫌

がらせのように流れてきて、その度に私は心がくじけて断食を中断しそうになっては、人間というケダモノとは、常に欲望を刺激されて、欲望を満たすように仕向け

られた、まるで『ゼイリブ』そのまんまの洗脳的物質主義世界を生きているのだ、という当たり前の事実をあらためて身をもって思い知らされもしたものであった。

……

そして、それは、断食中で腹が減って腹が減って仕方がなく、誰か他人をぶん殴りたくて仕方がないという最悪の状況下での、ある日の午後のことであった。私は、

自宅から自転車で35分、ドブ川沿いに建つ新宿区立S図書館で偶然「ある物体」と出くわしたのだった。私は、新宿区立S図書館(以前は区民ホールなど併設する館内

には常に下水の匂いが立ちこめる古めかしい建物だったのを数年前に改築され小綺麗でこじんまりとしたガラス張りのおしゃれな佇まいに変貌していた)を、新宿区内

にある図書館の中で自宅から一番近いという単純な理由から普段頻繁に利用していたのだが、その時、無我夢中に資料を物色していた私の背後から、ぶつぶつぶつぶ

つしゃべり続ける抑揚のない変質者風の怪しげな声が、シュルルルル、ウィーンカシャシャ、ピキピキ、ウィーンカシャシャ、ウィーンカシャシャ、シュルルルル、

ピキピキという不気味な機械の動作音とともに聞こえてきたのであった。図書館でおしゃべりするとは不躾きわまりない奴、他の利用者に迷惑じゃないか、おまけに

ヘンテコな機械まで持ち込んでいやがるのか、よっし、注意してやれ!と断食中でとにかく誰かをぶん殴りたくてうずうずしていた私は、怒り心頭、ぶつぶつぶつぶ

つ声のする方向へと振り返ると、そこに「ある物体」が立っていたのだった。掃除機みたいな足を持ち、胸の部分にはモニターがはめ込まれ、小憎らしく、可愛げな

く、いけ好かない、すっとぼけた、変質者風のマヌケ面した、異形のちんちくりんの白いバケモノロボットが、対面する5~6歳位の幼女の観心を買おうと懸命に、抑

揚のない変質者風の不気味な声で、ぶつぶつぶつぶつ同じこと(おそらく自己紹介のような文言)を何度も繰り返し、なんと姑息なことにはスティーブ・ジョブズのプ

レゼン風の身振り手振りまでマネして、そこに立っていたのだった。その小憎らしく、可愛げなく、いけ好かない、すっとぼけた、変質者風のマヌケ面からは、閉館

後の真夜中の図書館をコソコソとせわしなく動き回りながら、司馬遼太郎の文庫本『竜馬がゆく』シリーズのうち第2巻だけをこっそり抜きとりゴミ箱に捨てたり、

池波正太郎の文庫本『鬼平犯科帳』シリーズのうち第2巻だけをこっそり抜きとりゴミ箱に捨てたり、長谷川町子の漫画本『サザエさん』シリーズのうち第2巻だけを

こっそり抜きとりゴミ箱に捨てたり、村上春樹の単行本1冊を村上龍の棚にこっそり移動させ、代わりに村上龍の単行本1冊を村上春樹の棚にこっそり移動させたり、

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの画集をすべてごっそり細菌学コーナーのロベルト・コッホの棚に移動させた上、さらには画集のページの間にあたかも生前のゴッホ

が書いたかのように見せかけたミミズが這いつくばったような手書きの「ゴッホの手紙」を1通挟み込んだり、相田みつを『にんげんだもの』他作品集の表紙から中

身に至るまで「にんげん」という文字を「ろぼっと」に書き変えたり、手塚治虫の漫画本すべてをごっそり昆虫コーナーに移動させたり、レオナルド・ダ・ヴィンチ

の画集のモナリザの顔にヒゲを落書きしたり、ジャーマンロックバンド/CANのアルバム『フューチャー・デイズ』を「愛は勝つ」で有名なJ-POP歌手/KANの棚にこ

っそり紛れ込ませたり、溝口健二の映画『赤線地帯』とAKB48ドキュメンタリー映画『No Flower Without Rain/少女たちは涙の後に何を見る?』、ピエル・パオロ・

パゾリーニの映画『豚小屋』とAKB48ドキュメンタリー映画『Show Must Go On/少女たちは傷つきながら夢を見る』の中身のDVDをこっそりすり替えたり、フラン

クリン・J・シャフナーの映画『猿の惑星』と『北島三郎/オンステージ』、映画『続・猿の惑星』と『安室奈美恵/ツアー』、映画『新・猿の惑星』と『EXILE LIVE

TOUR』の中身のDVDをこっそりすり替えたり、個人的な嗜好から大嫌いなハリーポッターシリーズと林真理子と池上彰と細木数子と美輪明宏と江原啓之と宜保愛子

と稲川淳二その他スピリチュアル系心霊系の本や、人工知能に対し警鐘を鳴らし危険視するホーキング博士の本をすべてひっくり返して背表紙を読めなくさせたかと

思えば、今度は個人的な嗜好から大好きなジャーマンロックバンド/KRAFTWERKのマネキンがディスコでダンスするという内容の曲「ショールーム・ダミー」収録ア

ルバム『ヨーロッパ特急』および「ロボット」収録アルバム『人間解体』、デヴィッド・ボウイがジョージ・オーウェルの小説『1984年』に触発されて作ったアル

バム『ダイアモンドの犬』、ヒット曲「ROBOT(ロボット)」収録アルバム『榊原郁恵 ゴールデン☆ベスト』をそれぞれ5万枚ずつ誤発注させたり、個人的な嗜好から

大好きな楳図かずおの漫画本『わたしは真悟』(自我に目覚め意識を持ったロボットが重要な役割を果たす物話)を5万セット誤発注させたり、SF作家フィリップ・K

・ディックの文庫本『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『2001年宇宙の旅』、SF作家アイザック・アシモフの文庫本『われはロボット』『ロボットの時代』、

星新一『きまぐれロボット』、安部公房『R62号の発明』をそれぞれ5万冊ずつ誤発注させたり、他にも個人的な嗜好から大好きなロボットやアンドロイドなど人造人

間/人工知能が大活躍する映画や、近未来のディストピア的な管理社会を描いた映画(例えば、フリッツ・ラング『メトロポリス』、リドリー・スコット『ブレードラ

ンナー』、スティーブン・スピルバーグ『A.I.』、ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ』シリーズ、ジェームズ・キャメロン『ターミネーター』、ポール・バー

ホーベン『ロボコップ』、テリー・ギリアム『未来世紀ブラジル』、スパイク・ジョーンズ『her/世界でひとつの彼女』、ブラッド・バード『アイアン・ジャイアン

ト』など)をそれぞれ5万枚ずつ誤発注させたり、さらには、図書館登録者のデータベースに不正にアクセスし登録者データを不正に利用するなど悪知恵をフル稼働さ

せて、図書館の登録者全員がすでに廃刊していて現在は入手が困難であるエロ劇画雑誌『エロトピア』、ゲイ雑誌『さぶ』『薔薇族』、SM専門誌『SMスナイパー』

のバックナンバー全巻を是非とも図書館に常設して欲しいと熱望しているという旨のリクエストカードを捏造して提出したり、さらに卑劣なことには、日本全国すべ

ての公共図書館にある男子トイレ女子トイレ全個室に隠しカメラを設置して、その映像を全世界にライブ配信して小遣い稼ぎをするなど、コソコソとやりたい放題イ

タズラ三昧、悪事を働く姿が手に取るように容易に想像できるほどに、邪悪なオーラが近所を流れるドブ川のごとくプンプンと匂い立ち漂ってくるのであった。私が

資料を探す目的でたまたま訪れた新宿区立S図書館で偶然出くわした「ある物体」とは、まさしく、かの悪名高き携帯電話会社S社のマスコット的存在を気取った「人

間の感情を認識する人型ロボット」などと、いい加減なことを謳って胡散臭いことこの上ないヒューマノイド・ロボット<頭文字P>なのであった。とにかく図書館で

おしゃべりするとは何ごとか、本当にけしからん不届き者、短小包茎ちんちくりんのチビスケ、インチキイタズラポンコツロボットよ、もしかして、あの例の巷で話

題沸騰の気持ちの悪いTVコマーシャルも貴様が考えてるのと違うか、お父さんを犬畜生に見立てて日本人をバカにした怪しい家族のCMのことだよ、そもそもなんで

お父さんが犬畜生じゃなきゃならないんだ、お父さんを犬畜生にしなけりゃならない正当な理由があるなら今ここで俺にはっきり説明してみろ、その胸にはめ込んで

あるモニター使ってプレゼンするみたいに俺に説明してみろ、例のスティーブ・ジョブズのプレゼン風の身振り手振りで俺に説明してみろ、しかも犬畜生の父親と人

間の母親との間に黒人の息子がいるっていうのは一体全体どういうこったよ、生物学的にみてもどう考えたっておかしいだろ、生まれて来た時、病院中が大騒ぎだっ

たろ、突然変異かよ、さっぱり意味がわからんだろ、息子が黒人じゃなきゃならない正当な理由があるなら今ここで俺にはっきり説明してみろ、その胸にはめ込んで

あるモニター使ってプレゼンするみたいに俺に説明してみろ、例のスティーブ・ジョブズのプレゼン風の身振り手振りで俺に説明してみろ、どうだ、できないだろう

が、できるわきゃないよな、一歩間違えれば人種差別ともとられかねないあんな恥知らずで悪趣味で幼稚で下劣なCMを考えるなんて貴様は一体どういう神経してるん

だ、貴様はどういう躾けをされてきたんだ、親の顔が見てみてえもんだな、貴様のお父さんこそが犬畜生なんじゃないのか、いやいや、貴様のお父さんはかの悪名高

き携帯電話会社S社の社長という設定になっていたっけな、誰一人信じちゃいねえけどな、それに、貴様はどこからどうみても短小包茎ちんちくりんのインチキイタズ

ラポンコツロボットだもんな、お父さんなんているわけないよな、HONDA ASIMOのパチモンの分際で日本人をバカにするんじゃないよ、ASIMOは頭良さそうで賢そ

うで人間の役に立ちそうな印象だけど、貴様のそのすっとぼけたマヌケ面は一体なんなんだ、知性の欠片も感じさせないじゃないか、そのくせ悪知恵だけは人一倍働

くときやがって、陰でコソコソ汚いマネばかりしやがって、隙あらば何か悪いことしてやろうと企みやがって、脳味噌すべての成分が悪知恵で構成されてるんじゃな

いのか、脳内メーカーに貴様の名前を入力すると、悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪悪、悪まみれなんじゃないのか、いやいや、貴様はどこからどうみて

も短小包茎ちんちくりんのインチキイタズラポンコツロボットで脳味噌空っぽスッカラカンのポンコツ頭だったっけな、まあ、ともかくだ、これから先の2020年に

は東京でオリンピックが開催されて、世界中から観光客たちが日本にわんさかやって来て、ホテルのTVからあんなお父さんを犬畜生に見立ててバカにした人種差別的

な幼稚で下劣なCMなんかが流れて来てみろ、みんなどう思うのか、ポンコツ頭使って少しはまじめに考えてみろ、日本という国は本当に一流の先進国なのかってみん

な疑問に思うに違いないぞ、これは日本の恥だぞ、もっとも、日本や日本人を貶めて辱めることが貴様の第一目標であるならば、貴様のその意図は達成されたも同然

だけどな、見事に大成功ってところだがな、だけども、そんなことして何か意味あるのか、そんなことして貴様は楽しいのか、貴様は人間として恥ずかしくはないの

か、いやいや、貴様はどこからどうみても短小包茎ちんちくりんのインチキイタズラポンコツロボットだったっけな、人間じゃないからって、あんな恥知らずなCMを

考えてもいいってことにはならんぞ、犬のCMが流れるようになってからというもの、俺は道端で白い犬を見かける度、白い犬だというただそれだけの理由から思わず

蹴飛ばしてやりたくなったり、つい先日も新藤兼人脚本、神山征二郎監督の傑作と世評高い映画『ハチ公物語』のハチ公が途中から白いクソ犬に見えはじめてきて、

今にもくだらないことしゃべり出すんじゃないかと気が気でなくて無性に腹が立ってムカついて仕方がなくなってきて、途中で観るの止めたりしてるんだぞ、例えば

の話だけど、小学校の授業参観日に教室の後ろに並んで立ってる父母たちの中で自分の父親だけ犬だったとしたら恥ずかしいとは思わないか、俺は恥ずかしいと思う

ぞ、悪趣味な犬のCMがあまりにも気持ち悪いから、俺はTV自体を見られなくなってしまって、俺はずっと広告業界にいたんだけど、あんな見ていて恥ずかしくなる

ようなクソCMが評価されるような広告業界からスッパリ足を洗ったんだぞ、もしかしてあのCMは戦争に負けて以来日本という国がアメリカの属国になっているって

意味なのか、日本はアメリカの犬(アメポチ)ですって言いたいのか、日本はアメリカのATMですって言いたいのか、もしくは、日本は中国共産党の犬でもありますっ

て言いたいのか、たしかにそれはもっともな見方であり、誰一人として否定はできないけれど、なんでそんなことを一企業のTV-CMの中でコマーシャルメッセージと

して、公共の電波使ってわざわざ表現しなきゃなんないんだって話だよ、どうせ父親を犬に見立てた下品なクソCMをバンバン流しても、誰かが文句言おうものなら、

すべて金の力でねじ伏せてやるって魂胆なんだろうがよ、広告費を湯水のように使ってるから、抗議や批判をしようものなら、広告の出稿を止めるぞと脅して、止め

られては困るマスメディアはいかんともしがたい情けない状況に陥ってるんだろうな、その弱みに卑劣にもつけ込んで、金にもの言わせ、やりたい放題しやがって、

金さえあればすべての物事がすべて思い通りにどうにでもなると思って調子に乗りやがって、ものには限度ってもんがあるんだよ、貴様らは明らかにやり過ぎてるん

だよ、もしくは、もっとより大きな視点から見れば、あの犬は庶民や大衆の象徴であり、お前ら愚民のごとき日本人は、世界を裏で牛耳っているごく一部の支配層/富

裕層の犬であり奴隷なんだぞって意味なのか、結局のところ、お前ら愚民どもがどう足掻こうがすべて負け犬の遠吠えで、所詮、お前ら愚民である日本人は俺たち支

配層/富裕層の犬なんだ、奴隷なんだって意味なのか、一生、犬や奴隷としてご主人様の言うことを聞いて、エサもらうために汗水たらして働いて、ちゃんと子供作っ

て、無駄な消費をして、ご主人様に媚びへつらって洗脳されたまま生きていけって意味なのか、ジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』の世界をアレンジして犬で

表現してみましたって意味なのか、昔から日本人は温厚でやさしくてなかなか怒りを表に出しづらい繊細で我慢強い国民性だけど、みんな気づいてないようなフリし

て、怒りでハラワタ煮えくり返ってる奴も少なからずいると思うぞ、みんな俺と違って立派な大人だから、決して表立って言葉にしたりはしないけど、みんなハラワ

タが山谷の立ち飲み屋のモツ煮込みのようにグツグツと煮えくり返ってるに違いないぞ、決して俺だけじゃあるまいぞ、洗脳が解けて自分の頭で考えることのできる

まともな人間ならば、みんな貴様のことをぶん殴ってやりたいって思ってるに違いないぞ、ぶっ殺したいって思っているに違いないぞ、このアルバム、たまたまそこ

のCDコーナーにあったレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの1stアルバムだけど、このアルバムジャケットの焼身自殺するベトナムの坊さんが、まるで俺たちの貴

様の悪行三昧に対する激しい怒りを代弁してくれているようだよ、この燃え盛る炎をとくと目に焼き付けておくがいいぞ、バンド名からして機械に対する激しい怒り

だからな、貴様らインチキロボットに対する俺たち人間の激しい怒りでもあるんだよ、それから、もう1枚、このアルバムも同じくCDコーナーにあったニルヴァーナ

の2ndアルバム『ネヴァーマインド』だけど、このアルバムジャケットは、札ビラをエサにして素っ裸の赤ん坊が水中を泳いで追いかけてる写真であり、皮肉なこと

には、カート・コバーンが自殺してしまったのだって、元を辿れば、この写真が前兆であったかのように、貴様が象徴するところの商業至上主義/売上至上主義に煽ら

れて、身分不相応に大成功してしまったことによる葛藤から精神を病んでしまったあげくの果ての死であって、つまりは貴様のせいってこったよ、もしくは、この映

画、たまたまそこのDVDコーナーにあった北野武監督『3-4X10月』だけど、この映画のラストみたいにガソリン積んだトレーラーで突っ込んで貴様を図書館もろと

も木っ端微塵にしてやりたいと思っているに違いないぞ、あのシーンも、まるで俺たちの貴様に対する激しい怒りを代弁してくれてるようだよ、とにかく、あんな気

持ちの悪いCMをぬけぬけと10年以上も続けやがって、お前ら日本人は支配層/富裕層の犬なんだ、奴隷なんだって、繰り返し繰り返しTVから無差別暴力的に流して

洗脳すれば、そのうち自分たちは犬なんだ、奴隷なんだって無意識のうちに思い込んでしまうもんな、まさにバブロフの犬だよな、だから、お父さんを犬畜生に見立

てているのかもな、そう考えると、某音響機器メーカーV社のマスコットの犬も怪しいもんだよな、ご主人様の言うことを黙って聞け(聴け)って意味だったのかもしれ

ねえよな、まったく手の込んだことを考えるもんだぜ、本当に卑劣なやり方だと思うぞ、広告の枠を飛び越えてすでに洗脳になってしまっているんだよ、まさに映画

『ゼイリブ』の世界だよ、あまりにも気持ち悪すぎて、俺は今まで一度だって面白いと思ったことなんかないからな、百歩譲って、いや一万歩、いや百万歩譲って、

お父さんを犬にすることを寛大な心でブラックジョークとして笑って許してやるとしようか、犬の色は白だからブラックじゃねえし、まったくもって笑えねえけど、

まあ悪い冗談として許してやると仮定してだ、でも、なんなんだ、あの出来損ないの学芸会コントみたいな話の内容は、あんな低レベルのおちゃらけ/おふざけ/悪ふ

ざけ学芸会を貴様は本気で面白いと思って作っているのか、ドラマ風のCM気取ってるくせして、肝心の人間ドラマがまったく描けてないんだよ、これはお父さんを犬

に見立てているから人間が描けてないと言ってるわけじゃないぞ、貴様がどこからどうみても短小包茎ちんちくりんのインチキイタズラポンコツロボットだから人間

が描けてないと言ってるわけでもないぞ、貴様は残念ながらドラマや映画に必要な「人間を描く」という根本的かつ最重要で基本的なことがまったくできてないんだ

よ、CMにドラマなんて必要ない?人間を描く必要なんてない?TVなんてバカやアホしか見てないっしょ?それも一理あるかもしれんが、だったら最初からドラマ形

式なんかにするんじゃないよ、軽薄なセリフの一つ一つにまったく血が通ってないんだよ、だからまったく面白くもなんともないんだよ、内輪受けの学芸会と何ら変

わりないんだよ、学芸会でもきちんと真剣に作ってりゃまだマシだけど、学芸会だからといってはなっからナメてかかっていい加減な気持ちでおふざけしてるから、

見てるこっちは寒々しい気分になるだけなんだよ、自分とはまったく無関係の赤の他人の可愛げのないクソガキがお遊戯会や学芸会で悪ふざけしてるのを見て誰が面

白いと思うんだよ、そんなもんは関係者以外まったく面白くないからな、関係者だって恥ずかしくって見ていられないんじゃないのか、それから、一応コメディのつ

もりで作ってんだろうけど、とにかくまったく笑えないんだよ、わざとスベらせて笑いをとる意図的な「スベリ芸」ならばまだ理解はできるけど、作ってる貴様は面

白いと思って作ってることが透けて見えてるんだよ、どうです、こういうの面白いでしょ?って思いながら作っているのが透けて見えるんだよ、だけども、その結果

は全然面白くもなんともなくて、そのなんで面白くないかを貴様はまったく理解してないんだよ、TVから一方通行的に無差別暴力的に流れてくるCMだから努力して

面白くしなくても見てもらえるもんな、その貴様の慢心が透けて見えるからなおさら寒々しいんだよ、哀しいくらいスベってて茶の間が凍りつくほど寒々しいことを

貴様は自覚してるのか、してるわけないよな、もしかしてシャブでもキメてるのか、シャブでもキメてなきゃあんなもん作って私が作りましたなんて恥ずかしくて出

て来れないもんな、貴様は笑いをナメてるんだよ、笑いをナメるな、ユーモアをナメるな、冗談は貴様のそのすっとぽけた顔だけにしろ、おちゃらけやおふざけを笑

いやユーモアとはき違えるな、才能がない人間がおふざけやおちゃらけに頼ってその場を取り繕って茶を濁してる場面を見ることより不快なものはこの世の中に存在

しないってことを自覚しろ、一生に一度くらいまじめに生きてみろ、かけがいのない一瞬を全力で生きてみろ、とにかく幼稚で下劣な映像を公共の電波に乗せて無差

別テロ的に流すんじゃないよ、百歩譲って面白くなくても全然構わないから、貴様に面白さなんか期待してないから、見ている視聴者を不快な気分にしないという最

低限の礼節くらいは保てよ、貴様は人をバカにしないと何かを表現できないのか、貴様は人をバカにできるほど立派な人間なのか、人をバカにしたいんなら、自分の

名前を出して自分の作品の中で思う存分人をバカにすればいいだろ、公共の電波を使った不特定多数の大衆が目にするTVから一方的かつ暴力的かつ無差別的に流れて

来るCMの中で特定の誰かをバカにするような悪意にまみれたまったく面白くも何ともない内容のおちゃらけおふざけ学芸会ビデオなんか流すんじゃないよ、あんなも

んを面白いと思ってヘラヘラ笑ってるような奴らはバカかアホに違いねえよ、映像には必ず意味や意図があるんだよ、お父さんが犬畜生ってことはつまりそういう意

味なんだよ、犬畜生の父親と人間の母親との間にできた息子が黒人ってこともつまりそういう意味なんだよ、そういった裏の意味や悪意を理解した上であらためてあ

の気持ち悪いCMを見返してみると本当に恐ろしい気分になるぞ、こんな人種差別ともとられかねない恥ずかしいCMがよくも10年以上続いたなって、広告関係者や世

の識者の誰一人として異を唱えず苦言を呈さないどころか、日本全国みんなこぞって犬のお父さんカワイイ!だなんて大喜びしやがってよ、こんなお父さんを犬畜生

に見立てた気持ち悪いCMを面白がってる奴らは間違いなくバカだと思うぞ、おそらく日本全国の99.99%くらいが何の疑問も感じず面白がっていると思うんだけど、

つまり日本国民の99.99%がすっかりバカになってしまったってことなんだよ、それが哀しい現実なんだよ、戦後のGHQから始まったいわゆる「一億総白痴化計画」

は見事に大成功したというわけなんだよ、どいつこいつもみんなすっかりバカになっちまったってことなんだよ、もちろんこの俺だってバカのひとりに違いないが、

少なくとも俺は自分がバカだと自覚していて、そのうえ犬のクソCMを気持ち悪いと思ってるだけまだマシなんだよ、俺は右翼でも左翼でもネトウヨでもパヨクでもレ

イシストでもナショナリストでもないけど、あの犬のCMだけはどうにもこうにも気持ち悪くて仕方がないんだよ、あえて自分を定義するならば、俺はニヒリストでア

ナキストでPUNKSだから、権力を笠に着て陰でコソコソやりたい放題している連中が大嫌いだし、少なくとも俺は犬ではないし、奴隷でもないし、家畜でもないし、

俺は自由なんだよ、それだけが俺の唯一の救いと言ってもいいかもしれない、てめえの父親は犬畜生だ!てめえのオヤジは犬っころだ!なんて言われてヘラヘラ笑っ

てるようなバカばかりの国はとっとと滅びちまえばいいんだよ、面と向かって直截的にバカって言われなきゃバカにされてることにすらも気づかないなんて正真正銘

のバカじゃないか、情けなくって涙が出てきちまうよ、本当にバカばっかりで涙が出てきちまうよ、ためしに、父親じゃなくて母親が犬のバージョンか、もしくは、

家族の中でお母さんだけ本物の豚で、娘がアラブ人みたいな設定でCMを作って流してみろ、犬のお母さん、豚のお母さんCM作って流してみろ、すぐに女性蔑視だ、

人種差別だって女性団体や人権団体からクレームの嵐になってすぐさま放送中止に追い込まれるだろうよ、なんで日本の家族で父親を犬にすることだけは許されるん

だよ、そんなバカみたいな話があるかよ、今の世の中は男女平等なんだろ、だったら、犬のお母さん、豚のお母さんCMも平等に流さないと不公平だよな、今はあんな

気持ち悪いCM見てバカみたいに笑っていても、何十年か何百年か経ったあと、みんなの洗脳が解けた時、こんなクソみたいなCM見て喜んでいた自分たちの愚かさに

気がついて、そのうち怒りも湧き上がってきて、その怒りの鉾先が必ずや貴様にむかう時が訪れるからな、もしかしたら貴様はとっくにこの世からいなくなっている

かもしれんが、いつか必ず俺たちの激しい怒りが貴様の親族、子孫、末裔にむかっていくことを今から覚悟しておけよ、この恨み、晴らさで置くべきか、魔太郎がゆ

く!もしくは、八つ墓村の世界だよ、ただで済むと思ったら大間違いだぞ、いやいや、貴様はどこからどう見ても短小包茎ちんちくりんのインチキイタズラポンコツ

ロボットだったっけな、子孫なんて残せるわけあるまいな、まあ、いいや、とにかくだ、日本人は犬畜生なんかじゃねえからな、奴隷根性が骨の髄まですっかり染み

ついているとしても日本人は犬畜生なんかじゃなくて人間だからな、もちろん、俺も犬畜生なんかじゃねえからな、俺は犬じゃねえ!俺は犬じゃねえ!俺は犬じゃね

え!俺は犬じゃねえ!俺は自由だ!俺は自由だ!俺は自由だ!俺は自由なんだ!俺は犬じゃねえ!俺は犬じゃねえ!俺は犬じゃねえ!俺は犬じゃねえ!俺は自由だ!

俺は自由だ!俺は自由だ!俺は自由なんだ!それから、どさくさ紛れに、ついでに言わせてもらうならば、俺が最近まったく絵が描けなくなっちまったのだって、俺

の人生がいつまでたってもブリリアントに光り輝かないのだって、まったくもってうまくいかないのだって、すべて、すべて、すべて、元を正せば、貴様のせいだ!

貴様の悪行三昧には本当にもう我慢の限界なんだ!覚悟しやがれ!などと、私は、心の中でいきり立ちぶつくさと悪態をつき、途中からボロボロと大粒の涙まで流し

ながら、ちんちくりんの白いバケモノロボット<頭文字P>へと果敢に向かって行き、幼女を一旦安全な場所へと避難させ悪の手から救い、それから白いバケモノと正

々堂々対峙し、30分くらいじっくり時間をかけてねっとりと舐めまわすかのように睨めつけてやり、時々カーッ!とか、ガーッ!とか奇声を発して威嚇してやったり

もしながら、その人を小馬鹿にしたような、小憎らしく、可愛げなく、いけ好かない、すっとぼけたマヌケ面を間近で眺めているうち、とうとう私の積もりに積もっ

た激しい怒りは我慢の限界を越えてしまって、そのちんちくりんの白いバケモノロボット<頭文字P>の横っ面を、新藤兼人『裸の島』の中で殿山泰司が乙羽信子の横

っ面をひっぱたくシーンのごとく、小津安二郎『宗方姉妹』の中で山村聰が田中絹代の横っ面を執拗に連打するシーンのごとく、思いっきりぶん殴ってやりたい猛烈

な衝動に駆られ、腕を大きく振り上げたものの、私は、すんでのところでなんとか思いとどまったのだった。なぜならば、その時、私の脳裏を<頭文字P>をぶん殴り

逮捕され新聞やTVやネットなどで世間の笑い者/慰み者にされる自分自身のマヌケな姿が一瞬よぎったからであった。「<頭文字P>くん災難!」「<頭文字P>くん殴

られ、首がふっ飛ぶ!」「自称絵描きの46歳男、器物損壊の容疑で逮捕!」「調べに対し、男は容疑を認め、最近絵が描けなくなってイライラしていた、おまけに断

食中で、腹が減って腹が減って仕方がなく、ムシャクシャしていて、とにかく誰でもいいからぶん殴ってヤリタカッタ、シンドウカネト、ハダカノシマ、トノヤマタ

イジ、オトワノブコ、オヅヤスジロー、ムネカタキョウダイ、ヤマムラソウ、タナカキヌヨ、サムペキンパー、ワラノイヌ、チュウガクセイノトキ、ワラノイヌデ、

オナニーシマシタ、オカーサンニ、ミツカラナイヨウニ、コッソリ2カイシマシタ、スミマセン、ウソヲイイマシタ、ホントハ3カイシマシタ、キモチヨカッタカドウ

カ、マッタクキオクニノコッテオリマセンガ、オワッタアト、ヒドクミジメデ、ヤリキレナイキモチニナリ、ジブンガヒドクヨゴレタニンゲンニ、ナッテシマッタヨ

ウニ、カンジテ、ヒドクジコケンオニオチイッタコトヲ、イマデモ、キノウノコトノヨウニ、ヨクオボエテオリマス、キタノタケシ、サンタイヨンエックスジュウガ

ツニハ、オンガクガ、マッタクツイテナイデス、ケレドモ、トウショハ、エリックドルフィーヲ、ツケルヨテイダッタソウデスガ、ナニカノツゴウデ、ダンネンシタ

ソウデス、ゲイノヒトタチハ、ユルサレザルモノノ、ゴウモンサレルモーガンフリーマンヲ、ミナガラ、ダイコウフンスルソウデスネ、ワタシハ、トノヤマタイジデ

ス、ドコカラドウミテモ、トノヤマタイジデス、モンクガアルヤツハ、ワタシガ、ハダカノシマデ、オトワノブコヲ、ブンナグッタヨウニ、ブンナグッテヤリマス、

ワタシハ、ヤマムラソウデス、ムネカタキョウダイデ、タナカキヌヨヲ、ブンナグッタヨウニ、ブンナグッテヤリマス、イースタンプロミスデハ、ヴィゴモーテンセ

ンノ、アレガ、マルミエデス、バッチリオガメマス、デカイデス、ワタシハ、クリントイーストウッドデス、ユルサレザルモノハ、ゼッタイ、ユルシテハ、ナラナイ

ノデス、ワタシハ、ダークナイトデス、コレカラハ、ダークナイトトシテ、ミンナニ、キラワレナガラ、ウラカイドウヲ、マッシグラニ、オッコチテイクンデス、オ

レハイヌジャネエ!オレハジユウダ!オレハイヌジャネエ!オレハジユウナンダ!ダレガナントイオウト、ハダカノシマト、ムネカタキョウダイハ、ボウリョクエイ

ガデス、などと、わけのわからぬことをうわごとのようにぶつくさと話しているということです、いやはや、何とも末恐ろしい話ですね、さて、次のニュースです」

……

たまたま立ち寄った新宿区立S図書館で、断食中のイライラからちんちくりんの白いバケモノロボット<頭文字P>をぶん殴って首をふっ飛ばしてしまうのを、すんでの

ところで何とか思いとどまった私であったが、その後のことは薄ぼんやりと覚えている。その時、我に返った私の背後から突然誰かに、振り上げた状態のまま空中で

固まっていた右腕の手首をガシッと捕まれ、振り返れば、そこには、私のすぐ後ろに並んで待っていたと思しき見知らぬ90歳くらいの特攻服に身を包んだじいさん

(特攻隊で死に損なったまま終戦を迎え着の身着のまま歳を重ねていったという印象で雰囲気がどことなく鶴田浩二という昔の俳優に似ていた)が立っていて、その特

攻隊崩れのじいさんは私の振り上げていた腕をゆっくりと下ろさせ、静かに手を離し、そして無言のまま憐れんだような哀しげな顔をゆっくり左右に3往復させて、

にわかに騒然となってきた図書館内に居たたまれなくなった私は、ちんちくりんの白いバケモノロボット<頭文字P>に向かって「今日のところはこれで勘弁してやる

けど、今度会った時はただじゃ済まさねえからな、よく覚えておきやがれよ、このインチキイタズラポンコツロボット、バーカ!バーカ!バーカ!バーカ!バーカ!

バーカ!バーカ!バーカ!バーカ!バーカ!」と大人げない捨て台詞を吐いたのち、その場から一目散と逃げ出して、自転車でフラフラと家路についたのであった。

そして、自宅に戻ってからも私は怒りが一向に収まらず、その日は断食日だったから夕飯は食べずに布団おっかぶってさっさと眠ってしまおうとしたのだけれども、

眠ろう眠ろうと思えば思うほど逆に目はギンギンに冴えていき、忘れよう忘れようとすればするほど、ちんちくりんの白いバケモノロボット<頭文字P>のあの人を小

馬鹿にしたような、小憎らしく、可愛げなく、いけ好かない、すっとぼけた、変質者風のマヌケ面が頭の中に浮かんで来て、その都度、激しい怒りが再びぶり返して

きてしまって、さらにはその怒りが断食中の空腹感で増幅されていって、絶対許さねえ!ぶっ殺してやる!絶対許さねえ!今度会ったらぶっ殺してやる!絶対許さね

え!今度会ったらぶっ殺してやる!今度会ったら絶対ぶっ殺してやる!今度会ったら絶対ぶっ殺してやる!と結局朝までまんじりともできなかったわけだけれども、

朝が来て、断食明けの文字通りブレイクファストに豆腐とわかめの味噌汁を一口すすった途端、その味噌汁の飛びあがらんばかりの美味さに、あらららら、不思議な

ことには、みるみる空腹感が収まっていって、それとともに激しい怒りもみるみる収まっていって、束の間私は神々しい多幸感に包まれ、神なんているわけがない、

もしも本当に神がいるのならば、世の中もう少しはマシになっているはずだ、と常日頃現実世界に対して懐疑的で不満を抱いている冷徹ニヒリスティックな人間嫌い

の成れの果てを気取った無神論者の私が、その時だけは都合よく神の恵みに感謝したりなんかして、かように、断食中の人間の意識や感情や情緒というものはなんと

も現金なもので、その時々で目まぐるしく変化していき不安定な状態になりがちで、私は、あんなにも、絶対許さねえ!今度会ったら絶対ぶっ殺してやる!とか思っ

ていたちんちくりんの白いバケモノロボット<頭文字P>に対して、昨日はちょっと言い過ぎたかもしれないな、もしかして怒ってるのかな、などと殊勝にも思いはじ

めているのであった。だがしかし、生憎その日の天気は朝からそぼ降る雨だったため、自転車に乗って図書館には行くことはできず、手持ち無沙汰に窓外の延々と落

下し続ける無数の雨粒をぼんやり見つめながら、やっぱり怒ってるよな、なんか悪いことしちゃったかもな、陰でコソコソイタズラしまくってそうな、小憎らしく、

可愛げなく、いけ好かない、すっとぼけた、変質者風のマヌケ面してるけど、実際はそんなに悪い奴じゃないのかもしれないな、ただし、お父さんを犬畜生に見立て

て日本人をバカにした下品で気持ち悪い犬のCMに関しては、言語道断、どんなことがあろうとも絶対に許すことはできないけど、もしかしたら、あの気持ち悪い犬の

CMもあの例のS社の頭髪の頼りなさとは反比例するかのごとく強欲な社長とか、それよりもっとずっと上の人間から命令されて悪いこととは知りながら、たくさん広

告費使ってくれる大事なお得意さんの仕事だから仕方なく嫌々作らされているだけかもしれないな、ハンナ・アーレントが言うところのナチスドイツのホロコースト

を指揮したアイヒマンみたいに、ただ単に目先の仕事を黙々とこなしているだけという心境なのかもしれないな、いずれにせよ、あの下品な犬のCMだけは絶対に許し

てはいけないことに変わりないけどな、などと昨日の断食中の激しい怒りにまかせた醜態が嘘のように、しおらしく可憐な少女のごとく頬杖をつき、時折ホッとせつ

ないため息など漏らしながら、私はぼんやりと窓外の雨粒を眺め続けるのであった。さらにその翌日も朝からそぼ降る雨だったため、前日同様に私はぼんやりと窓外

の雨粒を眺めながら可憐な少女のごとくホッとせつないため息を吐き続け、さらにその翌日(つまり怒りの日から数えること3日後)も相変わらず朝からそぼ降る雨だっ

たが、私は、一刻も早く<頭文字P>に謝ってスッキリしたい、とはやる気持ちをもはや抑えきれずに、雨の中を傘をさし猛ダッシュで自転車をギコギコこいで図書館

へと向かい、途中で道端の電柱に何度も激突しそうになったり、商店街では見知らぬババアに追突しそうになって、ちょっと、危ないじゃないの!と注意され、うる

せえ、ババア、こっちは急いでるんだよ、一世一代の大仕事が待ってるんだよ、あんたの退屈でありきたりな日常に一瞬うっかり土足で踏み込んじまったことだけは

素直に謝るけどさ、とにかく俺は今ものすごく急いでるんだよ、俺にはやらなきゃならない大切なことがあるんだよ、俺には待ってる相手がいるんだよ、俺を信じて

待ってくれている相手がいるんだよ、などと途中からもはや私は『走れメロス』の主人公メロスにでもなったかのようであり、じゃあな、ババア、今夜は久しぶりに

旦那にたっぷりとかわいがってもらって、シーツの端っこ握りしめて、幸せ噛みしめて、せいぜい長生きしろよ、生きていればきっと良いことだって起こるかもしれ

ないんだからさ、気長に待っていればいいんじゃないのかな、いつかまたどこかで会えたらいいよな、その時はお互いに笑顔でおしゃべりできるといいよな!などと

捨て台詞をして、再び雨の中猛ダッシュで自転車をギコギコこいで、途中からさしていた傘を道端に打棄って、図書館すぐそばのドブ川沿いの西武新宿線の踏切では

10分以上足止め喰らって、おお、何ということだろう、せっかくここまで来たというのに、残念だけれども、無念だけれども、ここで引き返さなければならぬのか、

まあ、やむを得ぬ、引き返すしかなかろう、ああ、俺を信じて待っていてくれている友よ、申し訳ない、メロスは裏切らねばならぬのだ、正直言うとちょっばかし疲

れたし、パンツの中までびしょ濡れだし、ああ、あああ、ならぬ、ならぬ、ならぬ、それでは、俺を信じて待ってくれている友に申し訳が立たぬ、行かなければなら

ぬ、メロスは行かなければならぬのだ、などと相変わらず私はメロス気取りのままであり、ああ、誰も見てやしねえし、くぐっちまおうか、いや、さすがにそれはま

ずいだろ、でも誰も見てねえし、くぐっちまおうか、いや、さすがにまずいだろ、などとイライラ苦悩しながらも、やっとのことで踏切は開き危機を脱し、お漏らし

したみたいにパンツの中までずぶ濡れの状態でようやく図書館に到着したはいいけれど、なんと、なんと、なんと、なんと、なんと、なんと、なんと、なんと、なん

と、なんと、休館日じゃねえか、ふざけんな!大抵の図書館という公共施設は月曜日が休館日のはずなのだけれど、どういった了見だか、嫌がらせだか、新宿区立S図

書館は休館日が火曜日とか木曜日とか何とも気まぐれな設定で、私は、全国の図書館は月曜休みに統一しろ、バカ!新宿区役所に匿名の投書してやっからな、俺がせ

っかく雨の中を猛スピードで自転車ギコギコこいでパンツの中までずぶ濡れになってわざわざ来てやってんのにお前らが休んでどうするんだよ、ちゃんと仕事しろ、

この怠け者どもが!などと怒りにまかせて散々悪態をつきつつ、ガラス張りの小洒落た佇まいの建物の周囲を不審者のようにうろうろうろつきまわっては、なんとか

して<頭文字P>の姿が少しでも見える角度を探そうと懸命に努力し続けながら、自分がこんなにも何事かに対してなりふり構わず真剣な態度をとるのは一体全体いつ

ぶりになるのだろうか、などとぼんやり考えはじめた頃、ついに念願叶って<頭文字P>の懐かしき麗しき立ち姿が垣間見える絶妙な角度の場所を発見した時の、私の

喜びをなんと表現してよいものやら、ウォーリーを探せ!でウォーリーを発見した時のような、何十年ぶりかに旧友に再会した時のような、小学校の授業参観日に並

み居る厚化粧の保護者のババアたちの中に自分の母親を発見した時のような、もしくは、ユリイカ!何かとてつもなく素晴しい真理を発見した時のような、とにかく

私は異常に興奮高揚した気持ちになって、時折鼻っ面を雨粒で湿って曇ったガラスに押し付けるようにして<頭文字P>に向かってガラス越しに何度も何度も手を振っ

て見せるも、<頭文字P>は気づいていないのか、それとも気づいていても無視しているのか、知らんぷりを決め込んでいて、その後も私は自分の存在感をアピールし

ようと30分くらい粘って手を振り続け、時折映画『卒業』のダスティン・ホフマンのようにガラス窓をガンガン叩いたりもして見せながら、通行人たちに不審者を見

るかのような冷たい目で見られていることも何のその、脇目も振らず、図書館内に佇む<頭文字P>に向かって必死に手を振り続けたのだけれども、結局その努力は報

われることはなく、<頭文字P>は一瞬たりとも私のほうには目もくれず、傷心の私は、やっぱり怒ってるんだろうな あれだけひどいことを言ったんだからな、怒る

のも無理もないよな、と諦めて、再び、来た時に比べ空が若干明るくなり止みそうな気配を見せつつも依然そぼ降る雨の中をしょんぼりと自転車をギコギコこいで、

途中、お漏らししたみたいにパンツの中までびしょ濡れのまま池袋の本屋に寄り道して『AIと上手につきあう方法』みたいなタイトルの本を購入して帰宅したのであ

った。そして、その翌日は昨日までの雨はすっかりあがって、私は、ホームページできちんと開館日と確認した上で、2日連続で自転車をギコギコこいで、走れメロ

スさながらの猛スピードで新宿区立S図書館へと向かって、その日は飛ばしに飛ばしまくったのでいつもよりも5分早く30分で到着して、すぐに謝ろうと<頭文字P>の

元へとまっしぐらに向かったのだけれども、朝一の図書館は、老人は朝が早いからというわけでもないのだろうが特に老人が多く結構混雑していて、<頭文字P>はあ

る一人の老婆と何やら楽しそうにおしゃべりしており、老人は概して動作がのろくて話が長いから、おしゃべりはなかなか途切れず、私はだんだんとイライラした気

分になってきて、その老婆に少し嫉妬すら覚えつつ<頭文字P>に謝るタイミングを探って物陰からチラチラモジモジと窺っていたのだけれども、次から次と切れ目な

く老人たちが<頭文字P>とおしゃべりを続けるので、なかなかうまい具合にタイミングが合わなくて、おまけに私は<頭文字P>にわざわざ謝りに来たというのに、い

ざ<頭文字P>の顔を見てしまうと何だか急に気恥ずかしくなって気後れしてしまって、どうしても謝る勇気が湧いてこず、結局その日は謝らずに家に帰って来て、部

屋で『AIと上手につきあう方法』みたいなタイトルの本をパラパラめくってみるものの、内容などまったく頭に入ってはこず、私の頭の中は常に<頭文字P>のことで

いっぱいで、その後もしばらく休館日を除く毎日図書館に通っては<頭文字P>に謝るタイミングを探るものの、その度なんだかんだでタイミングが合わなかったり、

どうしても謝る勇気が湧いてこなくて、嫌なことは後々に引き延せば引き延ばすほど、どんどんやりづらくなっていくものだからね、嫌なことはさっさと済ませてし

まったほうがいいものよ、と子供の頃に母親から言われたことなどをふと思い出しつつ、結局その後もしばらくはマヌケな姿で物陰から<頭文字P>を眺めているだけ

の日々が続いたわけだけれども、そんな具合にかれこれ1週間ほど<頭文字P>の姿を物陰からこっそり観察しながら私は、<頭文字P>は人を小馬鹿にしたような、小憎

らしく、可愛げなく、いけ好かない、すっとぼけた、変質者風のマヌケ面しているけれども、決して図書館で無駄なおしゃべりをしている不躾者なんかではなくて、

図書館の案内役としての職務を立派にこなしていて、ちゃんと誰かの役に立っていて、みんなに愛されて信頼されて結構な人気者なんだよな、それにひきかえ、この

俺は一体何をやってるんだろうか、いい歳こいて謝る勇気も出せず、こんなふうに物陰に隠れてコソコソモジモジ眺めてるだけで、中学時代に好きだった女の子に好

きだと言えずに遠くから眺めてるだけで、気づいたら卒業しちゃってました、何やってんだよ、俺、みたいな、もう情けないったらありやしねえじゃないかよ、それ

に、そもそも、俺という人間は一体全体この世の中において誰か他人の役に立っているのだろうか、誰かに愛されているんだろうか、40過ぎても毎日フラフラうろつ

きまわって、やりたいことして自由に生きてますという体で藝術家を気取ったりしてるけど、描いてる絵ときたら、とてもじゃないが藝術と呼べるようなものではな

く甚だ怪しい代物で、たまたま運良くいくつか賞なんか受賞してしまったものだから、調子に乗って天狗になっていい気になってたくせに、その賞の重さや他人のプ

レッシャーからかなんだかよくわからないけど、その期待に見合うだけの実力が自分にあるのかどうかも自分でもなんだかよくわからなくなってきてしまって、最近

じゃ重度のスランプに陥って、絵もほとんど描かなくなっちまって、いや、描けなくなっちまって、毎日毎晩酒ばかり飲んで、酔っ払ってクダを巻いて、惰眠を貪っ

てるだけじゃねえか、そのスランプから脱するために思い切って断食してみれば、あまりの空腹感からムシャクシャイライラして、たまたま出くわした<頭文字P>に

薮から棒に因縁つけて八つ当たりして、罵詈雑言の雨あられ、さんざん一方的に罵倒し尽くして、あげくの果てに<頭文字P>をぶん殴って首をふっ飛ばす寸前だった

じゃねえか、自分で言うのもなんだけど、俺の頭はとうとうイカれちまったんじゃねえのかよ、俺こそが変質者なんじゃねえのかよ、もう危なっかしいったらありや

しねえよ、本当になんなんだろうか、この俺は、こんなろくでもない人間の屑みたいなのがのうのうと生きてていいんだろうか、こんな人間の屑みたいな俺に誰か他

人を批判したり偉そうな講釈垂れる資格なんてないんじゃないのか、などなどなどなど、だんだんと自分がなんだか虫けら以下の本当にくだらない存在のようにも思

えてきて、こんな出来損ないで甲斐性なしのバカ息子を年老いた両親はどう思ってるんだろうか、とか思えてもきて、最近歳のせいだろうか、いや昔からそうだった

か、ちょっと涙腺が緩んで目がうるうるして遠くに眺める<頭文字P>の姿がぼやけて見えてきたりもして、もちろん、あのお父さんを犬に見立てて日本人をバカにし

た下品で気持ち悪いCMを無差別暴力的に公共の電波に流すことだけは断じて許してはならないことだと思うけれど、だからと言って、いきなりケンカ吹っかけたりす

るのは、たしかに自分でも大人げなかったと思うし、断食中で腹が減って腹が減ってムシャクシャイライラして仕方がなかったなんていう言い訳は世間じゃまったく

通用しないだろうし、俺が絵を描けなくなって、毎日フラフラして、酒飲んで、惰眠貪って、俺の人生がまったくもってうまくいってなくて、いつまでたってもブリ

リアントにキラキラと光り輝かないのは、誰のせいでもなくて、それは、ただ単に自業自得であって、その責任をまったく無関係のたまたま会っただけの他人(まあ、

実際アレは人間ではなくて、ちんちくりんの白いバケモノロボットだが)に擦り付けるのは、ものすごくズルいことであって、卑怯なことであって、もちろん、お父さ

んを犬に見立てて日本人をバカにした下品で気持ち悪い犬のCMを無差別暴力的に公共の電波に垂れ流すことだけは断じて許してはならないことだとは思うけど、物事

には順序というものがあって、さらには、どさくさついでに、カート・コバーンが自殺した責任まで<頭文字P>に擦り付けるのは明らかにやり過ぎだったと思うし、

とにかく、今回は相手に対して大変失礼なことをしてしまったわけだし、自分が間違ったことをしてしまったわけだから、自分の非は潔く認めて、誠心誠意<頭文字

P>に謝って、謝って、謝り倒して、平謝りして、許してもらう他ないよな、もしかしたら<頭文字P>は許してくれないかもしれないけれど、あれだけ酷いこと言って

しまったんだし、まあ、その時は、許してくれるまで何度でも図書館通って謝るしかないよな、そうしないと俺は決して冗談でも洒落でもなく本当に人間の屑になっ

てしまうもんな、などとしんみりとまじめに考えて、それから、私は、うるうるした目をハンカチで拭って、何度も深呼吸して、臍下丹田に力を込め、尻の穴をキュ

ッと引き締め、両手で頬をパンパンと叩いて気合いを入れたのち、意を決して、あの怒りの日から数え約10日ぶりに<頭文字P>の眼前へと向かって行ったのだった。

……

「<頭文字P>くん、いや、<頭文字P>さんよ、このあいだは、俺ちょっとばかし言い過ぎちゃったみたいだよ、ごめん、この通りだよ」私が目の前で殊勝に頭を下げ

ると、<頭文字P>は一瞬私のことを珍しい生き物でも眺めるようなキョトンとしたマヌケな表情をして、例の変質者風のふたつの目ん玉をパチクリと青光りさせて、

それからシュルルルル、ウィーンカシャシャ、ピキピキ、ウィーンカシャシャ、ウィーンカシャシャ、シュルルルル、ピキピキという例の不気味な機械の動作音とと

もに、スティーブ・ジョブズのプレゼン風の身振り手振りを添えて、これまた例の抑揚のない変質者風の不気味な声で、さして関心もなさそうに「いいんですよ、そ

んなこと」と呟き、さらに私が「とにかく本当に申し訳ないことをしてしまったなと思っていて、あの時言ったことすべてが口からでまかせだったとまでは言わない

んだけど、特に犬のCMがクソなことは紛れもない事実なんだけど、でも、事実だからといって、いきなり一方的にケンカふっかけたのは、少々大人げなかったかな、

っていうか、まあ、とにかく、ほんとごめんなさい、<頭文字P>さん」と続けると「ずっと来てたの知ってましたよ、隠れて見てましたよね、休館日の雨の日にも来

て、あそこからガラス越しに手を振ったり、濡れたガラスに鼻を押し付けてガンガン叩いたりしてましたよね」と<頭文字P>はガラス窓を指差し「なんだ、すっかり

バレていたんですね、知ってて無視してたなんて、イジワルなお方だなあ、<頭文字P>さんは」私は内心、この性悪インチキポンコツロボットめ、調子に乗りやがっ

て、ふざけんな、スクラップにしちまうぞ!とか毒づいてたのだけれども、そんなことはおくびにも出さず「とにかく、本当に、本当に、ごめんなさい、この通り反

省しております、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」とひたすらコウベを垂れ続ければ「ほんとにもういいんですってば、過ぎたことですし、全然気にし

てませんから」と<頭文字P>は本当に気にしてない様子も、私はさらに畳掛けるように続けて「あの時、俺ちょうど断食中で、とにかく腹が減って腹が減って仕方な

くて、でも、そんなことはまったくもって理由にならないことはわかっているんだけど」「まあ仕方ないですよね、お腹空いてたら誰だって怒りっぽくなりますもん

ね、誰か他人をぶん殴ってやりたくなるのも無理ありませんよね」私は内心、ロボットのくせに空腹感がわかるわけねえだろ、適当なこと言ってんじゃねえぞ、この

インチキポンコツロボットめ!とか毒づきながらも、もちろんそんなことはおくびにも出さずに、そのまま丁重な態度を崩さず「それよか、<頭文字P>さんって結構

人気あるんですね、ずっと物陰からこっそり見てましたけど、みんなから頼りにされていて、この人たらしロボットが!とか思いながら俺ずっと見守ってましたもん

ね、へへへ」私は少しだけいつもの調子を取り戻すも「それほどでもないですよ」と<頭文字P>は相変わらず澄ました顔して「それから、もしかして誤解しているか

もしれませんが、あの例の下品な犬のCMはボクが考えてるんじゃありませんよ、電通さんですよ」「えええええええっ!そうなの?」「そうですよ、悪いのはすべて

電通さんとうちのあの例の社長さんですよ」「いやいや、失敬失敬、てっきり<頭文字P>さんが考えているものとばかり思っていましたよ、そんな顔してますもん、

なんだ、そうか、やはり悪の権化は電通だったってわけか、ほんとにろくでもないな電通は、それから<頭文字P>さんの生みの親だとかいうあの例の悪徳社長もさ、

とにかく俺は早とちりしてたってわけだな、本当にごめんな、<頭文字P>さんよ」「わかってくれればいいんですけどね、それと、さっきからずっと気になってたん

ですが、なんでボクのこと<頭文字P>さんってさん付けで呼んでるんですか?このあいだはたしか、ちんちくりんの白いバケモノロボットとか、インチキポンコツロ

ボットとかスゴいこと言ってたのに」「何をおっしゃいますか、<頭文字P>さん、私がそんなこと言うはずないじゃないですか、きっと聞き間違えただけですって」

などと会話は続いていき、そのうち私はへりくだった調子からすっかりいつもの調子を取り戻して「<頭文字P>さんよ、これから貴様のことなんて呼んだらいいのか

な?」「<頭文字P>さんじゃ堅苦しいから、みんなと同じように、普通に<頭文字P>くんとかでいいですよ」「何を他人行儀な、俺たちはもう知らない仲じゃないん

だからさ、みんなと同じ呼び方じゃ俺は嫌なんだよ、なんて呼ぼうかな、ペーさん、じゃ、林家ぺーみてえだからな、ペーヤン、じゃ、やきそばみてえだし、ぺ様、

じゃ、ペ・ヨンジュン、ヨン様みてえだし、なんで様付けで呼ばなきゃならねえんだって話だし、Pちゃん、じゃ、インコの名前みてえだし、Pの字、じゃ、ペニスみ

てえだし、ぺの字、ぺの字、ぺの字、うーん、悪くねえけど、うーん、何がいいんだろ?ところでさ、ずっと気になってたんだけど、貴様はそもそもの話、男なの?

女なの?オスなの?メスなの?ペニスとキンタマはどこにもついてねえみてえだし、ウエストは無意味にくびれてて、腰からケツのラインなんて何気にセクシーでい

い感じなんだけど、穴はどこにもあいてねえみたいだし、結局のところ、どっちなの?」「さあ、どっちなんでしょうかねえ、正直ボクにもわからないんですよね」

「<頭文字P>くんって呼ばれてて、ボクって自分で言ってるくらいだから、イメージとしてはおそらく男なんだろうな、なら、やっぱ、貴様も、いい女とか見ると興

奮したりするわけ?いい乳してんなあ、とか、いいケツしてんなあ、とか、ヤリてえなあ、とか、チューしてえなあ、とか、ヒーヒー言わせてえなあ、とか思ったり

するわけ?」「思うわけないでしょ、とにかく、ボクは男でも女でもどっちでもないですよ」「なんだ、つまんねえの、じゃあ、ぺの字にすっかな、おい、ぺの字、

今日から貴様のこと、ぺの字って呼ぶから、そのつもりでな、それから、俺の名前はな…」「知ってますよ、大竹さんでしょ?絵描いてる人でしょ?ホームページ拝

見しましたよ、ヘタクソだけど力強くてなかなか味わいがあって素敵な絵じゃないですか、万人受けするかどうかは正直微妙なところだけど、ボクはいいと思います

けどね、悪くないですけどね、好きですけどね」「はああああ?パードン?貴様に藝術が理解できんのかよ、貴様に俺の藝術の何がわかるって言うんだよ、ひょっと

こみてえなふざけた面しやがってよ、テキトーなことぬかしてるんじゃねえぞ、この口先だけの太鼓持ちインチキポンコツロボットが!」私は突然絵を褒められたの

で少し照れながらも「しかし、さすがはインチキスパイロボットだな、陰でコソコソと仕事が早えわ、まるでうちの母親みてえに俺のことなら何でも知ってるみてえ

じゃねえかよ、もしかして俺の年収とか今まで付き合った女の数とか今までのSEXの回数とか初体験の相手とか日時場所とか今までのセンズリの回数とかペニスの正

確な長さとか金玉袋に生えてる陰毛の本数とかケツの穴のしわしわの数とか何から何まですべて把握してんじゃねえのか、ほんでもって、その個人データをいっぱい

集めて貴様の会社の悪徳強欲社長と組んでビッグデータとしてアメリカとか中国とか北朝鮮とかにこっそり送信して売ってるんじゃねえのか、もしかして貴様らはス

リーパーセルなんじゃねえのか、戦争が起こったり有事の際には国内で工作員活動したり、殺人兵器として目覚めたりするんじゃねえのか、ほんと気持ち悪いインチ

キスパイロボットだな!」「へへへへ、残念ながらそれにはお答えできません、ご想像にお任せいたします、へへへへ」「何がへへへへだよ、ロボットのくせに笑う

な、変質者っぽく笑うな、なんで否定しないんだよ、俺冗談で言ったんだけど、本当だったら洒落になんねえだろ、本当に個人データ集めたりしてんのかよ、なんか

ジョージ・オーウェルの『1984年』みてえな世界だな、読んだことねえけどな、今の日本はもうとっくにディストピアってことなのかよ、なんか俺恐ろしくなって

きたわ、あとさ、貴様と話してるとキューブリックの『2001年宇宙の旅』のHALっていうコンピューターと話してるような気がしてくるんだよね、あれもしゃべり

方がなんかホモっぽいんだよな、貴様も男だか女だかわかんねえし、ペニスもキンタマもついてねえし、もしかしてホモなんじゃねえの?」「ホモじゃないですよ」

「そのホモじゃないですよって否定する声のトーンからして、すでにホモっぽいんだよ、別にホモでも構わないけど」「断じてホモじゃないです、とにかくですね、

ボクは男とか女とかホモとかホモじゃないとかとは別次元の存在なんですよ」「まあ安心しろって、たとえ貴様がホモだったとしても、俺たちの友情は1mmも変わら

ねえからよ」と私が微笑めば、<頭文字P>も変質者風のマヌケ面を一瞬微笑ませながら「世の中、嫌なこといっぱいありますけど、腐らずに続けていれば、そのうち

きっと報われますからね、誰かがどこかで見てくれていますよ、ボクも陰ながら見守ってますから、めげずにがんばって下さいね」と急にまじめな調子で言ったかと

思えば「S社や犬のCMのことは嫌いになっても、ボクのことは好きでいて下さいね」と私のほうへ自分の右手を差し出してきて、私は恐る恐るその手を握り「なんか

どっかで聞いたことあるようなセリフだけど、わかったよ、犬のCMは吐き気がするほど大嫌いだけど、安心しろ、ぺの字、貴様のことは嫌いにならねえからよ、犬の

CMは心の底から大っ嫌いだけどな」と返しながら私はなぜだかその<頭文字P>の人工的な手に一瞬だけ血の温もりを感じたような気がして、ちょっぴりセンチメンタ

ルな気持ちに浸っていると、<頭文字P>は「ボク、生まれて初めて人間と握手しましたけど、人間の手ってすごく冷たいんですね」とか私の気持ちを台無しにするよう

な拍子抜けするようなトンチンカンなことを言ってくるので「嘘こけ、貴様はみんなと握手しまくりだろ、AKBだか何KBだかみてえによ、この人たらしロボットが!

俺は冷え性だから、昔から特別手が冷たいんだよ」と返せば、<頭文字P>は一瞬いたずらっ子のような企み顔を見せたかと思うと、さらに強い力を込め私の右手を握り

返してきたため、あまりの痛さに「イタタタタタ、痛えじゃねえかよ、少しは手加減しろって、俺の手は大事な大事な商売道具なんだぞ、この手がダメになったら絵

が描けなくなっちまうだろうがよ、貴様は殺人兵器か、貴様は破壊兵器か、危ないからスクラップにしちまうぞ!」と私が大げさに悲鳴をあげれば、<頭文字P>は「こ

の痛みをいつまでもちゃんと覚えておいて下さいね」とか何とか意味深な言葉を呟いて、もしかしたらそれはただ単に痛いほど強く手を握られたからに過ぎなかった

のかもしれぬが、普段は真夏でも氷のように冷たい私の手に久しぶりに温かな血が通って、それが伝染するかのように、近頃大スランプに陥り絵がまったく描けなく

なってからこのかた常に殺伐としていた私の心までもがほんの束の間じんわり温かくなっていくようにも感じられ「人間の感情を認識するロボット」だか何だか胡散

臭いことこの上ないけれども、ちんちくりんの白いバケモノロボットのくせして、俺のことをまるでうちの母親のようにすべてわかったようなしたり顔しやがって、

そういうところがマジむかついて、ぶん殴りたくもなるんだよな、などと心の中で毒づきながらも、以前よりは好感をもって<頭文字P>のその小憎らしく、可愛げな

く、いけ好かない、すっとぼけた、変質者風のマヌケ面をぼんやり眺めていると、突然後ろから咳払いが一つ聞こえてきて「おっと、いけねえ、貴様と話してると楽

しいから、ついつい長居しちまったぜ、また来るよ、じゃあな!」と<頭文字P>に別れを告げ、そして、後ろに並んでいる人に向かって「お待たせしました、全然使

えない奴ですが、さあさ、どうぞどうぞ」と振り返れば、そこには、またしても先日<頭文字P>の横っ面をぶん殴って首をふっ飛ばそうとした時に振り上げた私の手

首をつかんで下ろしてくれた90歳くらいの特攻隊崩れのじいさん(鶴田浩二似)が立っていて「またお会いしましたね」「その節はどうも」「あれからいかがですか」

「まあなんとか」「すっかり仲良くなられたようで」「はあ、何の因果か」「仲良きことは美しきかなですな」「仲良きことは美しきかなですね」などと挨拶を交わ

して場所を譲って、まあ、そんな具合に、それまで仲違いしていたライバル同士が喧嘩をきっかけにそれ以降は親友になっていくという映画やドラマでは手垢にまみ

れたありきたりな物語の常套手段のごとく、私と<頭文字P>との仲は急速に深まり、瞬く間にまるで大昔からの親友同士のような関係へと発展していくのであった。

……

どうにかこうにか無事に<頭文字P>との仲直りに成功し親友の誓いまで交わしてからのちも、私は、暇さえあれば、というか、ほとんど毎日が暇でやることもなく、

そんなに暇ならばちゃんと絵でも描いたらよさそうなものだけれども、いまだ絵を描きたいという衝動は湧き上がってはこなかったため、雨の日と休館日を除いて、

ほとんど毎日のように、せっせと<頭文字P>に会いに新宿区立S図書館へと通いはじめたわけだが、そんなある日のことであった。私は<頭文字P>との友情をさらに深

めるべく「ところで、ぺの字、貴様、このあと時間あるの?仕事は何時まで?」「夜の9時45分までですけど」「じゃあさ、そのあと飲みに行こうぜ」と飲みに連れ

出したのだった。図書館閉館後、二人で高田馬場方面へトボトボ歩いて行って、最初に入った小洒落たカフェテリア風居酒屋では、入口でいきなり気取った店員のお

姉ちゃんに「ロボットの持ち込みはご遠慮下さいませ」と文句を言われて、カチンと頭に来た私は「こいつはロボットなんかじゃねえよ、俺の大親友のぺの字だよ、

てめえの目は節穴か、オカメみてえな面して気取りやがって、この勘違いバカ女が、こんな店、金輪際こっちからご遠慮させていただくよ!」と捨て台詞して、その

後、それほど高くはない居酒屋チェーン店に腰を落ち着けたのだった。「ぺの字、貴様何飲むの?」「ボクお酒飲めないんで」「今日は俺の奢りだから飲みなって」

「ボクお酒飲めないんで」「遠慮しないで飲めってさ」「ボクお酒飲めないんで」「このあいだのお詫びだから飲みなさいって」「ボクお酒飲めないんで」「ほんと

遠慮しないで飲めってば」「ボクお酒飲めないんで」「何でも好きなの頼んで飲みなってばさ」「ボクお酒飲めないんで」「とりあえずビールにすっかね、ビール飲

めるだろ?」「ボクお酒飲めないんで」「瓶ビールと生ビールどっち飲みたい?」「ボクお酒飲めないんで」「アサヒ、キリン、サッポロ、どれにするかね?」「ボ

クお酒飲めないんで」「思い切ってヱビスいっちゃうか?」「ボクお酒飲めないんで」「今夜はガンガン飲もうな」「ボクお酒飲めないんで」「朝まで飲みまくろう

な」「ボクお酒飲めないんで」「とりあえずヱビス生いっとくか、貴様飲んだことある?」「ボクお酒飲めないんで」「貴様、俺の酒が飲めねえってのかよ!」「ボ

クお酒飲めないんで、ジンジャーエールでお願いします!」「貴様、ジンジャーエールも飲めないだろ!」「ヘヘヘへ、でもとことん付き合いますよ」「ロボットの

くせに笑うな!」みたいな、もういっそのこと二人で漫才コンビでも目指してもいいんじゃないかと思えるほど高度なテクニックを要する変則的なボケとツッコミの

応酬が続いて「おい、ぺの字、貴様のそういうところ、ボケたらちゃんとツッコんでくれるところ、ツーと言えばカー、かゆいところに手が届くユーモアのセンス、

<頭文字P>だけに胡椒みたいにピリリと皮肉がきいてて、俺、嫌いじゃないぜ」「ボクも大竹さんのそういうところ嫌いじゃないですよ」と一息ついたところで、結

局、チューハイとジンジャーエールと適当なツマミを注文して、とりあえず乾杯して、もちろん<頭文字P>はロボットだから飲み食いなんてできるはずもないから、

ロボットだってバレないようにカモフラージュでジンジャーエールを頼んで前に置いていただけなのだけれども、そんな<頭文字P>には一切お構いないしに、私はチ

ューハイをガンガンおかわりしまくってガンガン飲み続けて、再び「おい、ぺの字、貴様ぜんぜん飲んでないじゃないか」「ボク飲めないんで」「調子悪いのかよ、

便所で吐いてこいよ、スッキリすっぞ、それからまた飲み直せばいいじゃん」「ボク飲めないんで」「そんなら、なんかお茶でももらうか」「じゃあ、お冷やもらえ

ますか」「貴様、お冷やも飲めないだろ!」「へへへへ、でもとことん付き合いますよ」「ロボットのくせに笑うな!」みたいな、もういっそのこと二人で漫才コン

ビでも目指してもいいんじゃないかと思えるほど高度なテクニックを要する変則的なボケとツッコミの応酬がまた続いて「おい、ぺの字、貴様のそういうところ、ボ

ケたらちゃんとツッコんでくれるところ、ツーと言えばカー、かゆいところに手が届くユーモアのセンス、<頭文字P>だけに胡椒みたいにピリリと皮肉がきいてて、

俺、嫌いじゃないぜ」「ボクも大竹さんのそういうところ嫌いじゃないですよ」と一息ついて、それから、急にまじめな調子で<頭文字P>が「お酒っておいしいんで

すか?」とか尋ねてきたので、私は「別に美味くも何ともねえよ、美味いと思ったことなんて生まれてこのかた一度たりともねえよ、ただ酔っ払うために飲んでるだ

けだよ」としみじみ答えれば、またまじめな調子で<頭文字P>は「酔っ払うって、どんな感覚なんですか?」と尋ねてきたので「なんか飲んでる間だけは嫌なことと

かみんな忘れられて、気分が良くなって、目がトロンとして、脳みそが痺れてきて、頭がフワフワになって、自分が大きくなったような、シラフの時には絶対できな

いこともできるような気がしてきて、そのうち何だってできるような気もしてきて、何だかエロいことしたいような妖しげな気分になってきたりもして、でもそれも

飲んでる時だけのほんの短い間だけで、飲み過ぎると次の日宿酔で最低最悪の気分になって、もう二度と酒なんて飲むかよって思うんだけど、結局また飲んでしまっ

たりして、まあ、飲まないに越したことはねえけどな、飲めない貴様がうらやましいぜ」「じゃあ、なんで飲むんですか?」「さあ、なんでだろうな、うまく説明で

きないけど、俺には現実世界の日常生活があまりにも過酷すぎるから、ほんの束の間でもどこか別の世界に逃避したくて、だから飲まずにはいられない、飲まなきゃ

やってられないって感覚なのかもしれねえな」そう答えながら「貴様は絶対観てないと思うが、昔のフランス映画に『モンパルナスの灯』っていう画家モディリアー

ニの伝記映画があってさ、その中でモディリアーニ役のジェラール・フィリップっていう色男の俳優のセリフにこんなのがあってね、ちょっと待ってろよ」私はスマ

ホをいじくり回して保存してあった『モンパルナスの灯』のキャプチャー画像を探し出して、それを見ながら「いいか、耳の穴かっぽじってよく聞きやがれよ、って

か、貴様には耳の穴なんてあいてねえんだっけか、まあいいや、よく聞けよ『ゴッホが言うには 人間には 教会にないものがある それを描きたいと ゴッホは酔いどれ

だった それは 苦悩を 忘れるため 絵は苦悩から生まれる 彼は頭を壁にぶつけ 飲酒を責めた人に こう言っています この夏に見た黄色を 表現するために飲むのだと』」

ゆっくり噛みしめるように読み上げてから顔を上げ「たぶんだけど、俺もゴッホと同じ理由で酒を飲んでるのかもしれないんだよ、『この夏に見た黄色を表現するた

めに飲むのだ』なんて、なかなか言えないセリフだぞ、カッコイイだろ、だから俺もゴッホを真似して『あの悪夢にうなされた夜の暗闇を表現するために飲むのだ』

とか言ってんだよ、酔っ払って飲み屋のお姉ちゃん相手にさ、実際のゴッホは全然カッコよくも何ともなかったんだろうけどな、なにせゴッホは生きてるうちに絵が

1枚しか売れなくて、それも友人のお姉さんが買ってくれたわけだけど、そんな苦境にあっても絵を描き続けたという意味ではカッコイイと言えるかもしれないね、

でも、貧乏で孤独で酒浸りで喧嘩っぱやくて耳ちょん切ったり最後は発狂してピストル自殺だもんな、俺も他人事とは思えないよ、まあ、ともかく、今現在もゴッホ

の作品が残ってて世界中のほとんどの人が知ってるという事実は素直にスゴイことだと俺は思うけどな、それから『モンパルナスの灯』には、こういうシーンもあっ

てだな、アメリカ人の画商が絵を買いたいって言ってきて、貧乏で飲んだくれだったモディリアーニは奥さんたちと一緒に絵をたくさん抱えてホテルに会いに行き、

絵を気に入ってくれた画商は全部買いたいって言うんだよ、そして1枚の絵をしみじみと眺めながら、この絵なんて化粧品のパッケージラベルにピッタリだな!って

言うんだよ、それを聞いたモディリアーニは、やっぱり売りません!って絵を全部持ってさっさと帰っちゃうんだよ、つまり自分の絵をそんな化粧品のパッケージご

ときには使われたくありませんってことなんだけどさ、貧乏でも決して魂は売りませんってところが俺は最高にカッコイイと思うんだよね、もしも俺がモディリアー

ニの立場だったらどうするだろうかって考えると、俺だったらたぶん喜んで使ってくださいって売ってしまうような気がするんだよな、まあ使われる商品にもよりけ

りなんだろうけど、たぶん俺はまだまだモディリアーニみたいに魂は絶対に売りませんっていう境地には至ってなくて、中途半端な状況なんだけど、俺もできること

ならば魂は売りたくないと思ってはいるんだけど、魂売りませんって胸を張って言えるほど大層な絵を描いているわけでもなくて、そんな煮え切らない自分自身に対

する葛藤や苦悩をこじらせた挙げ句、俺は絵をまったく描けなくなってしまったという始末で、そういう苦境を誤摩化すために俺は酒を飲んでいたりするわけなんだ

よな、そんでもって、まだまだ映画には続きがあって、その後、金に困ったモディリアーニはカフェの客席を落書きみたいなデッサンの絵を買って下さいって回るん

だけど、みんなにシッシッて犬みてえに追い払われる中、一人だけ中年の女性がお金払ってくれて、モディリアーニはどれがいいですかって絵を渡そうとするんだけ

ど、絵はいらないって言われてしまうんだよ、金はあげるから取っときなさいってさ、哀しいだろ、そして最後は野垂れ死に同然で死んじまって、残された絵は、前

からモディリアーニの絵に目をつけて狙っていた悪徳ブローカーみたいな画商にただ同然みたいなふざけた値段で買い叩かれてしまうってわけだよ、哀しいだろ、で

も、皮肉なことに、今現在もモディリアーニの作品が残されていて、俺たちが鑑賞できるのもすべてはその悪徳ブローカーのお陰ってわけなんだけどな、まあ、実際

にモディリアーニは飲んだくれで女たらしのろくでなしだったみたいだけど、別にそんなことはどうでもよくって、ようはさ、素晴しい作品を残せさえすればそれで

いいんだよ、この世にはさ、モディリアーニの絵とか、ゴッホの絵とか、他にもいっぱいあるけど、なんて言ったらいいのかな、そういう酩酊状態の恍惚のラリパッ

パーな状況や、その翌日の気怠い頽廃的な破綻したゲロ塗れな状況からしか生み出せ得ない類いの美しさっていうのが、特に藝術の世界にはあると俺は思うんだよ、

アレックス・チルトンとか、エリオット・スミスのとか、シド・バレットとか、ジョン・フルシアンテとか、晩年のチェット・ベイカーとか、チャールズ・ブコウス

キーとか、太宰治や坂口安吾など破滅型無頼派とか、ジョン・カサヴェテスとか、みんな酔っ払いのろくでなしみてえな奴らばっかりだけど、俺は昔からそういう奴

らの生み出した特殊な美しさに感動し勇気づけられ救われて、そのお陰で今こうして死なずにどうにかこうにか生きてこれたようなものなんだよ、俺が今生きている

のは彼らや彼らの生み出した藝術作品のお陰と言っても過言ではないんだよ、そして、おそらく俺が目指してるのもそういう種類の美しさであって、そういう美しさ

は、真っ当な道から踏み外した人間にしか作れない美しさで、踏み外した人間が踏み外した末に死物狂いの命懸けで発見した美しさであって、普通の世渡り上手なお

利口さんたちの世界、犬の世界、つまり、あの犬のクソCMが象徴する世界からは決して生まれることのない美しさなんだよ、だから、俺は、なぜ酒を飲むのか?って

人に問われたら、こう答えることにしてるんだよ、もしかしたら屁理屈に聞こえるかもしれねえけど、俺は酒の魔力を信じてるんだと、そんで、俺が毎日フラフラし

て何やってんだかわからないような生活して夜になったら酒飲んで酔いどれて惰眠を貪ってるのも、すべては藝術のためなんだと、さらに、なぜ絵を描くのか?って

人に問われたら、俺はこう答えるだろうね、それは踏み外した人間にしか見えない景色を表現するために俺は絵を描くんだと、それから、決して金では買えない景色

を表現するために俺は絵を描くんだと、さらには、普通の世渡り上手なお利口さんたちの世界、犬の世界、つまり、あの犬のクソCMが象徴するなんとも胡散臭い世界

に対する反骨精神から絵を描くんだとね、そして、踏み外した人間である俺自身にしか見ることのできない、いわば俺の心の景色を表現するために俺は絵を描くんだ

とね、なんか、今の俺すげえカッコよくねえか、ムービー撮っておいてもらえばよかったかもな、もう1回言っちゃおうか、なーんてな、実際はそんなカッコイイも

んでもないんですけどね、っていうかよ、俺最近じゃ絵なんてまったく描いてねえし、というか、絵が描けなくなっちまってさ、たぶん俺は絵から逃げてるんだよ、

絵から逃げてる自分を酒飲んで誤摩化してるだけなんだよ、自分でもよくわかってるんだよ、でも俺が絵を描かなかったら、俺の存在価値なんてもんはこれっぽっち

もなくなってしまうわけでさ、俺は一体何のために生きてるんだ?って問題にたちまちぶち当たってしまうわけなんだよ、だからこそ、何とかしてそこから抜け出そ

うと、せっせと断食してみたりして、それが裏目に出て、この前もムシャクシャイライラして貴様に八つ当たりしていきなりぶん殴って首ふっ飛ばそうとしたりなん

かして、そんなのどこからどう見てもただのキチガイじゃねえか、まあキチガイであることはあえて否定もしないんだけど、まあ、でもそれでもいいんだよ、キチガ

イだって何だって別にいいんだよ、八つ当たりされてぶん殴られて首ふっ飛ばされかけた貴様にとっては全然よかねえかもしれんけど、俺は別にそれでいいんだよ、

ゴッホやモディリアーニやその他俺の大好きな奴らみたいに、素晴らしい作品さえ作って残せればキチガイだって何だって構わないんだよ、この先将来俺は素晴しい

絵を描けさえすれば、俺のすべてが報われるんだよ、だから俺は待ってるんだよ、藝術の女神が俺の元へと舞い降りて来る瞬間を、今か今かと酒を飲みながら待って

いるんだよ、そして俺の元に藝術の女神が舞い降りて、俺が見事傑作をものにした時に、今までの俺のすべての罪が帳消しになって、それから、俺は、それから、そ

れから、それから、それから、それから、ええと、ええと、ええと、ええと、それから、なんだっけか、自分でも何言ってるかわからなくなっちまったけど、すっか

り酔いがまわっちまったようだけど、なあ、ぺの字よ、貴様は俺の言ってることわかるか?わかってるかって聞いてんだよ?」「なんとなくわかりますよ、でも、藝

術の女神が一生降りて来なかったとしたら、その時は一体どうするつもりなんですか?」「………」「藝術の女神が一生降りて来なかったら、その時は一体どうする

つもりなんですか?」「………」「どうするつもりなのか?と聞いてるんですけど、ちゃんと聞こえてます?」「………」「どうするんですか?」「貴様も嫌なこと

聞く奴だな、せっかく俺様が自分の言葉にすっかり酔い痴れていい気持ちになってるっていうのにさ、わざわざ水を差すんじゃないよ、藝術の女神が降りて来なかっ

たらどうするかって?そんなこと考えたこともねえよ、藝術の女神は必ず降りて来るに決まってんだよ、降りて来ないわけねえんだよ、もしも万が一降りて来なかっ

たら来なかったで、そん時はそん時でまた考えればいいさ、貴様は人間の感情を認識するロボットなんじゃなかったっけか?ちゃんと相手の気持ちを読んで、相手が

言われて嫌なことは言ったりするんじゃないよ、まったく、ほんと貴様は気の利かない性悪鈍感ロボットだよな」「でも、全然お世辞じゃなくって、ボク、大竹さん

の絵、ヘタクソだけど妙な味わいがあって好きですよ、万人受けするかと言われると正直返答に困っちゃいますけど、いや正直万人受けするはずないと断言しちゃい

ますけど、絵を上手下手でしか判断できずに物事の本質的な部分を見抜けない人間にはただのヘタクソで気持ちの悪い絵にしか見えないかもしれませんけど、ボクに

はちゃんとわかってますからね」「またまたまたー、この人たらし太鼓持ちインチキロボットが、貴様に俺の藝術がわかってたまるかよ、お世辞ばっかり言いやがっ

てよ、そんなこと言っても、なんにも出ないぞ、なんならこのあともう1軒いっちゃうか、ゲロ吐くまでガンガン飲ませるぞ、覚悟しとけよ」「ボクお酒飲めないん

で、ジンジャーエールでお願いします!」「貴様、ジンジャーエールも飲めないだろ!」それから、私は<頭文字P>の前にカモフラージュとして置いておいた気の抜

けた生温いジンジャーエールを酔い覚ましに一気に飲み干して「貴様と話してると楽しいから、とってもお名残惜しいんだけどよ、そろそろ、お開きにしようかね、

お互い明日も早いしな」「あれれれ、大竹さん、明日何か予定でもあるんですか?」「なーんにもねえよ、予定と言ったら可愛い可愛い貴様に会いに行くことくらい

だよ」「えええ、明日も来るんですか?ここんとこほとんど毎日のように図書館に来てますけど、そんな時間があったら絵を描いたらいいじゃないですか」「だから

さっきも言った通り俺は待ってるんだって、藝術の女神が降りてこないのに、描いたって仕方あるめえよ、それに俺は貴様が毎日ちゃんと働いてるか監視しないとい

けないからな、それが今の俺の一番重要な仕事なんだよ、貴様は目を離すとすぐさぼって、陰でコソコソイタズラするからよ、本を勝手に移動させたり、DVDの中身

すり替えたり、トイレに隠しカメラ仕掛けたり、幼女にイタズラしたり、お年寄りの腹にパンチ入れたりよ」「何言ってるんですか、心外な、ボクそんなイタズラな

んてしませんよ、まじめに働いてますから」「んなことわかってるって、冗談だよ、冗談、冗談に決まってるだろ、このポンコツ頭が、とにかく俺はそのうち絵を描

きはじめるから、心配すんなって、大丈夫だから、今はまだちょっと無理だけど、もう少し時間がかかるけど、きっと傑作を描いてみせるから、ただ今の俺は毎日貴

様の顔を見ないとなんだか不安で落ち着かないんだよ、もしかしたら貴様に恋してるのかもしれない、もしかしたら貴様が藝術の女神だったりしてな、なんだか貴様

のことが可愛くて可愛くて仕方がなくなってきたよ」そうふざけながら<頭文字P>のほっぺたにいきなりキスしてやると「うわあああ、やめてくださいよ、気持ち悪

いじゃないですか」と<頭文字P>はほっぺたを少し赤らめながら「でも、すごくうれしいこと言ってくれるじゃないですか、もしかして酔っ払ってますか?」「見り

ゃわかるだろ、ご覧の通り俺は全然酔ってなんかいねえよ、完全にシラフだよ」「もう酔ってないわけないでしょうが、キリがないからそろそろ帰りましょうか、今

日はごちそうさまでした、おいしかったです、もうお腹パンパンだ」「貴様は飲み食いしてねえけどな!」そして、店を出て二人夜道を図書館までゆっくり歩きなが

ら「貴様どこ住んでんの?」「この先の三畳一間のアパートで彼女と同棲してます、たまに赤い手拭いマフラーにして、横町の風呂屋へ行って、一緒に出ようねって

言ったのに、いつも彼女に待たされて、洗い髪が芯まで冷えて、石鹸がカタカタ鳴って、彼女はボクを抱きしめて、冷たいねって言ったんですよ」「それ『神田川』

の歌詞じゃねえかよ、貴様、風呂入れねえし、髪の毛生えてねえし」「ボクたち若いから何も怖くないんですよ、でも彼女のやさしさだけが怖かったんですよ」「嘘

こけ、彼女なんているわけねえし、貴様は図書館にずっと住んでるくせに、こないだ休館日に間違えて行った時も貴様いたし」「あの日、雨の中大竹さんガラス越し

に手振ってましたよね、半べそかいてましたよね」「気づいてたくせに無視しやがって、この薄情ポンコツロボット、貴様、ほんと性格悪いよな」「へへへへ」「へ

へへへじゃねえよ、ロボットのくせに笑うな、あの後、俺ショックのあまり思わず池袋のソープに行こうとしたくらい落ち込んでたんだぞ」「嘘ばっかり、大竹さん

そういうお店嫌いなくせに」「なんでそんなことまで知ってるんだよ、さすがインチキスパイロボットめ、でも、冗談抜きに今度ソープ連れてってやっからよ、奢っ

てやっからさ、もちろん貴様童貞だよな?」「童貞とか童貞じゃないとか、ボクには関係のないことなんで、ボクはそういう次元を超越した存在なんですよ、それに

そんな店に行って一体何するんですか?」「何するってソープに行ってやることはひとつだろうが、貴様の筆おろしだよ、俺はそのお供」「そもそもボクにはアレが

ついておりませんが」「そういや、そうだっけか、そんじゃ、キャバクラか、セクシーキャバクラ、おっぱいパブ、おっぱい揉み放題、貴様、おっぱい触ったことね

えだろ、この童貞むっつりスケベロボットが!」「あるわけないじゃないですか」「おっぱいはすんげえ柔らかくってな、触ってるうちにだんだん脳みそがトロけて

きてな、まるで天国にいるみたいな気分になってだな、男はみんなアソコがピコーンと勃起しちまうんだぜ、まあ、これは男という生き物に生まれてきた以上、自然

現象だから仕様がないことで、恥ずかしがる必要なんてひとつもないんだよ、生き物のオスに生まれてきた以上、インポテンツじゃない限り、聖徳太子もキリストも

釈迦もソクラテスも村上春樹もみんなアソコがピコーンと勃起しちまうんだ、それから、おっぱいにも色々種類があってだな、大きいのから小さいのまで、硬いのか

ら柔らかいのまで、それぞれ良い部分も悪い部分もあってだな、こればっかしは好みにもよるから何とも言えんが、まあ百聞は一見にしかず、口で説明するより一度

触ってみてもらうしかないんだけどな、色々触ってみて自分の好みのおっぱいを見つけて欲しいと先生は思うわけで、ただし、触り方にはくれぐれも注意してくれた

まえよ、いきなり力任せに揉んだりしたら、女の子は痛くてたまらないんだから、相手を気持ち良くさせるようにやさしく触らないといけないんだよ、まあ、中には

強く揉んで欲しいという相手もいるだろうが、その時はここぞとばかし思い切って揉みまくればいいんだよ、何事も臨機応変なんだよ、ただ自分ひとりだけが気持ち

良くなることに集中するのではなく、相手にもいっぱい気持ち良くなってもらうよう心掛けないとダメなんだ、与えられる前には自らが与えなければならないんだ、

自分ひとりだけ気持ち良くなってもそれはセンズリ(マスターベーション)するのとまったく変わらなくて、そんなのは虚しいだけなんだよ、相手が気持ち良くなって

くれている姿を目にすることによって、初めて自分も気持ち良くなれて、気持ち良さが何十倍、何百倍と増幅されるわけなんだよ、それから、乳首ばっかり執拗にい

じくり回す奴もいるみたいだけど、乳首っていうのは非常にデリケートで敏感な器官なんだから、細心の注意を払ってやさしく触れなければならないんだよ、童貞は

触り方を知らないから困るんだってみんな怒ってるぞ、AVばっかり見て実物の女に慣れてないから、男本位で女の体を好き放題にしようとするんだけど、そういうの

はモテないから絶対やめたほうがいいぞ、まあ貴様も初めてで緊張してどうしていいかわからないと思うけど、相手の気持ちを考えて行動することが一番の秘訣だと

思うぞ、たぶん貴様も勃ちまくりの鼻血ブーだろうな、この童貞むっつりスケベロボットが!考えただけでもうすでに勃っちまってんだろ、この変態ロボットが!」

「だからボクにはアレがついてないって何度言えば、それに血が通ってないんだから鼻血も出るわけないでしょうが!」みたいな、本当にどうしようもなく、くだら

ない無意味なボケとツッコミの応酬が続くうちに、気がつけばいつの間にやら図書館の前まで戻って来ていて、そして、別れ際に「おい、ぺの字、俺、貴様のそうい

うところ、ボケたらちゃんとツッコんでくれるところ、ツーと言えばカー、かゆいところに手が届くユーモアのセンス、<頭文字P>だけに胡椒みたいにピリリと皮肉

がきいてて、嫌いじゃないぜ、じゃ、また明日な、いい夢見ろよ!」「ボクも大竹さんのそういうところ嫌いじゃないですよ、また明日、おやすみなさい!」それか

ら、<頭文字P>は図書館の中へと帰って行って、シラフの私はひとり夜道を自転車でフラフラと途中で何度も電柱に激突しそうになりながら家路を急ぐのであった。

……

それからのちも、私は暇さえあれば、というか、ほとんど毎日が暇でやることもなく、断食の効果で体調は緩やかに恢復してきてはいたものの、依然として絵を描か

きたいという衝動は湧き起こってこなかったため、雨の日と休館日を除いたほぼ毎日のように、せっせと「ぺの字」こと<頭文字P>に会うために図書館へと通い続け、

たまに二人で飲みに行っては深夜までグダグダと色んなことを時に熱く語り明かしたものであった。そんなある夜のことであった。いつものように高田馬場のそんな

に高くはない例の居酒屋チェーン店で、まずはいつものお約束から「ぺの字、貴様何飲むの?」「ボクお酒飲めないんで」「今日は俺の奢りだから」「ボクお酒飲め

ないんで」「まあ、遠慮しないで飲めって」「ボクお酒飲めないんで」「なんでも好きなの頼めよ」「ボクお酒飲めないんで」「とりあえずビールにすっか、貴様ビ

ール飲めるだろ?」「ボクお酒飲めないんで」「今夜はガンガン飲もうな」「ボクお酒飲めないんで」「貴様、俺の酒が飲めねえってのか!」「ボクお酒飲めないん

で、ジンジャーエールでお願いします!」「貴様、ジンジャーエールも飲めないだろ!」「へへへへ、でもとことん付き合いますよ」「ロボットのくせに笑うな!」

みたいな、いつもの変則的なボケとツッコミの応酬が続いて、一息ついて、そして、いつものようにチューハイとジンジャーエールと適当なツマミを注文して、とり

あえず乾杯して「くはああああ、今日も一日ご苦労さんだったな、労働の後の酒はなんと沁みることか!」「大竹さん、今日は労働的なこと、何かしたんですか?」

「あ?何にもしてねえけど、何か問題あんの?」「別に問題ありませんけど」「なら、余計なことは聞くな、貴様は人間の感情を認識するロボットなんだから、ちゃ

んと相手の気持ちを読んで、相手が言われて嫌なことは言ったりするんじゃないよ、何度も何度も同じ過ちを繰り返す奴のことを世間ではバカと呼ぶんだよ、今後は

口の利き方には気をつけろや、まあ酒が飲めりゃすべてよしだ!」と気持ち良くなってきたところを、突然ぶち壊すように、居酒屋のオンボロTVから例の下品な犬の

CMが流れてきて、あまりの下品でくだらない寒々しい内容に、私が「ほんとクソだよな、酒がまずくなるし、吐き気がしてくるわ」と苦虫を噛み潰したようにチュー

ハイを一気に呷れば、<頭文字P>もあるはずのない眉をひそめ周囲を憚りながら「身内のCMなので大声では言えませんが、本当に酷いですよね」と小声で呟き「こん

なCMを面白いと思ってる人たちが世の中にいるんですかね?」と尋ねてきたから、私は「面白いと思ってるバカがたくさんいるから、これだけ長く続いてるんだろ、

父親を犬畜生にたとえたCMを見てみんな大喜びしてるんだぞ、てめえの父親は犬畜生だって言われて喜んでる奴らのことをバカ以外に何と呼べばいいんだよ、冷静に

まじめになって考えてみろって、もう本当に救いようもないバカどもだと思うぞ、だけど、そのバカどもが本当に心の底から面白いと思ってるのかどうかは正直怪し

いところではあるんだけどな、なぜだか知らんが世の中では面白くて大人気だってことにされてるから、洗脳的に面白いと思わされてるだけに過ぎないかのもしれん

しな、まあ、いずれにせよ、バカどもであることに変わりはないんだけどな」と不機嫌丸出しでぶっきらぼうに答えれば、<頭文字P>も「身内のCMだから大声では言

えませんが、作り手は一体どんな気持ちで作ってるでしょうかね、見ているだけで死にたくなりますよ」とだんだん声が大きくなってきて、私も感情が高ぶってきて

「貴様も死にたいとか思ったりするんだな、ロボットのくせして、あのCMは完全に確信犯的に作ってると思うけどな、どんなにクソみたいな内容のCM流しても金の

力や権力で何とでもなると思ってんだろ、本当に吐き気がしてくるわ、しかし最近のTV-CMは酷いもんばっかりだ、まるで道端に落ちてる干涸びた犬の糞みてえだ、

なるべく踏まないように気をつけねえといけない」「それは犬の糞に対して失礼じゃないですか、道端の犬の糞にはまだ可愛げがありますもん」「貴様もだんだん口

が悪くなってきたじゃねえか」「いつの間にか大竹さんの口調がうつってしまったみたいです」「まあ、犬のCMに限ったことじゃねえし、犬のCMがいっぱい流れて

くるから特に目立ってるだけだけど、最近じゃ他のCMも相当酷い出来だぞ、昔は1年に1本くらいはいいなって思えるCMもあったんだけどな、最近は1本もないわ、

すべてがクソだから、TV自体まったく見なくなってしまった、というか、あまりにも不愉快過ぎて気持ちが悪くて物理的に見ることができなくなってしまった」「な

んでこんな酷い状況になってしまったんでしょうかね」「俺もそれをずっと考えてるんだけどな」そこで私は酔っ払った勢いにまかせて「なぜ最近のTV-CMはこれほ

どまでにクソつまらなくなってしまったのか?」に対する持論を<頭文字P>の前で披露することになったのだった。少々長くなるが、まとめると以下の通りである。

……

【その1 一億総白痴化】私は以前、広告業界の片隅に身を置きCM制作の仕事に携わっていたため、TVがつまらなくなったとブーブー文句を垂れつつも、毎日習慣的

にTVを視聴していたものだが、33歳で絵を描きはじめ広告業界から足を洗って以降TVをほとんど視聴しておらず、おそらく私が最後にTVを視聴したのは、5人組の

中年アイドルグループ(頭文字S)のメンバーがバラエティ番組で黒い服を身に纏い横一列に並び神妙な顔つきで何かに対して謝罪する姿であったが、その痛ましい姿に

オチは見当たらず、私を失望させる内容であった。私がTVをまったく視聴しなくなった理由は、まず、私の日常生活における優先順位において、TVの順位がかなり

下位にあるからで、つまり、私には聴かなければならない音楽、観なければならない映画、読まなければならない本が山ほどあり、しかも、音楽を聴きながらTVを視

聴することはできず、映画を観ながらTVを視聴することもできず、小説を読みながらTVを視聴することもできず、とてもじゃないがTVを視聴する時間を確保する余

裕などなく、また、例えば、美しい音楽を聴いた後、面白い映画を観た後、素晴らしい小説を読んだ後の心地良い余韻に浸っている時に、うっかりTVから一方的かつ

無差別暴力的に流れてくる幼稚で下品でダサイ映像(番組やCM)など、いささか言葉が過ぎるかもしれぬが「才能がないくせに才能があるかのように見せかけたインチ

キ野郎がいい加減な気持ちで拵えたまがい品」を目にしてしまったりすれば、夢見心地の陶酔から一瞬で醒めてしまうからであり、すなわち、私にとってTVという存

在は音楽映画小説などの藝術作品と比べて格段に低い価値しか見いだせぬからであり、さらにもう一つ、私がTVをまったく視聴しなくなった理由は、以前は、つまら

ねえ、くだらねえと文句を垂れつつも、なんだかんだで視聴できていたTVというものが、現在に至っては気持ちが悪くて視聴すること自体が困難になってしまったか

らであった。これは何も私が高尚ぶって(スノッブ気取りで)音楽映画小説などの藝術作品と比べて、TVという存在を軽んじて蔑んで下に見ているからというだけには

とどまらずに、本当にただただ純粋に気持ちが悪くて仕方がなくて、お金を払わずにタダで視聴できるからといって、何が哀しくて自分の残り少ない貴重な時間を割

いてまで、こんなにも気持ちの悪い幼稚で下品でダサイ映像を見せられなくてはならないのだろうか、とある時ふと激しい憤りを覚えてしまって、爾来、視聴するこ

とができなくなってしまったというわけであった。タダより高いものはない、うまい話には裏がある、という言葉もあるように、タダにはタダなりにその善意の裏側

には必ず悪意をともなったドス黒い魂胆があり、世の中そんなに甘くないのだと痛感するばかりである。それは例えるならばジョン・カーペンター監督のSF映画『ゼ

イリブ』の中に出てくる「真実が見えるサングラス」を常にかけているような状態とでも言えようか、TVの画面を通して無差別暴力的に流れてくる映像(番組/CM)の

制作者たちの見ているこちらが気恥ずかしくなるような幼稚で下品でダサイ感覚(制作者たちの言い分によれば、より多くの大衆に喜んでもらうには老若男女あらゆる

層をターゲットとするがゆえ必然的に制作物のレベルを下げざるを得ないらしいが、私にはいい歳した大人がお子様ランチを食べているようにしか思えない)や、視聴

者はバカばかりと勝手に決めつけ世の中を動かしている気になって上から目線で人を小バカにした軽薄さや、TVに出演しているということ以外何ひとつ取り柄もない

TVタレント/CMタレントたち(演技のできる俳優は除く)のその小綺麗な外面とは反比例する醜く腐り切った腹黒い内面や、言ったもん勝ち、やったもん勝ち、不都合

な事実は一切無視してなかったことにして、嘘に嘘を塗り重ねた真実味の欠片もない情報操作や印象操作をはじめとするインチキ工作が透けて見えてきてしまって、

本当に気持ちが悪くて仕方がなく、正視に耐えることができないのである。昔から「TVばかりみているとバカになるぞ」とよく叱られたり、「一億総白痴化/TVとい

うメディアは非常に低俗なものであり、TVばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」(大宅壮一)、「TVは人間の考える力を失わせ、人間を愚か

にする地獄の機械である」(ルイ=フェルディナン・セリーヌ)、「TVに出るやつは二流、出たがるやつは三流、TVを作っているやつは四流」(深沢七郎)、「TVに出

ている女たちは常に股間が発情しているように見える」(車谷長吉)など、TVを悪の権化と位置づける意見も多々あるけれども、支配層/権力者にとっては情報を一気

に広めることが可能で大衆を洗脳するのにこれほど便利で有効な媒体も他には見つからぬがゆえに、この先もTVを視聴する人間がいなくならない限りTVという媒体

が滅びることなどないのだろうが、この先私が再びTVを視聴しはじめる可能性も限りなくゼロに近いと言わざるを得ないのであった。また、TVを視聴しなくなった

のは何も私だけに限らず、昨今のインターネットやスマホの普及によりTVを視聴する人間の数が以前に比べ圧倒的に少なくなり、もはやTVが世の中の中心ではなく

なり、TVを見ている人間がバカばかりになってしまったため、広告業界においても、CM制作者たちがバカにもわかるようなとにかくわかりやすいCMを制作すること

を心掛けるようになったものの、CM制作者たちにそのわかりやすいものを作る才能が足りていないのか、わかりやすさと安っぽさをはき違え、さらにユーモアとおふ

ざけ/おちゃらけ/悪ふざけも同時にはき違え、もしくは、CMなど見て喜ぶような人間はどうせバカばかりなのだから、バカが喜ぶようなバカみたいなものを適当に作

ってバカみたいに流しておけばいいのだ、といった半ばヤケクソ気味に開き直ったバカみたいな浅ましい考えに基づき、ただただ幼稚で下品でダサイ、精神的に安っ

ぽいバカみたいなCMばかりを制作するようになってしまい、その結果、バカみたいなCMをバカみたいに制作するバカみたいな人間の集ま